東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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七日目――collapse 1.

 戦い――或いは師弟の戯れ――は、ものの数分で決着が着いた。

 

「どうした、ギブアップか?」

 

「さ、流石にもう仕込みが無いわ……」

 

 霧雨魔理沙は初めと変わらず、箒に横坐りになったまま、地上3mに浮遊し続け――攻め手の全てを防がれたアリスは、椅子に腰掛けて汗を拭っていた。

 アリスの姿は、ますます人の形から遠ざかっていた。

 肩、肘、膝、手首――各部の関節から突き出たワイヤーが、それぞれに形状を変化させ、或いは槍、或いは剣、或いは斧と化して――その全てが打ち砕かれ、刃を失って、地に落ちている。

 十指から伸びたワイヤーは、二つの小さな人形に絡みついており、内側から四肢を補強しつつ、光ファイバーの如く迅速に大容量の命令を与えて――その人形二つも、魔理沙の放った魔弾により、地面に縫い付けられている。

 アリスの衣服の腹部に、血が赤黒く滲んでいる。

 攻撃を受けたのではない――自ら、内側から開いたのだ。両手で一体ずつ人形を操り、魔理沙を左右から攻撃した折、更に〝体内に隠していた〟別な人形で、正面から奇襲を仕掛けたのである。

 衣服の背は、大きく爆ぜて裂け、背の皮膚を破り突き出ているのは、変形した背骨の一部。一対二枚の翼にも見えるこの骨は、接近時、魔理沙の首を挟み込むように振るわれて、やはり一工程にて防がれた。

 まだ有る、まだまだ有る。大小含めれば数十、アリスは自らの〝部品〟を、魔力による変形を経て、武器として用いた。そして霧雨魔理沙は、その全てを、アリスを傷付けぬままに防ぎきった――ほんの数分の出来事であった。

 

「驚いた、魔術師って器用なのね……正直、この時代の標準を甘く見てたわ」

 

 終始、椅子に座って眺めていたセイバーが、拍手と共に賞賛を送る。

 無論、アリスの〝性能〟は霧雨魔理沙に遠く及ばず、勿論セイバー、フランドール・スカーレットにもまた無力であろうが、それでも多種多様の武装は、無邪気な吸血鬼の目を楽しませるに足りた。

 

「〝この〟アリスが特例なだけだ。大元のアリスだって、いやそりゃ器用なやつだったけど、自分の体にワイヤーなんか埋め込んだりしない」

 

「ワイヤーは無しでも、骨とか爪くらいは使わなかった?」

 

「幾らアリスが変な奴でもな、自分の体の一部を使役魔術でぶん回すなんて無茶はしなかったぞ――少なくとも私が生きてた頃は」

 

 模擬戦を終えたアリスは、呼吸を整えつつ、自らの形状を、日常の形へと戻し始めていた。

 即ち、ワイヤーを体内へ引き戻し、突き出た骨を再変形させ収納し、腹の仕込み人形を再度埋め込んで、そして表面上は全く人間と違いの無い、アリス・マーガトロイドへ戻ったのだ。

この異形の光景を、当事者二名も、セイバーも、驚きはしながら、案外に容易く受け入れていた。

 

「……あんた、人間じゃなかったのね」

 

 ただ一人――博麗霊夢のみが、先の光景に、殆ど本能的とも言える警戒心を抱いていた。

 

 ――もうこれは、私の知っているアリスじゃない。

 

 精神が先に破綻し、肉体が追随したものか、肉体の異常を自覚したが為に精神が破綻したものか――その何れかまでは悟らねども、もはやアリス・マーガトロイドは、真っ当な生物ではない。

 分類するなら、寧ろサーヴァント達と同列に置いて考えるべきではないのか? そう、自分の理解が及ばぬ、超常の存在と認識するべきだ、と――

 即ち、〝非日常〟の存在。

 何時しか霊夢の唯一の同盟者は、霊夢が求める〝日常〟から遠く離れたモノと成り果てていた。

 

「そうね、元々が人間っぽくはなかったけど、まさか自分が非生物だったとは想像もしなかったわ……ああ、もっと早く知りたかった。時間が許すなら分解点検をしてみたいくらいなのに!」

 

 分解点検――自分自身の体をバラバラに切り刻み、中身を改めるという物騒なアイデアも、霊夢にはもはや、冗談とは受け取れなかった。アリス・マーガトロイドはそれを本心から望んでいるように感じられたし、けれども、そんな望みを生み出してしまう思考のルートが、霊夢には全く、想像だに出来なかった。

 

「アリス。あんた、何が望みなの?」

 

 だから、だろう。問い詰める為に選んだ言葉は、これ以上も無く簡素なものとなった。

 

「何が……? どういう事かしら、霊夢」

 

「あんたが聖杯に託す望みよ。今更『望みは無い』なんて言わないでよ、信じないから」

 

 理解が及ばぬ存在に対し、何を問えば良いのかも分からぬままの問い――だがそれは、或る一面に於いて的確な問いとなった。

 アリスは、答えが遅れた。

 今日、この日、全ての言葉を心情の奥底から、欲望の赴くままに発していたようなアリス・マーガトロイドが、言葉を発する前に僅かなりとも思考を挟んだのだ。

 

「私の望みは、この聖杯戦争を、生きて見届けることよ」

 

「――へぇ」

 

 そっけなく答えた霊夢の前で、アリスはまた、ほんの一瞬だけ沈黙を置いてから続ける。

 

「ええ、そう、私にも望みが出来たわ。聖杯戦争、この幻想郷と整合性の無い命懸けのゲーム、奇跡に奇跡を重ねても届く筈の無い神秘の大渦! こんなものに触れてしまった魔術師が、このゲームを知り尽くしたいと望まない筈があって!?」

 

「魔術師の思考は、私には分からないわ」

 

「知的好奇心が服を着て歩いてるのが魔術師よ、知識欲を満たす為なら空腹も、空気の欠乏も厭わない。……けれど、この聖杯戦争を勝ち抜くのは、どうやら私のサーヴァントじゃ難しいみたい。だから、私は貴女の隣に立つの」

 

 アリスの目に再び、あの恋い焦がれる乙女のような、それでいて冷徹に対象物を観察する、狂気混じりの眼光が宿る。

 彼女は恋をしているのだ――彼女がまだ知らない万物と、その中でも特に、聖杯戦争というおぞましい儀式、それに携わった人妖達に。

 だが彼女の恋とは、対象を知り尽くしたいという欲望の発露である。仮に〝それ〟を知り尽くしたなら、直ぐにも火の消える、刹那的な感情である。

 霊夢には、それが理解出来ない。

 他者を知る事に、一体どれ程の意味があるというのか――未知数を好み、未知を理解する意味とは、果たして何か。

 何故なら霊夢の価値観の中では〝日常〟――〝既知〟こそが至上であるからだ。

 僅かの差異こそあれ、大なる差はなく連綿と続く日常、平穏こそ尊いものと信じる霊夢には、激変する非日常を望み、動乱と異常に好んで踏み込むアリスの思考は、理解どころか想像さえが及ばない。

 

「聖杯戦争に生き残りたいから、私と手を組み続けるって?」

 

「ええ、そうよ。私は、私自身が生き残って、聖杯戦争の顛末を見届けられればそれでいい。誰かが勝利して、聖杯がどのように駆動し、その望みがどんな形で叶えられるかを知れればいい。だから貴女に手を貸すし、危ない時には貴女に守ってもらうの、合理的でしょう?」

 

「……合理的、ねぇ」

 

 然し、そんな霊夢にも一つ、分かる事がある。

 アリス・マーガトロイドは、初めて、霊夢に嘘を吐いたのだ、と。

 確信に至った理由は無い――言葉の矛盾、理論の破綻、そんなものは見つけていない。敢えて言うなら、言葉の前に置かれた僅かの空隙であるが、それさえも予感の裏付けに過ぎない。

 彼女は嘘を吐いている。それが霊夢には、疑いようも無い事実として理解出来たのである。

 

 そして、その確信に、誤りは無かった。

 

 アリス・マーガトロイドの望みは、『聖杯戦争の継続』であり、『終結』ではない。彼女は永遠に続く非日常の中、万象を覗き見ようとしている。

 その為に、見落としたものをもう一度拾い上げる為にならば、聖杯を駆動させ、もう一度聖杯戦争を繰り返す事をさえ望むだろう。己が満ち足り、飽きるまで、聖杯戦争を無限に繰り返し続けるだろう。

 

 ――日常に還る為、聖杯戦争を迅速に終わらせる。

 

 ――非日常を観察する為、聖杯戦争を継続する。

 

 決して交わらぬ願いであると気付いたからこそ、アリス・マーガトロイドは、博麗霊夢を欺いたのだ。

 何時しか霊夢とアリスの二人は、正面から向かい合いながら、無言のままに互いを見つめ合っていた。

 見知った筈の顔の奥、自分が知らぬ新たな表情を、《忌み嫌う / 探し求める》ように。

 

 さて、その視線を断ち割って、地上に降り立った者が居る。

 

「――ぅおっほん、生徒諸君! 授業中の余所見は感心しないぞ、ん?」

 

 教師の真似事を続けていたアーチャーは、場に漂う慳貪な空気をまるで読まず、軽やかに地面に着手し、二人の顔を見上げた――間に立つと、アーチャーの小柄さがより際立つ格好となった。 

 

「まあ、なんだ、色々双方に思う事も有るだろうが、それはさておけ。今はお前達が、私達の力を借りないでも生き残れるようにしてやるのが先。若い二人のお見合いはその後だ」

 

 そう言いながら、アリスの胸を押して後ろへ追いやりつつも、アーチャーの目は霊夢を見ていた。

 子供のような小さな体につり合わぬ強い眼光は、迂闊な事を思うなという警告のようでもあり――

 

「じゃあ、次は霊夢の番だな。用意の時間は居るか?」

 

「……はぁ? 何がよ」

 

「何がって、今のゲームだ。アリスが先走って一人で暴れたからな、次は霊夢だけで来い」

 

 ふわり、と小さな体が舞い上がる。アーチャーは再び箒に座り、地上3mの高さに浮遊した。

 

「結界術でも体術でも、武器を使っても石を投げても構わない。私に少しでも触れられたら、さっきの話に加えて褒美だってやろう」

 

「ふぅん……お金になる褒美なら嬉しいけど」

 

 気のない声ながら、霊夢は、懐中の護符を手に掴み、地面を蹴って、自らもアーチャーと同じ高度へ浮遊する。

 霊夢は、褒美とやらには興味が無く、先の話――何故自分の名が知られているかも、気にはなるが、どうしても知りたいとまで思う程ではない。

 だが、自分の能力を判断する、良い機会だとは考えた。

 アリス・マーガトロイドと敵対した時、自分が何処まで戦えるのか――それを、同じ物差しで測る良い機会である、と。

 無言のまま、開始の合図を待たずに放たれる、霊夢の札。

 同時代の人間が空を舞う様を見て、アリスがまた喜悦の声を上げた。

 

 

 

 

 

 冷えた乾いた風の中、少女は高揚に頬を染めていた。

 夜――時刻を言うなら、二十三時。淀んだ灰色の空の下、小さな影がたった一つ、歩いて行く。

 衣服を見れば、何も代わり映えしない女学生でしかない。羽織るコートこそ高級なブランド物ではあるが、贅沢といえばその程度。

 決して人目を引く姿ではないが――時間が時間である。女学生がたった一人で歩いていれば、不審に思う者も居よう。

 そして、実際に、彼女に声を掛ける者が居た。

 

「ちょっと、あなた、いいかしら」

 

 警官――婦警。

 ここ数日で増加している事故に備えて、見回りをしている最中である。

 

「どうしたの、こんな時間に一人で……危ないわよ?」

 

 少女は、答えない。

 軽く膝を折って顔を覗き込めば、少女は俯き気味に視線を逸らす。

 頬の紅潮と、目の下の隈――とても健康に見えぬ少女のかんばせに、婦警は憂いを示し、穏やかに声を掛ける。

 

「ご家族は近くにいらっしゃるの? お家はどこ? ……具合とか、悪くないわよね?」

 

 少女は、答えない。

 婦警の存在を関知しながら、言葉も返さず、視線もくれず――そうして少女は、虚空へと〝命じ〟た。

 

「――アサシン」

 

 少女の背後で『完全な闇』が蠢いた。

 光が空間から抉り取られているのだ。

 夜とは言え、住宅街。街灯や民家の窓から、幾筋もの光条が伸びているというのに、それが少女の背後に差し掛かると、忽然と消失する。

 残るのは、全くの黒、全くの闇――何者も見通せない、完全な闇であった。

 その闇が、少女を胎の内に収めながら、婦警の方へと広がり始めた。

 

「ひっ――!?」

 

 婦警は反射的に後ずさり、左手をつっぱって、闇を押し止めようとする。

 不定形の闇は、婦警の左腕を肘まで飲み込み――

 

 べぎぃっ。 

 

 婦警は、夜の路上に、仰向けに倒れた。

 

「あっ――」

 

 柔道経験者の習性か、背を丸めて上手く倒れた為、背や後頭部に痛みを感じる事はなかったが――その代わりに、顔へ降る雨粒の熱さを、婦警は鮮明に感じた。

 赤い雨粒だった。

 肘から先を失った左腕の、肘の断面から空へ噴きあげた鮮血が、自らの顔へ降り注ぐ赤い雨であった。

 闇が婦警の左腕を喰ったのだ。

 

「――――――――――!」

 

 激痛と、それにも勝る恐怖が喉を押し開け、悲鳴を奏でようとする。

 だが、叫びが発されるより寸拍速く、円筒状の芋虫の如き蟲が婦警の口内へ潜り込み、舌を顎に張り付かせ、気道に碇型の頭部をめり込ませた。

 呼吸がままならず両脚と片腕でもがく婦警へ、闇はじわりとにじりより――その闇を掻き分けて現れたアサシンが、身悶える婦警の身体に覆い被さった。

 婦警とアサシンは、手足を絡めあうようにして闇に飲み込まれた。

 

 がりっ。

 ごりっ。

 ばきっ。

 ぶつん。

 ずずっ、ずずず、ずずっ。

 ぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっ――

 

「美味しいの?」

 

 女学生――リグル・ナイトバグは、闇から溢れ出る咀嚼音に、顔をしかめながら問うた。

 

「中々。ただの警官にしては、生まれが良いのか育ちが良いのか、肉に気品のある味わいだね。どこかのお姫様にも引けを取らないや、食べる?」

 

「……いらない」

 

「あっそう」

 

 闇の中より、肉の纏わり付いた骨を差し出し、戯れるようにアサシンが問い返す。

 否と答えれば、咀嚼音はますます勢いを増す――それまでは保っていた最小限の慎みさえ捨てて。骨が砕け、腱が千切れ、血が啜られる不快音のオーケストラが、住宅街の中でかき鳴らされていた。

 人の肉を喰う――

 いかなる時代であれ、常軌を逸したと謗られる行いであろう――人に近い者の価値観に照らすならば。妖怪に分類されるリグルでさえが、血肉の潰れる音に眉をひそめている。

 アサシンは、遠く『幻想の幻想』の頃に生きた妖怪である。食人行為に抵抗は無く、寧ろ好んで行うほどであるが、この夜の殺戮は、ただ空腹を満たす為だけではなかった。

 保有スキル『人喰い:B』――人間を主食にする怪物としての有り様。

 サーヴァントは魂喰いとも称されるが、それは飽くまでも比喩的なもの――人妖の魂を、まさか皿に乗せてフォークで切り分け、噛み千切るような事はしない。魂、魔力といった霊的な力を、霊体であるサーヴァントが取り込み、己の力へ変えるというのが一般的な形である。

 このアサシンは、魔力、魂ばかりでなく、人妖の血肉をそのまま自らの力と変える。

 変換効率は、人間一人を〝余すところ無く〟喰い尽くして、単独行動一日分。腹が空いている限り食い続けられるが、決して効率の良いエネルギー源とは言い難い。

 然し、併せて『単独行動:A』のスキルをさえ持ち合わせるアサシンの場合、話が異なる。

 彼女は――極論ではあるが――宝具を一切用いないのなら、マスターがおらずとも、聖杯戦争を戦い抜く事さえ出来る。その上で更に、マスターのバックアップの代わりとすべく、魔力のストックを作る為に、このスキルが活きる。

 つまりアサシンは、己がマスターの目の前で、マスターを失った際の備えを作っているのだ。

 

 ――君、君たらずば、臣も臣たらず。

 

 飼い慣らせぬ猛獣であるか。否、気儘な流浪の妖怪に過ぎぬが、いずれにせよ主に準じて死ぬ類の忠義者ではなかった。

 

 さて――この不忠の臣と、蟲の女王とは、果たして何処へ向かっていたか。

 郊外にぽつりと断つ、廃洋館を目指していたものであった。


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