魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~   作:唐揚ちきん

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第四十八話 シ・ン・ラ・イ関係

〜サキ視点〜

 

 

 私は生き延びたのだろうか? それとも死にぞこなったのだろうか?

 分からない。どちらとも言えるし、どちらとも言えない。

 ただ一つ言える事はまだ命があるという事だけ。

 潰えようとした私の命を拾ったのは銀髪碧眼の少年、中沢アレクセイだった。

 

「チェブレキ、口に合わなかった?」

 

 彼は食卓に乗せてある、薄く伸ばして油で揚げたミートパイのような食べ物を齧りながら、正面に座る私に尋ねてきた。

 その碧く澄んだ瞳はまるで純度の高い宝石を思わせる。あきらが黒曜石なら、彼はサファイアだ。

 

「い、いや、そんな事はない。中のお肉は少し癖があるけど羊肉か?」

 

 耳慣れない料理名といい、あまり食べる事ない種類の食事だ。付け合わせのキュウリのピクルスのスープといい、様々な種類の料理が作れたミチルでも出した事のないメニューだった。

 そう、あのミチルでも……。

 

「うん。味付けした羊の挽肉。……やっぱり顔色が良くないけど、苦手だった?」

 

「いや、これは昔の友達を思い出して……」

 

 無表情ながらに気を遣ってくれるアレクセイに、私は今の心情を説明し切れず、声が尻すぼみになる。

 

「嫌なら言い訳してまで食べなくてよくない? 私、そういう態度、スキくないなぁ……」

 

 不快感を露わにしたのは彼ではなく、その隣に腰掛ける黒髪の少女、双樹あやせ。

 彼女は最初から私の事を毛嫌いしていた。その理由も分かる。

 私を助けるために貴重なグリーフシードをまるまる一つ消費する羽目になったからだ。

 死に掛けていたところをアレクセイに拾われた私は、この家に運ばれて治療を受けた。

 ほぼ表面を黒く濁らせていたソウルジェムは彼らが保持していたグリーフシードにより浄化され、今では完全に穢れを除去されている。

 半ば彼の独断で行われたその処置に彼と共に生活しているあやせは納得していなかったらしく、意識が戻った直後から目の仇のような扱いを受けていた。

 魔法少女を居候させているこの少年は、それなりに魔法少女たちへの知識を持っている様子だが、そう言った感情の機微には驚くほど疎かった。

 最短ルートを通るために、そこに至るまでの障害物を破壊して無視して進むような思考。融通の利かなさは機械的とさえ思えた。

 私は居た堪れなくなり、視線をあやせから、そっと離す。

 彼女は乱暴な手付きで、皿からチェブレキを引ったくると、「ごちそうさま」と吐き捨てるように呟いてから、席を立ってどこかに行ってしまう。

 二人だけになった居間で私はアレクセイに謝った。

 

「すまない……私のせいで彼女を怒らせてしまって」

 

 本当に申し訳ない。

 命の恩人の生活を自分の存在が乱しているという、この状況がやるせなかった。

 ピクルスのスープを啜っていた彼はスプーンから口を離す。

 

「ううん。むしろ、あやせが元気になってよかった」

 

 平坦なトーンの声には私に嘘を言っている様子はない。本気でそう思っているように見える。

 アレクセイはスプーンでスープの具を掬いながら、何でもない事のように言う。

 

「あやせは少し前から、ずっと塞ぎ込んでた。それに比べると今は怒るだけの元気が戻ってきたみたいだ。ありがとう、サキ」

 

「お、お礼を言うのはこちらの方だ……私はあなたに命を救われた。こうして、食事までご馳走になっている」

 

 思ってもみない感謝のされ方に、慌てて感謝の言葉を返すが、私には彼の意図がまだ読み取れずにいた。

 どうして見ず知らずの私を同居しているあやせと不和を生んでまで助けたのか理解できない。

 悪人ではないだろうが、彼が進んで人助けに精を出すお人好しにも、妙な正義感に突き動かされている人間にも見えなかったからだ。

 どちらかと言えば、他者に関心がないタイプの人間に見える。

 私が感謝の意を述べている時でさえ、マイペースに料理に目を落として、食事を続行し始めたところからも伝わって来る。

 助けてもらってから何度も会話を重ねているにも拘らず、一向に中沢アレクセイという人間像が私には掴み取れなかった。

 それは一度、心から信頼を寄せていた人間に手酷く裏切られた私には恐怖だった。

 ……また信じて裏切られたらと思うと、怖くて堪らない。

 

「何で私を助けてくれたか、聞いてもいいか?」

 

 覚悟を決めて、アレクセイに尋ねると、彼はさも当然のように回答する。

 

「助けてって言われたから」

 

「……それだけ?」

 

「それだけ」

 

 無表情な顔で大きく頷いた後、彼は再び食事に集中し出した。

 私はというと、あまりにも簡潔過ぎる答えに唖然とするしかなかった。

 黙々と夕食を終えたアレクセイは自分とあやせの分の食器を重ねて台所へと運んで行く。

 返って来ると、私に食べ終わった後は食器を台所の水へ浸すよう言ってから、居間から去って行った。

 ……何なんだ、あの男は。

 あきらもマイペースではあったが、他者の行動には多少なりとも関心があった。

 だが、アレクセイは違う。根本的に他人の動向に興味を持たず、また最低限しか相手に関与しない。

 放任主義の一言で表すには、いくら何でも自由過ぎた。

 仕方ない。気は進まないが、彼を理解するためにあやせから話を聞く他ないようだ。

 もう他人を分かったつもりで、信じるような真似はしたくない。

 同じ過ちを繰り返さないためにも、私は他者の心を知る努力をし続けるつもりだ。

 かずみの事もそう。私が勝手に彼女に「ミチル」という名の幻想を押し付けてしまった事が原因なのだから。

 

 

 *

 

 

 家の中は自由に行き来していいとアレクセイから許可はもらっていた。

 襖を開けて、部屋を回ってあやせの姿を探しているが、家の中は広い上に和室には不慣れなせいで彼女はなかなか見つけられない。

 もしかすると、外に出て行ってしまったのだろうか。

 どうしたものかと歩き回っていたところ、私は大きな仏壇が目に付いた。

 黒檀でできた格式高い様相の仏壇だ。飾ってある遺影にはアレクセイと同じ銀髪碧眼の美しい女性が写っていた。

 歳頃から推察するに恐らくは彼の母親だろう。日本人離れの顔立ちはロシア系の外国人のようだ。

 そう言えば、この家にはアレクセイとあやせしか住んでいないようだが、父親はどうしているのだろうか。

 ふと、そんな疑問が降って湧いた時、後ろから声を掛けられた。

 

「あなた、こんな場所で何やってるの?」

 

 振り向いた先には、開いた障子の向こうに立っているあやせの姿があった。

 

「実はお前を探していたんだ。その、アレクセイの事を知りたくて……」

 

 その発言に彼女は分かりやすく気分を害した様子で、顔を(しか)める。

 だが、私としてもここで引く訳にもいかず、頭を下げて頼んだ。

 

「お願いだ、頼む。お前が私を嫌っているのは分かってる。でも、お前の口から彼の話を聞きたいんだ。……彼を信じるために必要な事だから」

 

「はあ……。分かったよ。これ以上付き纏われるのもスキくないし。話せる範囲で教えてあげる」

 

 真摯に願い出た私に根負けしたのか、あやせは溜め息混じりで承諾してくれる。

 私はまず疑問に感じたアレクセイの家族構成を尋ねると、彼女は次のように答えた。

 

「母親はアレクセイが小学生の頃に交通事故で死んだらしいよ。父親は愛人作って滅多に家に帰って来ないって言ってた。最後にあったのは一年前だって。一応、面倒事は避けたいのか生活費は振り込んで来るらしいけどね」

 

 思ったよりも複雑な家庭環境に、言葉を失った。

 親の姿がない事はこれで分かったが、彼の人物像はますます捉え難くなる。

 他にアレクセイの内面を理解しやすいエピソードなどないか、あやせに聞いてみた。

 すると、彼女は、彼のとんでも無い話を開帳する。

 話によれば、彼は数年前、暴漢から従弟を守るためにその相手を撲殺したのだという。

 常軌を逸したエピソードに一気に私の中のアレクセイのイメージ像が、野蛮で倫理観の欠如した殺人者になった。

 やはり彼もまたあきらのように希望を抱かせて、それを自ら奪い取る外道なのか。

 表情から何かを感じ取ったあやせは、私に面倒そうに述べる。

 

「確かにあの男の倫理観は薄い。けど、本気で願う人の想いは絶対に叶えようとする。それがアレクセイなの。彼があなたから何かを奪う事はあり得ないよ」

 

「それは……盲信じゃないのか?」

 

「……今何て?」

 

「彼を盲信しているんじゃないのか、そう言ったんだ」

 

 私があきらへ感じていた絶対的な信頼感。あれは思い返せば盲信以外の何物でもなかった。

 あやせがアレクセイに感じている感情は違うと一体誰が断言できる?

 他者の心は本人以外知る事はできない。それなのにまるで我が事のように「あり得ない」と決め付ける彼女。

 これを盲信と言わず、何と呼ぶ。

 あやせもまた私と同じように騙されているのではないか。そう考えるのは至極当然だろう。

 

「あやせ、お前は彼を本当に理解しているのか? 都合の良い幻想を彼に抱いているだけで……」

 

 それから先の発言は続かなかった。

 彼女が生み出した、反りの入ったサーベル状の剣が私の口元に突き付けられていたからだ。

 刃からは焼け付くような熱気が放たれ、刀身からはみ出した炎が前髪を僅かに焦がす。

 強力な炎の魔法がこの剣には籠められているのが分かった。プレイアデス聖団が狩ってきた凡百の魔法少女たちとは一線を画すレベルだ。

 

「私、ここまでムカついたの、生まれて初めてかも……」

 

 敵意ではなく、殺意を浮かべた眼差しであやせは睨む。

 流れる熱にじわりと汗が滲んだ。唇が乾き、喉が鳴る。

 

「それは自分を侮辱されたせいか……。それともアレクセイを疑ったせいか……? どちらだ?」

 

「その口、二度と開かないようにして欲しいの?」

 

「私は、一人の少年を心から信じて、裏切られた。愛していたんだ、誰よりも彼を……」

 

 口を開く度に空気と共に入ってくる熱で、舌が火傷しそうになる。

 しかし、喋らずに居るのはできなかった。

 これは忠告だった。

 自分と同じ絶望を味わって欲しくない、哀れな経験者からの善意の忠告だ。

 アレクセイが外道なら、彼女は間違いなく、私と同等の苦しみに陥る事だろう。

 

「彼のために友情を捨てた。誇りを捨てた。正義を捨てた。何もかも捨てた。そんな私を彼は……あきらはゴミのように切り捨てたんだ」

 

「…………」

 

「分かるか? 空っぽになる気分が……。大切なものを溝に自分の手で壊してしまった感覚が……」

 

 殺意の眼光が静かに閉じられる。

 突き付けられた剣は粒子状に分解されて、熱源と共に一瞬で消えた。

 目を開けたあやせは私の瞳を見て言った。

 

「もう一つエピソードがあった。アレクセイは私が魔女に殺されそうになった時、自分の身を犠牲にしてまで助けてくれたの。これは私じゃなく、ルカの記憶だけどね」

 

「……ルカ? それは誰なんだ?」

 

「もう一人の私の魂……掛け替えのない半身だよ。もう私の中には居ないけど、あの子が見た光景だけはまだ残ってる。だから、私はアレクセイを信じられる。今はもう居ないルカがあいつの心を保証してくれる」

 

 そう言って自分の胸を押さえたあやせ。

 その様は誰かの声に耳を澄ませて、聞いているように映る。

 理解できた。彼女とアレクセイは私とあきらとは異なり、明確な絆で繋がっているのだ。

 思い返せば、夕食の途中に言った事も、彼が本当にあやせを大切に思っているから出た台詞だ。

 上っ面だけの優しさなら、彼女を機嫌を損ねる事はしない。聞こえの良い甘い言葉を掛けてやり過ごすだけ。

 『塞ぎ込むより怒っている方が元気が出る』なんて台詞は本心から彼女を見ているから言える言葉だろう。

 不信感に支配され、周りが見えなくなっていたのは私の方だった。

 

「すまなかった。先程の台詞、撤回させてくれ」

 

「私もあなたの背景が少し分かった気がする。……だから、今回はチャラにしてあげる」

 

「ありがとう、あやせ」

 

 グリーフシードを使わせてもらったと聞いた時よりも、すんなりお礼が出てきた。

 今、あやせから人を信じる事を教えてもらったおかげかもしれない。

 二人して顔を合わせていると、唐突に玄関口からチャイムの音が響いてくる。

 現在時刻は午後八時過ぎ。人が訪ねて来るには遅すぎる時間帯だ。

 ワンテンポ置いてから、連続でチャイム音が鳴らされる。玄関前の来訪者は、早くしろとばかりにリズム良くチャイムボタンを連打している。

 

「うるさいなぁ……育ちが悪い人?」

 

 あやせが愚痴るようにそう漏らす。同感だが、彼女も彼女で人の事言えた義理か?

 アレクセイは少し前から入浴中でまだ出て来ていない。ここは私たちが出るしかないだろう。

 家主の代わりにあやせと一緒に玄関へ向かうと、ガラスの引き戸に映っている影は酷く小柄だった。

 

「子供ぉ? 道理で何度もチャイムを鳴らすと思った」

 

「おい。ちょっと待て。流石に話ぐらい聞いてあげてもいいだろう? おい。今、開けるからもうチャイム鳴らすな」

 

 呆れて奥へ戻るとするあやせだったが、私はそういう訳にも行かず、靴を履いて玄関戸を引いた。

 開かれた玄関の前には、濁りのある白い色の髪を垂らした幼い女の子が小さなテディベアを抱えて、立っている。

 その顔の造形は……かずみやミチルによく似ていた。

 

「こーんばんはー! ここにあやせってお姉ちゃんが居るって聞いたんですけど、今居ますかー?」

 

 彼女たちよりも三つ四つ幼いものの、あまりに似ていたために私の思考は一瞬固まる。

 

「お姉ちゃん? どうしたの?」

 

「あ、いや、何でもない……。あやせならここに」

 

 白い髪の幼女に聞かれて、ようやく正気に返った私はあやせの方を向く。

 彼女の知り合いかと思ったのだが、あやせは怪訝そうな表情で幼女を眺めていた。

 

「あやせ……? どうした、知り合いじゃないのか?」

 

「あなた、誰? どうやって私がここに居るって突き止めたの?」

 

 彼女が尋ねると、幼女はにたあっと頬が裂けるように笑った。

 その笑みは私を裏切り、絶望の底に突き落とした“あきら”にそっくりに見えた。

 

「あたし、かずら。お姉ちゃんの居場所はずっとママが監視してたから知ってたよ。狼のお兄ちゃんと一緒に住んでるのもね……眼鏡のお姉ちゃんが居るのは予想外だったけど。ま、いいか」

 

 白髪の幼女改めかずらはあやせに詰め寄るとにこにこしながら手のひらを伸ばす。

 

「イーブルナッツの残り、全部あたしにちょうだい」

 

「イーブルナッツだと……! お前、まさか!?」

 

 人を魔女に似た化け物に変えたり、ソウルジェムを強制的に孵化させる“悪意の実”。

 あきらや蠍の魔女モドキが肉体を変質させるのに使ったあの道具だ。それを知っているという事はあきら、もしくは偽物のニコの仲間か?

 いや、そもそも何故あやせがイーブルナッツを持っていると思ったのだろう。彼女もまたあきらと関係していた魔法少女だったのか?

 私の荒れ狂う疑問の嵐を余所に、あやせはかずらに落ち着いた態度で交渉を始める。

 

「対価は? まさか、ただで渡せっていうんじゃないよね?」

 

「ちゃっかりしてるなぁ。元々、ママがパパ経由であげたものだっていうのに。ま、いいよ。ここで暴れて、パパに勘付かれると困るしねぇ……」

 

 かずらはテディベアの首の辺りの縫い目にグッと指を差し込む。

 最初から切れ込みが入っていたのか、簡単に縫い糸がちぎれて、中身の綿がはみ出した。

 その綿の中に手を入れて漁ると、そこから三つほど黒い小物を取り出した。

 あれは――グリーフシード……!

 

「イーブルナッツ一つにつき、グリーフシード一つでどう? あなたたち、魔法少女にとっては破格の条件じゃない?」

 

「悪くないね。ちょうどグリーフシードの在庫が減ってたところだし」

 

「お、おい。あやせ……本気で言っているのか?」

 

 あきらに与している可能性のあるかずらと取引をするなどあまりにも危険過ぎる。

 彼女が何を企んでいるのかも分からないのに、目先のグリーフシード欲しさにイーブルナッツを渡すなんて狂気の沙汰だ。

 あやせを思い留まらせようと、私は説得をしようとするがその前に彼女は言葉を続ける。

 

「で・も。こうすれば、百パーセントオフになるよね?」

 

 先ほど私にも見せた炎を纏ったサーベルをかずらに向けて、突き付けた。

 髪と同じ濁った色の彼女の瞳が、不愉快そうに細まる。

 

「あんまり好条件出したから勘違いさせちゃったのかな? こんな温い炎(・・・)であたしをどうにかできると思ってるなんて……お姉ちゃん、馬鹿なんだね」

 

 指で作った輪っかを口元に付けて、かずらは息を吹きかける。

 輪を(くぐ)った濁った彼女の吐息が白い炎になって、あやせの炎の剣を“燃やした”。

 赤い炎が、白い炎を“焼いた”のだ。

 

「!? な……に、これ! 熱ッ」

 

 瞬く間にサーベルは白い炎に包まれて、咄嗟(とっさ)にあやせはそれを手放す。

 玄関の床に落下する前に、跡形もなく、炎の剣は“燃え尽きた”。

 燃え滓さえも残らず、辺りには熱気だけが空間に取り残されたように暑かった。

 

「あたしが、温めてあげよっか?」

 

 可愛らしく首を傾げるポーズをする彼女からは底知れない実力が感じられる。

 あの濁った白い炎……間違いない。この幼女はあの白い竜の魔女モドキだ。あきらと酷似した力を持つ存在。

 私たちではどう足掻いても勝ち目のない相手だ。

 

「……ッ!」

 

 殺される……! 殺されてしまう!

 あきらの最高速度は私が瞬間移動の初動作よりも素早い。

 次の瞬間には私たちは、この白竜に命を奪われるだろう事は必至だった。

 だが、そうはならなかった。

 代わりに、床を滑ってきた小さな宝石箱が玄関の土間に落ちてひっくり返る。

 開かれた箱からは入っていたイーブルナッツが二つ、転がって土間に落ちた。

 

「……アレクセイ」

 

 振り返ると廊下を歩くバスタオル姿の彼が、濡れた髪を拭いながら歩いて来ていた。

 アレクセイは玄関までやって来ると、かずらに平坦な口調で言う。

 

「それが欲しいんだろう? 持って行きなよ」

 

「……二つだけ? 確か流したイーブルナッツは三つのはずだけど?」

 

 品定めでもするように彼女はアレクセイを見上げる。

 正体を知った今では、捕食者が獲物をどの部位から齧ろうしているか悩んでいるように思えた。

 しかし、彼は一切怯えた素振りは見せずに答える。

 

「一つは使用中だ。悪いけど返せない」

 

「なるほどねぇ……。それもちょうだいって言いたいところだけど、素直に渡してくれた狼のお兄ちゃんに免じて許してあげる」

 

 かずらは散らばったイーブルナッツを小さな宝石箱に仕舞うと、テディベアの中へそれを押し込んだ。

 あらかじめ綿を少し抜いていたのか、宝石箱はすんなりとぬいぐるみの内側へ潜り込んでいく。

 

「ほら、グリーフシードだよ。でも、二つしかイーブルナッツをくれなかったから、こっちも二つだけね」

 

 わざと土間にグリーフシードを放り投げた。

 硬い音を立てて、二つのグリーフシードが転がる。

 私もあやせも張り詰めた緊張から身動きが取れない。

 そんな私たちを彼女は鼻でせせら笑った。

 

「……どうしたの? さっさと拾いなよ、弱っちい魔法少女のお姉ちゃんたち」

 

 かずらはそれだけ言うと、興味を失ったように玄関から外へ出て行った。

 ガラス戸に映った彼女の影が消えるまで、私たちの身体は硬直したままだった。

 

 

~かずら視点~

 

 

 あたしは目的のものを果たせた事に、ほくそ笑んだ。

 完璧とはいかなかったが、それでも奥の手としては充分な量のイーブルナッツが手に入った。

 後はパパにバレずにマンションに帰って、眠るだけ。

 竜に変身はせずに生身で壁面を登って、パパが借りている階まで辿り着く。

 こっそりと鍵を開けて置いたトイレの小窓から身体を潜り込ませて、スニーキング帰宅を成功させた。

 この未熟な身体は気に入らないが、こういう狭い場所を通れるのは強みだね。

 慎重に、足音を立てず、扉を開けて自分の部屋に戻ろうとする。

 だけど、既にあたしの部屋には先客が待っていた。

 

「長~いトイレだったなぁ、かずら。便秘かよ」

 

「……パパ。あたしの部屋に勝手に入るなんてプライバシーの侵害だよ」

 

 一樹あきら。あたしの魂の元になった人間にして、オリジナルの竜の魔女モドキ(ドラーゴ)。 

 

「固いこと言うなよ。それよりこんな時間にどこへ行ってたんだ? パパ、しんぱーい」

 

 彼は電動ミキサーで何かを掻き混ぜながら、あたしに質問をしてくる。

 参ったなぁ、外に出てた事バレてるのか。これはどうにかして誤魔化さないとまずい。

 あたしとパパは同じ魔力量、同じスピード、同じパワーを持っている。

 でも、それは実力が完全に同等という事じゃあない。

 スペックが同じであれば、二者の勝敗を分かつのは練度の差。

 簡単にいえば経験量。まったく同じ力を振るうからこそ、その差は如実に表れる。

 聖家襲撃の際、ママへの造反を決めたのは、このまま戦えば負けるのは自分の方だと判断したからでもあった。

 今、切り札を使う……? ダメダメ、今殺しけれなかった場合、パパに対策をされてしまう。

 この時点では私が不利だ。それならここは小粋な会話で切り抜けるしかない!

 

「ちょっと外を散歩してたの。夜風に当たりたくって。それよりパパ、他人の部屋で何作っているの?」

 

 パパはミキサーの蓋を外して、大きなジョッキに中身のドロドロした白い液体をなみなみ注ぐ。

 プロテインか何かかな? 少なくとも近くに居るのに、格別変わった匂いは漂って来ない。

 

「ん? ああ、これか? これは磨り潰したインキュベーターだ。二、三匹捕まえたんでミキサーに掛けたんだ。……やらねーぞ?」

 

「おえー……要らないよ。そんなもの」

 

 ジョッキ一杯のインキュベーター・スムージーを彼は腰に手を当てて、ぐびぐび喉を鳴らして一気に飲む。

 粘性の強いそれは見ているだけで気分が悪くなる。この人、よくそんなの飲めるなぁ……、頭のネジ外れてるんじゃない?

 綺麗に飲み干すと、空になったジョッキを高らかに掲げて口を拭う。

 

「……ちなみに美味しいの?」

 

「いんやぁ? 痺れるくらいに不味いぜ」

 

 不味いんかい。ますます以って何で飲んでるのか意味不明だよ。

 青汁みたいに健康のために飲んでるのかな? あたしはそれで健康になるとしても飲みたくないけど。

 

「それ、片付けたら自分の部屋に帰ってよね?」

 

「おう。それにしてもパパ、感激だぜ。今日買ってやった熊のぬいぐるみ――わざわざ夜の散歩に持って行くほど大事にしてくれてるなんてなぁ」

 

 目敏くあたしの抱いているテディベア、『グレートカズーラ十三世』を目敏く見つける。

 ……やっぱり一筋縄ではいかないよね。この人の知能もあたしと同じレベルあるって事だモン。

 グレートカズーラ十三世の解れた穴を見られないように抱いて、パパから隠す。

 

「うん。この子は初めてパパからもらったプレゼントだから大切にしたくって」

 

 可愛げのある娘として申し分ない内容で誤魔化す。

 あたしは生後数日の子供。客観的に見ても、もらったプレゼントが嬉しくて、つい持ち歩いてしまうのは別におかしな事じゃない。

 

「そっか。うんうん。でも、外に持って行ったせいだろうな……」

 

「あッ……」

 

 突然パパの手が伸びて来て、グレートカズーラ十三世を取り上げる。

 彼の指がちぎれた縫い目を指でなぞった。

 

「買ったばかりなのにもう破れちまってる。可哀想になぁ? 言ってくれりゃ俺が直してやるのに」

 

 じんわりと背中に汗が染み出る。

 ……綻びに気付かれていた。最悪だ。そこに入っているイーブルナッツの箱を取り出されたら、あたしは叛逆の意志ありと判断されて殺される。

 いや、ここはまだカバーが効く。諦めるには早すぎる……。

 

「ごめんなさい。せっかく、パパに買ってもらったのに壊しちゃって……。嬉しくて振り回しちゃったのが、いけなかったのかなぁ」

 

 泣きそうな顔。隠していた失敗を見破られたという表情を作り、パパを申し訳なさそうに見上げる。

 これもまた無理のない言い訳だよ。さあ、納得しろ! これ以上、追及するな! 生まれたばっかの赤ちゃんなんだから仕方ないと理解しろ!!

 しゃくり上げて泣き出す五秒前を演出し、完璧に内心を隠蔽する。

 あたしの発言を真に受けた様子でパパは優しく、頭を撫でた。

 

「そっか……気を遣わなくていいんだぜ。俺たちはもう家族なんだから」

 

「うん……。パパ、だいすき」

 

 如何にも男受けのする愛くるしい笑みを浮かべたあたしは、父親が言われて喜ぶ台詞ベスト一位に輝く言葉を呟く。

 大作映画の主演子役もびっくりのこの演技。これで落とせない大人は居ないんだよ! 

 

「俺も好きだぞ。それじゃあ、この熊ちゃんはお前に返して……」

 

 よしよし。上手くいった!

 あたしはグレートカズーラ十三世が手元に戻って来る瞬間に満面の笑みで迎える。

 ——が。

 

「おんやぁ? この熊ちゃん、お腹に何か入ってるぞー? 何だろうな、かずら。どこかで盗み食い(・・・・)でもしちまったのかなぁ?」

 

「……ッ」

 

 あたしの手元へ返される寸前で、差し出されたグレートカズーラ十三世は引っ込められた。

 自分の表情が強張るのを感じる。弛んだ感情から恐怖の吐息が漏れた。

 パパはそれを楽し気に眺めて、解れた縫い目に指を乱暴に突き入れる。

 

「何が出るかな~何が出るかな~。おーっとこれは……」

 

 顔を掴んで、固定し逃げられないようにしてそれを取り出した。

 わざとらしい口調でパパはそれをあたしの前に見せ付ける。

 

「——グリーフシードか。これはどこで手に入れた? 俺が倒した魔女とはデザインが違うぞ?」

 

 眼球にその先端を突き入れるように彼はグリーフシードを突き出した。

 

「それは……ママが溜めてた、グリーフシードの、残りだよ……。ママがパパと出会う前に、こっそりと魔法で、見つけて魔女を倒してたって……」

 

「なぁるほど。生き(きた)ねぇひじりんらしいな。これを隠していた理由は、かずみちゃんを食う前に俺が魔女化させるの防ぐための保険ってとこか? こういうところはママ似だねぇ」

 

 乱雑にグレートカズーラ十三世を突き返すと、パパはあたしの頬を撫で上げる。

 そして、屈み込んで耳元で囁いた。

 

「次に隠しごとを見つけたら……パパ、かずらのこと、齧りたくなっちまうかもなぁ?」

 

 目の下から竜の顔に変身して、鋭い杭のような牙を開いて見せる。

 

「……肝に、銘じておくね……」

 

 そう返事をするのが精一杯だった。

 あと少し、あと少しだけパパの指が奥深くまで綿を(まさぐ)っていたら、あたしはパパの夜食になっていたと思う。

 彼が自室に戻っていった後、あたしはグレートカズーラ十三世を抱き締めて、震えながら夜を過ごした。

 恐怖を与えるのは、やっぱり絶対的な強さなんだ……。早く、早くかずみお姉ちゃんを手に入れないと……。

 あたしは―—あきら(パパ)を超えられない。

 




邪竜同士は慣れ合いません。
それが彼らの在り方なのです。

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