というか、全体的にガバガバですが、許してください。
「ねぇ、衛宮くん、ちょっと良いかしら?」
それは学校のお昼休み。
少しばかり聞きたいことがあって、私は衛宮くんに話しかけていた。
気になる事、と言っても些細に感じた違和感の事だけれど。
「ん、何か用事か、マーガトロイド」
彼、衛宮くんは至って何時も通り。
何時もと変わらない、ムスっとした顔で私に振り向いた。
そんな彼に、私はその気になっていた事を、単刀直入に尋ねる。
些細な違和感だけれど、何故だか引っ掛かったから。
「桜、昨日は貴方の家に桜は居たの?」
「居なかったけど……」
それがどうしたんだ? と衛宮くんが不思議そうに私を見ていた。
反応を見るに、桜に何があったか、なんて聞いても衛宮くんには特に知ってる事もないだろう。
恋人だからといって、無条件で何でも知っている訳ではないということか。
いや、そもそもが私の単なる私見に過ぎないのだけれど。
……それでも、あの雰囲気が気になるのだ。
憂鬱げな、諦めたような、桜の空気が。
「間桐くんの家でね、あまり元気のない桜を見たの」
ただ、私一人では、きっと悩みは聞けても解決はできない。
普段なら受け流すかもしれない事だが、間桐くんも家の事情という怪しい言葉を使用していた。
あの妖怪が関わっていることは、まず間違いなんてない。
それが、余計に気に掛かって仕方なく感じてしまうのだ。
桜は強がる子だから、どんな事をされても大抵のことは何でもないです、で誤魔化されてしまう。
だったら、と私は衛宮くんに桜の事を話していく。
「その時の雰囲気が、ちょっと気に入らなかったの。
気に入らないから、何とか解決できないかって思ったのよ」
衛宮くんなら、桜はポロリと弱みを見せるかもしれない。
だから、彼を巻き込んでしまえと、私は口から言葉を紡ぎ出す。
さぁ、こちらにおいでと誘うように。
「桜のことは、衛宮くんがスペシャリストでしょう?」
そう言うと、衛宮くんは何だか面食らった顔をして、それから桜が、と小さな声を上げた。
気付いていなかったのか、それとも桜は衛宮くんの前では落ち込まないように隙を見せなかったのか。
もしかしたら、桜はそんな姿を衛宮くんに見せたくないのかもしれない。
……だけれど、桜には悪いが、そんな事を許そうとは思わない。
多少みっともなくとも、好きな人に困り事の相談くらいは出来るようにならないと、何時か桜は困った時にどうしようもなくしてしまう。
彼女からしてみれば余計なお世話で、衛宮くんまで嗾けたのは激怒する案件なのかもしれない。
だが、私に見つかったのが運の尽きだと思ってもらおう。
彼女は私の友達で、そして可愛い後輩。
性格的に彼女は巣穴に潜り込むだろうから、思わず引っ張ってしまうだけのこと。
「私、氷室さん曰くお人好しらしいの」
そんなこと無いのに、と
「お前は充分良い奴だよ、マーガトロイド」
「……そうじゃないでしょうに」
そこは精々、お節介! と罵るところなのに。
真顔で、真実を告げるようにイイヤツ、などと言うのだから困ってしまう。
「衛宮くんのそういうところこそが、本当の意味でのお人好しね」
「俺のは……そういうのじゃないから」
私が言い返すようにして言うと、困った様に頬を掻く衛宮くん。
言い倦ねていて、上手い言葉を必死に探しているという感じ。
思わず、クスッと笑ってしまう。
「何だよ」
「そういう言葉で出来ないのに助けてしまう辺りが末期ね」
不満そうに言う彼に、追撃を掛ける。
衛宮くんが照れ隠しをすると、意味もなく心根を暴いてみたくなってしまう。
そんな態度が透けて見えたのか、ムッとした顔を衛宮くんはして、それから誤魔化すようにこう言ったのだ。
「俺は、将来的になりたいものがある。
将来の夢、だな。
それの為に、俺は頑張ってるって感じだ」
それは? と問いたくなるところであるが、どうやら衛宮くんはこれ以上語ってはくれないらしい。
むっつりとした顔で黙り込んで、私の方に視線をやっていた。
どうするのか、私に桜へとどうするかという意見を聞きたいのであろう。
なら、と私は、ちょっと惜しかったが、本来の話題に戻ることにする。
衛宮くんは可愛いから、ついついからかいすぎてしまうのが困った癖だ。
「私は、そうね……」
少し、これからどうするかを整理する。
桜は何かあったかと聞いても、何でもありませんとしか答えそうにない。
間桐くんに言っても、ウチの問題だと切り捨てられる……場合によっては衛宮くんにチクったと酷く恨まれるであろう。
あの妖怪は……言うまでもないことだ。
衛宮くんでも辛いとなれば、ここは搦手で行くべきか。
「決めたわ、今日衛宮くんの家に行けるかしら?」
「……え?」
私が尋ねると、衛宮くんは思わぬことを聞いたと言わんばかりに、目を真ん丸にしていた。
何を驚く必要があるのか、彼の困惑を他所に、私は話を続けていく。
「良い方法が見つからないから、対処療法的に行くしかないけれど仕方ないわね。
衛宮くんの家で騒いで、少しでも桜に嫌な事や憂鬱なことを忘れさせましょう」
結局、何も思いつかなかったということ。
思ったよりも私の発想の源泉は貧弱だったらしい。
実際に桜が困っていても、手を差し伸べることはできても、それ以上の事はできないようだ。
歯痒い思いはあるが、それでも何もせずにはいられない。
矛盾している様な、ある種の衝動を内包した提案。
だが、その分だけ逆に張り切っている自分もいる。
想像以上に、私は桜のことがお気に入りだったらしい。
だから、と衛宮くんに私は言うのだ。
「桜が気遣わないように、それでも楽しくなれるように……。
私達も全力で楽しみながら、何か楽しい事を始めましょう」
自分からこういう行動を起こすのは苦手だが、それでもこれが正解だと思ったから。
後は精々空回りしない様に気をつけるだけ。
「良いでしょう? 衛宮くん」
否定はしないでね、と意味合いを込めて言えば、衛宮くんはちょっと迷ってから、ゆっくりと頷いた。
ならば、今日の放課後の予定は決定である。
――初の、衛宮くんの家への訪問だ。
ほんの少し、本来の目的から外れているけれど、楽しみに感じている私がいて。
放課後までの時間に、何をするかを考え始めた。
まるで遠足を楽しみにしている子供。
一瞬だけれどそんな事を考えてしまい、直ぐに頭を振って思索に戻る。
放課後に、桜に何をしてあげられるかと、青い空を見つめながら。
そうして、時は放課後。
思っていたよりも早く秒針は進み、ロクに考えの纏まらないまま私は衛宮くんと共に歩を進めていた。
「マーガトロイド、なにか思いついたか?」
「いえ、衛宮くんは?」
尋ねると、一つだけ、と答えを返した。
流石は衛宮くん、同居してるのは伊達ではないということだろう。
「以心伝心ってところ?」
「そこまで桜のこと分かっていれば、こんな事マーガトロイドに言われなかったさ」
「人間だもの、そういう事もあるわ」
呆気なく否定されると面白くないが、それだけ衛宮くんも真面目という事だろう。
そうして会話を交わしている内に、衛宮くんは商店街である屋台へを見つけ、近づいていく。
その屋台からは上品な甘い香りがし、お腹が空いている訳でもないのに、キュゥ、とお腹の悲鳴が聞こえてくる。
恥ずかしくなり衛宮くんを見れば、喜ばしいことにこちらには気付いて居らず、屋台でたい焼きや大判焼きを購入していた。
その甘美な香りの中で、私はこの屋台の名前を思い出す。
確か江戸前屋、一個80円のたい焼きが学生達の味方と定評のある人気の屋台だ。
「やぁ、士郎君。
今日は桜ちゃんじゃなくて、アリスちゃんなんだね。
全く、隅に置けないねぇ」
「ち、違います!
マーガトロイドとはそんなんじゃなくて、友達です!」
「……なんか、言い訳が本気でソレっぽいな」
しかも衛宮くんは常連らしく、見事なまでに店主とじゃれあっていた。
衛宮くんの顔を覗けば、赤い訳ではなくて、困惑のそれ。
……ちょっと面白くなくて、私もおふざけに便乗してしまう。
「キャー、エミヤクンノイジワルー」
「ワタシノコトハアソビダッタノネー」
懐から上海と蓬莱を取り出し、わざとらしく舌っ足らずにセリフを棒読みする。
そうすれば、衛宮くんは何事かと確かめる様にこちらに振り向いた。
「一体どうしたんだ、マーガトロイド」
「女の子には、もう少し気遣うべきよ」
前にお出かけした時の衛宮くんはどこに行ったの?
そんな感じに聞けば、衛宮くんは悪い、とだけ言って頬を掻いていた。
その後ろで、屋台の店主が面白そうにこちらを見ていて。
「アリスちゃんの、商店街の話題になっている人形劇ってそれかい?」
「劇自体は、もっとしっかりしたものです」
店主の質問に、私は即刻返答する。
流石に今のレベルが私だと思われるのは、業腹極まりない出来事だから。
そうして彼の言葉を否定した私に、店主は興味深そうにこんな提案をしてきた。
「なら、その人形劇、今見せてもらってもいいかい?」
なるほど、と得心がいった。
私の人形劇が話題になっている、と彼は言った。
中々に嬉しい、思わず口角が上がってしまいそうな言葉だ。
……だから、私はこう返事をする。
「折角ですから、是非見に来てください。
居酒屋コペンハーゲンを宜しくお願いします」
私の人形劇が話題になる切っ掛けになったお店のことを、恩返しがてらに宣伝する。
すると店主はキョトンとして、その次には笑い出す。
「ハハハ、こりゃ一本取られた!
アリスちゃんは上手いねぇ。
たい焼き一個オマケしてあげよう」
「ありがとうございます」
お礼を言うと、良いよ良いよと言いながら、一個の筈が二個オマケのたい焼きを袋の中に放り込んでくれた。
気持ちも気前も良いのだろう。
頭を下げれば、今後もウチをご贔屓に、とのこと。
なるほど、上手いことやり返された気分である。
「さ、衛宮くん、行きましょうか」
「あぁ、随分と楽しそうだったな」
「そう? あちらが大人だっただけよ」
ありがとさん、という言葉を背に私達は屋台を離れ、そのまま再び歩き始める。
衛宮くんの言っていた宛てとは、いま手に握られているその大判焼きやたい焼きの事であるのだろう。
笑っていないけれど、ちょっと嬉しげな顔を衛宮くんはしているから、大体理解できる。
「これで、桜は元気になるの?」
尋ねると、衛宮くんはそれはどうか分からないけど、なんて言って。
不安になる答えに衛宮くんの顔を見たら、でも、と衛宮くんが続けたので、私は黙ってその続きの言葉を聞く事にする。
「江戸前屋のお菓子を買って、緑茶を入れて会話してると、すごく落ち着くんだ。
それは桜も一緒で、多分心地いいって感じてくれていると思う」
俺の主観だけどな、何て付け足す衛宮くん。
照れ隠しか、そのまま真実を告げただけか。
どちらにしても、私は思ったのだ。
「まるで老夫婦ね、貴方達」
その情景を想像すると、あまりに穏やかで、時間の流れなんて無いにも等しいんじゃないか、なんて思ってしまう。
それが可愛らしく思えて、思わず頬が緩む。
こういう二人だから、私はきっと友達をしているんだ、何て思いながら。
「そんな良いもんじゃない」
「嘘おっしゃいな」
今度は分かる、ぶっきらぼうだが顔が真っ赤だから。
衛宮くんが照れているのが、手に取るように分かってしまう。
その赤色は、彼の髪より紅い色。
桜もいれば、より可愛くなるのだろう。
からかわれるのに慣れてきた、何て言っていたけれど、まだまだ全然と見て思う。
それでこそ衛宮くんだ、何て思ってしまうのは悪癖か。
「分かったわ、確かに初々しさも残っているから、老夫婦とまではいかないわね。
新婚さんかしら?」
「わざわざ話をそういう方向に持っていこうとするな」
「私は楽しいのよ」
「趣味が悪い」
「イイ趣味だな、くらいは言って欲しいものね」
何がさ、と口元をひん曲げる衛宮くん。
それを私は笑って見ていた。
これが間桐くんなら鼻で笑い飛ばし、柳洞くんなら高尚な趣味だな俗物、程度は容易に言ってのけるに違いない。
だから衛宮くんは可愛いのだ、何て言うと変な物言いになるが、実際そうなのだからそうとしか言い様がない。
衛宮くんは趣味が悪いと言ったが、実際のところは性格が悪いが正しいのだろう。
「ごめんなさいね、性悪で」
「……別に、そこまでは言ってない」
「言ってないだけ?」
「そういうことをわざわざ聞くのは、性格が悪いと思うぞ」
「あら、ごめんなさい」
ご尤もな話だ、否定のしようがない。
でも、ある意味で性分だから、それこそ仕方がないのだ。
私は笑顔で、衛宮くんは仏頂面。
途中から会話なく歩いている通学路。
秋風に乗る紅葉が舞い落ちるのが綺麗だと、周りに目をやって気が付いた。
そんな中で、衛宮くんは立ち止まる。
どうかしたの? と聞けば、衛宮くんは一つの大きな建物に目をやってから、言ったのだ。
「ここが、俺の家だ」
「え?」
漏れてしまった言葉は、純粋な驚き。
何というか、想像以上だった的な意味合いで。
見上げてみれば長い塀に囲われていて、しっかりとした門構えには背を正されそうな迫力があった。
「じゃぱにーず、ニンジャ屋敷……」
「忍者じゃなくて武家屋敷な」
驚いて口にすれば、即座に衛宮くんからのツッコミが入る。
それくらい私も知っているわ、何て適当なことを言いつつ、私は衛宮くんの後ろに付いたまま、その家の中に入っていく。
ある意味でワクワク、ドキドキする展開。
さて、中はどうなっているのか? とある種のトキメキを覚えながら私は門を通って玄関へ。
その時の私は、まるで田舎から上京してきた女学生の気分であった。
『アリス先輩は魔術師なんです。
基本的には凄く良い人で魔術師とは思えないくらい信頼できるんですけど、致命的な隙は見せないでくださいね、先輩』
桜はずっと前に、俺にそんな事を告げてきた。
魔術師? あのマーガトロイドが?
そんな疑問に桜は、はい、とだけ簡素に返答をした。
疑念を挟む余地はなく、紛れもない真実だと分からせる為に。
更に、トドメと言わんばかりに桜はこんな事を付け足して言ったのだ。
『あと、魔術師はセカンドオーナーに、地代を支払わなきゃいけないんですけど……』
『地代?』
はい、と言って桜はザッとこんな物です、と金額を電卓で提示する。
その金額、明らかに桁が一つ間違ってるんじゃないか、と言わんばかりのもの。
『た、高すぎないか?』
『現在、霊脈のある土地は少ないですし、これが定価くらい何です』
『そうか……もし支払ってないことがバレたら?』
『厳しく取り立てられるか、それこそそれを弱みにして、こちらに何らかの要求をしてきます。
遠坂先輩がセカンドオーナーって事は前にも言いましたよね?
なら、そこにホームステイしているアリス先輩は、明らかに遠坂先輩と繋がっています。
二人共優しいタイプの人ですから、酷いことはされないと思いますけど……』
でも、二人は魔術師ですから……と桜は困った顔をしていた。
だが、問題はそこではない。
明らかにアウトローな魔術師の世界、やはり爺さんの言葉は正しかったんだ! と言わんばかりの桜の説明。
ヤの付く職業の上納金を思わず連想させられる土地の貸付。
遠坂とマーガトロイドのことだから手荒な真似はしないと思うけど、覚えておくに越したことはないと記憶の片隅にとどめていた記憶、それが薄らとだが再生された。
マーガトロイドは学校でもバイトでも一緒で、時折遊びに出かける仲で、桜を本気で心配してくれたからつい家まで案内してしまったが、これからは気を引き締めよう。
そう思いながら家の中に招き入れる。
マーガトロイド自身は、武家屋敷が珍しいらしく、あちこち目を輝かせながらキョロキョロとしていた。
時々子供っぽいよなこいつ、と思わせられる場面。
……もしかして、やっぱり大丈夫そうか?
そんな事を、複雑な目をして考える。
マーガトロイドの表と裏、コイツの場合は基本表しか見たことないし、それ以外は想像できないから。
だから家の中を舐めるように見ている金髪を他所に、俺は黙々と茶を入れ始めた。
マーガトロイドの事も気になるが、それ以上に桜が落ち込んでいたというのも気になるから。
慎二はちょっと前に元に戻ったし、もう暴力を振るうはずはない。
では何故? 他に桜が落ち込みそうなことはなんだ?
考えて、考えて、そして気付く。
……しまった、お茶っ葉入れすぎて恐ろしい程苦くなってる、と。
「悪いわね、衛宮くん」
「いや、ティーバックの奴しか出せなくて悪いな」
「ううん、折角だから、衛宮くんの入れた緑茶を飲みたかったけど」
「桜が帰ってきてからで」
「はいはい」
衛宮邸の居間、これだけ広い屋敷であるが、ここは程よい広さであり、かなりの生活感に溢れ返っている。
ここが衛宮君達の交流の場なんだ、と暖かな光景が容易に脳の裏に浮かぶ。
ご飯を食べたり、のんびりとお茶を飲みながら話したり、皆で並んでテレビを見たり。
優しい、どこにでもある家族の像が、ピントが合った眼鏡の様に空想できる。
衛宮くんと桜の家、二人は既に夫婦であった……なんて。
半ば冗談じゃないのが現実だろう。
そんなこの空間が、優しい感じがして好きだと言える場所であった。
愛の巣というよりは、止まり木の様な安らぎを感じるから。
「貴方達はここで暮らして、日々を過ごしているのね」
「? マーガトロイド?」
「いえ、何でもないわ」
それって素敵ね、なんて言葉を飲み込む。
急に言われても困惑するだろうし、折角だから桜が帰ってきたらからかい混じりに二人に言ってやろうと思って。
「そういえば、ここで藤村先生も一緒に暮らしてるって言ってたわね」
話題転換に尋ねれば、衛宮くんは暮らしてるというよりは、と語りだす。
「風呂や寝泊りはしてない。
どっちかといえば、入り浸ってるが正しいと思うぞ」
「どっちも変わらないわよ」
あっさりと、そりゃそうか、と衛宮くんは肩を竦めた。
彼と桜と藤村先生、外から見ても分かるくらいにとても仲が良い三人。
ここは衛宮くんと桜の家であると同時に、藤村先生の家でもあるのだろう。
だから、藤村先生もこの家の家族なのだ、きっと。
「仲の良いお姉ちゃんってところ?」
「最近は駄虎と化しつつある」
「猛獣の類なのね……」
そういえば、今日も藤村先生の授業は大分アクティブだった。
お昼時の英語の時間、食後のエネルギーを溢れさせた藤村先生は元気百倍、勢いに乗っていた。
『ハンプティダンプティ、壁から落ちてドッギャンバッタンッ、大爆散!
うん、大体こんな感じなの』
『それはおかしい』
『何よ士郎! ……ケホン、なら衛宮君が翻訳して、ほら!』
『えぇ……』
結局衛宮くんは答えられず、私がハンプティダンプティが落ちるまでの過程を和訳することに。
どうでも良い話ではあるが、あの卵の中身は腐ってたのではないかと、未だに私は思っていたりする。
と、そんな事はさて置き、互いに遠い目をしていた私達は、ケホンと小さく咳をしてから話題をまたもチェンジした。
今度私が振った話題は、最初に提議した本来の目的。
「桜のこと、本当に心当たりはないのね?」
「あぁ……あ、いや」
しつこい様に尋ねると、衛宮くんはふと思い出したように、こんな事を言ったのだ。
「そういえば、桜は二週間に一回のペースで実家に帰るんだ」
「……間桐邸に?」
頷く衛宮くん。
その顔は神妙で、何故? という疑念がありありと浮かんでいて。
困惑気味の彼の顔を見ていて、ふとある事が気になった。
何が、と問われれば、とても簡単で、そして何より重要なこと。
それは……、
「衛宮くん、重要な事を尋ねるわ」
唐突気味だが、私はゆっくりとした口調で、探るように衛宮くんに尋ねた。
それが露骨すぎたのか警戒した顔をした衛宮くんに、私は警戒を解くように出来るだけ明瞭に言葉を発する。
「衛宮くんにだからいうのだけれどね、桜は人には話せない事柄があるの。
それが何なのか、私は知っているわ。
もしかしたら、それが悩みの種なのかもしれないとね」
明瞭に喋っていた口は饒舌に、勢いを付けての捲し立てへと変化する。
けど、止める気はなかった。
何せ重要なことで、衛宮くんも完全にこちらの言う事を聞き入ってるから。
「その事情には間桐の実家も深く関わっていて、それが桜を苦しめていると予測できるわ。
良くも悪くも、それが彼女を縛る鎖でしょうから」
ある日の夜、間桐くんは自分に魔術回路がなく、桜が間桐の当主になると吐きだした。
その関連で、もしかすると魔術刻印の移植でも行われているのかもしれない。
二週間に一回の帰宅、恐らくは桜への魔術の訓練であろうが、魔術自体を桜が好いていない可能性もある。
考えれば考えるほどドツボへと向かう思考。
螺旋階段を上っているかの様な感覚麻痺。
その痺れにも似た感覚を放り投げ、私は衛宮くんに真っ直ぐに尋ねたのだ。
「ねぇ、衛宮くん。
貴方は、その桜の事情のこと、知っているのかしら?」
覗くように、それでいて睨む様な視線を、衛宮くんの目に向ける。
私の目を真っ直ぐに見つめてしまった衛宮くん。
そこにあったのは逡巡と思索、情報を処理する意思が介在する目。
覗き込んだ彼の目を見て、言い倦ねている彼に、私は読み取った結論を告げた。
「黒ね、動揺し無さ過ぎてるわ」
「なっ!?」
言った途端に、衛宮くんの中で動揺が生まれた様で。
驚きと焦りを伴った視線を私に向けて……暫くして、降参したように溜息を一つ吐いた。
「はぁ……桜がマーガトロイドは優しいけど油断するなって言ってた意味、ようやく分かった」
「そうね、私は悪い魔女で、桜のご同輩だもの。
桜から、私が何なのかは、しっかりと告げられているようね」
「魔女、という部分に何ら誇張がない程度のことは」
「結構よ、それだけでも充分なファクターだわ」
私が聞きたかったこと、それは衛宮くんが桜の魔術という要素を知っているかという事。
あの娘の事だから、もしかしたら黙っている可能性もあると思っていただけに、正直に衛宮くんに事を告げていたのは僥倖だと言えるだろう。
また、衛宮くんに魔術の詳しい内容を話せないで、余計に暗くなっているという推論も立てられる。
まぁ、そんな事が分かったからといって、他家の魔術の事情に干渉できるわけではないが。
精々、こうして桜を慰める準備をするのが関の山。
あの間桐臓硯が地獄に落ちれば、その限りではないが。
「分かってもどうしようもないのが、凄く歯痒いわね」
「……マーガトロイドはさ」
苦々しく呟けば、その声に響いたかの様に衛宮くんが言葉を手繰る。
私と同じく、呟くような声量で。
掠れ声と聞き間違えるような響きで、彼は問を投げてきた。
「魔術師云々の事情を抜きにして、桜の事を助けてくれるのか?」
何かと思って身構えてみれば、尋ねてきたのはそんな些細なこと。
愚にも付かないと一笑しても良い内容。
だけれど、それに私は至って真面目な顔で、キチンと衛宮くんの目を見て答える。
彼だって桜のことが心配に違いないのだから。
「勿論、最初からそうだったわ」
気負い無く、少しの懐かしみと共に答える。
最初に桜にあった時は、コペンハーゲンで衛宮くんと一緒に。
警戒と緊張の中にいた彼女に見せた演目は何だったか。
「衛宮くんも桜も、私にとっては唯の友人だもの」
唯の友人、つまりは変えようのない大切なもの。
無くしたくないし、一緒にいると心地良い。
そういう関係が、私は嫌いじゃない。
「衛宮くんが衛宮くんでいてくれる限り私は優しくするし、桜が桜である限り、私はあの娘を助けるわ。
貴方達がどうとか関係ないの、純粋に私が貴方達を好きなだけだもの」
だからそこに、魔術師がどうとかいう理屈が交じることはない。
ね、衛宮くん、と私は少しやわっこい声で続けた。
「貴方だって、きっとそうでしょう?」
そこまで言うと、衛宮くんは、はぁ、と色が付きそうなほど濃い溜息を吐く。
安堵からか、杞憂からか……少なくとも、彼のことだから私を信じられずに吐いた溜息という事はないだろうが。
少し彼を観察していると、衛宮くんはしばらく黙っていて、沈黙が訪れる。
私はその間に、薄いティーバックの紅茶を啜り、机の上に置いてあったお菓子をパキパキと音を鳴らしながら頬張っていた。
うん、濃ゆい醤油の味がする。
しかし、微妙に紅茶とはミスマッチ。
衛宮くんらしからぬ失敗。
もしかしたら、私を家に招き入れるという事で、少々ばかりの緊張を強いられていたのかもしれない。
そんな事を考えている、最中でのことだった。
「やっぱ良い奴だな、マーガトロイド」
「二度ネタは新鮮じゃないのよ」
「なんでそうなる」
ジトッとした視線を向けられたので、対抗するように同様の視線で対抗する。
見つめ合うこと約五秒、特に恋に落ちることもなく、逆に凄く呆れられた視線に、衛宮くんの目は変わっていた。
……無性に、私の方が子供っぽく感じてしまって、目を逸らしてしまう。
「女の子を辱めるなんて、衛宮くんは卑怯ね」
「勝手に自爆しただけだろ」
しかも容赦ない。
女の子に優しく、がお父さんと交わした約束だろうに、良くもここまで言ってくれる。
友達の気安さと言ってしまえばそこまでであるが、流石に一方的なのは納得したくない。
むしろ、遣り返したくなる質なのだ。
何か反撃の伝がないか、探すように部屋の中をキョロキョロと見回す。
「む……微妙だ」
一方の衛宮くんは、睨み合いに飽きて紅茶と煎餅を口にし、その組み合わせに顔を顰めていた。
そして徐ろに立ち上がると一言、
「緑茶入れてくるから、ちょっと待っててくれ」
それだけ告げると、この場を離れて。
私はその隙に、更に露骨に部屋を見回す。
……が、ここは元より藤村先生も来る居間。
変なものが置いてある訳もなく、あったのは精々レーザービームを放つ野球選手のポスターだけ。
なので、私はフラリと立ち上がった。
「衛宮くん、お手洗いはどこかしら?」
「あぁ、奥に入ったところにあるぞ」
「ありがとう」
別に、トイレの場所を間違えてしまって、広い屋敷の中を彷徨う事になっても、それはそれでしょうがない。
衛宮くんに見えないところで悪い笑いを浮かべて、立ち上がったのだけれど……。
――どこからか、シャンシャンシャンと響く音が聞こえてきた。
聞いていると、重圧な鈴の音だという事が分かる。
唐突に、どこからか鳴り響く音、私は訳も分からずに呆然と立ち尽くしていると、衛宮くんが驚いた様にこちらを向いていた。
その表情は驚きに満ちていて……そしてそれが、次の瞬間には険しくなっていたのだ。
「マーガトロイド、今何をしようとした?」
思ったよりも重い声で、衛宮くんは問いただす。
それに私は、何らかの仕掛けに困惑しつつ、正直に答えを返した。
「言い負かされて腹が立ったから、衛宮くんの部屋を荒らしてやろうと思っただけよ」
「はぁ?」
困惑し、呆れた声が聞こえてくる。
衛宮くんの怖かった顔は、直ぐにポカンとした緩いものになっていて。
私は堂々と、要するに開き直りながら、事の次第を告げたのだ。
えっちな本を見つけられれば御の字で、衛宮くんの部屋を探そうとしていた事。
そんな気持ちの旅立ちをしようとしていたところを、現行犯で逮捕された気分な事を。
「もしかして、マーガトロイドは馬鹿なのか?」
「……人間、時折童心に帰りたくなるものよ」
我ながら苦しい言い訳である。
だが、そんな事よりも、だ。
中々に興味深い展開だと、私は思う。
「ねぇ、衛宮くん、一つ聞きたいんだけれど」
「……聞かないでくれると助かる」
ことの次第に気が付いたのか、顔を引き攣らせる衛宮くん。
それに私はやんわりと笑って、衛宮くんの笑みを受け止める。
先程の鈴の音、明らかに魔術を持って発動したもの。
発動条件は、恐らくはこの家や、住人に敵意を持った時に鳴り響くのだろう。
結界が敏感すぎて、明らかになるべき場面でないところで鳴ってしまったのだが。
「馬鹿ね、衛宮くんは」
意趣返しの様に告げると、衛宮くんは段々と絶句してしまって。
それは、暗に彼が認めたという事。
何を認めたかといえば、それはこの結界が桜のモノではないという事実をだ。
何故ならば、この結界はあまりにも高度で、並みの魔術師が張れるモノではないから。
桜は才能はあるのだろうが、現時点ではこの様な結界を張れる技量は存在しない。
実際の桜の魔術の腕を見た訳ではないから断言できないが、彼女は魔術の匂いをそこまで感じないから、ほぼ間違いはないと言っても過言ではない。
なら、この結界は誰が張ったのか?
答えを考えるなら、誰だって見つけてしまえる記号の連鎖だ。
「衛宮くん、魔術師の家系だったのね」
「だったら、どうするんだ?」
衛宮くんからも魔術の匂いは殆どしない。
ならば、後は衛宮くんの家系の誰かが張ったと考えるのが行き着く答え。
間桐臓硯が張ったにしては、あまりに優しすぎる結界だから、これは真実であると、半ば確信があったから。
……だから、私は出来るだけ呆れたような口調で、こう言ったのだ。
「馬鹿ね衛宮くん、友達だって言った途端に掌を返すわけ無いでしょうに」
そう言うと、緊張気味だった衛宮くんの顔が解れて、私の話を聞くような体制になっていた。
なので、今度は柔らかく告げる。
「喩えそれが、本当は魔術師だったとしてもね」
ま、衛宮くん達は特別な面もあるけれど、と彼に言って、少し笑う。
衛宮くんが魔術師だとしても、あまりにそれらしくないから。
「特別?」
「全然魔術師らしくもなんともないって事ね」
軽く告げると、衛宮くんは何とも言えない顔をする。
だから私は、その調子で言葉を付け足す。
「勿論、良い意味でよ?」
血の匂いも、魔の香りも、打算の暗さも全然していない。
魔術師としては失格なのかもしれないが、だからこそ衛宮くんなのかもしれないと思って。
「……俺、魔術についてはからきしだからな」
「衛宮くんはそれでいいと思うけれどね」
それこそ、衛宮くんからその匂いが濃くなれば、衛宮くんが衛宮くんらしくないと私は思う。
切り捨てるかどうかは、また別の話だが。
そんな事を考えながら、私はそっと立ち上がった。
私を見上げている衛宮くんに、そっと告げたのだ。
「今日は桜が帰ってくる前に、退散するわ。
桜を労うどころの話じゃ無くなってるものね」
むしろ、このままここに居座れば、余計な心労だけを掛けるだろう。
そうと決めたら、さっさと退いた方が何倍も良い。
そう思い立ち上がると、衛宮くんも釣られたように立ち上がった。
「何?」
「いや、帰るんなら送らなきゃと思って」
本当に魔術師か疑いたくなる発言。
しかも、顔には善意しか存在していない。
はぁ、と溜息を吐いてしまったのは仕方ないだろう。
本当に毒気が抜かれる、流石は衛宮くんといったところか。
「良いわよ、別に。
桜が帰ってきた時に衛宮くんがいないんじゃ、寂しくて仕方ないでしょうしね」
「そうか」
色々と諦めてしまったように座り込んだ衛宮くん。
そんな彼に、私は彼の心配事であろう事について告げた。
「大丈夫よ、凛には報告するけど、悪いようにしない様に言うわ。
ま、一括払いじゃなくて、分割払いにする程度だと思うけれど」
幾ら凛といっても、それ以上は譲歩する事はないだろう。
それを衛宮くんに聞かせれば、はぁ、と溜息を吐きつつ頷いた。
納得したというよりは、諦めたといった風に。
どこか遠い目をしている衛宮くんを横目に、私は玄関でトントンと靴を履いて、そして振り向く。
「ケセラセラ、なるようになるわ。
衛宮くんは桜への言い訳だけ考えておきなさい」
「だったらいいけど」
どうしたものか、と悩み気味の衛宮くんに安心させるような笑みを浮かべて、私はそのまま衛宮邸を後にする。
さて、凛にどう報告したものかと悩みながら。
空を見上げれば夕闇色。
未だ、桜は衛宮邸には帰って来ていない。
……今日の足取りも、やはりまた重かった。
こんな事で結界鳴るはずないだろ、いい加減にしろ!
そう言われれば、反論の余地は全くもって無いです。
なんというかね、今回の話は桜の話に繋げるための云々(言い訳)。
……何か、その、ごめんなさいorz
もしなにか思いついたら、別の展開に差し替えるかも、です(思いつかなかったから投稿したのですが)。