東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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七日目――Artifact.

 この日、博麗霊夢は珍しく、〝博麗の巫女〟として、正式な依頼を受けていた。

 依頼先は病院。過去、竹林の森と呼ばれた地区に立つ大病院の、とある兎妖怪の医師から、依頼である。

 曰く、同じ学校の生徒さんが一斉に同じ症状で運び込まれて、検査しても病原菌だとかウィルスだとかが見つからない。調べれば調べる程に気味が悪いのでお祓いをお願いしたい、と――

 同級生も多数入院している所に、巫女の正装で出向くのもむず痒い心地であったが、病院の中を堂々と歩き回れる機会という事で、霊夢はそれに応じた――ほぼ全ての生徒が面会謝絶とされているからだ。

 今、霊夢は、一階丸ごと同校の生徒で埋められた病棟で、病室を順に巡っている所だった。

 探し物は、令呪の気配と――入院していない、誰か。つまり、アサシンの宝具による襲撃に耐えられる、魔術師か、それに準ずる力を持った者。

 然し結論から言えば、そんなものは居なかった。

 そもそも、同校に於いて博麗霊夢、アリス・マーガトロイド、古明地さとり、三名がマスターとして選ばれた事自体が、奇跡的な確率の産物。さらなる偶然は望むべくも無かったし、まだ見ぬ二陣営の誰かが、悠長に病院を潜伏先とするかと問えば、少なくとも自分はしない――霊夢はそう結論付けて、自らの仕事をこなしていた。

 病室を回り、適当な文言と動作で、仰々しく祓いをして〝見せる〟――依頼内容を見るに、要は兎医者、安心が欲しいだけなのだ。そのついでに、病院にはつきものの悪霊などいれば、そちらは片手間に符術で祓っても居た。

 多くの患者を、霊夢は見た。明日にも退院できそうな軽傷の患者も居れば、後々まで後遺症の残るだろう者も居た。その殆どが、見知った顔であるという事実が、霊夢の心に鉛の如くのしかかる。

 

 ――これだけの人妖を巻き込んだ。

 

 たった一人か二人、殺そうという決断が遅れた為に、無駄な被害を増やした――霊夢は、己の行為を咎めていた。

 次はきっと、しくじるまい。

 自らの過ちは、自らが正す。それが博麗霊夢の、〝博麗の巫女〟たらんとする少女の決意であった。

 表面上は淡々と、霊夢は病室を巡って行く。その足が止まったのは、小さな病室のベッドの上で一人、膝を抱えている河城にとりを見つけた時だった。

 

「ねぇ」

 

「んっ? ……おっ、盟友じゃん、何そのかっこ。コスプレ?」

 

 にとりに取って〝盟友〟の基準とは、ある程度の期間会話した事がある人間の大多数である。

 抱えた膝をあぐらに変え、人懐っこい笑みを浮かべたにとりは、見た目には健康的に見えた。

 黒谷ヤマメの結界の毒は、効力にかなりの個人差があったが、にとりは体質的に影響が少なかったらしい――出合頭に軽口を叩ける程度には、にとりは体力を持て余していた。

 

「コスプレ違う、本業。あんたらが呪われてるって医者が怯えてるから、わざわざ祓って回ってんのよ」

 

「あっはっは、呪いだなんて非科学的な! お祓いより私のお手製プラズマクラスターの方が、空気には優しいと思うな!」

 

「はいはい」

 

「あっ、信じてないなその言い方! ならば見せてやろうとも、実はここに隠してあって――」

 

 と、病院のベッドの下から、金属製の箱を引きずり出すにとり。見た目はパソコンの本体部分にも似ているが、ぐねぐねとうねったケーブルが何本も突き出た姿は、あまり機能的とは言えない。

 溜息半分、呆れ笑いも半分に、霊夢は病室の中央に立ち、所定の〝祓い〟の動作を行った。悪霊の類も、呪いも、その他の霊的な仕掛けも無かったが、他の病室より時間を長く取った。

 適切な言葉を探していたのである。

 

「ねぇ」

 

 結局、病室を訪れた時と同じ言葉に、沈鬱な響きを載せる。

 声色に、続く言葉を察したと見えて、にとりは手の平を霊夢に向け、首を左右に振った。

 

「さとりの事だろ、山の巫女さんに聞いたよ」

 

「山の――早苗に?」

 

 その名を、此処で聞こうとは、霊夢は予想していなかった。確かに河城にとりは、妖怪の山方面に住んでいるが、東風谷早苗と面識があるとは知らなかったし、ましてや早苗が霊夢に先んじて病院を訪れていようとは。

 その早苗だが、今朝方、霊夢の家に電話を――番号を教えた記憶など霊夢には無かったが――掛けてきて、告げた事がある。

 

 ――今回の一件は、薬品会社の廃液流出が原因とします。

 

 某企業のずさんな管理体制が祟り、劇薬の廃液タンクが流出。それが如何なる経緯か、命蓮寺高等学校付近に不法投棄され、水道管を腐食させ水に混入、蛇口を捻った折に廃液と水が反応を起こして気化。気化した薬品が生徒の呼吸器や皮膚に作用し大惨事となった、というのが、シナリオだという。

 専門的な調査を行えば、その真偽は容易く知れるのだろうが、東風谷早苗は『何とかする』と言った。聖杯戦争に対し、何の義務も権利も持たない酔狂人に頼る他、霊夢には打つ手が無かった。

 

「体、弱そうだったもんな、あいつ。病院に運ばれた時には、もう駄目だったって……お医者様を恨むなって言われたよ」

 

「……そう」

 

「最期だし、一回くらいは顔見たかったんだけどさ、駄目だって言われた。薬品の噴き出した時、近くにいたんだろうって――」

 

 早苗のシナリオの中で、古明地さとりは、狂気を同校生徒に向けた加害者ではなく、不運な被害者の一人とされた。死体は薬品汚染が酷く、近づく許可が出せないとされ――ニュースに名前が載って、それを最後に、古明地さとりの存在は消えた。

 

「椛も、死んだらしいわね」

 

「それも聞いたよ。……霊夢、仲良かったよな」

 

「あんたもでしょ、将棋仲間だったって聞いてたわ」

 

「まあね。負け越したまんまだったよ」

 

 犬走椛も、地上に落ちた首無しの亡骸は迅速に回収され、同じように、近づく事の出来ない死体として処理された。

 そればかりではない。何人も、何人もが、同じように――二目と見られぬ無残な姿、内臓が融解し潰れた死に姿を、誰にも見られぬようにと葬られた。

 

「……残念ね、本当に」

 

 霊夢の言葉は本心であったが、抱く感情を表すには不足の言葉であった。

 だが、それ以上の言葉は見つからない。慰めや、憐れみや、同情や――そんな言葉に、なんの意味が有るか。ましてやそれを示すのが、事態を引き起こした一因であるならば。

 

「だねぇ、本当に残念だ。さとりが居なくてにとりが一人ってか、あははっ、あははははははっ――」

 

 から笑いの後、にとりは酷く咽せた。

 その後は暫し、静寂が病室を包んだ。

 何十、何百の人間が治療を受ける環境で、日中にも関わらず、病棟は静かだった。隣室の、或いは幾つか離れた病室の物音が、声が、にとりの病室にまで届いていた。

 

「誰か泣いてる――」

 

 初めて気付いたように、にとりが呟く。

 霊夢は、その言葉に何も応じぬままで窓際に立ち、カーテンを開け、日光を病室に取り込み、それから――

 

「あんたも、泣いてもいいんじゃない?」

 

「ひゅい?」

 

 ベッドに座したにとりに背を向けて、そう促した。

 

「はは、まさかぁ。この天才発明家の河城にとり様に、涙は似合わないと――」

 

「うるさい、さっさと泣け」

 

「――はぁ!? ちょっと横暴じゃないかね博麗の巫女さんよー、おー?」

 

 ドスの聞いた声を出す霊夢に、にとりもガラ悪く応じる――学生同士の、他愛ない戯れ。

 だが。

 気丈に返すにとりの表情を、見る者は誰も居ない。だから、言葉とは裏腹に声が歪むのも、何故なのか誰も知らない――知らないのだと、霊夢の背が告げて。

 

「……良いから泣きなさい、私の分まで。〝博麗の巫女〟が誰か一人の為に、ビービー泣くなんてやってられないのよ」

 

「ははっ、酷い言い草だ。……泣くのって疲れるんだぞぅ。二人分も泣いたら、ここにゃ川もない、干上がってにとりのミイラが出来上がりだよ。神社にでも飾る?」

 

「要らない。……ほら、さっさと泣けって言ってんのよ、しまいにゃゲンコツで泣かすぞこら」

 

「ひえぇ、ヤクザ巫女だぁ……っはは、はははっ、あはははっ、あはは――」

 

 おどけ合いながら視線も合わせず、泣け、と。自分の為に泣けないなら、私の代わりに泣けと、強請る声までが震えていると気付いた時――河城にとりの目から、涙が堰を切ったように溢れた。

 ベッドのシーツをくしゃくしゃに握りしめ、赤ん坊のような大声で、にとりは泣いた。

 背から胸に突き刺さる哭声を聞きながら、霊夢は両手の拳を、爪が肉を抉る程に握る。

 霊夢は、涙を流さなかった。滴る血を涙に代えて、目を見開き、肩を震わせながら立っていた。

 

 

 

 

 

 病院の祓いを終えて、また暫し後の事――冬の短い昼が、夕に切り替わる程の頃合い。

 霊夢は、白玉楼の階段に沿って〝飛んで〟いた。

 飛翔――古を生きた英霊達は、当然のように備えている技能。然し本来、現代を生きる霊夢が使える技術では無い筈だった。

 然し今、実際に霊夢は、空を飛んでいる。

 寧ろ今までが異常であり、空を飛ぶこの姿が正しいのだと思える程、飛ぶという行為が〝馴染む〟のを、霊夢は自覚していた。

 口数は、極めて少ない。

 傍らに霊体化したセイバーを携えながら、彼女に掛ける言葉の一つも無かった。

 階段の頂上、正門の前には、魂魄妖夢――イレギュラークラス、ウォーリアが立っていた。

 対霊体の結界に守られた白玉楼の、ただ一つの入り口を塞ぐウォーリアは、来訪者の浮遊する姿を見て、ほんの少し瞼を広く開いたが、

 

「どうぞ、お通り下さい」

 

 すす、と横へ滑るように道を開け、霊夢とセイバーを楼中へと通した。

 霊夢の訪問の理由は、楼中の人物より送られた招待状。使い魔によって運ばれた、ルーズリーフのメモ書きである。

 

『白玉楼を拠点にしたので、どうぞご訪問ください。かしこ。アリス』

 

 拠点にした――あまりにあっさりとした文面の、秘める意味の重さ。

 セイバーと黒鎧のサーヴァント、二騎を以ても傷付けること叶わなかった、白兵戦の無双、ウォーリア。彼女が守る白玉楼を、アリス・マーガトロイドは、自分の拠点にしたと記してある。

 初め、霊夢は、その手紙を、他陣営からの偽手紙ではないかとさえ疑った。然しセイバーが、文使の使い魔は間違いなくアーチャー霧雨魔理沙の作ったものだと断言した――西洋魔術的文脈によれば、魔力による署名の如きものも施してあるという。だから疑念を持ちつつも、迅速に訪れたのだ。

 正門をくぐった先、白玉楼中は、墨絵の如くに清浄であった。

 白砂を踏み庭先を行けば、雪華を咲かす桜の木々が列を成し、来訪者に道を示す。

 木々の道を歩む先は、楼閣高く厳かにそびえ、目に見えぬ霊魂の気配ばかりが、柱や屋根に纏わりついていた。

 

 ――異界。

 

 静謐の空間に、霊夢の直感が警鐘を鳴らした。

 此は現世か、否、冥府であろう。冥府に人は留まるべきでない――只人ならば。

 〝博麗の巫女〟とて、この空間に漂う過剰な死の気配を、長く浴びて良い筈は無いと、霊夢は殊更に警戒する。

 

 ――此処は、日常の対極にある。

 

 博麗霊夢と、決して相容れぬ空間が、白玉楼であった。

 

「アリス! 来てやったわよ、何処?」

 

 同盟者の名を呼ぶと、わぁんと声が何処かにこだまして、それから足音。和風の家屋にはまるで似合わない金髪の少女が、二人、並んで姿を見せた。

 

「セイバー、それに霊夢、良く来てくれたわね。入って、お茶を用意するから」

 

 アリス・マーガトロイドは非常に上機嫌であることが伺える、弾んだ声で、霊夢達の名を呼んだ。

 その言葉の選びに、些細な違和感を抱きながらも、霊夢は靴を脱ぎ、縁側から上がり込んだ。

 

「楽しそうね、アリス……緑茶? 紅茶?」

 

 靴を揃えながら霊夢は問い、同時に、違和感の答えに行き着く。

 アリスは、先にセイバーの名を呼んだのだ。

 霊体化し、姿が見えない筈のセイバーを、そこにいると分かっては居ても先に名を呼ぶのは――霊夢とアリスのここ数日の関係性を思えば、奇妙な事に感じられた。

 

「お勧めはハイブリッドね。緑茶3に紅茶1でミルク砂糖マシマシ」

 

「……普通に緑茶でお願いするわ」

 

「ちぇっ。そこの部屋で待ってて頂戴、持って来るわ」

 

 然し、アリス本人に、違和の自覚はあるのだろうか?

 冗談を口にしながら、ロングスカートの裾をはためかせて、また建物の奥へと戻って行くアリス――足取りは軽い。軽いばかりか寧ろ、抑えつけねば浮き上がりそうにも思える。

 浮かれている。

 今にもミュージカルのように、歌い、踊り出してもおかしくない程に見えて、霊夢はその背を追いながら尋ねた。

 

「何か良いことでもあったの?」

 

「ええ、とっても! ……あら、待っててくれて良いのに、まだお茶を用意してないわ」

 

 輝かしい笑顔で振り向くアリス。なんと無邪気な表情であったことか。

 こうまで陰りの無い笑顔を出来る者が、自分が幸せであると心から信じた顔を出来る者が、この世界にどれ程居るか。

 霊夢は急に、目の前の少女が、やがては自分と敵対するかも知れないのだと思い出した。

 

「……お茶は結構。それより話して頂戴、上機嫌の訳と、私達を招待した理由」

 

「そう? ここのお茶っ葉、上等なんだけど――じゃ、先にそっちの用事からにしましょう」

 

 霊夢は、アリスとの距離を五歩まで広く取って、壁際に立った。その距離を全く無造作に、何の害意も無く、アリスは一歩まで詰め、壁に手を着いて、霊夢の顔を覗き込んだ。

 

「本当に、来てくれて嬉しいわ、霊夢。時間が過ぎるのが、とっても、とっても長く感じたわ」

 

 興味深いものを見る、好奇の目――アリスは博麗霊夢を観察しているのだ。

 だのに霊夢は、アリス・マーガトロイドが自分へ向ける好意の強さを、アリスの目の光に感じ取っていた。

 

 ――これは、誰だ?

 

 霊夢は、眼前の少女の正体を疑った。

 この少女は、アリス・マーガトロイドという名前の魔術師と、同じ顔、同じ姿をしている。然し、その魔術師は、自分は聖杯戦争に掛ける望みが無いと、自分は偶然に巻き込まれたのだと、博麗霊夢に告げた。

 人の心情の機微を解さないきらいは有るが、常人の範疇に収まる変人ぶり、同盟者として背を預けても良いとは思える少女――それが霊夢の、アリス・マーガトロイドへの評価だった。

 今、目の前に居る少女は、自分の知るアリスより、自分に強い好意を向けている――それが七色の眼光を通じ、厳然たる事実として迫って来る。その好意を受け取って良いものか、霊夢は躊躇いを抱くのだ。つい数時間程前には、後輩から向けられた好意を逆手に、傀儡を一人作ったばかりの霊夢が。

 

 ――違う。

 

 昨日までのアリス・マーガトロイドとは、明らかに違う。

 聖杯戦争に巻き込まれた魔術師の少女は、たった一夜にして、本質を全く異にする怪物へと変貌していた。

 その怪物が、鳶色の目を細め、心底嬉しそうに言う。

 

「アーチャーがね、『お前ら単独でも身を守れるように、私が授業をしてやる』って! 霧雨魔理沙よ、魔術師の始祖の独占講義よ!」

 

 隣に立つアーチャー当人は、苦笑いを口元に浮かべ、帽子を目深に被っていた。

 

 

 

 

 

「それじゃあ今から霧雨魔理沙様の護身術講義を始めーる! 生徒諸君は謹んで勉学に励むように!」

 

「はーい、先生」

 

 さて。

 博麗霊夢が、アリス・マーガトロイドを怪物と見做してから、まだほんの数分しか過ぎていないのだが――とかく、のどかであった。

 白玉楼の庭に、机と椅子三組ずつと、ホワイトボードが運び出され、アーチャーがホワイトボードの前に立ち、霊夢とアリスが着席している。机一つは空席である。

 霊夢の机の上には、アーチャーが用意した鉛筆二本と消しゴム一つ、それからA3の印刷用紙が一枚。一方、隣に座るアリスの机には、分厚い書が三冊ばかり重なり、書き込みがおそろしく細かい手帳やらノートやらが所狭しと広げられている。

 

「先生、そっちの空き席はどうしたんですか?」

 

「アリス君、質問は挙手の後に行うように。えー、リリカ君は残念ながら病欠と連絡が来ておる、後でノートを見せてあげるように、うぉっほん」

 

「……なにこれ。ほんとなにこれ」

 

 小学校ではおなじみの学校机に、伸びてしまった背を無理に押し込みながら、霊夢は呆然と――というよりは困惑しつつ――加えて呆れ果てながら――小さな体で踏ん反り返るアーチャーを見ていた。

 ご丁寧に、口調に合わせた付け髭姿である。ちなみにカイゼル髭である。

 

「ちょ、ちょっといいかしら、要件ってこれ?」

 

 場合によっては一戦交える覚悟を決めて、腹をくくって来訪すればこのざまである。しかしそうは言いながらも、言葉をさし挟むのに、律儀に手を挙げている辺り、霊夢もアーチャーの勢いに飲まれていた。

 

「そうだぜ、お前達頼りないマスター二人に、せめて自分の身を守れるようになってほしいという親心だ。私らが必死に戦ってる横で、ころっと蜂に刺されて死なれちゃかなわん」

 

「随分と信用が無いのね……結構強いわよ私達」

 

 アリスが口を尖らせて、拗ねたような口振りで混ぜっかえす。

 それを受けて、アーチャーが、ホワイトボードから数歩離れた。

 

「評価は何事も適切に下すべきだと思うぜ。お前達が、今の幻想郷で『比較的』優秀なのは良く知ってるが、絶対的に飛び抜けてる訳じゃあない。……そうだな、言葉にするよりも」

 

 瞬間、アーチャーの手に顕現する箒――飛翔魔術の補助器具として最も一般的な道具であるが、アーチャーはそれに跨ると、地上から3m程の高さに浮遊した。

 

「アリス、霊夢。私を箒から落としてみろ。石を投げるなり掴みかかるなり、攻性魔術を顔面にぶつけても、符術で箒を爆散させても――そうだな、他のサーヴァントを使わなきゃなんでもありだ。というかフラン、お前は座っててくれ頼むから。怖いわ」

 

「むうぅ、読まれた」

 

 アーチャーの後方、何も無いように見える空間から不平の声――どうにもセイバーが、開始と同時にアーチャーに襲いかかろうと、手ぐすね引いて待っていたらしい。

 

「……悪いけど、帰るわ。こういう雰囲気に乗る気分じゃないの」

 

 霊夢が、椅子を蹴るように立ち上がった――入れ替わりにセイバーが、空いた椅子に座って背筋を伸ばす。

 箒に横坐りして地上を見下ろすアーチャーは、暫し、霊夢が地上から投げつけて来る、いやに重苦しい視線を受け止めていたが、

 

「知りたくないか? お前の名前が、私達の時代の誰もが知ってる理由」

 

「――――――」

 

 今にも背を向けて去りそうだった霊夢の足が、白玉楼の白砂に釘付けとなる。

 

「私も、フランも、お前が博麗霊夢だって事が、見た瞬間に分かった。他のサーヴァントだって、お前の事なら大概が気付くだろう、気付いちまうだろう。いや――お前の事を知らなくても、お前の名前だけは、確実に当てる筈だ」

 

「……いかにも『何かを知ってます』って口振りね」

 

 〝その事〟は、霊夢も疑問に思っていたのだ。

 アーチャーはまだ、召喚されてから霊夢に出会うまでの間に、誰かから先に聞いていたという理屈で頷ける。

 然し、セイバーは? 他ならぬ霊夢自身が、他者を交えずに呼び出した彼女の第一声は、

 

 ――霊夢?

 

 そこにある筈の無いものを見た驚きと、過去への郷愁が混じりあったあの声を、霊夢は忘れていない。

 そうだ、何故だ?

 何故、自分は、彼女達に知られている――?

 

「殆ど仮説みたいなもんだが、八割は当たってる筈だ。私を箒から落とせたら教えてや――」

 

 アーチャーが、言葉を言い終わる寸前、ぱちっ、と何か弾けるような音がした。その音を追った霊夢は、人形が一体、力無く白砂に転がっているのを見た。

 傷一つ無く横たわる小さな人形――目を凝らせば、人形の爪が、白銀に光るのが見えた。

 刃。

 小さな刃が、片手に五本ずつ、その人形には備わっていたのである。

 

「……おいおい、アリス、張り切りすぎだ。霊夢がノるまで待ってろよ」

 

「待てないわよ。試したいの、私の〝性能〟を。デバッガーを霧雨魔理沙にお願いできるなんて、望外の幸福だわ!」

 

 アリス・マーガトロイドは、既に次の人形を――歯列に釘が並ぶ凶相の人形を起動させながら、好奇の興奮に身を昂らせていた。

 箒に座すアーチャーへ向けた目は、先に霊夢に向けたのと同じ、恋うるような、面白がるような色。丸く見開いた目には、かつて彼女が表さなかった、多種多様の感情が宿り、発散されている。

 そして、人形が飛翔する。

 釘の並ぶ口を大きく開き、アーチャーの腕へ迫る人形――

 

「だから、急かすなって!」

 

 ぱちん。

 アーチャーが指を鳴らすと、人形は力無く地に落ちた。

 アリスは楽団を指揮するように手を振り上げるも、人形は反応を返さない。

 

「〝使役〟への干渉、制御の奪取――手癖が悪いわね、英霊のくせに!」

 

 物体に所有権を刻み、排他的に干渉するのが〝使役〟の魔術である。外部から第三者が干渉するというのは、その在り方を根幹から覆す暴挙だが、アーチャーは一工程にて実行する。

 アリスは分析する。

 技量の高低の差はあるが、それだけではない。アーチャー、霧雨魔理沙は、この魔術の構成を熟知している。

 おそらくは、循環する魔力の大小、比重、構成する魔力を編み込んだ配置の仔細も、〝このアリス(じぶん)は〟初めて見せた術であるが、熟知しているのだと、アリスは確信した。

 

「ちょっと借りただけだぜ、返してやるよ!」

 

 ぱちん。

 指を鳴らすという一工程にて、動き出すアリスの人形。然し、人形が牙を向けるのは、他ならぬアリス自身へである。

 釘の並んだ口を開き、振り上げた手を目掛けて食らい掛かる人形――

 

「『Assemble(再構成).』」

 

 単言詠唱――自らの性能を駆動させるキーワードが、アリスの口から告げられる。

 その刹那、アリスの右手、五指の先端より皮膚を突き破って伸びたものが有った。

 5m長の、鋼のワイヤーであった。

 直径1mm程度、本来なら数十キロの荷重にも耐えられぬ筈の五本のワイヤーは、自ら意思を持ったように束ねられ、人形の首を括り、絞り斬った。

 

「おっ……なっ、んだ、そりゃ!?」

 

「これは知らないでしょう、〝オリジナル〟には出来ない筈だもの!」

 

 破断され、首と別れて落ちた人形の胴体に、ワイヤーが再び食らい付く。

 五本のワイヤーは、人形の首の断面から、作り物の胴体の内側へと潜り込み、アーチャーの干渉によって麻痺した駆動装置に絡み付くと、接触点からアリスの魔力を流し込む。

 首無しの人形が、再び立ち上がる。

 

「〝オリジナル〟――いつ気付いたんだ、アリス!?」

 

 ぱちん――再び打ち鳴らされる指。然し、もうアーチャーの干渉は、アリスの人形を惑わす事はない。

 否。瞬間的には、アーチャーの干渉は効果を生んでいる。然し、干渉により機能停止した人形は、コンマ一秒の間も無く、ワイヤーを通じて流し込まれるアリスの魔力により、再び機能を開始するのだ。

 

「昨日よ、指を噛み切って確信した――ずっと自分がおかしいと思ってたけど、やっとしっくり来たわ! 凄いわ、素敵だわ、私のオリジナルは――私が求めていた魔術の完成系は、まさか〝私自身〟だったなんて!」

 

 首無しの人形が、アーチャーの箒に掴みかかり、地上へ引き下ろそうとする。

 アーチャーが、人形を蹴り落とす。

 地に落ちた衝撃で人形の右腕が捥げた――腕の断面からワイヤーが突き出し、捥げた腕を絡め取り、加工しつつ瞬時に縫合する。忽ち人形の右腕は、十数センチの刃長を持つナイフのように形状を変化させていた。

 アリスは、更に左手の五指からも、五本のワイヤーを展開する。

 十指に十本、鋼のワイヤーを躍らせて立つアリスの姿は、白玉楼の白砂に、異形の影を落としていた。

 

「……アリス。あんた、何?」

 

 眼前に踊る異形の影に、博麗霊夢は呆然と問うた。

 

「何って、見ての通りよ! 全く人間と区別の付かない、継ぎ目一つない外見! 三大欲求のいずれも不要のまま生きられて、けれど摂取もできる! 外部から取り込む魔力、内部生成する魔力で迅速に修復も可能! 耐久性は人間の非じゃない!」

 

 答えは、異常な高揚と共に返る。

 アリスの指から伸びたワイヤーが、アーチャーの箒に絡み付く。即座にワイヤーは、アーチャーの放つ魔力弾に切断されるが、地に落ちたワイヤーはアリスの足元にまで這い進み、衣服の裾から、アリスの体内へと還って行く。

 白い皮膚の下に鋼のワイヤーが蠢めくも、然し無機質のワイヤーには、血管より滲む赤い血が絡む。生身の肉体と金属部品が、互いを拒絶する事なく、アリスの体内で完全に両立しているのだ。

 

「思考する、感情も持つ、喜び、悲しみ、苦しみ、笑い、望みを持つ、欲望を抱く――」

 

 怪物、化け物――違う、もっと理性的で、秩序に満ちた存在へ呼称を与えるなら、それこそ〝まがいもの〟とでも呼ぶのが相応しいのではあるまいか。

 奇しくも彼女自身が〝オリジナル〟と呼んだ誰かと、全く同じ名を冠しながら――

 

「――私こそが自立式人形の最高傑作、『アリス・マーガトロイド』なのよ!」

 

 彼女は、アリス・レプリカは、己の生と幸福を堪能していた。

 


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