冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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ネタバレ:メリーちゃん主役回

それから、訂正とお詫びを申し上げます。
メリーが蓮子と出会ったのは、8年前です。
素で計算ミスしてるのに気がついて、白目を向いたのはここだけの話です。


第23話 本当の私

 私が夢を見るようになったのは、一体何時頃からだろう。

 ふとした疑問が、波紋の如く心に広がる。

 

 夢、そう、私は夢を見る。

 この身は人成らざる者でありながら、人である夢を。

 私はその娘の眼を借りているだけだけれど、それでも分かる。

 否、感じるのだ。

 

 ――あぁ、こうも世界は尊いのだと。

 

 ……確か、そう。

 8年程前から、儚いものを見るようになったのだ。

 

 人と親しむ夢。

 唯一無二であろう運命の少女と出会えた、平凡ではあるが幸せな夢。

 

 そんなありふれたモノ、幾らでも見たことはある。

 人里で、山で、川で、空で、地下で――。

 どこにだって、落ちているモノ。

 

 しかし、幾ら見ても私に馴染むことはなかった。

 あぁ、そう、と思うだけ。

 幾らか、利用した覚えもあるモノである。

 

 だけれども、私の見る夢の中だけでは……。

 そう、夢の中だけでは、貴さを得られた。

 眼の持ち主は本当に幸せを感じていて、その溢れた思いが私にも流れて来るのだ。

 

 支流へと逸れる水流のように、私に至って満たしてくれる。

 その感情が、手に取るように分かる。

 他人を見ても理解できない感情が、その娘の眼を通してなら理解できる。

 

 身も心も、眼の娘に犯されているのか。

 これ程に馴染んでいるのだから、ついそんな事まで考えてしまう。

 だけれど、直ぐに理由など理解できる。

 

 ――ただ、境界が曖昧になっているだけ。

 

 私が誰で、何者の意識を通しているのかが混濁している。

 それだけのこと、何の事はない。

 私はすぐに修正できて、正しく調律出来るのだから。

 焦る必要など、どこにも感じる必要はない。

 

 だからか、私は溺れている。

 微睡みながら見る夢の中で、私は彼女を通して人間の心を得るのだ。

 

 人間であること、それはきっと不幸なこと。

 幸せと不幸の秤が揺れて、直ぐにどちらにも傾いてしまう。

 安定しない()で、全てが左右されてしまう。

 余分さに満ちている、余計なモノ。

 だけれども、その余分さが贅沢なのだろう。

 

 人ならざることは、決して不幸にはならない。

 ずっと幸福のままで……幸福とは、何なのかが分からなくなってしまう事。

 全てが刹那的で、ただ堕ちていくのみの世界。

 幸福も不幸も、秤そのものが壊れているのだから測りようがない。

 

 それは、そう。

 生きているのに生きていない、常に夢を見ているのに等しいのだ。

 幾千、幾万の時を超えなければならない者にとっての宿命。

 常に酩酊し、感覚が、五感が、鈍い。

 感じることも、伝わるものも麻痺している。

 これでは、とても鬼を笑えない。

 

 

 ――そんな中で、私は夢を見た。

 

 それがあの夢、視点の持ち主と一体になって、私は心を揺れ動かす。

 夢を見ている間、それはとても刺激的な時間。

 全てが新鮮で、ワクワクもドキドキもできる。

 退廃的なものを忘れて、私は夢を見続ける。

 

 それが、私にとっての最近の娯楽。

 何よりも大切な、退屈しのぎ。

 一種の、何者にも侵されない楽園。

 彼女の世界はそう作られている。

 要らないモノは間引いて、幸せになれる状態を作り上げている。

 彼女が幸せにあるように、それが私の甘味を喰むような感情を生み出すのだから。

 それを心がけて、私は時折暗躍し見守ってきた。

 

 それが崩れたのは、つい最近のこと。

 それは、彼女が余計な事を考え始めたのが始まり。

 即ち、自分の起源について。

 

 気にしなければ、ずっと幸せで在れるだろうに。

 気付かなければ、ずっと浸っていられるだろうに。

 どうして、そんな事を気にするのか。

 気になって考えていると、それは彼女の心が教えてくれた。

 彼女から流れてくる心は知らなければ、という義務感であったのだ。

 

 ――なんて、愚か。

 

 そう思わずにはいられない、瑣末なこと。

 知らなくても今まで上手くやってこれたのに、自ら破壊しようとするのだから、思わず笑ってしまいそうになる。

 でも、だからこそ、彼女は人間なのだろう。

 曖昧な境界からの視点で、私はそれを然りと理解していた。

 それだけ、人間の、彼女の心に浸っていたのだから。

 

 だからか、私も少しばかり、愚かになっていたようで。

 ほんの少し、馬鹿みたいな悪戯を仕出かしていた。

 

 それは、彼女を諦めさせようとしているもの。

 彼女の行く手を僅かに邪魔するだけのもの。

 だけれど、それは稚拙が過ぎて、あまり効果は発揮されなかった。

 どうしてその様な手ばかりを選んだのか。

 何故か、自身に問いかけると、答えは容易に浮かび上がる。

 

 ――どうしてだか、本気では邪魔をする気にはなれなかったから。

 

 彼女、マエリベリー自身が決めたことだからなのか。

 それとも、それすらも私は楽しんでいるだけなのか。

 ……考えれば、そんなことは直ぐに分かる。

 結局のところ、私は遊んでいるだけなのだろう。

 

 だけれど、それももう終わりだ。

 無粋な娘が割り込んできたから。

 賢しらなのは悪いことではないのだけれど、この場合に至ってはあまりよろしくなかった。

 

 ねぇ、分かっているのかしら?

 彼女が自分を識るという行為。

 それ自体が、きっと彼女を傷つけるという事を。

 それでも彼女が識りたいと言うのであれば……。

 

 ――私に、言葉を届けてご覧なさい。

 

 

 

 

 

「なに、これ」

 

 思わず、といった体で宇佐美さんが言葉を漏らす。

 それほどに不気味な、一種の門のようにも感じる空間の裂け目。

 ……呑まれれば、彷徨い出られなくなると強く感じてしまう、そんな穴であった。

 

「境界が、歪んでいるのね」

 

 そして、ハーンさんは何かを理解したかのように、そう独語した。

 彼女は、その穴を不気味がることもなく、まじまじと見ている。

 私の眼でも曖昧なものが、彼女には理解できるらしい。

 それは彼女の能力が専門的だからなのか――それとも、親和性が高いからか。

 

「どちらにしても、出てくれば分かることね」

 

 わざわざこうして、呼びかけに答えたのだ。

 答えない、だなんて真似はするはずがないであろう。

 それは確信を持って言えることで……。

 

 さて、どう呼びかけようか、という時に、それは起こった。

 

「あら、ご機嫌よう」

 

 ――何時の間にか、空間の狭間に腰掛けている女性が、そこに居た。

 

 扇子で口元を隠しながら、私達を観察するような視線。

 するりと、心を覗かれるように感じる雰囲気。

 そして何よりも特筆すべき事があるとすれば……。

 

「メリ、ィ?」

 

 驚いたように、宇佐美さんがハーンさんと現れた女性を交互に見ている。

 そう、彼女はとても既視感を覚えさせる容姿をしている。

 黄昏色の髪に思慮深い目、緩やかなドレスを纏って彼女はそこに存在していた。

 妖艶な美しさで着飾って、でもその見た目は、知っているもので……。

 

「貴方が欲しいのは楽園かしら、それとも知恵の実?」

 

 囁く様に、詠うように、彼女は言葉を繰る。

 知っているけれど、それでも違うとはっきりと理解できる。

 だって彼女(ハーンさん)は、こんな俯瞰した表情なんて、しないのだから。

 

「成程ね、蛇の正体は自分の合わせ鏡なのね」

 

 故に、これが虚像であり、水面(みなも)を覗いているだけだと、私は感じたのだ。

 すると目の前の彼女は、微笑んで私に目を向けた。

 どうしてだか、その目は背中をゾクリとさせる。

 だから、私は理解できた。

 

 ――これは、魔性であると。

 

「そうね、それは一概には間違っていないわ。

 己が内から生まれた衝動でも、人は他人のせいにしたがるモノですものね

 賢いアリス、貴方には分かるのでしょう?」

 

「趣味が悪い上に余計なお世話よ」

 

 知ったように、いえ、私を覗き見たのだろう。

 見たところ、境界を弄する事に長けているようでもあるから。

 まるで服を剥がされたような感覚に、不快さを覚えずにはいられなかった。

 

「あなた、嫌われ者でしょう?」

 

「いえいえ、私の徳に平伏する者は多いものよ」

 

「……胡乱さの塊ね」

 

「麗しさ、の間違いでしてよ」

 

 どの口が言うか。

 呆れ八割、反発二割で私は彼女を睨み付ける。

 ただ、良くも怪しくそこまで口が回るものだと、そこだけは感心しながら。

 

「あなたに訊きたい事があるの」

 

「貴方が飼っているのは猫かしら?

 いえ、どうやら人の良い虫のようね」

 

「綺麗な薔薇を育てているつもりよ」

 

「虫が育てる薔薇は、さぞ穴だらけでしょう」

 

 良くもまあ、ここまで揚げ足取りが出来るものだ。

 ……いけない、呑まれ掛かっている。

 

「あのっ!」

 

 私達が言葉の刃をちらつかせていると、業をにやした様に、宇佐見さんが口を挟んできた。

 素直に、不利に立たされそうであったから、純粋に助かったとため息を吐きそうになる。

 

「残念ですわ、賢い子を虐めるのが趣味ですのに。

 掌でクルクルと」

 

「お釈迦様を気取るには、意地悪が過ぎるのよっ」

 

 睨みながら、宇佐見さんは怪しい彼女を糾弾する。

 それにどうにも、私は心にメスを入れられた気分になった。

 遊ばれていたことからか、乗ってしまった事からか。

 何にしろ、言葉を弄するには、些か相手が悪いと言うことは理解できた。

 

「この際直球に聞くわね、あなたは何者なの?」

 

 宇佐見さんの直球の質問、それがこの場での最適解なのかもしれない。

 真っ直ぐなものほど、誤魔化しづらいモノがあるのだから。

 

「貴女の目には何に見える?

 人間? 妖怪? それとも……貴女の親友にでも見えますか?」

 

 それでも、扇子で口元を隠したまま、目の前の彼女は煙に巻くようなことを言う。

 答えるつもりなんて、これっぽちも無い様な態度である。

 

「どれも違うね、そうは見えない。 

 けど、一つ気になる事といえば」

 

 けれど、宇佐見さんはめげずに彼女に言葉を向ける。

 彼女の土俵に立つことなく、でも懸命さを身に纏って。

 

「どうして、メリーと同じ顔立ち、なの?」

 

 遂に、宇佐見さんが核心への疑問を投げかけた。

 目の前の彼女の顔は、明らかにハーンさんと一緒のもの。

 いや、ハーンさんが成長したらこうなると、そう推測できる顔立ちであったのだ。

 

「どうしてだと思う?」

 

 空間の狭間に腰掛けている彼女は、謎解きの答え合わせをするかのように、微笑を浮かべて宇佐見さんを見つめていた。

 自分の口では語らず、相手に答えを求めている。

 これは、彼女はただ単に楽しんでいるのだと、そう伝わってくるものがあった。

 

「メリーと、何か関係があるから。

 そうとしか考えられないし、今までのことだって……」

 

 宇佐見さんは睨むようにして、目の前の彼女に言った。

 これまでの疑問、不安、その他一切の気持ちを込めて、目で訴えているのだ。

 

「まぁ、そんな真っ直ぐな目で見られては私、ときめいてしまいますわ」

 

「誤魔化さないで、答えて!」

 

 巫山戯る様にしてはぐらかす紫色の彼女に、強く募る宇佐見さん。

 でも、紫色の彼女は、クスクスと笑うだけで答えようなんてしていない。

 ……何時の間にか宇佐見さんも、彼女の怪しい雰囲気に飲まれつつある。

 まずい、そう判断して、頭を必死に回し続ける。

 

 どうしたら、彼女に口を割らせることが出来るのか。

 いや、そもそもこんな態度を取るのならば、どうしてわざわざここに出向いてきたのか。

 私がハーンさんに色々と吹き込むと、そう言ったから出てきた?

 いいや、もはや彼女が撹乱する側に回っているから、その理由で出てきたというのは、そも間違いだったのやもしれない。

 なら、何故?

 考えて、考えて、そうして、私は顔を上げる。

 

 ――そうだ、そこだ。

 

 彼女から秘密を聞き出そうと躍起になっているけれど、現状でも分かることは幾つか存在する。

 それはさっき宇佐美さんが言ったように、ハーンさんと彼女は何らかの関わりがあるという事。

 そして、彼女が興味を示したり反応するであろう相手は……。

 

 気付いて、横目を向ける。

 視線の先には、何かを考え込むようにして俯いているハーンさんの姿。

 何を考えているのか、何を思っているのか。

 きっと、その彼女の一つ一つがこの場においては重要であると、私は感じた。

 

「ねぇ、ハーンさん」

 

「ん? マーガトロイドさん?」

 

 宇佐見さんが未だ噛み付いている中で、私は彼女に語りかける。

 きっと、それが終へと導く鍵のように感じて。

 

「彼女について、何か分かるかしら?」

 

「え、えぇ、夢の中で、きっとあの人の目でモノを見てたから」

 

 ならば、語りかけて振り向かせられるのも、彼女以外に他ないだろう。

 私と宇佐見さんは紫色の彼女を何も知らないけれど、ハーンさんは知っているのだから。

 

「お願いできるかしら?」

 

 端的に、主語を省いて私は訊ねて……頼み事をする。

 それがこの場でするべきことであり、知ることができる方法でもあると思ったから。

 だから、私はハーンさんに頭を下げた。

 すると、ハーンさんは優しい声音で、私に語りかけてきて。

 

「うん、迷惑掛けてごめんなさい。

 でも、大丈夫。

 分かってるし、やれると思うから」

 

 その声に、自身を私は感じたのだ。

 顔を上げて目を見開くと、ハーンさんの目が見えた。

 目の色に、迷いはなかった。

 

「すみません、ちょっと良いですか……八雲、紫さん」

 

 ハーンさんがそう声を響かせると、宇佐見さんを口でいたぶっていた紫色の彼女が、ぴたりと動きを止めた。

 宇佐見さんも、驚いたようにハーンさんを見ている。

 それを確認して、ハーンさんは言葉を続けた。

 

「あなたと、話がしたいんです。

 ずっと気になってたことで、ずっと重要だと思っていたことだから」

 

「それは、きっと気のせいよ」

 

 紫色の彼女、名前はさっきハーンさんが口にしたであろう名前。

 その彼女がはっきりと、微笑は絶やさないが鋭い瞳で、ハーンさんにそう告げる。

 これ以上ないほどに端的に、それ以上ないほどに冷淡に。

 

「貴方にとっては、今ほど大切なものはないわ。

 それよりも大切なことなんて、立ちくらみの中で見た幻覚にほかならないわ」

 

 はっきりとした口調で、警告を促すように彼女、影は告げていた。

 ……それでも、ハーンさんは怯まない。

 

「そんなこと、分かっています。

 確かに今はとっても大事。

 蓮子との日常は、きっと何にも替え様のないものだから。

 でも……」

 

 ハーンさんは、ゆっくりと息を吸った。

 大切なことを伝える前の、おまじないの様に。

 そして、あれだけ口が回っていた影も、今は静かに話を聞いていて。

 

「自分のことが分からないってことは、ずっと自分が欠けているって事なんです。

 ずっと満ち無くて、幸せの中でふと思い出しては引っかかってしまう」

 

 それは彼女にとって、不満と不安の吐露だったのだろう。

 語る口調は切なくて。

 それでも確かな意思があって。

 

「私はただ、堂々と胸が張りたいだけなんです。

 弱気でちっぽけな私だけれど、それくらいの矜持は持っているんですっ!

 だからっ!!」

 

 思いの丈を全力でぶつける。

 それが心に届ける方法だと、無垢に、無二の事だと信じているように。

 

「私のこと、教えてくださいっ!」

 

 彼女は、ハーンさんは、真っ直ぐに影を目で射抜いた。

 真摯に、真剣に、辛辣に。

 これ以上ない程に、明確な意志を持って。

 心を響かせるように、ハーンさんは言い放ったのだ。

 

「………………」

 

 その言葉を聞いて、しかし影は沈黙を貫いたまま。

 言葉なく、しかし目が少し揺れているようにも感じる。

 動揺などはしているようには見えない。

 ただ、影の目に映るハーンさんの姿は、何か特別なものを含んでいる様であった。

 

 影はハーンさんを見て、ハーンさんも瞳を逸らさない。

 静かだけれど、恐ろしい程の緊張感が場を包んでいた。

 誰か、一言でも発せれば、全てが歪んでしまうんじゃないかという程に。

 

 ――そんな、時であった。

 

「もう、諦めろ」

 

 そんな声が、トンネルの入口から聞こえた来たのだ。

 目を向けると、そこには光に照らされた三つの影。

 一つは両儀さん、もう一つは両儀さんの奥さん。

 そして最後のひとつは……。

 

「お前の結界は、既に破られている」

 

 ――蒼崎橙子であった。

 

 

 

 

 

「……余計な闖入者が多いことですこと」

 

「舞台には元より上がっていたさ。

 お前(観客)の目に、ようやく私達が映っただけのこと。

 視認しているだけの状態から、認識に至っただけだろう?」

 

「私は、私が見たいものだけを見ているだけですもの」

 

「それでも姿を現してしまった今、お前は確実に負けを認めているんだよ。

 余計な悪あがきは、みっともないとは思わないのかね?」

 

 そこで初めて、八雲紫()が不貞腐れた様な表情を浮かべたのを確認したのだ。

 だから、そこで私は場の空気が変質しつつある事に気が付いた。

 全て、蒼崎さんが登場してからだ。

 

「蒼崎、さん?」

 

 戸惑ったように、蓮子がその名を呼ぶ。

 かく言う私も、似たような気持ちだった。

 ――蒼崎さん、こんな口調や雰囲気だったかしら?

 そう強く感じるほどに、今の彼女からは齟齬を感じたのだ。

 違うのだけれど、それでもやっぱり蒼崎さんのような、そんな不思議な感覚。

 

「どうしたかな、宇佐見。

 何を戸惑っている?」

 

「え、いや、だって……」

 

「橙子さん、猫かぶりだから」

 

「おいおい黒桐、それは少し違うだろう。

 スイッチのオンオフが出来るだけだよ。

 まぁ、人格のモノをな」

 

 困惑を隠せないでいる蓮子に、両儀さんが答えて、蒼崎さんが訂正する。

 どちらにしても、驚きを隠せない話ではあるが。

 蓮子も、人格のオンオフって何よ、と呟いているのが聞こえてくる。

 

「それにしても、すれ違ったにしては早い到着ね」

 

 蒼崎さんのことは考えるだけ無駄と思ったのか、マーガトロイドさんはそれだけ言った。

 だけれど、それに対する反応は想像以上のものだった。

 にやり、と蒼崎さんが哂ったからだ。

 

「早い? むしろ遅いくらいさ」

 

「何を……」

 

 何かを言おうとしていたマーガトロイドさんが、即座に絶句した。

 何かに気が付いたのか、酷く驚いたような顔をしている。

 そうして、はぁ、と一つ溜息を吐いてから、彼女は言ったのだ。

 

「どうして、夜なの?」

 

 嘘、と言いかけて、私も口を噤んだ。

 ……トンネルの先の光が、無くなっていたからだ。

 

「私達、そんなに話してなかったわよね?」

 

 蓮子が、驚いたように外を見る。

 でも、それで彼女は外が夜なのを確信したのだった。

 

「間違いない、夜になってる」

 

 半ば呆然としたように、蓮子が呟いた。

 認めたけれど、信じられないように。

 

「いつの間に、8時を超えていたの……」

 

 蓮子が、ぼんやりとそんな言葉を続けた。

 月や月の光だけで、蓮子は時間を判別できるのだから、時刻としては間違っていないのだろう。

 それが私の特技だって、蓮子からは教えられた技術だ。

 

「言ったろう?

 結界は既に破られたと。

 お前達は、この女に閉じ込められていたんだよ。

 出口がない、この場だけの時を止める氷結と、欠乏を齎される空間にな」

 

 そう言い切ると、忌々しそうに、更に蒼崎さんが言葉を紡いでいく。

 

「まさか、私が残したルーンを利用されるとはな」

 

「再利用ですわ、勿体無いですもの」

 

 ふふ、と怪しく笑う八雲紫。

 良くは分からないが、蒼崎さんのるーん文字を、この人が使っていたという事なのだろう。

 

「描かれている場所が起点となる訳じゃないのね」

 

 不満げに、マーガトロイドさんがるーん文字を見て、騙されたという顔をしていた。

 何が何なのかは分からないけれど、マーガトロイドさんには何か分かることがあったのだろう。

 

「さて、そんな瑣末なことはどうでも良い。

 今は、解決するべき話がここにある

 今から、この絡まった糸を解すべきだろう?」

 

 そして、どこか崩壊しつつあった場の空気を、蒼崎さんが引き戻す。

 これからが大事なところだ、と言わんばかりに。

 蒼崎さんは、この場の雰囲気を掌握していた。

 

「奇術師、お前はハーンに執着をしていた。

 故に、お前はハーンに結界を施した、そうだろう?」

 

「結界?」

 

 そうして蒼崎さんが始めた話は、どこか抽象的なもの。

 だって、結界が本当にあるのならば、私は看破できるはずなのだから。

 

「そう、結界だ。

 何も結界とは、その行使される能力だけのものではない。

 何かと何かを区別する、その境目の事を結界と呼ぶ」

 

 八雲紫に話しかけているのに、その本人を無視する勢いで、蒼崎さんは話し始める。

 確かな分析と、確固たる意志を持って語り聞かせているのだ。

 

「その結界は、ハーンの幸せと不幸を仕切る結界。

 ハーンを害するものは何者も近づけない、潔癖の代物だ」

 

 八雲紫は、彼女は黙って話を聞いている。

 それはただ哂っているのか、それとも正解ゆえの沈黙であるのか、私には判別ができない。

 だけれど、確かに彼女は話を聞いているのだ。

 

「しかしその均衡は崩れ、結界に罅が入ったのは、つい最近のこと。

 ハーンが、本当の自分を探し始めたことが始まりだ。

 そのお陰で、お前は箱庭が崩れていくのを感じずにはいられなかっただろう。

 だから余計な教授を消し、私も消そうとした」

 

 的確に、正確に、蒼崎さんは話し続ける。

 今や、この場は彼女の独壇場と化しつつある。

 

「しかし、それにしては杜撰な行動だった。

 些か、本気さに欠けているというものだったな。

 本気で無いとすれば、後は遊びか、別に目的があるかのどちらかだろう。

 遊びというには、今までハーンを包んでいた結界は大掛かりに過ぎた。

 ならば、別の目的という方がしっくりとくる」

 

 何者も、蒼崎さん以外は沈黙したまま。

 ただ意志を持っているであろうは、八雲紫と……。

 

「その目的、それは言わずもがなハーンのこと。

 そうまでして、お前は求めていたのか。

 どうしてハーンにそこまで拘っているのか。

 それは何よりも姿と形が証明している。

 夢を見るのも、能力を持っているのもそうだ。

 ハーンは、お前から――」

 

 バラバラだった欠片が集まっていく。

 綺麗に並んでいくパズルのように、壮麗に組みあがっていく。

 

「――欠けたモノ、元は同じものだったんだ」

 

 そうして、パズルは一つ残らず、当てはめられた。

 教会のステンドガラスが出来たものであったかの様に、それは確かに魅入られるモノがあった。

 

 ……そうして、場の空気は凍り、また別のモノが形成され始める。

 

 

「はぁ、ご高説はそれで終わり?」

 

「そうだ、これで終わりだ」

 

 八雲紫がようやく、口を開いた。

 肯定もしていないが、否定もしていない。

 されど、どこか退屈そうな口調であった。

 

「だが、分からないことがあるんだ」

 

「あら、それは何かしら?」

 

 分からないことがある、という言葉。

 その言葉の方が、蒼崎さんの話よりも面白そうに反応する八雲紫。

 やっぱり、あまり性格は宜しくなさそうである。

 そして固唾を飲んで、皆がそれに聞き入っている。

 そんな中で、蒼崎さんは言葉を発した。

 

「どうして、お前がこんな茶番を繰り広げたかだ。

 元が一つであるのならば、回収してしまえば良い。

 わざわざ結界まで張って、守っている意義がわからない。

 それだけは、考えても分からなかったことだ」

 

 茶番、というには刺激が強すぎるものがあったけれど。

 これまで色んなことがあって、分からないことばかりだったけれど。

 だけれど、私はその答えを知っている。

 誰でもない、私だからこそ知り得ること。

 

「――お話が、したかったんですよね?」

 

 だから自然に、私は口から言葉を零していた。

 皆が私に注目を始める、がそんなことは気にならなかった。

 ただ、目の前にいるこの人と、私も話がしたかったから。

 

「私も、そうですから」

 

 揺らぎのない本音が、私の中より溢れ出す。

 何よりも知りたかった答えも、この人と話すことで理解できることを理解しながら。

 私も、言葉を紡ぎ出す。

 

「だから、お話をしましょう?」

 

「えぇ、分かったわ。

 でも、ここでは人が多すぎるから」

 

「そうですね、私がそちらに行きます」

 

 そう言って、私は八雲紫が開けている裂け目に近づく。

 一切の躊躇なく、それに手を伸ばした。

 

「め、メリィッ!!」

 

 驚いたような、そんな蓮子の悲鳴を背に、私は八雲紫の空間へと引きずり込まれる。

 でも、それは自分で望んだことだから。

 だから蓮子、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。

 

 

 

「いらっしゃい、私の空間へ」

 

「お邪魔します」

 

「まぁ、お行儀が良いこと」

 

 クスクスと笑っている八雲紫に、私も自然体で接する。

 周りの空間は目が浮かんだり、色彩が曖昧である。

 常人であれば、きっと気持ち悪いと思う場所だけれど、私は特にそうは思わなかった。

 それは……きっと私が彼女で、彼女が私であるからだろう。

 

「それでは」

 

「これより」

 

 ――お話を始めましょう。

 

 

「私があの場所で迷っていたのって、偶然ですか?」

 

「それは偶然ねぇ。

 言ったでしょう?

 あの娘に会ったのは、運命の出会いだったと。

 誰かに強制されて起こった必然ではないのよ」

 

「そっか」

 

 話す内容は大事なことだけれど、たわいの無いように会話をする。

 仰々しさなんて、この場には必要ない。

 ただ、私と彼女が、思うがままに話すのみ。

 だからこそ、二人きりになったのだ。

 

「じゃあ私は何なのでしょうか?」

 

「どこからともなく現れた彷徨い人ね。

 体は、世界が矛盾を起こさせないために編んだものよ」

 

 急に、話が難しくなった。

 世界とか言われても、私に大きな話は理解できないと思う。

 だけれど、体を編んだ、ということはきっと……。

 

「幽霊船の話、強ち間違いじゃなかったんだ」

 

 蒼崎さんに聞かせて貰ったお話。

 それが正しい推察であったと、今ここに証明されたのだ。

 

「でも、港もきちんとあるのでしょう?」

 

「そこまで聞いていたんですね」

 

 プライバシーなんて存在しない。

 私も見ていたから人の事は言えないのだけれど。

 それでも、何だか恥ずかしさが体に満ちてきてしまう。

 

「素敵な良い話じゃないの。

 恥ずかしがることはないわ」

 

「意地悪ですっ」

 

 わざわざ口に出すなんて、羞恥心を煽ろうとしか感じられない。

 ただでも趣味が悪そうなのに、意地悪とまでくれば本当にヒドイ人にしかなりようが無いのだから。

 

「貴方が可愛いからよ」

 

「動物は可愛がりすぎると死んでしまうって、どこかで聞きました」

 

 だから加減をするべきですね。

 そうニュアンスを含んで私が言うと、おかしそうに笑いながら、彼女は言うのだ。

 

「大丈夫よ、これで壊れないくらいに鍛えられてるのは、知っているのですもの」

 

「本当に……悪趣味です」

 

 見て、知って、理解する。

 彼女にとって、私の事は、大きく知ってしまっているのだ。

 そして私は、彼女の事は少ししか分かっていない。

 不利なのね、確実に。

 

「でも、貴方はその悪趣味な()から零れたものなのよ?」

 

「――――――」

 

 そうだ、私はきっとこの人の一部だったんだ。

 それは、この空間に居ると、確かに理解できることだ。

 でも、ならば、と私は思うのだ。

 

「私は、貴方にとって何だったのですか?」

 

 感じた疑問は口にする。

 それがこの場でのお約束みたいなもの。

 だから率直に聞いて……八雲紫の笑みが、更に深くなっていくのを私は確かに感じていた。

 

「そうね、貴方は確かに私だった。

 でもね、それは同時に最も私らしく無いものだったの」

 

「それは?」

 

 彼女らしくない自分が私。

 まるで出来の悪い謎解きのよう。

 だけれど、彼女はきちんと話してくれる。

 それも、この場所でのお約束のようだ。

 

「私にとっての余分な部分。

 強い感情とか、強い欲望。

 おおよそ、長きを生きる(妖怪)にとっては要らないものよ」

 

「……そういうことですか」

 

 彼女の言いたいこと、それは確かに私に伝わった。

 そうなのね、私は……。

 

「貴方に、捨てられたものが私なのね」

 

「そうよ、私のそういう部分。

 ある意味で最も人間に近い部分が、貴方なの」

 

 にこりと笑う彼女に、私は複雑な顔をしているだろう。

 完全に人ではないと、そう言い渡されたにも等しい物が有るのだから。

 だけれども、彼女は更に続けるのだ。

 

「貴方は人よ。

 何者にも染まっていなかった貴方は、宇佐見蓮子によって人間という色に染められたの。

 だから、貴方の在り方は人でしかありえないし、それ以外の何物にも成れないのよ」

 

 ……蓮子が、私をそうしてくれたのね。

 私が人になれたのは蓮子のお陰。

 それを知った今、本当に蓮子に会えて良かったと、そう思わずにはいられない。

 ――あなたが居たから、あなたに会えたから、私は私になれたんだ。

 感謝と、尊敬と、敬愛。

 色々な感情が私の中に渦巻いて、溢れ出そうになる。

 

「嬉しそうね」

 

「だって嬉しいですもの」

 

「自然な生まれ方をしてないと、わかったのに?」

 

「それ以上に、愛おしいです」

 

 隠すことではない、喜ぶべきことである。

 強く強くそう思う。

 ここから帰ったら蓮子に言葉を送ろう、大切な言葉を。

 そう決意し、決着をつける為に私は話す。

 

「あなたは、私に何を望んで見守っていたの?」

 

 私は確信の質問をする。

 結局は、そこが終着点であるのだから。

 すると彼女はどこか嬉しそうに、憂いを浮かべる。

 矛盾しているのに、不思議とそういう感情だと私は理解したのだ。

 

「答えないと駄目なの?」

 

「ここまできたんです。

 答えてもらわなきゃ困ります!」

 

 渋っている彼女に、私は心からの言葉を掛ける。

 このままで終わるなんて、そんな事は認められない。

 私は欠けていたものを、回収するためにここまで来たのだ。

 それは、この人の事を知らないと、回収しきった事にならないのだから。

 私と彼女、確かに互いに夢見て繋がっていたのだから、それが一つの終着点だと、私は感じているから。

 だから私は答えを求めて、欲している。

 

「……私のそういう部分が、貴方なのだから仕方がないことなのね」

 

 そう言って嘆息した彼女は、どこかあきらめ気味に、でも優しく私に語りかける。

 

「私が夢見るのは、幸せな夢。

 貴方と私、元々一緒だったから共有できてしまうのね。

 貴方の夢を見るということは、貴方の中に入るということなのだから」

 

「そうなのですか?」

 

 全然、そんな自覚なんて無かった。

 私は夢の中でも、確固たる意思を持っていたから。

 私が、そう伝えると、彼女は苦笑しながら答えてくれる。

 

「これは自覚しているかしていないかの話なのよ。

 私は、貴方は私の一部だって考えていた。

 対して貴方は、私を別人だと考えていた。

 ただ、それだけの違いなのよ」

 

 自覚の問題……そういう物なのかしら?

 意識などしていなかったから全然分からないのだけれど。

 うんうん私が唸っていると、彼女は穏やかにこう言った。

 

「それ以外に理由なんて無いわ。

 それに、私はそれで良かったと、そう思っているのよ」

 

 それで良かった、彼女は今確かにそう言った。

 その言葉が、どうしてか私の中で引っ掛かった。

 何が良かったのか、何を思っていたのか、とかそういう疑問。

 

「あなたは、何に対して良かったって思ったのですか?」

 

「さぁ、何に対してでしょうね」

 

 誤魔化して、回答を避けている彼女。

 でも、そこに何の邪気も無いことは、しっかりと伝わってくる。

 大切なものを、宝箱にしまい込んでいる様な、そんな感覚。

 

 そんな彼女の表情が、私に一つの事を推測させた。

 まさか、と思うのだけれど。

 でも、確かに、とも思うこと。

 

「私の夢、いえ、私の気持ちにあなたは……」

 

 言葉を続けようとして、でも彼女は私の唇に指を当てて、それ以上は喋らせなかった。

 だから、それがきっと答えなのだろう。

 彼女は、八雲紫はこう感じていたのだ。

 

 ――余分な気持ちも、大切なものだと。

 

 だから、私が幸せで在れるように、そう工作をしていたのだろう。

 彼女がその気持ちを感じれるために、それが一種の救いであるのだから。

 

「うん、分かったわ。

 全部、そう言う事だったのね」

 

 きっと、これでピースは全て揃った。

 揃ったからといって何が起こるわけでもないのだけれど、それでもひどくすっきりした気持ちを抱いているのは事実である。

 良かったと、素直にそう思っている自分がそこにはいた。

 

「ところで、私からも良いかしら?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

 最後に、といった体で彼女は私に疑問を訊ねる。

 これがきっと、この場における最後の質問だろう。

 

「8年前、どうしてその時期に貴方は現れたのかしら?

 矛盾を埋めるために体を得たのは分かるのだけれど、どうして今更になって貴方が現れたのかが分からなかったの。

 私が余分だと断じて捨てたのは、ずっと昔のことなのだったもの」

 

 あぁ、成るほど。

 確かに、大いに疑問に思うことだと私も思う。

 実際、私もさっきまでは分からなかった。

 けれど、ピースが揃った今、私は自然に思い出すことができる。

 最初の最初、始まりの事を。

 

「それは、ですね」

 

 私は、視線をすき間から見えている和服を着た女性に向ける。

 蒼崎さんと一緒に現れた、和服の女性に。

 

「あの人と良く似た人に、私が溺れていた所から追い出されたんです」

 

「溺れていた場所?」

 

「皆がこうしたいって思っている、そんな集合的な場所です」

 

 多分、ユングって人が学説で唱えていた場所だと、そう思う。

 捨てられて行き場の無かった私はそこにあるだけで、揺らめいていた。

 だけれどある日、8年前にそれは終わりを告げた。

 

『お前、邪魔だよ。

 こんな所に居るタイプじゃ無いだろ』

 

 そんな事を一方的に告げられて、私はその場所から蹴り飛ばされたのだ。

 そうして零れ落ちた私は、体を得て、蓮子と出会った。

 ひどい、と思うけれど、お陰で蓮子と会えたのだから、そこは感謝してもしきれない。

 あの人が、私に『生きる』ということの切欠をくれたのだから。

 

「そう、貴方は私の人間的な部分だったから、世界も置き場所に困っていたのね。

 判別が難しかったのかしら」

 

「そうかもしれません」

 

 今はただ、感謝を。

 私の出会いと、今までに関わって来た人たちへと。

 

「わかったわ、ありがとう」

 

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

 そうして、私達は互いに感謝を伝え合う。

 これで終わり、閉幕の合図。

 この空間から、私は出ることに成るのだろう。

 

「良き人生を、マエリベリー」

 

「良き生涯を、八雲紫」

 

 別れを伝え合うと、この空間は揺らぎ始めた。

 異物である私は、この場より追い出されるのだろう。

 それを理解して、最後に私はふと思った事を口にした。

 

「あなたが私の夢を見て、安らげたということはですね」

 

 少し息を吸って、私は空間から吐き出される瞬間に、彼女、八雲紫に届けと言葉を伝える。

 

「余分な心、貴方の中にまた溢れてきてるってことですよ!」

 

 私が空間から落ちる瞬間、彼女が見せていた表情は、キョトンとしていて可愛さを感じるものだった。

 

 

 

 

 

「メリー」

 

 どこか力なさげに、宇佐見さんがハーンさんの名を呼ぶ。

 心配でたまらないと、消えてしまった彼女を案じているのが伝わってくる。

 

「心配してもどうにもならんさ」

 

「橙子さんっ!」

 

 素っ気無く、煙草を吸いながら答える蒼崎に、両儀さんが諌めるような声を上げる。

 確かに、今言うべきことではないだろう。

 蒼崎の言うことも分かるけれど、わざわざ口に出す事でもないのだから。

 

「いや、ここは橙子が正しい」

 

「式まで……」

 

 両儀さんが、困ったような声を上げていた。

 事実として困っているのであろうけれど。

 

「……メリー」

 

 でも、宇佐見さんには声が届いてないようで。

 ずっと、ハーンさんの名前を呼び続けるばかり。

 正真正銘に重症というやつだろう。

 

 その宇佐見さんの様子が心配になり、私は彼女に声をかける。

 掛けなければ、と無駄な義務感が多分に働いたことも否定はできない。

 

「大丈夫よ宇佐見さん。

 ハーンさんは酷い事に会うことなんて無いわ。

 むしろ丁重に持て成されているはずよ」

 

 私は気休め程度に声を掛けるが、その考えは間違っているとは思っていない。

 あの紫色の彼女は、確かにハーンさんを守ってきたであろうから。

 だから、酷い事をするとは思えない。

 

「だと、良いけれど……」

 

 心配そうに、そう呟く彼女の背中は、とても小さく見えた。

 だから、その時、

 

「蓮子」

 

 彼女の声が聞こえたのが、何よりも有難かった。

 

「メリー!?」

 

「ええ、そうよ。

 マエリベリー・ハーンよ。

 ……ただいま、蓮子」

 

 ちょっぴり恥かしげに告げたハーンさんに、宇佐見さんが飛びつく。

 強く抱きしめて、大声で彼女に迫っていた。

 

「心配したんだよ、メリー!!」

 

「ごめんなさい、蓮子。

 でも、どうしても必要なことだったから」

 

「もうっ! ……でも、良かった」

 

 深い安堵と共に万感の思いをこめて、宇佐見さんは呟く。

 だからか、私にもそれが伝播したのか、本当に良かったと思えたのだ。

 

「それから蓮子」

 

「何? メリー」

 

 少し改まったようなハーンさんの声に、宇佐見さんも居住まいを正した。

 そこに、ハーンさんが照れ交じりの声で、こう告げたのだ。

 

「私は蓮子が好きよ。

 これからもあなたが結婚するまで、いえ、してからも生涯を通じて付き合っていくわ」

 

「へっ? いきなりにゃにを!?」

 

 ハーンさんが、唐突に宇佐見さんに告げたのは、聞きようによっては愛の囁きにも似た言葉。

 目を白黒させている宇佐見さんと、真っ赤になっているハーンさんを見て、私はつくづく思ったのだ。

 

「これで一件落着ね」

 

「……どこがだ」

 

 私の呟きに、両儀の奥さんが、呆れたように声を漏らした。

 けれど、その声は決して悪いものではなくて……。

 その場には弛緩した空気と共に、嵐が去ったのを感じさせる空気が存在していた。

 

 

 

 

 

「ぬおぉぉーーーーーーー!?」

 

 だけれど、唐突な声に、それは断ち切られて。

 上の方から、悲鳴と共に男の人が落ちてくる。

 ギャフン、という言葉と共に、お尻を強かに叩き付ける事となった。

 腰が、腰が、という呻き声が、どこと無く哀愁を漂わせている。

 

「教授!?」

 

「え、あぁ! ご無事だったんですね!」

 

 宇佐見さんとハーンさん、二人が声を上げて、その人物が誰なのかが私は理解できた。

 行方不明になった大学教授……生きていたのね。

 

「無事だったようで何よりだ、教授」

 

「そんな事は良いから、助けてくれないかネ?」

 

 蒼崎が適当に声を掛けて、教授はそれに腰を抑えたままに答える。

 格好が付かないこと、この上ない。

 だけれど――

 

「フフ」

 

 思わず、堪えきれずに笑い声を漏らしてしまう。

 だってそうでしょう?

 何もかも、全てが丸く収まったのだもの。

 

「こら、そこで笑っている君、誰だか知らないが笑ってないで助け……こ、腰が!?」

 

 あぁっーーー! という絶叫と共に、私達は笑いに包まれた。

 馬鹿みたいな話だけれど、こういう終わり方もあるんだと、そう思うと笑いが止まらなかったのだから。

 

「これで、本当に一件落着だね」

 

「……もうそれでいい」

 

 両儀さんが、笑いながらそう言うと、奥さんが疲れたように短く答えた。

 これで、文句なしでの円満解決で、この事件は幕を閉じたのだ。

 喜劇と言われそうではあるが、私にとっては良かったと、心より思える解決であったのだった。




さぁ、事件は解決したぞぉ!
後は後日譚だァ!!

……すみません、今回中に終わりませんでした。
あ、痛い痛い、石を投げないでください。

え、ご都合主義? 独自解釈?
ちょっと何を仰っておられるのかが分かりません(白目)。

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