東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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四日目、博麗神社、朝

 博麗霊夢は、奇妙な夢を見た。

 これは夢なのだと、見ている時から自覚が有った。だから、混乱などは全く無かったし、本を読む時の様に、冷静に事物を観察できていた。ただ、これが現実に起きた出来事だとも、理由などなく気付いていた。

 

 

 〝彼女〟は、瓦礫と血の臭いに包まれて、夜の空を見上げていた。

 雲は無い、美しい夜空だ。人工の灯りは周囲になく、星は大きく強く輝いている。手を伸ばせば届きそうに思えて――手が、持ちあがらない。

 それならば。立ち上がって近づこうとしたが、脚もやはり動かせない。

 何故だろうかと思い、視線を横へ滑らせる。両の腕の手首に、黒い槍が突き刺さり、〝彼女〟の体は瓦礫に縫い止められていた。

 もしやと思い、首だけ持ちあげてみれば、予想の通りに両脚にも一本ずつ、槍が突き刺さっている。

 だが、〝彼女〟に致命傷を与えたのは、他の何れでもなく、心臓を貫いた一本の槍だったのだろう。

 もう、血も流れない。鼓動は一つも聞こえない。風の無い夜で、虫の声一つ、流れては来なかった。

 

 〝彼女〟は、血を失った体で泣いていた。

 理由は、痛みではない。死への恐怖でもない。巨大な、巨大な後悔、ただそれだけだ。

 過ぎてしまった過去を悔み、己の愚かさを恨み、だが何をする事も出来ず、瓦礫の上に張り付けられている。そんな己の身の上さえ腹立たしくて、悲しみより悔しさが勝って、〝彼女〟は泣いていた。

 鉄の味に濡れた舌が、乾ききった喉が、音を綴る。誰も答えない、そも聞く者がいない。

 当然だ。〝彼女〟の半径数百mは、地を這う虫さえ死に絶えた、殺戮の跡地なのだから。

 滲む視界の中に、生き物の姿は、何一つ見つからなかった。

 

 霊夢は、それが我が事の様に悲しくてならなかった。〝彼女〟の目を借りて、何も居ない世界を見る事が、辛くて辛くて堪らなかった。

 これは、霊夢が最も恐れる世界。日常の全てが消え去った破滅の果て。その中にただ一人で取り残され――間もなく、死ぬのだ。

 〝彼女〟の境遇を憐れんだ、とは言えまい。自分はこうなりたくないと、強く願っただけだ。だのに霊夢は、〝彼女〟の嘆きを、我が事として感じていた。この夢の中では、主客は渾然一体となり、彼我の境界は消え去ってしまっている。

 だから霊夢は、この夜をやり直したくなった。もう一度、もしも自分が〝彼女〟の代わりに居られたのなら――きっと上手くやってみせる。自分ならばきっと、この瓦礫の山を作らせず、この槍を突き刺させず――〝彼女〟を嘆かせず、居られるだろう。

 根拠は無い。霊夢は、強く信じていた。

 

 夜が明ける。黒が濃紺に代わり、朱に染められていく。鳥が朝を告げる前に、〝彼女〟は永の眠りに堕ちていた。

 

 

 

「……寝覚め最悪」

 

 目を覚ましてみれば、霊夢の胸の上には、アーチャーの両脚が乗っかっていた。布団はほぼ剥ぎ取られ、アリスの体に巻きついてしまっている。腕がやたら痺れると思えば、肘の裏側が、セイバーの枕にされていた。

 寝相の悪い連中を、半ば投げる様に散らして立ち上がる。制服のままで寝てしまっていたから、皺が出来てさんざんな状態だ。おまけに、四人分の体温を近づけて寝ていたからか、冬だと言うのに汗も酷い。

 

「というか、今何時よ……――あ、ヤバ」

 

 現在の時刻は、午前7時。食事を取る事を考えると、もしかすれば朝礼に間に合わないかも知れない時間帯だ。むくりとキョンシーの様に起き上がって、部屋の襖に手を掛けた瞬間であった。襖の隙間から、誰かが室内を覗きこんでいる事に気付いた。

 

「ひっ……!? な、ぁ……あ、あんたか……」

 

 思わず引きつった声を上げつつ、手近に有った写真立てを、武器代わりに引っ掴む霊夢。それを振り下ろさずに済んだのは、襖の向こうに有った顔が、良く良く見知った顔だったからだ。

 

「おはようございます、先輩……ゆうべはお楽しみでしたかー……?」

 

 すす、と襖を開けて姿を見せたのは、陸上部のリグル・ナイトバグ。普段から快活な彼女は、今朝は髪を振り乱した幽霊の様な顔をしている。

 

「……どうしたのよあんた。すんごい顔になってるわよ、本当に」

 

「そうでしょうねー、霊夢先輩がこんな人だったなんて思いませんでしたからねー……あ、朝ご飯出来てますよー……」

 

 目を丸く見開いたまま、瞬きの回数も極限まで少なく、そして口元は最小限の開き方で。表情が抜け落ちた様な顔は、この後輩を良く知っているつもりの霊夢が、思わずたじろいでしまう程であった。

 

「どうしたんですかー、早く食べないと冷めますよー……勿論二人分しか無いんですけどねー……」

 

 足音も無く、リグルは居間へと向かう。靴下を床に滑らせての擦り足、肩が上下しない為、ますます幽霊じみている。

 

「……どうしたもんかしらねぇ」

 

 未だに惰眠を貪る三名中、登校の必要がある二名だけを叩き起こし、霊夢は諦念たっぷりに溜息をついた。

 

 

 

「ありゃ? 私の分のご飯は?」

 

「……ありませんよ、ちゆり先輩。居るなんて知らなかったんですから」

 

「うちのお米をたかる事前提で考えないで頂戴」

 

 変わらず能天気なアーチャーのずうずうしい要求を、リグルは無愛想な声で切り落とし、自分は茶碗に大盛りの白米をかっ込んでいく。霊夢は眉間にしわを寄せたまま、この状況をどうしたものかと悩んでいた。

 何せ、セイバーを見つけられて少しばかり険悪な雰囲気になったのが、たった二日前。不満が完全に収まっただろう訳でも無いタイミングで、更に火に油を注いだのだ。

 そも付き合いの長い霊夢は、この後輩が何故この様に不機嫌になっているか、全く分からないでもないのだ。なんとなくでも分かってしまうが故に、あえてそれに言及し辛い点が有ると言おうか――結果、弁解するにも、どう言いだして良いのか分かりかねている。

 暫くは沈黙の中で、箸と食器の衝突音だけが聞こえていた。それを裂く様に、ふいに動いたのはアリスの手。

 

「一口、頂戴な」

 

「あ、ちょ、こら」

 

 霊夢の手元にあったお椀をひょいと持ち上げ、中の味噌汁を一口啜る。リグルの不機嫌色が一層濃くなる中、アリスは口を手で押さえて、

 

「……美味しいわ、これ。貴女が作ったの?」

 

 寝起きで周りのやりとりを正確に把握していなかったのか、霊夢に訊ねた。霊夢は首を左右に振り、それからリグルを指差す。

 

「貴女なの? ねえ、これって出汁は何使ってるの? 味噌とか結構拘ってたり?」

 

 知的好奇心任せに生きているアリスである。美味な食事への感動より、むしろ構成する材料への興味が勝ったのだろう。

 

「え――ぇ、普通に、お台所にあったお味噌を使ってるだけで――」

 

「そうなの? じゃあ安物よね、霊夢の事だし。だとすると火加減と時間なのかしら、それとも調味料……? 前に私が作った時は、とてもこうは……」

 

 自分が宿を借りた相手に対する無礼をさらりと混ぜつつ、アリスは解けぬ推理問題に取りかかってしまう。自分自身の過去の調理経験と照らし合わせてみて、今日飲んだ味噌汁は、あまりにも美味であったらしい。

 決して華美な味わいではない。寧ろ、素朴なのだ。土に根差す様な味わい、程良く体を温める湯気。浮かぶシソの葉の香りが、粗野な中にも気品を通す。もう一口飲もうとアリスは手を伸ばし、霊夢がその手を叩いて落とした。

 

「意地汚いわね、自分で作って飲みなさいよ」

 

「作れないから困ってるんじゃないの。貴女、いつもこれを飲んでるの? 羨ましいわ……通い妻持ちの学生なんて贅沢な」

 

「かっ、かよ――誰がですか!?」

 

 声が引っ繰り返るリグルへ、アリスは卓袱台を回り込んで詰め寄る。やたら真剣味を帯びた表情である。

 

「ねえ、私にも作り方を教えてくれないかしら? 食材と厨房は提供するわよ、なんだったら私から習いに行くのも……ああそうだ、どうせだからここで練習するのもいいわね。たくさん作っても飲む人がいるし。ねえ、ねえ、ねえ」

 

「私の家を練習場にするなー。あとね、あんまりそいつにちょっかい掛けてやらないで。結構簡単にテンパるんだから」

 

 リグルの手を両手で挟み、真正面から目を覗きこむアリスを、霊夢は言葉だけで制止する。本気で止める気が無いのは明白である。いっそこのまま泡を食わせておけば、自分は静かに飯が食えると、そんな打算も有ったのだ。

 

「いやー、やっぱりアリスはアリスだなー、アリスらしい。ところで霊夢、時間、時間」

 

 どさくさに紛れてリグルの皿から煮物をちょろまかしていたアーチャーは、まるで旧知の仲の誰かを語る様な口ぶりで笑い――それから、時計の針を指で指し示す。それに釣られて首を動かした霊夢は、

 

「……げ、7時30分。アウトじゃないの」

 

 徒歩ではどうにも間に合わぬ時間になっていた事に今更気付き、大急ぎで食事を完了する。

 食器洗いは放棄。溜めた水の中に放り込んで、どたどたと家を出たのであった――尚、セイバーは霊体化したまま、寝ぼけ眼で追い付いてきた。

 

 

 

 

 

 積もった雪をざっかざっかと蹴散らして、それでも結局、遅刻は免れそうにない。

 同級生の姿もほぼ見えない通学路の、雪かきされていない歩道を、霊夢達は歩いていた――半ば、走る様に。

 

「ああもー、私は早起きしたのにー……!」

 

「ひー……あんた、ぜー、タイム、また上がったわね……!」

 

 先頭を行くのはリグル。やはり陸上部の面目躍如、汗は流しているが、まだまだ動けそうな様子だ。

 その後ろに続くのが霊夢。息は上がっているが、なんだかんだとリグルの直ぐ後ろにつけているのは、元々の体力があるからだろう。

 

「駄目、もう無理、死んじゃう……、こんな動いたら、死んじゃうわよぉ……」

 

「なんだなんだ、本ばっかり読んでるからだぞアリスー。あと何か色っぽいな」

 

 今にも雪の上に倒れ込みそうなのがアリス。霊夢達との差は既に10m。そしてその横を、まがりなりにもサーヴァントであるアーチャー(偽名:北白河ちゆり)が、冷やかしつつ肩を貸していた。

 雪中強行軍は、どうやら徒労に終わるだろう予感が有る。事前の予想より雪が多すぎたのだ、まともに歩くのも難しい。ましてや走ろうとすれば、どこの部活動も取り入れないだろう過酷な練習メニューの完成となってしまう。

 こうなればいっそ、多少の危険を冒してでも車道を走ろうか――そんな事を考えていた霊夢の耳に、聞きなれたエンジン音が届いた。車に詳しい訳ではないが、その何処か気合いの入らない古臭く喧しい音は、誰でもすぐに気付くだろう類の物なのだ。

 

「この音は……もしや!」

 

「あっれー? 何してるのよあなた達ー」

 

 霊夢達の直ぐ横に停車したボロの軽トラックの、窓を開けて顔をのぞかせたのは、誰あろう2B担任の寅丸星だった。

 登校日の九割を遅刻する彼女は、だが今日は、ぎりぎりで刻限に間に合う時間に此処に居た。これは渡りに船である。

 

「乗せて! 細かい事は良いから乗せてー!」

 

 まるで信号待ちを狙う強盗の様に、助手席に身を割り込ませる霊夢と、それに続いて狭い中に身を押しこむリグル。アーチャーはその間に、アリスを抱えたままで荷台に飛び乗った。

 

「ええ? え? え? なになになに? 先生いきなりすぎて良く分からないんだけど、ってきゃー急がないとー!」

 

 ギアをD――AT車なのだ――に入れ、アクセルをぐいと踏み込む。タイヤが雪を撒き散らし、おんぼろトラックは時速80kmで走り出した。

 

 

 

 

 

「珍しいわねー霊夢、あなたが遅刻しそうだなんて」

 

「私だって人間だもの、妖怪みたいに気楽に生きてないの」

 

 左手だけをハンドルに添えて運転する寅丸は、学級担任の立場を忘れ、ただの知人であるかの様に霊夢と話していた。

 

「ほんとにもー……今日はたまたま私が通りかかったけれど、普通なら確実に遅刻よ? ちゃんと早起きしなさい!」

 

「遅刻常習犯の先生が言う事じゃないと思います……」

 

「あらやだリグルちゃん反抗期ですか? 先生はかなしーわー」

 

 リグルに対する呼び方と、霊夢に対する呼び方。距離感の違いは何処から来ているのか――それは彼女が、或る面では親類縁者より、霊夢と親しい間柄である事の表れだ。

 霊夢は、親戚との関わりが無いに等しい。両親祖父母は既に他界していて、顔も知らない伯父や叔母が、一人か二人いるばかりだ。遠方に住んでいる為に接触も無く、そして伯父達は霊夢の父と、あまり折り合いが良くなかったらしい。もはや飾りものでしかない博麗の家に、本家を離れて婿入りした――そんな古風な理由で、不仲なのだとか。

 だから、霊夢の父親が亡くなってからは、母親が一人で働き、一人で生活や雑事の全てをこなした。巫女という職業が、母娘二人の生活を支えられるかと言えば――平和な今の幻想郷、そんな事は無い。社会保障はあれど、困窮は免れない。

 それを支えたのが、商売敵でもある筈の命蓮寺の縁者、寅丸星だった。男手が足りない時には、細い見た目に似合わぬ馬鹿力で家具を運ぶ。懐の具合が苦しい時は、金銭の援助はしないが、何かにつけて食べ物を持ってきたり、食事に呼んだり。足として車を提供し、悪心を持つ輩には毅然として槍を振り回し、大いに貢献したのだ。

 霊夢の母――先代の巫女が無くなった時に、神道式で葬儀を執り行ったのも彼女だった。信仰の垣根など実生活の妨げになるなら不要と、口喧しい一部の年寄りを蹴り飛ばしての敢行だった。以来、妙蓮寺信者の人数は然程変わらないが、平均年齢は僅かに若くなったとも言う。

 そんな人間――いや、妖怪であるから、天涯孤独の霊夢にとって、彼女は最も親しい存在の一人なのだ。互いに互いを名前で呼び、敬語も使わず、時折は頭を引っぱたき合う様な――姉妹の様な、とでも言えば良いだろうか。

 

「にしても星さー、今日は珍しく早いわよね、珍しく。本当に珍しく」

 

「やだひっどーい、私を遅刻常習犯みたいにさー。ぷんぷん」

 

「そのものじゃないですか? さっき私が言ったじゃないですか? ……でも確かに、珍しいですよね」

 

 頬を空気で膨らまして不満を示す寅丸だが、然し実績に裏打ちされた称号を消し去る事など出来ないのであった。

 

「あー、それがさー、最近風邪引き多いじゃない? 欠席多すぎたら授業進められないし、プリント印刷しておこうかなーって思って……霊夢もリグルちゃんも、ちゃんと手洗いうがいしてます?」

 

 汚名――妥当な称号だが――はもはや甘んじる事にして、寅丸は、今朝の気紛れの理由を答えた。

 

「子供じゃないのよ」

 

 霊夢には、その風邪引きというのが、本物なのかそれとも〝あの〟魔法陣による影響なのか、知る方法は無かった。が、後者ならばこれ以上の心配は居るまい。少しばかりの安堵と共に、短い言葉を返す。

 

「んー、高校生だとまだまだ子供よね。大人になるのは大学出てからかなー? たまーに大人になれない子もいるけどさー」

 

「あんたの事じゃないの、星?」

 

「いやーん、霊夢まで遅れた反抗期ー! ……でもうがいはちゃんとしなさいよ、うがい。あと暖かくして寝る事、濡れた靴下は履き替える事」

 

「はいはい」

 

 あんたは母親か、と心の中で呟いて、霊夢は靴を脱ぎ雪を掻きだす。ボロトラックは校門を潜り、教員用の駐車場に停車した。


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