魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~   作:唐揚ちきん

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第五十話 ヘスペリデスの宵

~ルイ視点~

 

 

 残火があすなろタワーに上ってから数分後、上の方で爆発が起きた。

 そのすぐ後には白い火の手が上がり、少しして急激に鎮火する。明らかに異常な事態が発生しているというのに、タワー近くには人の気配は私以外になかった。

 ……クソ。やはり私も反対を押し切ってでも、着いて行くべきだった。

 もう手遅れかもしれないが、魔法少女に変身して、タワーに駆け入ろうとするが、ポツリと頬に落ちた雫に反射的に頭を上げた。

 暗雲が立ち込め、雨がしとしと降り始める。

 夕立というには些か遅い降雨は雨脚を強め、風を伴って、日の沈んだ空を汚した。

 雨の水滴に一瞬だけ心を乱された私だったが、次の瞬間に強烈な破壊音に再び、タワーを仰ぎ見る。

 視界に入ったのは、倒壊し、瓦礫となって降り注ぐタワーの上部だった。

 

「……!」

 

 このままでは押し潰される。そう判断した私は即座に、その場から脱兎の如く駆け出した。

 走りながら分身を作り、時に手を借り、時に壁にして、瓦礫のシャワーを潜り抜ける。それでも助かったのは奇跡と言っても過言ではない。

 

「ん? あれは……」

 

 落下する瓦礫の破片に注意をして逃げていると、ふと落ちて来る大きな破片の一つに何が張り付いている光景が目に入った。

 それは忍者同好会兼手芸部の活動にて、触れた事のあるワイヤーアートやモールアートに酷似していた。一言で表すなら、細長いケーブルで編み上げた蠍。

 更に言及するなら、黄色いあのケーブルは、聖カンナの自宅に張り巡らせてあったものと同じものだった。

 そして、彼女の魔法は残火へと受け継がれたはず。ならば、あれは残火が生み出した魔法の使い魔か。

 ケーブルアートの蠍は瓦礫と共に落下する前に、私の足元へ跳ねてやって来る。近くで見ると、その体格は意外に大きく、優に五十センチを超えている。

 また、ケーブル同士の隙間に黒い木炭のようなものが、びっしりと詰められていた。まるで焼けた木の中から這い出して来たような有様だ。

 

「残火の使いか? 彼は今どこに?」

 

 雨水と共に落下する破片を避けながら尋ねるが、言語を話す機能がないのか、ケーブルアートの蠍は無言だった。

 仕方なく、それを拾い上げて、足速にタワーから離れる。蠍は特に暴れる事もなく、私の腕にしがみ付いた。

 見た目がケーブルを編み込んだデザインのため、実際の蠍に懐く生理的嫌悪感はないものの、あまり良い心地はしなかった。

 五百メートル以上、あすなろタワーから距離を取った後、何が起きたか確認をするために頭上を見上げる。

 それを見た時、当初は“濁った白い空”が動いていると脳は錯覚した。

 無理もない。視界に入りきらない程、巨大なものが一目で生物だと理解できる者はこの世には居ない。

 あすなろタワーの高さは三百二十メートルあった。目算で見ても、その“濁った白いもの”の直径はその二倍半はあるだろう。

 推定八百メートルの超弩級の巨体が、空を移動している。

 

「あ……ああ……」

 

 何よりも私の思考を奪い去ったのは、その悍ましい形状だった。

 植物の根のように、すぐには数え切れない程多く枝分かれした首の、そのどれからも竜の頭部が生えている。

 多頭の白い巨竜。

 古の神話の本の挿絵にしか出て来ないような、現実には合ってはいけない異形の存在。

 絶望を具現化したようなそれはゆっくりと空を這うように飛行している。

 魔女や魔女モドキをこの目で視認した事のある私ですら、その存在は非現実的に感じた。

 話に聞いたワルプルギスの夜など、この巨竜に比べれば矮小に思えた。

 空を覆うような巨竜を茫然自失で見上げていた私は、あすなろタワーの崩壊に気付いた人々が建物から出てきてしまう事態に意識がいかなかった。

 その様子を認めた時にはもう手遅れだった。

 恐怖や驚愕による悲鳴、絶叫、あるいは怒号が辺り一面に響き渡る。

 だが、それは流れ落ちて来る雨により、一時的に収まった。

 降り頻る雨に触れた人々の姿は次々に異形へと変わっていく。

 

「この変化……まさか! イーブルナッツによる魔女モドキ化、魔物化!?」

 

 しかし、魔物化現象は、イーブルナッツの魔力なしでは起きえないはずだ。

 高々、雨に打たれただけで人が魔物になるなどあり得ない。あり得てはいけない。

 

『凄まじい魔力だね。この雨は』

 

 街の住民が異形に変異していく中、傍の建物の上にキュゥべえが姿を現す。

 

「キュゥべえ……。この現象について、何か知っているのかッ?」

 

『この雨はあの魔女モドキが放つ魔力のせいで、イーブルナッツと同じ効果を持つ物質に変化したんだ。差し詰め、イーブルレインとでも言うべきかな? それにしても、人造の魔女モドキの身でありながら、ワルプルギスの夜を超える膨大な魔力を持つ存在へと昇華するなんて……かずらには驚かされるね』

 

 邪悪な雨粒(イーブルレイン)……。

 それがこの大量の魔物化現象を引き起こしたというのか……?

 何だ、それは……。もはや一介の魔女モドキが発生させていいものではない。

 そして、あの巨竜の正体はやはりかずらだったのか……。

 

『ワルプルギスの夜を超越した彼女は、敬意を表してこう呼ばせてもらおう。——“ヘスペリデスの宵”。プレイアデスともヒュアデスとも異なる第三の姉妹の名が相応しい』

 

 “ヘスペリデス”。

 ギリシャ神話には多少なりとも造詣(ぞうけい)のある私には分かった。

 あの有名な『ヘラクレスの十二の試練』の十一番目に当たる、黄金のリンゴの逸話にも登場する名だ。

 曰く、不死を得る黄金のリンゴを百頭竜・ラドンと共に管理するプレイアデスの異母姉妹。

 ……確かに今の奴には姿も込みで相応しい名前だとも。

 彼のネーミングセンスに内心で舌を巻いていると、キュゥべえは独り言のように付け足す。

 

『この場合、彼女の護る「黄金のリンゴ」は体内に取り込んだかずみという事になるのかな? まだ死んではいないとは思うけど、このままだと完全に吸収されるのも時間の問題だね。実に残念だよ』

 

「何だと!?」

 

 あのヘスペリデスの宵の中にかずみが取り込まれている。それも完全にあと少しで完全に吸収されるだと……。

 衝撃の事実を何事でもないように漏らしたキュゥべえは、私に反応すら気にも留めず、一方的に話題を終える。

 

『皐月ルイ。それよりも彼らを放っておいていいのかい? そろそろ暴れ出しそうだけど』

 

「……くッ!」

 

 魔物に変異した住人たちは、獣のような唸り声を上げて、唯一人の姿を留める私へと襲い来る。

 哺乳類、鳥類、両生類、魚介類、昆虫……多様多種の人間大の怪物が、理性を失って街に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していた。

 一度、視線を逸らした後、再び戻した時にはキュゥべえはもう近くには居なかった。

 危機感を無駄に煽り、あわよくば魔女になって死んでもらおうという魂胆だろう。どこまでも合理的な嫌がらせを敢行するマスコットだ。

 覚悟を決めて、ケーブルアートの蠍を後ろに離し、新たに魔法で数十体の分身を作る。

 

「蠍の使い魔。お前が残火由来のものだという事は分かる。言葉が通じているか分からないが、ここは私に任せて逃げろ」

 

 後ろで僅かに逡巡した挙動を見せた後、蠍は尾からケーブルを伸ばして建物へと這い上がっていく。

 それを一瞥して確認してから、分身たちを魔物の軍勢へと向かわせた。

 戦闘力は決して高くはない私だが、こういう多数を相手取るには役に立つ。

 ヘスペリデスの宵の首は確実に私を捉えているというのに攻撃をして来ないという事は、既に歯牙にもかけていないのだろう。

 あの巨体からすれば、私のような魔法少女一人程度、自ら手を下すまでもない矮小な存在という訳だ。

 それとも、魔物の群れに囲まれて逃げ場のない私は既に死んだも同然に思っているのかもしれない。

 どちらにせよ、私は魔法少女としての責務を果たすだけだ。

 死んでいったトレミー正団のように……この街の何も知らない無辜の人々のために命を懸けて戦うのみ。

 街には建物内でこの異常事態に怯えている人たちも居るはず。この魔物化した住人を野放しておく事はできない。

 紺色のクナイを構え、刻一刻と増え続ける膨大な数の魔物たちと睨み合う。

 

「……トレミー正団が一人、皐月ルイ―—参る!」

 

 里美さん……。あなたの意思は私が受け継ぐ。たとえ、ここで死ぬとしても魔法少女の意地は最期まで通す。

 それがあなたに感銘を受けた私の在り方だから。

 

 

~サキ視点~

 

 

「何だ!? この街で一体何が起きているというんだ!」

 

 両手にエコバック一杯の荷物を抱えていた私は、突如発生したこの異変に戸惑いを隠せなかった。

 私はアレクセイに食材の買い出しを頼まれ、数刻前まで近くのスーパーで割引シールを張られる精肉や鮮魚を物色していた。

 頼まれていた品物も無事購入でき、意気揚々と中沢家へ帰る途中だったのだが、不運にも急な雨に見舞われた。

 傘を持って来れば良かったと後悔したのも束の間、周囲に視線を配れば、通行人が次々と怪物に変貌しているではないか。

 この超常現象をいきなり目撃して、混乱しない人間が居るなら教えてもらいたい。

 魔物になった通行人たちは種類や姿もてんでバラバラで共通点は何もない。あるのは皆、理性を失ったように暴れている点くらいだろう。 

 それら魔物たちは、未だ人の姿を保っている私を見ると示し合わせたようににじり寄って来る。

 

「く……。何だか分からないが、魔法少女になっていた方が良さそうだな」

 

 エコバックを道端に降ろして、ソウルジェムを使って魔法少女の衣装を身に纏う。

 乗馬鞭を片手に発生した魔物たちを見極めようと視線を上げて、それと()()()()()

 澱んだ雲から生えた無数の竜の首が私を見ていた。

 眼前に迫る魔物などよりも遥かに巨大な竜の頭部。十や二十では済まない数のそれが見下ろしてくる。

 

「…………ぇ、ああ……?」

 

 そして、気付いてしまう。

 首が伸びている根本は雲などではなく、視界にすら入り切らないほど大きな胴体なのだと……。

 恐怖が脳髄を狂わせ、思考がズタズタに引き裂かれた。

 今まで見てきた魔女や魔物など容易く凌駕する超巨大な存在が、私を観察している。

 その常軌を逸した状況に、私の認識が耐えられなかった。

 急激な吐き気が込み上げて、胃の中の内容物をぶち撒ける。震えが止まらず、膝が笑った。

 逃げるという行動が取れない。あんな巨大なものから逃走する術が浮かばない。

 死が見えた。逃れられない死が、私に訪れようとしているのを感じる。

 蛇に睨まれたカエルというのはこういう気持ちなのだろう。

 逃げる意思さえ、圧倒的な恐怖に塗り潰され、その場に立ち尽くすしかないのだ。

 天上から垂れる竜の首は、私の無様な姿を見て、口の端を更に開いた。

 人間でいう笑みに近い。だが、笑顔と呼ぶにはあまりにも悍まし過ぎる変形だった。

 襲い掛かりつつある魔物たちは、動けない私へと牙や爪、あるいはもっと攻撃的な部位で私に狙いを定める。

 

「あ……」

 

 これが私の最期の光景……? あまりにも呆気ないものだ。

 何も分からず、こんな理不尽に死ぬのか私は。

 動けない分、頭脳だけが高速で回転する。思考速度が格段に早まり、時が止まったかのような感覚がした。

 私は今、走馬灯というものを体験している。焦りがあるのに、引き延ばされた時間をゆっくりと味わっている。

 ――死。

 死、……ぬ?

 人間大の蝙蝠の牙が、金属質の大鷹の爪が、嶮山のような針鼠の針が、私へと――襲い来る。

 

「……『アヴィーソ・デルスティオーネ』」

 

 だが、そのどれもが背後から放たれた真っ赤な火の玉に吹き飛ばされた。

 それを目にした瞬間、恐怖の枷が外れたように身体が動くようになる。弾かれたように振り向くと、そこには白いドレスを纏ったあやせが剣を携えて立っていた。

 

「あなた、お遣い一つ、まともにこなせないの? 役立たずにもほどあるでしょ」

 

「あやせ……! ッ後ろ!?」

 

 彼女の登場にも驚いたが、彼女の後ろに角を生やした大熊が前脚を振り被る姿を見つけて、私は叫びを上げた。

 獣の筋力で打ち出されるその張り手は、彼女の華奢(きゃしゃ)な身体など容易く、叩き潰すだろう。

 しかし、振り被った前脚が動く前に、強烈な寒さが辺りを“通り抜けた”。

 

「な……ッ」

 

 真冬の寒波のような寒気が周囲を駆け抜けたかと思えば、大熊は氷の彫像と化していた。

 それだけではない。あれだけ大量に押し寄せていた魔物がすべて氷漬けされている。

 そして、私とあやせの間に白銀の狼が一匹、地に降り立った。

 氷の彫像たちは皆、その着地の振動で一斉に砕け散り、中から元の人の姿が転がり出る。

 全員気を失っているようでぐったりと力なく倒れてはいるものの、外傷は衣服を含めて見当たらなかった。

 白銀の氷狼。碧い瞳には、他の魔物とは違い、明確に理性の光が灯っている。

 神々しささえ感じさせるその魔物は、有象無象を打ち倒し、厳かに声を発した。

 

『……サキ。タイムセールの卵、買えた?』

 

「…………え?」

 

 相貌と発言のあまりの落差に、思わず間抜けな声が漏れる。

 神話にでも出て来そうな美しい狼の口から流れた、俗過ぎる台詞に聞き間違いかと思った。

 だが、白銀の氷狼は再度平坦なトーンの声音で尋ねる。

 

『買えなかったの? 卵……』

 

 抑揚の薄い言い方だが、心なしか先ほどよりも、ややしょんぼりしたような印象を受けた。

 

「いや……広告に出ていたセール品の卵は買えたが……。ひょっとして、アレクセイなのか?」

 

『うん』

 

 うん、じゃない。うんじゃ……。本当に何なのだろうか。この男は。

 イーブルナッツを保持しているとは聞いていたが、何というか……あまりにもマイペースが過ぎるだろう?

 おかげで内心に澱んでいた恐怖が完全に洗い流されてしまった。

 あやせがアレクセイに会話の主導権を握らせていると話が進まないと思ったようで、彼女が代わりに話し始める。

 

「アレクセイが、何か嫌な予感がするって言ってね。あなたを心配して見に来たの。そしたら、空にあんなものが現れるわ、普通の人が魔物に変わるわは降るわでもう大変だったんだから」

 

「そうか。でも、よく私の居場所が分かったな」

 

『サキの匂いは覚えてたから辿って来ただけ』

 

「ええ……」

 

 アレクセイの発言に今日一番の衝撃を受ける。

 私はそんな特徴的な匂いがするのだろうか。プレイアデスの皆には一度も言われた事はなかったのだが……。

 腕を伸ばして脇の下を軽く嗅いでみるが、自分ではまったく分からない。

 仲間が現れ、窮地から脱したため、一気に弛緩した雰囲気になるが、空に浮かぶ巨大な竜の首たちは消えた訳ではない。

 変わらずに私たちを見下ろしていたが、今すぐに何かする気はないらしく、ただ観察しているだけだった。

 

「あれは……何なの?」

 

「私にも分からない。だが、一般人が魔物に変わったのは恐らく、あれのせいだろう」

 

 あやせと共に巨大な竜を見上げて相談していると、アレクセイは大した事でもないように言う。

 

『あれ、多分、前に家へ来たかずらって子だよ。匂いが同じだ。この降り続いている雨もそう』

 

「何だって、それは本当なのか!?」

 

『うん』

 

 やんわりと首肯するアレクセイ。やはりこの姿とのギャップに未だなれないが、彼が嘘を吐かない人間なのは今までのやり取りで身に染みている。

 発言がいい加減に聞こえるが、これでも本人として至極真面目に言っているのだろう。

 言われ見れば、鱗の色や額から突き出す角の形に類似点はあるが、逆に言えばそれくらいしか似た箇所はない。

 百はある無数の首もそうだが、何よりもサイズが百倍以上違う。

 彼は付け加えるように続けた。

 

『でも、ちょっと妙なんだ。他に七個くらいの魔法の匂いが混ざってる……その内一つはサキと同じだ』

 

「それは本当ッ、……なんだろうな。お前がわざわざ口に出すという事は」

 

 七つの魔法の混ざった存在。その内に私の魔法が入っているもの。

 そこまで聞けば、該当する存在は一人……かずみだ。確かめた訳ではないが、かずみ以外のミチルのクローンは恐らくあきらに処分されたか、より非道な方法で殺されただろう。

 奴が利用価値のない不確定要素を取り除いてないなどは、まずあり得ない。そうでなくても命を奪うという行為に愉悦を覚えるような人間なのだ。気まぐれに殺戮する様など想像するに易い。

 しかし、あきらではなく、かずらに喰われたのか。奴もまた他者に裏切られる側の人間だったか。

 などと視線を落として、考え込んでいると、足元に異様なものが居る事に気付いた。

 ケーブルを纏めて、形作ったような人工物の蠍。それが私たちの足元でちょろちょろと動いている。

 

「な、何だこれは……!」

 

「あなた、この数分で驚いてばっかりだね」

 

 ぎょっと目を向けるが、あやせはさほど驚いた様子もなく、ひょいっとその蠍を持ち上げる。

 ()めつ(しが)めつ、弄りながら観察して、ぽいっと投げ捨てた。

 

「デザインがスキくない」

 

「おい!」

 

 無下に投げ捨てられた人工物の蠍は地面に落ちてひっくり返るが、すぐに起き上がってかさかさと動き始める。

 人が変身した魔物にしては小さすぎるが、どう見ても魔法が関わっているとしか思えない姿に困惑した。

 前脚の鋏や尻尾を小刻みに動かし、私たちに何か伝えようとしているが、それを解読する能力は私にはない。

 しばし、黙ってそれを見つめていたアレクセイはやがてゆっくりと頷いた。

 

『へえ。そんな事があったんだ。大変だね』

 

「アレクセイ……。お前、この蠍が何を言いたいのか分かるのか?」

 

『うん。だって、こいつがさっきから……ああ、イーブルナッツでの念話は他の人には聞こえないんだっけ』

 

 だっけ、と言われても私にはイーブルナッツがそんな特性を持っていた事自体初耳なのだが、彼は勝手に納得して自己完結してしまう。

 コミュニケーションする気はあるのだろうが、彼は人に情報を伝達する能力が致命的に欠如している。マイペースの極致に居るような奴だ。

 

『え? 僕が通訳を? ……面倒くさいな。じゃあ、一文で纏めてね』

 

 蠍は両手の鋏を持ち上げて頭部らしき場所を押さえるような仕草を取る。

 あ、これは何を伝えたいのか分かった。アレクセイのマイペース振りに頭を抱えているのだ。

 気持ちは分かる。私も彼との初対面では同じポーズを取った。

 

『えーと……。「俺は、元・蠍の魔物で、かずみを助けようとしたが、やられてしまい、こんな姿になり、彼女は、あの竜に取り込まれて、この事態が引き起こされ、どうか助けてほしい」……何、日本語下手なの?』

 

 蠍は尻尾をバタバタと振るわせて、アレクセイを威嚇している。

 うん……。今のはお前が悪い。むしろ無茶振りにしては頑張った方だと思う。

 通訳された情報によれば、やはりかずみはあの巨大な竜に呑み込まれてしまったようだった。

 しかし、あれだけの強さを誇った蠍の魔物がこれほどまでに小さな姿になるとはな……。

 助けを求められたところで、私たちにどうこうできる相手なのだろうか。

 あの規格外の巨体を見て、戦うという選択肢はまず浮かばない。勝負になるかの以前に、あの化け物に近付けるとさえ思えない。

 絶望の雨を降らす、最悪の邪竜を見上げた。

 

 

~かずら視点~

 

 

 ……()った。

 あたしは、完全なる存在へと為ったんだ!

 意思もある。感情も塗り潰されいない。自我崩壊は起きなかった。

 肉体漲る魔力が自分の巨大さを実感させてくれる。

 真下の街には矮小な弱者共が、慎ましい努力をしている光景が見えた。

 ああ、なんてヨワイ……。

 ああ、なんてチイサイ…。

 ああ、なんてツマラナイ……。

 あんなにも哀れで小さな生き物が生きていていいのかな?

 よくないよね。やっぱり、生物って強くないと。

 あたしが強い生き物に作り変えてあげる。あたしの下僕として恥ずかしない強さを与えてあげる。

 だから、ヨワイ生き物は始末しよう。魔法少女はあたしが作る世界には要らない。

 この惑星にもっとあたしの雨を広げよう。これは洗礼。あたしのものとなる通過儀礼。

 哀れなママ。あなたが懐いた夢だけは代わりに叶えてあげるよ。

 現存する人類を滅ぼし、あたしが新たな人類となってあげる。

 そうだね、名前が必要だ。プレイアデスでも、ヒュアデスでもないあたしだけの名。

 インキュベーターが下で言っていたあの名前を使わせてもらおう。

 ヘスペリデス。これからあたしが生む、あたしのための新人類……『ヘスペリデス』としよう。

 あたしはそのために宵をもたらす。明日の夜明けが来る頃には世界中の人類はすべてヘスペリデスへと変わる。

 そう、あたしは人類を孵化させ、新たなる夜明けを導く者。

 ――ヘスペリデスの宵。

 そのためにも……()()()()()()には、早く完全に自我を消してもらわないとね。

 お姉ちゃんの意識が完全にあたしと同化した時、創造のための破壊を始めよう。

 建物に隠れるようなヨワイ子は新人類には相応しくない。

 壊して、潰して、邪魔なものが無くなったら、恵の雨を降らしてあげる。

 だって、あたしはもうこれから始まる新世界の神様なんだから。

 




ヘスペリデスの宵の姿のモデルは、本編にも少し書きましたが百頭竜ラドンです。
全長800mという大きさなので一部でのあきら君がなったオリオンの黎明が60m級だったのでざっと13倍くらいこっちの方が上です。
更に魔物化の雨を降らす雲を発生させるので、有害度では彼以上でしょう。

そして、彼女が生まれた原因はすべて残火のせいという……。

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