魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~   作:唐揚ちきん

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第四十二話 主役は遅れてやって来る

~カンナ視点~

 

 

「…………」

 

 あのままでは私の敗北は必至だった。

 対あきら用に作っておいたケーブルのジャングルを踏破した里美は、私の想定を遥かに上回っていた。

 実力云々だけではなく、その我が身を顧みない捨身の行動。到底、今までの里美では絶対にしない戦い方に度肝を抜かれた。

 宇佐木里美という魔法少女を侮っていた。彼女の評価を改めねばならない程の戦闘力だった。

 だが、奴の放った一撃は私に届く事はなかった。

 避けたのでも、防いだのでもない。まして、私の攻撃が先に届いた訳でもない。

 里美の渾身の振り被られたステッキは、振り下ろされなかったのだ。

 奴の……魔力切れによって。

 

「……どうしてだ?」

 

 魔法少女の衣装が解除され、私の目前で膝を突く里美に問いかける。

 そのすぐ近くに落ちている、表面の膜が剥がれ、黒く濁った様を見せ付けるソウルジェムを眺めて。

 

「どうして、ジェムを浄化しなかったッ!? 少なくともお前には一つはグリーフシードがあったはずだ!」

 

 たとえ、海豹の魔女がグリーフシードを落とさなかったとしても、魔女になった海香が落としたグリーフシードがこいつにはあったはずだ。

 あの一戦でカオルが死んだ事も確認している。魔女になったか、海豹の魔女の爆発で死んだかまでは定かではなかったが、それでも海香のグリーフシードの所有を争う相手は居なかった。

 なのに何故、こいつは自分のソウルジェムを浄化しなかった……?

 人一倍魔女化の恐怖に怯えていた里美が、ジュゥべえの表面処理を間に受けて、浄化を怠るなんて、それこそあり得ない。

 今にも倒れそうになりながらも、片手で辛うじてソウルジェムを掴んだ里美は苦笑を浮かべた。

 

「……卑怯者の私には、海香ちゃんやカオルちゃんのグリーフシードを使う資格なんてないと思ったからよ。……でも、残して置いたおかげでどうにかあの子たち、全員のソウルジェムを浄化できた……そこだけは本当に良かったわ」

 

 “あの子たち”? 誰だ、誰の事を……まさか、こいつ。

 

「レイトウコに居た魔法少女たちを、全員解放したのか!? 自分たちを恨む奴らを、生命線であるグリーフシードまで全部使ってまで!」

 

 頭がどうかしている。その行為に何の意味があったというのだ。

 あの透明化できる魔法少女やひょっとすると他にもこいつの戦力ができたという見方もできるが、それを含めても割に合わないだろう。

 そのせいで、たった今、私を殺すチャンスを不意にした。いや、そもそも浄化もせずにあれだけの魔法を使っていたのだ。いずれはこうなる危険は里美にも分かっていただろう。

 意味が分からない……。私の知る、臆病で卑劣な宇佐木里美という魔法少女の像と、目の前のこいつが少しも重ならない……。

 理解不能の行動が、圧倒的に優位に立っているはずの私を恐怖させた。

 

「もう、情けない私とはお別れしたの……皆に恥じない生き方をするためにね。少し生き急いじゃったかもしれないけど……」

 

 自身の生存は絶望視するしかない状況下で里美はなおも笑った。自暴自棄になっても何らおかしくないのに、その瞳は輝きを失っていない。

 目の前の魔法少女の思考回路がまるで読めない。一体何があれば、ここまで人格が変動するのか、想像も付かない。

 

「何にせよ、お前はもう終わりだ。ここで私に殺されるか、魔女になるしかない。……どうだ、怖いだろう? 恐ろしいだろう?」

 

「……そうね。やっぱり怖いわ」

 

 素直に答えた里美にほくそ笑んだ。

 そうだ。それでいい。お前の本性は高潔なんかじゃない。

 汚らしい、反吐が出るような卑劣極まるクズだ。

 すぐにお前の中身を暴いてやる……。

 念のために持っていたグリーフシードをチラつかせる。

 

「お前の仲間の魔法少女の人数、名前、魔法の効果を教えろ。そうすれば、こいつをくれてやる。悪い話じゃないだろう?」

 

 当然、こいつに貴重なグリーフシードを与える気など更々ない。目的はこいつらの、トレミー正団とかいうグループの保有する戦力、そして、里美のいけ好かない聖人振った態度を破壊するためだ。

 必ず食い付いてくるはずだ。お前には選択肢なんか存在しない。仲間を売る以外に助かる術はないのだから。

 

「…………」

 

 里美は急に俯き、押し黙る。

 仲間を売って助かった後の算段でも付けているのか?

 打算と逃げ道を確保する事に置いてはプレイアデス聖団随一の卑怯さを早く見せてくれ。

 

「どうした? お前はコレが欲しくて堪らないんだろう? だったら、早く懇願して、仲間を売れ!」

 

「……随分と」

 

「何だ?」

 

「随分と、見下げられたものね。そこまで落ちぶれていた私にも非があるけれど……あなたが人を信頼できなくなった事には何か別の理由があるんじゃないかしら?」

 

 顔を上げた里美の浮かべていた表情は、憐憫だった。

 眉の端を下げ、哀れむような眼差しを私に向けている。

 奴の言葉を耳にして、脳裏に蘇った光景は、自分の存在が偽りだと気付く前の世界。

 両親が居て、妹たちが居て、友達が居て、気になるクラスメイトが居て、自分をごく普通の女の子だと思っていた頃の記憶。

 当たり前に続くと思っていた人生が作り物だと知った時、私は何も信じられなくなった。

 鏡に映った自分が、人形のように無機質な物体にしか見えなくなっていた。

 その人形のような自分を本物(ニコ)と変わらぬ目で見ている家族も友達も、気持ちが悪かった。

 本物(オリジナル)偽物(コピー)が入れ替わっても、向けられる感情に何一つ変わりがないのなら……彼らの感情は果たして『本物』と言えるのだろうか、と。

 

「やめろ……」

 

「カンナ。一体何があなたをそこまで裏切ってしまったの?」

 

 まっすぐな瞳が私の心に問いかけてくる。

 そこが限界だった。

 私の中で膨張を続けていた感情の入った袋が破裂した。

 

「やめろ! もうそれ以上喋るな! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇ!!」

 

 ソウルジェムごと奴の身体を、荒ぶる感情に任せ、束ねたケーブルでできた腕を使い、殴り付ける。

 何度も何度も、執拗なまでに奴を潰す。跡形もなく捻じ伏せる。

 赤い血がケーブルを濡らし、床に真紅の水溜りを作っても、激情は一向に収まらない。

 水分を含んだ肉を叩く音だけが地下の空間に響き渡った。

 肉を叩く音がケーブル同士をぶつけ合う音へ変わった時、里美の姿はどこにもなくなっていた。

 あるのは表面に布地を浮かべた血溜まりだけだ。

 

「あ、ああ……ああああああああああああああああああああぁぁぁッ!」

 

 幼い子供じみた喚きを上げ、その場に崩れ落ちる。

 勝利の余韻などある訳がなかった。

 叫び出す他にない苦しみと、やるせない敗北感だけが胸を占めている。

 負けたのは……私の方だった。

 里美は最後まで尊厳を手放さなかった。仲間にかずみを救出させる時間を稼ぎ切った。

 対して、私は奴の利他行為により、偶然命を拾ったに過ぎない。

 あまつさえ、ひた隠しにしていた心まで見透かされた。

 

「私は……私は……どうしたらいい? どうしたらよかった? ねぇ、教えてくれ……」

 

 教えてくれよ……タイカ。

 ケーブルのジャングルの中で、私は一人慟哭し続けた。

 

 

〜ひより視点〜

 

 

 わたしは声を殺して、泣きながら地下から浮上するための魔法陣へとどうにか辿り着く。

 心が挫けそうになりながら、それでもわたしはテレパシーをソウルジェムから、彼女へと流した。

 

『さ、里美さん……いき、生きて、生きて……ますか?』

 

 背中に背負った血塗れの里美さんのソウルジェムへ声を飛ばす。

 最初から、わたしがこの地下から単独で脱出する方法なんてなかった。

 魔法陣を起動できるのは、多分聖カンナとプレイアデス聖団の魔法少女だけ。里美さんはそれを分かった上で、わたしが一人で逃げたように見せかけた。

 すべては二人で生きて、この場から逃げ切るための演出。

 わたしはずっと部屋の隅で震えながら、里美さんの姿が見えなくなってもおかしくないタイミングを見計らっていた。

 透明化の魔法『ナスコンディーノ』は、わたしに密着している間なら後から付いた血だって見えなくなる。どんな強い魔法少女だって分かりっこない。

 

『……だい、じょう、ぶ、よ……なんと、も、ない、わ……』

 

 嘘だ。さっきの内容もわたしは見て、聞いて、知っている。

 ソウルジェムが濁り切っている事も、身体を何度も潰されている事も皆、知っている。

 どこまでも強くて気高い人なんだ……里美さんは。グリーフシードだって全部で四つもあったのに、レイトウコの皆に使うのを優先してしまったんだ。

 『私のはまだ全然濁ってないから』って、そう言って……。

 全身ボロボロの里美さんはそれでも魔法陣を起動させた。

 聖カンナは背を向けて膝立ちになったまま、叫び声を上げていて、魔法陣が輝いている事にも気付いていない。

 早く、逃げて里美さんの手当てもしないと。グリーフシードだって調達しないといけないのに。

 焦り過ぎて頭が上手く纏まらない。地上に出たら、あの部屋に手当てできるものやグリーフシードを探そう。

 そうこうしている内に魔法陣の転送が完了する。聖カンナはまだ追って来る様子はない。

 大丈夫大丈夫大丈夫。わたしも里美さんも助かる。かずみさんのカプセルもちゃんと持っている。その後、ルイちゃんたちと合流すればいい。

 

「ひ、より、ちゃん……」

 

 背負った里美さんが肉声を飛ばしてきた。

 ああ、いけない。わたしはまた固まっていた。早くしないといけないのに、ここぞと言う時に限ってどん臭い。

 一旦、透明化を解き、血塗れの里美さんを床に下ろして、楽な姿勢にさせる。

 

「い、今、わたしがどうにか、し、しますから、ま、待っていてくださいね」

 

「私は……捨てて……逃げ、て……」

 

「な、何を、言ってるんですか? い、意味が分かりません……」

 

 わたしが目を逸らして言うと、頭から血を流す里美さんは僅かに微笑んだ。

 

「もう……分かってる、でしょう? 私は……助からないって」

 

 何で……。

 

「そ、そんな事、た、試してみないと」

 

 何で、あなたはそんな風に……。

 

「分かるわ……自分の、身体……だもの」

 

「な、何でそんな風に笑っていられるんですか!? し、死んじゃうんですよ? こ、怖くないんですか!?」

 

 耐えられなかった。

 里美さんが諦めたみたいに笑っているのも。自分が何もできないのも。

 わたしにはやっぱり無理だ……里美さんのような強さは身に付かない。

 だけど、そんなわたしに優しく手を伸ばしてくる。

 同い年とは思えないしなやかで女性らしい手のひらが、わたしの頬に触れた。

 

「怖いわ……でも、もっと怖いものが、あるって……知ってるから、耐えられるの」

 

「な、何ですか、それは」

 

「自分を……嫌いになる、事……。ひより、ちゃんなら、この意味……分かる、でしょう?」

 

 分かる。痛いほどに分かる。

 わたしはそれが辛くて、キュゥべえに『誰にも見えなくなりたい』と願ったから。

 他人に虐められるのには耐えられた。でも、虐められる情けない自分を、直視するのには耐えられなかった。

 自分を嫌いになる事は、何よりも辛い。だから、わたしの魔法『ナスコンディーノ』は、自分自身さえ透過した姿は認識できなくなる。

 里美さんの指はわたしの長い前髪をゆっくりと掻き分ける。

 

「ほら……やっぱり、こっちの方が……可愛いわ」

 

 前髪の壁がなくなったのに、涙が滲み過ぎて里美さんの笑顔がぼやけて歪んでしまう。

 心の底から尊敬できたたった魔法少女の先輩。こんな泣き顔ではなく、せっかくなら笑顔を見せたかった。

 里美さんは、反対の手のひらに握った濁り切ったソウルジェムを私に差し出した。

 

「かずみちゃんと……それからこれも、お願い、できる……?」

 

「……はい。——できます」

 

 涙を拭って、それを受け取り、手元に桜色の刃のサバイバルナイフを作り上げる。

 里美さん。あなたの言ってくれた通り、必ずわたしは強くなります!

 震える両手でグリップを握り締め、床の上に置いたソウルジェムを……砕き割った。

 砕けた破片が光になって、宙を舞う。

 横たわる里美さんの身体に泣き付きたくなるなる気持ちをグッと堪えて、かずみさんのカプセルを片手にその部屋から立ち去った。

 『ナスコンディーノ』で再び、透明化してから廊下に出ると近付いてくる足音を耳にする。

 敵、だろうか。そう思い、あえて立ち止まり、自分の足音を消す。すると、やって来たのは傷だらけのルイちゃんの姿だった。

 

 

~ルイ視点~

 

 

 濁りのある白い炎から逃げるように駆けていた。

 屋敷内に張り巡らされたケーブルを導火線のように燃やしながら白い火焔は迫り来る。

 魔力で作られたものにも当たり前のように引火しているところを見るに、触れれば魔法少女でも致命傷を負うのは明白だった。

 取りあえず、逃げる先は侵入する時に入った玄関。

 ここがどのくらい深部なのかは判断しずらいが、窓など探すよりも元来た道を辿る方が無難だろう。

 そうして、掛けていると目の前の通路からひよりの姿が突然現れた。

 

「ルイちゃん!」

 

「ひより!? お前は本命班だろう? どうしてここに……」

 

 そこで彼女が小脇に小さなカプセルを抱えている事に気付く。

 どうやら目的の少女の救出は成功したようだ。

 

「上手くやったのだな。里美さんは?」

 

 そう尋ねると、彼女は静かに首を横に振って答えた。

 

「……わたしにかずみさんを託してくれた」

 

 直接的な表現はなかったが、ひよりの態度から里美さんがどうなったのかは察せられた。

 彼女はもう、居ないのか……。

 

「……そうか。こちらも私以外は全滅した」

 

 私の方は逆に露骨過ぎる表現だったと、口に出してから後悔したが、ひよりはそれを首肯一つで受け止める。

 前髪が中央辺りで分けられているというのもあるが、何だか彼女の纏う雰囲気が違う。私と話す時でさえ治らなかった吃音が嘘のように鳴りを潜めていた。

 

「ひより、お前、どうかしたのか? 様子がおかしいぞ」

 

「これ以上、自分を嫌いにならないようにするって決めたの」

 

 正直に言えば、よく解らない答えだったが、彼女なりに里美さんの死を受け止めた結果なのだろう。

 ここでだらだらと詮索を続けるのは愚の骨頂だ。私はすぐに話を元に戻す。

 

「そうか。ならば何も言わない。すぐに逃げるぞ。炎がこちらまで迫って来ているんだ」

 

「うん、分った。どっちに行けばいい?」

 

「私から見て、前方だ。急ぐぞ」

 

 ひよりの手を引き、前方へと走り出す。

 しかし、彼女はぎょっとした顔で後ろを振り返った後、すぐさまと私ごと透明化の魔法を展開した。

 彼女が何を見たのか確認する前に念話でひよりの声が脳内に届く。

 

『振り返っちゃ駄目! 白いドラゴンが向かって来てる……!』

 

『!……ドラーゴ・ラッテか。かなり距離を離したはずなんだが……』

 

 奴はこの数分で距離を詰めて来ていたようだ。速度勝負なら話にならない。

 ひよりの透明化はベターな選択肢だったが、それでも炎が迫っている以上は立ち止まってやり過ごすという選択肢はない。

 私はひよりの身体を引っ張って掻き抱くと、脚に魔力を回して走行速度を引き上げた。

 

『ルイちゃん!?』

 

『身体能力なら私の方がひよりよりも上だ。そちらは透明化だけに集中してくれ』

 

 魔法を使いながらの走る続けるのは負担が大きい。それなら私が抱いて走った方が分担できていいだろう。

 全力で走っている私たちを追いかけるように、後ろから耳障りなドラーゴ・ラッテの声が響いてくる。

 

『待ってよォ、お姉ちゃァァん! お友達を見捨てて逃げるなんて悪い子なんだァ! 悪い子はァ、燃やしちゃうんだから!』

 

 音も不快だが、その内容もまた不快極まるものだった。

 友を見捨てたと詰り、責め立てるその様子は幼児のようだが、声音にはこれでもかというくらいに悪意が滲んでいる。

 明らかに弱者を弄る愉悦に浸る外道の叫びだ。まともに聞くだけ無駄だというのに、それでも脳内に汚物でも刷り込まれる嫌悪感が止まない。

 逃げる事だけ考えろ。戦って勝てる相手ではないという事は身に染みて分かっているのだから。

 

『ねェ、ねェ、ねェ! きっこえってるゥ? お姉ちゃんのお友達泣いてるよォ~? 熱いよ、痛いよ、助けてよォ~って見っともなく悲鳴上げてるよ?』

 

 ……聞くな。走れ、走り続けろ。皐月ルイ。

 あと少し、あと少しで玄関に到着するのだ。奴はそれが分かっているからこそ挑発している。

 逆に言えば、このままでは逃げられてしまうと焦っている。

 それなら多少の屈辱を甘んじて受ければいい。かずみを救出できれば我々の勝利なのだから。

 ドラーゴ・ラッテの不快な声はまだ遠い。

 だが、私の前には開け放たれた玄関の入口が既に見えている。その奥では夜の帳が広がっていた。

 まさか、夜闇をここまで欲する日が来ようとは思ってもみなかった。

 およそ、目測で後五十メートル。

 最後のひと踏ん張りとばかりに私は加速する。

 残り、三十メートル。

 肉体に負荷をかけても必ず辿り着いてみせる。この作戦で散った三人の仲間のためにも、私たちは生還しなければならない。

 残り十メートル。

 油断はしない。速度をまったく緩める事なく、駆け抜ける。

 残り三メートル。……二メートル。……一メートル。

 そして、後一歩で外へと逃げ切れるところまで辿り着く。

 全力疾走したせいで火照った身体が、夜風辺り冷やされ、心地よさを感じた。

 その瞬間。

 

『……ざァんねェんでしたァ』

 

 すぐ隣で悪意に満ちた楽し気な囁きが聞こえた。

 背中に鋭い痛みが五本走った。あの長い鉤爪で切り裂かれたのだと気付いたのはその直後だった。

 バランスを崩し、私は玄関の前で無様にも転がった。

 

「きゃぁッ!」

 

 ひよりの悲鳴が聞こえる。私はそれを頼りに顔を上げた。

 視界に映り込んだのは濁った白い鱗で覆われた爬虫類の頭部。

 鋭い牙を揃えた口は、まるで人間のように歪んで、“嗤っていた”。

 

『追い付かないとでも思ったァ? わざとだよォ、わ・ざ・と』

 

 白竜の魔女モドキ、ドラーゴ・ラッテは悪戯が成功した子供ように嬉しそうに種明かしをする。

 

『本当はもっと簡単に追い付けたんだけど、逃げられると確信した時に捕まえたら……もっと面白いかなァって思ってね』

 

 遊ばれていたのか私は……。

 意外にも奴への怒りはさほど感じなかった。代わりに自分に対する不甲斐なさだけが募る。

 だが、私たちはひよりの魔法で不可視になっていたはず。足音でどの辺りに居るか判断できても、攻撃を命中させるのは至難の業だろう。

 私の疑問が表情に出ていたのか、奴は得意げになってベラベラと話し始めた。

 

『ああ、透明になってたのに、どうやって当てたか気になるんだねェ? 安心して、お姉ちゃんたち自身は本当に見えなかったよ。でも、それ、身体から離れたものには効力がないみたい。ほら、周り見てェ』

 

 奴の言葉に従って周囲を見回すと、廊下の向こうまで点々と真っ赤な染みが続いていた。

 あれは――血だ。私の身体から零れた血液。

 そうか……。ひよりの魔法は、彼女と触れているものにしか効果を及ぼさない。

 私の傷口から流れ落ちた血は、当然目に見えるようになる。全速力で走った事がかえって仇となった訳か。

 

『あー、そっちのお姉ちゃんは、かずみお姉ちゃん持って来ちゃってる。あーららーこーらら、ママに言っちゃおうっと』

 

 床に落ちた衝撃で透明化の魔法を解除してしまったひよりもまた、ドラーゴ・ラッテに捕捉されてしまう。

 最悪だ……最悪の展開だ。あと少しで脱出できるという幻想に見せられ、私は取り返しのつかない失敗をしたのだ。

 奴は舞い降りて来ると、私ではなく、ひよりの方へ歩み寄った。

 ひよりはかずみの入ったカプセルを両手で抱き寄せ、尻餅を突いた状態で後ろへ擦り下がる。

 それでも彼女の瞳は折れてはいなかった。強い光がその眼には灯っている。

 

「……かずみさんは絶対に渡さない! 里美さんが命を捨ててまで助け出したこの人は、絶対にわたしが守る!」

 

 駄目だ。ひより……。

 覚悟や意志の力で覆せる実力差ではない。ネズミが猫に勝てないように、保持している力の大きさがあまりにも違い過ぎる。

 

『あッそう。じゃあ……死んじゃえ!』

 

 白竜の鉤爪がひよりへと襲い掛かる。

 背中を深く切り裂かれた私には、とっさに動く事もできない。

 先の全力疾走で魔力も底を尽き掛けている。分身もクナイも作り出す余力は残っていない。

 

「やめろぉぉッ!」

 

 やれる事と言えば、そう叫ぶくらいしかなかった。

 絶望で眩暈がする。顔面の血液が一気に引いた。

 私の絶叫を聞き、ますますドラーゴ・ラッテの表情に嗜虐の悦びが溢れる。

 しかし、振り下ろされた奴の鉤爪は、唐突に玄関へ飛び込んで来た人影に防がれた。

 

「いやー。やっぱり俺のみたいな生まれながらのヒーロー体質の人間はこういう場面で登場しちまう訳なんだわ」

 

 黒い髪に黒い瞳。野性的ながらも、どこか品のある整った顔立ち。

 短めに切り揃えられている前髪の下には、快活そうな笑みを湛えていた。

 

『だ……誰? あんた』

 

 黒髪の少年はそれには何も答えず、無言で口の端を吊り上げる。

 ドラーゴ・ラッテの鉤爪は彼の右腕によって阻まれていた。

 その右腕は肘の辺りまで真っ黒の鱗に覆われている。指先から生えているのはドラーゴ・ラッテとよく似た禍々しい鉤爪だ。

 彼は奴の爪を強引に振り払うと、振り返って後ろに居るひよりの頭を左手で乱雑に撫で回した。

 

「よく頑張ってくれたな、アンタ。おかげでかずみちゃんを取り戻せた。感謝するぜ」

 

「えっ、あ、あの……こちらこそ助けてくださってありがとうございました」

 

 状況を掴めず、混乱しているひよりは狼狽えながらも、その明るい雰囲気から味方だと思ったようでお礼を返した。

 

「気にすんなよ。わりとマジで感心してんだ。まさか、魔法少女だけでここまでの戦果上げるとは大したモンだぜ。それじゃあ、ありがたく、かずみちゃんは返してもらうな」

 

「え? それは……」

 

 戸惑うひよりの手からかずみの入ったカプセルを取り上げると、少し眺めた後に名前を呼んだ。

 

「サキちゃん」

 

 すると、玄関の外に一人の少女が現れる。

 その少女には私も見覚えがあった。

 小豆色のジョッキースタイルの衣装にベレー帽。白い髪と眼鏡が目立つその少女は浅海サキ。

 プレイアデス聖団の魔法少女の一人だ。

 確か、奴は里美さんの話では強大な魔女モドキの軍門に下り、プレイアデス聖団とは袂を分かったという話だった。

 

「かずみちゃんを頼んだぜ」

 

 カプセルを放り投げ、彼女の手元へと渡す。

 浅海サキはそれを受け取ると、彼に返事をした。

 

「ああ、分かった。あきらはどうする?」

 

 “あきら(・・・)”。その名前は話に聞いた強大な魔女モドキの名。

 まさか、奴が、奴こそが私たちの最も警戒すべき存在……。

 

「決まってんだろ? この2Pカラーに教育してやるんだよ……変身!」

 

 あきらという名の少年のシルエットが歪み、その姿は目の前に居るドラーゴ・ラッテとほぼ同型の竜へと変貌する。

 違うのは鱗の色と額から伸びた長い角だけだ。あきらのそれは夜の闇よりなお暗い漆黒の鱗に、フランヴェルジュのように波打つ角。

 

『あたしと、同じ姿……』

 

『同じじゃねェよ、2Pカラー。教えてやるよ……(ドラーゴ)は二人も要らねェんだ』

 

 白と黒の魔竜が二頭睨み合うように、並び立つ。

 お互いを見つめ、そして、その巨大な顎を同時に開いた。

 吐き出された白い炎と黒い炎が激しく燃え盛り、中心で激突する。

 膨大な魔力の炎が玄関の中で吹き荒れ、爆発が巻き起こった。

 眩い閃光に包まれ、私は理解した。

 自分が足を踏み入れてしまった争いの次元は、とても一介の魔法少女が入り込めるものではない。

 これは無理だ。どうしようもない。

 この魔竜たちに比べれば、今まで出会ってきた魔女など子供騙しだ。

 今ならあのレイトウコの中で、ずっと眠っていた方が幸せだったと断言できる。

 圧倒的な存在を見た時、人は絶望するのではない。

 諦念するのだ。

 ただただ、呆然と生存を諦め、立ち竦む。

 それ以外にできる事などないのだから。




これにて、カンナ編は終わりです。
次回より『かずみ編』が始まります。

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