冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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題名に夏とか書いてありますが、全くその要素がない。
どうしてこんな題名にしたし(自爆)。
あと、一ヶ月くらい放心してました。
時間の流れって残酷です(どこかで言ったようなセリフ)。


第25話 夏の終わりのメイドさん

 長い旅をしていたように感じる。

 僅かな期間であったはずなのに、まるで何ヶ月も霧の中を走っていた感覚。

 それもこれも、全てが濃い時間によって齎されたものなのだろう。

 

 それは忙しく、大変で、私は振り回されてばかりだった。

 けど、確かに愉快さや、楽しさもそこには存在した。

 あれそれを調べて、秘密を垣間見て、気になっている人に会えて、それから現実逃避に遠くにいる友達とも遊んだりもした。

 そこで重たい事実を告げられたりもしたけれど、それも含めて、私の中で全て活きている。

 いや、今はまだ飲込んだものを消化中といったところか。

 

 まぁ、そういう訳であるからして。

 残りの夏休みはのんびり過ごしたいと、そう思っていたのだけれど。

 ……そうは問屋が下ろさなかったらしい。

 何故なら、下宿先には赤い悪魔が微笑んでいたから。

 半分くらいは、自業自得なのかもしれないけれど。

 

 

 

「……お茶、淹れてきたわ」

 

「あら、ありがとう」

 

 目の前で、優雅に、気品よく微笑んでいる女の子がいた。

 紅茶を注いだカップに口をつける姿は、何を誤ってか貴族にも見えてしまう。

 けれど、その上等な猫皮のコートの中身を、私は知っているのだ。

 

「凛、いつまでこの茶番を続けるつもりなの?」

 

 呆れと怒りを混ぜ合わせながら、私は訊ねる。

 けど、紅茶を嗜んでいる凛は、そんな事を気にもしない様子で。

 逆に、こんな事をほざいたのであった。

 

「アリス、ご・しゅ・じ・ん・さま、でしょ?」

 

 凛は微笑んだままである。

 が、それは鉄壁のガードである。

 どんな私の要求も、全て撥ね付けられてしまうのだ。

 ……だから、私は。

 

「ご、ご主人様……」

 

 屈辱に震える声で、凛の事をそう呼ばねばならない。

 しかし凛の方は、それに満足した笑みを浮かべて、お茶請けのラスクを啄んでいた。

 ――メイド服姿の、私を傍に侍らせて。

 

 本当に、何てことだろうか。

 不満はある、それはもう腐る程に。

 私は心中で不満を述べ立てるけれど、表情は無いように努める。

 凛が嬉々として、不満そうねとからかってくるから。

 鬱陶しくて、今はできるだけ無表情を貫いている。

 そんな私は、現在メイド業三日目である。

 

 凛は、本当にメイドの様に私をこき使う。

 精々許されているのはタメ口程度。

 それでも、凛をご主人様などと、電波用語で呼ばなくてはいけない。

 

 どうしてこうなってしまったのか。

 後悔するように、私は意識を過去に遡らせる。

 出かける前にした約束と、帰ってきた時の凛の状態。

 それが、今回の事象の始まりを告げる事になったもの。

 その内容がどんなものだったのか、それを思い出しながら。

 

 

 

「あんたは私のメイドになる……これから一週間ずっとね」

 

「は?」

 

 冬木の街、遠坂の屋敷に帰ってきた私は、帰宅早々に仁王立ちしている凛から、そんな言葉をぶつけられる事となった。

 私が凛にバイトを変わってもらう代わりに、一日だけ凛の言うことを聞くという約束。

 メイド姿で、と悪ふざけも交えながら。

 そう、これは冗談半分でやる巫山戯たもののはず。

 けれど、どう見ても凛の目は本気だった。

 逆らったらコロコロすると、目が語っているのだ。

 

「何故」

 

 だけれど、私も意味もなく、理由もわからずに理不尽を甘受するつもりなど毛頭ない。

 なので凛に聞き返したのだけれど……。

 

「アンタが居ない間に、私がどれだけ苦労したと思ってるの……」

 

 静かに、だけれどピリリとした雰囲気を発しながら、凛は私を見ていた。

 死んだ魚の目をしながら、普段の凛では見せないような隙だらけの表情でである。

 寝起きの凛、冬眠明けの熊のようなオーラを醸し出していて。

 もうなんか……とても、人様にお見せできる状態ではなかった。

 

「ワカメには絡みつかれるし、衛宮君には生温かい目をして私を見てたし、あの子の前で恥をかくし、もう最悪!」

 

「どういう状況なのよ」

 

 あまりに意味不明すぎる言葉の羅列。

 けど、それが逆に凛の醸し出す悲壮さを増幅させていた。

 そして私は、凛は私に拒否権など与えるつもりは無いと言うことを理解する。

 最早、どんな言葉も凛に届くまいという、嫌な確信と共に。

 

「私をどうするつもりなの……」

 

 どう考えても、どうしようもない程に逃げ場などなかった。

 気分的には、ウィーンを包囲されたオーストリア軍と言ったところであろうか。

 といっても、私に抵抗する気概はないから無抵抗で降伏するしかないのだけれど。

 

「まずは、これに着替えてもらうわ」

 

 諦めた眼で凛を見ていた私は、彼女がどこからともなく取り出したメイド服を突きつけられる。

 約束通りのもの、寸分違わずに。

 しかし、約束の時と違うのは、一日ではなくて一週間というところなのだ。

 

「アンタは、今日から、この遠坂凛のメイドなのよ。

 言葉はそのままでいいわ、アンタに敬語使われるのを想像すると、背中がすごくムズムズするし。

 けどね……」

 

 凛の魔女の釜のような目が、急激に光を取り戻し始める。

 それはまるで、新しいおもちゃを手に入れた子供のように。

 

「私の言うことは、基本原則絶対厳守。

 今日からご主人様と呼びなさい」

 

「気持ち悪い上に理不尽よ」

 

 そう言うと、凛は更に笑みを深めるばかりで。

 

「ご主人様、よ」

 

 メイド服を私に手渡しながら、そう強要してくる。

 この時の凛、すごくイキイキしてもいた。

 だから私はわかってしまったのだ。

 

 バカみたいだけれど、逆らうことなんて出来ないのだ、と。

 

 

 それが経緯。

 私が今、凛のメイドをやっている事についての。

 早く飽きてしまえばいいのに、と常々思っているが、どうにもエセ貴族気分が高揚しているままのようだ。

 もうしばらくは、この茶番に付き合わされることになるのであろう。

 ……そう考えると、自然とため息が、何処からともなく漏れてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 そして現在、私は夕飯の材料を求めて買い物に出てきている。

 半ば、気分転換のようなものだ。

 頭の中で、今日のメインは何にするかを組み立てながら、店を冷やかして回っている。

 深山の商店街は、色々な食材が揃っていて非常にお手ごろな価格であるから、色んなモノが用意できるのでついつい迷ってしまう。

 

 今日は魚屋ではヒラメが、肉屋では豚肉が安く、考え込んでしまう。

 ヒラメならばムニエル、豚ならば煮込みものにしてみたい。

 そうして私は、迷い、悩み、苦悩してしまう。

 どちらも魅力的で、悪くないと思ってしまうから。

 ならば、八百屋で揃えた食材で、今日のメインを決めるとしようか。

 そう判断しかけた時のことであった。

 

「……ま、マーガトロイド?」

 

 どこからか聞き覚えのある声が、私の耳に木霊した。

 聞いたことのある声。

 ――できれば、今は会いたくない人の。

 

 だけれど、このまま無視をするのも誤解が広まりそうで。

 故に振り向けば、そこには想像通りに唖然としている衛宮君の姿。

 そして隣には、目を真ん丸にしている桜まで居ていて。

 ……何だか、とても気まずいのであった。

 

「えっとさ、マーガトロイド」

 

 衛宮くんが、どこか躊躇しながら、私へと声を掛けてくる。

 彼と桜が戸惑っているのがどうしてなのか。

 それは手に取るように私には分かってしまう。

 いや、誰にだって分かってしまうであろう。

 何故ならそれは……。

 

「なんでメイド姿なんだ?」

 

「出来れば聞かないで欲しいことね」

 

 今、私はメイド服で外を闊歩しているからだ。

 凛に強要されて、私は無理やりこの格好で過ごさせられている。

 例外的に、バイトに行く時だけは、お勤め先が変わるからと私服に着替えているのであるが。

 本来なら断固拒否するところであったが、なまじ早苗の巫女服を着てしまったせいで慣れてしまったのだ。

 だから押し切られる形で、私はメイド服を着るのを是としている。

 本当に馬鹿げた話だ。

 

「……趣味か?」

 

 恐ろしいことを、衛宮くんは訊ねてくる。

 私は頬の筋肉が、ピクリとヒクつく。

 それに私は落ち着けと、自分に言い聞かせながら衛宮くんに返答する。

 

「喧嘩売ってるのかしら?」

 

 ……思っていたよりも私の口は正直だったらしい。

 ポロっと、威嚇するような言葉が漏れてしまった。

 けど、紛れもない本音であることは、私が保証する。

 もしかしたら、わたしは思っているよりも苛立っているのかもしれない。

 

「い、いや、誤解だ!?

 胸を張って堂々としてたから、てっきり慣れてるのかと思って」

 

 嫌なことに、慣れてしまっているからこの姿なの。

 そんな事を、心の中で毒づく。

 けど、実際に言うと、更に誤解が広がりそうだから黙っては置くのだが。

 

「そうですよ、アリス先輩。

 何の気負いもなくメイド服を着てるから、本物のメイドさんの様に見えたんです。

 アリス先輩がヨーロッパの人なのも、本物さんに見えた原因だと思います」

 

 そして桜も、衛宮くんを擁護するように言葉を重ねる。

 ここまで言われてようやくなのだが、少しは落ち着きを取り戻せた。

 逆に似合ってません等と言われた日には、目の前の二人の記憶を消して、私は失踪することだろうが。

 

「堂々としているわけではないわ。

 単に開き直っているだけよ」

 

 それに、似合っていると言われて、ちょっとだけだが気分は良くなる。

 街中で着れば恥ずかしいのだが、確かにこれは可愛い服ではある。

 だから、今だけは悪くないかな、と感じたのだ。

 

「うん、確かに似合ってる」

 

「今は、皮肉じゃなくて褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 衛宮くんにまでそう言われると、思わず顔がにやけそうになる。

 特に恋愛感情を抱いてなくても、異性からそんな言葉を貰えれば嬉しくなってしまうもの。

 

 気が付けば、そんな風に私は丸め込まれていた。

 この二人の素直さに当てられたのかもしれない。

 微笑ましく素直な二人だからこそ、本音で言ってくれていると理解出来た。

 他の相手だと、直ぐに失笑されるのは目に見えている。

 

「ところで何でメイドさんに?」

 

 私が落ち着いたと見るや、即座に質問を飛ばしていくる桜。

 この娘もおしとやかに見えて、中々に胆が座っている。

 けど、別段隠しだてすることでもない。

 いや、話さなければ誤解は広まるばかりだ。

 だから私は、半ば愚痴でも言う感覚で、正直に答えることにした。

 

「凛の趣味よ、きっと成金にでも憧れているのね」

 

 多少の悪評も、私にしている所業からすれば対したものではないであろう。

 憤然とした気持ちで私が告げると、二人は似たような表情を浮かべていた。

 衛宮くんは、あぁ、やっぱりと納得気味の。

 桜は、どこか遠い目をして。

 二人に共通しているのは、引き気味であったこと。

 えぇ、友達にメイドの格好を強要するなんて、どう考えても変態の所業だものね。

 大いに引きなさい、凛の所業に。

 

「気になったんだけど」

 

 下らない事を考えていた私に対して、衛宮くんがこんな問いを投げてきた。

 

「嫌だったんなら遠坂に言って断ればいいんじゃないか?」

 

「それは……」

 

 唐突の衛宮くんからの一撃。

 何故か、たらりと背中に冷たいものが流れていく。

 何と答えるべきか、出来るだけ誤解を招かない形で。

 思考を回転させていく。どう答えるべきかの解を見つけるために。

 

 凛に全ては強要されているの! と答えるべきか。

 いや、でも受諾した私にも、問題は確かにあるだろう。

 なら、この状況は何か?

 もしかして、世間で言うところの合意の上だからセーフ、とでも言うのか。

 ……否である、そんなことはない。

 だったら、私はこう答えよう。

 

「雇用契約のようなものよ。

 私が溜め込んだ凛に対する負債の返済。

 この場合の負債は、借金ではなくて貸し借りとかそういうものね」

 

 誰が悪いとかではなく、これは単なるお仕事なんだと。

 そう言い聞かせて、私は精神安定をさせてきた。

 きっと魔法の呪文か何かなのだろう。

 

「それでメイドってのもなぁ」

 

 私の返答を聞いた衛宮くんは、何か言いたげに口をモゴモゴしていた。

 凛の趣味の悪さに困惑しているのか、それとも私の現状に何かを思っているのか。

 どちらにしても、アレな話には違いない。

 

「遠坂先輩の趣味というなら、確かにそうなのでしょうね」

 

 桜は、頷きながら私のメイド服をまじまじと見ていた。

 見知らぬ他人からの視線ならばここまで気にしないが、知り合いにこうまで注目されると、自分がおかしな格好をしていると、嫌でも自覚できてしまう。

 それが……やっぱり恥ずかしい。

 

「見ないで」

 

 なんだか急に恥ずかしくなってしまい、きつめの言葉で桜を牽制してしまう。

 言ってからしまったと思ったが、桜は別段気にしてはいないようであった。

 

「ごめんなさい、アリス先輩。

 本当に似合ってて、どこからか迷い込んできたんだと思いました」

 

「ウサギを追いかける程に、私は子供じゃないの」

 

「でも、青い洋装の服は似合うと思いますよ」

 

「……褒め言葉なの?」

 

「はい、褒め言葉です」

 

 イマイチ化かされている感の否めない桜の言葉に、首を捻りながらも私は頷いた。

 嘘ではないのだろうと、それだけは分かったから。

 

 そこでようやく、私達は落ち着いた。

 メイド服の話題を延々と続ける事にならずに、軽くホッとする。

 代わりに私がした質問は、とっても日常的なもの。

 

「今日の晩御飯、何にするのかしら?」

 

 衛宮くん達がここに居るということは、普通に買い物しに来たということ。

 この商店街が扱っているものは基本的に食材が多いため、夕飯の買い物という推察が成り立つ。

 そうして訊ねた私に、衛宮くんは手提げの買い物袋の中身を見せてくれた。

 淀みない動作を見せてくれる衛宮くんは、所帯染みててすっかり主夫そのものである。

 

 そして手提げかばんの中身は、ジャガイモ、人参、豚肉、玉ねぎであった。

 おおよそ、何を作るのか予測の付きそうな材料。

 あぁ、と思って呟いた。

 

「カレーね」

 

 多分間違っていない。

 そう思っていたのだけれど、衛宮くんによってそれは否定される。

 

「肉じゃがだよ」

 

「肉じゃが?」

 

 聞いたことのない料理。

 発音的に、大いに日本の料理なのだろうけれど。

 恐らく抜けた顔を晒している私へ、衛宮くんが説明をよこしてくれる。

 

「肉じゃがってのは、日本版のビーフシチューみたいなもんだ。

 味付けにワインじゃなくて、醤油とか味醂を使ってる。

 日本人の舌に合わせてある料理だな」

 

「へぇ、面白いわね」

 

 今日の晩御飯は、ビーフシチューならぬポークシチューで行こう。

 そう私の頭の中で、今日の献立が決定した。

 凛も、別に嫌とは言うまい。

 

「他にも、オムライスとかナポリタンも洋食が日本食に化けたものだったはずだ」

 

「西と東、伝わった先でも、文化によって形を変えるものなのね」

 

「これだから料理は奥深いんだよな」

 

 本格的に主夫からシェフへとジョブチェンジするつもりなのか。

 衛宮くんの弁は冴え渡っていた。

 普段、あまり喋る方でない彼がここまで熱くなってるのは、それだけ料理が好きという事だろう。

 彼の隣にいる桜も、それをとても微笑ましげに、楽しそうに聞いている。

 相性はピッタリなのだろう。

 これだから、つい私はこの二人をからかいたくなってしまうのだ。

 

「それじゃあ、これ以上若い二人の邪魔をするのは憚られるから、そろそろ行くわね」

 

「若いってお前も一緒の歳だろう」

 

「年齢の事じゃないわ。

 恋愛してる貴方達の情熱はね、若いってことなのよ」

 

「んなっ!?」

 

「アリス先輩ったら、もぅ」

 

 衛宮くんは顔を真っ赤にして絶句し、桜は照れながらも嬉しそうにしている。

 本当にこういうのを見ていると、何時までもイジっていたくなってしまう。

 そんな抗いがたい魅力を振り切って、私は二人に軽く手を振りその場を去る。

 

 さぁ、まずは豚を買いに行こう。

 そして凛に死ぬほどポークシチューを食べさせて、肥えさせてしまおう。

 えぇ、それくらいなら、私にだって許されるはず。

 

 そんな馬鹿なことを考えながら、私はさっさと買い物を済ましていく。

 買うものが決まったのなら、拙速を持って買い漁ろう。

 この姿で、何時までのこの商店街にいる訳にはいかないのだから。

 そうして向かった店の先々で、生暖かい視線を向けられたのは、どうでもいい話だ。

 オマケで物を沢山貰えたのだけが唯一と言って良いことであった。

 ……男の人って、割とロクでもないのかもしれない。

 こんなことを考えてしまう程度に、割とお得な買い物であったのだった。

 

 

 

 

 買い物を終えて遠坂邸に戻った私は、無言でポークシチューを錬成した。

 およそ4人前くらい。

 それをひたすらに凛に勧めるのが私の役目。

 

「おかわりならあるわよ」

 

「あんた何でこんなに作ってんのよ」

 

 無論、凛の冷たい視線に晒されることとなったのであるが 、わざわざ気にする必要もないものである。

 メイドをしている間に、少々ばかり心が鍛えられてしまったのだ。

 

「私はご主人様の為を思って……」

 

「もう完全におちょくる気しかないわね、こいつ」

 

 悪い? と聞き返したいところであるが、藪蛇は御免なので沈黙を貫く。

 それにしても凛は、ブツクサ言いつつもスプーンを動かすのは止めていない。

 日本人特有の、勿体無いという精神が存分に発揮されている。

 こういうのがあるから、凛の貴族趣味的なモノには失笑してしまう。

 が、こちらの方が、私としては親しみ深くて結構なのだけれど。

 

「あんたももっと食べなさいよ。

 私ばっかり食べてるじゃない」

 

「私は小食なの」

 

「私だってそうよ!」

 

 ギロりと、殺気立った視線を向けられる。

 あんたねぇ、と視線に乗った力が語りかけてくるのだ。

 だから仕方なく、私もスプーンを動かす。

 凛の皿が空になったら、即座にお鍋からポークシチューをよそう。

 睨まれるが、一切合切気にしない。

 そっと、レタスやトマトで彩られたサラダを追加するのも忘れない。

 栄養バランスは、しっかりすべきであるのだから。

 

「……これ以上食べられないわ、明日の朝に回しましょう」

 

「遠慮しなくていいわ」

 

「殺すわよ?」

 

 無表情で返答した私に、笑顔で凛は告げた。

 あまりの爽やかな笑顔に、有無を言わせぬ迫力を感じざるを得ない。

 腐ってても凛、流石と言える威圧感だ。

 

「しょうがないわね」

 

「しょうがないのはあんたの頭よ」

 

「凛の趣味ほどではないわ」

 

「うっさい、少女趣味」

 

「可愛らしいでしょう?」

 

 うげ、と凛が失礼な声を漏らす。

 はっ倒してやりたくなるが、そこは渋々我慢する。

 言葉は無礼でも、態度だけは慇懃でいるよう心がけているから。

 ……ここ数日で、すっかり凛に飼い慣らされた感があった。

 戯けた事この上ない話である。

 

「ところで凛」

 

「あによ、アリス」

 

 お腹をひどく気にしている凛。

 そのせいか、私がご主人様呼ばわりしてなくても、気にする余裕はないようだ。

 その代わりに、疎ましそうな視線を私に向けてくるが、あまり気にしない。

 わざわざ気にしていたら、この遠坂家ではやっていけないから。

 それよりも、今日衛宮くん達に言われて、凛に聞いていなかった事を思い出したのだ。

 

 だから私はちょっぴりと気になって、クルンとその場で一回転する。

 白のエプロンがたなびき、メイド服のスカートがフワリと舞う。

 そして飛びっきりの笑顔を浮かべながら、私は彼女に訊ねたのだ。

 

「ずっと聞いてなかったけれど……私、この服似合ってる?」

 

 呆けた顔をしている凛。

 イキナリの事で驚いているのか、中々の固まり具合。

 奇襲成功といったところか。

 私は微笑を浮かべつつ、凛に顔を近づける。

 

「で、どうなのかしら?」

 

 多分、私の浮かべている微笑はいたずらっぽい笑顔に変質していると思う。

 けど、これだけの事をやられているのだから、多少の反撃はしておきたかったのだ。

 むしろ、昼間の衛宮くん達との遭遇で、吹っ切れたとも言える。

 

 しかし凛も、何時までも固まってはいなかった。

 ボケっとした顔から、睨んだような顔になって、その次は考えるような表情をする。

 そして最後に、はぁ、とため息をついたのだ。

 

「はいはい、私が着るよりよっぽど似合ってるわ」

 

「そう?」

 

「何回も聞くな、それに私は使用人じゃないから良いの」

 

 呆れたように凛は言い、けれどもどこか認めてくれるような響きもあった。

 きっと、心からそう思ってくれたのだと感じれる。

 

「凛が着ても可愛いと思うけれどね」

 

「その服はファッションで着るもんじゃないのよ」

 

「分かってるわ。

 けど、それはあまりに甲斐がないでしょう?」

 

 そこまで言うと、凛はあっそうと言い、処置なしと言わんばかりの表情を浮かべた。

 女の子なのだし、これくらいは別段どうってことないと思うのだけれど。

 凛からすれば、この服はどうにも作業着以外の何者でもないのかもしれない。

 それとも傅くための衣装だから、彼女のプライド的に素直になれないのか。

 凛には凛なりの考えがあるだろうから、強要などはするつもりなどないが。

 だけれど、私は可愛いものが好きである。

 だから凛のメイド服姿が見れないのは、やはり残念に感じずにはいられなかった。

 

「何にしろ最後の日まで、その姿でいてもらうんだから。

 もっと扱き使ってあげるわ、アリス」

 

「……程ほどにね」

 

 凛は、相変わらず無情なことを言う。

 けれど、少しだけなのだが、このメイド服には好意的になれた。

 そのお陰で、もう少しだけ続けてもいいかもしれない、とそう思うこともできたのであった。

 

 

 

 

 

 そしてメイドとして過ぎていく日々。

 買い物に出かける度に目を剥いていた商店街の人達も、もうすっかり何時もの通りにいらっしゃい、アリスちゃん等と声を掛けてくれるようになった。

 有難いような、屈辱のような、複雑な気持ち。

 それに、私がメイド服を着て行動する範囲は、商店街のみに限定していたので、幸い衛宮くんたち以外と出会うことはなかった。

 間桐くんなんかにであっていたら、私は確実に彼をしばいていたところだろう。

 

「今日が最後の奉公よ」

 

「あら、もうそんな日なのね」

 

 気が付けば、夏休みも最終日。

 慌ただしく過ごしている時間は、あっという間に時が流れていく。

 休みと名のついている割に、些か忙しすぎた気がするのは気のせいではないであろう。

 どいつもこいつも、私を酷く扱き使ってくれたのだから。

 

「何時も通りにやれば良い」

 

 誰に聞かせるでもなく、私自身に呟く。

 今日で最後、やっとかという感覚だ。

 いくら服が可愛くて実用的でも、何日も着ていてはやはり疲れてしまう。

 むしろこの服に慣れてきている自分がいて、顔を引き攣らせたのは今日の朝のこと。

 然も当然のように、メイド服に袖を通していた時の、あの筆舌にし難い感覚といえばもう度し難いとしか言い様がなかった。

 

「何時も通り、何時も通り」

 

 そう呟きながら、遠坂邸を軽く掃除していく。

 あいも変わらず広い館な為、一々手を掛けて掃除などしていられない。

 あと、地下は混沌としているので、もう二度と近づこうとは思わない。

 本当になんなのだろう、あの魔術道具に混じっているエキスパンダーや鉄アレイは。

 凛がしなやかな体付きをしているのは知っているが、彼処まで行くとそのうち筋肉だらけになてしまいそうな気がする。

 

 脳筋……考えてみれば、武闘派な凛は元から脳筋だった。

 今更悩むのもおかしな話であろう。

 

「あ? 今変なこと考えなかった?」

 

「気のせいよ」

 

 脳筋特有の超感覚か何かで、凛は私を睨んできた。

 が、凛がアレなのは元からの話であるし、別段変なことではない。

 そんな理論武装を脳内で振りかざしつつ、私は淡々と作業をこなして行く。

 手早く、見目良く、大胆に。

 すっかり手馴れたなと思うと、自分が悲しい生き物のように感じてしまう。

 

「あ、アリス、紅茶入れてきて」

 

「ちょっと待ってて」

 

 そして私の作業が一段落着いたと思ったら、凛は即座にこうやって指示を飛ばす。

 今日で廃業するメイドを、精一杯働かせようとする魂胆が明け透けて見える。

 貧乏性も、ここまでくれば勤勉家と称しても良いのかもしれない。

 雑に扱われている私からすれば、たまったものではないのだけれど。

 

「紅茶、持ってきたわ」

 

「ありがと。

 ……アリス、午後から何か予定入ってる?」

 

 紅茶を一口飲んでから、凛は何気なく言った。

 が、元よりメイド業が忙しくて、予定など入れられてない。

 

「買い物に行く程度のものよ」

 

 暗に、凛のせいでどこにも行けないの、と非難の視線を向けるが、どこ吹く風と言わんばかり。

 鋼鉄製ワイヤーロープの凛の精神性は、微塵も揺るぎない。

 感動も憧れもしないが、そこは素直に褒めても良いかもしれない。

 ……今はとっても迷惑だけれど。

 

「ふーん、ならさ」

 

 凛は紅茶を飲みながら、突然にこんな事を言ってきたのだ。

 

「私も買い物、付き合うわ」

 

「は?」

 

 急に何を言ってるのか、企んでいるのか。

 そんな困惑が、私の中に押し寄せてくる。

 けれど凛はケロリとした顔で、続きを言う。

 

「最後だし、多少はいたわってあげるって言ってるの」

 

「あぁ、そう」

 

 なら、もう今から終わりにして欲しいものだ。

 そう強く思うが、意に返さないことは、ここ数日の事で明白。

 仕方なく、だけれど少しの嬉しさを持って。

 私は凛の提案を呑む事となった。

 きっと凛からすれば、ここまで頑張ったご褒美なのだろう。

 だから、少しは楽できると、そう思っても間違いはないに違いない。

 

 

 

 ――そう思ってた時期が、私にもあった。

 

 私は、凛と一緒に楽しく買い物でもして、夕飯を二人で決めて、一緒に料理するところまで夢想していた。

 実に甘い、砂糖菓子のような空想。

 けれど、現実はどうなのだ?

 一体、どうなっているのか?

 それは……、

 

「アリス、これも持って」

 

「……凛、どうして私は荷物持ち何てしているのかしら?」

 

「あら、アリスは私のメイドでしょう?」

 

 馬車馬の如き扱いをする凛と、仏頂面で荷物を持つ私。

 それが答えであった。

 巫山戯てるの? とか、何を考えてるの? とか、色々と思うところはある。

 でも、それはやっぱり、という諦観へと落ち着くこととなる。

 ここ数日で、働かされすぎたのだの。

 ひねくれた考えであろうが、これくらいでは最早私の精神は崩れそうにない。

 唯ひたすらに、凛に付き従うのみだ。

 ……不満はあるけれど。

 

「ほら、次に行くわよ」

 

 凛はそう言って、私を強引に連れ回す。

 ある時には白菜やら海老やらを買い込んで私に持たせ、ある時には豆腐や豚肉のブロックなども持たさせられた。

 従者の如き扱い、事実としてそうであっても腹立たしい。

 だから私は、無言で、むっつりした顔で凛についていく。

 買い物の内容は、食材だから恐らくは今日の晩御飯。

 凛が好き勝手に買っているけれど、一体どうするというのだろうか。

 私に調理を放り投げるのなら、激怒してしかるべき案件ではあるが。

 

「アリス」

 

「何?」

 

 凛に声を掛けられて、冷えた声を返してしまっていた。

 案外、鬱憤が私の中で蓄積されていたのか。

 自分で思っていた以上に、ピリピリとした空気を放っていたようだ。

 それに気がついたのか、凛は軽く溜息を吐いた。

 こちらが吐くのを我慢しているというに。

 

「ここらでお茶にしましょ?

 もちろん、私の奢りで」

 

 だからか、その提案で、ようやく溜飲が少し下がったのだった。

 気が抜けて、ため息一つが口から飛び出る。

 扱き使うだけではなく、飴を与えるということも知っていたようだ。

 

「とびっきり高いものを注文してやるわ」

 

「はいはい」

 

 ぞんざいだけれど受け入れてくれる凛に、ちょっぴり甘える形で寄りかかる。

 もう色々と疲れているのだ。

 だから気を張って神経を尖らせていたが、もうどうしようもないくらいに緩んでしまっている。

 きっと、もうメイドには戻れない。

 けど、凛の浮かべている可愛がってやろうという表情から、もう解放されたのだと、どことなく察することができた。

 なので、これから少し凛にもたれよう。

 それで、全てを流そうと思えたのだ。

 

「こっちよ、アリス」

 

 凛に手を引かれて来たのは、深山商店街の一角にある喫茶店。

 雰囲気は良く、洋物風のインテリアがあちこちに設置されている。

 店主の趣味が良いのだろう、落ち着いた印象が持てる店だった。

 

「はい、メニュー表ね。

 何か食べたいものある?」

 

 凛から渡されたメニュー表を受け取ると、そこには料理からお菓子まで、様々な料理が載っていた。

 メニューの写真を見ながらそれにするかを考えていたら、ある一点で視線が止まった。

 それは、赤と白が織りなす、一種の芸術品。

 商品名は、苺パフェと書かれていた。

 自然と、目がそこに惹きつけられていたのだ。

 

「アリスも決まったようね」

 

 凛は目敏く、その事に気付いた様で。

 早速店員を呼びつける。

 

「私はこれで、アリスは?」

 

 凛に訊かれて、私は苺パフェを指差す。

 それを見た店員は、こう復唱した。

 

「チョコレートパフェがお一つと、苺パフェがお一つ。

 以上でよろしいでしょうか?」

 

「あ、あと、紅茶も二つよろしく」

 

「かしこまりました」

 

 そう言って去っていく店員の姿を見つつ、楽しみにしている自分が居ている。

 最近は忙しくて、甘味を嗜む時間が取れなかったから。

 ボンヤリとそんな事を考えていて、そしてふと気付く。

 

 ――あぁ、やっと冬木の日常へと戻ってこれたと。

 

 冬木を出てから、私はどこかで非日常を感じていた。

 非日常は楽しめても、日常へ帰れないのはどこか違和感があって。

 冬木に戻ってきてからも、未だに日常から離れていた毎日に、どこかで齟齬を感じずにはいられなかった。

 やはり、ずっと日常から離れていると疲弊してしまう。

 今更ながらに、今の自分を見て分かった事がそれだった。

 

「どうしたの? ぼぉっとしてるけど」

 

「疲れがどっと出たのよ、誰かさんのお陰でね」

 

「……ちょっとは悪かったと思ってるわよ。

 だから今、こうしてるんでしょう?」

 

「私は随分安いのね」

 

「だってあんた、高すぎると逆に引くでしょ」

 

 ご尤も、理に適った言葉である。

 が、それは胸の中に秘めていてこそだとは思うけれど。

 口に出してしまえば、かなり身も蓋もない言葉なのだから。

 

「あ、きたきた。

 アリス、お菓子食べてる時くらいは、嫌なことを一回忘れなさい」

 

「……それもそうね」

 

 女の子にとって、その時間は至福にして神聖なものなのだ。

 その提案、乗るのにやぶさかではない。

 むしろこちらから、積極的に乗っかっていくつもりだ。

 運ばれてきたパフェ達、どれも美味しそうでキラキラ輝いてるようにも見える。

 一つ、スプーンで表面を崩す。

 そしてスプーンに纏わりついた赤と白のクリームを口に運んで一言、私は呟いた。

 

「ん、美味しい」

 

 いちごの甘酸っぱさとクリームのなめらかさが生み出す風味は、私の味覚を急速に支配していく。

 程よい甘さといちごの酸味が同居して、婚約でも交わしているかのようだ。

 どことなく、青春の味とでも名付けたくなるような風情である。

 頭が春とでも言われそうなので、口には出さないが。

 

「こっちも中々よ」

 

 一方で、美味しいという私の小声を聞き取った凛が、笑みを浮かべて話しかけてくる。

 凛の混じりっけのない表情からは、甘味は女の子を笑顔にするという法則が存分に働いてるのを理解できる。

 そうねと凛に返事をした瞬間、ちょっとした衝動に駆られた。

 一体何の衝動かといえば、ひどく単純なもの。

 

「凛、こっちを一口あげるから、そっちも一口頂戴」

 

「いいわよ、ほら」

 

 勝手に取りなさいと言わんばかりに、凛がチョコレートパフェのグラスを、にゅっと突き出してくる。

 ありがたく、その中身を一口分掬う。

 口に運べば、蕩けんばかりの甘さが私を蹂躙しにかかる。

 ただ甘いのではなく、口の中で蕩けていく感覚。

 冷たく甘いそれは、包み込むような包容力があった。

 

「ありがとう、凛」

 

「じゃあ私も、アリスのを一口もらうわね」

 

 そう言って、凛はスプーンをこっちのパフェへと伸ばしてくる。

 ……けれども、しかし。

 私は、それを避けるように、自分のパフェを凛のスプーンの矛先から逸らして守る。

 すると当然の如くに……。

 

「何のつもり、アリス?」

 

 ピキリと、表情が凍った笑顔に変わった凛の姿がそこに顕現した。

 ふざけんなよと視線が圧を持って語りかけてくる。

 けど、きちんと凛に返すつもりはあるのだ。

 だから私は、凛に負けない笑顔で武装して、自分のパフェをスプーンで掬った。

 凛の視線が一等厳しくなる……が。

 睨まれる中で、私はそのスプーンを凛へと向けたのだ。

 

「あーんして」

 

「っんな!?」

 

 虚を突かれたかの様に、凛の表情は笑顔が驚愕へと変化する。

 それを見て、私は一発仕返しができたとほくそ笑む。

 流すといっても根に持ってないわけではないのだ。

 この程度の些細な悪戯なのだから、許す寛容さを私は求めよう。

 

「どうしろってのよ」

 

 凛の目が、どこか胡乱げに漂い始める。

 仕返しなんでしょ? と小声で呟いているのも聞こえてくる。

 そうよ、と肯定すると、凛は目を瞬たせて、次の瞬間には大胆に行動していた。

 

「はむっ」

 

 躊躇なく、私のスプーンをくわえ込む。

 逆に、私のほうが驚いてしまう。

 もうちょっと照れると思っていたから。

 けれど、凛は気にした素振りも見せない。

 何か問題ある? とでも言わんばかりのふてぶてしさだ。

 ……少々、凛を見誤ってたかもしてない。

 

「いちごも良い味ね」

 

「チョコの甘さもクセになりそうだったわ」

 

 平然としてる凛に釈然としなささを感じるが、私も大して気にしてないフリをする。

 一応、申し訳程度の仕返しだったのだけれど、失敗に終わってもう良いかと私は諦め気味に思った。

 だって、これ以上は無駄に足掻けば凛に呆れられて馬鹿にされそうだから。

 だからもういいと、私は思っていたのだけれど……。

 けれども、しかし。

 凛は、そんなに甘くはなかった。

 

「そういえば、アリスの時はやってあげてなかったわよね」

 

「何を?」

 

 聞き返せば、凛はニンマリと笑った。

 獲物をいたぶる猫の目だと錯覚させられる。

 ……非常に嫌な予感がした。

 そうしてこういう時、妙にその予感は的中するというのが鉄則だから。

 

「ほら、あーん」

 

「………………っ」

 

 本当に、えぇ、因果は廻るものなのだろう。

 モノの見事に仕返しをされてしまっていた。

 ニマニマしている凛に、冷や汗を流している私。

 怯んでいた、私は、凛の所業に。

 意趣返しなのだろうが、十二分に効果が発揮されていると言っても過言ではない。

 

「いらないわよ、別に」

 

「そういう問題じゃないの……食べなさい」

 

 命令形だった。

 しかもスプーンを口元に忍ばせてくる。

 咄嗟に口を開けてしまった私に、凛はスプーンを抉りこんでくる。

 ……何てことをしてくれるのだろう。

 

「どうしたのアリス、そんなに顔を赤くして?」

 

「一々訊ねてくるのが、わざとらしいのよっ」

 

 凛にあーんをした時よりも、私の時の方が動揺している。

 これは勝ち負けとかはないけれど、それでもひどく負けた気分。

 イタズラするつもりだったのが、イジメ返されてしまった。

 凛の方を見ると、気にした風もなく悠々とパフェを貪っていた。

 きっと、気にする方が馬鹿なのだろう。

 そう思い込んで、私もパフェの続きを食べ始める。

 

 ……さっきよりも、甘酸っぱい味が口に広がった。

 

 

 

 

 

 パフェを食し終えた後、私達はそのまま遠坂邸に直帰した。

 荷物も、二人で分割して持ちあっての帰宅であった。

 

「今日のご飯は……」

 

「私が作るわ」

 

 買い込んだ食材を眺めていると、凛がそう言いキッチンへと移動をはじめる。

 ……成程、労いがどうというのは、これの事を指していたのだろう。

 凛が自分で食材を吟味していた時に気付けるはずだったけれど、そこまで頭が回る精神状態ではなかった。

 けど凛の行動を思い出してみると、何だかんだで納得がいく。

 なら、折角だし甘えてご馳走してもらおう。

 

「待ってるわ」

 

「期待してなさい」

 

 大言にも聞こえるが、凛の中華料理の腕は確かなものがある。

 何ら心配なく、後は待ち構えていれば良い。

 

 でも、凛がわざわざ気を使ってくれるとは。

 これはこれで、悪くない気分だ。

 お勤め終了による開放感と、私を酷使していた凛が動いてくれている。

 それだけで、十分に心労が安らいでいく。

 結局、安い女だと自分でも思うが、お得な女だと思っておこう。

 

 うつらうつらと、そんな事を考えている内に、どこからか料理の匂いが漂ってくる。

 そろそろなのだろう。

 私は、リビングより香ばしさ漂う方角へと足が誘引されていく。

 

「出来た?」

 

「大体はね」

 

 キッチンに顔を出すと、凛が料理を皿に盛り付けて、机に運んでいっているところであった。

 更には、餃子やエビチリ、八宝菜といった色とりどりの面子が首を揃えている。

 料理を運ぶのを手伝いつつ、水周りを見てみると洗い物が溜まっている。

 

「あれ、洗わなくていいの?」

 

 指差すと、凛はどこか馬鹿にした様な目を合わせてきた。

 

「そんなことしてたら冷めるでしょう?

 水につけてあるから大丈夫よ。

 それよりさっさと席に座りなさい」

 

 少し鼻白むが、尤もな意見なのは確かだ。

 凛に従い、私も席に着席する。

 すると、凛がいきなり私に目を合わせてきた。

 真剣さの中に、少々の気まずさを交えた目。

 何を言えば良いか分からなくて沈黙すると、凛は訥々と話し始めた。

 

「最初はね、苛々してたのがあったの。

 物事が上手く行かなくて、都合通りにならなくて。

 でも、始めはそうでも段々と楽しくなってきて、調子に乗ってたと思うわ。

 何が言いたいかって言うとね、それは、その……」

 

 言葉を詰まらせて、でも軽く息を吸ってから、凛は言い切った。

 

「悪かったわね、あんたに当たり散らして、理不尽なことを強要して」

 

 それは凛の真っ直ぐな謝罪だった。

 素直な謝りを見せる事のない凛からの、精一杯振り絞っての。

 

 凛も、今回の事で私が不満を溜め込んでいたのを察したのだろう。

 だからこうして、料理まで作って謝りに来た。

 彼女なりの、精一杯の譲歩。

 普段は器用なのに、今だけは不器用で。

 凛の拙い可愛らしさが、私にしっかりと伝わってくる。

 だから私は、

 

「元から許してたけど、今ので全部完済ね」

 

 あっさりと、それを受け取った。

 拒む意味もないし、負の感情よりも凛のいじらしさの方が上回ったから。

 

「じゃ、食べましょう。

 凛が言った通り、早く食べないと冷めてしまうわ」

 

「……ありがと。

 うん、そうよね。

 腕によりを掛けて作ってるから、味わって食べなさい!」

 

 凛が明るく笑って、重かった空気は霧散する。

 これより、楽しい夕飯の始まりだ。

 精一杯、凛の感謝を味わうことにしよう。

 それが、私の夏休み最後の思い出になるのだから。

 

 今日で終わる最後の休みと、明日から再開する学び舎での日々。

 それを思い浮かべながら、私は箸を伸ばして行って。

 

 ――凛の中華は、やはり美味しかった。




季節は気付けば秋。
ずっと続いていた夏に終が訪れてホッとしております。

――夏、ずっと、エンドレスエイト……あ、頭が痛い!?

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