(お察しください)
定勝の案内で晃助は城を出て美濃動乱の際に使用していた小屋を訪れる。そこには工作隊として武田の別働隊の行軍を妨害する櫻井の姿があった。その姿を見た晃助は何かを言おうと口を開こうとしたがその前に櫻井が報告を始めた。
「報告します。晃助さまの指令書通りに街道に石をばら撒いたり、雪崩や土砂崩れを起こして街道を封鎖してきましたがそろそろ限界です」
「……もう少し準備したかったがそろそろ来るか」
晃助は開きかけた口を閉じると額に手を押し当てて呻く。
武田軍は二万五千の本隊が三河・東海方面、五千の別働隊が東美濃と飛騨に進軍してくる。本隊を率いる将は当然、甲斐の虎:武田信玄。晃助の知る史実の信玄は五十を超える病人だが、この世界の信玄は二十そこらの姫大名だという。そちらは三河の国主であり信奈の妹分の松平元康と伊勢志摩を平げたばかりの滝川一益を動かして三河入りする良晴が担当するので晃助の分担ではない。
「しかし、相手がまさかの山本勘助か……」
晃助の担当する美濃方面を攻めるは武田家の軍師:山本勘助だという。彼は現代でも軍師の代表格として有名だが、資料が乏しく実在したかが定かでない説もありいないものと思っていた。何よりも晃助がこの時代に辿りつく前に第四次川中島合戦が行われたというのだから、そこで戦死しているはずでもあった。
晃助は櫻井に視線と問いを流す。
「で、姿は見れたか?」
「はい。遠目ですが片足を引きずるようにしながら杖を突いて歩く隻眼の老人を見ました。身なりの良い将に指図する振る舞いから見て山本勘助その人に間違いないかと」
史実に伝え聞く勘助の特徴に合致する。そう合致するのだ。間違いも追加点も無く。
「ハッ!」
晃助は山本勘助が敵になることに悪い意味で一笑する。勘助の活躍は主に武田家の信濃進出期だ。中小勢力ばかりとはいえ広大な土地を制圧するのに貢献した程の智謀が敵になるのだ。美濃動乱の小競り合いや清水寺の変事でちょっと小細工しただけの自分とは格が違うだろう。
(姫武将の風潮は最近らしいから老人って事は爺ちゃんだよな)
そして何より有名人が姫武将でごった返すこんな世界で男の将がいる事にどこか安堵する。
自分がゲームでこき使……戦わせてきた武将たちが可愛い女の子だらけというのは晃助にはもうお腹いっぱいだった。そういった事に確かに魅力があり晃助も嫌ではないが、どうしてもゲームの雄雄しいCGが頭にあるだけ複雑だった。
「それで、どっちに来るかは?」
「確定はできませんが、恐らく飛騨かと」
櫻井は武田軍の物見の数が飛騨方面に多いからそう予測していると晃助に告げる。
別働隊が飛騨と東美濃に来ると知った時、実光をはじめとする美濃の守将達は本隊と合流される前に飛騨の姉小路と合力して別働隊に打撃を与えようと道三に献策した。道三はそれを採用し姉小路と連絡をつけ、向こうもそれに了承した。
手順は簡単だ。武田別働隊が飛騨あるいは東美濃に攻めた時、攻められた方は防戦に徹し、攻められなかった方は後ろから別働隊を攻撃する。少ない戦力で兵を分けるとは思えないが、両方面に戦力を分散した場合は各個撃破するというものだ。
「じゃあ、出陣の振れを出さないとな。報告は以上か?」
「はい」
晃助は頭を掻きながら、それじゃあと呟くと頭を垂れる櫻井に呼びかけた。
「避けられたら避けろよ?」
「なにをっ……!?」
頭を上げようとした櫻井の眼前には晃助の足が迫っていた。櫻井は咄嗟に腕を交差させて防いだが、衝撃で後退り小屋の壁に背をぶつけた。
「かっ!? くぅっ……!」
「な、何を……!?」
衝撃で肺の中の空気が逃げたが、櫻井が再び息を吸おうとする前に晃助の右手がその首を絞め上げ、足を浮かせる。次いで左手の黒き暗器が櫻井の目の前に翳された。すると、これまでの動作を見送ることしかできなかった定勝が晃助を止めようと動こうとするが、それより早く晃助は櫻井を解放する。
「定勝、ちょいと腹が立っているのは認めるが俺はこの女と話をしたい。これ以上蹴ったりしないよ」
「……」
定勝が無言で控えるのを見ぬまま晃助は櫻井に問う。
「不意打ち気味だったが、今の攻撃は避けられなかったのか?」
「けほっ、けほっ……はい。咄嗟に防ぐのが精一杯でした」
「そうか、実はコイツを手に入れた頃からいろいろおかしな事があってな。これはそのひとつだ」
左手に装備した黒い刃の暗器。櫻井森羅が鍛え晃助に送った品としか聞いていないが、コレが傍に来てから奇怪なことばかりだ。嫌な夢を見るようになった頃には不気味に思い、適当な蔵にしまっておいたりもしたが、いつの間にか傍にあったり身に着けている事もあった。自身の記憶すら疑うような出来事に不信を通り越して不安を感じ、その度に事情を聞こうと櫻井兄妹を探したが、文は報告などを書置きで知らせるだけで姿を見せず、先日美濃に戻って来れた際に岐阜の町にある工房を訪ねたら森羅は留守にしていた。
そんな時に久しぶりに顔を出した文だ。この機会を逃す訳にはいかない。
「今まで散々はぐらかされたがコイツについて知ってること。いいかげん話してもらうぞ」
「……それは緋々色金です」
「緋々色金?」
晃助も僅かに知識はある。大昔の日本にあったとされる金属。具体的な力はわからないが、とりあえず神聖で貴重な金属なのでファンタジー系のゲーム等で度々レア素材として登場するからだ。
「はい。大分量は減りましたが日ノ本に眠る鉱物です。我が櫻井家のみがその鋳造方を伝えています」
櫻井は小屋の寝台に腰かける。
「緋々色金は霊具であり。霊力を取り込むことができます」
「霊力?」
「超常の力の源です。地脈として流れていたり、何かに籠められていたりと様々です。霊魂という言葉もある通り、人の魂もそれに当てはまります」
櫻井は晃助の左手から伸びる黒い暗器に触れる。
「そして緋々色金は持ち主に応じて形を変えます。晃助さまはこの様な形にしたのですね」
「形を変えたも何も……俺は何も手を入れてないぞ?」
初めてこの黒い武器を見たのはおかしな夢の中だったが、現実に戻った際に桐の箱を開けた時はこのような形だった。
「私もどの様にして変えたのかはわかりませんが、晃助さまの許に送った際は柄も無い短刀でした。持ち主であるあなたの意思がこの形にしたのでしょう」
「意思……」
夢の中で倒したジャージ姿の晃助を思い出す。あの男は『殺しのイメージが形成した』と言っていた。それは殺す力がいるからその形にしたという意味でも受け取れる。
晃助は左手の指を無くし、弓を満足に引けなくなった自分が別の武器を求め、印象的だった自分を撃った暗殺者の武器を欲したという解釈をした。
「恐らくですが、魂を集める為にこのような武器になったのでは?」
「!」
だが、櫻井の言葉に聞き捨てならない一説が入った。
『魂を集める』だと?
「緋々色金は神話の儀式にも使用されたことがあります。その中でも大掛かりなものは
天岩戸。日本神話で弟である素戔嗚尊の素行の悪さを悲しんだとか、諌めるためとかで、太陽の神、天照大神が引き籠った話だ。晃助は詳しい経緯はよくわからないが、櫻井が言わんとしている事が想像できた。
「……もしかして、その三種の神器は緋々色金で作られたのか?」
「その通りです。素戔嗚は国力を傾けるほどの霊力を神器に籠めてしまいましたが、彼にはそれができたようです。しかし、晃助さまにはそれができない」
晃助は左手の暗器を気味悪そうに見つめた。ここまで話されると晃助も察しがついた。
「人を殺して、霊魂としての力をコイツに集めているのか」
「恐らくですが。その為に武器としてその形になったのでしょう。そして先ほどのような身体能力の向上はその恩恵かと」
「どういう事だ?」
「簡単ですよ。一人殺せば一人分。十人殺せば十人分の力が得られます」
「……なるほどな」
殺せば殺す程に強くなれるということらしい。武器としてはとても理にかなった素晴らしいものだろう。身体能力の向上についてはこれで得心がいった。だが、晃助にはそちらよりも奇怪なことがある。
「それよりも聞きたいことがある。おかしな夢を見るんだ。女の声が聴こえるんだが、そいつは同じ歌を繰り返し歌っていて……しばらくすると男の声が聞こえるんだ。とても……なんだか怖いんだ。それについて緋々色金はどう関係してくるんだ?」
櫻井は少し考えこんで答えた。
「緋々色金についての特性は先ほどお話した通り、持ち主の目的に応じて蓄えられた霊力を使いやすい形に変える事です」
「コレとは無関係だということか?」
晃助は手がかりが無くなるのかと不安に思いつつも尋ねるが、櫻井は首を横に振る。
「完全に無関係ということではないでしょう。集めた霊力を晃助さまが使った結果そのような夢を見ているのかもしれません」
「……」
そう言われても晃助は霊力とやらを使っている自覚はないし。自ら進んで悪夢を見たいとは思わない。
「……だとすれば巻物?」
悪夢を見るようになったのは雑賀の荘で巻物に触れた時だ。アレを調べればこの悪夢を見なくても済むような手がかりが見つかるかもしれないし、気が進まないが夢の意味が分かるかもしれない。
一通り物について知れたところで晃助は大きく溜息をつき、櫻井を投げやりな視線を向ける。
「じゃあ最後に聞くが、お前らは何がしたい? 何の目的でこんな物を俺に与えた?」
お家に伝わる大事な技で作り上げた貴重な金属をおいそれとばらまくはずがない。晃助に渡した理由、晃助だから渡した理由があるはずだ。
「それも家の伝承です。『緋々色金が求める者にその力を与えよ』我らはこの言葉に従って
「……つまり、お家の決まり事だからやったけど後は知りませんってか?」
櫻井の答えに晃助は呆れたように睨む。櫻井自身も無責任さを自覚しているのかやや小さくなりながら答えた。
「元より我ら櫻井は鍛冶の家。鍛えた刃が誰を殺し守ろうが我らは槌を振るうのみ。それが兄の言葉です」
「兄? 森羅のか?」
「はい。私をはじめ家の者は兄の指示に従っているだけです」
「細かい目的とかはあいつに聞けってか? 店にはいなかったぞ。居場所を教えろよ」
「申し訳ありません。私が美濃に戻って直ぐに行き先を告げずに出かけてしまいました。代わりに私の知っている範疇で晃助さまに緋々色金について話してもよいと」
櫻井の足なら少数とはいえ軍勢を連れて行く晃助よりも早く美濃に着いたであろう。その時に出かけたという事はもしかしたら晃助の来訪から逃げたのかもしれない。
「そして
いくつかの疑問は解けたが新しい謎ができ、それを解決する手段もアテも今はなく。まるで糸が解けたようで絡まったような。掴んだようですり抜けられたような。そんな複雑な心境で晃助は足元で跪く櫻井を見下ろした。
兵士達の喧騒が聞こえる中で晃助は草鞋を結びながら昨晩の道三を思い出す。
(随分と弱っていたな)
あの後、晃助は実光に櫻井の働きと報告を知らせ、道三に早馬を出し出陣の許可を得て最低限の準備を済ませて眠ったのだが、早馬として駆けた晃助を出迎えた道三は急激に痩せていたのだ。
道三自身が語ったことだが、自分の肺の病は晃助も世話になった南蛮医学を修めた曲直瀬ベルショールですら手の付けられない段階まで進んでいるらしく新年を迎えられないらしい。それだけの時間があれば信玄を追い返すには十分だと意気込んでいたが、晃助は良い言葉をかけられなかった。一度は史実をなぞるために暗殺すら考えてしまった相手だが、咳を繰り返す弱弱しい姿を見ると胸が痛んだのだ。
「どうしたんですか晃助さま?」
結び終えた草鞋をいつまでも見つめていると影が差し、見上げると長頼が覗き込んできた。晃助はなんでもないという意味を込めて首を振って立ち上がると隊列を作るべく号令をかけている実光のもとに行こうと足を向ける。
「ここのところ晃助さまは変わりましたね」
「ん?」
長頼がガラにもないことを呟いたので晃助は思わず振り返った。
「どこがどんな風に?」
「う~ん。お一人でよくぼーっと考え事をしていたり……あと、智慧と一緒にいる時間が増えているような気がします」
昨晩でおおかたの原因がわかったとはいえ緋々色金関連について悩まされていたり、そのフォローを頼隆がしてくれた。周りの目からするとそれが仲良くしていると勘違いするのかもしれない。
「まぁあいつにはいろいろ助けられているな」
「ちゃんと感謝は伝えています? 晃助さまは智慧に対しては扱いがぞんざいですから心配なんですけど」
「……気のせいだろ」
晃助自身そんなつもりは無い。迷惑をかけているだろうから構わないようにも言ったように感謝は十分にしているが自分のことで負い目を感じているくらいだ。晃助は長頼の髪をくしゃりと撫でると実光のもとへ向かった。
今回の武田別動隊迎撃の部隊は千早家が主導で行うことになっている。美濃の大将である道三は動くべきではないし、近江(姉川)への抑え、三河方面への支援で他の将が動けないからだ。千早家は本家・分家の兵と別々の部署から与力を与えられて六千で出陣することになった。