魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~   作:唐揚ちきん

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第八話 駆け出す想い

 裏通りにある一軒の喫茶店『バアル・ゼブル』。

 ユウリを見失い、往来を右往左往していた俺はその喫茶店から突如、活性化したイーブルナッツ反応を感じ取った。

 中の様子を窺おうと近付いたその時、聞こえた。

 小さくて、掠れるような、ガラス越しのユウリの声。

 『助けて』を求めるその言葉が、俺には届いた。

 俺に言った訳でもないかもしれない、聞き間違いかもしれない。

 だが、そいつを聞いた瞬間、俺は店の窓をぶち破り、叫んでいた。

 

「……応!」

 

 

 ******

 

 

 目の前に居るのは黒い竜へと姿を変えたあきら――俺の全てを奪った最悪の魔物ドラーゴ。そして、その隣に立つ眼鏡の優男。

 ここまで近付いたから分かる。この男もまたイーブルナッツを所持している。あきらの新たな手下だろう。

 ユウリを襲っていた蛆虫はきっとこいつの能力……。

 今すぐドラーゴを全力で叩きのめしたい気持ちだが、俺の腕の中には全身から血を滲ませたユウリが居る。

 魔物の姿になり、硬い装甲となった俺の身体と違って、魔法少女の柔らかな肌には蛆の歯は相性が悪い。

 実際、蛆の山から助け出したとはいえ、彼女の身体に食い込んだ無数の小さな蛆共は取り除けていない。

 早々にあの眼鏡の優男を倒す。

 そうすればユウリの身体に潜り込んだ蛆共も消えるはずだ。

 

『ユウリ。少しだけ待っていてくれ。すぐに終わらせる……』

 

 彼女の身体を綺麗なテーブルへと寝かせる。

 蛆に集られる可能性もあったが、彼女を片手に戦う方がよほどの危険だ。

 

「どうやら彼は私を狙っているようです。では――手筈通りにさせて頂きたいのですが……」

 

 眼鏡の優男がドラーゴへと眼鏡を押えて、目配せをする。

 

『構わねぇよ。端からアンタの役割はこの馬鹿の相手じゃない。思う存分、食い荒らして来いよ』

 

「それでは失礼致します」

 

 ドラーゴに一礼した優男は身体を歪め、赤い大きな複眼と昆虫のような羽を持つ魔物へとなった。

 親が飲食業を営んでいた俺にはそれが何の虫を模しているのか一目で分かった。

 『蠅』だ。

 蛆を操る能力でもしやと思ったが、まさに予想通りだ。

 ユウリにここまで非道を働いた以上、許すつもりはない。

 害虫駆除だ……!

 

『逃がすと思うか?』

 

 ここは店の奥に位置する場所。店の入り口からは最も遠いテーブル席の通路。

 割れた窓は俺のすぐ脇に位置している。

 逃げ場はない。屋内にこいつが逃げる前に始末してやる。

 しかし、蠅男は怯えるどころか、俺に意味の分からない言葉を吐いた。

 

『……そろそろ、私の子供たちが育つころです』

 

『は?』

 

 その言葉と同時に無数の羽音が店内に反響する。

 ―—ブゥーンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥン―—。

 鼓膜に直接叩き付けるような音の波が、耳の奥にある脳を汚染するかの如く、響き渡った。

 魔力により強化された三半規管をも狂わす強烈な羽音の嵐。

 思わず、吐き気と眩暈で脚がよろめく。

 黒い渦が店内の至る所から湧き出し、蠅男の周囲を取り囲む。

 蠅だ。蛆が孵化し、成虫になったのだ。

 小さな蠅たちは蚊柱のように数か所に寄り集まると、精巧な蠅男の似姿を作る。

 一瞬にして、店の通路に立っていた蠅男は四体に増えていた。

 

『ほっほぅ。良くできた分身だなァ』

 

『お褒めに預かり光栄です。……それでは』

 

 四体に増えた蠅男は揃ってドラーゴにお辞儀をすると、各々が一体ずつ窓を砕いて、店から逃げ出そうと動く。

 分身を作り、攪乱するつもりか……だが、それをおめおめと見逃す俺ではない。

 

『させるかぁ!』

 

 俺から見て一番傍の窓から逃げようとしていた蠅男へと右の鋏と化した拳を伸ばす。同時に腰から生えた長い針の付いた尾を別の方角の窓から脱出しようとしていた蠅男へと差し向けた。

 鋭い鋏角(きょうかく)尾節(びせつ)がそれぞれ二体の蠅男の頭を抉る寸前、凄まじい速さで加速。羽音の騒音だけを残して窓ガラスを砕き、店内から四体とも消え去った。

 速い……! 速度だけでいえば、ドラーゴの飛行速度を容易く超えている……!

 だが、俺の攻撃が当たらなかった理由はそれだけではなかった。

 鱗で覆われた長い尻尾が俺の腕に巻き付いている。

 

『おい、あんだけ熱烈なシャウトかましといて無視はねェだろォ? スコルピオーネ君よォ』

 

『ドラーゴ……。お前の相手をしている暇は……』

 

『そんなこと言わずに遊んでけよォ……』

 

 俺の身体がふわりと浮いた。奴が腕に絡ませた尾で俺を持ち上げたのだ。

 

『なあァッ!』

 

 即座に浮いた身体は地面へと叩き付けられる。テーブルや椅子だった木片が宙を舞った。

 打撃こそそれほどの損傷にはならなかったものの、羽音によって揺らされた三半規管がさらに掻き混ぜられ、すぐに起き上がることができない。

 吐き気が湧き上がり、呼吸が正常に働かないのも相まって、数秒間の行動不能が続いた。

 それはドラーゴとの戦いで致命的な隙となった。

 

『そォォらァ!!』

 

 仰向けで倒れた俺に奴の容赦ない踏み付けが襲う。

 体重の乗った一撃は甲殻となった肉体をも軋ませる威力を秘めていた。

 ミシミシと身体が響く中、俺はユウリを寝かせたテーブルに被害が行ってないかを確認する。

 さっきの衝撃で店中が揺れたはずだ。直撃はせずとも、ただでさえ、消耗しきっていているユウリにはあまりに酷な振動だ。

 

『…………?』

 

 だが、テーブルの上には窓ガラスと木片の残骸以外に置いてあるものはない。

 ここから離れた? 店内から脱出したのか?

 それならいい。俺も……本気で暴れることができる。

 俺を踏み付け、調子に乗っているドラーゴが重心を移動させるその瞬間、奴の脚を両サイドから鋏角で抉る。

 

『ッ……! このクソ蠍がッ』

 

 奴が痛覚を感じ、僅かに脚を上へ持ち上げた時を狙い、転がるようにして、ストンピングの豪雨から逃げ出した。

 乱れていた呼吸が、再び正常なものへと戻っていた。

 こういう時に魔物の肉体は便利だ。治癒力こそ脆弱だが、頑強さと生命力だけなら魔法少女よりも軍配が上がる。

 兎にも角にも、ドラーゴとの決着よりも蠅男の始末が優先される。

 尾節をバネが代わりにして、開け放たれた窓から飛び出そうと跳躍を試みる。けれども、それを見す見す見逃す奴でもなく、飛び上がった瞬間に尾を掴まれ、逆方向に投げ出された。

 

『くッ……』

 

『ダァメっだって言ってんだろォがよォ! お前はここで俺と遊んどけって! 自分を助けてくれたガキが凌辱されて死体になるまでなァ!』

 

『何だと……! それはまさか、みくの事か!』

 

 下劣な笑みを浮かべる奴の口から出た言葉に動揺する。

 あの蠅男の目的はユウリでも、俺でもなく、何の関係もないみくだというのか。

 いや、それ以前にみくが俺を助けてくれた事も知っているという発言に驚かされた。

 

『何、俺はユウリちゃんへの実験を兼ねた制裁ができれば良かったんだが、下僕にしたあの蠅がどォ~しても幼女を犯したいっていうもんだからさ。その望みを叶えさせてやってるって訳。俺って部下想いの理想の上司だろォ?』

 

『クソ野郎が……奴が蠅なら、それとつるむお前は正しく“クソ”だ。クソの塊め』

 

『ほォ……じゃあそのクソに邪魔されてなァーんもできずに絶望するお前は何なんだよ? クソ以下の汚物かァ?』

 

『それなら、便所掃除をするまでだ!』

 

 ドラーゴの話が本物なら今最も危険な状況なのはみくだ。

 そうか、ユウリは逃げたのではなく、蠅男を追ったのだ。みくを守るために、その傷付いた身体で……。

 ならば、俺も悠長にしては居られない。

 蠅男の狙いがみくだというなら、ドラーゴは徹底的に俺との戦いを長引かせ、絶望する俺とユウリを見ようとするに決まっている。

 故に奴は決定打の熱光線は使わないだろう。

 こいつはそういう奴だ。分かりやすい勝利などよりも人の心を踏みにじる事に全力を掛ける。

 であるならば……。

 俺はユウリが逃げた事を悟られず、戦闘を続ける事だ。

 ドラーゴが俺を釘付けにしていると思っている間だけ、ユウリは自由に動ける。

 皮肉な話だ。助けに来たと言いながら、彼女をまた別の戦いに追いやってしまった。

 自分が情けなくて仕方がない。

 しかし、情けないなりに己の役目をこなそう。

 彼女が――魔法少女という役目を全うしに行ったように。

 

 

 

~ユウリ視点~

 

 

 全身が痛い。皮膚の間を異物が蠢いている不快感が止まらない。高熱にうなされていた時のような酩酊間が消えない。

 それでもこれは、大火が作ってくれた時間……あいつが起こした奇跡。

 惨めに死ぬはずだったアタシが、みくを助けに行けるのだから感謝しか感じられない。

 身体の中に侵入した蛆共は消えないが、それでもさっきよりは遥かにマシだ。

 出血していた皮膚がもう再生している。魔法少女さまさまだ。

 走れ……! 走れ。走れ。走れ走れ走れ走れ走れ!

 みくの元へと全力で街を駆け抜ける。

 間に合わせてみせる。必ず。

 呼吸を整えろ。楽しい事を考えろ。苦しみに身を任せるな。

 病気でずっと苦しんでいた時の経験がまさかここに来て生きるとは思わなかった。

 頭の中で『ユウリ』の作ったお菓子を一緒に食べた記憶を思い浮かべる。

 大丈夫。まだ、アタシは頑張れる!

 両足を懸命に動かして、みくのパン屋まで向かい、疾走する。

 ……見えた! あの子が住む二階建ての建物が視界に映り込んだ。

 その時、ブゥーンと羽音が聞こえてきた。

 あの蠅野郎の羽音が次第に大きくなって聞こえてくる。

 込み上げてくる不安と恐怖を何とか呑み込み、走り続けた。

 間に合え。間に合え。間に合え。間に合え。間に合え。

 

「間に……っ」

 

 全速力をキープしたまま、パン屋の入口を両足で飛んで。

 

「合えええええええぇぇぇーーーーーーーーー!」

 

 勢いと体重を乗せたドロップキックで蹴破る。

 引き戸だったガラス戸は音を立ててぶち壊れ、アタシはそのまま店内へと転がり込んだ。

 途端に耳が悲鳴を上げるほど大音量の羽音が聞こえた。

 棚に並べられたパンには蛆と蠅がこれでもかというくらいに集っている。

 それらを無視し、大声でみくの名を叫ぶ。

 

「どこだ! みく! どこに居る!? 答えてくれ!」

 

 返事はない。

 居ても立ってもいられなくなったアタシは二階に上ろうとして、気付く。

 一際大きな蠅が集っている場所。

 その場所に服が落ちていた。

 見覚えのある服……それはここの主、パン屋の主人の服。

 みくの……お父さんの服、だった。

 職人気質で、無口で、とても接客業を営んでいる人間とは思えなかったが、空腹で倒れている大火のために無償でパンを持っていくよう言ってくれた。

 気絶したあいつにパジャマと寝床を用意した彼は、アタシに感謝の言葉を述べた。

 

『娘を助けてくれて、あえりがとう』

 

 魔法少女のおかげで病気が治ったなどという娘の世迷言を真に受けた彼は、自分の半分も生きてない子供のアタシに本気で礼を言ったのだ。

 

「あ……あああああああ!」

 

 喉から漏れた悲鳴が自分のものとは思えなかった。

 それくらい絶望に満たされた叫びだった。

 骨すら残らず(ついば)む害虫へ向けて、リベンジャーを連射する。

 潰れた虫は汚らしい白い体液をぶちまけて、床を濡らした。

 振り切るように、目を背けて二階へと駆けあがる。

 無事で居てくれ、みく……!

 ほとんど跳ねるように段差を蹴り、住居スペースまで上がった。

 壁に『みく』と食パンに似せたプレートが掛けられた部屋を見つけると、躊躇いなく蹴破った。

 

「みく!」

 

『騒がしいですね。私と彼女の逢瀬(おうせ)を邪魔しないで頂きたい』

 

 中に居た蠅男がぐったりしているみくを抱き留めている。

 両目を瞑り、ぴくりとも動かない様子を目撃したアタシは。

 自分の頭の中で何かが千切れる音を確かに聞いた。

 言葉は出なかった。

 代わりに、目の前の標的に大きく上げた(かかと)を斧のように振り下ろした。

 ほとんど手応えは感じなかった。

 頭部に振り下ろした踵は空を切るような感触を味わう。

 蠅男の姿は無数の小さな蠅へと別れ、アタシの攻撃をするりとかわした。奴が抱きかかえていたみくが地面へと落下する。

 ……本体、じゃない!?

 同時に後ろのクローゼットが開いた。

 片腕でみくを抱き締め、もう片方の手に握ったリベンジャーを振り向いて撃ち込む。

 しかし、それも着弾すると細かく蠅の集団に別れ、羽を揺らすだけだった。

 こいつも分身……それじゃあ、本体は。

 

『酷い事をしますね、ユウリ様』

 

 天井から聞こえた声に反応し、銃口を上に向け、引き金を引く。

 部屋の中に一際大きな羽音が響いた。

 

「ゴフッ……」

 

 見えなかった。瞬く間に、それはあった。

 ――アタシの腹部に、黒い昆虫の前足のような突起物が生えていた。

 背中から刺されたのだと理解するまで二秒ほどかかった。

 (うずくま)りたくなる痛みを味合わなければ、内臓がいくつか潰されていると気付けないほど、素早かった。

 咳き込んだ拍子に、みくの頬にアタシの吐血の飛沫が掛かる。

 顔が近くに寄ったおかげで、すうすうと規則正しい呼吸音が聞こえる。

 それに気が付いた時、痛みよりも喜びと安堵が勝った。

 よかった。この子はまだ生きている……。

 

『……気でも違われましたか?』

 

 蠅男は心底気持ち悪いものを見るように吐き捨てた。

 複眼の目にはきっと、笑っているアタシの顔が映っているだろう。

 分かるもんか、お前なんかに。

 このアタシの喜びが、こんな下衆野郎に理解されて堪るか。

 そっと、みくの身体を部屋に敷かれたカーペットの上に寝かせる。

 顔に付いた血も拭き取ってやりたいところだが、それはこの蠅男を殺した後だ。

 

「考えてただけだ。お前をどうやって殺してやろうかとなぁ!」

 

『……!?』

 

 牙を剥くようにアタシは攻撃的に笑った。

 この姿をみくに見られなくて本当によかった。あの子が憧れる魔法少女にしてはアタシ些か凶暴過ぎる。

 お行儀悪いアタシは良い子には見せられない。リベンジャーを二丁とも手の中から消した。

 腹から突き出た奴の腕の一本を思い切り掴むとそのまま口元へと持っていき――噛み千切る。

 

『あぎッ……!?』

 

 慌てて、蠅男が腕を引き抜こうとするが、そうはいかない。

 こいつの速さは厄介だ。だから、このままでいい。

 いや……このままがいい(・・・・・・・)

 千切った腕の先を噛み砕きながら、叫ぶ。

 

「『コルノ・フォルテ』!!」

 

 部屋の端から生みだした牡牛が、蠅男の横腹を抉る様に突き飛ばす。

 腹を貫かれたアタシごとみくの部屋の窓をぶち破りながら、外へと飛び出した。

 

『ゴオオアアァァァァ!?』

 

「あぐッ……ふふはははははは! 喚くなよ、蠅。ほんの少し齧られて突き飛ばされただけだろう? アタシとお揃いだ」

 

 内臓がシェイクされる。腹の内側でスムージーでも作られているようだ。

 口の中が血の味で一杯になる。飛び切り不味い鉄の味……。慣れ親しんだ吐血の風味。

 入院していた頃はしこたま味わった生ぬるい触感と風味だ。

 割れたガラスの向こう側、部屋の中でみくの寝顔を見えた。

 痛みが薄れるような愛らしい寝顔だ。

 空中でイニシアティブを取ろうと生意気な蠅野郎は、アタシを振り落とそうと必死に身体を右へ左へ大きく飛ぶ。

 そんな離れてほしいか。なら、望み通りにしてやる!

 

「喰らいな!」

 

 腕を掴んでいた手を放し、リベンジャーを生成する。

 腹部を貫通していた腕がずるりと抜けて、零れた血液が空を汚した。

 だが、至近距離の連射を受けた奴は黒く濁った大量の体液を宙に撒き散らし、それ以上に空を汚染する。

 

『アバババババババババァ!!』

 

 想像通り、蠅野郎の強度はお粗末なものだった。

 速度に特化したために外殻の厚さは、魔物化した大火とは比べ物にならないほど薄い。

 アタシの魔力ならこいつの身体に風穴を開けるなんて訳ない。

 そして、アタシの愛銃リベンジャーは余剰エネルギーを薬莢のように排出し、再びソウルジェムで回収するように作られている。

 空中での射撃でも反動はほとんどない。

 後は奴が飛び去る前に、弾丸を束縛のリングへと変えて、身動きを取れなくなったところに止めを刺す。

 落ちる寸前にコルノ・フォルテにアタシを拾わせればいい。

 何だ、楽勝じゃないか。

 そう……楽、しょ……う……。

 

「あ……れ……?」

 

 勝利を確信したアタシがぼんやりと霞が掛かったように鈍くなる。

 視界は端から黒く染まっていく。

 手の中にあった二丁のリベンジャーはいつの間にか消えていた。

 何故……?

 消したつもりはない。そんなはずはない。

 思考だけじゃなく、身体も重い。

 落下していく中で、アタシは自分のソウルジェムを見る。

 パッションピンクのソウルジェムは、その大半が黒く濁り切っていた。

 

『ブモォォォォー……』

 

 意識を失う寸前、コルノ・フォルテの悲し気な声が聞こえた気がした。

 

 

 ******

 

 

『そろそろかねェ?』

 

 喫茶店の室内にて、鉤爪と鋏角が何度目かの互いに衝突し、魔力の火花を散らす。

 もはや店内にものと呼べるものは元の形を保っていなかった。

 テーブルや椅子。観葉植物、天井に付いていたクラシカルなファンまでも壊れ、残骸と化している。

 そんな中でぽつりと何気なく、ドラーゴが呟いた。

 

『何が、だ?』

 

 お互いに油断する気配はない。どちらかが隙を見せれば即座に負ける。

 それほど拮抗した戦いの最中、何を言おうというのか、俺にはとんと分からなかった。

 無論、俺に隙を生むための詐術の可能性は十分ある。

 しかし、その軽い口調の裏に、とても邪悪な感情が籠められているように感じられた。

 

『いやなァ、そろそろ逃げたユウリちゃんに潜り込んだ蛆が魔力を吸って孵化する頃かと思ってよォ』

 

『お前……!』

 

 この男……気付いていたのか。ユウリが逃げた事を。

 そして、今、何と言った?

 ユウリの中の蛆が魔力を吸って孵化するだと。

 俺の中の動揺が奴に伝わったのか、そのまま攻撃の手を弛める事なく、楽し気に語り出した。

 

『あの蛆は魔力で作られたものなんだぜ? そいつが肉だけ喰うなんておかしいだろォが。あれは恐怖や嫌悪感っていう感情エネルギー……まあ、魔力そのものを啜ってるんだわ』

 

『……そうなる前に彼女があの蠅男を倒すとは考えないのか?』

 

『もちろん、その可能性はある。奴自身の戦闘力はお前や俺には遠く及ばないしな。だが、あいつは俺以上に“いやらしい”んだぜェ?』

 

 竜が嗤う。

 大きく裂けたその口の端を、ぐにゃりと吊り上げ、人間にはとても形容しきれない邪悪を表現した。

 この化け物にどれだけ憎しみを懐いてきたのか分からない。そんな俺が改めて感じる、激しい殺意と憎悪。

 憎い……! 心の底から殺してやりたい……!

 

『この野郎! どれだけ腐ってやがる!』

 

『蠅が集るくらいかねェ? あははははははははははァ!』

 

 哄笑するドラーゴに激昂しかけるが、ここで怒りに身を任せれば、破滅するのは俺の方だ。

 憎しみを胸の内に押し込んで、奴を見据える。

 一撃。最大の一撃を相手に先に入れたものが勝つ。

 俺は奴へと必殺の一撃を放とうと、狙いを定める。だが、奴はそこへ水を差すような言葉を投げかけた。

 

『なあ、お前さえよければ、この辺でお開きにしねェか?』

 

『……何? 何の罠だ?』

 

『いや。俺もそろそろ飽きて来たんだ。このままお互い決め手をぶつけ合っても前と同じ。両者共倒れじゃ、お前としてもユウリちゃんを助けられない。……どうだ?』

 

 俺は思案する。

 満更、嘘でもないだろう。

 こいつは半ば本気でこの膠着状態に飽きている。

 このまま戦ったところで、ユウリへと助力に向かう余力を維持する事も難しい。

 引くべきか……?

 だが……。

 ドラーゴを睨む。性格の腐りきったこの男が本気で不戦を貫くだろうか?

 

『おいおい、疑り深いねェ。ドラちゃん、泣いちゃいそう。じゃあ、こういうのはどうだ。お互いに一斉に魔物化を解く』

 

『……いいだろう』

 

『そいじゃ……いっせいのせっ』

 

 掛け声と共にお互い、人間の姿へと戻る。

 黒い竜が消え、憎たらしい少年の見た目になると、俺は一目散に入口から飛び出した。

 

「がんばっちぇねー」

 

 後ろからふざけた調子の応援がかかる。

 一発くらい殴ってやればよかったと後悔しつつ、蠅男のイーブルナッツの魔力反応を目指して駆け抜けた。

 




若干、ヒーローものになり掛けてますが、主役は一応魔法少女なんです……。
あと、ずっとアベンジャーだと思っていたハンドガン。実はリベンジャーでした。すみません。

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