機動戦士ガンダム00AGE 【劇場版ガンダム00×ガンダムAGE(四世代目)】 作:山葵豆腐
重力に縛られないこの場所は自由であり、しかしながら放り出されてしまえば誰の助けも得られぬまま死んでいく。それが宇宙という場所である。
プリマドンナに格納されたガンダムは、格納庫のMSデッキに収まると機能を停止した。金属がぶつかり合う音や、プロの整備士たちの言葉が交差している。現場そのものであり、まだまだ訓練生であるアリサならば、立ち入ることのできない聖域のように思えた。
「各部異常なし。すごい……あれだけ無理しても、関節の稼働率は百%を維持している」
MS総合技術科の癖で、ついついアリサは搭乗しているMSのステータスを確認してしまう。
「コックピットハッチを……あ、自動で開くんだ……」
通常のMSとは違い、豪華すぎる造りにアリサは感心した。パイロットの仕草を感知して、コックピットハッチを開ける機能など、通常は搭載されていないのだから。安物だと誤作動するし、そもそもMSに付けるには豪華すぎる機能であるからだとか。
アリサはコックピットから出ると、ガルドから託されたAGEデバイスを見る。なんと言えばいいのだろうか分からないが、きっとあの艦長なら理解してくれるだろう。そんな気がした。
「ガルドッ!」
そこにはいない男の名前を呼ぶ声がした。MSデッキから飛び出してきたのは、パイロットスーツを着た女性だった。ブロンドのふわふわした髪を揺らし、大人の雰囲気を投げ捨てた少女のような瞳で、アリサと目を合わす。
「あ……その……」
女性の左手薬指には銀色の指輪が。アリサを見た途端、女性の表情は崩れ始めて、
「ガルドは……?」
「……死にました。私を助けて―――ごめんなさい」
女性は身を翻して、アリサの元から去っていった。子供に涙を見見られたくなかったのだろうか、嗚咽が格納庫に響く。
「……あの人、泣いていた。悲しいのに、頭に入ってこない……どうして、だろうッ……」
アリサはAGEデバイスを胸に抱き、頬を伝う涙の筋を優しく拭う。無重力に浮かぶ涙の雫が、流れた。人が死ぬということは、そういうことなのだ。人を殺す、ということは、殺した人の友人、家族、恋人―――妻を深い絶望に突き落とすということ。
あの時、コンテナの影で怯えていなくて、ガルドを助けに向かっていたら、彼は死ななかったかもしれない。ガンダムにも彼が乗っていて……。だけど、アリサが無茶をして死んでしまったら、セツナが、フジノが、クラスのみんなが、父が、母が、泣いていただろう。そう考えれば、アリサはコンテナの影で怯えていて良かったと、第三者なら口を揃えて言うはずだ。
結局は、誰かが死んで、誰かが生き残るのだ。アリサは後者であっただけ。
「それが戦争だなんて、悲しすぎるよ……」
悲しいことが多すぎる、アリサにはそう思えた。しかしそれが戦争であり、兵士の死一人一人に涙を流しておれば、きっと体中の水分が奪われてしまうだろう。MSのパイロットになるということは、そのようなことを覚悟し、諦められる冷淡さを持ち合わせる、ということなのか。そうは思いたくなかった、アリサは。
胸を締め付けることばかりが起きすぎて、アリサの感覚は麻痺しかけていた。その時だ。
「アリサ!」
「……セッちゃん!? セッちゃんなの?」
アリサの胸に一人の少女が飛び込んできた。アリサの親友、セツナであった。抱き合った反動で、二人の体はMSデッキから、無重力に投げ出される。
「よかった、アリサが生きていて……本当に……」
「私もだよ。地上がどうなっているのか分からなくて、不安だった……」
「怖かった。怖かった、アリサ……戦争がこんなに怖いことなんて」
セツナはアリサの胸の中で大泣きした。なんだかんだ言っても、十五歳の少女なのである。人殺しの道具を扱うには、あまりにも幼すぎる。いくら天才であろうとも、精神年齢はごく普通の十五歳の少女と変わらない。そんなセツナを、アリサはぎゅっと抱きしめて、そっと頭を撫でてやった。こういう時、年上がしっかりしなくてどうするのだ。
もちろん、アリサだって大泣きしたい気分である。しかしその感情を抑えて、目の前で泣いている少女を抱きしめてやるべきで、それが〝大人〟の役割であると考えたからだ。
「目の前で人が焼かれた……たくさんの人が死んでいた。いつ自分が殺されるか分からなくて」
「うん、うん……大丈夫よ、セッちゃん。涙ぐらいは隠してあげるから」
小さな体は震えていた。きっと、アリサに会うまで我慢していたのだろう。感情の吐き出し場所が、他に見当たらない。そんな感じがした。
「でも、こうして二人揃って生き残ることができた。それだけでも、私は嬉しいよ」
「うん……アリサがいないと私、壊れてしまいそう」
人は何かに頼らなければ、生きてはいけない。ましてやこのような状況では、なおさら。もし誰にも頼らず生きていくという者がいるとするならば、彼は、もしくは彼女は平和の中にいるだけだろう。少なくとも戦場で、そのような言葉を吐ける者はいない。天才少女とて、それは同じということだ。
「アリサはMSに乗れなかったはずなのに。克服したの?」
「いろいろあって、戦わざるを得なかった状況だったし。もちろん怖かったけど、私を助けてくれた人の言葉に背中を押された感じ」
「そうなの……すごいね」
「うんん。ただ、今までが臆病すぎただけだよ。覚悟もなにも無かっただけで、本当……戦争するんだ、っていう実感もなかったわけだし」
「それでも、だわ」
セツナは涙を拭って、アリサの腕から抜けると、格納庫に屹立するガンダムを見上げた。戦争に使う機械にしては美しすぎるそのフォルム。しばし、セツナは魅了されて、
「……あのMSがアリサを守ってくれたのね」
「本当は私のものじゃなかったんだけどね。正式パイロットの人が死んで……私が乗って……あれを」
アリサは格納庫の隅に置かれている、グルードの頭部に視線を向けた。すでにパイロットは保護されたらしく、空っぽのコックピット内が見えている。
「助けたんだ……」
「助けられなかった人もいるよ……」
「それでも敵パイロットを―――一つの命を助けたことは、すごいことだと思う」
「そう、かな……」
二人は床に降り立つと、しばらくそれを眺めていた。
そうしていると、ぼよんぼよんとなにやら有機的な生物がMSデッキからこちらに跳ねてきた。深紅のボディーに、滑らかな球体……何故か角が付いている。
『ツウジョウノサンバイヤデ! ツウジョウノサンバイヤデ!』
「ハロたん!? どうしてここに……」
唖然とするアリサに、聞き覚えのある幼い声が。
「すとぉぉおおーーーっぷ、ハロたん! 大人しく捕まるんだよっ!」
「ふ、フジノ!?」
「ったく……どうして、あなたまでこんなところにいるんですか」
「はぅ! アリサに……セツナ!?」
『アタラナケレバドウトイウコトハナイ! アタラナケレバドウトイウコトハナイ!』
捕まえたと思ったフジノの両腕から、するりと抜け出したハロたんは、アリサの足元まで跳ねる。飼い主のところへ戻ってきた、ということだろう。
「う……うぅうう、うわあぁぁあぁあぁああぁぁああん!」
フジノは泣きじゃくりながら、通常の三倍の速度でアリサに抱きついてくる。それを見たセツナは、ムッとなるがここは落ち着いて、静観することにした。
「生きてたよーーーーーーぉ……本物のアリサだぁぁあああ……」
「むしろ、偽物いたのかっ!」
「偽物はもう少し胸が大きいよー」
「やかましい」
アリサはフジノを引き剥がして、両腕を組んで、
「で……どうして、フジノがここに? 小型艇は軍人さんしか乗っていないって聞いたんだけど。てか、どうしてハロたんまで」
セツナの情報によると、アカデミーの生徒たちは皆、近くのシェルターか、支柱に避難しているらしい。小型艇は基地内部の制圧に向かう兵士たちを乗せていたもので、その頃には避難できていないとおかしいわけで。
「端的に言うと道に迷っていたの、とフジノはフジノは正直に話してみたり」
「うん、本物のフジノね」
アリサはうんうんと頷く。
「避難場所間違えて、小型艇をシェルターと勘違いしていたのー。あ、ハロたんはテロが起こる前に、角つけたりして遊んでいて、ついてきちゃったわけさー」
「ええ、本物のフジノさんです」
セツナは嘆息する。そして、説教モードに入る。
「小型艇とシェルターを間違えるってどう考えても馬鹿ですねもう少し落ち着いてものを考えたらいいんじゃないですかそもそもあなたはオペレーターのはずなのに方向音痴ってパイロットがデブリ帯で遭難しかねませんしMSの索敵システムが無効化された時なんてオペレーターの指示だけが頼りなわけであなたみたいなオペレーターが艦橋にいるだけで味方の生存率が大幅に下がるわけです戦場の死神と言われたくなかったらもう少し日頃から精進してくださいそもそも―――」
「アリサぁぁ……あの人、怖いー」
「うん、正論ね」
「はぅううううううううううううううううッ!」
『ワカサユエノアヤマチ! ワカサユエノアヤマチ!』
そうは言うものの、方向音痴であるのはアリサも同じなわけで。聞いていると、アリサも胃が痛くなってくる内容であった。
馬鹿騒ぎをしている三人だったが、次の瞬間、格納庫内にスクランブルのアラートが鳴り響いた。
『コロニートルディアの軍事基地内で、強奪された連邦のMSが破壊行為に及んでいる模様。プリマドンナ隊のシグナムは、出撃お願いします』
一気に格納庫内は騒がしくなり、整備士たちは三機のシグナムの動作確認を慣れた手つきで行い、三人のパイロットはヘルメットをかぶって、コックピットに吸い込まれていく。
(あの人も……いる)
ガルドの死に絶望していたはずの女性パイロットは、傷心の中、また戦場に向かおうとしていた。まだ涙も枯れきっていない様子なのに。あれが一流のパイロットだというのか。
そのような人が戦っているのに、自分は……。アリサはそう思わずにはいられなかった。
「出撃するのはプリマドンナ隊の人たちだけ。軍人じゃないアリサは、行かなくてもいいの」
セツナはアリサの手を握って、そっと呟いた。その優しげな微笑みは天使のように思えたし、一瞬硬くなった体は彼女のおかげで元に戻った。
「アリサは戦う人じゃない。そうでしょ?」
「うん……そうだよね」
アスノ家に伝わるガンダムとはいえ、今は連邦軍のものだ。ガルドに託されたAGEデバイスも、新たな正式パイロットに渡さなければならない。どこか寂しいと感じるが、それが大人の世界というものだ。今の時代、そうそう人殺しの兵器を、素人の子供には渡さない。非常時でもない限りは。
「ありがとうね、ガンダム……」
もうガンダムには乗らない。アリサは安堵しつつも、どこか寂しげな想いを胸に抱いていた。