魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~   作:唐揚ちきん

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第二十一話 信じる者は“掬われる”

 降り(しき)る雨の中、俺は走った。

 水浸しになった服は重みを増し、水気を含んだ靴内は、足踏みする度にびちゃびちゃと湿り気のある音を立ている。

 濡れた髪から垂れる雨水が顔にかかった。

 しかし、既に堪えきれない涙で濡れている俺の目には今更大差ない。

 

「う……うあぁ……あ……、あっ!」

 

 光の屈折で歪んだ視界の中、ただただがむしゃらに走り続けた俺はとうとう足を(もつ)れさせ、地べたへ転ぶ。

 運悪く、倒れた地点にあった水溜りに顔を浸した。

 汚れた水が口から入る。咳き込みながら、這い上がると、周囲を行き交う人々の奇異の視線や声を潜めた笑い声が聞こえた。

 ……そんなに面白いか?

 俺の無様が。人の不幸が。

 お前らにとって、そんなに愉快な事なのか?

 ―—怒りが湧いた。

 この街そのものが俺に悪意を持っているかのように思えた。

 俺を見て、笑う奴の顔が全員あきらと同じに映る。

 あすなろ市。かつて赤司大火(俺のオリジナル)が破壊してしまった街。

 今度こそ守ろうと思った世界。

 ―—でも、本当にこんな場所守る価値があるのか。救う意味はあるのか。

 ―—魔物や魔女モドキを生み出すような、歪んだ悪意を抱える人間しか居ないのではないか。

 

「……っ!」

 

 ……やめろ、俺。それ以上踏み込んではいけない。

 その道を進めば、自分の悪意に呑まれてしまう。

 俺が、赤司大火ではなくなってしまう。

 首を振って、邪な思考を拭い去る。

 そこで俺は仄かに放たれるイーブルナッツの反応を感じ取った。

 反応は数メートル先から緩やかな速度で接近している。

 あきらか!?

 だが、その先から現れたのは傘を差し、スーパーのビニール袋を持った銀髪碧眼の少年だった。

 あいつは確か……。

 

「お前は!」

 

 そちらに向けて声をかけるが、彼は無反応で俺の脇を通り過ぎようとしている。

 

「おい! お前に声を掛けてるんだ!」

 

 もう一度呼び掛けると、ようやくその少年・アレクセイは俺の存在を認識した。

 しかし……。

 

「…………?」

 

「いや、お前だ。お前! 後ろ、見ても誰もいないからな」

 

 自分の後ろに居る人物に言っているのか勘違いして、振り返って確かめている。

 冗談なのか、素でやっているのか判断が付かない。

 やって別の誰かではなく、自分の事を呼び止められたのだと理解したアレクセイは無表情で尋ねた。

 

「僕?」

 

「ああ、そうだ。アレクセイだったよな? 俺の顔覚えてないのか?」

 

「……ひょっとして、同じクラスの人?」

 

「ちっがう! 大火だ。赤司大火! あの時、戦っただろう?」

 

 俺の顔を見ても未だにピンと来ていない様子のアレクセイ。

 本当に顔を忘れたというのだろうか……。命を賭して戦った勝負は彼からすれば、その程度の事だったとでも言うつもりなのか?

 五秒くらい脚を止めて沈黙していた彼だが、やがて手をポンと打つと納得したように頷いた。

 

「あ」

 

「思い出したか!?」

 

「昨日、トレーディングカードゲームで対戦した……」

 

「絶対違うだろう!? お前にとっての戦いはカードゲームレベルだったのか!」

 

 というか、カードゲームをするような人付き合いがあるのか。そういったサブカルチャーに興味を懐く人間にも見えなければ、他人と積極的に交流するようにも見えなかった。

 そして、俺の顔はもちろん、昨日会って共に遊んだ人間の顔を忘れるな。

 いかん……。あまりの天然ボケっぷりについ全力で突っ込みを入れてしまったが、空腹でまともに走る事もできない程に疲弊していたのだった。

 余計に疲れてしまい、ぎゅるるっと盛大に腹が鳴る。

 アレクセイはその音に反応して、首を傾げた。

 

「お腹、空いてるの?」

 

「ああ! もう何日も何も食べていないんだ! だから頼むから突っ込みが必要な発言は止めてくれ!」

 

 八つ当たり気味に彼に怒鳴ってしまった。

 栄養が足りなくて、神経が過敏になっているようだ。

 気を付けなくてはと思っても、彼の掴みどころのない態度に苛立ちを感じてしまう。

 だが、当のアレクセイはそれを気にした風もなく、こう言った。

 

「家に来て、何か食べる?」

 

「い、いいのか? なら、是非にでも行かせてくれ!」

 

 千載一遇のチャンスに恥も外聞もなく、飛び付いた。

 苛立ちをぶつけていた相手の親切に舞い上がる自分に嫌気が差したが、それはそれ。

 生理的欲求の前には人間の誇りなど、紙吹雪より軽かった。

 現金にも、立ち上がる力が湧いてくる。

 アレクセイの前まで行くと、彼は自分の鼻を摘まんだ。

 

「どうした?」

 

「臭い。家に来てもいいけど、食べる前にお風呂入ってね」

 

「うっ……そんなに臭うか?」

 

「うん」

 

 一応、夜に河原で水浴びなどで清潔感は保っていたつもりだが、真顔で臭いと断言されると否定できない。

 衣食も確保できない状況だったので、体臭など気に留めている余裕はなかった。

 急に羞恥心が帰って来たものの、アレクセイはそれ以上言及する気はないらしく、スタスタと歩き始める。

 付いて行けばいいのか?

 何も言わずに次の行動に移ってしまうため、分かり辛いが、俺を自宅まで連れて行ってくれる様子だ。

 雨水に濡れながら、俺も黙ってそれに続く。

 ……どうでもいいが、傘に入れてくれる気はないのだな。

 

 

 *******

 

 

「えっ……何でそいつ、連れて来たの?」

 

 アレクセイの自宅に着いて直後、玄関にて出迎えの挨拶代わりに言われた台詞がそれだった。

 棘のある言葉をくれたのはアレクセイの親兄弟なのではなく、彼と共にニコを襲った魔法少女・双樹あやせ。

 

「……同棲しているのか?」

 

 隣に居るアレクセイに言ったつもりだったのが、反応したのはあやせの方だった。

  

「ちょっと止めてよ、その言い方。私はあすなろ市に居る間滞在しているだけ」

 

 本気で嫌そうな顔する彼女だが、彼の方は興味無さそうに傘立てに傘を入れると無言で家に上がる。

 俺はどころかあやせとも会話をする気がないようだ。マイペースもここまで来ると、動きを止めて他人の話を傾聴するという習慣そのものがないように見える。

 ぶつぶつ文句を言うものの、あやせも居候の立場を弁えており、俺を追い返したりする様子はなかった。

 

「上がっていいのか?」

 

「勝手にすれば。私の家じゃないし」

 

 ぶっきら棒な彼女の言い分に納得し、俺も彼の家にお邪魔する。

 表札には『中沢』と記載していたが、彼の苗字なのだろうか。

 そうなると彼のフルネームは『中沢アレクセイ』になってしまう訳なのだが……どうなのだろう。

 家の中の外装は至って和風。畳みや障子があり、古き良き日本家屋の名残が随所に見受けられる。

 アレクセイを追いかけて、進むと彼はどうやらキッチンに向かったようだった。

 この家の雰囲気で言うなら台所と呼んだ方が似付かわしい。

 そこでガスレンジに乗せた寸胴鍋を温めていた。

 すると、すぐにふわりと美味しそうな匂いが台所に漂い始める。

 曲がりなりにも洋食屋の息子である俺にはその匂いの正体が何だか分かった。

 これは……煮込んだトマトの香りだ。

 

「トマトシチューか!」

 

 じゅるりと唾液が口の中に染み出した。

 五日近く何も食べていなかった胃が猛烈に固形物を欲する。

 

「ボルシチだよ」

 

 後からやって来たあやせが訂正する。

 

「どっちでもいいよ」

 

 面倒そうに返すアレクセイは振り向く事もせずに、お玉で鍋を搔き混ぜている。

 

「あやせ。お風呂の場所教えてあげて」

 

「えー、何で私が?」

 

「じゃあ、ルカでいいや」

 

「ルカでいいとは心外ですね。私に頼むならもう少し誠意を見せてください」

 

 二人の会話中に唐突にあやせの口調が変わる。

 今、不満げに誠意を求めているのがルカという訳か。ややこしい。

 彼はよくこれでコミュニケーションを取れるな。

 

「どっちでもいいよ。嫌ならもうご飯出してあげない」

 

「大火さん、でしたね。お風呂場はこちらです」

 

 一瞬で手のひらを返したルカは案内をしてくれる気になったらしい。

 主従関係が出来ているようで、手綱を握っているのは実はアレクセイの方なのか。

 何にせよ、まともな食事にあり付くには風呂に入って、汚れを落とした方がいいだろう。

 身体が雨で濡れている事もあって、温められる風呂はそれだけでも素直にありがたい。

 俺はルカの導きに従って、中沢家の浴場へと向かった。

 

 

~サキ視点~

 

 

 

「それで俺に見せたいものってこのスズラン?」

 

 白いスズランが植えられた鉢を両手で抱えているあきらは、私にそう聞いてくる。

 デパートでショッピングを楽しんでいた帰り道、突然の雨に合った私たちはどこかに雨宿りをしようという話になった。

 その際、近くだからと私は彼を自宅にまで招いた。

 男の子を家に連れて来るという行為に躊躇いがなかった訳ではないが、そうまでしても彼に見てほしいものがあったからだ。

 

「そのスズランもその一つだな。その花は私の妹の花だ」

 

「へぇー。妹さんの。きっとサキちゃんに似て、美人なんだろうなぁ」

 

 あきらの発言に暗い気持ちが湧き上がる。

 それが顔に出てしまったのか、彼はすぐに表情を引き締めた。

 

「……ひょっとして妹さん」

 

「ああ。交通事故で亡くなったよ」

 

「わりぃ、失言だったか?」

 

「いや、そんな事はない」

 

 彼は何一つおかしな発言はしていない。謝るなら妹の話題を出した私の方だ。

 だが、彼には妹の事。そして、私が魔法少女になった理由を打ち明けたかった。

 

「そのスズランが永遠に咲き誇る事が私の魔法少女としての願いだった」

 

 彼に全てを話した。

 私たちが行っている魔法少女狩り。

 魔法少女とキュゥべえの関係。

 プレイアデス聖団の成り立ち。

 そして、最初のメンバー……和沙ミチルの事。

 かずみに関する救いようのない真実を。

 長い、本当に長い話をあきらは一言も言葉を挟まずに聞いてくれた。

 全てを語り終えた後、私は彼に一冊の日記帳を差し出す。

 

「これがミチルの日記。かずみの元になった魔法少女の残した記録」

 

 あきらはスズランを床に置くと、その日記帳を受け取ってパラパラとページを(めく)った。

 時間にして数十秒。本当に読んでいるのか疑わしい短時間でページを捲り終わると、日記帳を閉じる。

 

「ふぅん。なるほどなぁ……和沙ミチルちゃんか」

 

「……ああ。そうだ。軽蔑、したか……? 私たちの事を嫌いに、なったか……?」

 

 彼の顔をまともに見る事ができなかった。

 話しておいて、見せておいて、この期に及んで私は彼に嫌われたくないと思っている。

 救いようのないのはかずみの真実ではなく、私の性根の方だ。

 しかし、視線を床に落とす私をあきらは優しく抱きしめてくれた。

 

「そんな訳ないだろ? よく話してくれたな、サキちゃん……。辛かっただろうし、隠したかったけど、それでも教えてくれたんだよな」

 

 頭を撫でて、優しい台詞を掛けてくれる彼に滲む涙を我慢できない。

 あきら。あきらあきらあきら。

 私の理想の王子さま。私の信じるただ一人の男の子。

 

「でもな、サキちゃん。和沙ミチルちゃんの事、背負っていくには辛すぎるんじゃないか?」

 

「……うん。でも、それは私たちプレイアデス聖団が抱えて生きないとならない罪の証だから……」

 

「忘れちまえよ、ミチルちゃんの事」

 

「え……?」

 

 ミチルを……忘れる?

 あきらは私から少し隙間を作って、日記帳を見せ付けた。

 

「ここにある記録は全部なかった。和沙ミチルなんて最初から居なかった。それでいいんじゃねーのか?」

 

「何を言って、いる……」

 

 彼の声音は甘く、柔らかく、静かで、私の心に染み込んでくるような心地さえする。

 ミチルを忘れるなんて許されない。彼女は私たち、六人を救ってくれた大恩人だ。

 その彼女を居なかった事にするなんて……。

 

「でも、そのせいでサキちゃんやプレイアデスの皆は辛い思いをしてる。かずみちゃんだって、その被害者だ。アンタらが和沙ミチルを忘れない限り、かずみちゃんはいつまで経っても代用品。真の仲間にはなり得ない……そうだろ?」

 

 あきらの言葉に矛盾はない。

 私がミチルに拘泥すればする程に、かずみをミチルの代わりにしか見えなくなっている。

 どれだけ時間が掛かってもかずみはプレイアデス聖団の罪でしか居られない。

 

「サキちゃんたちを助けてくれた魔法少女はかずみちゃん。今は記憶を失っているだけ。ミチルなんて子は居なかった。それいいんじゃねーの? そっちの方が皆幸せになれる真実だろ? 違うか?」

 

「で、でも……私がミチルを忘れてしまったら彼女は……」

 

「その子はいつまでも自分に依存してほしいと思うか? 最期の瞬間まで魔女化を耐えていた彼女はきっとこう思ってる。『サキちゃん。私の事なんて早く忘れて幸せになって』って」

 

 ミチルが忘れられたがっている……?

 彼女の記憶を覚え続けている事が、彼女への償いだと信じていたが、あきらの解釈の方が正しいような気持になってくる。

 そうだ。そうだった。ミチルはそういう子だった。

 あきらは続けざまに言葉を続ける。

 

「海香ちゃんが生きてたら、きっと今のサキちゃんたちから和沙ミチルの記憶を消してたぜ。それくらいアンタらプレイアデス聖団は傷付いてきた。海香ちゃんのためにも合成魔法少女の記憶はすっぱり忘れるべきだ」

 

「海香も、そう思っている……?」

 

「ああ。そう思うぜ。何なら、自分が魔女になって死んだ記憶だって消したと思う。そういう優しい子だった。なのに皆、辛くて悲しい記憶だけ溜めて、勝手に苦しんでる。良くない事だと思わないか? なあ?」

 

 そうだ。記憶を操る海香ならそうしていたかもしれない。

 皆で辛い記憶だけを残していて、何になる? ソウルジェムを濁らせて、魔女化を早めるだけじゃないか。

 私たちプレイアデスが間違っていた。

 あきらが正しい。

 私の王子さまの言っている事が絶対に正しい。

 

「俺を信じろ、サキちゃん。俺がアンタを守ってやる。……だから嫌な記憶はぜーんぶ忘れちまっていい。楽しい記憶だけを覚えていようぜ?」

 

「ああ。そうだね……うん」

 

 何故、私はこんな事に気付かなかったのか。

 それこそ、ミチルへの冒涜だった。

 彼女の事は早々に忘れるべきだったのだ。

 

「さあ、サキちゃん。俺に続いてこう言うんだ。『和沙ミチルなんて居なかった』。『御崎海香なんて居なかった』。『プレイアデス聖団は最初から今居る六人だけだった』」

 

 雨音をBGMにして、あきらは私に(うた)うように(ささや)いた。

 それに連れられ、私も唇を動かす。

 

「『和沙ミチルなんて居なかった』。『御崎海香なんていなかった』。『プレイアデス聖団は最初から今居る六人だけだった』」

 

「そう。そうだぜ! サキちゃん! ほら、心が軽くなったのが分かるだろ? 苦しかった想いが消えていくのを感じるだろ?」

 

 あきらの言う通り、私の心から苦しみが抜け落ちていく感覚があった。

 身体が軽い。こんな気持ちはいつ以来だろう。

 彼を信じていれば、救われる。命だけじゃなく、心までも救われる。

 

「じゃあ、この“本”は俺が持っていくね。サキちゃんには必要のないものだから」

 

 あきらが小汚い本を小脇に挟む。

 あれは日記帳……いや、“本”だ。どこかの誰かが書いたエッセイ本。

 

「いいよ。私にはもうそんな“本”必要ないからね」

 

 窓の外でカッと光が(ほとばし)って、一拍置いた後にゴロゴロと雷鳴が聞こえた。

 ……遠くで雷が落ちたようだ。

 

「悪い天気だな。早めにお家デートに切り替えて正解だったかもな」

 

「ああ。そうだな」

 

 私にはあきらが傍に付いている。

 大丈夫。きっと大丈夫。

 プレイアデス聖団は正しい方向に導かれている。

 私はそう確信した。

 




あきら君の新興宗教の教祖感……。


活動報告にて、引き続いて作中に登場するオリジナル魔女を募集しております。

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