一発ネタですが、おまけ付いてます。
説明するより、読んでもらった方が早いかと。
「それで、何なんだ、話って」
塔矢アキラ棋聖、王座に向かって、ため口をきく業界関係者は限られている。同じ門下の兄弟子か、同じレベルの棋力を持つ棋士だけである。
実力がものを言う業界、たとえ年上であろうと先輩であろうと、塔矢二冠に対しては敬語になるのが普通だ。
「ここではちょっと。場所を移さないか」
さらに塔矢アキラがため口で返す相手は、たった一人に限定される。
これは彼の性格によるもので、目下の相手にも敬語{年上に対してはきちんとした敬語と謙譲語、同年輩か年下になら丁寧語と、完璧に使いこなす達人レベルの日本語}を崩さない。
いや、崩せないと言うべきか。
「ああ、いいぜ」
気楽に答えたのは、進藤ヒカル名人、本因坊、天元、三冠。
自他共に認める塔矢アキラのライバルで、しかも同い年という、ため口同士の条件をクリアする唯一の人物だ。
実力のほどは拮抗の一言。この二人がタイトル戦を争うことは、すでに日常茶飯事と化している。囲碁界では勿論のこと、一般社会でも知る人ぞ知る有名人だ。
囲碁は年配者の趣味というイメージを吹き飛ばし、若い世代に知的なゲームとして浸透させた二人の功績は、業界にとって計り知れないものがある。
そんな二人が日本棋院の玄関先で立ち話をすれば、目立つことこの上ない。
近くの喫茶店(さすがにマックは卒業した)に行こうとしたのを、もっと遠くの方がいいと言われて、進藤ヒカルはおやっと聞き返した。
「なんだ、碁盤のあるところが良いのか。碁会所でも行くか」
別に珍しいことではない。その立場からすれば呆れるほど気楽に、二人は町中の碁会所を利用していた。
「いや、話があるんだ。そこではギャラリーがついてしまうだろう」
金の掛かる碁会所まで足を運ぼうという熱心な囲碁愛好家が、この二人の対局を見逃すはずがない。そはもう、黒山の人だかり。
二人にとっては当たり前のことで、今更緊張したりしない。大ホールでの公開対局やテレビで完全生中継されるタイトル戦に比べれば、微笑ましいくらいだ。
「珍しいな、込み入った話か。喫茶店では駄目だってんなら」
「ああ、その………」
言いよどむ塔矢アキラに、進藤ヒカルは、ほんっと珍しい!と思った。
そろって高額所得者の二人が選んだ店は、ごくごく庶民的な居酒屋だった。
小上がりの座敷で食事重視のメニューを頼み、ビールと日本酒を二つずつ。足を崩して気楽な飲み食いを始めた………のは、進藤一人だった。
塔矢はというと、きちんと正座したまま、これから対局を始めるような真剣な顔付だ。
「おい、今日はどうしたんだよ。話があるなら話してみろよ」
「実は……実はだ、結婚を考えているんだが」
進藤の箸が止まった。目が真ん丸のに見開かれる。
「へえ、良かったじゃないか。お前、ずーっと浮いた話無かったもんな。それで、相手はいるのか」
「もちろん、ただ、その………」
照れてる塔矢アキラという、めったに見られないものを目の前にして、進藤は密かに感心してしまった。
前からモテまくってたくせに嫌になるほど奥手で、ひょっとしたら一生独身かこいつと他人事ながら心配していた塔矢が本気で恋しているんだ。これを応援してやらなくてどーするよ。頑張れ塔矢、俺がついてるぞ!
「なんだ、片思いなのか。お前その顔でその収入だろ、背だって高いし、本気でアタックすれば可能性高いって」
女は結婚となるとすっげー現実的だしな。まあ、ちょっと歳くってるけど、それだってそう珍しくない。最近はこれくらいの独身男なんて、ゴロゴロしてるし。
「彼女は、僕のこと好きだって言ってくれている。結婚だって彼女から言い出したんだ。だけど、その………」
「はぁ? 女の方からプロポーズか。積極的だなー。んで? お前、結婚ためらう理由あんのか。考えてるってことはお前もまんざらじゃねぇんだろ。そろそろ身を固めた方が良いんじゃねぇの」
面白がってけしかける進藤に、塔矢は緊張した面持ちで切り出した。
「だけど、彼女はまだ未成年で学生だし」
「ええーっ、高校生か」
さすがに驚いた。まさか塔矢がロリコンなんてことは………。
「違う、大学生だ!」
慌てて訂正する塔矢に、進藤はだったら問題ないじゃんと笑った。
「俺んときは大変だったからなー。あかり、まだ高三でさ。俺も若かったし、結局できちゃった婚、今は授かり婚だっけ、幼馴染で親同士もご近所でよく知ってるし、仕方ないかでOKもらった口だからな。
子供が生まれるのが先か俺が十八になって婚姻届け出せるのが先か、焦りまくったからなー。まあ、俺は曲がりなりにも社会人で収入あったし、あかりには一年休学させて悪かったよ」
その時のことは塔矢も好く覚えている。今だからこそ笑って話せるが、当時は周囲を巻き込んでの大騒動だった。
だからこそ慎重にしたいんだと言われれば、身に覚えの有り過ぎる進藤としては、うなずくしかない。
「せめて、大学を卒業するまでは待った方が良いと思っている」
「卒業って来年か。あれ、未成年って言ってたよな」
「四年後だ」
「四年って………」
「おい、お前、自分がいつくか分かってんのか」
「当たり前だ、君と同い年だぞ」
それはそうだ。
「だけどそれじゃ、いくらなんでも待ち過ぎだって。長すぎた春ってのは、十分破談の理由になっちまうんだぞ。結婚なんて勢いだよ、勢い。親父さんにも孫の顔見せてやりたいだろ。お前一人っ子でおまけに親父さん歳食ってからの子供なんだから、親孝行してやれよ」
かつての五冠、引退したとは言え、現代の最強棋士と言われている囲碁界の重鎮、塔矢行洋を親父さん呼ばわりできるのは、進藤だけだ。
ある意味、塔矢アキラとため口をきくより凄いことかも知れない。
「しかし、彼女は十八だし………」
「大丈夫だって。俺に比べりゃ充分セーフだ。相手の親御さんには俺のこと話して良いから。なんなら、俺の口から説明しようか」
「………良いのか」
「もちろんだって。良いに決まってんだろ」
そう断言された塔矢が次に取った行動は、進藤を唖然とさせるものだった。
何を思ったか、座ったまま後ろに下がると座布団を外し、畳に正座して両手をついたのだ。
「お父さん、お嬢さんを僕にください」
進藤ヒカル三十六歳は、硬直状態から解除されるまでに、十五分を要したという。
無論、対局での長考に慣れている塔矢が、その程度待たされたところで何の痛痒も感じない。
「ちょ、ちょっと待て」
「何だ」
すっかり落ち着きを取り戻した塔矢は、もういつも通りに見えた。
その開き直ったとしか見えない様子が、進藤の神経を逆なでした。自然、口調がとげとげしくなる。
「お前な、あいつはまだ十八なんだぞ」
「君に比べれば、充分セーフだな」
「そ、それは……」
言ったばかりの自分のセリフを否定するのはさすがに………。
良かれ悪しかれ、大人の分別を身に着けてしまった進藤である。
「僕も良い歳だし、父に孫の顔を見せてやりたいしな」
「………」
「それに結婚は勢いだろう。このまま、ゴールインしたい。卒業まで待っていれば、長すぎた春になってしまうしね」
ぐいぐいとヨセてくる塔矢に、進藤はグウの音も出ない。
とは言え、このままスンナリと娘を渡してしまうのは面白くない。多少の意趣返しは、娘をさらって行かれる父親の当然の権利というものだ。
「あのな、塔矢、あいつは一人娘だ。つまり、進藤家の跡取りだ。嫁に出すわけにはいかないな」
アキラは一人っ子、それも偉大な父を継いだ業界のサラブレッドだ。さぞかし慌てることだろう。
実に効果的な反撃だと、進藤はニンマリした。
ところがだ。
「それなら問題ない」
すっきり爽やかな顔で即答して、塔矢はこの日二度目の爆弾発言をかましてくれた。
「僕が進藤のところに婿養子に入れば良いだけだ。進藤アキラ、悪くはないだろう」
「む、婿って、婿養子ィ~~」
素っ頓狂な声を出した進藤は、完全に塔矢のペースに乗せられていた。
「塔矢の名を捨てたところで、僕は僕だ。一向に構わないよ。ああ、対局の時は少し混乱するかも知れないな。進藤義父、進藤義息子とか言われるかも知れないか」
いかにも人の悪い笑顔で言われて、つい、想像してしまった。途端に鳥肌が立つ。
「………お前、今、先の尖ったシッポが見えたぞ。塔矢を通称にしとけば済む話だろう。って言うか、止めてくれ、俺がお前の親父さんに恨まれるだろーが!」
「それは無いと思う。そもそも父だって、婿養子で塔矢の家に入ったんだ。母が一人娘だったから」
さらりと言われた意外な経緯に、今日何度目かの驚愕を覚えて、進藤は間の抜けた声を出した。
「はあ~~、そりゃまた………」
「何代も続いた家業というならともかく、囲碁棋士としての塔矢家は父が初代だしな。別にこだわる必要は無いと思う。そもそも僕は、一度も棋士になれと言われたことが無いんだ」
「へ? そんなものなのか?」
毎朝、朝食前に一局打つのが塔矢親子の日課だったというのは、囲碁界の常識になっている。
幼児にプロ棋士が指導碁を打つのだ。誰もが将来を見越した英才教育だと思うだろう。
「ああ、子供のころから囲碁を仕込まれたけど、他に子供とどう接すれば良いのか分からなかっただけだと思っている。父は、囲碁以外ではどうしようもないほど不器用で、気の利かない人だから」
その遠慮の無さは身内だからこそだろう。
「そ、そっか~~。お前も苦労したんだな。そっか~~」
今更ながらに呟いて、思わず同情モードになってしまう進藤だった。
「あーもー、分かった。娘はやる。だから、ちゃんと人並みの幸せってやつを掴め。それともう一つ。
いいか、子供ができたら、自分から覚えたいって言うまで、絶対に囲碁を教えるんじゃないぞ。本人の自主性を尊重しろ。これが絶対条件だからな。わかったな」
「良いのか」
「んなもん、あいつからプロポーズしたんだろ。俺がいくら反対したって無駄ってもんさ。まあ、幸せになればそれで良い」
相手がお前なら安心して任せられるしなと続けて、進藤は飲み食いを再開した。塔矢も、ようやく座りなおして箸をつける。
あとは和やかな会食が続いたのだが、塔矢の別れ際の一言で、進藤はまた頭を抱えることになった。
「子供ができたら、君はお祖父さんになるんだな。僕の父とは祖父同士というわけだ。ウチの縁側で孫談義に花を咲かせるようになるかも知れないね」
おまけ
産院に駆け付けたのは、進藤が最初だった。
「パパ、パパ」
だんだん強くなる陣痛に脂汗を流す娘の手をとって、進藤は大丈夫だと励まし続けた。分娩室に移動するのは、陣痛の間隔が一分になってからと説明を受けながら、しっかり寄り添っている。
その姿はどう見ても仲の良い夫婦。ベテラン看護婦たちは、微笑ましく見守っていた。
ところがそこへ、第二の男が登場。
「すまん、遅くなった」
「まったくだ。キッチリ勝ってきたんだろうな。産まれてくるのはお前の子だぞ。父親になるんだからしっかりしろよ」
『ちょっとちょっと、あれって、亭主と間男になるの?』
『なんか、間男さんの方が貫録あるし、年上だよね。もしかして妻を上司に差し出したなんて不倫なの?』
『やっだー、ただれてるー』
『でも旦那さん、態度大きいわよ、部下にしては』
『そりゃそうよ。いくら上司でも間男は間男。旦那さんの方が態度でかくて当たり前でしょ』
幸いにして、不穏な会話が男性陣の耳に入ることは無かったという。
めでたし、めでたし。
絵文字
笑っていただければ幸いです。