未来人の選択   作:ホワイト・フラッグ

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原作五巻に入ります


十二月の戦い
38.井戸端作戦会議


京、千早家宿舎――――

 

「ご心配をおかけしました」

「なんの。もっと酷いものかと思っておったが、安心したわい」

 

晃助は千早実光に軽く頭を下げて自身の負傷を報告していた。美濃にいた実光がここにいるのは六角討伐のためだ。金ヶ崎の退き口で織田軍が一時混乱していたときに、それまで撃退した勢力が失地奪還の為に押し出してきた。四国に逃げた三好一党は摂津へ、伊賀に逃げていた六角は南近江をそれぞれ取り返しつつあったが、やまと御所の停戦調停により浅井・朝倉を無視できるようになると織田軍は兵を分けてそれぞれに対処した。美濃の留守居役にして信奈の養父:斎藤道三が武田家に対しての備えを整えると、実光は義兄弟と共に南近江に乗り込んだのだ。

 

「兵力差はかなりあったと聞きましたが」

「なんの! 蝮の異名を持つ道三どのには大した障害にならなんだわ」

 

南近江に勢力を再展開していた六角軍と道三軍は野洲川で会戦。道三の神算鬼謀により六角軍は大混乱。しかし、そこに叡山から撤退中の浅井久政が「因縁はあれど今は味方!」と、乱入。浅井軍が加わったことで兵力差は広がったが、実光・善基の兄弟が六角軍に突撃し混乱を収拾させず、その混乱が浅井軍に伝播し六角・浅井連合軍は潰走した。

 

「浅井の介入がなければ六角を逃がすことはなかったのじゃが……」

「それよりも、浅井長政が敵に回ったのは痛いですな」

 

そう。父により幽閉されていた長政だが、良晴の忍びの手引きにより脱出する際に久政の敗走を目撃した。その時に長政は自身の[親思い]という徳により織田家打倒を掲げる浅井家に戻ってしまった。

 

「久政と違い、長政は傑物です。今後の戦場は苦しくなりましょう」

「うむ。それよりお市姫が不憫じゃな」

 

長政の元へ嫁いでいたお市姫は離縁されたので織田家に戻ってきた。実はお市は信奈の弟:津田信澄が女装しており、長政が男装の美女なのだが、これは一部の者しか知らない。それでも愛し合う男女が引き裂かれたのは変わらないので二人の哀れみは正しい。話し合いもそこそこに実光は席を立つ。

 

「ではそろそろ美濃に帰るぞ。武田が宣戦布告してきたからの」

 

実光の言う通り、甲斐の虎:武田信玄が叡山焼き討ちを非難すると共に上洛するという書状を送って来たのだ。とは言え、軽く喧嘩を売るかのような果たし状めいた文章から、若干事実だが叡山焼き討ちの事とは関係なくそろそろ上洛するつもりだったようだが。

 

「晃助どのは恐らく解っておるじゃろうが、気を付けられよ」

「はい。実光どのもお体を大事に」

 

別れ際の実光の言葉は理解している。やまと御所に敵がいるのだ。

叡山を軍事的に無力化させることはできたが、本来は神事・宗教の統治者として叡山が浅井・朝倉と結託した時点で御所が対応せねばならない。それを今川義元を強引に突っ込んでようやく動いたとなれば、誰かが卑弥呼さまに叡山の情報を入れないように計った可能性が高い。「職務怠慢」とは義元もそうだが、御所の誰か(●●)を指したのだ。むしろ、金ヶ崎からの流れから誰かが筋書を書いていたのだろう。もっとも全て推測の域に過ぎないので、確固たる証拠を掴まなければ御所に乗り込むことはできない。

 

 

妻木弘忠、細川忠興、を経由して文化人の細川藤孝に御所の内側を探ってもらうように要請するべきかと思案していると良晴が訪問してきた。

 

「晃助~下剋上しようぜー」

「おう」

「えっ!? マジで付き合ってくれるのか!?」

「織田家に仇なす理由は? 俺が助力した上での勝算は? 俺の待遇は? その後の周辺諸国との外交は? 家をどうやって運営する? 他にも……」

「スマン。さっきまで本気にしてたけど冗談で言ったんだ」

「金ヶ崎の話を聞く限り信奈の姫さんにぞっこんなお前が下剋上をするなんてありえねーと思ったからな。でも、さっきまで本気だと?」

 

いきなり物騒な挨拶をしながらあっさりとへこまされる良晴に晃助は急須からお茶を入れてもてなす。良晴の項垂れようからまた何かやらかした(自分も時々やらかす)のかと尋ねるが今回のショックはかなりデカいようだ。

 

「実は……」

 

重々しく口を開けば、なんでも左遷させられるらしい。

 

良晴は【金ヶ崎の退き口】で殿を勤め上げた勇士だ。その恩賞が何故か信奈との接吻(キス)なのだという。これまでは家臣と主君の醜聞として周りも非難していたが、あの撤退戦の直前にあったやり取りにより暗黙の公認になりつつあった。

 

和睦後に良晴はキスを望んでおり信奈もまんざらでもなかったようで色々準備をしていたらしい。だが、信奈の準備が整う間に事件が起きた。織田家随一の猛将にして巨乳の柴田勝家が「生きて帰れたら好きなだけ胸を触らせる」という金ヶ崎での約束を果たす為に良晴に会い押し倒されたらしい。その現場を運の悪い事に信奈に見つかってしまい、信奈が「私の恩賞を忘れて女の子を押し倒す者を成敗する!」と要は焼き餅なのだが、良晴を一晩中追い掛け回した。

 

 

因みに晃助は頼隆と月見をしながら話をしているときに助けを求める良晴の声を聞き同情から一時的に匿ったが。勝家の胸を揉んだことから晃助は嫉妬、女の敵という事で頼隆はキレて信奈と協力して三人で追いかけまわすという珍事になった。

その日から良晴は信奈に顔を合わせても貰えなくなった。

 

 

そして今日。京の都を守護する上で重要な地、坂本に五万石の城持ち大名として出世した明智光秀が何を勘違いしたのか花嫁衣装を着て良晴を迎えに来たという。実は二人は知らないが、信奈が光秀に死地に戻ってまで良晴を救いに行った事を泣きながら感謝し「これからも良晴を頼む」という言葉を縁組の斡旋と勘違いしているのだ。それだけでなく瀕死だった良晴を蘇生させる為に人工呼吸や肌を合わせて体を温めたことから本人はその気になっているらしい。

 

「そこにまた運悪く姫さんが登場したと?」

「そうなんだよ。一瞬殺されかけたけど長秀さんに取りなされて命は繋がったが、十兵衛ちゃんが『愛の巣』だの『祝言』だのと口走って俺が『勝家に続いて十兵衛ちゃんにも手を出したエロ猿』ということで信奈の怒りを買って左遷なんだ……」

 

そこまで聞いて晃助は良晴に詰め寄ると神妙な顔で一つの事を尋ねる。

 

「十兵衛ちゃんと裸で抱き合ったってどういう事だ?」

「勝家に続いてまた嫉妬かよ!? それが……正直覚えていないんだよ。戦場で気を失ったと思ったら洞窟で十兵衛ちゃんが俺の体を温めてくれたみたいで、その後直ぐに松平の救出部隊が来たから……」

「そんな状況はどうでもいい。見たのか? 見てないのか?」

 

良晴は洞窟の中で薄っすら差し込む月の光に照らされた若く美しい肢体を見た。だが言えば目の前の友人に殺される。ここは素早く用件を済ませて左遷先に行こうと良晴はお茶を一息に飲む。

 

「あの時は薄暗くて良く見えなかったよ。それより俺の軍団が信奈の直轄になっちまったけど、色々気にかけてやって欲しい。それからコレは信奈からの仕事だ。じゃあな」

「あっ! おい!?」

 

手に押し込むように握らされた書状に気を取られているうちに良晴は得意の逃げ足で出て行った。いつもの愚痴と配下への配慮を依頼し、そして書状を渡して別れの挨拶をすることが目的だったようだ。晃助は自分の湯のみにおかわりを入れ手元の書状を眺める。

 

「仕事が増えるのか……」

 

武田家が宣戦布告したのだ。いつまでものんびりできない。それはわかっている。

 

「開けたら。始めなきゃだめだよな……」

 

それでも、もうしばらく労働は避けたい。しばらく寝ていたのでリハビリもしたい。茶を飲みほした晃助が下した選択は――。

 

 

 

「風呂でも入ろう」

 

寝たきりでお預けだった風呂に久しぶりに入りに行くことにした。

 

 

 

 

 

 

「みんな。急な招集によく来てくれたわ」

 

厨房にほど近い位置にある井戸に蜂屋頼隆を初めとした千早家の女衆が集まっていた。所謂[井戸端会議]だが、普段は食事の準備、食器や洗濯物の洗浄のために自然と集まり楽しげな談笑が繰り広げられるのだが、今回は頼隆が集めた。

 

「智慧、今回は何をやらかしたの?」

「最近よく私たちも駆り出されるわね」

「あの人もいよいよ手こずらせるわね」

「旦那の手綱はしっかり握りなさいって前に教えたでしょう?」

 

「ち、違うの。今回は晃助の事は関係ないの!」

 

これまでに女たちがこのように呼び出されることは度々あった。その理由は晃助が仕事をサボって抜け出したり、晃助が昼食のオカズをつまみ食いして逃げたり、晃助が書類の再提出を拒んで逃げたり、とにかく晃助がらみの捜索願いばかりであった。だが、今回頼隆が集めたのは別件だ。

 

「つい先ほど、彦が重大な話を聞いたのよ。彦、お願い」

「はーい。さっき刀の手入れをしていた時に見たんですけど。晃助さまが男衆を誘ってお風呂に行きました!」

 

ジャンプするほど元気よく手を挙げた長頼が報告するが、あらかじめ聞いていた頼隆はともかく他の女衆は首を傾げる。

 

「それが?」

「何? 智慧は晃助さまの裸が見たいの?」

「やっぱり、関係あるじゃない」

 

「違う! 肝心な事を話しなさい!」

「呼ばれた人は、小平、珠之介……」

「一人でいいのよ! 肝心な人を!」

「ああ。定勝さんが呼ばれました」

 

その名前に女達はざわつく。

 

「え!? 何をするときも編み笠を被っているあの人が!?」

「食事の時も寝るときも人前にでないあの人が!?」

「お風呂ではとるよね!? 取るはずだよね!?」

 

そう。女達が言うように如何なるときも素顔を出さず、編み笠を取ろうと試みた者がいたが十人以上が失敗している。あの溝口定勝が風呂に行くというのだ。

 

「この好機を逃す手はないわ。よってこれから、彼の素顔を確認する作戦を提案するわ!」

 

頼隆の宣言に女達は歓声をあげる。これまで美形なのか? 歳はいくつくらいか? 等と様々な予想(妄想)がされていた定勝の秘密を暴くのだ。盛り上がるはずだ。

 

「でも以外ね。智慧はこんな覗きみたいな事を嫌うと思ったけど?」

 

調理担当の少女の言う通り、頼隆は規律や風紀に厳しい女の子だ。少女だけでなく他の女衆も同意見だ。頼隆はその疑念に(薄い)胸を張って答える。

 

「確かにあまり好きじゃないけど、顔もわからない人を信用できないからね」

 

要は彼女も秘密というモノが気になる年頃なのだ。どの道この作戦を否定する者はいない。直ぐに作戦会議が開かれた。

織田家では兵士たちの使う湯殿は日によって場所や時間が変わる。そして一日に一つの部署だけ貸し切ることがある。だから晃助は昼間に湯治ができるのだが、今回の湯殿は塀の向こう側が生垣や木で茂っているので一番覗きに向いた湯殿だ。だが、潜り込める人員に限度があるので数を絞り、残りは怪しまれないように普段どうりの仕事をしたり、除きポイントに人が行かないようにサポートすることになった。

 

 

 

「フフフ。今日こそはその柔肌を見せてもらうぞ。珠之介」

 

厨二マントを羽織った細川忠興が意気込んでいた。千早家の井戸端会議を聞いていた本人が強く参加を希望したのだ。以外にも頼隆はこれを許し、頼隆、長頼、忠興の三人で一緒に茂みに隠れている。

 

「なんで、忠興ちゃんを連れて来たんですか?」

「子供がいたら、もしものときに誤魔化せるからよ」

 

頼隆の算段では、仮に見つかった場合は「遊んでいるうちに迷った」という(てい)で忠興を突きだし、その間に逃げるというモノだ。因みにななは晃助の傷が癒えてきたので実光が美濃へ連れて帰った。これで退路は確実だ。三人は塀に隙間がないか探りながら中の様子を聞いていた。

 

「いやー。久しぶりにお前らと風呂入るな」

「定勝どのが体を拭いていたとはいえ、かれこれ何日も風呂に入っとおりませんな」

「晃助さま。かけ湯は十分にしてくださいね」

「そうですな。五十回くらいしてください」

「それじゃあ、湯が無くなるだろうが」

 

「「「 ははは 」」」

 

水音と共に数十人の千早兵が楽しげな会話をしている。何も身に着けず開放的な気分のためだろうか、酒席とはまた違った盛り上がりをしていた。小平が定勝に話しかける。

 

「しかし。定勝どのがそんな顔をしていたとは……顔というより髭ですな」

「晃助さまの言いつけでしたから、元の素顔が気にくわないようで」

 

「髭面の男ね……二人共早く隙間を見つけなさい」

 

頼隆は会話の内容から定勝の容姿を推測し二人に指示を出す。頼隆自身も塀の板を押して動かないか試す。すると長頼が一際強く板を押すと僅かにズレて中を覗けるようになった。覗けるようになったはいいものの……。

 

ギギッ

 

「「「 !? 」」」

 

「なんだ今の音?」

「ちょっと見てみますね」

 

(わわっ!? どうしましょう!?)

(落ち着いて。なんとかしなさい)

 

水音に紛れない程の大きな音が鳴ってしまい一番近くにいた広忠が確認しようと近づいてくる。見つかっては作戦が終わる。頼隆は慌てる長頼を抑える。

 

「わ、わおーーん」

 

(犬の真似!?)

 

長頼はなんとかしろと言われたので、隠れている事を誤魔化す定番な動物の鳴き声をあげた。

 

「犬?」

「ワン。ワンワン」

(ちょっとあなた。それで何とかなると思っているの!?)

(だって他に手段が……)

「珠之介。犬なんかほっといて体を洗え」

「はい」

 

(( 通じた!? ))

 

晃助が気にするなと言うので広忠は塀から離れる。頼隆と長頼はそれぞれ大きさの違う胸をなで下ろす。

広忠の小柄な体は他の兵士たちと比べると華奢であるが、腕やふくらはぎに程よく筋肉が隠れており男らしさを感じさせる。忠興はその体を塀の隙間から見てヤバい方向に思考が飛んでいた。

 

「ムフー。珠之介の肌が直ぐそこに。フフフ……あぁ、抱き付きたい」

「待ちなさい忠興ちゃん。ここ(のぞき)に来た目的はあくまで溝口定勝の顔を見るためよ。おかしな行動は止めてよね」

「わかっておる。ここからゆっくりと眺めるとする。フフフ……闇の眷属たる我が見ておるとは知らず呑気に湯を浴びておる。……あぁ、いい体……」

「晃助さまもいい体してますよ!」

 

広忠が手拭いで体を洗っている横で晃助も体を拭いている。未来人ということもあり物心ついたころから戦稽古をしている他の兵と比べると見劣りするが、弓を引いていた為に肩周りの筋肉はそれなりにある。頼隆は長頼の言う晃助の体に目を向け一瞬赤くなるが、直ぐに俯いてしまう。右肩の鉄砲傷と左手の残った三本指だ。本人が言う通り傷は驚くほど短期間で塞がっているが、痕が残っている。頼隆が押し黙っていると長頼がポツリと呟く。

 

「傷、いっぱいありますね」

 

右肩には鉄砲傷だけでなく長良川で受けた矢傷もあり、他にも背中やら脇腹などに小さな傷が所々あった。周りの兵士たちに無傷な者はいないが思うところがあり長頼は腕を抑えて絞り出すように言葉にした。

 

「晃助さまはこれまで前線指揮官として戦っています。一本の矢も飛んで来ないことは無いでしょうが、それでも私たち(へいし)はあの体に傷を作ってはいけないのです。もっと頑張らないと……」

「ええ。私には彼の体に取り返しのつかない傷を負わせた。もっともっと頑張るわ」

 

 

背後から家臣たちに体を見られながらシリアスな決意をされている晃助は持ち込んだ桶の中から木綿の袋を取り出す。中に米ぬかが入っており、この時代の石鹸として使われている。晃助の馴染み深い石鹸は南蛮渡来の品で[シャボン]と呼ばれているが、高すぎるので買っていない。体を洗いながら晃助は隣の広忠に声をかけた。

 

「そういえば、キリシタンになったって?」

「ええ。神様との約束ですから」

「別に神や仏に祈るほどじゃないだろうに」

「ですが僕にはあの時、祈るしかできませんでした」

 

晃助が眠っていた時の話だ。広忠は先日、フロイスの元に向かい洗練を受けたのだ。垢と汗を流し、晃助は一緒に湯に浸かった広忠に洗練と共に送られたであろう名を聞いた。

 

「まぁ俺はどの神を信じようが気にしないがね。洗練名は何て言うんだ?」

「ガラシャです」

「ふぇ!?」

 

とんでもない事を聞いてしまった。ガラシャと言えばそれなりに有名な戦国時代の女性の名前だ。史実の細川忠興の妻であり、明智光秀の娘だ。関ヶ原の戦いが起きる前に石田三成が西軍方の味方を増やそうと諸将の妻子を人質にしようとしたが、彼女は夫の言いつけどおりに家臣に自らを介錯させて(キリスト教では自害は禁止なので)拒んだ。この影響により西軍に味方するものが減り、東軍が有利になったとも言える。この死に際のエピソードが有名だろう。

 

なぜ、吸血鬼気取りの厨二病患者:細川忠興が固執するかの遠因が分かった気がする。だが、ガラシャが男と言うのは少し違和感があり晃助は広忠の体をまじまじと見てしまう。

 

「ガ、ガラシャってどんな意味なんだ? そういうのって意味があるだろう?」

「ガラシャの意味は[神の恵み・神の恩寵]だそうです」

「……そうか。良い名前じゃないか」

 

「神の恵みだと!? 我とは相反する存在ではないか! クッ、これは試練か……いや、神の恵みを受けた者の血を吸うことで我は更なる力を得る! そうだ。これでいこう!!」

「「 静かに!! 」」

 

塀の向こうでキリシタンの広忠とアンチ・クライストの自分との設定をねつ造し騒ぐ白髪の少女がいたが、頼隆と長頼が懸命に抑える。だが、努力も虚しく晃助は異音に気付く。

 

「なんだ。まだ犬がいるのか?」

「ワン」

「一匹にしては騒がしいな。小平見てくれ」

「わかりましたぞ」

 

長頼が素早く声真似をするが、誤魔化しが効かず丁度体を流した小平が晃助に指示されて塀を確認しに行く。頼隆たちはまだ見慣れない髭面の男を探せておらず、目的を達成していない。頼隆は覚悟を決めた。

 

(クッ。今度は私ね)

「にゃ、にゃおーん」

 

(ち、智慧。猫真似が下手です)

(うるさいわね!)

 

「可愛らしくない猫の声だな。きっと犬の方が可愛いだろ」

「ワン。ワンワン」

「にゃお、にゃお」

「やっぱり猫の声に違和感あるな……」

 

警戒を解かない晃助の態度に頼隆は緊張と怒りで顔を赤くする。

 

(晃助……ッ! 覚えておきなさいよ)

「ニャア? ニャ~ン」

「お、合格だな。小平もういいぞ」

 

晃助の判断基準がわからないが、小平を退いてもらった。そこで頼隆は可愛い声を出すのに必死になって、手を丸くして頭の横に掲げていたことに気付き、「コホン」と咳払いをした。

 

(なんなのよアイツ)

(でも、可愛いって言ってもらいました)

 

怒る頼隆と喜ぶ長頼は定勝を探して再び隙間を覗く。広忠と晃助が湯から出て、水で顔を洗っていた。

 

「じゃあ僕はあがりますね」

「そうか。俺もあがるとするか」

 

そう言って広忠と晃助は湯殿から出て行くが、それを見た忠興は。

 

「む。我が伴侶が出て行ってしまう。ムフフ……」

 

体を温めて肌が上気した美少年に目がいって、あろうことか勝手に離れていく。

 

「ちょっと忠興ちゃん!? ああ、行ってしまった……」

「もしかしてあの人ですかね?」

 

大事な撤退手段を無くしてしまったが、風呂の中の人間が減ったことで髭面の男を探しやすくなったのも事実。頼隆は作戦の続行を判断する。その中で見覚えのない後姿を見つけその人物を定勝と断定する。

 

「どの人? 私にも見せて」

「あ、ちょっと。押さないでください」

 

長頼が作った隙間はギリギリ二人が中を覗ける程度のモノだ。それでも秘密の一端を掴むために頼隆は身を乗り出してしまい、二人は僅かな隙間を取り合った。それが幸であり不幸であった。

 

「また動物ですか? しつこいですね。……追い払いましょう」

 

(( !? ))

 

押しあった際に板を押してしまい異音を響かせる。それに気付いた定勝が塀の方へ振り返ったのだ。先ほど小平が言ったように顔の下半が髭で茂っているが、三国志の関羽のような見事な流れ髭ではなく山賊のような毛むくじゃらであった。しかし、無頼のような髭を生やしていても目元や僅かに見える肌の艶から年齢は若いようだ。

 

 

 

「もう十分よ。引き上げるわよ」

「はい。それにしても、もじゃもじゃでしたね」

「ある程度は整えているようだけど毛の量が多いわね。あれで素顔なんていえるのかしら?」

 

定勝がこちらへやってくるのが見え、二人は撤退することにした。見つからないように戻って他の女衆にこの戦果を伝えなければならない。だが、生垣を伝いつつ逃げる少女達の背後より八本の指が伸ばされ、二人の肩を掴んだ。

 

「「 ひっ!? 」」

「こんなところで何やってんだ二人共?」

 

晃助は少女達を掴む手を引き寄せ肩に腕を回す。急に現れた晃助に対し頼隆は冷や汗を流しながらとりあえず言葉を紡ぐ。普段から素行を注意してまわっている自分が覗きをしていた等と知られる訳にはいかない。

 

「き、奇遇ね。お風呂上がりかしら?」

 

話を逸らそうとして気がついた。風に吹かれて鼻孔に入る晃助の匂いが自分たちの風呂上がりとは別の香りがしてくる。何故だか知らないが二人の心臓が早鐘を打ちだした。

 

「ああ、そうだよ。だから俺はここにいるんだ。そんなことより何の毛が多いんだ?」

「あああ、あれは……そう! 犬がいたのよ。とっても毛むくじゃらで南蛮から来た犬かも知れないねって話していたところなのよ!」

「そうなんです! 私達は迷子の猫を探しに来たんですけど、代わりに犬を見つけちゃって」

 

先ほどの声真似を絡めた言い訳を思いつくと長頼が乗ってきた。思案顔をする晃助の様子を見て頼隆は密かにガッツポーズをとる。だが次に晃助の口から出た言葉に表情を凍り付かせた。

 

「犬って俺の右腕にいるアホ可愛い胸の大きい女の子で、猫って俺の左腕にいる口うるさくて胸の小さい女の子か?」

「か……かわっ……!?」

「誰の胸が小さいよ!!」

 

二人は顔を真っ赤にするが、ポニーテールをぴょこんと跳ねさせて固まる長頼とは対照的に頼隆は瞬時に肘を後ろに振るう。晃助は言った時から構えていたようで余裕綽々に肘を躱した。

 

「お前ら俺達の入浴を覗ていたろ?」

「あわわわ、わ、私は……」

「そ、そそそ……そんなわけないでしょう!? あなたではないんだから……」

 

長頼が正直に口走るより先に頼隆は発言を封じようと言葉を重ねる。事実なのだが、晃助の決まったように言う態度が癇に障り思わず言い返してしまった。内心ではよくないと思っているのだが、つい感情的になってしまう。そんな頼隆の眼前に晃助は二本の髪を突きつける。ちょうど自分の白い衣装で黒い髪が映えるように。

 

「さっきそこの塀を見にいったら生垣の枝がいくつか折れていて、誰かが潜んでいたような痕跡があった。そこで見つけたんだが、ちょうどお前たちくらいの長さじゃないか?」

「「 ~~~!? 」」

 

科学調査のできないこの時代では事件の調査は基本的に目撃情報だ。それなのに証拠になりそうな物品を提示しても意味がないかもしれないが、自分たちがやったと確信のある二人は自分たちと同じ長さの髪を見せつけられて進退窮まった。長頼は完全に固まり、頼隆は羞恥心のあまり涙目になる。反応の望めない長頼を放置し晃助は頼隆を追い込む。

 

「さっきまでの威勢はどうした? 違うんだろ? 何か言ってみろよ?」

「な、何が目的よ……?」

「ん?」

「だ、だからっ……この事について……私たちをどうする気……?」

 

罪状を認めながらも頼隆は気丈に言う。だが、涙目で上目になっている為にわかりきった強がりにしか見えていない。晃助はニヤケながら頼隆の頬に手を添える。ピクリと反応するが罪悪感からか逃げるそぶりは見せない。

 

「何? どんな事でもやってくれるの?」

「そ、それは……」

「他の兵が知ったらどうなるだろうなー。いつも素行を注意してくる智慧がこれじゃ何て言うか……もしかしたらこれが免罪符となって女の子が風呂に入っているときに覗きに行っても良しみたいな風潮が……」

「待って! わ、わかったわよ……私に何でも……命令すればいいじゃない……!」

 

涙目を逸らして震える頼隆の言質に晃助は凶悪な笑顔を浮かべる。そして自身の白い衣装の胸元に手を突っ込みごそごそと動かす。

 

「そうか……んじゃ、早速……」

「ちょっ、ちょっとまさかここでっ!? 外よ!? それに彦もいるし、私の覚悟が……」

「ほら」

「……へ?」

 

現実逃避から顔を覆う頼隆の手に何かが叩き付けられる。恐る恐る見てみれば書状だった。呆けていると晃助が晴れ晴れとした笑顔で命令する。

 

「そこに書いてある仕事をやってくれ。それが命令だ」

 

呆然と受け取ったが、視線は書状と晃助の顔を行ったり来たりしている。頼隆はか細い声で思わず確認する。

 

「そ、そんなのでいいの……?」

「だって、仕事が減るんだぜ! サイコーじゃん!」

 

算盤があるとはいえ電卓も無いから計算に頭を使うし、鉛筆と消しゴムが無いので筆で書いたことを間違うと最初から書き直しだ。一番困るのは兵糧などで元にあった分量と使った分量を計算して確認しても数が合わないときだ。合わないのは計算なのか? 保管場所なのか? 誰かが持っていったのか? 追加で誰かが使っても書類を出して来ていないからか? とにかく面倒くさくて嫌なのだ。

 

今、頼隆の手にあるのが、良晴から渡された信奈からの書状なのだが、どうせこれまで何度かあった主筋の織田家に武器・兵糧の備蓄を報告しろとかの仕事だろう。書類の作成にあたり備蓄を確認せねばならない。武田の侵攻に対応するために必要な処置だろうが晃助は面倒を頼隆に押し付けるきっかけとした。

 

「い、いいのね? この書状に書かれた仕事をやったら、皆に言わないのよね?」

「ああ、言わない」

 

頼隆は溜息が吐くが、どこか気落ちするのを感じた。安堵のあまりそう感じるのだろうと自己処理すると書状を広げ仕事を確認する。晃助にはいつも簡単な仕事を回しているのだが、自分の仕事が片付くか心配になる。墨の羅列を読み取って行くと頼隆は一瞬眉を寄せ、直ぐに「フッ」っと笑う。

 

「ねぇ、本当にこの書状に書かれた仕事をするわよ? それでいいのよね?」

「男に二言はない」

「あなた、これを読んだ?」

「いいや?」

 

やけに確認をとると思い、気になって頼隆から書状を返してもらう。

そこには――――。

 

 

 

カラスは紀伊へ向かい雑賀衆を与えられた資金の範囲でできるだけ多く雇うこと。対武田に当てる戦力なんだから時間をかけちゃだめよ。

ただし、この仕事にはあんた自身が必ず行きなさい。家臣を連れて行くのは勿論いいけれど、家臣に任せて怠けようものなら、あんたもサルと一緒に伊勢へ左遷するわ。

資金は旅支度をしたカラスに直接渡すように万千代に言っておくから、必ず出立前に行くこと。

 

織田信奈

 

 

 

晃助は固まった。あだ名の事はもういい。慣れてしまった。そんな事よりも大事なことがある。

 

「はぁあああ!? どう読んでも俺が行くこと確定な文章じゃねえか!?」

「ふふっ。姫さまったら相良どのだけじゃなくて晃助の事もわかってきたみたいね。おかしいわ」

 

先ほどまでとは違う意味で目元に涙を浮かべて頼隆は腹を抱えて笑い出す。馬鹿にされている事がありありと伝わるが、内容を確認しておけば別の事を命じる事ができたのだから自分のミスだ。仕事を減らすことが有意義であったのにこれでは意味がない。

 

「出発は早い方がいいわね。さぁ、帰って支度しましょう」

 

拳を握り唸る晃助の背中を頼隆は押して帰宅を促す。晃助は唸りつつもされるがままで足を動かす。

 

「…………あっ! 晃助さまー! 私の命令はなんですかー!」

 

ようやくフリーズが解けた長頼が遅れながらその後を追って行った。

 

因みに作戦結果について「若いが、髭だらけの男」と女衆に報告した二人だが、「編み笠を盗って、髭を剃る作戦」が企画されることになった。

 

 

 




次回、海斗のその後と紀伊。

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