魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~   作:唐揚ちきん

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第十話 三重の報復

 あすなろ公園の中央。

 大きな噴水を中心に円状して配置されるブランコやシーソー台、ジャングルジム。

 本来であれば、子供たちの元気な喧噪で溢れていたはずのその場所は殺伐とした空間へと様変わりしていた。

 そこら中に血だまりが地面を濡らし、遊具には飛び散った血液が付着している。

 

「たい、か……?」

 

『倒してでも奪い取る、だと……? はぁぁ? ゴミが! 何ホザいてんだ、テメエ!』

 

 空中で制止している蠅の魔物が汚らしく罵るが、俺の目には奴の腕に貫かれているユウリにしか向かなかった。

 ショッキングピンクカラーの衣装と白い肌は鮮血で彩られている。トレードマークのとんがり帽子は穴だらけになり、手足は折れ曲がって、あらぬ方向に捻れていた。

 深々と腹部に突き刺さった蠅の魔物の腕は彼女の背中まで達していた。

 そして何より……彼女の両眼はぽっかりと穴のように抉り取られていた。

 眼窩から延々と流れているのは、涙でなく、大量の血。

 改めてユウリの凄惨な見た目に頭の中が怒りではち切れそうになった。

 ……もはや、言葉など必要ない。

 魔物化した俺は即座に蠅の魔物へ向かって、宙に跳ね上がる。尾節をバネにして、一瞬で距離を詰めた。

 まずはユウリを刺している汚らわしい昆虫じみた前足を斬り落とす!

 右手の鋏を開き、渾身の一撃を奴の前足に突き出した。

 イーブルナッツの特性なのか、前回と同じ動作だが、速度は俺の怒りの感情が速さに変換されたかのように加速する。

 黒い棒状に伸びた蠅の魔物の前足とそれに腹部を抉られているユウリの姿が目と鼻の先まで来て――……一瞬で消えた。

 

『……何ッ?』

 

 中空で、あと僅か数センチの距離まで接近していた魔物とユウリが掻き消えたのだ。

 思いもよらない光景に思考の空白が生まれる。

 

『トロくせぇんだよ、ゴミがッ!』

 

 頭上からの罵声と共に衝撃が背中へと降ってくる。

 殴られた……? いや、これは蹴りか?

 

『くッ……!』

 

 空中でバランスを崩し、重力に従って落下。公園の地面へ叩き付けられるが、受けた攻撃共々大したダメージには至らない。

 間髪入れずに頭上へと視線を向けるが、そこには青空が広がるばかりで奴の姿はない。

 どこへ行った!?

 

『どこ見てんだよ、ノロマ野郎』

 

 声が聞こえた方向に腕を振るうが、掴むのは空のみ。

 しかし、蠅の魔物は俺の死角という死角から怒濤の蹴りを浴びせにかかる。

 文字通り、目にも止まらぬ速さというものがどういうものなのか嫌でも分からされた。

 速い――! とにかく速い! 一撃一撃はそれほどの威力ではないが、こうも連続で喰らうと無傷ではいられない。

 ユウリを掴んだままというハンデを抱えた状態でなおこのスピード。速度だけならドラーゴを超えている……。

 俺は両腕を顔の前で構え、防御の姿勢を固めた。

 むやみやたらに腕を振り回しても当たらないだろうし、間違ってユウリを傷付けてしまっては意味がない。

 

『おいおい。あんな啖呵吐いておいて、しょっぱいマネしてんじゃねぇよ、クソガキよぉ!』

 

 ひたすら守りに徹して、奴の攻撃を分析する。

 目で追っても視認できないなら打撃の感触だけで考えればいい。

 蠅の魔物の攻撃は、ユウリを刺していない方の手での殴打、蹴り。連撃といっても攻撃のテンポやパターンにバリエーションはない。

 刺突はしてこないのは奴の腕では俺の装甲は貫けないという証拠。蛆を出して来ないのも理由は同じ。

 ならば、奴に俺を倒す決定打はないと見ていいだろう。

 それなら……。

 攻撃と攻撃の合い間。

 奴が飛行による移動に専念する一瞬。

 腕を丸めて顔を守る俺を一方的に殴って愉悦に浸るお前が油断し、正面に回った時。

 尾節を股の下から潜らせて、蠅の魔物を狙う!

 

『お、おおお!?』

 

 俺もお前らのような下衆との戦いに慣れてきた。

 予想外の反撃に対し、品性下劣な蠅の魔物は――。

 尾による刺突を避けるためにユウリを掲げ、盾のように突き出した。

 分かっていたとも。

 “必ず、人質を盾にする”。

 他者を食い物にし、我が身を何よりも優先するお前ら下衆の常套手段。

 あるいは手に持ったもので我が身を守るという反射的行動。

 だからこそ、そこが狙い目だった。

 

『な、にィ?』

 

 ユウリの身体を盾にして、自分の身を護る蠅の魔物の行動を読み切っていた俺は、尾節でユウリを巻き取り、奴の腕から引き抜くように奪い取る。

 

「うぐッ……」

 

 ユウリの呻き声に内心で土下座しつつも、ようやく俺は彼女を奪還する事に成功した。

 尾節を折り曲げ、彼女を優しく掴み取ると両腕の関節に乗せるように置く。

 間近で見れば見るほどユウリの損傷は激しい。皮膚は『傷』ではなく『穴』と表現した方が相応しいものが肌を埋め尽くすように覆っている。

 痛々しいなどという言葉では済まされない。当事者以外では想像すら困難なレベルのダメージ……。

 

『ユウリ……済まなかった。俺はいつも肝心な場面に間に合わない』

 

 これまで幾度となく、自分を無能だと感じ続けていたが、ここまで何も守れないとは……。

 情けなさを通り越して、呆れ果てる。もしも可能なら彼女の傷をすべて俺が肩代わりしたいくらいだ。

 

「……そうでもない。アタシはお前のおかげで、みくや公園の子供たちを……守れた……。少しだけ魔法少女になれた、気がした……。八つ当たりの復讐者じゃなく、『ユウリ』のような……誰かを助けるために、魔法を使う……魔法少女に……」

 

「『ユウリ』のような……? どういう意味だ。ユウリはお前の名だろう?」

 

 俺の疑問に泣き出しそうな顔でユウリは答える。

 

「違う……違うんだ。アタシの名前は『ユウリ』じゃない……この顔も声も、名前も……全部アタシの友達の魔法少女の『ユウリ』の借り物でしかない……本当の、『ユウリ』はもうずっと前に……魔女になってしまった……」

 

『……魔女に。ならその子はもう……』

 

「ああ。魔女になった『ユウリ』は……プレイアデス聖団の魔法少女によって、殺された……」

 

 ユウリという名前や姿が借り物だったという事実よりも、かずみたちを恨む理由に俺は言葉を失った。

 どんな想いで彼女は友達の顔を模倣して、かずみたちと敵対していたのか。それを想像するだけ、胸が痛んだ。

 魔女になった友人を殺され、復讐を誓った。八つ当たり、逆恨みと切って捨てるのはあまりにも重すぎる。

 タイムスリップする前ににそれを知っていれば、もう少し彼女と分かり合えたかもしれない。

 

「魔法少女は……ソウルジェムが濁り切ると、魔女に……なる。お前のみたいに人間としての思考や意識を持たない……本当の怪物、に成り果てる。……アタシの、ソウルジェムを見て、みろ……」

 

 彼女の胸元にある濃いピンクの宝石が澱んだ色に変わっている。

 まるで小さな器に黒い液体を注ぎ込んだように彼女のソウルジェムを濁った黒が波打っていた。

 ソウルジェムが濁れば魔法少女は魔女に――知性なき化け物に堕ちる

 ならば、彼女は……。

 

『助ける方法はないのか?』

 

「……気にするな。アタシは元から魔法少女が、どういう結末を辿るか知った上で……妖精と契約して魔法少女に、なった……」

 

『だが……』

 

 彼女と話している最中に無粋にも邪魔者が耳障りな喚き声を撒き散らす。

 

『俺を無視してんじゃねぇぞ! クソガキ共ぉ!』

 

 本当に蠅のように煩い男だ。こいつが蠅の魔物になったのも頷ける。

 奴は怒鳴り散らすように羽を揺らすと、俺たちに向けて何かを飛ばしてくる。

 また蛆か。代わり映えのしない飛び道具だが、ユウリの身体には有効だ。

 俺は彼女を庇うように尾で飛んで来た蛆を防いだ。

 こちらの装甲に蛆は歯を通す事はできない……はずだった。

 

『……何!?』

 

 飛んできたそれは俺の尾に当たった。

 すると、付着した部分から黒い煙が上がり、白い外骨格がぐずりと僅かに崩れた。

 酸!? いや、違う。何だ……この生ごみに似た臭いは。

 覚えがある。小学生の時分、真夏にゴミ捨て場に傷んだ野菜を捨てに行った時に嗅いだ、腐敗臭。

 その時の腐敗臭に酷似している。

 

『いひひひひひひひひひ! ざまあみやがれ! 俺には蛆を生み出すしか能がないとでも思ったか? まるまる人体を蛆に喰わせるのは時間がかかる。そういう時にこの腐食弾を撃ち込んでやるのさ。そうすりゃあ、腐り落ちてすんなり蛆の餌になるって訳だ! いひひひひッ』

 

 打って変わってご満悦になった蠅の魔物は聞いてもないのにベラベラと説明を吐き出した。

 ユウリを奪い返され、傷付けられたプライドを回復させるためか郵政になった途端に調子に乗り始める。

 ドラーゴそっくりだ。下衆の思考回路は皆同じという事だろうか。

 しかし、こんな隠し玉を持っているとは予想外だった。奴の速さと腐食弾。この二つが合わされば、俺の外骨格がいくら頑強でも脅威になる。

 宙から腐食弾を撃ち続ける蠅の魔物からユウリだけでも守ろうと尾節を(ひさし)代わりにしていると、彼女が俺の名を呼んだ。

 

「大火……」

 

『ユウリ。いや、これは本当の名じゃなかったな。助けるなどと(うそぶ)いてこの様とは我ながら情けない』

 

「お前に……頼みがある。聞いて、くれ……』

 

 今にも消えてしまいそうなか細い声で俺に囁く。

 どのような頼みでも聞いてやりたいが、生憎それどころではない。どうにかしてここを切り抜ける算段を考えなくては彼女が魔女になってしまう。

 

『今は少し待ってくれ。ここは俺が何とかして……』

 

「アタシのソウルジェムを……砕いてくれ」

 

『ソウルジェムを砕け、だと!? 何を言っている?』

 

 それがどのような事になるかは魔法少女について、それほど知識のない俺でも分かる。

 ソウルジェムとは彼女たちの命そのもの。それを砕くというのはつまり……。

 だが、彼女の顔には悲壮感はなく、口元は儚げながら笑みさえ浮かんでいた。

 

「アタシは、魔女になってもいい……そう思ってた。でも、大火が助けに来てくれたおかげで……魔法少女のまま死にたい……そう思えたんだ……。『ユウリ』の顔も名前も、借り物だからこそ……今度は魔女に、させたくない……」

 

 彼女の友達、『ユウリ』。きっと本当にその子の事が大切だったのだろう。

 言いたい事は山ほどある。だが、限りある時間の中で俺が彼女に聞きたい事は一つだけ。

 

『名前を教えてくれ。お前自身の名前を』

 

「アタシの……。私の本当の名前は……あいり……杏里あいり……」

 

『……分かった。あいり。お前の頼み、俺が引き受けよう』

 

 俺はあいりの濁り続けているソウルジェムを鋏で摘まみ上げた。

 小さくて軽い……けれどそれが酷く重たく感じる。

 

「ありが、とう……お礼にこれを……」

 

 震える手であいりは首に紐でつるしていた金色のスプーンを俺に差し出す。

 元々千切れかけていた紐は弱った彼女の力で簡単に解けた。

 

『スプーン、か』

 

「ただのスプーン、じゃない……これは、私が『ユウリ』に、もらった魔法のスプーン……“夢色のお守り”。私の宝物……受け取って……」

 

『ああ。ありがたく頂こう……』

 

「私も、『ユウリ』のような魔法少女になりたかった……誰かのために、魔法を使う、魔法少女に」

 

『誰が認めなくとも俺が認める! お前は正義の魔法少女だったと!』

 

 もう片方の鋏で金色のスプーンを受け取った。

 瞳もない顔で彼女は嬉しそうに微笑んだ。険のない表情……きっとこれが本来の彼女の表情なのだろう。

 込み上げる想いを断ち切るように俺はあいりのソウルジェムを挟んだ鋏に力を籠める。

 小さな音を立て潰されたそれは濃いピンクの光の粒になって、消えていく。

 上から彼女を(あげつら)う蠅の魔物の下卑た声が腐食弾と共に降り注いだ。

 

『いひひひひひひひひ……なんだなんだ? 死にかけてたブスはテメエが殺したのか! 助けに来たとか言って置いてテメエで殺したかっただけか! ひひひ。まあ、ゴミにはお似合いの最期じゃねぇか!』

 

『ゴミ……? ゴミと言ったのか? 彼女に向けてゴミと……』

 

『ああ、ゴミだぁ! 穴だらけの蛆の食い残し! 蠅も寄らねぇただのカス! クソにも劣るゴミ売女(ばいた)!』

 

 金色のスプーンを挟んだ鋏の手が怒りで震える。

 あいりを侮辱するこいつの言葉が許せない。あいりのソウルジェムを生き様を嘲るこいつを俺は許せない。

 

『ふざけるなよ……ゴミはお前の方だ! 彼女は最期まで誇り高かく生きた! お前のような下衆が蔑めるような人間ではない!』

 

『はぁ? 俺に手も足も出せず、腐って死ぬ雑魚風情が偉そうにしてんじゃねぇよ。ゴミ同士で乳繰り合って頭湧いたか? そんなに好きなら、溶けながらゴミの死体をレイプしてろ』

 

 どこまでも彼女を貶める罵詈雑言。

 肉体を焼くような腐食の痛みより、あいりへの侮蔑の方がよほど我慢ならない。

 掴んでいた金色のスプーンに力が籠りそうになったその瞬間。

 金色のスプーンが……“夢色のお守り”が輝き始めた。

 表面から滲み出すように濃いピンクの光が漏れている。その色は、あいりのソウルジェムと同じもの。彼女の命の色だ。

 光は俺の手を優しく包み込みながら、全身に広がっていく。

 

『何をしても無駄だ! テメエの身体は腐ってボロボロ。すぐにあのクソ売女と同じように蛆の餌にしてやるよ!』

 

 蛆を空中から腐食した俺へ目掛けて散布する蠅の魔物。

 確かに腐敗して耐久性を失った今の俺の外骨格なら、蛆にとって格好の獲物になるだろう。

 だが。

 そうはならなかった。

 時雨の如き、降下する蛆の群れは、標的に届く前に全て“撃ち落とされていた”。

 弾けて飛び散る白い蛆の体液が宙を舞う。

 蠅の魔物は驚愕したかのように空中で制止している。

 

『な……何をしやがった? いや、テメエ……その姿は“一体何だ”! どうなってやがる!?』

 

 大きく開いた俺の鋏角。

 鋏の合い間から競り上がっているのは、銃身(・・)

 崩れかけていた白い外骨格は濃いピンク色の染色され、右腕にはスプーンを象る意匠が施されていた。

 ……あいり。これはお前がくれた力なのだな。

 あすなろ市が崩壊した未来で見たドラーゴと同じ、『魔法少女の魔法の吸収』。いや、俺の場合は譲渡だろうか。

 全身に魔力が(みなぎ)っているのを感じる。変化した肉体の使い方が手に取るように理解できる。

 

『お前には分からないだろう。これが――彼女が俺に授けてくれた力だ!』

 

 鋏の間から伸びた銃身からピンクの弾丸が耐えなまなく射出する。

 遠距離攻撃手段を持ち得なかった俺の魔力弾の高速連射。

 自慢の飛行速度で飛び回り、避け続ける蠅の魔物だったが、明らかに余裕がなくなっている。

 

『クソがッ、女に貢いでもらった力で粋がってんじゃねぇ! こんなもの当たらなければ関係、ねぇんだよぉぉ!』

 

 イーブルナッツによって力を得た魔物のエネルギーも無限ではない。

 魔法少女と違って明確に魔力枯渇によるデメリットがある訳ではないが、それでも一度に大量の魔力を使い続ければ、出力が低下するのは自明の理。

 加えて、俺にはあいりがくれた正確無比な射撃能力が備わっている。

 蠅の魔物が反撃に腐食弾を飛ばしてくるものの、回避に意識の大半を割り裂いている奴の攻撃は精密さに欠ける。

 全てを迎撃するまでは至らないが、決定打になる一撃を撃ち落とすのは手数の多い俺にとって造作もない。

 元より、無傷で勝てるなどと自惚れてはいない。

 溶かすなら溶かせ! 腐らせるならやってみろ! だが、勝利まではくれてやらない!

 飛び回る蠅の魔物を掠める魔力弾が一つ、二つ増えていく。それに反比例するように俺に届く腐食弾が減っていった。

 羽、脚、胴体。より重要な部位に弾丸が触れる。

 

『クソクソクソクソがぁぁぁぁぁぁぁあ! 腐ってシネェェェェェェ!!』

 

 じわじわと弾丸を避け続ける事に耐え切れず、奴は回避行動を一旦止め、大量の腐食弾を俺へ向けて撃ち落とす。

 ――ここだ!

 俺はさらに魔力を両腕に……そして、尾節に回す。

 鋏の合い間から生えた銃身よりも巨大な砲身が競り出した尻尾を持ち上げ、蠅の魔物を捉えた。

 (かかと)からアンカーのように爪が伸び、俺の足を地面に縫い付ける。

 外骨格を溶かす腐食の雨に濡れながら、三つの銃口から練り上げた魔力の砲弾を放つ。

 ……これがユウリとあいり、そして俺からの報復(リベンジ)だ!

 

『トリニティ……リベリオン!』

 

 三角形を描くように構えられた銃口から放たれた弾丸は一点に収束し。

 絡み合い、ピンク色の光の線となって空へと打ち上がった。

 

『な、な、なああああああああああああああああ!』

 

 蠅の魔物は光の砲弾に呑み込まれ、閃光と爆音を共にして弾け飛ぶ。

 閃光は直進し続けて、空に浮かぶ雲を穿ち、天まで届いた。

 無様にも公園の遊具を巻き込んで地面へと墜落する。

 奴の敗因は腐食弾が間違って自分に掛かるのを恐れ、一度動きを止めた事。

 即ち、他者を一方的に傷付ける事に腐心していた事だ。

 奴が我が身を顧みず、移動しながら腐食弾を連射していれば勝敗は逆だっただろう。

 

「う、うぐッ」

 

『……!』

 

 魔物から人の姿に戻った蠅の魔物は呻きを漏らした。

 驚いた事に、かなりの高さから落下したというのに男はまだ生きていた。

 落下した真下にあったシーソー台が木製だった事が衝撃を和らげたようだ。

 とはいえ、木片が背中や顔に突き刺さり、素直に死んでいた方が余程楽だっただろう。

 傍には木片と出血に紛れて、携帯電話や財布、そして、イーブルナッツが落ちている。

 ……トドメを刺すか。

 たとえ、魔物になっていたと言っても、ここまでの惨劇を引き起こしたのはこの男自身の意思だ。

 生かす理由はどこにもない。警察に突き出しても、こいつを裁ける法律などありはしないのだから。

 俺が歩み寄ると、それに気付いた男は小さく悲鳴を上げた。

 

「ひいッ、や、止めてくれ。俺の、負けだ。許してくれぇ……」

 

『……月並みな台詞だが、今まで襲った人間に対し、止めてと言われて止めた(ためし)はあったのか?』

 

 外骨格は腐食しているが、それでも死にかけの人間を殺すくらいの余力は残っている。

 俺は血塗れで倒れている男のすぐ前まで来ると、鋏から飛び出た銃身を向けた。

 

「やめ、殺さないでぇ……」

 

 殺す。

 殺して、あいりに償わせる。

 そこまで考えて、俺は手を止めた。

 償い。それを強要する権利は俺にあるのか?

 かつてイーブルナッツの力に呑まれて、大勢の人を手に掛けてしまったこの俺に。

 まして、魔法少女からもらった力を使って、命を奪うというのか。

 誰かを救う魔法少女になりたいと言ったあいりの力をそんな事に使うのか。

 

『くっ……』

 

 俺は上げていた腕を下した。

 落ちている携帯電話を見つめる。

 もしも、ここでこいつの携帯を使って、救急車を呼べば助けられるかもしれない。

 

『……死にたくないなら携帯のロック解除のパスワードを教えろ。救急車を呼んでやる』

 

 茫然自失の顔で男は尋ねる。

 こちらの発言の意図が理解できないといった様子だった。

 

「殺さないのか……助けて、くれるっていうのか?」

 

『早くしろ! 俺はお前に対し、怒りでいっぱいなんだ! それを堪えて言っているんだ!』

 

「ひいっ、わ、わかった。パスワードを教えるよぉ……」

 

 怒鳴り声を上げると、男は委縮して怯えながらパスワードを伝えようと口を開く。

 しかし、男が話し出す前に聞き覚えのある声が響いた。

 

『その必要は、ないぜ』

 

『!?』

 

 反射的に俺はその場から飛び退いた。

 俺の居た場所は一瞬にして、灼熱の炎に包まれる。

 男は断末魔も上げる間もなく、炎に巻かれ、加熱し過ぎた焼き魚のように黒焦げに変わっていた。

 そこへ黒い翼が炎を踏み付けるように舞い降りてくる。

 




今回で一区切り付けるつもりでしたが、長くなりそうだったため、途中で分けました。

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