東方闇魂録   作:メラニズム

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第二十九話

幻想郷の人里は、騎士の知る以前の頃の人里と比べると大分大規模な物となっていた。

食事処は、選ぶには少々悩むほどに多くなっていて、人々の喧騒は記憶に有る物と比べて相当に大きい。

だが、それでも学習施設……所謂寺子屋と呼ばれる物は、人里には一つしか無かった。

 

それ自体は、別段驚く事では無い。

人里が大きくなったとはいえども、子供の数は二つ三つと寺子屋を建てる必要など無い程度の数だ。

よしんば子供の数が増えたとしても、新しく建物と教師を集めるよりも、現存する施設を増築して教師を更に集めれば良い話でもある。

 

騎士が驚いたのは、その寺子屋唯一の教師の存在の事であった。

 

「……決めるべき事は、大体このくらいですね」

 

寺子屋の中の一室。

騎士の膝の上で眠りこける巫女は、適当に食事を済ませて腹が膨れたのか、それとも長く詰まらない話に飽きたか。

騎士と、寺子屋唯一の教師……上白沢 慧音(かみしらさわ けいね)は、そんな巫女を一瞥し、微笑む。

 

上白沢慧音は、一見した所では、若々しく活力に満ちた麗人であった。

 

紅い眼は知性によって鋭さを湛えているが、今は眼尻が落ち、柔らかさを感じさせる。

白銀の髪は、日の光によって様々な寒色に照り輝いていた。

 

異性の教師に恋をする、という話は何時の世も絶えないが、彼女ならばそういった事が起こるのも肯ける、という程の美貌であった。

 

慧音は巫女から眼を外し、騎士へと視線を映しながら一度した問いをもう一度騎士へと投げかける。

 

「……それで、そろそろこの子の……今代の博麗の巫女の名前は、決まったのですか?」

 

騎士はその問いに、再度首を振る。

騎士の手元にある子供の書類の名前の欄も、夢とだけ書かれたままだ。

 

「……夢、ですか。

後一文字が思いつかない、という所ですか?」

 

慧音は身を乗り出し、名前欄に書かれた夢と言う文字を見て、立ち上がった。

 

「少し待っていてください」

 

そう言うと、慧音は部屋から出て行った。

ふと香った畳の香りに一息つきながら、騎士は慧音の事に付いて考える。

 

人並み外れた容姿である彼女は、文字通り人外であった。

否、そう言うと少し語弊がある。

半分人外、と言うのが、彼女の種族を説明するに当たって最も正確な言葉であった。

 

人間、それと白澤。

人語を解し万物に精通する、という妖怪の血を持った彼女は、教師としてみれば成程これ以上に適した存在は居ない。

 

だが、あの妖怪に脅かされていた人里が、大事な子供を仮にも半分妖怪の者に預けるとは。

 

その事実に、騎士は否応でも流れた時間を感じずにはいられない。

 

「……お待たせして申し訳ない」

 

そう言いながら、慧音が部屋へと戻ってきた。

そして、騎士へと分厚い書物を……辞典を差し出す。

 

「人の命名とは、中々難しい物ですが……取り敢えずは、適当に辞典を引いてみては如何でしょう?

子供の名前に考えあぐねて適当に辞典を引いてみたら思いついた、というのは良く有る事らしいですから」

 

成程、と騎士は首を振りながら、差し出された辞典をぱらぱら、と捲る。

ざっと大量の漢字を流し見していた騎士だが、ある一つの漢字を見て捲る手を止めた。

 

「良い漢字でも見つかりましたか?」

 

といって、慧音もその頁を覗き込んだ。

 

「霊、ですか?」

 

その問いに、騎士は首を縦に振るでも横に振るでも無く固まる。

 

ただ目に留まっただけなのだ。

これが本当に良いのかも解らない。

 

人の名に付けるには、些か暗い漢字でもあるのだから。

 

「霊と言う漢字は、不可思議で、測り知れない物と言った意味なのです」

 

そんな騎士の思考を読んだか、慧音は霊と言う漢字の説明を始めた。

 

「本来は霊では無く靈と書き、文字通り霊能者、呪術などの意味の部類に入る字なのですが……。

こちらは俗字、省略された字ですね。

どちらにした所で、彼女にはぴったりだと、私は思いますよ」

 

不可思議で、測り知れない。

騎士にとっても、確かにこの字が丁度良いと思える程に嵌った字だった。

騎士がさらさらと書類に書き込み、それが終わると慧音がその書類を受け取る。

 

「それでは、この子の名前は……。

博麗 霊夢(はくれい れいむ)、ですね」

 

今しがた付けた名を、舌が無いながらも口で転がしながら、騎士はささやかな感動を噛み締める。

このような身の上で、曲がりなりにも子を育て、そして名まで付ける事になるとは。

 

自然と目を伏せ、霊夢の頭を撫でる騎士を見る慧音の目は優しい。

 

騎士が感動から覚める頃合いを見計らってか、慧音が口を開く。

 

「しかし、最初に『博麗の巫女』の教師をする事になると聞いた時は驚きました。

何時も新しく博麗の巫女が現れた時は、皆生きるのに不自由ない程度の教養は持っていましたから」

 

ああ、そうだろうな。

騎士はその発言に頷きを返す。

 

紫による物かどうかは知らなんだが、博麗神社には一般教養を知るのに過不足無い程度には本が充実していた。

だから、騎士としてはただ物事を教えるのならば、別段寺子屋を頼る必要は無かったのだ。

 

だが、それでも騎士が寺子屋を頼ったのは……。

 

「……むぅ」

 

眼を擦りながら、霊夢が起きる。

 

「おはよう。

話は、もう終わったよ」

 

「そ」

 

慧音の言葉に、気だるげにではあるが霊夢が返事を返す。

その声音に、このような声をしていたのだな、と騎士は普通ならば気にも留めないであろう事に驚き、そして安心する。

 

己は言葉を話せない。

だからこそ、寺子屋で無ければ駄目だ、と思ったのだ。

己と共に居るだけでは、霊夢は、話す事を忘れてしまいそうであったから。

 

どうやら、己の目論見は上手く行きそうだ、と今しがた喋った霊夢を見やる。

同時に霊夢も、己の方を見つめてきた。

その眼には、気だるげな表情がありありと浮かんでいる。

 

だが、騎士としてはそう言う訳にもいかない。

 

騎士は懐から紙を取り出し、慧音に夕方まで霊夢を預かってくれないか、と頼む。

慧音はそれを見やると、些事であるとでも言うように間髪無く頷く。

 

「良いですよ。

元より、こういった頼み事は良く有る事ですから。

……しかし、何処に行くのですか?

えっと、その……色町のような場所は、この人里には有りませんよ?」

 

ああ、なるほど。

 

騎士は頭を掻きながら首を横に振り、否定する。

 

確かに、街を練り歩くのならば、わざわざ子供を他人に預ける必要は無い。

であれば他人に預けなければならない所に行くのだ、と考える事は、別段おかしな考えでは無いだろう。

だが、この彼女の思考への考察が寸分違わず合っているとすれば、この幻想郷はまだまだ気軽に出歩けはしないという事の証左である。

事実、神社から里に来るまでに、己達は妖怪と遭遇しているのだから。

 

騎士は先ほど出した紙の空欄に、竹林と書き込み見せる。

 

「……迷いの竹林ですか?

そんな所に、何でまた……?

いや、それよりも、迷いの竹林は危険です。

あなたの腕の立つ事は阿求からの言伝に書いてありましたが、あそこは深く迷えばそれこそ一生出て来れないかも解らないのですよ?」

 

それは大丈夫だ、と騎士は首を横に振る。

霧の結界は無視する事が出来る上に、普通の妖怪相手なら如何様にも出来る自信もある。

 

しばしの沈黙の後、慧音は大きく息を吐き、眼を細める。

 

「解りました。

ちゃんと帰ってきて、霊夢を迎えに来て下さいね?

あくまで私は預かるだけですから」

 

問題無い、と頷き、騎士は立ち上がる。

そして軽く霊夢に手を振り、扉を開けて去っていった。

 

「……さて」

 

慧音が霊夢に向き直る。

 

「早速ですまんが、野暮用が出来た」

 

「そ」

 

霊夢は行ってらっしゃいとばかりに手を振りまた寝転がるが、すぐさま慧音に体を掴まれ起こされる。

 

「……何よ」

 

「何、じゃないだろう。

身柄を預かっておいて一人にさせる訳にはいかん。

付いて来て貰うぞ」

 

「やだ」

 

「そうか、では無理矢理連れて行くとしよう」

 

そう言うと、慧音は嫌がる霊夢を無理矢理背負い込んだ。

 

「ちょっと……!」

 

「仕方ないだろう、彼の安全の為にも保険は掛けておかねば。

確かに話に聞く通り、彼は強いのかもしれんが、"もしも"はどこまで行こうと付いて来るものだからな」

 

「……で?」

 

「こっそり護衛を付けよう、という算段だ。

大丈夫だ、彼女は十二分に強いし、竹林についても詳しい。

後ろからこっそり付いて行かせれば、万が一も有るまいよ」

 

「ふーん」

 

「なんだ、冷たい物言いだな。

仮にも彼はお前の親のような者なのだろう?

……さあ、行くぞ。

タイミングを考えると、さっさと行かねば間に合わん」

 

慧音が霊夢をようやっと背負い込み、寺子屋を出る。

そこに村人が通り掛かった。

 

「……おや、慧音先生。

何処にお出かけになるんで?」

 

「ああ、八百屋の御主人。

いや、少しな。

竹林近くの……。

妹紅の家に行く所だ」

 

 

竹林。

 

何時か見た濃い霧に包まれているその景色は、これだけの時が経っても少しも変わってはいない。

 

騎士は、その濃霧に包まれた竹林に、一歩足を踏み入れた。

 

同時に騎士の回りの霧が晴れる。

周囲の霧は騎士の周辺を眺めるのに不自由ない程度にしか晴れてはいない。

だが、恐らくは永遠亭がある方向にだけは、先の道が見通せるほどに晴れていた。

 

それは、以前の霧の晴れ方とは違った晴れ方だった。

この霧も結界なのだ、と永琳が言っていた事を騎士は思い出す。

ならば、霧の晴れ方も、彼女次第で多少なりとも変わる物なのだろう。

 

騎士は霧の晴れている方向へと足を早める。

もう日は天上へと昇り切り、降り始めている頃合いだ。

早めに用事を済ませねば、帰りは深夜になってしまう。

霊夢を連れて帰ると考えると、あまり悠長にはしていられなかった。

 

霧で白けた竹林の中は、騎士の足音と、かつて霧であった水滴が笹の葉を伝う音のみだ。

珍しい、と言えば珍しいが、妖怪の立てる物音は聞えない。

恐らくは、竹林に居る妖怪の中には、昼間に行動する者は少ないのだろう。

 

だからこそ、気付いた。

 

己の背後、気が付くか気が付かないか微妙な距離の所から物音が響く。

音の間隔からして二足歩行、踏み付けられた土の音からして対して体重は無い。

 

……妖怪、か?

 

恐らくは、妖怪が足を忍ばせ背後から奇襲を仕掛けようとしているのだろう。

あまり時間に猶予は無いが……。

 

騎士は振り返り、音のする方を見る。

それから一瞬の間を置いて、重い何かが落ちる音がした。

 

こちらからは相手の風貌すらおぼろげにしか解らない。

だが、相手からは良く見えるだろう。

何せ、己の周りは霧が晴れている。

 

振り向いた瞬間、その人物は尻餅をついたようだった。

付けていた事に気付かれたからだろうか。

 

別段、殺意のような物は感じられない。

さりとて、気にせずまた歩き出した所を狙われるやも知れない。

けれども、敢えて尻餅をついた者を殺すほどの時間的猶予は無い。

ついでに言えば、特に理由も無いというのに相手を傷つけるような事もする気は無い。

 

……先を急ぐとしよう。

無理に戦わずとも、霧が姿を誤魔化してくれる。

 

騎士は尻餅をついた者に構う事無く、また永遠亭へと歩き出した。

 

それきり、後ろからは足音も何も聞こえては来なかった。

 

 

霧、竹、漆喰の壁。

その先の庭園、そして縁側。

其処に座る銀髪の女性。

 

記憶の中に有ったそれと、今見ている物。

全てが寸分違わず変わってはいない。

 

「あら。

久しぶり、ね。

調子はどう?」

 

更に再会の仕方もそう変わらないとなれば、発せられる言葉もまたどこか聞き覚えが有る物だった。

 

永琳が座る縁側、その隣に騎士も座る。

放浪者のコートが末広がりに縁側を埋め、外されたフードは霧を吸い、多少なりとも重さを増してコートの襟から垂れ下がる。

 

永琳はそう言ったきり、少しの間騎士に話しかけず、騎士もまた縁側からの風景をぼんやりと眺めていた。

 

……少しばかり、変わっただろうか。

 

永遠亭は、その性質と住人の性格からして変化に乏しい。

更に言えば永遠亭の間取りは月人が月に移住する前、かつて地上に在った永琳の屋敷と全く同じ物だ。

 

故に、騎士にとっては見慣れた景色である。

 

だからこそ、些細なその"変化"を、騎士が気付かないはずが無かった。

 

庭園に敷き詰めてある白石。

その白石が踏み付けられた足の形に応じてくぼみを作っている。

 

そのくぼみの大きさは、とても二人分では……永琳と輝夜だけでは無い、もっと多い何者かの足跡があった。

最もその大半はただの小動物の物と思われる程度の大きさでしか無かったが。

 

騎士のその視線を永琳は横目で追いつつ、騎士へと話しかける。

 

「……また、色々と有ったのでしょうけれど。

まあ、まずそれは置いておくわ。

その様子だと、ただ挨拶に来た、という訳では無いのでしょう?」

 

流石、と言うべきか。

話が早い。

 

騎士はこくりと頷き、さらさらと紙に字を書いて永琳へと渡した。

 

「……精神安定剤、ねぇ?

……大方、あの"火"を抑えたい、と言った所でしょう?」

 

そうだ、と騎士は頷く。

 

思い付きではあるが、目論見通りに行けば"準備"を整えるまでの時間が更に稼げるはずだ。

 

ふう、と永琳はため息を付く。

 

「ちょっと待ってなさい。

今持ってくるから」

 

そうか、と騎士は安堵の息を漏らす。

彼女が作れない、などという心配はしていなかったが、作るまでに掛かる時間が懸念材料でもあったのだ。

 

兎に角、時間が無い。

霊夢を迎えに行く時間が無いのも有る。

だが、"全てを解決する"までに必要な時間の方も、厳しい物が有るのだ。

 

"全てを解決する方法"、その為にするべき事は既に思いついている。

だが、それを遂行する為の手段が、今の己には圧倒的に不足しているのだ。

 

故に手段を探さねばならないが、人の像だけで稼げる時間では少し心許無い。

 

だからこそ、少しでも可能性が有れば、手を尽くさない訳にはいかない。

 

「ただ、ねぇ……。

まあ、良いわ。

少し待ってて。

作り置いていた物を取りに行ってくるわ」

 

何かしら含みのある物言いをしながら永琳は立ち上がり、縁側を歩いて行った。

曲がり角で姿が見えなくなり、それから数秒の間縁側が軋む音が響く。

 

沈黙がしばしの間、騎士の周りを包む。

 

……しかし、気のせいだろうか。

 

何の気なしに、騎士は周囲を見渡す。

 

どうも、誰かに見られているような……。

そんな気がしてならない。

 

そう思った所で、背後の障子が開いた。

反射的に騎士は振り返る。

 

「師匠、ここですか……!?」

 

そして、障子を開いた、兎耳の少女と眼が有った。

 

少女は口の中に悲鳴を響かせ、同時に人差し指を騎士へと向ける。

その眼は恐怖で瞳孔が開いており、そこで騎士は異常を察する。

 

少女の指先から、透き通った真紅の弾丸が撃ち出された。

偶然ながら不意打ちの形となった騎士は反応し切れず、咄嗟に腕で庇う。

弾丸は騎士の二の腕に当たり、二の腕から血を溢れ出しながら騎士は吹き飛ばされる。

 

空中で姿勢を整え、騎士は着地する。

 

その後を追うように三発の弾丸が騎士へと飛来し、それを騎士は辛うじて躱した。

着地すると同時に騎士は番兵の大盾を取り出し、地面へと叩きつけるように構える。

 

ドラングレイグの果てにある祭祀場。

そこにいる古の竜を守護する番兵が持つ大盾は、少女の出す弾丸の雨の中だろうと騎士が身を預けるに不足無い頑丈さを誇る。

 

大盾を構えた事により産み出された数瞬の余裕は、急速に加速された思考が状況を整理するには丁度良い。

 

大盾の裏側を視界に収めながら、少女の姿を騎士は思い出す。

 

兎耳。

それは、確か月の兵士が、押し並べて付けていた物では無かったか?

 

無論、ただの兎の妖怪である事は否定できない。

だが、彼女がここに居るという事実は、彼女の月との関連性を想像するには十分だ。

 

其処まで考えた所で、悪寒が騎士の背中を走る。

 

騎士は盾から手を離し、左に飛び退く。

その直後、騎士の居た場所に紅い弾丸が頭上から無数に降り注いだ。

 

見上げる。

 

そこには空を飛んだ少女が居た。

既に飛び退いた騎士に向けて指を突きつけている。

 

だが、見開かれたその眼は、騎士を見ていない。

 

騎士は、似たような眼をした者を、何度か見た事が有る。

延々と引き摺り続けるほどに強烈な体験をした物が、それに類似した物を見た時にその時の事を想起するのだ。

そうなった時は、往々にしてその時の事を語り出したり、居もしない人物に話しかけたり。

 

そして、居もしない何かを、目の前の者に重ねあわせたりする。

正に、今己に指を向けている少女のように。

 

一瞬、騎士は少女と眼が有った。

恐怖でいっぱいに見開かれた瞳は、血よりも深く透き通った輝きを見せる。

 

その赤を認識した時、騎士は一刹那の間、意識が飛んだ。

そして、次の瞬間に驚愕に眼を見開く。

 

空に浮かんだ、兎耳の少女。

それが、何人も居る。

 

正面に一人。

左右にそれぞれ二人。

 

騎士が増えた事を認識した直後、少女たちは一声に赤い弾丸を放つ。

その数は数えるのが億劫になるほどで、避けるという言葉よりも間を抜けると言った方が適当だ。

 

最早それは弾幕であった。

 

赤い弾丸が騎士の居た場所を包み切る。

同時に、白い衝撃波が"一部"の弾丸を弾き飛ばした。

弾き飛ばされなかった弾丸は、騎士の体を抉る事無く、そのまますり抜けて消える。

 

騎士は粗い布で作られた粗布のタリスマンを握りながら、冷や汗をかく。

 

危ない所だった。

だが、種は割れた。

 

恐らく、彼女はあの目を使う事で、幻覚を見せられるのだろう。

だが、幻覚は幻覚。

実体を持てはしない。

 

そうと解れば、さして手間はかからない。

殺すのであれば。

 

機敏に空を飛び、隙の無い遠距離からの攻撃手段を持つ相手。

相性で言えば、それは己にとっては最悪と言っていいほどにやり辛い物だ。

剣は届かず、クロスボウや弓は矢を番えて弦を引き、魔法は詠唱する必要がある。

普通に戦えば、抵抗も碌に出来ず嬲り殺されるだけだ。

 

だが逆に言えば、普通に戦わなければ色々と"やりよう"はあるのだ。

 

しかし、と騎士は本物であろう、弾き返された弾丸を撃って来た少女を、今度は眼を見ない様にしながら見る。

 

恐らくは、彼女は己の被害者だ。

 

永琳は、月からの脱走者となっている。

そんな彼女の元に居る月の兎耳の少女。

本来は対極の立場にあるべき者達が共に居るという、その原因を探れば。

当て嵌まるとすれば、月での闇霊騒動以外に他は無い。

 

恐怖の根源の原因が己とあれば、彼女を殺す気にはなれない。

 

少女たちが第二射を放つ。

また騎士はフォースで実体のある弾だけを弾き飛ばした。

弾かれた弾は騎士が本物だと思っていた少女では無く、別の少女の弾だった。

 

成程、彼女の幻覚能力は、思っていた以上に強力な物らしい。

一度たりとも目を離してはいなかったが、彼女の本体は別の幻覚と入れ替わったようだ。

 

だが、幸いな事に彼女の攻撃手段はあの弾丸だけのようだ。

例え本体がどれになったとしても、このまま"フォース"の奇跡だけで凌ぎ切れる。

 

彼女は最初師匠と言っていた、それは恐らく永琳の事だろう。

輝夜が何かの師匠になっている姿など想像が出来ない。

 

であれば、彼女はまず間違いなく永琳に信を置いている。

ならば、これは永琳が来るまでの辛抱だ。

 

周囲を囲む彼女たちが、また一斉に弾丸を放ってくる。

それを騎士はフォースで弾こうとし。

 

今度は、全ての弾が騎士の体をすり抜けた。

 

即座に騎士は永遠亭の外壁へと走り、外壁を背にする。

 

面倒な事になった。

どうやら、彼女はどこかへと身を潜めたらしい。

こうなっては、どこから奇襲された物か分かった物では無い。

 

さて、どこから来る。

 

騎士が身構えた瞬間。

 

全ての分身が掻き消えた。

同時に、屋敷の障子が開く。

 

「……御免なさいね。

すっかり忘れてたわ、この子の事」

 

そこには、申し訳なさそうに片手で頭を抱えている永琳と。

その脇で、この距離でも解るほどに大きな瘤をこさえ、涙目になった兎耳の少女が居た。

 

 

「ご、御免なさい……」

 

兎耳の少女……鈴仙・優曇華院・イナバ(れいせん うどんげいん)……は、申し訳なさそうに騎士へと頭を下げる。

だが、その眼に映る恐怖の色はなおも濃く、傍らに居る永琳の裾を掴んでいる。

 

裾を掴まれている永琳は、鬱陶しそうにしながら、騎士の傷に軟膏を塗りたくる。

軟膏にしてはあまりにも早く塞がっていく傷を見つめながら、永琳は口を開く。

 

「……言わなくても、この子の事情は大体解るわよね?」

 

騎士はその言葉に頷きで返す。

 

「しかし、見直したわよ? 優曇華。

あなたがこんな事をしでかせるほど肝が据わっていたなんて、思いもしなかったわ」

 

その頷きを見るか見ないかほどの間で、輝夜が間髪を入れず、鈴仙を煽る。

その口角は釣り上がっており、鈴仙の永遠亭での地位を端的に表していた。

 

「いやいや、本当に驚いたウサ。

先輩として嬉しい成長だウサ」

 

そう言って輝夜の発言に追従しているのは、因幡 てゐ(いなば)という矮躯の兎妖怪である。

玉兎……月人の奉仕種族らしい……である鈴仙とは違い、彼女はここ地上で生まれた妖怪だそうだ。

口は上手く、その語尾も含めて可愛らしさが漂うが……どうにも、胡散臭い。

あの戦闘の後、何処からか飄々とした顔つきで出て来たのも、それに拍車をかける。

まず間違いなく、あの時に己を見ていたのは彼女だろう。

 

「……で、あなた、泊まる所は有るの?

無ければここに泊まってもいいんじゃない?

永琳も喜ぶわよ……?」

 

にやり、と形容するに相応しい表情で輝夜が言う。

その誘いに、騎士は首を横に振る事で答えた。

 

「あら、もう泊まる所でもあるの?

女の所だったり?

それとも、あの子の所だったりするのかしら。

それならそれで面白いけど」

 

鬼の首を取った様な嬉々とした顔で輝夜が聞いて来た。

 

確かに、博麗神社は霊夢の物であり、霊夢は少女……つまり女性である。

輝夜の考えているような下世話な話では無いが、間違ってはいない。

 

だが、あの子とは何なのだろうか。

正直に言って、輝夜が竹林をも抜け出して出歩くような性質には見えないのだが。

 

「……だ、そうよ?」

 

騎士の肯定に対して、輝夜は笑みを浮かべたまま、何故か永琳の方を見る。

 

「あら、そう。

……はい、一日一錠、朝に飲んでね。

取り敢えず、一か月分は有るわ」

 

永琳は輝夜に気の無い返事をし、騎士へと薬を渡す。

それを騎士は頭を下げて受け取った。

 

「でもそれじゃあ、もうそろそろ帰らないと不味いんじゃない?

そろそろ日も落ちるわよ?」

 

輝夜のその言葉に、騎士はその背後の障子を見る。

障子により薄く透け、淡い橙色になった陽光が畳を照らしている。

 

「あら、じゃあね。

今度はまた面白い話を持って来てくれる事を願ってるわ」

 

「また来なさい。

一か月後でなくても、ね」

 

「じゃあね、色男。

夜道には気を付けて……ウサ」

 

三人の声を背に、騎士は立ち上がり、障子を開けて去っていく。

 

「……あ、あの、師匠」

 

「あら、何かしら? 鈴仙」

 

「い、いえ、あの……。

確か、あの薬って一か月分処か、三年分ぐらい作り置きしていましたよね?」

 

「……それを、彼の前で言わなかった事だけは評価してあげるわ、鈴仙」

 

 

夜が更け、騎士は霊夢と共に歩いていた。

 

あれから、何事も無く人里へと戻ってこれた。

慧音が訝しげな眼でこちらを見ていたのが気になりはしたが、竹林に分け入った事が原因だろう。

気にする事は無い。

 

霊夢の腹の音が鳴る。

 

早く帰って、晩飯を作らねばなるまい。

 

脇目で騎士を見つめる霊夢を見つめ返しながら、騎士は思う。

 

がさり、と音が鳴った。

 

草の音だ。

 

騎士は腰に付けたロングソードに手を掛け、霊夢を後ろ手に庇う。

 

音のする方を見つめる。

 

何かが居た。

 

木の間から差す月明りすら呑み込む、周りの闇とは明らかに違う闇。

その中に、何かが居る。

 

その闇は、こちらに近づいて来て……木にぶつかった。

 

「ったーい!」

 

闇の中から、若い女性の声が響いた。

その直後、声の主を包んでいた闇が消える。

 

そこに居たのは、綺麗な金髪の女性だった。

 

騎士と同等程度の身長の、腰まで伸びた艶やかな金髪。

それは、彼女の身を包む黒い衣服と相まって月のようにも思えた。

 

女性はぶつかったのであろう額を抑えながら立ち上がる。

 

「ったた……。

……あ! やっぱり人間だ!」

 

その容姿に似合わぬ幼い口調で、女性はこちらを見つめた。

 

「ねえねえ人間!

あなたは、食べても良い人間?」

 

軽い口調で問う女性に、騎士は間髪無く首を横に振った。

 

「えー。

……本当に、駄目?」

 

小首を傾げ、女性は再度問いかけてくる。

だが、今度はその眼に獣の如き食欲が見え隠れし始めて来た。

更に、駄目押しとばかりに腹の音まで鳴らしている。

 

どうも、参った。

 

騎士は頭を掻く。

 

彼女を殺そうにも、こんな静まり返った夜に大立ち回りなどをすれば、妖怪が寄ってくるだろう。

なまじ生半言葉が通じる以上、どうにかしてそれは避けたい。

 

いや、待てよ。

 

騎士は懐から、今朝作ったおにぎりの残りを取り出した。

そして、それを女性に差し出す。

 

「……いいの?」

 

騎士は不思議そうな顔をしている女性に頷きで返す。

 

「……いっただっきまーす」

 

女性は騎士から渡されたおにぎりを、大きく口を開いて齧り付く。

 

「……甘ーい!」

 

……待て、甘い?

 

……もしや、砂糖と塩を……?

 

「あー、食べた食べた!

御馳走様ー」

 

騎士の驚愕をよそに、女性は渡したおにぎりを全て食べ終える。

 

「お腹も膨れたし、今回は貴方たちを食べないで上げる!

じゃーねー!」

 

ふりふりと手を振り、立ち去ろうとする女性は、何かに思い当ったように立ち止まる。

そして騎士と霊夢の方へと振り返った。

 

「……こういう時って、人間は名前を教えるんだよね!

私の名前、ルーミアっていうの!

それじゃあ、また何か食べさせてねー!

あ、あなたかその子の肉でも良いよ!」

 

最後に物騒な事を言い、ルーミアは木々の間の闇へと消えて行った。

 

それを何の気なしに見送ってから、騎士は霊夢を見る。

 

……砂糖おにぎりは、美味しかったのだろうか。

否、流石に美味い筈は有るまい。

 

霊夢は騎士を見上げながら、騎士の放浪者のコートの裾を引っ張り、神社の方を指差す。

 

「……お腹すいた」

 

……今度は、調味料を間違えないようにしなければ。

 

口数が増えて来たな、などと思いながら、騎士は霊夢の手を引き、神社への道を歩いて行った。




囲炉裏に掛けられた鍋が、ぐつぐつと煮えている。
入れられた野菜はその色を柔らかい物へと変え、肉は本来持っていた赤い色合いから、良く煮えられた白い色へと姿を変えている。
そしてそんな具材たちを半ば呑み込む形で、汁が気泡を浮かべている。

慧音は、おたまを使って汁を少しだけ掬い、口に含んだ。

「……うん、出来たな」

慧音は二つの器に鍋を盛り、その内の片方を差し出した。

「ほら、出来たぞ。
腹、減ってるだろう。
早く食え……妹紅」

妹紅は、差し出された器を手に取る。
だが、口にはしない。
ただただ、俯いたまま動かない。

「……妹紅……」

木の爆ぜる音と鍋の煮える音だけが辺りを包み込む。

「……なんだ。
そんなに食べさせて欲しいのか?」

慧音がにやりと笑い、匙に肉を載せて妹紅の口元へと突きつける。
それでようやく気が付いたように妹紅は慧音の方を見た。
あくどい笑みを浮かべようとしているのだろうが、失敗している。

「……いや、大丈夫……。
一人で、食える」

「そうか。
それは良かった。
……お前に喰わせている所なんて誰かに見られたら、変な関係だと誤解されかねんしな!
自分の家に連れ込んでるし、どうにも言い訳が利かん!」

ははは、と笑う慧音の声は空虚で、その眼には妹紅を案ずるように不安そうな色を浮かべている。

相変わらず、冗談が下手な奴だ。

「……じゃあ、そう思われないように、早く食べなきゃね」

「ああ、たんと食え。
ほれ、この通り。
お代わりもあるぞ」

暫くの間、二人が鍋を食べる音が響く。

「……妹紅。
そろそろ聞かせてくれないか、竹林で何が有ったのか」

「……別に」

慧音は、少しだけ柔らかくなっていた妹紅の雰囲気が、また元のように硬化した事を感じる。

だが、ここで引き下がる訳にはいかない。
妹紅の為にも。

「別に、なんて事は無いだろう。
私は彼の護衛をするようにお前に頼んだ。
だと言うのに、お前はあんなところにへたり込んでいた」

「……偶には、サボりたくなる事だってあるわよ」

「そんな詰まらん言い訳は聞きたくないぞ。
ならなんで竹林に居たんだ。
サボるなら、わざわざ竹林の中にまで行く必要は無いだろう」

慧音は息を吸い、呼吸を整える。

衣服の乱れは無かった。
"そういう事"が無かった事は、妹紅を風呂に入れた時にそれとなく確認している。

だから、その可能性は捨てられる。

妹紅は、彼の事を知っている。
それも、深いかかわりが有った。

其処までは解る。

だが、何故こんなにまで茫然自失としているのか。

「……何か、酷い事でもされたのか?」

「違う」

思わず口に出たその言葉に、妹紅は強く反応した。

「え?」

「違う……違うんだよ、慧音」

「私なんだ。
私が、悪いんだ……」

妹紅が立ち上がり、玄関へと向かう。
慧音はそれを引き留めようと手を伸ばし、そして戻した。

引き留めた所で、今は何も出来やしない。
恐らく、そんな"浅い"問題では無いのだ。

「……ごめん。
ありがとう、美味しかった」

妹紅が夜闇に消えて行く。

昔から、陰のある奴だった。

慧音は妹紅と共に飲もうとしていた酒を開ける。

積極的に人と関わろうとしなかった。
今でもそっけない態度ばかり取っているが、それでも前よりは大分ましになったくらいだ。

透き通った色味の酒が、とぷん、と一度だけ音を立て、御猪口の中に入り込む。

それでも、昔から優しい奴だった。
泣いている子供を見つけたら、話しかける事は出来ない癖にその周りをずっとぐるぐると歩いていた。
そんな、不器用だが優しい奴だ。
関わりこそ薄いが、里の皆も、嫌っている奴は誰一人として居ない。

ただ、皆ずっと気になっていた。

何で妹紅は、いつも泣きそうな顔をしているのだろう、と。

慧音は御猪口を一息で呷る。

私は、妹紅とは友達のつもりだ。
つもり、なのだ。

私は、妹紅の事をほとんど何も知らない。
知ろうとしなかった。

不躾に、相手の事を知ろうとする事は失礼な事なのだ、と思い続けていた。
特に妹紅については。

過去に言葉少なに教えてくれた、彼女が不老不死である、という事実。
何故そうなったのか、それまでに何が有ったか、それからに何が有ったか。
いつも浮かべている、悲しそうな顔。
それを思い出すと、暴く気にはなれなかった。

だから、何故竹林に住んでいるのかも、時々酷く傷だらけになっている事も、何も聞かなかった。

そんな事を聞く権利は、私には無いのだ。

今でもそう想っている。

傷を抉り出し、塩を塗るような趣味など、私は無い。

だが、どうやらその傷は今もなお血を流しているらしい。
否、彼と会ってから開いたのか。
どちらにしても、彼が、妹紅の過去に深く関わっている事は、疑いようが無かった。

慧音は酒と御猪口を持ったまま、外へと出る。
そして己の家の屋根まで飛び、腰かけた。

空には三日月が上っている。
下り月だ。
満月までは、大体20日くらいか、と慧音は無意識に数える。

そして視線を下へと移す。
一つの山に、一つだけ灯りが灯っていた。
博麗神社だ。

「暴く」

過去に何が有ったのか。

あの朴訥な彼は、妹紅に一体何をしたのか。
あるいは、されたのか。

半分白澤として生まれた私が持っていた力。

歴史を食べる力。

それだけでは、足りない。

歴史は人によって変わる。
その者にとっては罪だとしても、他人にとっては罪では無い。
この人の身が色濃く出ている今の状態では、その酷く偏った歴史しか見られない。

満月。

月が全ての姿を現すその夜ならば、私の能力はもっと強くなる。
主観では無く、客観として歴史を見られる。

「暴いてやる」

全てを知り、その上で妹紅にその罪を問う。
そうして、血を流し切る。

そうしなければ、何時までも血は流れたままだ。
妹紅は、悲しい顔をしたままだ。

「……嫌われる、だろうなぁ」

嫌われないはずが無い。
妹紅にも、そして彼にも。

だが、やらない訳にはいかない。

だって。

「見たいしなぁ」

あいつの、笑っている姿を。

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