東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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四日目、夜――Multi‐sided struggle 2.

 通り過ぎるだけの動作さえ、嘆息を呼ぶ程に優美だった。

 戦地に有りながら、身構えもせずに敵の横を過ぎる。これが如何に危険な行為かは言うまでも有るまい。英霊の殺し合いに於いての一秒とは、十数回の死を齎すだけの猶予なのだから。

 然して魂魄妖夢は、膝を着いたセイバーを見下ろしながら、肩を揺らさず階段を上った。背を斬り裂かれる懸念など、何処かへ投げ捨てたとでも言う様に。

 膝を過ぎる銀髪が、粉雪を纏ってはらり、はらり。墨で描かれた絵の如き立ち姿であった。

 

「ご客人、用件は? 我が(マスター)は只今、機嫌がよろしくいらっしゃいます。故に、お通しする事は出来ませぬ」

 

 その手にある白刃もまた、常世に在るべからざる、怖気を招く美刀である。

 6尺6寸6分、日本刀の形状としては異常なまでに長い刃。ともすれば不格好にも成りかねないバランスの奇妙を補い、反りは浅く、刃は分厚く広く。重量を測るなら、尋常の太刀の数倍も重いだろう。

 如何なる工程を経て打たれた刀であろうか、刃には幾つもの文様が浮いていた。一つ一つは花弁の様で、然し集まって描くのは鬼の舞い姿。人の手に余る技術は――これもまた、幻想の一振りなのであろう。

 

「とは言え……素直に引き返すような方は、こうも無礼な訪問をなさいますまい。

 増してやその姿、覇気は、貴女方も私と同じ――(ことわり)に背く死者でしょうか?」

 

「回りっくどい!」

 

 膝を付かされた屈辱でか、セイバーは怒気も強く叫んで立ちあがる。

 大小の片刃の剣を両手に、腕を左右に広げる様に構える。細見の体を大きく見せる、威嚇の姿勢である。

 

「――■■■、■■■■■■……■■■■■ッッ!」

 

 黒の狂霊もまた、新たな敵に吠えかかり、両手を顔より高く掲げて構えた。獣――例えるなら熊か。最大級の猛獣が、己の脅威を最大に振るう構えだ。

 英霊たる者が二者二様、かくも無防備に映る敵へ、己の力を示すが如く吠えたは――その実は、警戒と恐怖の裏返し。

 セイバー、黒の狂霊、何れも近距離を主戦場とする者だ。それ故にまた、相手の力量も感じとれる。ただ一合の接触で、二体の英霊は、新たな参戦者の脅威に怯えていたのだ。

 

「■■■■■――ッ!!」

 

 然し、押さえれば跳ね返るのも獣――いや、魔獣。狂霊は躊躇なく、妖夢の間合いへ飛び込んで行く。

 化け太刀の間合いに敵が跳び込み、然し妖夢は武器を振るわず――代わりに軽く身を交わしながら、狂霊の腕を軽く引きつつ、逆方向に足を払って転倒させた。

 

「与しやすい方ですね、有り難い」

 

「……っまた、なんなのよ。化け物ばっかりじゃないのよ……!」

 

 階段を何段も転げ落ち、十数mも下で漸く止まった狂霊に、涼しい顔をして妖夢は言う。霊夢は思わず、己のサーヴァントは棚上げして毒づいた。

 あれは、強さの性質が違う。

 セイバーや狂霊の強さは破壊力に由来する。有り余る力、或いは速度を単純にぶつけての、所謂直線的な〝暴力〟の強さである。

 対して魂魄妖夢の強さは――霊夢の目には影も映らぬ攻防から、逆に推測する事が出来た。

 自分は大きく動かず、相手の力を利用して動きを制し、最低限の労力で仕留める。それは言うなれば、達人と呼べる者だけが為せる領域、所謂〝武力〟であるのだ。

 

「化け物上等よ、本物の化け物には敵わないでしょう!?」

 

 セイバーは階段を数段抜かして駆けあがり、がむしゃらに妖夢に斬りかかった。

 だが然し、セイバーの切っ先が届くより先、妖夢は後ろ向きに階段を上りつつ、太刀の長さを利して斬り返してくる。

 奇しくも先程までセイバーが行使していたリーチの優位――それがそのまま、セイバーの前に立ち塞がる。

 馬鹿げた長さの刀身は、妖夢が筈かに手首を返すだけで、切っ先を縦横無尽に振りまわす。剣速は、有り余る膂力の差を埋めて、尚も妖夢が勝っている。

 刃と刃が打ち合わされ、夜闇を払う火花を散らす。照らし出された二者の顔は好対照――セイバーは怒りと焦りで顔を歪め、妖夢は涼やかに笑っている。

 戦いを喜ぶ表情――いや、違う。

 強者を自覚する愉悦――それもまた違う。もう少し傲慢な感情だ。

 彼女は、未熟な剣士を相手にする自分を――過去の自分の師に重ね合わせ、懐かしんでいたのだ。

 この戦を決死で戦う理由など無く、寧ろその様に思いを馳せながらで良いと、呆れる程に強者らしく振舞う。子供をじゃれつかせる際に、死を覚悟する父親など居ないのだから。

 

「……っ!! へらへらしてんじゃないわ――」

 

 生前も死後も、軽くあしらわれた事など無いセイバーだ。愈々激怒し、石段を擂鉢状に砕く程の脚力で踏み込み――遥か後方から、それを追い越す影一つ。

 

「■■■■■ィ、ァア■■■――ッッ!!」

 

 褪色の狂霊は、地を這う様に駆け抜けた。初撃から全霊を込めての拳は、然し妖夢の太刀捌きに敢え無く避けられる。拳の側面を切っ先で叩かれ、横へと押し退けられたのだ。

 太刀が横へ向いた――即ち、剣閃の間隙。狂霊とは逆の方向から、セイバーは二刀を以て斬りかかる。

 

「……そんな、無茶な――」

 

 霊夢はもはや、眼前の光景に驚嘆する気力さえ失いかけていた。

 届かない――6尺6寸6分の刀身は、近接戦闘に於いては絶対の防壁となる。

 そも踏み込めず、踏み込めば比類無き剣速と、防御の隙間を縫う技量。さりとて――

 

「無茶苦茶過ぎるわよ、あいつ!?」

 

 ――さりとて、こうも見事に防ぎ得るものか?

 狂霊の拳打蹴撃を左手足で捌きながら、右手の野太刀でセイバーの二刀を受け続ける。

 防御に徹するばかりではなく、合計六つの凶器の合間を縫って、己から敵へ斬りかかり、時には浅く深く手傷を負わせる。

 霊夢の――マスターの目には、サーヴァントのステータスが数値化されて映る。その数値を見る限り、魂魄妖夢は確かに強いが、二体の英霊を同時に相手出来る程とは思えない。

 いや――確かにステータスは、強弱を図る明確な指数だ。だがこの戦いに於いては、近接戦闘というルールに於いては、数値は絶対の信頼を示さない。示す事が出来ない。

 如何なる力も、当たらなければ意味は無い。どれだけ速かろうが、回避出来ぬ局面に追いやられれば意味は無い。

 位置の優位に技量の格差、このまま戦闘を続けようが、きっと妖夢は手傷一つ追わずに居られるのだろうと霊夢は感じ――

 

「……ぁああああもうムッカツク! ぶっ壊してあげるわ!!」

 

 セイバーが地を蹴り、飛んだ。石段より十数mも飛びあがり、まるで地面を踏み締めているかの様に、一切の揺れもなく留まった。 そうだ、『幻想の幻想』時代の英霊であるなら、当然の様に飛べるとセイバーも言っていた。その様にすれば、高所の優位は消え去るのだ。

 追って妖夢が空に舞えば、狂霊は真下から妖夢を狙うだろう。前後左右のみならず上下の挟撃も可能となる空中は、人数の優位は倍以上も強く作用する。

 

「お帰り下さいませ、これ以上は無価値な争いと存じます。貴女にも主は居るでしょう、主を守れずして何が従者か」

 

「……霊夢狙いに切り替えるって? 澄ました顔してセコいわね」

 

「いいえ、私には不要の一手。然しこの場には、私と貴女だけではありませぬ故」

 

 高く舞ったセイバーを見上げて、妖夢はそれだけ言って、太刀をそっと石段に置いた。得物を手放した敵へセイバーが迫る。残り2mで手が届く距離まで近づいた時、セイバーの視界の端で鎧が動いた。

 妖夢にもセイバーにも主が居る――ならばかの狂霊もまた、主を持つサーヴァントであるのだ。狂化の影響を受けているとは言え、或る程度の行動方針は受け取り動く事が出来る。

 敵対者の一人は能動的でなく、一人は離れた。好機と見た狂霊は、主命の下、より与しやすい敵へと迫る。

 

「…………っ!?」

 

 狙われたのは霊夢だった。傍らに佇んで、ただ戦いを見守るだけの霊夢は、狂霊からすれば皿の上の馳走。

 唯一己に匹敵するステータスの敵を、大した労力も無く仕留め得る好機。狡猾なマスターなら逃す筈も無く、寧ろ思い当らなかった霊夢とセイバーの落ち度であるが――兎も角、狂霊はただ一足で霊夢に肉薄した。

 セイバーも空中戦は不得手ではないが、然し地上を駆ける程の熟練は無い。狂霊が霊夢に爪を突き立てるまで、身を割り込ませる事など出来る筈も無い。

 僅かに瞬き一つの間も無く、霊夢の頭は破片と成り果てるだろう。霊夢本人が、そう直感で悟った――瞬間、であった。

 

「――人の血で、庭を穢してくださいますな。ここは死者の館に御座いますれば」

 

 狂霊の両腕が、妖夢の刃に斬り落とされていた。

 妖夢の手に有ったのは、化け野太刀ではない、ただの脇差だった。そんなものが鎧に覆われた狂霊の腕を、ただ一振りで切り落としていた。

 成程曇りも淀みも無い、美しい刀身ではある。刃渡りは一尺と四寸、反りは薄い。

 その刀が何時、妖夢の手に出現したのか、その場にいる誰も気付けなかった。そこに有るのが当たり前であるかの様に、脇差は姿を現して――そして、また姿を消していた。

 

「■■■■■■■■■――ッ!?」

 

 狂霊の脅威には、再生能力も含まれる。落ちた腕は早くも復元を始めていた――が、ここに於いて二者の優劣は決定した。

 戦場が違えば、時節が変われば勝てる――そういう類ではない。

 直線的な戦闘の傾向に対し、卓越した技量で迎え撃つ。魂魄妖夢は存在自体が、この狂霊の天敵なのだ。

 敵わぬ敵との戦は、獣の望む所ではない。現れた時の様な暴風的魔力を巻いて、狂霊は戦場を駆け去った。

 

「……客人の一人は去りました。我が主の演奏もいよいよ終幕ですが――最後まで聴かせる事は出来ませぬ」

 

 変わらずピアノの音色は、聴く者へ言葉の様に語りかけて来る。霊夢は己の足が、勝手に音を追い掛けていかない様に抑えるのがやっとだった。

 

「セイバー……使いなさいよ。勝てないわ」

 

「そんな事無い! こんな奴、今のまんまで十分よ……!」

 

 何を使えと言うのか――言うまでも無い、宝具だ。

 セイバーと妖夢、両者のステータスを比較する。耐久はB、敏捷はAでそれぞれ同値。筋力を見ればセイバーがA、妖夢はB。だがこの程度の優位では、技量の差を埋めるには足りない。

 だが、宝具ではどうか。セイバーの宝具ランクはA++、対して妖夢は――D。宝具での衝突に持ちこめば、技量差など十分に覆せる。

 

「セイバー!」

 

「要らない、これで十分よ!」

 

 だが、セイバーは頑なに、宝具の解放を拒んだ。

 校庭で別なサーヴァントと――黒い影と戦った時には、宝具の解放の前兆を見せていた。然して今はそうしないのは――自分の力量だけで切り抜けられると、そう信じているからか。

 或いは――プライドが故、だろうか。

 あの黒い影と戦った時には、終始優位を保った上で、先に敵に切り札を抜かせた。今回は逆で――終始不利な状況に置かれて、先に切り札を使う事を求められている。

 ましてや相手は――彼女の時代で言うならば、決して強者と呼べなかった存在だ。

 

 

 魂魄妖夢、言ってしまえば未熟者。身体能力も技術も優れていたが、未熟な心が足を引っ張る類の――半人半霊であった。

 その技も、化け物揃いの幻想郷で見るならば、鬼に通じず月人に通じず、有力な妖怪達にはやはり通じない。人間よりは強いが、その程度の存在だった。

 異変が起こった時、気紛れな主の意向で解決に出向いた事も有ったが――大概は博麗の巫女か、白黒の魔法使いが先に解決してしまう。妖夢本人は勘違いから空回りして、主に笑われて終わるのが常だった。

 

 セイバーは知らない。魂魄妖夢が、人より長い生の後半百年以上も、白玉楼の外に出ず過ごした事。長い長い月日を、武の研鑽という一点に費やした事を。

 人に触れず、妖怪に触れず、ただ己の道だけを歩んで――死の間際まで、庭で刀を振るい。漸く己で満足の行く一振りを見つけ、それからぱたりと倒れ、間もなく息を引き取った事を。

 死の間際までの記憶、経験、全盛期の肉体。こと闘争に関して、魂魄妖夢は生前よりも尚、今こそが強いという事を。

 

 

 刀を持たず、妖夢は居合の構えを取る。腰に当てた左手の中に、脇差の鞘が出現した。

 自然、右手は柄を掴み、抜刀の前段階を完成させる。

 きっとセイバーは自分から飛び込んでくるだろうとそう信じて、妖夢は迎撃の体勢を取ったのだ。

 

「この……舐めんじゃあないわっ!!」

 

 果たしてその通りに、セイバーは一度空中へ急上昇した後、二刀のリーチを頼りに特攻した。重力加速、飛翔速度、全てを乗せた剣閃は、岩盤さえも砕くだろう。決して受けられぬ一撃で――妖夢からすれば、受けねば良いだけの一撃だった。

 頭を狙う刀を、胴を狙う太刀を、妖夢は静かに後退し、前髪に掠らせて回避する。そうして生まれた空白に、セイバーの意識よりも早く踏み込んで、

 

「――『斬レヌモノ無シ(ハクロウケン)』」

 

 空いた胸から腹へ駆けて、脇差を音も無く閃かせた。

 鮮やかな血が、雪に飛沫いた。


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