未来人の選択   作:ホワイト・フラッグ

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奴は出ません。




35.∴「俺は一人でいい」

織田軍が京に逃げ帰って数刻。

 

「織田軍、越前から敗走。総崩れ」

「殿を率いる相良良晴は、未だに帰還せず」

「殿の救援部隊として明智光秀、前田犬千代、松平元康が出発」

「織田信奈は叡山の麓で狙撃され、重篤らしい」

 

京ではさまざまの憶測が飛び交い騒然となっていた。蜂屋頼隆は敗走した織田軍の再編の為に駆り出された千早軍の代表者として信奈が眠る本能寺で丹羽長秀と書類を書き分けていた。負傷者・死亡者の記録。壊滅した部隊の残兵をどこの部隊で戦わせるか、大勢の能吏が働いていた。

 

「長秀さま。こちらの書類は書き終わりました」

「ありがとうございます。これで大方の再編成が叶いました。六十三点」

「出陣ですが、状況は最悪ですね……」

 

織田軍を追撃していた朝倉・浅井軍は京へは攻め入らず、叡山に籠城してしまった。叡山は大勢の高僧を育てた仏教と学問の聖地であったが、数千からなる僧兵を抱える一種の独自国家だ。その僧兵たちは当初は聖地故に集まる人や財産を賊から守る為に集まったのだが、次第に力を持ちすぎ時の権力者達を悩ませてきた存在だ。

 

僧兵・朝倉・浅井は叡山の「女人禁制」の掟を盾に籠城しているのだ。実体はどうあれ叡山は長らく霊的に京の都を守護してきた聖地だ。そこを姫武将を中心にした織田軍が攻め入るのとなれば宗教・霊的に織田家は非難される。

 

「攻めることができない以上は包囲するしかありません。度々奇襲して来る敵は勝家どのに任せて……ああ、これ以上どうすれば……」

 

長秀の采配は堅実ではあるが、状況の打開にいたらない。だが、信奈が動けない今、軍権をもう一人の家老、勝家に任せると突撃玉砕の未来しかない。

 

「私も同じような策しか浮かびません……申し訳ありません」

「いいえ。私も頼隆どのも副将としては及第点なハズです。意見が同じというならば(ふくしょう)の判断は間違っていないということです。四十点」

 

点数が低いのは今必要なのは堅実策ではないからだ。それは頼隆もわかっている。そこへ松永久秀が天下の名物:平蜘蛛を抱えて本能寺へやってくる。

 

「あら、お勤めごくろうさまです」

「久秀どの。今まで何処へ? 大和へ引き上げたと聞きましたが」

「無断ではありませんわ。兵は置いていかようにも編成しても構わないとお伝えしたはず」

 

京に着くなり久秀は確かにそう言って、大和の居城・多聞山城へ向かった。

 

「これを取りに行ったのですわ」

 

そう言って平蜘蛛の中に満たされた秘薬を見せる。その独特な匂いに頼隆は覚えがあった。

 

「夢に関する薬ですか?」

「あら……そういえば、カラスさんもこれを飲んでいるのでしたね」

 

異臭がすると言われ部屋から隔離されたが、さほど強烈でなかったので覚えていた。晃助が飲んで今も目覚めない薬だ。

 

「それで姫さまが助かるのですか? うちの晃助はまだ起きません」

「これはあくまで薬。起きるか起きないかは本人の気力次第ですわ。ですからカラスさんが亡くなっても信奈さまは目覚めるかもしれません」

「ッ!」

「あくまでも、もしものお話。両者共に目覚めることを祈りましょう」

 

そう言い残して久秀は本能寺へ入って行った。長秀は頼隆の肩に触れて気遣う。

 

「晃助どのはあなた達を置いて死ぬような方ではありません。きっと目覚めて下さるはずです」

「……私達? 長秀さまではなく?」

 

頼隆は思わず聞き返した。晃助は長秀に惚れているはずだ。狙っていると過去に言っていたから何かしら好意を伝えているだろうに、そこで自分たちの名前が挙がったことに意外だった。

 

「どうして私の名前が挙がるかわかりませんが、いつも時間を見つけては私のところへ来て『織田家の過去の行政書類を見せてほしい』と言いに来るものですから、理由を聞いたことがあります」

 

どういう事だろう。晃助が長秀の元へ通っていたのは口説き落とす為ではなかったのか?

 

「『他家のやり方を見て千早家で活かせるところはないか知りたい』ですって、戦だけでなく(まつりごと)にも勤勉なよき殿方です。八十四点」

「そんなことを……」

 

行政書類を見に行くことなんて長秀に会うための方便にすぎない。頼隆はそう考え、心配そうに長秀に聞く。

 

「え、えっと、何かこう、……厭らしい事はされませんでしたか!?」

「恋の有無を聞かれたくらいですね。後は、どうしてこの年はこういう水割りをした? この罪人は罪科の割には刑が軽いのは何故? など細かい所を聞かれましたね」

 

長秀はニコニコしながら晃助に教えた事を話していく。その内容はほぼ政治に関わることだった。

 

「ああ、それからよく千早家のお話を伺いますね。あなたの事も良く聞かされました」

「どんなことですか?」

「『頭がいいけど、固いところがあるから、いつも大変だ』ですって」

「あの馬鹿。ロクなことを……」

「『でも、いつも細かい所に気を回して助けてくれる』とも言っておりました」

「む……」

「そんなあなたの負担を減らそうと政を勉強しようとも思ったのかもしれませんね。これは……何点にするかは頼隆どの次第です」

 

長秀はあえて点数を付けなかった。

晃助は美濃動乱で快復した実光を戦時だと見舞わなかったり、後日に出陣が控えているのに一番騒いで宴を盛り上げて配下を労ったりと、何かと意地っ張りなくせに、飛騨征伐では調略に自ら出向いたり、忍びの櫻井を使って諜報や手紙のやり取りをしたりと陰で頑張っている。今回の長秀の話でまたその片鱗を知った。

頼隆は溜息を零した。その意味は彼女にもわからない。けれど――。

 

「起きてくれたら百点です。今は彼に言いたいことがあるので」

「あらあら、満点をあげるとなると褒美が要りますよ。何を差し上げるのですか?」

「そ、それは……」

 

ほんのひと時、二人は気休めに笑った。だが、本能寺から発せられた大号令が二人の表情を引き締めた。

 

「織田信奈さま健在! 叡山を包囲し火を放てとのこと!」

 

 

 

 

 

 

晃助は夢を見ていた。中学の頃の苛められていた時の記憶だ。

男子も女子も関係なく。休み時間、授業中も関係なく遊ばれた。

 

(後ろの大柄な奴は蹴ってくるな)

 

休み時間に廊下を歩いていると三人の男子がたむろしていた。ニヤケながら足首を回して準備運動しているのでそう予想がついた。

 

(来る!?)

 

気配を感じ振り返ると、大柄な男子は跳び蹴りをしてきた。晃助は対応するために蹴り返すが、体格と助走の差で負けてしまい床に倒れる。

 

「うっ」

「なんだよコイツ。蹴り返してきやがったぞ」

「生意気だな」

「お前は廊下を歩くな。這え!」

 

立ち上がろうにも、三人から蹴られる。床についた手を踏まれ、肘を蹴られ、背中を踏まれる。授業の開始を知らせる予冷が鳴るまでそれだ。

 

ボロボロになりながら教室に戻り授業を受けるが、今度は先生が黒板に向いているスキに消しカスを投げてくる。投げてくる奴はわかっているから教科書やノートで防ぐが、制服や髪にカスが乗る。全方位から投げられればそうなる。奴らは晃助の僅かな抵抗を楽しむようにカスを投げ、先生に見つからないようにスリルを楽しんでいる。

 

きっかけは何だったかわからない。たぶん、遊びのために大人しそうな奴を選んだのだろう。周りの生徒は無関心にノートをとったり、怖くて言い出せないでいる。晃助も自分の苛めごときで親に心配をかけたくなかったから先生に言いに行ったりしない。むしろこういう輩はチクられたら後で苛烈に仕返ししてくる。自分の力で乗り越えなければ終わらないのだ。

 

ある日、苛めっ子達に人気の少ない路地裏に連れて来られた。カラオケに行きたいけど金がないからくれだと? 知らん。遊びたいなら自分の小遣いで行け。そう言ったらいつものように殴られた。殴られたり、下らない悪戯をするのはまだ相手してやれる。だが、親が稼いで自分にくれた財産を要求されるのは応じる気になれなかった。男女四人ずつ、計八名。男子が殴り、女子は後ろから晃助が殴られているのを見て笑いながらカバンを漁る。

 

そんな時に一人の苛めっ子が汚い地面に倒れた。

 

「なんだお前!? どこの中学だ!?」

「…………」

 

学ランを着崩した少年だった。襟の校章が違うから隣町の中学生か? 少年は何も言わずに苛めっ子達に殴り掛かる。

 

「ぐっ! お前!?」

「クッソ! ぶちのめせッ!」

「わ、わわわ」

 

突然の乱入者に苛めっ子達は目標を変えた。三人に殴られても動じず反撃する少年に恐れをなしたか、女子たちは逃げようとする。だが待て、そのカバンを置いていけ。

 

「ちょっ!? あんた!」

「助っ人が入ったからといって、調子のンなよ!」

 

カバンを持つ女子の肩を掴み取り返そうとしたところ、別の女子が錆びた棒切れで殴ってきた。そこら辺の古い排水パイプを壊したのだろう。左手で受け止め、右で殴る。顔面に当たり女子はその場で蹲った。

 

「あんた! 女の顔に何すんのよ!?」

 

女の顔? 元からそんなに整っていないし、仮に綺麗だったとしても人の物を盗るような人間の顔を殴ってどうして悪い? 晃助は男女に関係なく盗られた者が、盗った者を殴ったにすぎない。ここで男女の違いを持ち出すのは場違いである。

 

「は、鼻血が……おまえっ!?」

「吠えるな。不細工が」

 

少年が蹲る女子を蹴飛ばす。制服が切られ、血が滲んでいるところを見るにナイフでも使われたのか。いつも晃助を蹴ってくる大柄な男子が立ちあがって少年を後ろから襲おうとしていたので晃助は駆けた。

 

「殺すぞッ! テメェ!!」

「フッザけんなッ!」

 

今までの鬱憤も込めてぶん殴った。綺麗に顔面に拳が入り大柄な男子は完全にのびた。その後、少年と晃助は苛めっ子達を全員殴って、カバンを取り返した。晃助は礼を言おうと振り返ったが。

 

「あんた……ありがtッ!?」

 

後ろから頭を掴まれた。両耳が後頭部に寄るのではないかというくらいの握力だ。意味がわからない。自分を助けるために来てくれたのではないのか?

 

「お前、こいつ等殴っていたよな?」

「!?」

「じゃあ同じだ」

 

瞬間。晃助の体は大きく振り回され、視界も強制的に回る。後頭部の痛みと拘束から解放されたと同時に、コンクリートの壁が迫る。違う。自分が飛びこんでいるのだ。

 

「ガッ!?」

 

晃助は頭から壁にぶち当たる。視界がチカチカし、姿勢を正そうにも頭がメリーゴーランドのようにフラフラする。そもそも立っているのか倒れているのかもわからない。体から温度を感じなくなったが、頭部に冷たいモノが滴る。何気なく手で触れてみると、ベッタリと赤くなった。晃助はそのまま意識を無くした。

 

 

 

「先輩?」

「……!?」

 

聞き慣れた後輩の声で気がついたときには、晃助は道着袴を着ていた。安土に並ぶ六つの的、弓たてに揃えて置かれた数張の弓、小さな神棚。間違いない自分の通い慣れた弓道場だ。中学の頃の話から高校の話へ飛んだことから晃助は夢を見ていたと気付いた。

 

「矢をつがえてから、ずっとそのままでどうかしたんですか?」

「……いや、何でもない。イメージの確認をしていただけだ」

 

まさか射位(しゃい)(道場の矢を射る位置)に入って軽く寝て居たなんて言えない。晃助はそう言っていつものイメージ通りに弓を打ち起こし、引き分けるが。

 

(!?)

 

上手く押せない。弓は馬手(めて)(右手)で引くことばかり注目されがちだが、弓手(ゆんで)(左手)で弓をしっかり押し、体全体で張りを利かして射るモノだ。それなのに晃助の弓手はガクガク震えて的に向かって正しく押せない。仕方ないので力ずくで弓を押し、矢を放つ。

 

矢は自分が狙っていた的を大きく外れ安土の高いところに刺さる。周囲の部員から笑い声が上がる。

 

「何処狙ってんだよ」

「よかったね。上まで飛んでいかなくて」

「危ないですよ。誰かの矢に当たらなくて」

 

ひとしきり皆が笑うと後輩が晃助の手を指さしてこう言う。

 

「まぁしょうがないですよ。そんな手じゃ」

「手……」

 

言われた通りに自分の左手を見ると、薬指と小指が無くなっていた(●●●●●●●)

 

「え……」

 

弓を押すときは、人差し指と親指の間の肉と小指の下の肉で押し。人差し指を除く四本の指で弓自体が落ちないように軽く握る。がっちりと握る必要はないが、晃助の技術では二本の指を無くすことは致命的だった。

 

「そ……んな。いつ、こんな事に……?」

 

 

 

指が三本しかない左手を驚愕の目で見ながら晃助の視界は暗転した。

そこは竹山城の主要館だった。晃助は今度こそ全てを思い出した。タイムスリップし戦国時代で過ごしていたことも、頼隆を庇って銃弾を受けたことまで全部だ。

 

「よう。お帰り」

「誰だお前は」

 

主要館の上座に現代の自分の部屋着、ジャージ姿の晃助が座っていた。自分はこの時代で買った白い衣装だ。

 

「前にも言ったろう? お前の一部にされたモノだ」

 

前回と変わらずふざけた存在だ。形を成したのが自分の姿というのが、なお拍車をかける。

 

「そんな事より左手の痛みは癒えたかい?」

「痛いね。これじゃもう弓を引けない」

 

タイムスリップして現代から持ち込めたものは学ランと携帯くらいだ。未来へ帰るのにどのくらい時間がかかるかわからない中で形ある物は確かな心の拠り所だ。だが、学ランはこの時代の人々に奇怪な目で見られ、携帯は電池が切れて重いだけの金属塊だ。役に立たないので二つは持ち歩けない。

 

だが、弓の技術は現代にいた時から修練してきた自分の力だ。殺しに余計な躊躇いをもっても役に立つ力だった。それが、指と共に消失した。だが、喪失感が薄い。もっと悲しみとか苦悩があると思ったのだが。

 

「そりゃ、暫くの間お前は自らの意思で意識を沈めていたからな。自己保護とでも言うのか? だがおネンネのし過ぎは体を腐らせる。そこで一発ショッキングな夢を見てもらった。どうだ気分は?」

「俺は寝起きが悪い。良いわけないだろう」

 

それに、自己保護が働いても指を無くしたことは変わらない。

 

「良かったじゃないか、これを機に裏方に回れよ。そしたら嫌な戦いから逃げられるぜ? まぁ頼隆にどやされる回数が増えるなぁ」

 

ジャージの男は楽しそうに言う。晃助にとってはそんな発想はあり得ない。

 

「良くねえ! 俺だけ安全な城に居ろだと!?」

「何を言っている? 弓という戦う力を無くしたお前が戦場でどのくらい役に立つ? ああ、いつも通りご立派な作戦を考えることができるかもな。けど、てめぇの作戦にてめぇ自身が危険な目にあわなかった事があったか? いいや。無かったはずだ。戦場なんて自分の命を守れない奴から死んでいく。今のお前はその真っ先に死ぬ奴だろうが、違うか?」

「……ッ!」

 

確かに腕を切られ、武器を持てなくなった兵は攻撃も防御もできず簡単に死んでいった。晃助がこれまでの戦場で生きてこれたのは配下の守護と犠牲が大きくあるが、弓で遠くにいるうちから敵を殺し、自分に寄せ付けなかったからだ。

 

「確かに弓を失ったけど、智慧や彦、他にも信奈の姫さん、長秀姉さんに勝家の突撃大将が戦っているんだ。女ばっかに戦わせて何が男だよ!」

「成程、ここで男女の違いを出すか……だが、そんなモノに囚われることもあるまい。お前が戦場に出ても女達が戦いから退くことは無いだろうに。戦わないことを恥じることは無い。裏方の重要さをお前は知っているハズだ」

 

確かに裏方の仕事は大事だ。必要な武器・食料・薬を用意してやらなければ前線は百パーセントの力を出せない。長期戦になればなるほどその重要性は浮き上がる。その為に必要な金の工面や保管は勿論だが、いくつ必要なのかを調べたりするのは大変な労力だ。

 

裏方も立派な戦いだ。だけど、そうじゃない。

 

「俺は安全な後ろで筆を振り回す気は無い」

「死ぬかもよ?」

「指があろうと、弓が使えようとその事象は回避できない」

「まぁ確かに。でも確率は段違いだ。それでも戦いたいと?」

「そうだ」

 

ジャージの男は突然嬉しそうに嗤い出す。

 

「そうか、そうか。こりゃ良い。『僕の力が無くなった』って泣く泣く引き籠ると思いきや、戦う意思は無くしていないと、嬉しいね、嬉しいね――」

 

ひとしきり嗤いジャージの男は一度大きく息を吸うと、話の核心に入ろうとした。

 

「じゃあ、何のために戦う(●●●●●●●)んだ?」

「?」

「前に言ったはずだぜ。そこまでして戦いたいのだろう? それだけの理由があるはずだ」

 

前回、戦う意味を持たせたいと言っていた。それを示せと言うのだろう。

 

「俺は――――」

 

「ほう。その為に戦場に出たいと?」

「そうだ。そうやって、この世界のふざけた戦を乗り越える」

 

晃助の言葉にジャージの男は何を思ったのか目を細める。予想通りなのか、期待外れなのか、自分と同じ顔をした目の前の存在から考えを読み取ることができない。

 

「本気で言ってるのか? いや、悪くないがそれでは……」

 

男は僅かに寂しさを籠めた音を震わせた。そして。

 

 

 

「ハッハハハ、アハハハ。()いねえ()いねえ()いねえぇハズレ(●●●)だ。だが、立派だ。馬鹿だ。素晴らしい!」

 

腹を抱えて笑いだした。まるで遊びで宝探しをしていた子供が、本当に埋蔵金を掘りあてたように、(たの)しそうに可笑しそうに笑い転げる。

 

「おい。褒めてんのか、貶してんのか分んねえぞ」

「ヒヒヒッ悪い悪い。何だろうなー。この感情を表現するのに上手い例えが……そうだ! 福引でガラガラを回して鼻拭く紙が欲しかったんだが、一等の宇宙旅行当たっちまったー! って感じか?」

「意味わからん」

「うーん。求めていた物と違うけど、目的を達成できるっていうかー。『そう来たか!』みたいなモンだよ。とにかく良かったよかった」

 

ジャージの男は独り言を呟きながら勝手に納得している。晃助はくだらない問答よりも大事なことを聞いた。

 

「……そんな事よりも、どうすれば俺は目覚める? 俺は生きているだろう?」

「そりゃ勿論だ。だけど簡単に出れると思うな。ホラ」

 

ジャージの男は立ちあがると刀を投げつける。晃助は右手で受け取ると、相手はもう一本取り出し抜刀する。

 

「ここを出たければ俺を倒すがいい! ってな感じだ!」

 

晃助は「ああ」と納得すると、抜刀する。

 

「安っぽい展開だな」

「いいんだよ。俺は元より影が薄い存在だろう? ベタな展開でもやって印象強くしなきゃ」

「気にするなよ。薄いまま消えるから」

「ホント舌だけは強いな!」

 

ジャージの男は刀を下段に構えて走り出し、刀を振り上げる。晃助はそれを受け止めると、頭突きを見舞ったが、相手も頭を突きだした。

 

「硬い頭してんな~」

「お前もな、ところで仮にお前が勝ったらどうなる?」

「俺が外の世界へ出て女の子とイチャイチャする」

 

ジャージの男のふざけた発言に晃助は溜息をついた。

 

「俺と同じ顔してなんてこと言いやがる」

「別に大して変わらんだろう?」

 

正直、自分が負けた場合を聞くなどと弱気なことをしてしまったが、(ここ)から出るためだけではなく、コイツを仕留める理由ができた。

 

「同じ顔は二つも要らん。俺は一人でいい」

 

晃助はそう言うと、左手の三本指を固め対面の同じ顔に振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 

信奈は虚ろな目で地図を見ていた。久秀の夢に関する薬で気を持ち直した信奈は意識を取り戻したが、殿部隊戻らずの報に動揺し、そこに救援部隊だった犬千代が戻り相良良晴が配下の命と引き換えに目の前で爆死したこと、土御門の陰陽術により明智光秀が谷底へ落ちてしまったことを告げた。

 

所謂、死亡報告だ。

 

信頼する小姓・犬千代が良晴・光秀両名の死亡を報告したことにより信奈は深い悲しみを負った。そこへ久秀が追加の薬を与え悲しみを抑えたが、愛しい子を守る婦人の如く久秀がその耳に囁いた。「仇は叡山にあり」と。現に殿部隊を追い込んだ浅井・朝倉は叡山に立て籠もり、土御門も入山したという知らせはあった。

 

 

戦で家族を亡くした久秀は奈良の興福寺(こうふくじ)で拾われたが、幼いころから僧兵たちの腐敗ぶりを思い知らされてきた。仏法を盾に人々から金銭を巻き上げ、自分たちは戒律を守らず欲に走る。久秀はそんな僧兵たちを憎んでいた。

 

 

信奈は悲しみを振り払い、代わりに憎しみを抱いた。

 

そして今、織田軍は叡山を完全に包囲し、いつでも火攻めできる状態であった。

 

「さぁ後は信奈さまの御下知で叡山は灰燼に帰します」

「……デアルカ」

 

久秀が信奈に下知を促す。叡山焼き討ちに執拗に反対した勝家、長秀の家老は信奈の本陣から遠い位置に配置された。小姓の犬千代にも頼隆率いる千早勢の中に加わえられるなどの徹底ぶりだ。

 

「ぜんぐ、ん、叡山に、火を……」

 

呂律が回り切らないが信奈が命を降そうとした時、伝令が駆けこむ。

 

「報告! 姉小路勢が山に入りました!」

「なんですって?」

 

久秀が眉を寄せるがそこに姉小路頼綱が現れる。

 

「信奈さま。家臣の独断を謝罪しに参りました」

「みつ……?」

「頼綱どの。独断とはどういうことです!?」

 

久秀は頼綱に厳しく詰問するが、頼綱は涼しい顔で釈明する。

 

「度々、我らを襲撃してきた僧兵……正覚院豪盛(しょうかくいん ごうせい)とやらが、姉小路軍を攻撃してきました。しかし、家臣が勝手に追撃してしまい……」

「直ぐに呼び戻してくださる? このままだと火攻めができませんの」

「ええ勿論、呼び戻すための兵を送っていますが、なにぶんその家臣は血の気が多い(●●●●●●)ゆえ、少々時間がかかります」

 

久秀は奥歯を噛みしめた。頼綱も叡山の焼き討ちに反対していたが陣を離せば良いと考えたのが浅はかだった。友軍が乗り込んだ敵地に火を放つことはできない。ましてや配下の兵士ではなく同盟者の兵だ。焼き討ちを断行すれば味方からの信頼が悪化する。久秀にはあらゆる者から信奈を守り抜く覚悟はあるが、織田家の家臣・同盟者が今すぐ全て敵になれば守り切れるかわからない。

 

「ではどのくらい待てばよろしいの? ご存知の通り今の織田家は多くの敵から狙われ危ういから、こうして手近な敵から倒そうと言うのです。このまま叡山を放置しすぎると中山道を封鎖されたままで姉小路家は飛騨へ帰れませんわよ」

「はい。私としても困っておりまして、あの者は私の命ならば直ぐに聞いてくれるのですが、生憎と叡山は女人禁制。私が直接呼び戻すことは叶いません」

 

頼綱は眉を寄せる。(とぼ)けた様子に久秀が苛立つが。

 

「ただし、その家臣が叡山の中で果てたのならば、焼き討ちなさるが宜しいかと」

「……」

 

笑顔で恐ろしい事を言った。久秀が叡山を焼き討ちできないのは叡山に生きている味方がいるからできないのだ。死んでいれば味方ごと焼いたという事にならない。見殺しにしたと言われるかもしれないが、援軍については男の指揮官が少ないので送れないし、何よりその家臣は独断で動いたのだ。責められる(いわ)れはない。

 

「成程、清水寺に続き小賢しいですわね」

「なんの事でしょう? では失礼します」

 

頼綱は軽くお辞儀をしながら本陣を出て行く。久秀は本陣の机を叩いた。その音に信奈は目を丸くする。

 

「だん、じょう……?」

「ご心配は要りませんわ。全てこの弾正にお任せください」

「う、ん……」

 

久秀はわが子を宥めるように信奈を抱く。独断で動いた兵が戻るか、死ぬまでの時間だが、この戦の流れは頼綱が握ったも同然だ。

 

 

 

本陣から出ると長近が頼綱を迎えた。

 

「どうでしたか?」

「上手くいったわ」

「良かった。しかし思いきりましたね」

 

家臣が勝手に追撃したなど嘘だ。頼綱自身が海斗に命じたのだ。

 

「堕落して見えても叡山には信仰を集める高僧がいるわ。その人達ごと焼いてしまえば世は今川幕府に石を投げるわ。できるだけ穏便な交渉で話を落とさなきゃだめ」

 

叡山は長らく日ノ本の聖地として知られているが、遠国の人々は僧兵たちの堕落を知らないのだ。焼き払えば今川幕府は日ノ本中から敵となる。海斗の出撃は先延ばし案に過ぎないが、何としてでも焼き討ちをさせてはならない。

 

「もっとも、彼は正覚院率いる僧兵たちの襲撃に対してカンカンに怒っていましたね」

「そうね。もしかしたら私が命じなくても勝手に飛び出したかもしれないわね」

 

女性指揮官の多い今川幕府は叡山の女人禁制により攻め入ることができない。下級の男性指揮官だけで攻めれば叡山に篭る浅井・朝倉軍に負ける。こうして叡山を包囲し火攻めをすると喧伝しても「聖地を攻撃できるはずがない」と高を括る。

 

だから頼綱は海斗を解き放った。

 

織田家に火攻めをさせないこともあるが、叡山に篭る僧兵達に攻撃の意思があることを、この攻め入りが失敗すれば火を放つというメッセージを籠めて海斗の出陣を許可した。

 

「今川幕府を支えている盟主は織田家よ。姉小路(わたしたち)はそれに賛同して同盟しているわ。けっして織田家の家臣になったわけではない」

「はい。同盟者としてある程度動きに自由があります。それは松平家も同じなのですが……」

 

本当はこうして姉小路家が時間を稼いでいる間に松平家には近江を攻めて欲しいところだ。そうすれば本拠を襲われたとして浅井家を叡山から引きずりだせる。もしかしたら幽閉されていると思われる浅井長政を救えるかもしれない。だが、松平元康は犬千代と共に戻ったと同時に兵を連れて何処かへ行ってしまった。

 

「もし、敵の本拠地を攻めているならば良いのですが、海斗どのがいつまでもつか……」

「そうね……」

 

驚異的な戦闘力を持つ海斗ならば簡単にはやられないだろう。問題は――。

 

「危なくなったらちゃんと逃げる。約束を守ってくれるといいのだけれど……」

 

 

 

 

 

 

「あっガッ」

「なんて奴だ……」

「だがここまでよ」

 

「クッ……」

 

海斗は叡山の中で僧兵達に囲まれていた。付いてきた姉小路兵とは、はぐれた。海斗が突出しすぎたのだ。

 

「そこの侍。なかなかやるではないか!」

 

巨漢の荒法師・正覚院豪盛は巨大な金棒を振り回し海斗の槍を打ち合いながら、僧兵を指揮し彼を追いつめる。

 

「見直したぞ。昨今の武家は女人を大将に頂くような軟弱な風潮を振りかざしておる。武士とは男がやるモノじゃ」

「男だろうが女だろうが役割は変わらねェだろうが」

 

海斗が産まれた現代では職業に男女の制限は少なかった。雇用や給料でまだまだ差はあったが、それでも女性は結婚する相手を己で選び子育てする事も、社会で働く選択もできた。

 

だからこそ海斗は男女に関係なく武士をすればいいと思うが、戦をする者を殺す。

 

「何を言うか。武門の頭領はたくましき肉体を誇る(おのこ)でなければ勤まらぬわ!」

「たくましい肉体か……織田家の突撃大将に散々に負かされて山に引き返す肉塊がよく言うぜ」

「あれは女人とは疑わしき者よ。あの者もお主の後でワシが成仏させてくれる。かかれ!」

 

豪盛の号令で僧兵達が飛び掛かる。先ほど奪った槍で一番近い敵を刺す。すると死に体となった僧兵は槍を掴んで息絶えた。これでは左から来る僧兵に対処できない。海斗は舌打ちと共に槍を手放し素手で僧兵の槍を逸らす。槍を逸らされた僧兵は槍を手放すと海斗に組みついた。

組みついた僧兵を膝蹴りで悶絶させるが、僅かに足の動きをとられた。その隙をついて豪盛が金棒を海斗に振るう。

 

「チィッ!」

「隙ありじゃ!」

「ガッ……!」

 

辛うじて黒い槍を体と金棒の間に入れることで威力を抑えたが、数間吹き飛ばされ木に叩き付けられる。木に背中を預けながらゆっくりとだが立ち上がる。喉から込み上げてきた血を唾と共に吐き出し、周囲の僧兵を睨みつける。

 

「散々に手こずらせてくれたが、ここまでじゃな」

「馬鹿言うなよ。まだまだ余裕だっつーの……」

 

海斗は強がってみせるが、あばら骨を折られていた。体を捻るたびに痛みが走り、満足な行動がとれない。負傷し、味方はいない。足元は山の斜面なので戦い慣れていない。

清水寺の変事では松永兵に囲まれたが、雑兵だらけなのでなんとかなった。だが、今回は正覚院豪盛という猛者がいる。僧兵達が作った隙を豪盛がその怪力で金棒を操り攻撃してくる。彼一人もしくは僧兵達のみならば海斗は勝てる自信があったが、今回は分が悪い。

 

「粋がりおって。後で念仏を唱えてやるゆへ、成仏せよ」

 

豪盛が金棒を引きづりながら、海斗に近づいて行く。

 

成仏? 死ぬ?

 

あり得ない。まだ何も終わらせてはいない。謀反を起こした浅井久政も、それに手を貸している朝倉も。特に叡山は意味のわからない仏法を唱えながら戦に加担している。海斗に信仰はないが、仏教とは人が幸せに生きれるようにご高説を垂れるモノではないか? それが酔漢どもが暴れ回るための方便になり下がっている。

 

そうだ。気に入らないモノを全て壊していないのに死ねない。

 

「念仏なんていらねェンだよ。気に入らない奴らの首を全部背負って地獄まで歩いて行ってやる」

 

だから。

 

「久政を出せ。じゃねぇと殺すぞ豚肉野郎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△△△――――

 

黒化(ニグレド)の準備は整いつつあるな……」

「他四色は途上。一番遅れているのは翠化(ウィリディタス)ですよ」

「私としてもびっくりよね」

「何としてでも間に合わせろ。素体と道具はいくらか替えが利くが、肝心の核が用を成さなくては意味がない」

 

 

 

 

 

 




アイツのAAには()がつきます。


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