晃助は櫻井文から報告を聞いていた。
「北から佐藤某が率いる二千、南から千早善基が率いる二千五百が攻めて来るようです」
「やっぱり善基どのが攻めてくるか~……しかも大将で? しかし、佐藤は二千? その倍くらいいると思ったけどな~」
報告を聞く晃助はふ~んとばかりに余裕だった。
その様子に頼隆は心配になって主に声をかける。
「晃助、随分余裕そうですけど本当に大丈夫なの?」
「う~ん……想定していたよりも数が少ないし、焼石に水かもしれないけど外では堀と柵を増設しているし、なんとかなるかもな」
竹山城南側に広がる森の前に堀と柵を巡らせることで急造の陣を構築している。
北側の関所を兼ねた砦には頼隆に任せている。
ちなみに兵の振り分けは、竹山城の後詰に百、晃助のいる南に三百、頼隆の砦に九百だ。
初めは頼隆は自分がそれ程の兵を連れて行って大丈夫なのかと晃助に確認してきた。
「こちらには防衛設備が整っています。野戦になるそちらに多くの兵を回したほうが……」
「いいんだよ。むしろそっちは防衛設備と兵数だけで守ることになるから反って申し訳ないくらいだ」
「なにか策が?」
「上手くいったらこの籠城戦が楽になるけど、失敗したら南から城が陥落するヤバいのがある」
晃助が笑いながら答えるので、頼隆は怒りながら、
「真面目にしなさい! もっと安全な策は無いの?」
「じゃあ頼隆は南をどう守る?」
頼隆は少し考えて。
「森の地形を活かして少数の兵で大軍をかく乱します」
「そしたら相手はどうする?」
「……森を迂回するか、森を焼くかと……」
「その後はどうやって守る?」
「竹山城で篭城をするしかないですね」
「その通りだけど竹山城は防御力が低いので、できるだけ多くの準備をしたいわけです。わかったらそっちを通すなよ」
そう言いながら晃助は南の陣へ向かった。
「全く緊張しているのかと思いきや随分とふざけているわね」
「そうでもないですよ」
頼隆の不満に長頼が答える。
「晃助さまはとても気負っています。たぶん周りにそれを悟らせないようにあえてお気楽に振る舞っているんだと思います」
確かに総大将が戦う前から弱気になれば付いて行く兵は不安になり士気が下がる。
逆にどんな劣勢でも勝てると思い込ませれば兵は素晴らしい活躍を見せてくれる、晃助はそれを実践しようとしているのだ。
頼隆は晃助の振る舞いに感心すると同時に長頼の観察眼に感心した。
「それにしても彦、よく晃助の様子がわかるわね?」
「だって私は晃助さま一の家臣ですよ。簡単にわかりますよ……時々ですけど」
長頼は苦笑いと共に言った。
彼女にとって晃助は自身の出世を助ける良き上司であると同時に未来の知識を教えてくれる憧れの存在なのだ。もっとも彼女は教えられた内容を一割も覚えられないが、算数ができない彼女は今後も晃助に算盤を習うであろう。
そんな尊敬する人物とはできるだけ長く一緒にいてたくさんのことを学びたいのだろう、晃助の小さな機微を察することもそこから来ている。
頼隆は少しだけ長頼の立場がうらやましくなった。
竹山城南―――――
千早善基は何度目かの溜息と共に馬を進める。
長良川の動乱では、義龍に理があると思いながら結局は静観することにした。
兄ほどではないが、善元は道三に忠義と義理を感じていたからだ。
だが、分家で兄の千早実光が道三に加勢してしまい、今では新たな主君のとなった義龍に身内の始末をつけろと命じられた。
こんなことなら兄に本家の当主として一言命令すればよかった。
身内で争うとは乱世の習い。
善元にそのことはあまり気にならない。
だが、勝っても褒美を得られない戦い、ましてやこの征伐軍の責任者が佐藤某ということが億劫だった。
善元は武功で身を立てた人物だ。
佐藤某や斎藤飛騨守のような義龍のご機嫌を取るような佞臣を嫌っている。
どうせこの戦も奴らの点数稼ぎなのだと思うと虚しくなる。
「なんだあれは?」
善基は森の前に広がる粗末な陣を見つけて言った。
申し訳程度に並べられた柵、脛ほどの高さしかない土塁、防衛陣としては酷いものだからだ。
陣内にいる兵も二百人程度しかいない、戦えばこちらが勝つだろう。
「父上、敵の陣が見えました。私に先鋒の誉れを」
息子の
血気に逸るな! そう怒鳴ろうと思った。
如何なる戦において先鋒は名誉だ。
戦は将棋と違い一手一手を代りばんこで打たない、判断と実行が可能ならば相手が一手打つ間にこちらが三手でも五手でも打てる。
無論相手も同じだ。
両者が目まぐるしく判断・指示すれば戦場では様々な戦果と損害がでる。
誰かが何人倒した、誰かが有名な将を倒した、誰かが仲間を助けた。
誰かが死んだ、誰かが逃げた、誰かが寝返った。
そんな戦場という場で将は部下の手柄を知り、戦後に正当に褒美を与えねばならない。
つまり、最初に敵に向かい最初に死ぬかもしれない先鋒はよっぽど酷い失敗をしなければ
自分は虚しさのあまりこんなにも戦に集中出来ていなかったことを気づき気を引き締めなおした。
この戦が身内の恥を雪ぐ意味を持つのならば手柄を挙げねばならない、いささか頼りなさがあるが善国も立派な千早の将なのだ。
本家の手柄のために先鋒を許すことにした。
「……よかろう五百を預ける」
「はっ、有難き幸せ! では」
「そんな、私に……」
「身内贔屓ではないか」
「そうだ! 私が先鋒を……」
二千五百の内、千五百は千早本家の兵で残りの千は義龍に適当に付けられた与力だ。
彼らも中立を保った身でこのような反乱者の討伐のために働かされると弁えていたのだろう、義龍に許してもらおうと士気が高い。
当然、我こそが先鋒をという声も多かったが。
「これは我らの身内の不始末を清算する戦である!」
と黙らせた。
だが善基にも彼らの望みがわからないわけではない。
忠誠を示すために手柄が欲しいが、初戦の相手があの程度の数しかいないということは今後の活躍の機会が期待できない。
城を囲うだけで義龍が自分たちを許すか不安なのだ。
「では行くぞー!」
「「「 おおお!! 」」」
善国の隊が敵に向かって行った。
「来たな」
晃助が陣の中で矢を運んでいるときに敵が攻めて来た。
「どれ……ああやっぱり、あいつか」
目をこらして見ると予想した通り、千早善国が馬に乗ってこちらに挑んでくる。
どうせ身内の恥とかそういう理由だろう。
頼隆に聞いていた通り善国は気位が高いようだ。
分家のとはいえ千早の家に逆賊の汚名を着せたこちらを自らの手で始末しようと向かってくるだろう。
南の将が善基と聞いたときから、この展開が予想できた。
「槍隊は柵の後ろに! 弓隊はその後ろに! 早く整列しろ!」
晃助は応戦しようと指示を出す。
今までなじみの足軽一組と比べると人数は多いが、声が届いているようで兵はすぐに配置に着いた。
「弓! 構え!」
号令のもと弓兵が矢をつがえる。
「狙え……放て!」
射程距離に入ってきた敵に矢の一斉射を浴びせる。
できる奴は刀や槍で弾いたり、避けたりしたが、数人が肩や膝に矢を受けて脱落した。
弓で削り切れるわけなく、すぐに柵を挟んでの槍の応酬となった。
馬への対策は単純に槍を並べるだけでも効果はあったが、柵を挟ませることによって兵の恐怖心を和らげる効果がある。
「弓兵! 次の矢、構え!」
柵の前で槍兵が敵を食い止めている間に弓兵に二の矢を準備させる。
「味方に当てない、それだけ狙えばいい! 放て!」
二の矢は空に向かって放つ。
弓矢は鉄砲に比べると威力・射程が劣るが、安価で大量に用意できて、なによりも。
「ぐぁ」
「くっ、っ、!? うぁ」
「くっ、矢が……うぐっ!? 不覚……」
弧を書いて飛ぶことが特徴だ。
空に向かって放てば、味方の頭上、柵を飛び越え、その先にいる敵に当たる。
善国の兵はなにもできずに矢を受けたり、躱そうとするが避けきれずに受ける者、空から降ってくる矢に気を取られ槍で刺される者など、成果が出ている。
だが、
「小賢しい真似を! 押しつぶせ!」
兵数が足りない、土塁や柵はあくまで時間稼ぎでしかなく、足が鈍っている間に敵を倒せればそれらを十分に生かせたが、矢は威力が低い。
軽装の足軽はそれで十分だが、鎧を着こんだ兵にはあまり効果がない。
鎧の隙間に刺さり腕を怪我すれば刀を振るう攻撃力を、膝ならば機動力を奪えるが、戦える。
とにかく晃助は群がる敵を押しのけようと必死に叫ぶ。
時折自ら弓を引き鎧武者の首に矢を送る。
他の兵にも精密射撃で鎧の隙間を攻撃させればいいではないか、晃助は考えたが撤回した。
人にも得て不得手がある、全ての兵に刀・槍・弓の訓練はされるが、それは戦えるようにするためだ。
刀は受けて組み伏せて首を刈るため、槍は相手と間合いをとって近づけないため、弓は矢を遠くに飛ばすため、その為に訓練する。
組み伏せるのに刀だけを使うわけでない、足で転ばせてもいい。
間合いを取れればいい、それで敵を必ずしも斃さなくてもいい。
矢を遠くに飛ばせばいい、的に近ければそれだけ実戦で当てられる。
つまり、全員が晃助のように鎧の隙間を狙えないのだ。
できないことをさせてはだめだ。
それが命取りになるかもしれない。
ならばこのまま愚直に次から次へと押し寄せる敵にひたすら斉射したほうがいい。
斉射も無駄ではない、こちらは仕掛けている側だが、相手からしたらどうだろう。
無数の矢が空から自分に向かって降ってくるのだ。
死の恐怖
少なくとも晃助は恐ろしくなって身動きができなくなって死ぬだろう。
(それをこいつら……素晴らしい勇気だ。怖いよ。称賛するよ)
前回の初陣は奇襲、相手がほとんど慌てていてこちらが一方的に斃していく。
抵抗する兵はいたがすぐに全兵撤退となった。
だが今は、真っ向勝負だ。
「矢が少ない! 補充しろ!
槍隊は交代! 二番隊は前へ!
負傷者は後方へ! 大丈夫だ傷は浅い! 女に看病してもらう必要はないぞ!」
恐怖を感じながらも晃助は持ち前の状況判断で指示を出していく。
指示だけでなく、兵を励ますためにちょっとした軽口をたたけるくらいだ。
戦闘開始から数十分が経過した。
「善基どの先鋒だけでは突破できないようですぞ!」
「左様、われらにも進軍許可を」
「最悪ご子息が討ち死にしますぞ」
「わかった、許可する。敵陣を攻撃せよ」
「「「 は! 」」」
遂に後詰の部隊が攻撃参加してきた。
その数は千、先鋒の五百をいくらか削ったが、こちらも死傷者がでて残り百四十といったところだが、よくもったほうだ。
「撤退! 撤退だ! 速やかに陣を放棄せよ!」
こちらはただでさえ少ない兵が減り、疲れている。
戦いにならないそう判断して晃助は軍を背後の森に撤退させた。
敵は追撃してくる。
やっと攻撃の許可が出たのだ、後詰の将達は森の中に軍を走らせる。
数名の味方が追い付かれそうになった。
「ひひひ、死ね!」
「はぁ、はぁ、くそぉ」
その時。
「あぐ!?」
「げ!?」
木の上から矢が飛んできて敵兵が倒れていく。
「はぁ、助かったよ」
「おうよ! お疲れさん、こっからは任せてくれ!」
別の木からも矢が飛び、敵を斃していく。
そう、事前に伏せていた百の兵が撤退支援のために援護しているのだ。
別の場所では。
「ヘルプ! ヘルプ!」
「なんだ今の?」
逃げていく兵がよくわからない言葉を言いながら逃げてく。
敵兵が不思議に思いながら追いかけると、茂みから伏兵が出てきた。
「うお!?」
「合言葉かー!」
合言葉に気付いた兵はそれを生かすことなく死んでいった。
合言葉に気付いた兵にも実践しようとする者がいた。
「確かこうだな、へるぷ! へるぷ!」
「おお、そうだ。 けど何かのことわざかな?」
「そんなのどうでもいいんだよ、へるぷ! へるぷ!」
「でも、どこに敵がいるんだろうな?」
「あ」
試してみたが合言葉の取り決めを知らなければ意味がなかった。
千早善国は森の中で追撃していた。だが、流石に退き時だと考えていた。
自分は何度かこの地を訪れたことがあったので迷うことはないが、他の将はそうではない、迷ったところを各個撃破される恐れがある。
しかし、このまま追撃をしたくもあった。
「くっそお、確か指揮官はあの風来坊だぞ、絶対にこの手で……」
「俺はここだぜ」
拳を握りしめていると件の少年が目の前に現れた。
千早晃助、叔父である実光が養子に迎えた危険な人物。
千早晃助、先ほどの戦で指揮を執っていた人物。
千早晃助、大胆不敵にも一人で自分の前に立つ人物。
「晃助! 貴様と頼隆が千早家を……お前達のような養子が千早家に仇をなしたのだ!」
「どういう理屈だよ」
「聞いたぞ、佐藤どのの軍を邪魔して、道三どのを討たせまいとしたな」
「なんだそりゃ? そんなつもりねえぞ」
「ほざけ! そのせいで今、本家は佐藤なんぞの指揮下で戦わねばならんのだ! あのような佞臣にッ!」
晃助にはよくわからないが、本家の意思とは別で動く分家が許せないようだ。
確かに分家―――実光―――の都合であの戦に途中参加したが、こちらも譲れない目的の元に行動したのだ。
多少は申し訳なく思っているが、今の戦いも覚悟の上で挑んでいるのだ。
ここで死ぬわけにも負けるわけにもいかない。
だから―――――
「いろいろ苦労してるみたいだけど、まぁ頑張れよ!」」
「な!? 貴様! 逃げるな!」
晃助は背を向けて逃げ出した。
善国は馬の腹を蹴り追いかけるが、木が深く茂っていて馬の早さが生かせない。
それでも憎き相手、小隊指揮を執っていた手柄首を求めてひた駆ける。
少し進んでいると木の密度が薄くなってきて、前を駆ける白体に追いつきつつある。
いける、善国はそう確信し腰の刀を抜く。
その奇行は突然だった。
晃助は木の幹から低い位置に伸びている枝に飛び掴み、その勢いで幅跳びをした。
およそ一間三尺(2.7メートル)を飛んだが着地に失敗し背中を地につけた。
晃助が身を起こした際にその肩があった場所になにか違和感があった。
晃助の肩に落ち葉が沢山ついている? その下には木の枝が多いような?
善国とその配下はすぐにその理由を知った。
「「「 うおぁ!? 」」」
視界が揺れた。
馬に跨ることで高い位置にあった視線が普段の高さへ、腰ほどの高さへ、そしてそれより低く、
〔落とし穴〕
罠の中でも特に有名で、子供たちが安易な気持ちで行ういたずらだ。
穴を掘りその上に薄い板や多量の枝などで塞ぎ、土や枯葉などで偽装するだけで簡単にできる。
簡単なため多種多様な工夫もできる。
「ぺっぺっ、泥まみれじゃねえか!?」
「やーい、引っかかったなー!」
大人の男が首まで浸かる深さに掘られた穴の中身は水で満たされており、その水も底に沈まないように且つ浸かったときに体や衣服にまとわりつき不快にさせるような絶妙な加減に泥になっていた。
なぜならこの穴が塞がれたのはつい先ほどだからだ。
その仕掛け人はというと、
「兄さま~!」
「お帰りあんちゃん!」
「どうだった? 私たちの泥んこ」
「いつもあんちゃんが落ちてるやつだから、すごいでしょ!」
「上出来だぜ、なな! クソガキ共!」
晃助が森を走り抜けた先では義妹が町の子供たちと大きく手を振っていた。
そう、普段から様々な遊びをしている子供たちが泥を作ったのだ。
度々ななを探しに行ってはこの悪ガキ共が作った穴に落とされたりしているのだ。
―――「町や村の子供たちと遊んでいたり、ななが城から抜け出したりした時も、城下の人達に無理やり聞き出す訳でもなく、頭を下げて心当たりがないか聞いて回るからみんな貴方を慕っているわ」―――
昨晩、頼隆が言っていたが、晃助はもう一度心の中で言う。
俺は遊ばれていたんだ!
だから今回ガキ共の余計な技を少しでも有効活用してやったのだ。
何度かはまった経験から知っているが、ガキ共の作る泥はとにかく不快だ。
そこにあれ程の深さの穴に落ちて、鎧を着ているのだから、這い上がるのに時間がいる。
その穴を作ったのは、
「幼女がいっぱいだ! もう、最高だぜ!」
「楽園はここにある!」
「泥にまみれた幼女を拭き拭きしたい!」
「それは……!? ゴクリ」
「ハァハァ」
このアホ集団が作ってくれた。
面倒だ、なな親衛隊にしよう。
城の兵士たちの今回の仕事は突貫工事で城の防御力を少しでも上げることで、親衛隊は夜の間に城の前に即席の堀を掘り、そこで出た土でこれまた即席の土塁を作ること、更に朝には森の手前に穴を掘る仕事だった。
他の城の兵士たちは柵を作り立てていくこと、つまり親衛隊は徹夜で作業していたのである。
およそ五十人の変態共を働かせたのは彼らの愛(露璃魂)だった。
なにも知らせずに親衛隊の面子を集め、夜の作業をさせ、明け方になってから。
「森の入り口入ってすぐの場所だけど、深い穴掘ってくれ」
「大将、俺達は夜の作業したんですから休ませてくださいよ」
「そうですよ、くたびれて動けねえよ」
「朝にななちゃんと会うためにもう寝たいですよー」
当然の反発があったが、
「その穴はな、朝にななと町のガキ共が泥遊びするんだけどなー、深ーーーく掘ってくれた人にお礼したいって言ってたなー」
その一言で疲れた労働者たちは益荒男になった。
「やります!」
「ななちゃんが遊ぶ穴は俺達以外に誰が掘れるってんだ!」
「それに町の子供たちだと! ……幼女がいっぱい」
「「「 ゴクリ……いい!!! 」」」
「行くぞ皆!」
「「「 おおお!!! 」」」
かくして低賃金で最大の働きをする愛の労働者が動いたのであった。
彼らはせっせと穴を掘り、なな達が来ると、泥を作るための水を城の井戸から汲んで走った。
だが、彼らの掘った穴は大きすぎて先ほど晃助が起き上がる際に少しだけ肩で踏んでしまったほどだ。
長くなったがこの罠は時間稼ぎだ。
善国を殺したければ、穴の底に竹槍でも植えればいいし、確実を期すならば、穴に落ちた奴を囲んで串刺しにすればよい。
目的は撤退の時間稼ぎと仕掛けだ。
「四番隊、帰還しました」
「六番隊、同じく、これで前衛は撤兵完了です」
「支援部隊も撤兵完了です」
部隊の報告が次々と来る、一番隊と二番隊の死傷者の数も報告され、最後に長頼が来る。
彼女には今回一番重要な仕掛けを命じていた。
「晃助さま、よく無事で」
「ああ、森への仕掛けは?」
「ばっちりです!」
「よし! 祭りの始まりだ!」
生存兵の撤退、仕掛けの完了と共に晃助は合図をだすと森から火があがった。
「なんと!?」
千早善基は呻いていた。
追撃を中止し一度軍を整えようと伝令を出したばかりだが、諸将が戻るより前に森から火があがる。
〔火計〕
三国志の呉の将、陸遜が有名だが、この時代ではあの織田信長が有名だろう。
とにかく火をつけて、敵兵をまるっと焼く戦法である。
日本では主に攻城戦に使われることが多かったが、野戦で使われたことは少ない。
それは自分が支配する土地を焼けば、森林資源がなくなるからだ。
敵地でも、相手を滅ぼした後に森林がなければ困るのは自分だ。
未来では廃れたがこの時代はまだ、里山を利用した営みが続いている。
そのため民の生活を脅かすような火計は下策なのだが、千早善基は瞠目した。
相手は使って来た。
焼ける森から火だるまになった兵がわめきながらこちらに走ってくる。
だが、大きな水場が無い、どうしようもないのだが、火だるまは仲間に助けを求めて寄ってくる。
本隊の兵士たちは自分に火が移らないように逃げ回る。 火だるまは追いかける。
そんな死の追いかけっこがあちこちで展開される。
民に優しかったあの実光が鬼になったか、あるいは使わないと高を括る自分が甘かったのか、善元は空を仰いだ。
森の前に陣を張ったのは森を迂回させないため戦闘を行い、撤退するときにこうして有効活用するため。
先を見れば下策だが、今このときを考えればこちらの大損害だ。
善基率いる一千の本隊は健在だが、第二陣の与力衆、先鋒の善国はこの火に焼かれ大損害だ。
半数以上の兵が失われた。 もう攻めるどころではない、配下の兵は火だるまになった仲間を見て怯え、もう戦えない。
「なにをしている! 土をかけて火を消せ!」
水が無くても土をかけることで消火は可能だ。
命じてもなかなか動かない配下に舌打ちをしながら、善基は馬から降り、輸送隊の荷物から鎧や食料を入れてある箱から蓋を外し、蓋で土を掘りそれを火だるまにかける。
主君の行動に配下は弾かれたように動き出す。
仲間に蓋を配りながら、火だるまに土をかける。
火の消えた兵士から引きずって馬に乗せて水のある場所まで運ぶ。
できる限りの救助をする。
そんな中に全身を火傷した義龍の与力がいた。
彼らは善基に感謝すると、水場まで運ばれていった。
「これ以上攻められん撤退!」
大方救助がすんだところで撤退した。
分家の尻拭いと思いきや、恥の上塗りだ。
これから義龍は分家のみならず、本家を、もはや千早家を信用しないだろう。
善基は息子が戻って来なかったことと、自分がなにもできなかったことを悔やんだ。
「うわぁーーー!」
千早善国は火に追われていた。
配下と共に小賢しい落とし穴から這い出ると、森中が燃えているではないか、来た道はもう火で塞がれているので前に逃げるしかなかった。
だが当然、
「よっ! さっきぶり」
「貴様!」
晃助が弓兵・槍兵を配置して待ち構えていた。
「貴様はなにをしたかわかってるのか!? 城下の森を焼きおって、民の暮らしをなんと心得る!」
「お前が、民の暮らしに気をやっているとは驚きだね」
晃助は真剣に驚いていた。
自分が見た印象と頼隆から聞いた印象では善基は粗暴な輩だと思っていたからだ。
「馬鹿にするな!」
「まぁ怒んなよ、俺だって考えて火を放ったぞ。 町や村に近いところ、撤退するときに通らない、つまり戦場にならない場所はあらかじめ木を切り倒して燃え広がらないようにしたし、迎え火も今やっている」
確かに自分が穴に落ちた場所は木が茂っていなかった。 切り株もいくつか見つけた。 背後の森を見れば別の場所から新たに火があがった。
〔迎え火〕
山火事などで火が広がる前に予め火を放ち、加勢が到達する前に燃えるものを全てなくし、火事を消す方法だが、やり方を間違えれば、更なる大火事になる危険な消火方法だ。
善国が森を見て呆けていると、晃助が口を開いた。
「降伏しろ、これ以上殺したくない」
「誰が降伏などするか! ここで切腹してやる!」
「降伏してくれた方が本家の千早家は生き残ることができるぞ」
「なんだと!?」
降伏を拒み刀を逆手に持ち直した善国に晃助は説得を施す。
「実はもうお前が降伏したと義龍側に流言を流した。これでお前が自害しても善基どのは逆賊になった。数日後には茂呂城も囲まれるよ。」
善国は驚いた表情をした。
今は勿論嘘だが、いずれそうするから、そのうち現実になる。
「もしそのまま茂呂城が陥落し善基どのが討ち死にすれば本家は断絶、あぁお前が今死んだらな。
故に選べと、
「降伏して
説得というより脅迫だな、晃助は内心自分の行動に苦笑するが、それでも俺達が生きるには必要と断じ、迷う善国に促す。
「時間が無いのはそちらだ。こちらは結論を急がん、だから武装解除して捕虜になれ、牢の中で頭冷やして考えろ」
そう言って配下に善国達を拘束させる。
南側の初戦はここに勝利となった。
戦って難しい。
あと千早善基さんを〔織田信長公の野望〕のパラメーターで表すと、上杉の小島さんや、柳生さん等、とりあえず武勇特化型の部将です。