東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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五日目、放課後――ステンドグラス

「位置についてー、よーい!」

 

 スターターを掲げ、引き金を引く。撃鉄は雷管紙を叩き、高らかな破裂音を響かせる。100mの全天候トラックは、丁寧に雪掻きが施され、陸上部員達の足を妨げなかった。

 気温は5℃にも満たないが、100mを走り終えて戻ってくる者達は、誰もが汗を流している。たとえ半袖を着ていたとて、彼等が寒さを感じる事は無いだろう。

 が――たった一人、号令係を任された博麗霊夢だけは、長袖の中に手を引っ込めていた。

 

「ったく、自然の摂理に反しすぎよ」

 

「今時、冬眠なんて流行りませんよ」

 

 種族のアイデンティティを投げ捨てて、リグル・ナイトバグは白い息を吐いた。

 短髪の襟足まで汗に濡らした姿は、とても虫の妖怪には思えないほど、冬を満喫しているように見える。

 

「あんたらの体は流行り廃りに流されるの?」

 

「虫は誰より早耳なんです。だってどこにでも居ますから」

 

 快活な物言いにも、霊夢はじっとりとした視線を返す。昆虫が冬に活動するのは、あまり望ましいものではないと思っているからだ。

 大体にして生物は、その本来の有り方に従うべきだろう。尤も現代で、冬眠する種族など居れば、社会の変遷に追い付くのも難しいだろうが。

 

「はあ……長期休暇を求めるデモは?」

 

「女王権限で押し潰します」

 

「とんだブラック企業ね。あんたは経営者に向いてるんじゃないの」

 

 短距離練習のメニューの合間、霊夢はリグルを捕まえて、取り留めも無い話を続けていた。

 が――無為に時間を潰している訳では、勿論無い。

 

「……しっかしあんたら、この寒いのに良くやるわね。わたしゃ風邪が怖いわ」

 

「先輩も走りましょうよ。温まれば大丈夫ですって」

 

「そうは言うけどねぇ、最近は酷いでしょ? 街の方なんかじゃ、数日寝込むような風邪だって流行ってるそうじゃない。

 椛に聞いたわよ、あんたがなんか聞き付けてきたって。早耳のくせに、どうして私に言わないのよ」

 

 昼休みに拾った情報、真偽は定かならずとも、だったら入手元に直接問いただせば良い。

 安直な思考ではあるが、そもそも駆け引きを行使する様な相手では無く――

 

「……言う機会が無かったのは誰のせいでしたっけ?」

 

 ――実際に、答えは直ぐに返ってくるのであった。

 

「最近ですねー、朝に行っても夜に行っても、なんだか留守が多いですからねー。こそこそ夜遊びしてる誰かさんのせいで、私がお知らせできないのは不可抗力では無いかと」

 

「皮肉にしてはストレートすぎると思う……いや、ごめんって」

 

 早朝から起こしに来たり、夕食の時間に上り込んで来たり。そんな生活が普通になる程、リグル・ナイトバグと博麗霊夢の付き合いは長い。

 霊夢の側としては、特別に何か、親しくなる様な出来事が有ったとは思っていないのだが――別に関係を断つ理由も無かったので、そのまま付き合っていた、それくらいの関係であった。

 

「もう……次は本当に怒りますよ? それで、その話ですけど――」

 

「はいはい……」

 

 然しながら、霊夢も愚かでは無い。自分が認識していた距離感は、飽く迄自分だけの認識だと、何時頃からか気付いていた。

 気付きつつも、殊更に取り上げて今の関係を崩す事もなかろうと、何も言わずに居たのだ。

 今必要なのは、疑心を解決する事である。

 

「――とまあ、そういう話なんで……あ、ちょっと走ってきます」

 

 霊夢が話を途中まで聞いた所で、リグルは練習に戻っていく。その内容を整理すると――整理する程の事も無かった。

 椛が聞いてきたその通り、古明地さとりが夜の街を歩いていて、後をつけた三人ほどが風邪で寝込んだ。

 何も事件性は無い。因果関係さえ見いだせない事実だが、霊夢はどうにも気になって仕方が無かったのだ。

 

 トラックを走る陸上部員達を横目に、霊夢は思考を巡らせる。

 椛が〝又聞き〟と言ったのだから、リグル自身もまた別な誰かから聞いたのだろう、とは分かる。

 では、その誰かは、何故に古明地さとりの動向を気に掛けていたのだろうか?

 目立つ事無く、静かに暮らしている彼女を気に掛けるのは――友人のにとりか、或いは今の自分くらいでは無いかと、霊夢は思っていた。それだけに、動向を探るのに難儀するかとも思っていたので、寧ろ噂を聞いた事自体に驚いた程だ。

 単純に考えて、その〝誰か〟は――まだ見ぬマスターの可能性もある。

 夜間に市街地を歩き、古明地さとりの後をつける――意味を見出すとしたら、そんな所だろう。

 勿論、偶然に出くわしただけだったり、或いは個人的なストーカーだという可能性もあるが――当たって見るだけなら損は無い。

 

「あー、さぶい……どっこいしょ」

 

 長距離の練習メニューであれば、暫くは走り続けるのだろう。少しでも風の弱い所へと、霊夢が歩き始めた――その時、悲鳴が聞こえた。短く、直ぐに消える様な声ではあったが。

 

「……?」

 

 咄嗟に振り向いたが、セイバーがのんびり構えている以上、大事とも思えない。声のした方へ眼を向けると、雪の上に、陸上部の一人が倒れていた。

 

「あーらら。セイバー、何か有った?」

 

「貧血ではないかしら、さっきから青白い顔をしてたもの。〝あの〟魔法陣とは関係ないわ、ご安心あそばせ」

 

「そ、なら良いわ……っていや、良くないわよ」

 

 わっ、と校庭中に散らばった陸上部員達が、一斉に倒れた部員に近づいて行く。

 自分は部外者だという事も有り、霊夢は遠くから眺めるだけに留めたが――問題は、人の流れの中に、リグルも混ざっていた事だ。

 詳しく話を聞こうにも、この状況で割り込んでいける程、無神経では居られない。案の定、リグルは倒れた部員を担いで、保健室まで運んで行ってしまった。

 

「どうしたもんかしらねぇ」

 

「どうしましょうかしらねぇ。打つ手がないのなら、私の案を聞いて欲しいのだけど」

 

「……ん?」

 

 最初の案が破れ、溜息を吐いていた霊夢に、霊体化していたセイバーが呼び掛けた。

 霊夢は陸上部倉庫に、手にしていたスターターを片づけてから、適当な物陰に移動する。

 

「聞いてあげようじゃないの、話しなさいよ」

 

「光栄ですわ……実は、授業の合間に職員室に忍び込んできてね」

 

「あんたは忍ばなくてもいいじゃないの」

 

「手を使う必要があったからね……はい、これ」

 

 ひらり、一枚の紙を、セイバーが取り出す。それに目を通すと――こまごまとした文字列がぎっしり並んでいた。

 

「……住所録?」

 

「原本じゃないけどね。一部だけ印刷して持ってきたのよ――1年生のB組の」

 

 そこまで聞いた瞬間、霊夢はセイバーの手から、住所録を引っ手繰っていた。

 1ページに纏められた文字列は、目こそ疲れるものの、すぐに答えを見つけられた。

 

「やるわね、セイバー。古明地さとりの住所、確かに載ってるわよ」

 

「お褒めに預かり光栄ですわ。で、住所の地名に見覚えは?」

 

「あるわ。昨日の夜、確かに見た覚えがね」

 

 静かな住宅街の一角、面白みは無いが住むには良い場所――物静かな彼女が暮らすのには、確かに似合いの場所だ。

 だが肝心なのは、彼女が相応しい環境で生活している事ではない。

 昨夜、霊夢は地図の上で、この住所の近辺を見たばかりだ。謎の体調不良を赤い点で記し、線で繋いだ結果炙り出されたポイント――即ち、アサシン陣営が潜伏しているだろう範囲。古明地さとりの住所は、それに完全に合致していた。

 

「……どうする? マスターは貴女、従うわ」

 

「行きましょう。あれが相手なら、今のセイバーでも十分に勝てるわよ。暫くは温存しといて」

 

「仰せのままに」

 

 セイバーは再び霊体化し、霊夢はマフラーを翻す。学校から目的の住宅地まで、走れば20分も掛からないのだ。

 

 

 

 

 

 周囲より僅かに高くなった土地、新築ばかりの洋風住宅街。改札を見ながら歩けば、目的の家は直ぐに見つかった。

 他の家と形状はほぼ同じ。数件纏めて立て、安く売ったのだろうと邪推もしたくなるが――

 

「嫌な雰囲気ね。どう思う?」

 

「私からすると、住み心地が良さそうに見えますわ。使用人が居ればと条件付きで」

 

 ――古明地の表札が掛けられた家は、他のどの家よりも暗かった。

 まだ日中であり、窓から明かりが零れていないのは納得が行く。だが、その窓が丁寧に、目張りされているのは、霊夢の理解の及ばない所である。

 向こう側から新聞紙を貼り付けられ、隙間は完全にガムテープで塞がれ、きっと日光は侵入出来ないだろう。人が住まうには、些かならず心地悪い空間の筈だ。

 漂う空気も、不純。小さな羽虫が近づいてきては、家の壁に触れる前に、くるりと向きを変えて逃げていく。

 

「サーヴァントの気配は?」

 

「何も。暗殺者(アサシン)が相手では、信用し切れないけれど」

 

 既にセイバーは実体化し、周囲に目を光らせている。今のセイバーの隙を突くなど、あの黒い影のサーヴァントでも難しいだろう。

 霊夢もまた、制服の懐に右手を差し入れ、何枚かのお札を掴む。いざ有事となれば、咄嗟に対衝撃の結界を張れるだけの術を組み込んだ札だ。セイバーの守りと比べれば気休めの様なものだが、自衛の手段が有る事は、霊夢を深く安心させた。

 玄関の扉を押し開ける。鍵は掛かっておらず、踏み入ってみれば、玄関口には靴が二足。どちらも、土埃の着いた靴だった。

 暗い家の中だが、廊下の奥に、少しばかり明るい部屋が見える。それも、太陽の光では無く、恐らくは蛍光灯の、人工の灯りだ。

 土足のままで上り込み、がさり、がさり、荒い足音を立てて歩く。部屋に居る誰かは、きっともう気付いているだろう。

 構わず、霊夢は歩く。寧ろ、私は此処に居ると宣言せんがばかりに。

 

「セイバー、用意を」

 

「イエス、マイマスター」

 

 抜刀。白刃が鞘を削る、耳障りな摩擦音。室内の温度が、数度も下がった様に感じられた。

 いや――本当に、下がっているのかも知れなかった。顕現するだけで大気を冷え込ませる程度、もはや不思議にもならないのだから。

 セイバーは普段のドレス姿に、初めて現界した時と同じ、白銀の戦装束を纏っていた。小手、具足、胴当て、兜、吊るされるだけの空の鞘。尤も、鞘はそれ以外にも二つある。白刃はセイバーの両手に抜かれているので、合計で三つの鞘を携え、彼女は歩いていた。

「……落ち着いてるわね、霊夢。おかしいとは思わないの?」

 

「静かすぎるし、奇襲もされない。おかしいって言えばおかしいわね」

 

「いいえ、そこじゃあないわ」

 

 隙間から光を覗かせるドア――その前に立ち、セイバーは霊夢へ振り返る。

 

「古明地こいしの事を、霊夢はどれくらい知ってる?」

 

「さぁ……気味の悪い子供だとしか知らないわ」

 

「じゃあ、古明地さとりの事は?」

 

「同級生の友人である後輩。ちっこい。それくらいしか知らないわ」

 

 唐突な問いだと、霊夢は怪訝な顔をした。

 

「……古明地こいしは、やりすぎた。必然よ」

 

 だが――利発な霊夢は、直ぐに問いの意図を理解した。

 セイバーがおかしいと言ったのは、この家の事でも、また家の主達の事でも無く――ほかならぬ主、博麗霊夢に対してだったのだ。

 

「まだ、死人は出てない筈よね」

 

「時間の問題よ」

 

「かも知れないわね。けれど霊夢、私が刃を抜いて立っているのは、生け捕りにする為ではないのよ」

 

 セイバーの表情から色が抜け落ちた。成人らしからぬ大きな目の光は、底に狂気さえ孕んで見える。

 言わんとする所は分かっていると、霊夢は小さく頷いただけだった。

 だが、それだけで十分に、セイバーは困惑した。人知を超えた英霊をして、霊夢の答えは、遠く理解の外に有ったからだ。

 

「霊夢、貴女はこの戦争に、自分の欲求を傾けてはいない筈。欲も無く憎しみも無く、貴女は誰かを殺せるというの?」

 

「殺すつもりは――」

 

「無い、とは言えないわね。だって私を、戦う為に呼ばれた私を、こうして随伴しているんだもの。貴女は良く知らない誰かを、大きな感情の揺れも無しに、あっさり殺そうと企んでいるんだわ。

 ええ、珍しくは無いわ。きっと私だってそうできるし、魔理沙も――アーチャーも、必要ならばやってのけるでしょう。けれど霊夢、貴女は――今の博麗霊夢は、唯の女学生ではなかったの?」

 

 平和な時代に、呼び出された筈。それがセイバーの困惑の主因であった。

 皮肉にも、死が遠ざかれば遠ざかる程、人の命は重くなる。死を実感できぬ時代に合って、人の死は敬遠すべきものだ。

 博麗霊夢は――誰かの死を、全く許容していた。

 

「……だから、殺すつもりはないわ。ただ、あんたがあいつらを殺しても、私は文句を言わない。

 今は良いわ。アーチャーの言う事を信じるなら、あの術を発動されたが最後、何人かは死ぬでしょう。何千人かが死ぬかも知れないでしょう?

 だったら一人――いや、二人くらい死なせたっていいのよ、きっと」

 

 いや、違う。

 霊夢は、無為の死を許容などしない。但しその精神は、飽く迄も〝多数〟――〝日常〟の構成要素だけに向けられているのだ。

 即ち、数千の人命の為に、二つの命を踏みにじる事を、正しいと信じて疑わない――そういう精神の持ち主が、彼女なのだ。

 

 それは、きっと数字の上では、正しい事に違いないのだ。

 善良な数千と、悪意ある1。何れを切り捨てて何れを生かすべきかなど、議論は既に尽くされて、もはや答えは決まっている。

 だが、その正しさを〝行使する〟など、誰が望むだろうか?

 

 望まない。善を為さんとする者が、例え1の命であろうと、切り捨てる事を嘆かぬ道理は無い。

 つまり博麗霊夢は、善く有ろうとする者では無いのだ。

 

「おしゃべりは終わり、向こうも待ちくたびれてるでしょ。行きましょうセイバー、まずは一組目よ」

 

 動かず――動けずにいたセイバーの隣に立ち、霊夢はドアを足で押し開けた。

 

 暗く、寒い部屋だった。

 灯りの無い小さな部屋には、家具は僅かに三つだけ。

 丸い机に椅子が二つ、後は家庭ごみが無造作に散らばる床。夜とも紛う黒の中――

 

「……霊夢先輩、チャイムは鳴らしてくれますか?」

 

「あっ、お姉ちゃん! 私、私、覚えてる? 忘れた? 忘れちゃった? 遊びに来たんだ!」

 

 古明地さとりの眠たげな目が、古明地こいしの壊れた瞳が、霊夢を見上げて浮かんでいた。


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