東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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三日目―――salad bowl 2.

 空間の広狭は、もはや褪せた鎧の狂者を留める理由とは成りえなかった。

 天井を疾駆し壁に立ち、床を一時の止まり木としてまた飛ぶ。鋼に包まれた腕が振るわれるごとに、鎧の隙間から噴出する魔力が暴風となり、床に散らばったガラス片を巻き上げる。

 一直線に進むと事を厭うのか、怪物は多角の線を描いて、獲物目掛け突き進む。

 

「あれが、バーサーカー……」

 

 アリス・マーガトロイドは嘆息した。

 無骨な鎧だ。己の真名を覆い隠すためのそれに、積み重ねられた誉は無い。飽きられたドールにも似て、人の手による傷は限りなく薄く、経年劣化の色落ちが激しい。趣味で集めている人形達に比べて、あの狂気の塊は、間違いなく醜いと言えるだろうに。

 だが、全ての生物が生まれながらに備える機能美を嘲笑うかのように、その一挙は暴力的に美しい。

 その足が踏みなした道に凡俗は、侍るは言うに及ばず、背を仰ぎ見るさえ許される事はなく、その手が触れた万象は、散り果てる事を義務付けられたかの様に、砕けて崩れ去っていくだろう。

 戯れに振るう腕が、脚が、敵対者へ一方的な支配を告げる。それは生まれながらにして強者と定められたものだけに許された、他を顧みぬ暴虐の君臨であった。

 死が逃れ得ぬ距離にあると、心が凍りついてしまうという。死の恐怖そのものに殺されない為に。ならば今のアリスは、感情を凍らせて、狂者の蹂躙を待つばかりの身なのか。

 いや、彼女は魅了されていたのだ。

 適切な理論と永遠に積み重ねられ続ける正当性の生む、理路整然とした秩序の中に生きる魔術師は、全ての〝正しさ〟を喰い殺す化け物の有り方に魅入られてしまったのだ。

 きっと自分は死ぬだろう。これまでに抱え込んだ理屈と共に、あのサーヴァントに引き裂かれる。暴力と混沌の海に沈み眠るのは、一度『殺された』あの夜の白い光にも似て、全てが満たされた心地になるのだろう。

 

 暴君の檻に囚われた心を解き放ったのは、正道の騎士の一撃だった。

 三騎士の一角にして最優のサーヴァント、セイバーの、様子見を伴わない全身全霊の一太刀。振るわれる腕を掻い潜り、我が身を矢と変え突き進み、確実に首を切り落とさんと振るわれた霊刀は、狂の英霊の面を掠るに留まる。

 それでいい、それだけでいい。専横の君主に抗うも、また騎士の華。夜闇を払う白刃の美は、決してかの褪色の鎧に劣ってはいなかった。

 

「アーチャー……魔理沙、邪魔。離れてて」

 

「ああ、そうさせて貰う。こんなのとやりあうなん勘弁だぜ」

 

 自ら進み出て、その背に全ての味方を負う。自身のマスターも、協力者たる魔術師も、その使い魔たる英霊も。

 直観スキルを持ち合わせない彼女が、自然と悟っていた。この場で〝あれ〟と戦えるのは自分だけだ、と。あの狂霊の前には、懐かしきモノクロの魔法使いさえ、薄紙の如くに引き裂かれてしまうだろう、と。

 同じく、庇われた魔法使いも、その長い戦いの経験と知識によって理解していた。〝あれ〟は自分の手に余る。どうしても戦うというのなら、相応の準備が必要だ。人が鬼に勝るには、美酒と幾重もの策を必要とする。ここにあるのは、策を練る頭だけだ。

 

「アリス、あの重苦しい白黒鎧、対魔術スキルは有りそうか?」

 

「ええ、多分……はっきりとは分からないけど、セイバーよりは低そう」

 

「ありがとさん、それが分かれば十分だ」

 

 射出武器ではなく魔術を主に用いるアーチャーは、聖杯戦争に於いては異質の存在だろう。その在り方、ステータスの偏りは、寧ろキャスターとしての適性を窺わせる。

 なればこそアーチャー霧雨魔理沙は、対魔術スキルを、キャスター以上に警戒しなければならない。魔術は万能に思われるかも知れないが、彼女には魔術「しか」ないのだから。

 長時間セイバーを見ていたアリスは、彼女の対魔力スキルを『B』と判定していた。おそらくあの狂霊は、それより1つほどランクが低い……Cランクと見て良い。アーチャーの宝具『ミニ八卦炉』さえ有れば、数小節の詠唱で打ち破れる防御だ。この場では勝てない。だが、未来永劫勝てない訳ではない。

 ならばアーチャーの相手は、狂霊の背後に控えるアサシンだ。あれも、セイバーと正面から戦って生き延びれる強さはない。それどころか、戦いの余波に巻き込まれる事すら避けたいだろう戦力でしかない。霊夢とアリスを同時に守って戦うより、アリス1人を守る事だけ考えられる1対1の方が楽だ。

 

「お互い辛いなぁ、ん?」

 

「ハ、そうだねぇ……」

 

 校庭を親指で指し示すアーチャーに、共に正面から戦うを得手としないアサシンは共感を示す。砕け散ったガラスの隙間を縫い、校庭に飛び出した病痩の身を、アリスとアーチャーは同時に追った。

 暗殺者が望んで平地に立つ理由など、数十数百通りも予想は出来たが、その企みのどれ一つとして、決して自らの主に届きはすまいと、アーチャーは絶対の自信を持って戦場を移した。

 

 

 

 

 視界に留まる邪魔者1つと、後方に佇んでいた邪魔者1つが消えた事に、狂霊は喜色を表す事も無かった。

 鎧と同色の鉄仮面の下で、紅玉の如き瞳は、ただ剣の英霊だけを求めるかの様に瞬く。校舎の一階廊下は今宵、英霊の踊るコロシアムと成り果てた。

 セイバーの一太刀は、滝を纏めて叩きつけるような重圧を持って、狂霊の身を穿たんとする。

 左右に2m、上下に2,5m。廊下は、底面積5㎡の直方体状の空間だ。刀を振り回すには十分とは言えない広さだが、然しセイバーに躊躇は無い。背面から大きくアーチを描いて振り下ろされた太刀は、敵対者の断頭を確約された一撃だった筈だ。

 それを、狂霊は事もなげに避けた。頭蓋を断つべく振るわれた刃から、一足の後退にて3mは遠ざかり空を切らせ、また太刀が振り上げられるまでの僅かな猶予を突いて、セイバーの懐へと入り込んだ。

 そこに技術の介在はない。セイバーがアサシンに対して純粋な身体能力の差で圧倒していた様に、狂霊は速度という一点を以てセイバーを翻弄し、己の間合いへと引きずりこんだのだ。

 左右の拳が、右の爪先が、セイバーの腹を狙って放たれる。どれも子供の癇癪の様な拙さで、だが触れれば骨を砕き肉を抉る鉄杭の貫き。

 人体が受け止めれば無残な肉片になるだろう打撃が、3発、確かにセイバーを捉えた。ライダーの疾走をすら受け止めていた脚が浮き、セイバーの体は枯葉の様に舞い、

 

「■■■、 ■■■■■■■■――ッ!!」

 

 言語化し難い原始的な怒りを秘めた絶叫。狂霊の左手が、未だ空中に居るセイバーの右肩を掴む。

 反撃はおろか防御すら間に合わない。引きずり降ろされたセイバーの胸へ、カウンターの様に狂霊の右拳が突き刺さった。

 廊下を、床と並行に10mは吹き飛び、自らの魔力を放出する事でブレーキを掛け、それでも更に5mは転がる。これ以上の追撃を避ける為立ち上がったセイバーの口から、一筋の血が流れていた。

 

「けほっ、ごほ……こん、な……!」

 

 力ならセイバーが上だろう。互いに手を組み合わせておし合えば、ほぼ確実にセイバーが押し切り、狂霊を捩じ伏せる。だが、その力も〝当たらない〟のだ。その上に相手の一撃は、やや劣る力を速度で補い、十分セイバーを屈させるに足る。

 

「セイバー、無理なら逃げるわよ! こんなのとやり合うのは割に合わな――」

 

「逃がしてくれるわけないでしょう! こういう奴はしつこいのよ、噛みついたら離れない野犬だわ!」

 

 叶わぬ相手と見て撤退を図る霊夢は正しい。だが、セイバーの言う事も全く正しい。

 戦場を変えたアーチャーを、あの鎧の狂霊は追おうともしなかった。その目は常にセイバーに向いていたのだ。仮にセイバーが背を向けたなら、速度に勝る狂霊は、嬉々として無防備な背中に爪を突き立てるだろう。

 逃げてはならない、逃げられない。射程圏内に捉えられた恐怖は、英霊をして心胆寒からしめるものだった。

 

「……ったく、躾のできてない犬は嫌いなのよ」

 

 得物は二振り、博麗の御神刀と守矢の霊刀。左手に構える無反りの片刃、刃渡り2尺の軽量の一振りを、セイバーは狂霊へ向けて付きだした。

 サーヴァントに通常の兵器は効果が無い。何らかの神秘に後押しされなければ、英霊の体には傷を付けられない。博麗神社に備えられ、またセイバーの強化魔術の恩恵を受けたこの刀なら、サーヴァントにも十分なダメージを期待できよう。

 刃の切っ先が狙っていたのは、甲冑の継ぎ目が見える喉元。銃弾程も有ろうかという速度で、鋼の先端が狂霊へ迫る。

 だが、それすらも容易く見切るのがこの怪物だ。刃の到達寸前で、セイバーの腕の動きとほぼ同速度で、また後方に退く。左腕の伸びきったセイバーは、左脇から脇腹に掛けてを無防備に曝す事となる。弱点が広く曝け出されるのを見て、狂霊は舌舐めずりせんばかりに、鉄仮面の下の目を光らせ飛びかかった。

 当然の様にセイバーも、それを予測していた。

 ここまでの戦闘で理解できた事だが、この狂霊は、回避にバックステップを好んで用いる。円を描くような回避は、高い技術を必要とする。理性を失った狂人に、技術を用いようという発想などないだろう。迫る脅威から身を避けるのに、ただ一歩の後退で足りる。それだけの脚力を備えているのが、この狂霊だ。

 一つの挙動で回避を完了したならば、目の前には攻撃をしくじり、隙を曝した敵が存在している筈。それをまた一歩の前進で埋め、パイルバンカーの様な拳脚で打ち抜くのが、狂霊の狩の常套手段に違いない。

 果たしてその推察の通り、褪色の鎧は一直線に襲いくる。

 拳足の間合いに入る寸前、時間にすれば数十分の1秒。セイバーの右手の太刀が、横薙ぎに降るわれた。東風谷早苗に押し付けられるよう渡された霊刀、それ自体が十分な神秘を帯びた魔術的武装。刃渡り4尺、浅い反り、分厚い刀身を持つこの刀の本質を、受け取った当人である霊夢はまだ知らない。豪壮にして華美なこの太刀は、霊的存在への特効を持つ――ランクD相当の、人界の宝具であった。

 銃口を向けられた烏が飛び立つように、火には熊や狼すら警戒心を見せるように、狂霊は自らの脚を狙う太刀に、本能的な恐怖を覚えた。

 後退から前進へと行動を切り替え、体は今まさにトップスピード。ランクA+を誇る自らの敏捷性が、自らへの枷となる。後退出来ぬと見るや、狂霊は四肢全てで床を叩き、自分の体を天井にまで打ち上げた。背中を強く打ち付けるが、その程度のダメージは負傷の内にカウントされない。両膝を斬り落とし地を這わせ、止めを指す猶予を与え得る斬撃。それすらも避けてなお、狂霊はセイバーへと迫った。

 前進と上方への跳躍が合わさり、斜めに急角度で打ち上げられた結果、狂霊はセイバーの頭上に位置している。偶然にも手が届く位置にまで来た獲物の首を刈り取るべく、狂霊は両手の指を開き、手を伸ばし、

 

「……はん、犬はやっぱり犬ね、うちの猟犬を見習いなさい」

 

 届かない。セイバーは逸早く膝を曲げ、頭を低い位置に下ろした。攻撃が失敗に終わった事を理解した狂霊は、また距離を取ろうとし――蹴る床が、足元に無い。

 鎧の狂霊に、戦術という概念はない。空振りを誘っての攻撃も、そうしようと考えているのではなく、一瞬一瞬の反射的行動の産物だ。攻撃があれば避け、仕留められそうなら攻撃する。単純な二つのルールに則って荒れ狂う怪物を、正面から完全に抑えきるのは難しい。

 なればこそセイバーは、跳躍を誘うような2手を伏線とした。速度の発生源である両脚が空を切る、ただ1つの場所を探した。天井から床まで落下する間の空間。それこそが、狂霊の全ての力を削ぐリングだった。

 近い、刀を閃かす距離ではない。セイバーの手は刀を捨てた。オーバースローの如く巨大な弧を描き、右拳が背中から頭上へ、そして狂霊の腹へと叩きこまれた。

 刀の様な細い金属塊を以て、工事用重機の如き轟音を響かせるセイバーの力が、ただ一点に集中された拳打。破壊的、と呼ぶに相応しかった。狂霊の魔力で補強されているだろう鎧が、純粋な物理的衝撃だけで破損し、防御機能を放棄する。金属の鎧を内側にへこませ、内部の肉を打ち据えて、それでも余りあるエネルギーが狂霊を床に叩きつける。セイバーの拳、狂霊の鎧と体、学校の廊下。最も軟弱だったリノリウムは衝撃に耐えきれず、天井に突き刺さる程の破片を撒き散らした。

 動きを止めた相手には追撃すべし。床に身を食い込ませた狂霊に、セイバーは今度こそ、二振りの刀を振り下ろす。

 

「■■■■■■■■■■■――……!」

 

 心臓と首、それぞれを狙っての刺突。1つは体ごと回避され、もう1つは鎧の腕に阻まれる。金属の鎧を貫通し、肉を裂き骨を砕いた刃には、不思議と血が付着する事が無かった。

 腱を切断した手ごたえが、確かにセイバーの指先に伝わる。狂霊の右腕は力を失い、重力に引かれるままぶら下がった。床に体がめりこむ程に叩きつけられて直、即時戦闘復帰が可能な耐久力、速度。だが、片腕を破壊された今となっては、後は時間の経過とともに不利になり続けるばかりだろう――霊夢は、そう思っていた。

 

「っよし、セイバー、今のうち!」

 

 それは、英霊という存在を、そして過去の幻想を知らないが故の誤認だった。

 

「駄目よ、霊夢。あいつはそんな温くない……!」

 

「……はぁ!?」

 

 セイバーは踏み込めない。この瞬間が好機ではなく、寧ろ危険なタイミングだと分かっていたが故に。

 狂霊の鎧は、既に修復されていた。拳によって穿たれた穴も、刀が貫通した跡も。傷口から血が流れなかったのは、〝流血の前に傷が修復されたから〟だ。貫かれ破壊された筈の右腕が、指を鉤状に曲げて掲げられる。

 

「……こーいうもんなのよ、若いもんには分からないでしょうけれど」

 

「あんた達の時代に生まれなかったのはラッキーね……どーすんのよこの化け物。出し惜しみしてちゃもう無理じゃない……セイバー、宝具を」

 

 果たして、狂霊の傷は完全に消え去っていた。

 体内のダメージの程は分からない。修復に消費した魔力も、少ないとは言えないだろう。然し、負傷させる事によって行動の自由を削ぐ戦術は無効であると判明した。

 四肢全てが必殺の凶器であり、異常な自己治癒能力までも備える。回復能力は宝具なのか、それとも固有スキルの産物か。いずれにせよこの怪物は、セイバーの手にすら余る代物だ。

 だから、霊夢の懸念は的を外していない。セイバーが得手とする近接戦闘で勝利出来ないなら、宝具で押し勝つが最善の選択だ。

 

「いいえ、必要ないわ。私はこいつに勝たなくていいの」

 

 だが、勝利する必要が無いとなればどうだろう。

 敗退せず、大きな負傷をせず、ただ延々と戦闘を引き延ばすだけで良いとなればどうか。今夜の決着を付けるのは、この二者ではなく外的要因だとすれば、どうか。

 大気中に存在する密度の薄い魔力が、強引に一か所に掻き集められ色を為す。金色にも近い黄色、煌々と放たれる光、それ自体に重さを感じるような明るさ。

 

「待たせたな、戻ったぜ!」

 

「……本当に、貴女は何時もせっかちよね、魔理沙」

 

 割れた窓の桟を踏みつけて、アーチャーが火炉を狂霊に向けていた。

 

 

 

 

 

 両腕とも、数えるのが面倒になる程の切り傷が有る。スカートに両脚は隠れて見えないが、靴の変色具合――赤と黒の混合色から、そちらも相当に傷が多いのだろうと予測出来る。片目を閉じているのは、額から流れた血が入らないようにしている為だろう。アリスを守りながら凱旋したアーチャーには、明らかな苦戦の痕跡が見られた。

 特に大きな傷は、左脇腹から斜めに腹部を通過する、15cm程のもの。傷を塞ぐように触れさせた左手は、現在進行形で治癒魔術を行使しているようだった。

 

「……相手はアサシンでしょ?」

 

 負傷の状況を見て取った霊夢の声は、訝る様な咎める様な、そんな響きを含んでいた。

 暗殺者(アサシン)を敵に回すなら、恐れるべきはマスターの暗殺、或いは諜報活動というのが定石である。直接の戦闘を行うならば、その為のスキルやステータスに劣るアサシンは、サーヴァントの中でも弱い部類の筈だ。

まして戦場は校庭、雪は有ると言えど平地、遮蔽物は無い。狙撃手《アーチャー》が苦戦する要因は薄いだろうに。

 

「仕方がないのよ……あのアサシン、厄介な宝具を使うから……」

 

「そういうなよ霊夢、私のマスターはお前じゃないんだ」

 

「……アーチャー、私がマスターじゃ不満だっていうの?」

 

「そうは言わんが魔力不足だ、もうちょっと供給してくれないもんかな。まあ、あいつは追い払ったんだ、私が勝った。それでいいだろ?」

 

 見た目から感じられる負傷の重さとは裏腹に、アリスとアーチャーの会話は、日中のノリそのままだ。

 確かに、言わんとするところは正しい。苦戦の形跡こそ見受けられるが、アーチャーは短時間でアサシンを退けた。アリスの衣服に汚れはない、どうやら攻撃は受けていないらしい。自らの負傷と引き換えにマスターを守り抜いたというのは、サーヴァントの誉れだろう。

 

「……さあて、そこの鉄仮面。こっちは2人、お前は1人。フリーズ、ホールドアップ、そしてサレンダーだ。お前がいくら早くても星の魔法には及ばない。下手な動きをしたら、この八卦炉が火を吹くぜ? ああ、勿論お前自身に言ってるわけじゃあない。お前のマスターに言ってるんだ」

 

「マスター……まさか、近くにいるの?」

 

「知覚共有の魔術だよ、お前にも教えてやろうか、アリス?」

 

 『ミニ八卦炉』の力とスキル『高速詠唱』、アーチャーは1秒未満で、狂霊に大打撃を与えられる。少々の打撃でダメージを受けたが、セイバーも同じだ。狂霊の体に太刀傷を刻むには、瞬き程の間も必要としない。そして、この二者のどちらも、狂霊の攻撃を数秒以上、無傷で耐え凌ぐ程度の事なら出来るのだ。

 セイバーに向かえば、アーチャーは狂霊とセイバー、2人を同時に薙ぎ払うように魔術を発動するだろう。セイバーの『対魔力』スキルはBランク。それでギリギリ無効化できる威力で放てば、狂霊だけを攻撃できる。

 アーチャーに向かえば更に話は早い。セイバーが背後から接近し、無防備な背を、首を、心行くまで斬り付けるだろう。

 チェックメイト、狂霊の主には投了しか手は残されていなかった。

 理性を持たない狂霊が、セイバーの首を欲して、床に這うかの軌道で馳せる。アーチャーがその背に狙いを定める。振るわれた腕が刀に弾かれるより先に、狂霊の姿は忽然とその場から消え去っていた。姿を隠したのではない。電気のスイッチが落とされるように、すとんと存在が無くなった。

 

「令呪、か……?」

 

 何の予兆もなく、一個の存在を消滅、或いは転移させた。宝具を疑うか、令呪の使用を疑うか。あの狂霊に、宝具を用いる理性があるとは思えない。まず間違いなく後者だろうと、アーチャーは推測した。それはつまり、知覚共有の術を、狂霊の主が用いていた事の裏付けにもなるだろう。

 どこまで手綱を握っているかは分からない。だが、仮に完全に御す手段を持っているのならば、無双の暴虐に術者の姦計を加えた、最悪最強の敵が生まれるに違いない。二手に分かれる事になったのは、手の内の半分までしか見せなかったという結果からすれば幸運だった。

 ……尤も、アーチャー霧雨魔理沙は、真名を隠す努力を一切行っていないのだが。

 

「……あーもう、何よあの化け物。私だって散々化け物扱いされたけど、あそこまで無茶苦茶じゃなかったわ。あんな甲冑が館に飾ってあったら、夜も眠れなくて昼寝する羽目になるわよ」

 

「よく言うぜ、お前より無茶苦茶な奴なんているもんか。……それよりセイバー、やりあった感想は? 私とアリスは直接見てないんだ――いや、アリスはステータスだけ見たか」

 

「強い、しぶとい、早いの三拍子。力比べなら勝てるけど、駆けっこしたら私が負けちゃう。多分、腹に穴開けたくらいじゃ死なないわね。しぶとさは私といい勝負よ」

 

 狂霊の脅威が去るや、セイバーとアーチャーは、過ぎ去った台風の目の戦力分析を始める。常識の外に属するサーヴァントから見て、まだ化け物と評価するに相応しい大妖、それと戦って、然し感情に一切の揺れがないのは、彼女たちの時代にはそれが普通だったからなのだろうか。霊夢は、アリスは、改めて自分と従者との、認識の差異を思い知らされた。

 

「……そんな事より、一度ここから逃げるわよアリス。あいつ、派手にやりすぎなんだもの。警察か何か駆けつけてきて、私達が犯人にされちゃ癪じゃない?」

 

「構わないわよ、ここからなら……博麗神社が近いかしら」

 

「……え?」

 

「え?」

 

 戦闘が終わって尚も戦地にある事を良しとしない霊夢が、保身も兼ねて撤退の案を示す。同意したアリスは当たり前の様に、他人の家を一時の休憩場所にする事を選んだ。

 常に1人でさっそうと歩いているのが、霊夢が抱いているアリスのイメージだ。今の案は、そこから大いに逸脱する。耳を疑った霊夢にアリスは、『私何かおかしい事言った?』とばかりの呆け顔を返し、

 

「まさかこれから、あの……バーサーカー? あれに対策を打たない訳にはいかないでしょ? これからどうやって他のマスターを探すのかとか、話し合いたい事はいくらでもあるわよ」

 

「ああ、うん……うん、そうよね。いや、構わないわ。ちょっと驚いただけよ。行きましょ、こんなところにいるのを誰かに見られるのはいやだから」

 

 霊夢の方も、反対する理由はない。腰を落ち着けて相談するなら、慣れた境内が一番いい。博麗の血に馴染んだ土地は、睡眠とマスターの魔力さえ足りているならば、サーヴァントの治癒速度を増すだけの霊力を集めている。

 今現在、霊夢・アリスの同盟関係において駒は2つだけだ。その1つが万全でないのは、手が欠けているも同じ。追撃を図るよりは、アーチャーの回復を待つ間に、以降の戦略を寝るべきである。

 午後11時を過ぎたが、冬の夜明けは遅い。睡眠時間を極端に削る必要は、おそらく存在しないだろう。




【ステータス情報が更新されました】

【クラス】???
【真名】???
【マスター】物部布都
【属性】混沌・悪
【身長】168cm
【体重】51kg

【パラメータ】
 筋力A  耐久B  敏捷A+
 魔力A  幸運B  宝具B

【スキル】

 狂化:B
 パラメーターを1づつランクアップさせるが、理性の大半を奪われる。

 対魔力:C
 第二節以下の魔術は無効化する。大魔術や儀式呪法などを防ぐことはできない。

 戦闘続行:A
 生還能力。瀕死の傷でも戦闘を続け、決定的な致命傷を負わない限り生き延びる。

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