真剣で私に恋しなさい~その背に背負う「悪一文字」~   作:スペル

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大変!大変お久しぶりです!!コロナ渦での就活や身内の不幸などがあり、執筆時間を取る事が出来ない、意欲が湧かないと言う状況でしたが、どうにか戻ってくることが出来ました!!
本当に久しぶりに書いたので、毎度のことですが文章を書く力が衰えている気がします。
加えて今回の話は、ある意味で賛否両論な気がしているので、上手く表現できているか不安です…はい
書きたいことを書いた結果、初の一万文越えとなりました。色々くどかったらすみません。でもこれが自分の限界です

まだまだ予断を許さないどころか、危機的状況の中で少しでも皆さんの息抜きにでもなればと思います。















ちぃ。仕方ねぇな。――――■■■■■


相楽悠介の原典

沈み捕われる。深い深い水の底へ沈みながら、暗がりの中に染まっていくのが感じる。意識としてハッキリと感じ取る事が出来るにもかかわらず、何かを考えようとも足掻こうとする気力が湧き上がらない。それは相楽悠介の意識が完全に沈んでいる事を示している。

ふと、暗がりが人型を形作る。現れた人型は、その怒気を隠そうともせず暗がりを睨み付ける。

 

『おい…いつまで寝てるつもりだ!!』

 

大気を震わす程の叫び。そこには隠しきれない怒りと焦りが込められている。声の主からすれば、悠介の現状が望んでいない事が分かる。

しかしそれだけの思いが込められた言葉を前にしても悠介は目覚めない。むしろより深く捕われてしまっている。

 

『巫山戯るな!!相楽悠介!!お前は…お前はこんな所で終わっちまっていいのかよ!!』

 

反応がない事に声の主の焦りはより強くなる。悲痛なる叫びは、悔しさが、怒りが、焦りが、嫉妬が、自責が、あまねく負の感情が混ざり合い痛切な物となっている。今までの悠介ならば、その感情に即発されるように意思を燃やし、無理にでも立ち上がるだろう。

だが、

 

『無理なのかよ…』

 

それでも目を覚まさないと言う事実が、相楽悠介の限界を指し示していた。声の主にも諦めが顔を出し始めている。

 

『此処が最後なんだ…次はないんだよ。なのに……畜生、此処で終わるのかよ。なあ!頼むよ、起きてくれ!!』

 

最早懇願に近い叫び。先程までの勢いはなく、そこにいるのは怒れる誰かではなく、現実を受け入れずに叫ぶ年相応な子どもだった。

 

『負けられない理由があるんだろ!なら立たないと駄目だろ!!立てよ、相楽悠介(おれ)!!』

 

それは最終警告。現れたのは、残り火とも言える相楽悠介の本能。本能が告げる最後の境界線は、己自身が生み出した物。故にその声が聞こえなくなった瞬間、相楽悠介は本当の意味で敗北する。

 

『ちくしょう…』

 

本能すらも敗北を認めた様に声が小さくなっていく。奮い立たせる事が出来ないと、意識を覚醒させることが出来ないと認めてしまった。

 

故に本能では、相楽悠介を目覚めさせる事は決して出来ない。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

その場に色はなく、ただ無色の空間が広がっている。その中心で相楽悠介は眠っている。此処は相楽悠介の深層意識。周りの空間が無色なのは、悠介の意識が完全に沈んでいる事を示している。

何か変化が起きるわけでもなく、無として存在している空間に変化が起きるのは、悠介の意識が回復し徐々に覚醒を初めるのを待たなければならない。

その前提があるからこそ…

 

『おーい、お前。こんな所で寝てると風邪引くぞ!!』

 

悠介の深層意識(そのばしょ)に悠介以外の声が響くという事が、どれだけ異常なことが分かる。

それでも本能でさえ消え去ったこの場所で、本人以外の声が聞こえるという事はきっと―――――

悠介の上よりかけられた声の主の姿は、靄が掛かって曖昧な姿をしている。

 

『参ったな。此処が何処かも分からねえときた。加えてガキが倒れやがるしよ』

 

声の主は困ったと言いながら、悠介の方へとしゃがむ。そうしてバシバシと悠介の頭をはたく。

 

『い・い・か・げ・ん!お・き・ろ!』

 

声の主がどれだけ声をかけようが悠介が目を覚ますことはない。それだけ精神を含めて疲弊しているのだ。だが、声の主はそれを知らない。だからこそ、何気なく当たり前のように

 

『仕方ねえ。ひとまずこいつを背負って、先に進むか(・・・・・)

 

――――ッ!

 

その言葉に意味は無い。それでもナニカが、悠介の意識を揺るがす。声の主は、その言葉通り悠介を背負うと、当てもなく歩き出す。

 

『しかし此処は何処なんだよ。辺り一面、木ばっか(・・・・・・・・・)だしよ。どれだけ歩いても出られる気がしねえ』

 

声の主は、ブツブツと文句を言いながら歩いて行く。その足取りに迷いはなく、前後左右さえ不明な空間において、声の主は明確に進むべき方角が分かっているようだ。

その迷い無き歩みが、彼が歩む度に伝わる振動が、しっかりと悠介へと伝わっていく。

そして…

 

――――ぅ

 

『おっ!起きたか』

 

決して目覚めぬはずの悠介の瞳が開かれた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

ドサ!と悠介が地面に仰向けに倒れた音がいやに辺りに響く。その光景に、誰かは悲しみで顔を覆い、誰かは痛恨の念を滲ませ、誰かは安堵を覚える。

そんなあらゆる感情が渦巻く渦中の百代は、静かに地面に倒れる悠介を見下しながら、握っていた拳を視界に入れる。

 

「ハァ、ハァ…今回も私の勝ちだ」

 

零れた言葉に込められた感情は、歓喜と僅かな喪失感。それでも勝者としての特権(・・)を経て百代は拳を下ろし、ゆっくりと悠介から背を向ける。

再び距離が開く。物理的な距離もそうだが、もっと別の意味も込めて、百代はあえて悠介から距離を取る事を選択する。

その意図を理解した大佐は、それが終わるの静かに待つ。そうして両者に明確な距離が生まれようとした瞬間、会場の誰もが気づかないほど小さく、悠介の手が動いた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

揺れる。不規則なその揺れは、揺り籠のように心地よい反面、その力強い揺れは、その主の生き方を示しているかのような意思の胎動に思える。

そんな二つを内包する揺れは、眠ってしまった悠介の(いしき)を確実に刺激する。そうしてその揺れは、起きないはずの奇跡を起こす切っ掛けとなった。

 

――――あれ、俺何してんだっけ

 

目覚めた悠介だが、今までの疲労もあり朦朧としている。そんな悠介の意識を覚醒させたのは…

 

『おっ!起きたか』

 

――――え!?

 

余りにも近くから聞こえた声に悠介は自分が背負われていることに気がつく。想定していなかった状態に悠介は慌てて背から降りようとする。

悠介を背負っていた声の主は、慌てる悠介に苦笑いしながらゆっくりと下ろす。背から降りた悠介は慌てながらも感謝を述べる。

 

『いいって気にすんな。困った時はお互い様だからよ』

 

悠介の感謝を受けた声の主は、気にするなと告げる。その快活な言葉は、悠介に次の言葉を押しとどめ、その話題を終わらせる。

これ以上は謝罪をする事は不可能と悟った悠介は、自身の名前を名乗る。

 

『相楽とは縁があるじゃねえか。俺も相楽ってんだ。相楽■■■だ。よろしくな、悠介』

 

何気なく告げられた名前。しかし名の部分だけはノイズが走ったように聞き取れない。だから悠介も名前を理解できない筈なのに…

 

――――こちらこそ、■■■さん。

 

悠介は何の違和感も覚えずに声の主と握手を交わす。互いに自己紹介がすんだところで、互いに今の状況をすりあわせていく。

 

『俺は散歩してたら気がついたら此処にいてよ。悠介、お前はどうなんだ?』

 

そんな問いに悠介は、自分が気絶する前のことを思い出そうとするが…

 

『あん?どうした』

 

――――思いだせない

 

『は!マジかよ』

 

靄が掛かったように前後が思い出せない。悠介の言葉に声の主は困惑した雰囲気を見せる。そして再度、本当か?と悠介に問いかける。その問いに対して悠介はもう一度、己の記憶を探ってみるが、やはり霞が掛かったように何も思い出せない。

そんな悠介の様子から、その言葉が真実だと悟ったのだろう。だからこそ、悠介が目覚める切っ掛けとなった先程のように、何気なく当たり前に…

 

『参ったな。俺はともかく、お前は早めに戻らない(・・・・・・・)とヤバイしな』

 

――――えっ!?

 

確信を持って発せられた。余りにもそれが当然というべき言葉に悠介は、呆けた声を発する。なぜそう判断したのかが全く分からない。だからこそなぜそう思ったのか、悠介が問うのは必然である。

 

『あん?そんなもん、お前さんが戦ってるから(・・・・・・)に決まってるだろ』

 

――――戦っていた…

 

『おうよ。お前は忘れてるかも知れねえが、その身体を(ツラ)を見れば分かるもんだぜ。

お前は戦ってたんだよ。それも決して退けない漢の決闘(ケンカ)をな』

 

悠介の問いに対して声の主は、確信を持った理由を告げる。しかしその理由は、根拠など無い推測に過ぎない。それなのにどうしてこんなにも胸の奥底が湧き上がるのだろう。

胸を手に当てた悠介。ドクドクとまるで全力疾走した後のように、鼓動が早くなっていく。

困惑する悠介に対して、声の主は気づかれないほど小さく笑みを浮かべ、口を開く。

 

『なあ、悠介。お前は何をしてた(・・・・・・・・)

 

――――俺は…

 

二度目となる問い。しかし最初の問いとは意味合いが大きく異なる。まだ記憶は戻らない。それでも、胸の奥から湧き上がる鼓動が、確信を持って告げた彼の言葉が、その言葉を口にさせる。

 

――――戦ってた!!

 

自覚はない。それでもそれは確信を持って、悠介は告げる。その言葉に声の主は笑みを深くして、言葉を続ける。

 

『じゃあ、なんで戦ってたんだ(・・・・・・・・・)

 

――――ッ…

 

声音は何処までも優しい。しかし込められた意味は何処までも重い。

意味を考える。最初に脳裏に思い浮かんだのは、近づく(・・・)為。だからこそ、迷うことなく「近づく為に!」と口にする。そう自分が戦う理由など、他にはない。思い出せなくても、忘れることの出来ない確信。

しかし…

 

そうじゃねえだろ(・・・・・・・・)

 

――――えっ!?

 

声の主は初めて否定の言葉を口にする、声音に隠しきれない怒りを乗せて。まさかの言葉に悠介は、気押されたように息が詰まる。

しかしそれも一瞬の事、湧き上がってくるのは純粋な怒り。憧れたのだ。数え切れないほどに追想したその生き方に。そうなりたいと願い、誓った。

そうなるためには、理解するだけでは足りないと思った。何よりも生き方を知っていたからこそ、力がいると確信が持てた。

どうせならばと、彼が使っていた技を覚えたいと、我武者羅に努力した。そうした中で川神院に入門し、師と呼ばれる男達によって地獄を経験し、数多の出会いと激闘を越えて、今正に戦っているのだ。

全ては追いつくため。だからこそ、勝たねばならない(・・・・・・・・)

 

『お前はどうして、そいつに勝ちてえんだよ』

 

悠介の怒りの感情を察した声の主からの二つ目の問い。問いに対して悠介は、考えるまでもないともう一度「近づく為だ」と答える。

 

『理由は?』

 

怒りの籠もった答えを聞いても声の主は動じない。むしろ淡々と言葉を投げかける。問われた悠介は意味が理解できないと首をかしげる。その答えはもう答えているはずだ。なのになぜ、言葉が違うだけの同じ問いをするのかと首をかしげてしまう。

そんな悠介の心情を理解している声の主は、笑みを浮かべて告げる。

 

『何でそいつに勝てば、近づける(・・・・)んだ?』

 

投げかけられた言葉に悠介は、意味が分からないと告げる。声の主は悠介のその返答が読めていたのか、より核心を突く言葉として問いかける。

 

『どうしてそいつに勝てれば、お前は近づけると考えてるんだ、悠介』

 

―――――っ…

 

そこまで言われて漸く悠介は、己の言葉の不可解な点に気がつく。そうだ、自分はあの男の生き様に惚れ込んだのだ。そうありたいと願って進んできた。

だからこそ

 

――――何で俺は、勝ちたいと思ったんだ…

 

負けた所で夢が潰えるわけではない。むしろその生き様を知るからこそ、その後が重要になってくる。悔しくはあるが、だがそれでも並び立てばいい。認めさせればいい。実際、彼はあの剣客に並び立ち、認めさせたのだから。そう考えれば、夢を叶えるという意味では、世界最強に認めさせた(・・・・・)という事実は、夢の男に並び立てる自信になるはずだ。

だが悠介は…。

 

――――勝ちたいと思った…なぜ(・・)

 

『そいつは世界最強になれないと追いつけないほど、つまらない男(・・・・・・)じゃねえはずだろ』

 

疑問に埋め尽くされる悠介に、声の主は更に告げる。まるで悠介の疑問の答えに対するヒントを与えるように。

そうだ。自分が憧れた男は、世界最強程度になれば自動的になれるような安い存在ではなかった。彼が背負っている文字は、世界最強の力という肩書きすらも霞むほどに、重く儚い。

ここまで考えて、自分の夢を叶えるためには勝つ必要は無い(・・・・・・・)という答えが出る。必要な事は、認めさせる(・・・・・)と言う点のみ。

ならば自分は…

 

『目的を達してるんじゃないか』

 

―――――っ。それは…

 

口に出すことを躊躇っていた悠介の代わりに声の主が答えを発する。そうそれが先程の思考の渦から脱した自分が辿り着いた答え。

 

『なんだ。じゃあよ、もう休んでもよくね?今日はここで終わってよ。死ぬ訳じゃない(・・・・・・・)んだ。近づく為に次は何が必要かを考えればいいじゃねぇか』

 

声の主が悠介に優しく問いかける。ただでさえ曖昧だった彼の形はあやふやになり、まるで何人かの人間が集まっている(・・・・・・)かのようになっている。

しかし悠介は気がつかない。ただただ、己の胸の内で自問自答している。

夢に確実に一歩近づいた。ならば、武術(これ)はもういいんじゃないか。もっと他に知るべき物が、得るべき物だってあるはずだ。

なら、もう…

 

――――此処が俺の終着点でも…

 

いいか。そう決めようとした瞬間だった。

 

『そうか。じゃあ、その時を楽しみに待ってるぞ』

 

――――ッ!!

 

いつかの記憶の少女の言葉が後方から聞こえてきた、気がした。空耳かも知れない。でもその言葉でナニカ(・・・)が分かった気がした。

まだ答えはまとまらない。それでも口に出さずにはいられない。

 

『って事は、腰を据えて此処が何処か考え…』

 

「違う」

 

『うん?』

 

「違う!違う!」

 

出てくるのは幼少な子どもの様な駄々。感情が混在しており、その心情すら察する事が出来ない。本人すら持て余す感情の暴露。本来ならば、誰もが対処することが出来ない筈の意味すら理解できない言葉を前に、声の主は漸くかと笑みを深める。

 

『何が違うんだ?』

 

返答が返ってくる訳がないのは理解している。それでも問うのは、悠介の感情をより混乱させるため。極限までに混ぜ合わせなければ見えてこない答えこそ、彼が望んでいる答えだから。

 

「違うんだ!俺は…俺は…」

 

憧れたのは間違いない。ああなりたいと思っていることも、揺るがない事実だと断言出来る。しかしその問いに対しての答えとしては間違いだと断言出来てしまう。十数年信じてきた物が揺るぐ事態は、己の存在証明(アイデンティティ)の崩壊と同義だ。

何故だ何故だ。自問自答が繰り返される。全ては今まで信じた来た物を肯定するために。しかし繰り返せば繰り返すほど、矛盾が大きくなる。

どうして自分は勝ちに拘るのか。その答えが分からない。考える事すら嫌になるほどの自問自答。あらゆる感情、記憶が、湧き上がり消えていく。

どれほどの積もり積もった感情が、記憶が消えていっただろう。憧れさえも(・・・・・)も捨て去ってしまった。本当に何もかも無くなった。湧き上がる感情も記憶も無い。空白の中で…

 

――――俺は…

 

何もない。だからこそ向き合える。しかしどれだけ向き合おうとも、出るはずもない答え。

だが…

 

 

「ゆうすけぇぇぇぇええええ!!」

 

 

また聞こえぬはずの声が聞こえた。まるで忘れる事など赦さないと恐喝するような恨みの籠もった声。

あ。と思う。今、己の状況は、全てを吐き出し、空っぽの状況の筈だ。それでも聞こえた声がある。

それは本当の意味で相楽悠介に残っていたのは、憧れではない(・・・)のだ。

 

「百代に勝ちたい」

 

零れたのは、聞き取れないほど霞んだ言葉。しかし込められた感情の重さが、聞く者に意図を理解させる。

聞こえた。理解した。その言葉を持っていた!!

 

『聞こえねえな』

 

「百代に勝ちたい」

 

問われるままに、その言葉を発する。言葉として発する度に、悠介の中で記憶が意思が形作られていく。

 

『まだ聞こえねえな』

 

「百代に勝ちたい」

 

そうだ自分がどうしてここまで勝ちに拘るのか、考えてみれば単純な事だった。

 

『聞こえね』

 

「百代に勝ちたい」

 

『どうしてだ』

 

真っ直ぐに告げられた言葉。質問に対する答えとしてはゼロ点の答えだ。しかし彼は察する。これこそが求めていたモノだと。

しかしまだ欲する答えが返ってきていない。だからこそ、何度も問う。問いに対して悠介は、先程までの錯乱した様子が嘘のように真っ直ぐと、あやふやな存在を見つめて告げる。

 

「憧れなんてどうでもいい(・・・・・・)!!。俺は川神百代に勝ちたい!!。憧れが、辞める理由になるなら俺は……憧れなんていらない(・・・・・・・・・)!!

 

発した言葉が正解なのかは悠介には分からない。それでも漸く理解できた。そう自分は単純に勝ちたいのだ。あの絶対的な存在に、その為ならばその憧れを、その一文字さえ捨られる(・・・・)程に。

気がつかなかった。余りにも大きな憧れによって同一になってしまった、己の欲望。きっと己の原典は、あの夢を経て、あの時あの最初の敗北によって定まったのだ。

迷い無き言葉。今までの己さえも否定しかねない言葉を聞いた存在は…

 

『分かってんじゃねえか』

 

満足げに頷いた。ずっとずっと待ち望んだ言葉を聞けた存在は、歓喜に染め上がる。だからこそ贈るべき言葉は決まっている。

 

『もう、一人で(・・・)行けるだろ』

 

「え?」

 

『その思いを決して忘れるな。お前のその思いと共に歩む軌跡こそが、お前だけの(・・・・・)惡一文字だ。だから…』

 

「待ってくれ!!」

 

告げられる言葉に、悠介はある思いが湧き上がる。今目の前にいるのは、物心つく前からずっと知っていた…。

悠介の真意を理解しているのだろう声の主は…

 

『勝てよ』

 

ただ一言、思いを託すように告げた。その言葉を悠介が聞いた瞬間、世界が光に包まれる。己の感覚が消えていくのを感じる。

リミットが来た。その事実を察した悠介は、力の限り叫ぶ。

 

 

「名前を!!あんたの名前を教えてくれ!!」

 

最早首から下の感覚は無い。残り少ない時間の全てを費やしてその名を問う。ずっとずっと聞き取ることが出来なかった名前。

その名前が今ならば聞こえるかもしれない。根拠無い確信を持って悠介は問う。答えを得た今の自分にといっては不必要かも知れない。

それでも今までの自分を支えてくれた大切な漢なのだ。だからこそ、絶対に忘れたくない。

そんな悠介の思いを理解したのだろう。苦笑いをこぼしながら彼は――――

 

『――――』

 

その名を告げた。

そして悠介は、無言に告げられたその名前を魂に刻みつけた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

今までの熱気が嘘のように静まりかえり沈黙が支配する。その事実が闘争の終わりを実感させ、百代は静かに息を吐く。

後は終了の合図を聞けば終わり。だからこそ終わりかと、そう百代が自覚せんとした瞬間だった。

 

「っーーーーーー!!!」

 

『なっ―――――!!??』

 

その音が響いた瞬間、百代も当然として、審判である大佐や会場の誰もが驚愕を露わになる。

驚愕は刹那。次に湧き上がるのは、あり得ないという思いと同時にそれでこそという思いが湧きあがる。しかし同時に自分の本能が聞かせた、都合の良い幻聴ではないかという疑問が湧き上がる。

周りを見るなどと言う無粋な真似はしない。こればかりは己の眼で確認しなければならない。

大きく息を吐く。ゆっくりと背を振り返れば…。

 

「ハハッ!」

 

無意識に零れたのは、どんな感情で発せられたか分からない笑い声。瞳は大きく開き、ただ目の前の光景を見つめている。

そこには…。

 

「――――――――――――――」

 

『な、なんと!!相楽選手が立ち上がりました!!私自身、目の前の光景が信じられません!!』

 

大佐の言葉を誰も否定しない。それでも一部の者達は、薄く笑みを浮かべてしまう。観客達の理解が追いつく。瞬間、湧き上がるのは万雷の喝采。あり得ない奇跡を前に、興奮を露わにする。

その中心にいる悠介は…。

 

―――――そうだ。俺は…勝ちたい…越えたい。

 

霞む意識の中で再確認する。余りにも大きな目標の先に立てた己が欲望。前提が大きすぎたが故に気がつくことが出来なかったもう一つの夢

そうして気がつけた、己の本心。

武術と出会い、越えてきた激闘、そして出会い。たどる道筋が育んだ他ならぬ相楽悠介の惡一文字(・・・・・・・・・)

 

――――俺は…武術が好きだ。だから、勝ちたい。

 

あらゆる理不尽が己の前に立ちはだかるだろう。それは正論であり、世界の意思。天凛がなければ、持つことさえ赦されない夢。

それでも進むというならば、ああこの文字ほど自分が掲げるに相応しいものはない。

だから…

 

はぁはぁ、此処からだ」

 

原典を思い出した悠介は百代に宣戦する。

戦え、その夢を肯定し続けたいならば。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

その宣戦は百代のみに聞こえた。その意味を理解する。吹けば倒れるような、ボロボロ、瀕死の状態、死に体。悠介を表す言葉はそれだろう。

それでも、そんな状態になろうとも足掻き、勝利を得ようとする相手がいる。驚愕はなく、あるのは純粋な敬意と歓喜。

 

――――ジジイ!!居たぞ!!こんなにも近くに、ジジイが!私が!望んでいた奴が!!

 

何時か誰かに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。『勝てる相手なんて誰も居ない』。誰もがそれを否定しなかった。でも今は違うんだと叫びたい。誰も居ないと思っていた、でも居たのだ。

ああだから!!

 

―――――誰に何を言われても構わない。私は胸を張るぞ、悠介!!お前に勝ったと!!「はぁぁああああああああっ!!」

 

込められるのは余りにも膨大な気。それはたかだかアリを一匹殺すのに、弾道ミサイルを用いる愚挙に等しい。

だが川神百代は、それがなんだと言うだろう。今、目の前に立つ死地の果てを越えてなお挑み、己に勝利せんとする漢を前に、手心を加える理由など無い。

誠には誠で。それこそが川神百代の武なのだ。

 

「川神流・(きん)()――――――

 

思考が霞む。息をすることさえ多大なる労力を必要とし、釣り合いが取れない。悠介を見た誰もが、倒れられないことが不幸と思える姿の中で、微かに聞き取るのは百代の言葉。

攻撃が来る。どうすればいい。否、問答すら不要。やるべき事は決まっている。

 

――――かん…がえろ!!すべてで…おとって…るんだ。あ…が、け!

 

霞む思考が勝ち筋を模索する。意識すら朦朧とするが、諦められない理由がある。足掻く以外の選択肢などない。

そんな悠介の思考を潰すように…。

 

―――――富士砕(ふじくだ)きッ!!」

 

膨大な気が籠もった一撃が迫る。日ノ国の天辺に位置する巨山さえも文字通り砕く一撃。形を持った破壊が悠介に迫り…。

 

 

 

ドガッ!!!

 

 

その一撃を左腕を持って受け止める。ズガガガガッ!!。闘技場のタイルが轟音と土煙と共に削られる。

受け止めた悠介の左腕の至る所から皮膚裂け、赤い血が湧き水のように吹き出し、地面を赤く染める。

だが…。

 

「なっ!??」

 

『な、なんと!!相楽選手!!受け止めました!!武神の攻撃を受け止めて見せました!!』

 

――――手は一切抜いていない。むしろ、ここ最近では1番の出来の手応え!!どうやって!!しかも左腕を離せない。何処にそんな力が!!

 

二度目の奇跡に百代を含め驚きを隠せない。しかしたった五人の男達は確かに見た。

 

――――百代の攻撃が当たル瞬間…

 

――――悠介の野郎は、あえて前方に倒れ込む形で受けやがった。それによって…

 

――――ヘヘ。前から来る百代の攻撃をつっかえ棒の形にして自分が倒れる事を防ぎやがった。考えても普通実践するか?あの野郎。

 

――――それだけではない。インパクトの瞬間に、あえて自分の方から重心を前に押し込むことで、拳の衝撃をずらしよったわ。

 

―――――極限状態の中、精神論に頼るのではなく、明確な策を持って対処するとは、あの赤子…。

 

一人の若者が魅せた勝つという意思を。

受け止めた。ギリギリで思いついた策が上手くいったようだ。だが、問題は此処からだ。

最早自分は風前の灯火。故に、打てて一撃。それ以上は身体が持たないのは明白。ならば、放つべき技は一つしか無い。

だが、左腕は死んでいる。何よりこの腕を離せば、百代に逃げられる。故に両手打ちは使えない。

決めるしかない、片手打ちを。状況は極めて不利なはずなのに、悠介の精神は…。

 

――――あの時のあんたも、こんな気持ちだったのか。なあ、左之助(さのすけ)さん

 

不思議と定まっていた。左腕の痛みを感じず、霞んでいたはずの思考が戻っている。それは紛れもなく、精神が肉体を凌駕した証。

思い起こすは、左之助がかの剣客に負けた事で、本当の意味で惡一文字を背負ったあの日。

今の自分もきっと、その時の彼のような状況なのだろう。憧れた・憎しんだ。意味は違うが、ただそれだけで背負い始めた一文字。その文字に遂に意味が生まれ、明確な信念となったのだ。

そして…

 

――――憧れたままでは越えられない。だから俺は、憧れるのをやめる(・・・)

 

憧れているからこそ、完璧を望む。それは逆を言えば、自分では出来ないと届かないと認めているに等しい。

それでは届かない。だから捨てよう。相楽左之助の惡一文字ではなく、相楽悠介の惡一文字を。そして相楽左之助の二重の極みではなく、相楽悠介の二重の極みを…!!。




勝てよ、悠介。――――相楽左之助



いかがでしたでしょうか?
初期の頃から明確な理由無く、ただ百代に勝ちたいと願っていた悠介。
惡一文字を背負う事と百代に勝つ事、この二つは同じではなく、別々に悠介が欲した願いでありました。
同一していたが故に、奥底ではかみ合っていなかった二つが、漸くかみ合い一つとなりました。
自分的には上手く落とし込めたと思うのですが、皆さんはどうでしょうか?

命をかけることがない現代。故に原作の左之助の様な命がけが出来なかったからこそ、命をかけて叶えたかった憧れを捨てる事で、並び立ち追い越さんとする意思が悠介に欠けていた最後のピースとなります。
これも納得して頂けるか微妙ですが、どうでしたでしょうか?

そしてこの更新が今年最後の更新となります
来年は自分も社会人となり、どうなっていくか分かりませんが、完結を目指して最後まで書き切りたいと思っています。
最後まで皆様にはお付き合いして頂ければ嬉しいなと思います。
来年も、真剣で私に恋しなさい~その背に背負う「悪一文字」をよろしくお願いします。


――――次回【幕間・師達の思いと少年の独白】

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