とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

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二日目の徒労と、三日目の枢機な出会い

データの波が押し寄せ、それを本名不詳(コードエラー)が処理をする。地上最高の頭脳は一気に演算を駆使して答えを導き出す。樹形図の設計者に遠く及ばない人間の脳。それでも彼女は極力アレには頼らない。便利に頼っていると、いざと言う時に自分の身動きが出来なくなるのを痛いほど知っているからだ。

 

しかし、そこらの科学者はずっと頼りきって導き出された結果だけで満足するものも多い。本名不詳にしてみれば少しは自分で考えろと怒鳴ってやりたいくらいだ。本当に科学者の端くれなのか、とも思ってしまう。

 

「ッあぁ………、目が痛い……。うぅ」

 

長時間、椅子に座っていたのが響いた。立ち上がっただけで骨が音を立てる。

 

悲鳴を上げる身体に本名不詳は、歳を取ったなぁ、と一人ごちった。昔は二日くらい不眠不休で研究していても、例え同じ体制であってもこうも早く体が限界に到達しなかったのだが。時の流れとは偉大で、とてつもなく残酷なのだとを思い知った。

 

「出来れば永遠に知りたくも無かったけど……」

 

節々の痛みに思わず涙が出る。その中には老化の悲しみも混じっていた。

 

軽く体をほぐし、血流をよくすると彼女は徹夜で仕上げた研究成果をファイリングする。

 

見やすいように順を考え、一つ一つを繋がるように綴じる。4次元の方程式から始まり、宇宙にまで広がった論文はファイル三つ分。紙の重さを感じながら本名不詳は棚にしまっていく。今ではパソコンの中に文章が保存できるが、未だに紙は健在だ。いつかは紙も無くなると誰かが言っていたが、当てにならない。

 

実際、紙は便利だ。

 

重たくなければ。

 

一通り作業を終えると本名不詳は時計を確認する。時間は午前4時半。ゲームが開始して二日目だ。

 

刻限はあと三日。昨日、上条に電話をしたあと麦野の携帯は電源を落とした。これで発進先は見つからないだろう。携帯会社のパソコンにはもう細工した事もあり、足が付くことはない。

 

控え目な薄紅色の端末を指でなぞる。薄型のそれは本当に真新しく飾りもない。

 

「いつ返そうか?」

 

そんな事を悩みながら本名不詳は原子崩しがいる部屋に向かった。

 

窓のない廊下を歩きながら天井を見上げる。規則正しい間隔を置きに蛍光灯が並べられ、適度な明るさが差す。あまりの何も無さに、本名不祥はため息をついた。

 

まるで自分の心だと、そう思った。何もない、何も存在しない世界。誰一人として自分を見てくれない。路傍の花もいいところだ。

 

「花って言うよりは雑草かな」

 

嘲笑する。改めて思うと花と言う程でもない。

 

廊下を右に曲がり、扉の上にあるプレートが剥がれた部屋に入る。中では原子崩しが静かに寝ていた。

 

本名不祥はキッチンに行きマグカップにインスタントコーヒーの粉末を入れる。ポットに入っていたお湯をマグカップに注ぎよく混ぜる。途端に芳醇な香りがキッチンに立ち込めた。

 

更にお湯をつぎたしそこでのんびりとコーヒーを飲む。インスタントもだいぶ豆の味に近づいたと思う。苦く、馥郁たる香りは本名不詳の倦怠感と眠気を吹き飛ばした。

 

ゆっくりと嚥下させ、時間を掛けて飲み終えるとマグカップを直ぐに洗った。食器籠に置いておく。

 

匂いが残らないように換気して、漸く本名不詳は椅子に座った。

 

こうして何者にも追われる事のない時間に、原子崩しの姿が浮かぶ。ずっと彼女を見て来た。知らない所で、気付かれないように。

 

最初に彼女を知って観察した感想は、“プライドが一人歩きしたような奴”だった。ついでに我が儘でもある。ファーストインパクトはよろしくなかったのだ。

 

絵に描いたような綺麗な顔立ちをしていた割には、これまた絵に描いたように高飛車で、どこの女王様かと思ったほど。

 

しかし日を追う毎に見えてきたのは、とても不器用で弱さを認められない“心の弱い”姿。虚勢ではないが、いつも張り詰めて溜め込んでは泣き出せない小さな背中が、本名不祥の目蓋の裏に焦げ付いて忘れさせてくれない。

 

誰かに似ている気がするが、一体誰だったか? 泡沫のように淡く脆い思考に浸かる。どんなに考えても答えが出てくることはなかった。そして今回も。

 

費やした時間は無駄になる。しかし考えを止めようと言う考えは、いつまで経っても出ては来なかった。

 

蜘蛛の巣のように思考の幅が広がり、今の彼女について考え始めていた。能力開発に携わって順調に0次元を解析し、光明が見えているが、このままでは必ず彼女は行き詰まる。

 

だからこんな下らないゲームを催したのだ。潰そうと思うならもう『アイテム』なんて消えている。しかしそれでは駄目なのだ。本名不詳が原子崩しと麦野沈利に求めているもの、その成就には『アイテム』並びに上条当麻の存在が必要不可欠になるはず。それで駄目なら『アイテム』なんて文字通り使い捨ての道具(アイテム)にすぎない。

 

「まったく、これも全て上条当麻が原子崩しを壊すからだ。時間が必要になる。一度スケジュールの変更を余儀なくされるな、アイツら次第になるだろうし、どうしようか?」

 

別に時間内見つけなくてもいい。そして見つけてもいい。

 

やることは変わらないのだから。見つけ出せないのなら、それまでだ。期待はずれな集団。その程度。

 

「裏を返せば、見つけてくれる事を期待しているだよねぇ。手は抜かないけど」

 

小さく笑うと本名不祥はキッチンから出て行った。

 

原子崩しが寝ている部屋は広く、寝室としても機能しながら私室でもある。元は別の人物がここを使っていた。本名不詳にはとても懐かしい人物になる。

 

椅子に座り携帯のアルバムを開く。

 

本名不詳がまだ名前を持っていた時代。研究者として初めてできた後輩と二人で撮った写真を眺める。昔の記憶が蘇るが、だいぶ色褪せて所々虫食い状態だった。

 

でも出会いはよく覚えている。あの木原幻生が才能を評価し、自分が認めた人物。

 

「木山、君は今どこにいるの?」

 

 

何をしている? 袂を分けてから一度も顔を見ていない。名前は度々聞くけど……

 

 

不意に物悲しさがこみ上げた。唯一友と言えた彼女はとある事件以来、噂でしか近況を知れない。本名不詳はどこまで行っても学会には出れなのだ。

 

なにより合わせる顔がない。

 

乾いた笑いが零れた。椅子の背に体重を預けるとギシッと軋む。心も一緒に悲鳴を上げた気がした。

 

「あぁ、唯一人間でいられる感情が、消えてくよ」

 

摺り潰されて、粉々になってしまった感情。いつの間にか人とは思えない実験をして、未知の発見だけに意義を費やした今まで。

 

これでは、人殺しに意義を見出した原子崩しと同じじゃないか。その答えに至った瞬間、電撃が走ったように疑問が吹き飛んだ。ふつふつと脳細胞が活性化して、目の前の景色が移ろい、過去の情景が蘇る。とても鮮明に見えた。

 

麦野は昔の自分に少し似ている。全てではないが、本来なら抜け出せた闇から抜け出せずもがいて、でも諦めた姿が。

 

そして天啓といえる人物に出会い変わった。そのことに麦野は迷った。罪悪感が彼女を掴んでは離さない。しかし本名不詳はさらなる闇に浸かると分かっていながら、人としての終わりの道へ突き進んだ。罪の概念を捨て去る為に。

 

この時点で麦野と本名不詳の間には天地の差ができた。

 

その差がどんな結果を招くのかを考えながら本名不詳は微睡んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの穏やかな寝息が聞こえ原子崩しは目を覚ました。

 

重たい体を起こし、テーブルの方を見ると本名不詳が頬杖をついて器用に寝ていた。

 

「………」

 

ゆっくりと覚醒すると、立ち上がり原子崩しはその隣に座る。本名不詳の垂れ下がった冷たい手を包むと膝の上に置いた。その寝顔を見てとある事に気が付いた。

 

「眼鏡かけたまま寝てるんじゃないわよ」

 

彼女は眼鏡をしていた。初めて見た一面に興味深く見つめるが、人の寝顔を凝視すると、どうも複雑な心境になるので視線を自分の手にもっていく。

 

無音の世界。全てが緩やかに過ぎていく。穏やかで心地いい。

 

昨日感じた言いようのない不安は静まったがどうにも本名不詳を見ていると胸騒ぎがする。信用するなと、囁かれている気がしてならない。

 

死体のように動かない本名不詳を険しい眼差しで睨んでいると、赤い口元がニヤッと笑った。

 

「そう見つめられるのも困るな」

 

「ッ!?」

 

思わず肩が跳ねた原子崩しを見て本名不詳は目元と口元だけで微笑むと、時間を見た。

 

「8時か、おはよう。よく眠れた?」

 

「たぶんね」

 

「曖昧だな。なにかあったの?」

 

「夢、かしら? 誰かに会った気がして、それから覚えてない」

 

「へぇ。そうなんだ誰なんだろうねぇ」

 

なぜか原子崩しは直感で本名不詳は自分が誰に会ったかを知っていると思った。

 

気になり尋ねようとしたら、いきなり立ち上がりキッチンに向かう。

 

「朝ご飯まだでしょう。待ってて」

 

「……えぇ」

 

本当にそう思ったのか、それとも質問から逃げようとしたのか原子崩しには分からなかった。

 

キッチンに入って本名不詳は備えられた冷蔵庫を開く。中には少な目に食材が置いてあった。たった五日。もしかするとそれ以下だ。あまり多く詰め込む気にもなれないし、五日間も肉や魚の生物(なまもの)を保存するのも躊躇われたからだ。

 

諸事情の外出とは日用雑貨や食品調達の為に出掛ける事だったりする。基本、本名不詳は呼び出して来てもらう。外を歩く時は護衛が必要になる身分だが、気ままで気紛れな彼女はそんな堅苦しい者を連れる事をしない。

 

おかげで上から説教をくらった事も気にしない。木原一族最高責任者と理事会長以外自分に手出し出来ないのをよく知っているからだ。

 

しかしその二人を敵に回したらどんな者でも本名不詳の敵になってしまう。非道な研究をしていた事が伏せられても、いわれのない罪状が突き付けられるだろう。もしくは、暗殺。

 

なので本名不詳は意外にこの地位を針の筵だと思った。幅は利いても、命令には絶対に逆らえないのだから。

 

「ネガティブだ……」

 

久しぶりに昔、友だった彼女を思い出し人並みの生活があった時代を想っていたら、今の自分がどれほど外道かよく分かる。それを進んで突き進んだと言うのに。

 

 

まったく、昔を想うのは嫌になる。

 

 

投げ捨てた感情とか人の心が蘇るからだ。

 

それはこうして自分で料理すると、同じ様に大学時代を思い出す。自炊していた時でもあったからだ。

 

味噌汁を完成させると、次にグリルの中の鮭をひっくり返した。

 

「さて、持って行くか」

 

ご飯を茶碗に盛り、二人分運ぶ。原子崩しが此方に向かってきて受け取ると、本名不詳は素早くキッチンに戻る。鮭を取り出し皿に乗せ、味噌汁を注ぎ、おひたしを盆に乗せていく。

 

すると、人の気配を感じ顔だけ振り向くと原子崩しが本名不祥の背後から盆を覗き込み一言呟いた。

 

「鮭」

 

思わず苦笑する。

 

「君、本当に好きだねぇ。なんから私のあげようか?」

 

「いいの? 返せと言われても絶対に返さないわよ?」

 

「鮭にこだわるほど好きでも飢えてもいないからねぇ。あげるよ、ほら運んで」

 

無邪気に笑い、喜ぶ原子崩し。その背を見送り、本名不詳は曇天のように暗く重たい表情をした。

 

「あれだけ、普通の子なのにねぇ。…………はぁ、まったく本当に」

 

―――昔なんて思い出すもんじゃない。

 

 

棄てたものを未練がましく思っているのはまだまだ甘い証拠だ。本名不詳は自分に洗脳や催眠術をかけたくなった。

 

箸とコップ、それから冷蔵庫にあるペットボトルを取り出し、部屋に向う。

 

向かい合うように配膳されており、本名不詳は椅子に座った。原子崩しに箸を渡し手を合わせる。

 

「食べようか」

 

「いただきます」

 

それからは静かな食事風景だった。

 

本名不詳は夢中で鮭を頬張る原子崩しを見て、今度はどんな鮭料理を作るか悩んだ。主に和食くらいしか作れないのでバリエーションは広くない。

 

「………どうしようか晩御飯」

 

この歳になって料理の本を買うことになるとは、彼女は知らない。

 

朝食を終えてのんびり過ごす原子崩しに本名不詳は紙袋を差し出した。

 

「はい、洋服。君の趣味に合うか分かんないけど」

 

「え? うん。それじゃ、着替えてみるわ」

 

「私は機械の調整してくるから」

 

それだけ告げると本名不祥は研究所を徘徊しに出掛けた。

 

原子崩しは早速、大きな紙袋を開き中に詰められた洋服を引っ張り出した。

 

レギンスにワンピース、カジュアルな服の一式。下に行くにつれて幅が細くなっていくジーパン、その他。女性が好みそうな物が取り揃えられていた。

 

そして最後に

 

「いや、まぁ必要だけど……なんか複雑…」

 

肩紐を掴み上下セットのランジェリーを見て原子崩しはなんとも言えない表情をする。

 

必要なのは必要なのだが、服もこれも本来なら自分で買いに行くにものだ。頭で理解しても心がついてこない。

 

しかし背に腹は代えられないのも事実。原子崩しはレギンスとワンピースのセットを掴み脱衣場に向かう。ついでにシャワーでも浴びようと原子崩しは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原子崩しがなんとも言えない葛藤をしている頃、本名不祥は麦野沈利及び原子崩しのデータを統計していた。精神面から行動パターン。演算の癖など事細かに記されては、纏められ結論を出す。

 

その結果分かった事は、自我の一部を閉ざした原子崩しは、主人格になれるほど強いものでもないという事だ。ならば、なぜ麦野沈利が表に出て来れないのか。

 

もちろん、そのことについては本名不詳は理解していた。計算式も可能性の考慮もなしに彼女には分かりきっていた事だ。

 

「麦野さんを呼び出すには上条くん達を危険に巻き込むのが手っ取り早いけど、矢面に出れないから誘い込むしかないんだよねぇ。来なかったら独自で引きずり出すしかないけど……したらこっちが危険だし。………本当に面倒なことしてくれたなぁ」

 

本領の原子崩しが使えなくなってから帳尻合わせが難しい。精神を弱体化することでなんとか原子崩しの安定を図っているが、どうにも上手くいかないのだ。出来るなら、上条達と出会う前に原子崩しの人格を修復したいのだが本名不詳の本音である。

 

机に倒れ込むと疲労が蓄積していた事を体が思い出し、強烈な眠気に襲われた。目を瞬かせ、夢の世界に落ちるのを食い止める。懐から錠剤の入ったケースを取り出し、五つほど一気に噛み砕く。

 

突き抜けるような酸っぱい味に眠気が遠ざかる。顔をしかめ耐えると目尻から涙が一筋零れた。やはり五つは多く、強力な眠気覚ましの味に悶絶する。

 

時間をかけて味が消えていくのを待つ。次第に刺激的な酸味が抜け、本名不詳は立ち上がった。

 

「ちゃんと使用法を守らないとなぁ。死ぬかと思った………。さて、実験も進めないとな」

 

やることは山積みだ。何せこうして麦野や原子崩しの精神状況に、0次元の開発と統計。

 

そうして本名不詳の一日は瞬く間に消えていく。

 

上条たちと同じように一分一秒が惜しいのだ。何気に、彼女のほうが忙しいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

上条が三日目の朝を迎えた。

 

初日で情報処理をして、二日目の昨日はめぼしい全施設を回ったが麦野は見つからなかった。徹夜で頑張った絹旗の努力は儚く散る。

 

なので今日の午前は作戦会議になっていた。悠長な事だと思われるが、運試しの当てずっぽうよりは随分マシだ。

 

時間は7時。

 

朝にしては少し遅いが昨日必死に走り回った事を考えると勘弁してほしい。ついでに学校はサボリになる。小萌先生からなんと言われるか不安だが、上条は今は考えないように努めた。麦野が心配だ。

 

最後に彼女を見た責任感が胸の内を重たくする。

 

リビングのソファーから体を起こし、深く座り込み長く息を吐いた。立ち上がって部屋を見渡す。だいぶ見慣れたこの景色。本当ならそこに麦野も居なければいけない。

 

たぶんそれを一番に感じているのは『アイテム』だろう。フレンダなんて本名不詳の情報収集のためにこの隠れ家には帰ってきていない。

 

その事について、絹旗や滝壺は特に心配していなかった。どこか別の隠れ家にいるらしい。

 

眠気とだるさが抜けた上条はキッチンに向かい冷蔵庫を開ける。中にあった食材を見て朝食は炒飯に決定した。

 

「ん、おはようかみじょう」

 

「おはよう滝壺。絹旗はどうした?」

 

次に起きてきた滝壺はまだ眠たそうにしていた。

 

「まだ寝てる。朝ご飯なに?」

 

「炒飯にするつもりなんだけど」

 

「うん、分かった。フライパンは適当に使っていいから」

 

それだけ告げると滝壺は絹旗を起にいった。

 

見送った上条は気合いを入れるように包丁を手に取った。

 

「よっし!頑張るか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フレンダは『アイテム』メンバー、上条と別行動をして三日目の時を過ごしていた。

 

この二日間はずっと昔、本名不詳(コードエラー)が勤めていた研究所の研究者リストを盗み出していた彼女は、漸くまともな資料を手に入れた。

 

本名不詳の本名『木原神無』(きはらかんな)

 

木原の分家として生まれたが、科学者としての才能に恵まれ木原幻生の養子となる。その後は数々の理論を生み出し、表彰された。

能力開発を受け、LEVEL2。

 

しかし、二十四歳で死去。

 

「二十四で死去って有り得ない訳よ。何があったか知らないけど。むむむぅ、誰かに詳しい話しとか聞けないかな?」

 

本名不詳の情報をファイルに入れる。それをバックにしまうと、コンビニの袋からパンを出し包装を取った。

 

それはちょっとした悲劇が起きる五秒前。

 

「カミやんのやつ学校に来ないにゃー」

 

「なにしとんのやろ?」

 

パンの包装をコンビニ袋にしまうフレンダの後ろから、青い髪をした青年と金髪にサングラスをした目立つ容姿をした青年が歩いてきていた。

 

「まさか朝までコース堪能中! とか」

 

「ツッチー、どういうことやッ!!」

 

「おっと、危ないッ!」

 

「いただきま、フギャ!?」

 

後ろからの衝撃でフレンダのパンは宙を舞い。一口も食べていないそれは地面に落ち、嘆く前に清掃ロボットがゴミとして回収した。

 

「あああああッ!! 私の朝ご飯がぁぁ……」

 

「すまなかった、よく前を見るべきだったぜよ」

 

「女の子泣かしたらアカンよツッチー」

 

「そう思うなら買って返せ!」

 

フレンダは自分より遥かに高い土御門を睨みつける。だが土御門や青ピからしてみたら、必死なフレンダの姿は子猫が爪を立てている程度で逆に和んだ。

 

「そうか、なにが欲しいんだい? お兄さん買ってあげるぜい」

 

「……なんか馬鹿にされてる訳よ。なら、あの二千円のホットドック買って!」

 

土御門は驚愕の値段に目を疑った。しかし、二千円と看板に書かれている。

 

「え? ホットドック二千円。おい青ピ、金を!」

 

「またなぁッ! ツッチー!!」

 

「逃げんなぁぁぁッ!!」

 

「アンタは待つ訳よ!」

 

凄い速さで遠ざかる青色を追い掛けようとした土御門をフレンダは掴むと、土御門は観念したようにため息をついた。

 

「でも流石に高いからそこのオープンカフェじゃ駄目かにゃー?」

 

「まぁいいか。朝ご飯が食べれるなら」

 

フレンダは土御門の手を引きながらオープンカフェに入っていく。そして白いチェアに座るとメニューを開いた。

 

「なんにしようかな?」

 

「出来るだけ高いものは勘弁してくれ。貧乏なんでな」

 

彼は財布をフレンダに渡し同じようにメニューを見る。

 

フレンダは渡された財布の中身を確認した。三千円とちょっと入った財布は軽くフレンダは罪悪感にかられ、なるだけ安い朝の割引メニューに決めると、ボタンを押す。

 

「決まったか?」

 

「出なきゃ押さない訳よ。えっと短い間だけどフレンダって言うのよろしくね」

 

「自己紹介がまだったな。俺は土御門、よろしく。――――『アイテム』も大変だな?」

 

「なッ!?」

 

空気が一転し、フレンダの意識は外界とは別離され、すべて土御門に注がれた。飛び上がらなかった事を誉めてほしいが、打つ手がない事に歯噛みする。嫌な汗が滲む手で隠し持っていた煙幕弾に触れたが、

 

「ご注文はなんでしょうか?」

 

「あぁ、モーニングコーヒーと朝のランチセットで」

 

「かしこまりました。では確認ですが、モーニングコーヒーがお一つ、朝のランチセットがお一つでよろしいでしょうか?」

 

「それでお願いします」

 

去り行く店員にフレンダは内心毒づくと土御門をさっきの比ではないくらい睨み、声を潜めた。

 

「アンタ何者?」

 

「さぁな? 無駄な行動は止めとけ。俺が知りたいのは本名不詳についてだ。その資料を見たいだけなんだが」

 

「信じると思う?」

 

「いや、まったく」

 

口元に笑みを浮かべ土御門は辺りを見渡した。

 

「しかし人がたくさん居ると攻撃出来ないのは辛いよな?だから穏便に済ませようぜ」

 

「無理ね、こっちは攻撃出来ないけど逃げるくらいなら何とかなるし。結局、穏便に済ませるなら、お互いなにも無かった事にするのが一番な訳よ」

 

「確かにな。だがこっちも仕事で本名不祥にもしかしたら死んでもらわないといけない。………っと朝飯来たぜい」

 

土御門の言うとおりウエートレスが注目したものをトレーに乗せてやってきた。テーブルの上に置くと足早に去っていく。

 

「こんな事ならもっと高いの頼めば良かった訳よ」

 

「すまんぜよ。まぁしかし安いの選んでくれたんだ。コーヒー飲んだら俺は行くぜ」

 

その言葉にフレンダは目を見開いた。

 

「見逃すの?」

 

「そうなるな。出来れば本名不詳をどうにかしたかったが、呼び出しが掛かっちまった」

 

携帯を取り出しメールを読み進める土御門をフレンダは疑惑の眼差しで見詰める。

 

「本当に? イマイチ信じられない訳よ」

 

刺さる威圧感を全く意に介さず土御門は一気にコーヒーを飲むとフレンダに手を突き出した。

 

「金は払っといてやるから財布返せ」

 

「払わなかったら絶対殺すから」

 

「はいはい。そんじゃまたなフレンダ」

 

「もう二度と会うかッ!」

 

罵声を受け土御門はレジでお金を払うと、店を出て横断歩道を渡り自然な動作で裏路地に入って行く。そこから幾つも建ち並ぶ無人のビルの内、一番小さいビルの中へ入るとひんやりとした空気が土御門の頬を撫でる。

 

薄暗い部屋にいきなり光が灯り、全体を照らす。吹き抜け構造の大きな空間は二階が僅かに見えた。

 

そして黒く艶のある髪を高い位置で結った女が二階の手すりを背もたれにしているのが見え、土御門は奥歯を噛み締めた。目的の人物からメールが来て、罠だと思いながら来てみれば彼女は一人で何やら携帯を弄っている。

 

そして本名不詳は振り向く事なく土御門に話し掛けた。

 

「初めまして、土御門君。あまり周りをうろちょろされると面倒だから来てやったよ。そして、どうして君が私『本名不詳』を知っているんだい?」

 

高圧的で上から目線の物言いに土御門は鼻を鳴らした。

 

「来てやった、か。随分余裕だな。それに別に俺がお前を知っていても可笑しくはないだろう」

 

飄々と会話をする二人だったが、土御門の声音がすっと威圧を増す。

 

「お前も気になるが、今は0次元の極点の方だ。アレは完成したわけじゃないよな?」

 

「あぁ、もうだいふ完成に近づいた。宇宙全域はまだだが、太陽系くらいは楽々の範囲かな」

 

「なるほど……麦野沈利含めて、貴様を殺さなくてはならなくなった訳だ」

 

決して穏やかとは言えなかったが、ゆるやかな空気が殺気の影響で更に冷たく感じた。

 

“背を刺すような殺気”に本名不詳は赤い唇を毒々しく歪めて、初めて土御門を視界に入れた。携帯を白衣に仕舞い眼鏡を外す。

 

獲物を目の前にした蛇のような瞳で土御門を観察する本名不祥は腰のベルトから長さ10センチ程度の筒状の物を取り出すと、末端を掴み勢いよく振った。

 

シャッと音を鳴らし伸びたそれは棍棒のような武器に様変わりした。

 

銀色に鈍く底光りする棒を肩に担ぐようにした本名不詳は土御門を見下す。

 

「殺すのは、なんの為だい? 『魔術側』の不利になるからなのぉ?」

 

「人が持つには大きすぎる力だ。科学者ならそれがよく分かるだろう!」

 

確かに、もし会得してしまえば宇宙さえも、掌中に収めてしまう能力は神としか言いようがない。そんなものを人が持つとどうなるか、危惧しない方がおかしいだろう。

 

だが本名不詳は土御門の危惧を盛大に笑い飛ばした。

 

「アッハハハハ!! こいつと来たらぁ、面白いこと言うわねぇッ!? っんな事が恐くて“学園都市の科学者”やってられないわよぉ。禁忌だからこそ紐解く人種が“科学者”でしょうに。私が死んでもこの研究は止まらないけどぉ、どーする?」

 

「全く、木原の科学者はこんな奴らばかりだな。いつかとんでもない事になるぞ」

 

「上等ぉ! 邪魔するなら丸呑みにしてやるよ。土御門君は私の邪魔をするの?」

 

本名不詳の問に土御門は不敵に笑った。

 

「残念だが、敵だ!!」

 

「いいねぇ、潰しがいがありそうだ。でも、無謀だって教えてあげる!!」

 

本名不詳が吠えた瞬間、風が彼女を包んで飛翔させる。

 

「ほぉ、『風力使い』だったのか」

 

「さぁね。汎用性が利く能力だってのは確かだけどッ!」

 

一直線に土御門に突進した本名不詳。だが土御門には持ち前の瞬発力により躱われ、床すれすれを疾風のように滑ったが風を操り停止する。

 

手の内が見えない者同士、相手を観察するように構えた。

 

「もっと凄い能力らしいが、なんなんだ」

 

「知りたいなら自力で探しなさいよ。『肉体再生(オートリバース)』LEVEL0じゃ使えない能力だよね。土御門君の本気見たかったが、仕方ない」

 

何気なく語る本名不詳に土御門は拳銃を向けた。彼女は土御門の立場や弱点になりえる者を知っている。能力程度、調べるなら書庫にハッキングでも権限を使えばいい。

 

しかし魔術師が超能力を得るのと引き換えに、魔術を使うとどうなるかを知っているあたり、徹底的に調べ上げられている。

 

本名不詳がもし血も涙もない人格の持ち主なら、土御門はここで本名不詳を伐たねばならない。そうしなければ――――

 

「やはり、貴様は危険だ」

 

「知ってるよ。だから死んだ者とされ、惨めに生かされてるんだからさぁ」

 

「ならここで死ね」

 

無慈悲に拳銃から弾が飛び出した。しかし本名不詳に当たる事なく見当違いな所にぶつかり火花を散らす。土御門は当たらなかった事には特に驚かず、また躊躇なく撃った。

 

結果は同じ。

 

だが土御門はタネが分かったように不貞不貞しく笑う。

 

「空中の光をねじ曲げ、物体の実際の位置と見える位置がズレているみたいだな」

 

「当たりだよ。で、打開策は?」

 

「全部ぶっ飛ばせば当たるだろ?」

 

「それも一つの手段だが、不可能だよ。ぶっ飛ばすなら土御門君は魔術を使わないと。まさかとは思うけど………」

 

怪訝そうに眉を寄せた本名不詳の疑問に土御門は答える。

 

「その、まさかと言ったら?」

 

「……見てみたいが、困った。今死ぬのは嫌だしねぇ、それに一種のギャンブルに賭ける気なの?」

 

「アンタの手札が見えないんだ、賭けないどうする。俺が見た能力は二つもあった。多重能力(デュアルスキル)とか言わないよな?」

 

「あぁ、言わない言わない。ちゃんと一個の能力だよ。……しかし何気ない会話から引き出したり、話術が上手かったりするね土御門君。何やら似た者同士だったりする?」

 

「ふん、それは勘弁。似たくもない。だが、きっと同じ穴の住人だ。つまりアンタは―――」

 

「そうなると土御門君も―――」

 

確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「―――嘘つきだ」

 

声が重なる。

 

互いに残忍に微笑む。

 

「ははは!! まだまだ若いのにコッチに来ていいの?」

 

「自分を偽る事が出来ないと多角スパイは出来ないんだぜい」

 

「そうだね。ふぅん、でも大切な人がいて良かったねぇ。守る為に戦うなら怖くないけど、置き去りにしてしまうから、死ぬのって怖いよね。そう思う人かな君は?」

 

「どうだろうな」

 

曖昧に返す土御門に満足したように頷いた本名不詳は、左に付けた腕時計を確認した。

 

「さて、帰るか。上から殺すなと来てるし傷つけられないし。それに、もっと手の内揃えてからおいで。拳銃一丁だと心許ないしだろう? いや、そう仕向けたのは私だけどねぇ」

 

「つくづく喰えない奴だな」

 

困ったように本名不詳は肩を竦めた。

 

「いやいや、美味しく頂かれても大変だ。この辺は年の功ってやつさ。土御門君も長生きすると喰えない円熟味のある人間になれるよ」

 

のほほんとして間延びした締まりのない声と態度の彼女に土御門は違和感を覚えた。

 

まるで人格をとっかえひっかえしているように感じるのだ。

 

「駄目もとで聞くが、キャラが違うぞ。能力と関係するのか?」

 

「そうだねぇ、大ありかな。いやぁ、なんと言うか困るんだよねこれはさ。色々難儀なのよぉ。ではさよなら、あまり私にちょっかいかけないでねぇ、殺さないといけなくなる」

 

最後の一言に土御門は頭から冷水を浴びせられたように全身が身震いした。

 

その時には本名不詳は空間移動(テレポート)したのか姿を消していたのが幸いだった。

 

そして長く息を吐いて天井を見上げる。

 

「全く本当に嘘つきな奴だ。殺す気満々じゃないか」

 

天井にはこの寒気の原因がぶら下がっていた。

 

巨大な氷柱が隙間を惜しむように敷き詰められ、大きさからして能力による物だと伺える。本名不祥の意のままにアレが落下していたならこの空間で仕込むのも無理に等しい。

 

つまり土御門は見逃されたのだ。指一つで消されたかも知れない事実。途中で気がついたが、気づかなければ死んだだろう。

 

光を歪めているのではなく、空中に漂う水の分子を凍らせ、鏡をつくり上手く光を屈折させあたかも“そこに居るように錯覚させる”事に気が付いて漸く氷柱の存在を知った。

 

そして土御門が逃げる計算をしている事にいち早く気付いた本名不詳は、自分から逃げるフリをして屈辱的敗北を土御門に与えた。

 

「確かに殺すなら準備しておいた方がよさそうだ」

 

侮っていた訳ではないが、負けた。その事実が策略的にも戦術のセンスでも彼女が上である事を意味する。

 

悔しそうに舌打ちすると土御門は冷たい世界から外の世界へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……困ったな」

 

「うん、私も困った訳よ。とりあえず近くに何があったか思い出せない?」

 

「あぁ、近くに大きな公園があった」

 

「公園、か。地図で調べるね。えっと、木山春生さんでいいんだよね?」

 

フレンダより長身の彼女、木山春生は頷いた。

 

「あぁ、よろしくフレンダさん」

 

「年上から“さん”はこそばいからフレンダでお願いする訳よ」

 

「そうか、次からはそう呼ばせてもらうよ」

 

所々跳ねた茶色い髪を靡かせ木山は当たりを見渡す。

 

「さて、駐車場はどこだ?」

 

「普通、停めた駐車場を忘れないっての」

 

「この間、そんな事言われたよ君より少し年上の子にね。次会う時は車を無くしてないない状態と約束したのだが、先行き不安だな」

 

「しょっちゅう無くしてさ迷ってんの?」

 

フレンダの呆れた表情に木山は本当に困ったように頬を掻いた。

 

「いや、今年初、車をなくして何故か立て続けだ」

 

「はぁ、今日は厄日って訳だ。それじゃ一番近い所から行ってみますか!」

 

「元気だな。若い証拠だ」

 

二人の奇妙な巡り合わせは一体なにを意味するのだろう――――

 

 

 

 

 


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