冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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皆様、お久しぶりです。


第44話 顰めっ面な彼女

 どこからか、妖精の笑い声が聞こえた気がした。

 ……なんて、メルヘンな物言い。

 きっとそれは、花粉が舞い散っているが故に。

 

 冬眠明けの動物達に混じって、羽を生やした小人が行進し始める季節。

 積雪した小雪を押しのけ、地面に顔を出し始める若葉を見た時、人は何を思うのか。

 感動、などといえば行き過ぎているけれど、儚そうにみえたモノが、実は強かであったなんて事に笑うかもしれない。

 そんなモノを見ると、軽くダンスでもしたくなる気分で、鼻歌交じりに素敵な歌を口ずさむかもしれない。

 要するに、浮かれる季節がやって来た。

 即ち、芽生えの春の季節。

 暦で言うところの三月、まだ寒さは抜けきっていないけれども、何処か太陽に活力を与える魔力が宿り始める時期。

 どこかで、素敵な事に出会いそうな予感がした――

 

 

 

 

 

「……」

 

「…………」

 

「………………」

 

「……………………」

 

「…………………………」

 

「………………………………」

 

 それは、活気の溢れる深山町の商店街で。

 まだ肌寒さが残りつつも、陽の光で喧騒と活気を生み出している現場の一角。

 買い物の帰りに、メディアと凛にたい焼きでも買っていこうかとお店に寄った時の事。

 何故だか、そのたい焼き屋に、異様なまでに浮いている風景が浮かび上がっていたのだ。

 別に、お店が変だとか、たい焼きの変な味が発売されているとか、そういう訳ではない。

 ただ、そこにいた買い物客が、おかしな事に白いメイド服を着ていただけである。

 その場で、彼女と私の視線が、交わっていた……。

 

「……何か、御用で?」

 

 嫌な静寂を私達の周りだけが包んでいた中、先に痺れを切らした方はメイドの方だった。

 嫌なモノを、嫌な人に見られてしまったかの様な顔が、何とも味わい深い。

 口調も正に、文句があるなら蜂の巣にして差し上げますのでどうぞ、といった風情がある。

 尤も、公然の魔術行使を施すほど、このメイドも常識知らずではないのだが。

 

「たい焼きを買いに来たの」

 

「そうですか、それでは私は関係無いのですね」

 

「えぇ、そうね」

 

 無表情ながら、忌々しそうな気配を隠しもない。

 用事があって探してたのならばまだ格好はつくかもしれないけれど、最早この状況では偶然を憎むしかないのだから。

 尤も、偶然以前に私に対して悪意を向けられそうな勢いだけれど。

 

「でも、丁度良い機会ね。

 良かったら、少しお話できる?」

 

「お断りします」

 

 なんだこいつは、と訝しげを通り越して変態を蔑むかのような視線で、彼女は私を見ていた。

 訴訟も辞さない行為である、到底許されるべき事ではない。

 けれども、そんな湧き上がる気持ちを抑えつつ、急だったけれど、と続けて言葉を紡ぐ。

 

「前からもう少し、貴女の事を知りたかったの。

 色々と印象深い分、記憶にも残っているもの」

 

 折角の機会でもあるから、とややゴリ押し気味に話を進める。

 実際に、今まで嫌われているお陰か、取り付く島もなくあしらわれて来たのだ。

 もうこの時を逃せば、このメイドと話し合える機会なんて早々訪れる事はないだろう。

 だったら、という事である。

 上手く仲良くなれれば、イリヤの事でも便宜を取り計らってもらえるかも、という下心もなきにしもあらず。

 ただ、そんな私の考えなんて知る由もない彼女は、本気で意味不明な生物と出会ったかのように私を見ていた。

 観察している、が表現的にはより正しいのかもしれない。

 

「何か?」

 

「……理解不能で絶句していたところです」

 

 何の謀略だ、言え、と彼女の目が語っていた。

 魔術師故に、権謀術数はお手の物とでも思っているのか。

 もしそうならば、もう少しばかり私も嘘を吐き慣れた方が良いのかもしれない。

 そうでなくとも、元よりそういう方面には弱いからつけこまれやすいのだ。

 まぁ、今はそういう事は必要としないし、むしろ誤解を解くところから始めなくてはならないのだけれど。

 

「残念ながら、単に仲良くなりたいだけよ。

 強いて言うなら、イリヤとのパイプを強化しておきたいってところかしら」

 

「それを聞いて、やすやすと応じるとでも思っているのですか?」

 

「思ってるわ、だってイリヤにとっても楽しい事だもの」

 

「……私は、今はお嬢様の従者ではありません。

 アインツベルンと貴女の連絡役です。

 その観点から、貴女の話を聞く価値など微塵も見出すことが出来ません」

 

 何処か恨みがましい声で、彼女はそう答えた。

 恐らくは、ここしばらく日本に滞在する事となって、イリヤのお付を解任されてしまった事を恨んでのことか。

 だとしたら、私としても謝るしかないのだけれど、今謝れば取り逃がすことになるから、それは後回し。

 逆に、私は少し意地の悪い事を言い出していた。

 

「その手に持っているのは?」

 

「……たい焼きですが」

 

「貴女はたい焼きを食べながら、職務を遂行するの?」

 

「今は休憩時間です、何ら問題はありません」

 

「だったら、別に私とお茶をするのも、問題ないんじゃなくて?」

 

「それは……」

 

 揚げ足取り全開で告げると、すごく嫌そうな顔を彼女はしていた。

 正直なところ、穴だらけで直ぐにでも反論できる意見である。

 実際、顔にありありと、貴女が好きではないのですよ、言わせるつもりですか……と書いてある。

 書いてあるけれど、でも敢えて知らないフリをして、ねぇ、とせっつく。

 答えは? と嫌らしく尋ねながら。

 私は一つだけ、仮定だけれど勝算を見出していたから強気で。

 

「ねぇ、一つ聞いていいかしら?」

 

「……何でしょう」

 

「今こうして私と話すのは、公事かしら、それとも私事?」

 

「……公事、です」

 

 勝った、思わず口角が上がるのを自覚する。

 そうなのである。

 何故かこのメイドは、私と距離を取って常にアインツベルンのメイドとして接する様に心掛けているのだ。

 何故なのか、私が気に入らないのか単に距離を取りたい人種なのかは分からない。

 しかし、私としてもこのままいびられ続けたり、あしらわれ続けるのは面白くない。

 何より、アインツベルンのメイドは造形が美しいのだ。

 それだけで、多少気に入らなくても、仲良くしたいと思わずにはいられない。

 だから、こうして一々構おうとしてしまう。

 

 苦々しげな顔をしている彼女の顔を、改めてまじまじと眺める。

 髪は頭巾に隠れて見えないが、知性を称えている赤い目は鋭く、シャープな顔立ちは怜悧さを際立たせている様に感じられる。

 あまりに整い過ぎていて、けれどもそれが自然だと思わせられる。

 ホムンクルスとは、実に不可思議に満ちていた。

 

「別に、貴女達の拠点に上がり込もうなんて図々しい事は考えてないわ。

 ただ、そこらの喫茶店でも良いから、私を歓待してもらえたら嬉しいわね」

 

「招かざる客には、武具を持って持て成すのが流儀です。

 お立会を所望なされますか?」

 

「野蛮なイメージを持たれるわよ。

 余裕を持って優雅たれ、家訓で遠坂の家に負けてるけれど良いのかしら?」

 

「何て厚顔無恥な」

 

 最後、彼女の呟きが本当に小声だけれど、神経を尖らせていた為に聞こえてしまっていた。

 それに私は、凛に猫の着方を教えてもらったもの、なんて冗談めかしながら胸を張っていた。

 無論、口には出さない礼儀というものは、私にもあるからダンマリを決め込んでいたけれど。

 

「…………良いでしょう、分かりました」

 

 本当に、心の底から御免こうむると言わんばかりの声を出して、彼女は私を睨みつけていた。

 そして、掛けられた呪いを返す様に、嫌々とその言葉を口にする。

 

「私の貴重な休みの時間を、貴女に割く事と致します。

 貴女は、私の休みを削っていると自覚して、粛々と事を済ませてください」

 

「ねぇ、茶飲み話なのだけれど」

 

「いいえ、接待です」

 

 苦々しげに吐き捨てる彼女に、そんな接待は無いと言いそうになる。

 が、元々が私が原因なのだから、そう言わせたようなもの。

 これ以上は藪蛇になる為に、笑顔で返事をするだけに留まった。

 

「ありがとう、フフッ」

 

「笑われるとは、なんという屈辱……」

 

「そういう意味で、哂っているのではないわ」

 

「同じ事です」

 

 もうそれ以上、話をするのも忌々しいと言わんばかりに、彼女は歩き始める。

 付いていかないと、このまま振り切られてしまうかもしれない。

 なので、肩を竦めつつ、私もそれについていって。

 早歩き気味の彼女の後ろ、そのやや斜めの位置をキープする。

 そうして、暫く歩いた店の先で、彼女は足を止めた。

 

 

 

 そこは、普通の喫茶店というには些か古びた、手入れがあまり行き届いていないお店。

 深山商店街の裏通りにあるそのお店は、大抵の人が寄り付かない場所であろう。

 彼女は、そのお店に容赦なく足を踏み入れる。

 一瞬だけ躊躇するも、迷いのない彼女の足取りは確かなお店の証明だろうと割り切り、私もそれに続く。

 

 足を踏み入れた店内だが、僅かに薄暗く、日当たりは余り良くなかった。

 電気は付いているが、その主張はささやかなもの。

 僅かに居る客も、本などは読まずポータブルCDと呼ばれている音楽プレイヤーを、イヤホンなんかで聞いていたりする。

 または、小声で雑談など、独特な雰囲気がこの場所にはあった。

 まるで、幼い頃に出来心で作ってしまった秘密基地の様な。

 

 尤も、私としては、他人の秘密基地に招待された気分ではあるけれど。

 嗅ぎなれていない匂いの中に、微かに紅茶が香る。

 くすぐったく感じるのは、それが好きな匂いだからか。

 メイドがテーブルに着いたのに続いて、私も椅子に座る。

 ヒンヤリとした椅子の感覚が、どこか心地良かった。

 

「それで――」

 

 しかし、他人から冷ややかに接せられるのは、全くもって望まぬところ。

 今は、致し方ない事にしても。

 そう考えて、メイドの顔を真っ直ぐに見る。

 無表情に見えて、表情豊かな無愛想を。

 

「注文は、私が致します。

 異論は無論、受け付けておりません」

 

「……そうね、貴女のお勧めをお願いするわ」

 

 メニュー表を真剣に眺めながらの、有無を言わさぬ言葉。

 しかし、一応接待という名義なのだから、彼女が為すがままというのも悪くないかと思えて。

 彼女がどんなものを注文するのかという好奇心が、ワクワクといった感覚と一緒に湧いてくる。

 一体どんなお菓子が出てくるのか、これではまるで食いしん坊ね、と自分に笑いながら。

 

「お決まりで?」

 

「はい」

 

 短く返事をすると、ジッとメニュー表を見ながら彼女はマスターを呼ぶ。

 彼女の、分かりやすくキビキビとした声がその場に響いた。

 

「ケーキセットを一つ、飲み物は紅茶で」

 

「以上で?」

 

「はい」

 

 反射的に彼女の方を向くと、彼女もまた私を見ていた。

 そして、臆面もなくこんな事を言うのだ。

 

「形だけですが、接待ですので。

 同じ席での食事は頂けません」

 

「店にとっては、貴女もお客よ」

 

「使うテーブルは一つだけですので、一人でも二人でも変わりはありません」

 

「気になるでしょう、私が」

 

「でしたら、早々に召し上がってご帰宅なされるが宜しいでしょう」

 

 幾つか言葉を交わしても、立て板に水といった感じに返され、彼女は折れることがない。

 結局、妥協という名の敗北を喫した私は、やや不機嫌顔でケーキセットが来るのを待ち続ける事になったのだった。

 

 

 

 

 

「……」

 

「…………」

 

「…………ちょっと」

 

 シットリとしたスポンジのケーキ、生クリームにコクがありまろやかな味わい。

 そうして甘くなった口を、紅茶の味が慰める様に優しく包んでいく。

 それは良い、とても当たりのお店だと私も思う。

 だが、それでもこんな状況では、美味しいけれども楽しめない。

 沈黙が、こんなにも重いのだから。

 

「何か喋ったりしないのかしら?」

 

「必要ありませんので」

 

「私が必要に感じているのよ」

 

「迷惑です」

 

 彼女は一瞬の迷いもなく、一刀両断に私の言葉を断ち切った。

 そして、それ以上の言葉もなく、仏頂面で私を見つめている。

 急かす様に、揺れる事なく、ただ私を見つめて……。

 それで、ようやく理解する。

 これが、彼女なりの当て付けである事を。 

 

 気まずいでしょう、そうでしょう。

 だったら、成すべき事は分かりますね? という事だろう。

 全く持って、性格が悪いとしか言い様がない。

 連れ込んだ私のせいだと言われればそれまでだが、だとしても良い様にやられっぱなしというのは面白さの欠片もない。

 むしろ、どうにかしてやり返したくなってくる。

 ”目には目を、歯に歯を”は、正しく私の性格と合致しているのだ。

 だから、そのどうにかを考えなくてはいけないのだけれど……。

 

 無言の合間、ケーキを口に運ぶ間に彼女の顔を盗み見る。

 基本、私を見ていて目が合って睨み合いが発生するのだけど、時折彼女の視線が逸れている事がある。

 それがどこにかというと……。

 

「ん」

 

 パクリと、ケーキをまた一口食べる。

 まろやかで、コクのある味。

 食べ過ぎると、体重計のお世話になる事が請負であるそれ。

 そのケーキに、彼女は惑わされる事がある様だ。

 しかも、面白くなさげに、私を睨んでくるのが何とも露骨で。

 

「えぇ、美味しい、美味しいわ」

 

 わざとらしく、彼女に聞こえる様に呟いた。

 大きな声ではないけれど、この店は静かなので私の声は良く彼女に届く。

 結果、ピクリと彼女は反応した。

 青筋がオデコに走ったのは、決して何かの見間違いではない。

 恐らく、”この女……”と思っている事だろう。

 元々、彼女なりに厳選したであろう店なのだ。

 自分が食べないと課している状況で、わざわざ煽られれば腹は立つだろう。

 

 でも、お陰で反応は確かめられた。

 これは、ゴリ押しならば通せる。

 少なくとも、食べ物に罪が無い事を知っているだろうから。

 

「マスター、同じセットをもう一つお願いできる?」

 

 私の問いに、彼は僅かに目を細めて、頷いてから行動を始めた。

 ただ、それに対して目を剥いたのは、私の目の前に座っている彼女。

 その目が、何してるのだと露骨に訴えている。

 

「何の真似ですか?」

 

「美味くて、つい衝動的に頼んでしまったわ。

 でも、二つ食べると確実に増えるわね、体重」

 

「人間の浅ましさですね、限度を知らないと言う事は」

 

「そうね、だから反省したわ。

 私の代わりに、貴女が食べなさい」

 

 そう言うと、彼女は露骨に、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに顔を顰めた。

 わざとらしすぎるのもそうだし、私の行為そのものが幼稚に過ぎるから。

 でも、だからといって引き下がるつもりはない。

 彼女が喜ぶと思ってやった訳ではなく、文字通り意趣返しそのものなのだから。

 屈辱に悶えながらケーキを食べてみなさい、といった具合に。

 

「馬鹿にしているのですか?」

 

「とても食べれそうにないの、えぇ。

 完璧に作られている貴女達は、リソースを無駄にしたりしないわよね?」

 

「……茶番を」

 

「そうね、でも付き合ってもらうわ。

 何があっても、私はケーキに手を付ける事は無いもの」

 

 彼女は半ば吐き捨てる様に言葉を吐いたが、決して届けられるケーキは粗雑に扱われる事はないだろう。

 好きだからこそ、接待なんて名目でここに連れてきてくれたのだから。

 言わば、卑怯な事だけれど、人質ならぬ物質(ものじち)を取ったも同然なのだ。

 そう、今の私は、最高に魔術師をしていた……。

 

 

 

 

「…………」

 

「………………」

 

「……………………」

 

「…………………………私を辱める事が出来て、そんなに嬉しいのですか」

 

「見つめているだけでその言い様、酷いと思わない?」

 

「恥を知りなさい」

 

 新たなケーキのセットが運ばれてきて少し、迷う手つきでフォークを手にした彼女は明らかに渋い顔をしていた。

 運んできたマスターに、絶対零度の視線を向けるなどしていたといえば、彼女の様子は分かるだろう。

 

「……何を勝手な事をしているのですか」

 

「顔が苦そうだったから、砂糖が足りてないと思って」

 

「ですから、何を勝手に私の紅茶に砂糖を放り込んでいるのですか!」

 

「角砂糖を三つだから、きっと虫歯になるほど甘いわ」

 

「私の紅茶は蟻の餌で十分だ、と」

 

「人生渋そうに生きているみたいだから、紅茶くらい甘くても良いじゃない」

 

「そう見えるのなら、九割がた貴女のせいだと自覚して頂きたいものですね」

 

「甘い紅茶はそんなにお嫌い?」

 

「甘いケーキに甘い紅茶、センスが欠片もありません」

 

 品性を疑います、と顔を顰めて言う彼女に、そんなに喜んでもらえて嬉しいわと返事をして、僅かに笑みを浮かべた。

 こんな内容だけれど、確かに会話として話が成立しているのだから。

 さっきまでとの雰囲気とは大違い、思わずニンマリしてしまうのも仕方ない事なのだ。

 

「してやったり、とでも思ってるのですか」

 

「そうね、でも砂糖は女の子の血液なの。

 たまには過多に取っても、問題はないのよ」

 

「貴女の将来が楽しみですね」

 

「そうね、麗しき人形師として名を馳せているわ」

 

「既に厚顔な様で」

 

 吐き捨てる様に言うと、彼女は持っていたフォークをケーキに入れ、そのまま口に運ぶ。

 私と喋っているよりも、その方が建設的だと言わんばかりに。

 きっとそれが、彼女の可愛げなのね、と思うと悪い笑みが浮かびそうになってしまう。

 その表情が、僅かに柔らかくなったのが、更にそれを加速させる。

 もしかしたら、私は性格が悪いのかもしれない。

 

「何でしょうか、先程から不躾な視線を感じますが」

 

「美味しいわね、と思っただけよ」

 

「……今の言葉で、味がしなくなりました」

 

「お砂糖、まだいるの?」

 

「巫山戯た真似をしたら、本家に帰らせていただきます」

 

 殺意の篭った真顔での言葉に、私は微笑みながら角砂糖を引っ込めた。

 嫌がって饒舌になる彼女は見たいけれど、嫌われたくなどない。

 悪巫山戯も、加減を知らないと嫌な奴になってしまうのだ。

 匙加減の難しさが、何とも困りもの。

 構ってくれるからといって、好きな娘にちょっかいを掛ける男の子にはなりたい訳ではないのだから。

 

 でも、沈黙に支配されている方が好きかと言えば違う。 

 なので、今まで気になっていた事を聞いてみようと思った。

 そのせいで、更に彼女が口を閉ざしてしまうかもしれないけれど、分からないままというのは何ともモヤモヤしてしまうものなのだ。

 

「ねぇ、今まで気になっていたの。

 だから一方的に聞くけれど、言いたくなかったら答えなくても良いわ。

 ケーキが美味しいのだもの、聞き逃す事だってあるはずだから」

 

 答えはなく、彼女はケーキを食べ続けていた。

 促す訳でもなく、拒絶する訳でもなく、沈黙。

 所謂無視とも判断出来るけれど、彼女の場合は喋りたかったら喋れという事だろう。

 このメイドは、NOと言えるメイドなのだから(場合によりけりだけれど)。

 

「それで、質問というよりは、一方的に話すのだけれど。

 ……貴女は、私の事が気に入らない、そうよね」

 

 話を切り出して、彼女の顔を覗いた。

 するとそこには、特に色はなく、今更ですかと言わんばかりの呆れ顔があって。

 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、ケーキを口に運んでいた。

 

「理由は細かく上げれば幾つかあるけれど、一番大きなモノはイリヤに余計な事を吹き込む悪い虫だから。

 ”朱に交われば赤くなる”、この国の諺らしいけれど、けだし名言ね。

 ご尤もと言わざるを得ないわ」

 

「……ようやく、戯けた世間話から本題に入ったと思ったら、わざわざ自虐をなさりに来たのですか?」

 

 赤い瞳が、僅かに細められていた。

 前置きは良い、さっさと言えという無言の圧力を感じる。

 きっと、ミステリー小説の探偵にイライラしてしまうタイプなのだろう。

 まぁ、わざわざ無理矢理付き合わせれて、勿体ぶられたら怒るのも分からなくはない。

 もう少しばかり、余裕を持っても良い気はするけれど。

 

「そう……そうね。

 それなら、結論から先に言う事にするわ」

 

 一口、紅茶で口を落ち着けてから、口を開いた。

 つまりは、と結論を言う為に。

 

「仲良くなりたいの、貴女と」

 

 本当に結論だけ、その間の思考を放置し提示した。

 こうして言うと、中々に気恥ずかしいわね、なんて考えながら。

 チラリと、彼女へ視線を向ける。

 

「…………………………」

 

 渋い顔だった、まるで煮詰まった茶葉でも食べさせられたかの様な。

 ここまで露骨に嫌がられると、逆に一周して面白くも感じる。

 愉快かどうかは、隣に置いておくとして。

 

「すごい顔ね」

 

「誰の、せいだと思ってるのですかっ」

 

「誰のせいでもないの、これは仕方がない事だから」

 

「訳の分からない事を。

 明らかに、他の誰でもなく、貴女です!」

 

「そう、にらめっこの最中だったかしら。

 面白いけれど、綺麗なお顔が台無しよ。

 だから、もうちょっと柔らかく、ね」

 

「喧嘩を売り歩く商売をしていらっしゃる様で。

 残念ながら、堪忍袋の緒が切れてしまいそうです」

 

「それなら、理由を聞いて貰っても宜しい?

 聞いたら、もう少し寛大な気持ちになれるかもしれないわよ」

 

「何をどう聞いても、怒りの感情を持て余す事になりそうですが……。

 まぁ、良いでしょう」

 

 恐ろしく不服げではあるが、話が進まないのは更に御免だと考えている様で。

 素早く、手短にお話し頂けると幸いです、と彼女は私を促した。

 ふぅ、と僅かに息を吐いて、私も話し始める。

 何故、どうして、という事を、出来るだけ簡素に。

 

「イリヤとね、話がしたいの。

 勿論、こうして会って楽しくっていうのは無理だと分かっているわ。

 だったら、どうすれば良いか。

 それを考えて、一つ思いついたのよ。

 そうだ、手紙を出そうって」

 

 僅かに、彼女の眉が動いた。

 明らかに、この女……とでも思ってそうな視線も感じて。

 でも、怯んだらその時点で負け、彼女にそっぽを向かれて終わってしまうだろう。

 故に、そのまま私は話を続けた。

 

「勿論、アインツベルンの箱入り娘だもの。

 イリヤに届く前に、全て処分されるでしょうね。

 だからこそ、貴女に話を付ける必要があるの」

 

 分かるわね、と視線で問うと、彼女は”だから?”と言いたげな目をしていた。

 はぁ、と溜息の一つでも出そうになる。

 

「当たり前の事です。

 お嬢様に悪影響を与えます」

 

「そうね、朱に交わればって私が言ったもの。

 だから貴女も私が嫌い、どうしようもない事実だわ」

 

「でしたら、速やかに諦め、お嬢様の事はお忘れください」

 

「無理よ、私だってイリヤが好きだもの」

 

「ぬけぬけと、良く言えますね」

 

「誰も私が一番イリヤを愛してる、なんて言ってないわ。

 そんなに、ツンケンしなくてもね」

 

「その様な言葉、吐いた時点で舌を切りましょう」

 

 相も変わらず、眼光が鋭い。

 ことイリヤの話になると、特に。

 それが愛情なのか、忠誠心から来るものかは分からないけれど、何よりも彼女がイリヤを大切に思っているという証。

 きっと、イリヤが彼女の存在理由なのだろう。

 だから、こんなところで連絡役なんてやらされて、イリヤと離れる事になったから私の事が余計に気に入らない。

 好かれようとしてもどうしようもなくて、余計に泥沼に嵌るのかもしれない。

 ……けれども、

 

「そうね、イリヤの事だけを考えている貴女に、私如きがとやかく指図出来る権利を持ってるなんて思ってないわ。

 でも、そんな貴女だからこそ聞いて欲しいの。

 ――イリヤは、今を楽しいって思って過ごしているのかを」

 

 私がそれを口にして、彼女を見やる。

 無機質で無表情な、彼女の表情を。

 一切の言葉はない、ただ冷徹にも見える目がそこにあるだけ。

 メイドとしての彼女でも、毒舌家な彼女の姿でもない。

 アインツベルンの機構としての彼女が、唯そこにいる様に感じて。

 ――我を曲げずに、私は言葉を続けた。

 

「イリヤは私にね、外の話を聞かせてって頼んできたの。

 退屈だからって、刺激を求めてね。

 他にも、この城の周りから出たことないって事も聞いたわ。

 イリヤ自身、飼い殺しにされてるのは自覚しているのよ。

 多分、不満なんかはないの、一口もアインツベルンを出たいなんて言ってなかったから。

 けれど、ならば幸せかと問われれば、それも違うの」

 

 不幸ではない、けれども幸せでもない。

 限りなく色がない、無菌室の様な境遇。

 私が悪い虫呼ばわりされるのも、ある意味で当然。

 事実として、あの城に居るイリヤにとって菌の様な存在であろうから。

 でも、菌が存在しない空間というのは、無味無臭の極みとも言える。

 何事も、味が感じられなくて、つまらない事この上ないであろう。

 

「少し彩りを添えるだけで、世界がもう少し明るくなるわ。

 色褪せて見えた光景が、鮮明になったりするの。

 そうすれば――イリヤの寂しさも、少しは紛れるでしょう?」

 

 ピクリと、初めて彼女が動いた。

 動揺ではない、ただ反射的に反応してしまっただけ。

 けれども、彼女は先程までの無機質な目から、僅かに感情が揺れる瞳に戻った様に見える。

 だったら、と話を続けようとして……。

 

「お嬢様には、使命があります。

 アインツベルン一千年の、かつて失った栄光の為の。

 魔術の大家たる者の責任が、あるのです。

 それに、その様な感傷など不要です」

 

 彼女は口を開いた、アインツベルンにとっての模範解答を。

 ただ、彼女の瞳は、僅かに揺らめいていて。

 

「そうね、確かに魔術師の家の後継者としては、それは要らないかもしれないわ。

 でも、イリヤにとっては、そうではないの。

 物分りが良くても、魔術師の家系の業を理解していても、イリヤは感情豊かな女の子よ」

 

 お母様はもう居ないと語った、イリヤの冷たい表情を思い出す。

 衛宮くんに言伝を頼んだ、イリヤの不安に揺れる瞳を思い出す。

 私と話している時の、天真爛漫で愛らしい笑顔を思い出す。

 全部全部、イリヤスフィールという、少女の素顔。

 それを使命の一言でそれを押しつぶすのは、どうにも耐え難い。

 本人が、それを受け入れていたとしても。

 

「使命に殉じるのは仕方ないわ、それが魔術師としての姿だもの。

 けれど、だからと言って、笑うのを禁じる事もないでしょう?

 確かに、余計な事かもしれない。

 けれど、余計だと思っているものが、時に必要な事もあるのよ」

 

「…………」

 

 反駁はなく、彼女は眉根を寄せて考え込んでいた。

 正しい事を全て、正しいからと押し通しきれない。

 それが、彼女のイリヤへの愛情なのだろう。

 イリヤが幸せである、そうあっても良いと、彼女は思えているのだから。

 

「それで、良いかしら?」

 

 そっと、添える様に、私は言葉を付け加えた。

 背中を、ちょんと押す様に。

 私達の間は、沈黙に支配された。

 短くない、緊張を走らせる様な静寂。

 逡巡の後、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「確かに、そうかもしれません」

 

「ならっ」

 

「しかし、外部の者は信用できません」

 

 ぴしゃりと、彼女は言い切った。

 私だけでなく、外部の者という条件付けで。

 

「それは、どうして?」

 

「第四次聖杯戦争、その時にアインツベルンに婿入りした衛宮切嗣は裏切りました。

 機会があったにも拘らず、アインツベルンに聖杯をもたらさなかった。

 だから、信用できません」

 

「衛宮くんのお父さんが……?」

 

「えぇ、ですので無理です」

 

 どういう事か、詳しく聞きたいと衝動的に思ってしまった。

 しかし、今はそれに構っては、今日の話は全て水泡へ帰してしまう。

 だったら、今は何より、信用を得る事が大切なのだろう。

 そう考えて、私は彼女に真っ直ぐ視線を合わせた。

 

「私は詳しい事情を知らないから、込み入った事は分からないわ。

 けど、貴女達に出来ない事を、私は出来る」

 

「私共に出来ない事?」

 

「そう、イリヤに馴れ馴れしく接したり、巫山戯たり。

 貴女達に言わせれば、無礼で悪い虫な行為。

 でも、それでイリヤは笑ってくれるわ。

 僅かでも、寂しさの慰めになる」

 

「……本当に、無礼な事この上ないです。

 許可すると、お思いで?」

 

 彼女の目に、僅かな呆れが混じり始めた。

 もう少し頭を捻れと、そういう事だろう。

 

「そうね、確かに私一人だと行き過ぎてしまうかもしれないわ。

 だから、ね」

 

 私は、彼女に微笑んだ。

 ニッコリと、露骨に。

 即座に嫌そうに顔をされたのは、きっと気のせいに違いない。

 

「貴女が検閲すれば良いのよ。

 駄目そうなら黒で塗りつぶして、イリヤに渡せば。

 貴女の手が入っているなら、何ら問題はないでしょう?」

 

「は?」

 

 彼女は、何を言っているのだろうか、みたいな目をしていた。

 今まで以上に、小馬鹿にしている様な感じの目を。

 

「図々しいとは、この事ですね。

 信用をどうするかと問われて、私に丸投げするとは」

 

「私が信じられなくても、貴女は自分を信用できるでしょう?」

 

「えぇ、ですが、私に責任を全て丸投げする態度が、何とも気に入りません」

 

「今すぐ、貴女を納得させて見せろと言われても、無理だと悟ったからよ。

 それに、イリヤはきっと喜んでくれるわ」

 

 イラっとした雰囲気を、彼女は醸し出していた。

 好き勝手言いやがって、とでも言いたいのだろう。

 でも、それは冷たい拒絶ではなくて、受容故に面倒くささから来るもの。

 雰囲気が、先程とは違い、冷たいモノではなくなっているのだから。

 ”全く、本当に、本当に……”と小さく彼女は呟いて、僅かな躊躇。

 その後、私の方を彼女の意思で初めて、真っ直ぐに見てきたのだ。

 

「――良いでしょう」

 

 その言葉に、口角が上がりそうなのを無理やり抑える。

 笑うな、少なくとも今この場では、と。

 そんな私に、但し、と彼女は続けた。

 

「私が日本に滞在する間、二ヶ月間だけです」

 

「……二ヶ月?」

 

「えぇ、貴女のサーヴァントの経過観察としての期間が、その二ヶ月です。

 それ以降は、アインツベルンは干渉する事はありません」

 

「監視はなくて良いの?」

 

「えぇ、高々キャスターのクラス。

 それも枷を嵌めた状態のサーヴァントなど、問題ではありません。

 我らのホムンクルスは、戦闘用に調整された個体もあります。

 その戦闘力は、三騎士のサーヴァントの膂力に迫るものがありますが故」

 

 遠まわしに、変な気は起こすなよと警告し、彼女は二ヶ月を条件として提示した。

 恐らく、これが彼女に出来る最大の譲歩。

 イリヤに思い出はあげたいけれど、あまり深く突っ込み過ぎるなという釘刺し。

 これ以上駄々をこねるのなら、その時点でお話は終わりということ。

 ……ここら辺が、潮時なのだろう。

 

「ふぅ、分かったわ。

 二ヶ月の間、宜しくお願い」

 

「承りました、お嬢様にお手紙は届けましょう」

 

 渋々といった顔で、致し方なしと彼女は割り切った様に返事をした。

 それは、彼女なりの優しさで、私に見せた初めての優しさでもある。

 それに、僅かに顔が、ほころんでしまって。

 

「……何か?」

 

「ありがとう」

 

 自然と、感謝の言葉が溢れていた。

 単純に、イリヤに私が手紙を送りたかった側面も、確かにあるのだから。

 私の為でなくとも、本当にありがたかったのは事実なのだ。

 

「別に、貴女のためではありません」

 

「えぇ、知ってる。

 でもね、それでもなのよ」

 

 迷惑を掛けるから、感謝しているから、それぞれ思うところはあるけれど、僅かでもイリヤに伝える事が出来るのだ。

 それは、きっとイリヤが欲しいモノだから。

 

「うん、やっぱり、私は貴女の事が嫌いじゃないわ。

 むしろ、好ましく思う事もあるの」

 

「そうですか、私は非常に忌々しく思っております」

 

「そんなに意識してくれて、すごく嬉しいわ」

 

「そういうところですっ」

 

 本当に、本当に……っ、と呟いている彼女は、すっかり疲れきっている様な表情で。

 苦手に思われているのだけは、何時しかどうにかしたいと思わずにはいられない。

 

「ねぇ、ちょっとだけ良い?」

 

「これ以上、何かあるのですか?」

 

「いいえ、大したことじゃないの。

 ただ、私がちょっとだけ気にしている事を確かめたいだけ」

 

「何でしょう?」

 

 ジッとこちらを見つめている彼女に、私はちょっと今更気恥ずかしいけれど、と思いながらこう彼女を呼んだ。

 

「セラ」

 

 そう、名前。

 アインツベルン城で、彼女に名前を教えてもらった。

 ただ、その名前で呼ぶと、彼女は……。

 

「…………はい」

 

 すごく嫌そうな顔をして、返事をするのだ。

 あの時は名前を呼ぶと、無表情で即答していたのだけれど、今ではややこなれてきた為か表情がすごく分かりやすい。

 良い事か悪い事なのか、判断に苦しまずにはいられない。

 

「何時か、貴女の名前を呼んでも、嫌な顔をされない様にしたいの。

 これは目標で、たった今宣言した事。

 是非とも、覚えていてね」

 

 彼女の顔は、煮出し過ぎたコーヒーでも飲んだ様な顔をして。

 何時か、この顔をもう少し楽しげにしてやろうと決意したのだった。

 何故なら、何よりもやはり、彼女は美しく完成しているのだから。

 

 

 

 ――とある春先の、ちょっとした出来事。

 ――イリヤに、手紙を送り始める切っ掛けの日のこと。

 

 

 

 

 

 その後、彼女と別れた私はそのまま帰り、凛とメディアに購入していたたい焼きをプレゼントしたのだけれど……。

 

「アリスちゃん、冷めてます」

 

「これ、トースターで温めた方が良いわね」

 

 三人で食べたたい焼きは、ちょっぴり焦げた味がしていた。

 今日の彼女との会話の、その内容の様に。

 もしかしたら、会話が上手くいっていたら、もう少し甘い味がしていたのかもしれない。





この度は投稿が遅れて、申し訳ございませんでした。
何というか、”りゅうおうのおしごと!”ってラノベを読んでからクソ雑魚将棋の勉強を始めまして。
時間は有限で、将棋の勉強で何が割を食ったかといえば執筆時間!(震え声)
今度から、今度からもう少し早く投稿出来るように頑張りますっ!

内容、もうちょっと進めていきたいですね。
あと、喫茶店で茶をしばくパターンも……。

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