機動戦士ガンダム00AGE 【劇場版ガンダム00×ガンダムAGE(四世代目)】 作:山葵豆腐
この世界に明確な悪が存在したとしても、彼らはそれではないだろう。
彼らもまた、悪によって生きる場所を失った、いわば被害者なのだから。今起きている戦争は、被害者の被害者が、新たなる被害者を生み出す、無益なものであった。
黒人の男はアサルトライフルを手に取る。この二十年間、憎むべき相手の軍服を身にまとうという屈辱に耐えてきた。元火星移民者に対する差別をなんとかしようと、当時の連邦軍は彼が元ヴェイガンの軍人であっても、それなりの地位をくれた。もちろんそれは、彼が〝和平を受け入れた聡明な人間〟であり続けた結果だが。
彼とて最初は、元火星移民者に対する差別はいつかなくなると信じていた。しかし現実はドラマのように甘くはない。差別を取り除くには、やはり力が必要であった。地球種の差別主義者どもを黙らせるには、それしか方法がない。そう思わずにはいられないほどの、惨状であった。
「力が……力が必要なのだ、今のヴェイガンには」
この日のために生きていたといっても過言ではないだろう。偵察部隊の交戦報告も削除し、時間稼ぎを行なっている。格納庫や兵舎のそこかしこに、爆弾も仕掛けた。今日は、コロニー内でアカデミー主催の総合訓練プログラムが行われており、気を逸らすことにも成功している。あとは……。
「よし、きたな……軍服を着ろ。味方からの連絡を待て」
自販機の補充を行うためのトラックから、次々とみすぼらしい格好をした男たちが出てくる。十人ちょっとで、皆闘志を胸に秘めているような目つきをしていた。兵士としては十分すぎる者たちだ。
彼らは男に連邦軍の軍服を手渡されて、それを着込む。サイズが合っていない者もあったが、大体はしっくりきている。軍服の内側に、手榴弾やクレイモア、リモート式の爆弾を仕組む。
「……これが終わったら、酒を交わそう」
「そうだな。ちょうど息子も、酒が飲める歳になっているはずだ。連れてくるぜ」
大人たちは前にも後ろにも進めない。今、この瞬間を壊すことでしか、未来へと進めないのだ。進めたとしても、その先に待っているのは破滅のみ。
それを承知で武器を取らなければ、憎しみを押し殺して、何もかもを失った生活を続けなければならない。そうなってしまえば、平和という名の孤独で、頭が狂ってしまいそうになるのだ。
「もう、後戻りはできないな」
しかし、男は笑っていた。
生存、という微かな望みを胸に。
「ガンダムさえ手に入れれば、俺たちだってマトモに暮らせるかもしれないんだ……やってやる。地球で女房が待ってるんだ」
「そうさ。マトモに暮らすためにも、絶対に生きて帰ろう」
そう言っただけで、周りの男たちも静かに頷いてくれた。
少女―――アリサ・アスノは自らの方向音痴さを嘆いていた。
右に行っても左に行っても、同じ場所にたどり着いてしまう。磨き残しのある鉄の壁にもたれて、腕を組み、考え始める。一般兵向けのフリースペースらしき場所、ソファーもあり、自販機もあり……明らかに目的の場所ではなかった。
「これだから、地下世界は苦手なのよね……」
コックピットのサブモニターがイカれたらしく、予備のパーツのある第七格納庫へと向かわなければならなかったのに、何故か一般兵士向けのフリースペースにいる。トルディア軍事基地は敷地面積が小さいため、格納庫の一部が地下にあるという。サブモニターの予備パーツは精密機器なので、油臭い地上の格納庫に置いておくわけにもいかなかったのだろう。
アリサはもう一度、ポケットに入っている地図を取り出して、にらめっこする。
「えーっと、第七格納庫はここから……こういって……こう曲がって……んで……」
予備パーツぐらい用意しておけと、総合訓練プログラムの企画者に怒鳴りたいぐらいだ。とはいえ、サブモニターの情報制御パネルの故障など珍しいことで、仕方ないといえば仕方ない。原因は、セツナの神業的な操縦テクニックにあるのだろうな、とアリサは予想している。どこをどうやったら、情報制御パネルが黒煙を上げるのか、とも思ったが考えないことにした。
「……てか、私、反対方向に歩いていたのね」
おそらく、今回の事件は、MS総合技術学科七不思議の一つに入るであろう。
「あー……もう、最悪」
とはいえ歩くしかない。アリサはため息を一つ吐き出して、歩き出した。
その時、轟音が鳴り響いた。それも一つではない。地上からも地下からも。どこかで爆発が起こったのか、とアリサは振り返る。次の瞬間、アリサの視界を黒煙が支配した。近くでも爆発が起こったらしく、非常事態を知らせるアラートが基地内に轟く。
「え、なに!? え? えええッ!?」
MSの反応炉の整備手順を間違えて、基地内で爆発が起こったという事例はここ四十年で一度か二度あることだ。しかしながら、一度にMSが整備不良で爆発するなど、ありえない。となると、これは総合訓練プログラムの日を狙った、テロか。
すぐにそう思えるのは、最近になってヴェイガン残党やザラム・エウバの過激派によるテロが頻発しているからだ。さすがに軍事基地を対象にしたテロはあまりないが、それ以外のことが今の平和な世界では考えられなかった。
案の定、遠くの方から銃声が聞こえてきた。人の憎しみの声が聞こえる。人の死ぬ間際の断末魔が聞こえる。
―――タスケ……テ……。
―――イタイ、イタイ……。
アリサの脳裏に二年前の惨劇が蘇り、彼女は腰を抜かしてしまう。耳を塞いでも、それは脳に直接入り込んでくる。生身の人間が殺し合っているのだ。十八歳になった少女でも、それに恐怖を感じずにはいられない。
―――コロス、コロス。
黒煙の中、右も左も分からず、体を崩す。
「……いや……そんな……」
―――ワレラノヒガンノタメニモッ……ガァッ!
なにもかもがいきなりすぎた。三十秒前までは、自分の方向音痴さに嘆いていた。日常の中にいたはずだったのに。何かが起こるにしても、予兆というものがあるはずだ。コロニー周辺の宙域にいる偵察部隊はどうしたのか。報告は受けているはずだ。ならなぜ、避難警報が出なかったのか。
一昔前ならば、〝見えざる傘〟による奇襲攻撃だと納得できる。しかし今は、宇宙塵の規則性を解析することによって、見えざる傘を展開している敵の位置を割り出せる索敵システム【Artimes(アルティメス)】が正式採用されているのだ。どう考えてもおかしい。
だが、今のアリサには、それ以上の思考を回すことはできなかった。ただ脳内に土足で入り込んでくる断末魔の声を、必死に拒絶しようとしていた。
―――ウ、ウデガ……。
「入ってこないで……入ってこないで……もう、私に聞かせないで!」
コックピット内で肉ミンチになったヴェイガンの残党兵。手が、足が、内蔵が……歪んでいた。全てをアリサの脳は記憶しており、それらがフラッシュバックしてくる。
―――カアサン……。
頭が痛む。それは精神的なものもあるが、過敏になりすぎた神経が能力を暴走させている証拠である。普段は理性によってコントロールできている、アリサのXラウンダー能力だが、人々の断末魔がフィルターを通さずに入ってきたことで、それを必死に拒絶しようとして、操りきれなくなった能力が反発する形で暴走しているのだ。
―――シニタクナイ……。
拒絶すればするほど、能力は増幅されていく。受け入れればいい話だが、アリサの場合、そのことで過去の記憶がフラッシュバックしてしまう。その恐怖こそが、根源にあった。
「はぁッ……はぁッ……頼むから、これ以上入ってこないでぇええぇッ!」
―――ヒトゴロシ……。
黒煙の中から、顔面が裂け、内蔵が飛び出した兵士が歩み寄ってくる。それも複数……アリサに、その血まみれの腕を伸ばしてきた。
「嫌……嫌……来ないで! 来ないでッ!」
「おい、大丈夫か!?」
その声で、アリサは正気に戻った。黒煙の中から出てきたゾンビ兵たちは幻覚で、本当は一人の男であったのだ。男は地面に崩れ落ちているアリサを起こして、瞳をまっすぐ見つめた。
「しっかりしろ! 死にたいのかッ!」
「あ……あ…………」
男は連邦の軍服を着ていた。オレンジ色の短髪に、筋肉質な体型。彫が深い顔立ちから、三十代かそこらに見える。右手には拳銃を持っており、銃口からは硝煙の臭いがした。それは間違いなく人を撃っていたものであり、生身の撃ち合いを経験したことのないアリサにとって、恐怖せずにはいられないものであった。
遠くのほうからは銃声がしなくなったが、それはすなわち、どちらかが殲滅を完了したということであり……。
「くそッ! 奴らか!?」
また銃声がした。今度は、アリサと男のほうに向かってきている。明確な殺意であった。
「逃げるぞ! ぼさっとするな、本当に死ぬぞ!」
「え、は、はい!」
弾丸が撃ち込まれてくる。黒煙の向こうにテロリストがいて、迫ってくるのがわかった。アリサは男に手を引かれながら、殺意にまみれた地下基地内を逃げ回る。エレベーターのドアの前にくると、男はボタンを殴るように押した。降りて時間を稼ごうというのか。
「上はどうなっているか分からないが、今の俺には〝下に行かなくちゃならない理由〟があるんだ」
「理由……」
「かといって、ここで君を置いていくわけにもいかない。少し付き合ってもらうぞ!」
男は拳銃を構えて、エレベーターから少し離れる。エレベーターは降りてくるが、それまでまだ時間がかかりそうだった。
「くそ、きやがった!」
銃口が轟く。男は向い角から飛び出してきたテロリストに発砲。人の死ぬ間際の声が、アリサの脳に入り込んでくる。拒絶したくなるが、今はそのような場合ではなかった。アリサは自分に殺意が向けられていることに怯えているのだ。
殺さなければ、殺される。それが本物の戦場であり、殺さないという第三の選択肢を持っているのは、ごく一部の人間だけだ。少なくとも今のアリサには、そのような選択肢はない。
「君、アカデミーの訓練生だろ、使い方は分かるはずだ」
渡された拳銃は重たかった。BB弾が吐き出されるだけのモデルガンではない、正真正銘の〝凶器〟であった。
「……できません」
「持っておけ。いざというときに使えばいいさ」
そのいざという時にトリガーを引く覚悟があるかどうか、は怪しかったが。少なくともアリサは一度、その〝トリガー〟を引いている。だから今回も―――。
「さすがに、多勢に無勢はきついか」
「きました!」
アリサは到着したエレベーターを指差して叫んだ。二人は吸い込まれるようにエレベーターに乗り込む。敵が入ってこないように。男はすぐに〝閉まる〟のボタンを殴りつけた。エレベーターのドアは締まり、遠くの方で鳴り響く銃声が徐々に小さくなっていく。
「ふぅ……これで、しばらくは大丈夫だな」
男は壁にもたれかかり、アサルトライフルを降ろした。ポケットから携帯端末を取り出して操作するが、五秒後、舌打ちとともにそれは戻された。
「……ッ! もう本部とは繋がらない……か。やはり、こちらで〝あれ〟を確保するしか―――」
「何が……起きたんですか?」
学園生活では滅多に見せない、弱々しい表情でアリサは尋ねた。
「ヴェイガン残党によるテロだよ。連邦の軍服を着て偽装したヴェイガン残党兵たちが、あらかじめ基地の各所に仕掛けていた爆弾を起爆し、基地を混乱に陥れたんだ」
そうなると、やはり連邦軍内部で裏切り者がいたはずだ。しかもかなりの地位を持った人物―――上層部の人間かもしれない。そうでなければ、一般人がいともたやすく侵入できないはずだ。MS隊を発進させようにも、敵兵士に地下に潜り込まれては、鉄の巨人とてどうじょうもない。生身の人間が戦うしかないのだろう。
長年の平和により、再び連邦軍の警備体制に不備が生じたのだろうか。直前にまで、テロリストの侵入にすら気づかなかったのだから。
「あいつら……俺たちパイロットを優先的に殺しにかかってきている。MS隊の発進を遅らせようってことは、敵MSもじきに侵入してくるはずだ、それまでに……」
もちろん地上とて安全なわけない。爆発に巻き込まれて死傷者も出ているはずだ。アリサと同じ班の訓練生たちも、格納庫にいて……爆発に巻き込まれてしまっているかもしれない。MSの出撃を遅らせるのが目的ならば、格納庫は真っ先に攻撃の対象となる。
「地上は……アカデミーのみんなは無事なんですか!?」
「知るかよ。俺だって突然襲われたし。やっとの思いで生きて、ここまできたんだ。少しは褒めて欲しいものだよ……」
「ごめんなさい……」
言いすぎたな、と思ったのか男は厳つい表情を精一杯和らげて、
「いや、言い過ぎたな。すまない」
「こちらこそ、自分のことしか考えてないで……」
彼だって命からがら逃げてきたのだ。親しい者の安否を知りたいと思うのは、アリサと同じ。それを察することができずに、自分勝手になりすぎてしまった。人の心を察せずに何がXラウンダーだ、とアリサは思わずにいられなかった。
「とりあえず、今俺が持っている情報はこれだけだ。あくまでも〝本部から送られてきた最後の連絡〟から推測したものだが」
「それでも、こんな簡単に侵入されるなんて……」
「おそらく裏切り者がいる。それも、かなりの地位―――アルティメスの機能停止、偵察部隊の交戦記録の削除、それらをやれる連邦軍人だな。まぁ、俺は〝戦場のホームズ〟じゃないから、推理はここまでにしておこう。まずは目的の達成だ」
男が何度も口にしている〝目的〟とはなんなのだろうか。思考の冷却が完了したアリサは、それを尋ねようと、
「あ、あの……」
「そうだ、自己紹介がまだだったな……俺はガルド・ドレイス、連邦のMSパイロットだ。よろしく」
「私はアリサ・アスノ……トルディアMSアカデミーMS総合技術学科二年生です」
「アスノ……君が、アスノ家の娘さん!?」
「あ、やっぱりそこ、気になりますか?」
自己紹介したときに、必ずと言っていいほど〝アスノ〟という名前について聞かれる。
「うちの曽祖父がフリット・アスノと一緒に戦っていたんだ。まったく、奇妙な縁だな……」
「はい……」
ガルドにそれを言われても、いまいちピンとこないのがアリサの感覚であった。曽祖父――ーフリット・アスノのことなど、父親の話と、教科書に載っている文章でしか知らない。アリサが物心つくまでには死んでいたし、はっきりとした姿も記憶にないのだ。
教科書に載っている文章だけだと、ガンダムを一から造るほどの天才で、なおかつ高いパイロットとしての技能―――なにより、Xラウンダー能力を使いこなしていたという、完璧人間であったとしか読み取れない。アリサに無いものを全て持っているようで、とてもじゃないが彼の遺伝子を自分が引き継いでいるようには思えなかった。雲の上の存在としか認識できない。
「でも、まぁそんなに似てないですけどね……」
それでも父から、曽祖父の話を聞いていると、そうも思えなくなってきたのが現実だ。彼は孤独で、憎しみだけを糧にして生きてきて、それから解放されるまで悩み苦しんできた、と。決して〝救世主〟という三文字で表現してはならないほど、人間味に溢れた男だったのだ。彼とて、一人の人間なのだから。
「当り前さ。子は親のクローンなんかではないし、似ていないところのほうが多いものさ」
「そう、ですかね……」
「君の父さんとも何度か話しているし、娘さんのことも聞いているよ。大変だったな」
「はい……」
優しげな表情からも、ガルドはアリサの過去を知っている数少ない大人なのだろう。それゆえにか、アリサは安心することができた。胸をなでおろして、大きく息を吸う。十二分に、気持ちを落ち着かせたところで、また戦場に出てしまえば冷静を保っていられる自信はない。それでも今ぐらいは、いつもどおりの自分でいられるように努力すべきたと、アリサは考えた。
彼女は軍人ではなく、学生なのだから。それを自覚しなかっただけで、過去の過ちは起きたのだ。もう繰り返すわけにはいかない。
「……それで、少し尋ねたいことがあるんですけど。いいですか?」
「ああ、俺の持ってる機密なんざ、今となれば殆ど意味ないしな」
「目的、って何ですか?」
とはいえ、その機密はアリサのような一般人に話すには、重大すぎることであった。きっとそれほど、彼女を信頼していたのだろう、ガルドは。
「地下の格納庫にある、ガンダムの確保だ」
「え? ガンダム……?」
「秘密裏に地下で開発されていたんだよ、新型のガンダムAGE‐Vが、さ……」
たしか、アスノ家は火星浄化計画のフェーズ3完了後、ガンダムの製造を停止し、今にいたっていたはずだ。そうなれば、連邦軍が独自にガンダムを開発していたということになる。
今の時代に、ガンダムは必要なのだろうか?
そんな疑問を抱くアリサをよそに、ガルドは軍服のポケットからあるものを取り出した。それはアスノ家に代々引き継がれていた小型量子コンピューター、AGEデバイスであった。
「そして、俺はそのガンダムAGE‐Vの正式パイロットだ」
二人を乗せたエレベーターは降下していく。それにつれて、アリサとガンダムの距離は近くなっていくのだった。