魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~ 作:唐揚ちきん
~アレクセイ視点~
物心ついた頃から、ずっと思っていた。
自分には感情というものが欠如している、と。
同年代の子供が感じる喜びも、怒りも、悲しみも、楽しささえも味わった事がなかった。
というよりも、そういったものがどういう瞬間に出るのか、まったく分からなかった。
それを如実に感じたのは、九歳の時だ。
交通事故で母親を亡くした。
信号を無視した乗用車から、僕を庇い、代わりに
優しく、美しい女性だった。ロシア人で日本贔屓なところがあったが、自分の作るロシア料理には伝統としての誇りを持っていた。
誰に対しても親切で、近所では世話焼きな人だと評されていた。
葬式の後で親戚の話を小耳に挟んだ程度だが、日本に遊覧に来た際に父と出会い、手籠めにされたそうだ。
まだ十代の頃に僕を腹に宿し、実の家族からは縁を切られたとも聞いた。
ある意味で自分の人生を台無しにした僕の存在を疎んじた事は一度足りともなかった。
そんな母が死んだというのに、僕の目からは涙一滴流れなかった。
悲しいという感情が発露するべき時に、それを見せない僕を父も含めて、不気味に思っていた事だろう。
恐らく、誰に言っても信じてもらえないが、そんな僕にも母への感謝はあった。
だから、自分の中に残った母への感謝を行動で表現する事にした。
その日から、他人の頼み事は物理的に不可能ではない限り、引き受けるようになった。
親切な母がそうしていたように。
その日から、ロシア料理を独学で学び始めた。
誇りある母がそうしていたように。
彼女が自分に与えた影響が確かにあったのだと、そう証明するために僕は僕にできる方法で母への感謝を実践した。
ただ、今思えば感情のない僕がいくら真似事をしたとしても無理があったように思える。
僕を都合の良い道具のように扱った人間も居た。僕の意図が分からず、ただただ奇妙な行動だと覚える人間も居た。
そうかと思えば従弟のように素直に感謝をする人間も居た。
そのどれも僕にとってはどうでも良かった。
虐げられても、疎んじられても、喜ばれても。
やっぱり、この空っぽな心には何一つ響かなかった。
でも、不思議と止めようとは思わなかった。それ以外に母への感謝を表す手段が見つからなかったからだ。
そうして、
多分、僕は今日死ぬのだろう。それでも恐怖という感情は湧いて来ない。
何も感じないのだから、きっと死んでも問題ないだろう。
だけど、できるなら最後に頼まれたこの願いだけは聞き届けたい。
これは執着心なんだろうか? それとも単なる惰性なんだろうか?
どっちでもいい。僕には関係ない事だ。
「アレクセイ! タイミングを合わせて!」
『うん』
あやせの言葉に頷く。
周りを覆い尽くすように飛び回る濁った白の竜たちが一斉に鱗と同じ色の炎を放つ。
背中の上に跨るあやせの熱気に合わせて、僕もまたイーブルナッツに宿る冷気を噴き出した。
赤い炎と白い氷が混ざり合い、螺旋状に重なって真っ直ぐに飛んでいく。
「『ピッチ・ジェネラーティ」』
脳内に浮かんだ単語を吐くと、その声さえもあやせと重なった。
熱気と冷気の混合物は濁った白い炎の波を穿ち、竜たちに着弾……大爆発を起こす。
今ので計三十体以上倒しているのに、空洞に溢れる敵の数はまったく減らない。
数を減らす度に壁から新しい竜が這い出して来る。多分だけど、この竜たちに際限はない気がする。
魔法で分身を作り出すあのニコって魔法少女と同じで、魔力が尽きるまで新しい個体を生み出し続けているのだろう。
倒し切るのは無理だ。一時的には優勢でも最終的には魔力や体力の限界がある僕らは負ける。
脇目に残火の様子を見るが、伸ばしたケーブルが上の卵に到達するにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
背に乗ったあやせはまだ余裕がある。グリーフシードもいくつか残っているからすぐに魔法が撃てなくなる危険性はない。
だけど、それも今の内。自分の体内だから、それほど強い攻撃はして来ないが、いざとなればなりふり構わず攻撃の威力を上げてくる。
そうなったとしたら、ルカとの約束を果たすのは難しくなる。
彼女は僕に命を与えて、あやせの事を任せた。その時の意識はなかったけれど、ルカの命と同時に記憶までもらったから知っている。
『あやせ……何で付いて来たの? こうなるって分かってただろう?』
氷の防壁を作りながら、彼女へと尋ねた。
「……それ、わざわざ聞く事? 野暮な発言、スキくない……」
ぶっきら棒に返されたが、言いたい事は概ね理解できる。
多分それは僕の中のルカの魂を想っての行動だろう。形を無くしたとはいえ、自分の半身がそこにあるのなら、守りたく感じる思考は理解できる。
ルカもルカだ。僕などに放って置けばよかっただろうに。
わざわざ、自分を砕いてまであやせの戦力を守りたかったのか。それにしては割りに合わない計算だ。
それに……。
『自分たちが摘み取ってきた魔法少女たちの墓に、ジェムを返しに行きたいんじゃなかったの?』
彼女が天秤の魔女と戦った次の日から、過去の行いを悔いるようになった事を、僕は知っている。
夜中に目が覚めた時、あやせは声を殺して泣いていた。月明かりだけが障子から差し込む薄暗い部屋で涙を零しながらひたすら謝り続けていた。
最初は失ってしまったルカに向けた謝罪だと思った。でも、違った。
障子の隙間から見えたあやせは、宝石箱を抱き締めて謝っていた。
その中にある、自分が摘んだソウルジェムたちに向けて、何度も何度も謝罪の言葉を重ねていた。
双樹あやせは本当の意味で『ジェムが奪われる』という事の残酷さを知ったのだろう。
大切な半身を理不尽に奪われたからこそ、自分の犯してきた罪と向き合えた。
それ以来、彼女は事あるごとに隠れてジェムたちへ謝るようになった。その習慣はサキが来てからも変わる事はなかった。
サキには見られないように彼女を遠ざけていたようだが、僕だけはそれに気が付いていた。
気が付いていて、あえて何も言わなかった。
あやせの中で、既に答えが出ていると思ったから。
ルカは
彼女には、自分だけの足で前に進む強さがある。罪と向き合うための理性と良心がある。
少なくても、空っぽの感情のない僕よりはずっとずっと
「何でそれ、知って……あ!」
驚いてうっかり口を滑らせてしまったと言わんばかりに、あやせは口を塞ぐ。
やっぱり思った通り、答えは出ていたようだ。
僕には感情がない。けれども、他人の感情を理解する事はできる。
共感は不可能でも、分析は可能だ。
他人の感情は化学反応と同じで、元の状態と変化する条件さえ知っていれば、充分把握できる。
もし自分に感情がないだけで、他人の感情まで理解できない存在が居るのなら、それは単に不勉強なだけだ。
そして、死ぬのはそういう空虚な人間だけでいい。
冷気で作り出した氷の壁で小さなドームを生み出して、透過を使って彼女だけをそこへ閉じ込めた。
フッと炎の明かりが消え、周囲が暗闇へと戻る。
「アレクセイ!? 何を!」
『呼吸をするのに必要な隙間は作ってある。そこでしばらくゆっくりしてて』
内側から籠った声を荒げる彼女を他所に、僕は残っていた魔力の全力を解放する。
全身の体毛が逆立ち、毛穴から溢れる冷気が筋肉を氷の鎧で強化する。
氷柱の杭が鎧、爪、牙を更なる異形へと変貌させていく。
これで残り魔力の半分くらいを使い切ったが、肉体の脆弱性は補えた。あとは……。
―—戦うだけ。
『ウォォォォォォォォォォォォォン!』
生まれて初めての咆哮を挙げ、竜の大群へ向けて、真正面から飛び掛かる。
纏わり付いてくる土に汚れた雪のような彼女らを鎧で突き、爪で裂き、牙で貫く。
一粒の氷の
幸い、この姿には魔力を識別できる嗅覚が付与されている。超常の力でできた闇でも僕には関係ない。
敵の場所も数も、次の行動も視覚で知るより、はっきり確認できる。
敵を殲滅させながら、床や壁に分厚い氷を張ってゆく。凍らせるのは再出現が起きる寸前。
新たな竜が生成される中途半端で、容赦なく氷漬けにする。
幼い頃に寝物語で聞いた母親の故郷の海のように、氷が足場のように白く凍結した。
ついでに残火の足元から氷柱を生やして隆起させる。これで少しは卵と距離は近付けただろう。
『このカトンボがァ!』
氷漬けになった壁と床の代わりに、天井を覆い尽くすほどの数の白い竜の首が伸びてくる。
うん。そこしかないよね。出て来られる場所は。
氷のフィールドを作り上げたのは、いくつか目的があった。
白竜たちを氷漬けにして倒すためが一つ。
敵の再出現を抑えるためが二つ目。
三つ目はあやせへの攻撃を防ぐ要塞を作る事。
そして、四つ目が透過しても体内空間から落ちずに済む領域を生成する事。
竜の首から濁った息吹が真下に居る僕を薙ごうと吹き荒れる。
それを見越して、瞬間的に氷の空間へ潜り込んだ。
『また、透過だとォ! いい加減にしろよ、ゴミィ! 身の程を弁えろ屑がァ!!』
氷の床は魔力の波動で砕け散る。だけど、僕には
潜水……潜氷しつつ移動を繰り返し、跳ねて飛んでは氷の杭を彼らへ撃ち出す。
今の僕は
卵へと手を伸ばす残火を守るように、氷の中を駆け回りながら援護を続ける。
でも……それもとうとう終わりが到来した。
『……いい。もういい。かずみお姉ちゃんに当たる可能性を考えて、出力を最小に抑えるのは止めた……燃えろ、カトンボ!』
澱んだ白い炎が、氷の下から噴き出した。
魔力で生み出した溶けないはずの氷が“燃え始めた”。
凍っていた竜たちが氷の中で炎を吐いている。
地力の差。魔力の総量の違いが、ここに来て牙を剥く。
参った。これはもうひっくり返しようがない。
僕が抗えたのはあくまで向こうが本気を出せないという状況下での話。
威力を抑えるのを止めた白竜たちには勝ち目がない。
おまけに魔力残量も雀の涙だ。逃げ続ける事もできやしない。
残った魔力を透過に注ぎ込み、僕は最後の潜氷を試みる。
匂いを頼りにあやせを入れたドームを探した。燃える氷が透過しているはずの鎧を焼く。
能力も効力を失いつつあるようだ。これはいよいよ後がない。
身体のあちこちを炙られながら、僕はようやく彼女を閉じ込めた要塞を発見した。
すぐにその中へと潜り込んだ。
すると、そこには釈然としない声色のあやせが待ち構えていた。
「お帰り、アレクセイ。今、どういう状況……?」
『ばんじきゅーす。外燃えてる。逃げ場なし。僕の魔力も枯渇寸前』
「……最悪だって事は分かった。で、どうする気なの?」
大体外の状況は想像できていたのか、あやせは肩を竦めただけで焦った様子はなかった。
なので、僕も簡潔に伝えるべき情報だけ口にした。
『あやせだけ、外に透過して放り出す。凄い落下すると思うけど、現状一番生存確率高い方法だから諦めて』
「い・や」
舌を出して、不服の意を表明してくる。
困った。他に生き残る方法は思い付かない。
確かに外へ逃げた瞬間に外に生えた首が攻撃する可能性もあるが、僕一人に狙いが集中している今なら見逃されるはずだ。高高度から地上へ落下していく小物を狙うほど余裕がないチャンスはこの時しかない。
地上への不時着は非常に困難だろうが、それでも魔力が残っているあやせであれば、いくらか魔法で速度軽減できるだろう。
『安全な方法はないんだ。危険はあるけど、時間は僕が稼ぐから頑張って逃げ……』
「そうじゃない! ……そうじゃないよ。どうして、分からないの? 私はあなたに死んでほしくないから、ここに来たの!」
彼女は剣を床に突き立てて、僕の頭を掴む。近くによった彼女の顔は暗闇の中でも分かるほどに泣きそうだった。
訳が分からない。もう僕には戦力としての価値はない。
「頭がいい癖に、何で言わないと分からないの? 私は……あなたの事がスキなの」
『スキ……? 僕が……?』
それころ理由がない。他人に好意を持たれる要素なんて僕には何もない。
心のない空っぽな化け物が他者に愛される訳がない。僕にはそれを返す術がないのだから。
呆れたように額を押さえて、あやせは吐き捨てる。
「ああ、もう。いいよ。じゃあ、せめて、ここで一緒に死なせて」
背後の氷が濁りのある白い炎に侵蝕されていく。溶けるのではなく、明確に燃えていた。
物理現象を
早くしないと……あやせは助からなくなる。
『あやせ。いいから逃げるんだ。心中なんてしてどうするの? 意味ないよ?』
「なら、無理やりにでも逃がせば? 私はそんなの望まない。絶対に嫌だから」
彼女は頑として首を縦に振らない。
燃える。およそ人間が味わう死に方で最も苦痛に塗れた死に方をしてしまう。
僕はいい。何も感じない事が目に見えている。
でも、あやせは違う。苦しんで、絶望の中で焼け死ぬだろう。
『本当にいいの? 死ぬって苦しいよ? 辛いよ?』
「いいよ……。私が奪ったこの子たちもそうだったと思うから」
宝石箱を開き、九個の鮮やかな色のソウルジェムを眺めて言った。
『そのジェム。持って来てたんだ』
「うん。どうしても家に置いてく気になれなかったから……。きっと彼女たちも私が苦しんで死ぬ事を望んでる。だから、いいの」
そう呟いたあやせの声は今まで聞いた中で一番穏やかな響きを持っていた。
僕はもうそれ以上何も言えなかった。望まない願いを無理やり叶える事はできない。
魔物の姿を解いて、彼女の隣に立つ。
「分かった。一緒に死のう」
白いドレス姿の彼女はその衣装に似合うほど可憐に微笑んだ。
「私は、この子たちよりもずっと恵まれてるね」
ドームの内側まで入り込んだ澱んだ白い炎が足元まで噴き上がる。
どちらともなく互いに手を取り合って、それを目に焼き付けていた。
僕は感情がない異常者だ。好意を差し出されても、それと同じものを渡す事ができない。
見滝原市に居る従弟の事がふと頭に浮かんだ。
中沢珠貴。僕の従弟。僕に懐いた普通の少年。
彼にはせめて普通に生きてほしい。僕と違って感情のあるあの子にはまともな人生を歩んで行ってほしい。
穢れた炎が火の粉を散らす、異様なまでに“薄暗く光る炎”の中で、九つの宝石だけが瞬くように輝いた。
今回はアレクセイ回でした。彼は出番こそ少なかったキャラですが、めちゃくちゃ強いですよね。
ノリで考えた能力の割りに、応用力が半端ないというか。
次回は主人公視点です。