未来人の選択   作:ホワイト・フラッグ

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41.在りし日

「なな。醤油を取って来て頂戴」

「はーい」

 

 竹山城の奥にてななは実光の妻にして母の、桜を手伝って朝食の準備をする。姫武将の風潮の中にも関わらず少女はそこらの町娘と変わらない生活を送って来た。これはひとえに両親の教育方針だ。戦乱の世の中で我が子に血生臭い武将としての人生を歩ませたくないという想いだ。もちろんなな自身が望めば実光は剣や馬の手ほどきをするつもりでもいたが、優しい気性の彼女はそんな事を望まず健やかに育った。

 それでも武士の子としてしきたりや武士の子女としての教育はしている。数十人分の食事を作るのもその一つだ。戦時やそれに準ずる状態では兵や人夫に食事を振る舞い。怪我をしたときは手当し、衣類が汚れたら洗う。土地や領民を守る為に励む彼らが満足に動けるように支援してやるのだ。

 

「なな。そろそろ義兄さんと義姉さんを起こしに行ってあげて」

「わかりましたぞ!」

 

 食事の準備があらかたできたあたりで桜はななに義兄妹としての仕事を与える。先日帰って来たばかりの義息子は信奈の主命により美濃に帰って来た。それからは今朝はもう出発した実光と共に城や砦の改修に励んでいる。いつもは頼隆と伴って起きてくるのだが、今日は疲れのせいか遅い。本心では休ませてやりたいが現場の作業が滞ってはいかないので、ななに起こしに向かわせた。

 

 

 

 

 

 

 晃助の部屋の前で手を擦り合わせる少女がいた。蜂屋頼隆だ。

 

「……よし」

 

 頼隆は晃助の部屋の前で深呼吸し気合いを入れる。今日は少し寝坊してしまったがそろそろ晃助を起こさなければ朝食に間に合わない。誰かが起こしに来る前にすませようと襖に左手(●●)をかける。

 

「……おはよう」

 

 ゆっくりと開かれていく襖の間から室内を慎重に覗き込み、自然と小さな声になったが朝の挨拶で声をかける。

 布団から上半身を起こした状態ではあったが、晃助は起きていた。その姿を確認すると頼隆は腰の刀に添えられていた右手(●●)を外して、安堵の息を吐きながら部屋に入った。頼隆が部屋に入っても晃助は何も反応せず背を丸め両手を組んでいる。頼隆はその手を包むように握った。

 

「冷たいわね。それに震えてる」

「あ……智慧……」

 

 温かい手が触れて初めて晃助は反応を返した。顔色は青く声も体も震わせた不調でも意識があることに頼隆は再度安堵し笑みを浮かべた。

 

「温かいでしょ?」

「うん」

「じゃあこうしたら?」

 

 そう言って頼隆は晃助の肩に手を回し体を密着させる。晃助の体には彼女の温かさが伝わるが、頼隆には彼の冷たさと震えが伝わる。その震えの原因が寒さとは別にあると知っているので頼隆は意識を逸らさせた。

 

「どう? 未来の世界にある【エアコン】よりも温かいかしら?」

「いや、部屋を暖めるあっちの方が断然温かい」

「なによ。じゃあ離れちゃおうかしら」

 

 頼隆は頬を膨らませて手を離そうとするが、晃助は握られていた手を両手で強く掴み返した。予想外の行動に驚いて頼隆の心臓は弾む。

 

「す、素直に温かいって言えば……」

「いつも迷惑かけてすまん」

 

 切り出された言葉に胸の高鳴りが鳴りをひそめる。

 

「あの日からずっとこんな狂人の相手をして大変だろう?」

 

 紀伊に着いてとんぼ返りした日から晃助は首、と言うより命に執着するようになった。途中の町や村ですれ違う旅人や町人は勿論、道中ずっといる頼隆の首に目がいくようになった。大半はなんとか堪える事はできたが、宿を借りようとしたある町で酔漢に喧嘩を吹っ掛けられた時は危うく相手を殺めかけてしまい、頼隆が暴れる晃助を抑えて逃げ出した事件もあった。

 

 そして眠るときは決まって歌の夢を見る。聖女のような美しい歌声で紡がれる悍ましい歌。そして最後に男の声が聞こえると共に恐怖が頂点に達し飛び起きる。その度に近くで眠る頼隆に迷惑をかけたし、錯乱して彼女に斬りかかることもあった。近頃はそんな事がなくなったが、頼隆からすれば落ち着いていられないだろう。

 

「だから、こんな俺の事なんか放って……」

「珍しくまともだと思ったけど、馬鹿なの?」

 

 頼隆は一度放した手を再び少年の背中に回して自身に抱き寄せた。

 

「あの日に言ったはずよ。この手の問題が起きたら私を頼りなさいって。この手の奇行は説明しても周りの理解が得られにくいし、例え理解されてもあなたを遠ざけるわ。今のあなたは一人になると何をするか分からないのにそんなことさせないわ」

「だから……っ」

「それに誰よりもあなたが一番苦しいだろうし、望んでないでしょう?」

 

 晃助は気遣おうとした相手に逆に心配されている事に喉が締まった。唇を噛み瞼に力を籠める。そんな晃助の様子を知ってか知らずか頼隆は続ける。

 

「それにこんな状況をいつまでも甘んじてるあなたじゃないでしょう? 何か分かった事はあるかしら?」

「……ある」

 

 晃助は鼻で深く深呼吸すると些細な事だが報告した。夢の中で繰り返される歌と声が断片的であったが何度も聴いているうちにこのように繋がった。

 

 

〈血 血 血 血が欲しい ギロチンに注ごう 飲み物を

ギロチンの渇きを癒すため 欲しいのは 血 血 血 〉

 

 女神の歌声はたった一つしか知らんとばかりにこのギロチンの歌を詠う。そして恐らくだが、そこに他者に対する恫喝や警戒などの感情は籠められていない。晃助自身が勝手に恐怖しているだけだと思われる。

 

 

〈あなたに恋をした。あなたに跪かせていただきたい、花よ〉

 

〈では今宵の恐怖劇(グランギニョル)を始めようか〉

 

 男の声は気だるげではあるが、何か強い意思を感じる。この声が聞こえた時はそれまで誰とどんな事をしていようと、それまであった事が無意味にされるような恐怖を感じ、直前にどんな感情でいようと等しく身を震わす自信がある。

 その事を頼隆に話すと彼女は少し誇らしそうに笑っていた。

 

「そう……ほら少しずつ解らない事が分かってきたじゃない。その意気でいればいつか何とかできるでしょう」

「ああ」

「それにしても、恋をしたって言った後に『あなたに跪かせていただきたい、花よ』って、それで告白したつもりかしら? だとしたらお笑いね。女の身から言わせてもらうと冗談に聞こえるわ」

「そうだな。思い返してみれば俺はいつもお前に跪いているな」

「むやみに仕事をサボるからでしょう!」

 

 言葉の羅列が解っただけで、その意味まで辿り着いていない。だが、最も恐怖を感じる男の言葉が滑稽な告白であると思えば少しは恐怖が和らぎ体の震えが引いていくのを感じた。その事を読み取った頼隆が今度こそ晃助から離れる。

 

「じゃあ速く着替えて朝食に行きましょう。いつもより遅い時間だから早くしなさ……いっ!?」

「どうした? あ……」

 

 着替えに手を伸ばしかけたところで頼隆が息を飲むのを感じ晃助は振り返ると彼女と同じように固まった。襖を開けた頼隆の前にななが立っていた。その顔を真っ赤に染めたななはバツが悪そうに視線を泳がせている。

 

「お、おお起こしに来たら……兄様と姉様がだ、だだ抱き合って……!」

 

 幼い女の子に誤解されそうな場面を見せてしまった。しかも身内というお互いに気まずい状況に、開いた襖に手をかけたまま固まる頼隆も顔を赤くしているだろう。後ろから見ても耳が赤くなっているのでわかる。晃助も背筋に冷や汗が流がれる。

 

(コレって何かヤバくね? 身内にエロ本見つかったとかそういう類の……レベルは断然上だと思うけど……)

 

 人間関係において何かしらヤラカシテしまうことはあり、その場合このように気まずさのあまりにその場の人間が全員反応に困って時間が停止したように動けなくなる事がある。当然ながらいつまでもそうしてられないので誰かが状況の打開を図って行動しなければならないが、それを悩むばかりに動けず時間が止まった状況が連環する。

 

(どうしよう……何したらいいんだろう……そうだ!)

 

 晃助は十数年の人生経験で最適な行動を閃き、実行する。着替えに伸ばしかけていた手を引っ込めて今着ている寝巻を整え、跳ね除けた布団も整えると体の緊張を解いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺もう一回寝るわ……お休み」

 

 二度寝! 嫌な状況からは逃げればいい。幸いにも晃助は布団にいるのだから最適で最良な判断だと自己満足しながら瞼を閉じる。現代の苦手な授業でも僅かな眠気で意識を落とし、休み時間までやり過ごしてきたのだ。直ぐに寝直すことなど容易い。だが晃助の勝手な逃避を許さない者がいた。

 

「……ちょっとあなた! 今起こしたばっかりじゃない!」

 

 赤い顔のままポカンと口を開けた頼隆は小さな寝息をたてようとする晃助に飛び掛かる。掛け布団を掴むと部屋の隅へ放り投げ、驚いている晃助の左手を掴む。そのままその腕を背中に回して絞める。

 

「ちょっ……あいいでででっ……!」

「このっ、逃げるな!」

 

 晃助は何とか拘束を解こうと体をよじるが頼隆はそんな抵抗も許さず上からのしかかる。そこで何かに気付いたように息を飲むとななに呼びかける。

 

「なな! さっきと同じ(●●●●●●)ように晃助を起こしているのだけどコイツまだ眠たいって言ってるの。手伝って頂戴」

「え、あ?」

「早く! 私と同じように(●●●●●)! 教えてあげるから!」

「……う、うん!」

 

 どうやら先ほどの場面をコレで誤魔化すことを思いついたようだ。悪くない機転かもしれない。だが、それには晃助の犠牲が経費になる。晃助は優しい義妹に目で慈悲を乞うが、主導権は頼隆が握っている。ななはトタトタと組みつかれている晃助に近づくと右手を取って背中に回そうとするが上手くできないでいた。

 

「そっちの手を取って軽く捻って! それなら力の弱いあなたでもできるわ」

「こ、こうかな……えい!」

「ぐっうううっ」

「もっとよ! とことん眠気を飛ばさないとまた寝てしまうわよ!」

「起きた! 起きたよ二人共! だっから……ぐうっ……なな、もう……いいんだ。捻らないで」

「なな! 晃助が寝言を言ってるわ。肘を曲げさせるとより有効よ。お兄様を起こしてあげなさい!」

「うん! 起きてーーー!」

「ぎゃああああああッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 何処かの誰かが悲鳴を上げている頃。新夜海斗は肩に担いでいた土嚢を放り投げる。その場にはおびただしい量の土嚢が積まれ人が簡単に乗り越えられないようになっていく。対武田戦に向けて街道を封鎖する砦の防御を整えているのだ。

 織田・松平の伝令によると武田軍の本隊は三河・尾張・美濃を通って進軍する傾向があると知らせてきた。だが、南信濃、木曽から飛騨・東美濃に別働隊を回して牽制をかけてくる。相手は戦国最強と謳われる軍団だ。生半可な備えをしていると突破されかねない。海斗は他の人夫と混じってそれに備えていた。

 

「凄いわね。予定より早く積み上がっているわ」

 

 海斗が次の土嚢を取りに行くと頼綱が視察に来ていた。

 

「当たりめーだ。やりたくもない戦を向こうが仕掛けてくるんだ。死なない工夫を少しで進めなきゃな」

「雪がちらほら積もるほど寒い中よ。あなたも時々火に当たってね」

 

 そう言いながら頼綱が焚火を指さす。人夫たちが(かじか)んだ手を温めるために手をかざしており盛況だ。

 

「雪……そういやもう十二月だったか……」

「早いものね。あなたと出会ってからそんなに時間が経つのね」

「そうだな。フン……現代ではクリスマスムードだろうな」

「クリスマスって何?」

 

 海斗は現代のことを話しても周囲に理解されないと思いあまり話してこなかったが、キリスト教が伝来してきたこの時期なら話しても問題ないだろうと言葉を選ぶ。

 

「そうだな……南蛮から来たキリスト教の主、イエス・キリストの誕生日を祝う催し事だな。俺の暮らしてた時代の日本はキリシタンでもない奴らも一緒になってお祝いする日だな」

「異宗教でも!? そんなことしたら自分の宗派に背くことにならないのかしら?」

 

 頼綱は驚いて聞き返す。いかにも戦国時代らしい疑問だろう。この時代の宗教は一人につき一つだけの神を信じる。上方の叡山は仏の名を騙るだけの破戒僧こそはいたがその絶対性はうかがえた。 

 

「未来の日本はそんなに宗教に固執しないんだよ。勿論マジメに神のことを信じてる奴らもいるだろうが……」

 

 改めて考えてみると未来の日本は宗教観が異質だ。海を越えた先では他の宗教に難癖をつけたりして殺しあっている。同じようなことをこの昔にやってきているのに、いったいどこで変わってしまったのかわからない。ただ、クリスマスのノリはわかる気がする。

 

「あーアレだ。村の豊穣祭とかで宴をやるだろう。それだけじゃ満足いかない奴らがおめでたい頭で宴を開く口実を作ってるみたいなもんなんだよ」

「何よそれ! 真剣に催し事に取り組む気は無いというのね!」

「そうかもな」

 

 本当にふざけている。なんでも二十四日の二十一時頃から男女がイチャコラする時間という謎の風潮が浸透していることを頼綱が……いや、この時代に生きる全ての人たちが知ったらどう思うだろう。面倒なので海斗は伏せておいたが、別の風潮が浮かんだのでそちらを話す。

 

「サンタクロースの話もあるな」

「三田苦労須?」

「……赤い服を着たジジイなんだが、クリスマスの夜に子供達が欲しがる……玩具を置いていく」

「そういうお仕事?」

「慈善事業みたいなモンかな。朝起きると子供たちの枕元にはお目当ての玩具がある。俺も昔喜んで包装を破っていたな……」

 

 海斗は足元の泥で滲んだかつて白かったモノを見下ろす。昔からこの冷たさは複雑な気持ちを思い起こさせる。海斗は八歳で父を、十歳で母を亡くした。そんな子供がクリスマスをどうとらえるか。

 父も母も存命の頃。「いい子にしていたらサンタさんが来るよ!」と言われていたので母の家事を手伝い。父が喜ぶ成績を修めた。そうしたら欲しかった物が靴下の中に納まっていた。それを当たり前だと思っていた。

 

 父が死んだとき。母は「パパは遠いところへ長い時間仕事に行っているのよ」と言い。当時の海斗はこれまでも父が戦場報道官としての仕事で長く家を出ていたこともあって、それに疑問を抱かなかった。だが、母が死んだときは違った。親戚はロクデナシだったり母と一緒に亡くなったりと頼れなかった状況で父の友人を名乗る男に引き取られた。その男は海斗に両親が死んだことを告げた。親戚でもない自分と二人で暮らすことになった異常性を説明するのに隠す事は不可能と判断したのだろう。絶望の涙を流したその年のクリスマスに海斗はサンタクロースに願った「どうか両親に会わせて欲しい」子供らしく、真摯な願いだったが、その願いは当然叶うことは無かった。

 サンタとは親が子供に夢を与える為に名乗る借り物の姿であり、両親を亡くした自分にはもう二度と来ない存在だと海斗は他の子供よりも残酷な形で知った。

 

 おもしろくもない思い出を振り払おうと海斗は土嚢に手をかけ作業を再開しようとするが頼綱が海斗の腕を取った。何事かとその顔を窺うといつものよりも数倍輝いた笑顔を浮かべていた。

 

「海斗! その三田苦労須さんに会えない!?」

「ハ、ハァ!?」

「お願いするのよ! この日ノ本の子供たちにもその慈善事業を行ってほしいと!」

 

 頼綱はサンタクロースの活動がどうやら自分と同じく『みんなを笑顔にする』という志だと思い込んだようだ。実際間違ってはいない。だが、重大な問題がある。サンタクロースの実態は子供たちの親なので、何処に住んでいるというモノが無いのだ。

 

「…………会えないな。悪ィが……俺も何処に住んでいるか知らねぇ」

「そう……でもクリスマス! キリスト教の祭事に現れるっていうならバテレンなら何か知っているわよね!?」

「た、たぶんな……」

「この戦が終わったら堺のフロイスを訪ねましょう! お話しても直ぐには無理かもしれないけど、交通の便や玩具を買う資金などはできる限り協力すると申し出ればきっと!」

 

 その後も「拠点はどこが気に入ってくれるだろう」とか「私のところにも来てくれるかな」などと夢に溢れた事を考えては「でも、予算の分配を見直さないと……」と生々しい計画を立てている頼綱を見て海斗は頬が緩んだのを自覚した。

 

 

 

 

 

 

「今日も寒かったのぉ。鍋が上手いわい!」

 

 竹山城の奥にて実光が嬉しそうに茶碗の中身をかきこむ。隣で晃助も熱々の汁を啜りながら内心で同意する。襖を閉め切って火鉢を置いても肌寒さを感じる中で温かい食事は身を温めてくれる。

 

「じゃがそれよりも、こうして家族が揃って飯を食うのが一番美味いなぁ」

「美味いなー!」

 

 実光の言葉にななも倣うがこのやり取りに晃助と頼隆は口元を引きつらせる。なぜなら。

 

「実光どの。その台詞は昼も言ってましたよね」

「と言うよりも、私達が帰ってからずっと言ってますよね」

 

 大勢で食べる食事が上手いのは理解できる。ましてや大切な人達となれば、なおのことだろう。だが、食事の度に言われ、聞かされる身としては鬱陶しさを感じる。二人の言葉に実光はやや落ち込んだ表情をつくる。

 

「む……いやすまん。お主らがしばらく上方に居ったのが寂しくてな」

「それに戦の為に戻されたと思うと少し複雑で……」

 

 実光のおかわりを茶碗によそいながら桜もそう続く。実際に信奈は武田戦線の補強の為に晃助を美濃に派遣(●●)したのでその気持ちはわからなくはない。信奈は合理主義でこれまでも拠点を清州→犬山→岐阜→本能寺に移している。土着意識が薄いので配下と意見の食い違いが出ているのも事実だ。

 晃助が桜に対して気の利いた言葉がないかと頭を回していると定勝が襖の向こうから声をかけてきた。

 

「お食事中に申し訳ございません。晃助さま、工作隊が戻りました」

「わかった直ぐに行くよ。ごちそうさまでした」

 

 晃助は箸を置いて席を立つ。工作隊は最前線で活動しているので経過報告しだいでは新たな指示を与えて調整しなければならないので食事の後にするわけにはいかなかった。

 晃助のいなくなった部屋で実光が口を開く。

 

「……まぁ、なんじゃ……我が身寂しさでワシもああ言ったが、それも自重しよう。今が大きな戦の前でもあるし、あれくらい若い者は目の前のことでいっぱいになるからな」

「そうですね。昔のあなたと同じですね」

「実光さまの昔?」

「道三どのが国盗りをした時の話ですよ。その時に私達は夫婦になったのです」

「そ、そうであったな……」

「是非とも聞かせて下さい」

 

 桜が自らの夫に向けて冗談っぽく言うもので頼隆は興味を引かれた。実光はやや苦い表情をしていたが、話してくれた。

 

 

 

 今は義娘の信奈に譲った美濃は古くからその地を治めていた土岐氏のものだった。それを道三は主君を追い落としてを手に入れたのだが、実光と出会ったとき道三は商人上がりの侍として土岐氏に仕えて間もない頃だった。

 身分が上だった実光が道三に関わったのはちょっとした興味だった。美濃からろくに出たこともない実光にとって京から来た元商人の男とは珍しい存在だ。

 

『おい商人上がり。酒をおごってやるから話をしろ』

『これは千早さま。私で良ければどんな話でも』

 

 そんな風に実光はたびたび世話話をせびって道三を訪ねた。

京の都、周辺の国の様子。西の海から流れ来る明や南蛮の品物の話。道三の話は最初はそんな事を話していたのにいつの間にか宗教勢力の腐敗、幕府や朝廷の権威失墜、戦談義と話が壮大になっていき。それに実光も一緒になって互いの考えを話し合った。

 

『武家も弱ってきている。戦のし過ぎで後継者争いを避ける為に姫武将という風潮ができ始めている』

『そうなのか?』

『大きな家ではまだ聞いたことがないが、小さな豪族では少しずつ女当主が増えている。このまま乱世が続けば女子が血みどろの殺し合いをすることになってしまう』

『それは見たくないな……』

『見ない方法はあるぞ。誰かがこの乱世を終わらせることよ』

『誰かと言われても、それは将軍家だろう』

『力の衰えた将軍様ではな……』

 

 商人上がりの珍しい話を聞いていたつもりだった実光はいつの間にか多くの知見と武士に劣らぬ戦への見解を持つ道三へ強い感心を持つようになっていた。土岐家での家格は実光のほうが上だったが実光は道三にあれこれ尋ねては答えを求めるようになっていた。

 そして道三に土岐氏から美濃を乗っ取る話を持ちかけられた時、実光は二つ返事で応じた。

 

『我が父の方針で千早の家と領地は妾腹の俺ではなく弟に譲られる。失う物も後から得る物も無い故に俺は一人だ。だったら友の夢に手を貸そう』

 

 そして乗っ取りが仮に失敗した場合は自分の首を千早家に送ることを条件に道三の謀略を後押しした結果、見事道三は美濃を乗っ取った。

 しかし、その後の論功でひと騒動あった。道三が実光に領地を与え千早の分家を許したのだ。それが今の竹山千早家の領地なのだが、個人への加増額が飛び抜けているだの、謀略に動かなかった本家と合わせれば相当な禄高になるだのと道三に協力した国人衆が非難し始めた。中には実光が未婚だった事もあって道三と衆道なのではないかと言う声も上がった。

 それに対し実光は道三の風評を気にして出奔を考えた。国を乗っ取ったばかりなのに国人衆の統治に問題があっては意味がない。ならば批判されている自分が消えれば良い。だが、旅支度をしている実光の前に一人の女性が現れた。それが桜だ。当時その器量から縁談がいくつかあったが全て断っていた彼女は突然、実光に縁談を申し出たのだ。この時代では結婚そのものが政治的な手段ではあったが、男性から結婚を申し込むことが当たり前であり、桜の行動は奇抜であった。

 

 

 

「な、何故そのような事を?」

 

 頼隆は桜に尋ねる。普段穏やかな振る舞いをしている義母が若い頃とはいえそんな大胆な行動をとったことに純粋に驚く。桜は少し頬を膨らませて彼女にしては珍しく少し怒気を込めて答えた。

 

「腹が立ったからですよ。主家を裏切る片棒を担いだくせに新しい主君とこの人を貶めるような事を言うような者達の元に嫁に行ってたまるかとね」

 

 付け加え、道三に騒動後の恩賞ばかり条件を付けた連中がたった一つの条件を提示した実光を非難しているのが醜くてたまらなかったとのこと。

 

「だからこの人に言ってやりましたよ『道三どのとあらぬ関係を疑われていてお困りでしょう。私を嫁にして疑いを晴らしてしまいなさい』とね」

 

 そうした一人の女性の行動が一組の夫婦を誕生させ、憧れていた女性に一喝され自身の狭量を恥じた国人衆が大人しくなり国盗り後の美濃の悶着を収めてしまった。これには当時の道三も『国盗りの一番の功労者かもしれん』と言った。誇張であろうが国盗りという大きな混乱を美濃に起こした自分たちの内輪もめという汚点を収めたのは事実である。

 

「そ、それは……しかし、義母上はよかったのですか?」

 

 姫武将の風潮がまだ美濃に広まっていなかった当時にしては桜の活躍は女性として最大級であっただろう。だが、その為に実光と結婚して良かったのかと頼隆は同じ女として心配になったが、桜はせわしなく箸を動かす実光を見ながら悪戯っぽく答える。

 

「ええ、今ではこんな爺様みたいですけど昔は凛々しかったのですよ」

「うっ……ゴホッゴホッ」

「おっとう。お茶」

 

 その言葉を聞いた実光は鍋の具が喉につっかえたのか激しく咳き込み、ななが湯呑に茶を入れて差し出している。実光は湯呑を受け取るとゆっくりと中身を喉に通し、胸を何度か摩った。

 

「い、いきなりそのような事を言うでない」

「あら、では毎晩でも言いましょうか? 昔みたいに」

「い、言わんで宜しい」

 

 実光は言葉少なに反論するとお椀の中身をかきこみ始めたが、直ぐにお椀と箸がカツカツと音を鳴らした。それでも実光は顔を上げなかった。

 

 

 




久しぶりの投稿です。
物語の核心に近づくにつれ「これは無理が……いや、行けるかなぁ」と見直しまくってました。今後も頭捻るので遅くなりそうです。

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