そよぐ風に木々の葉がかすれた音を鳴らす。大鋏を構えるタツミとフードをかぶった謎の男が正対する。静寂を切り裂くように、空間そのものを切り裂くように、エクスタスの刃がフードの男の両足の部分を両断せんと迫る。
――効率化されたフォームによる、最速最短での両断。
「くっお……!?あ、危ねえ……」
反射的に上に跳躍し、擦れ違い様の一撃をギリギリで回避する。突進の勢いのまま、神速でタツミが通り過ぎた。着地したフードの男は、慌てて後方へと跳んで距離を取る。その様子からは余裕が抜け落ちていた。あと一歩で両足が両断されていたことに、背中が冷や汗でびっしょりと濡れる。
「思い出したぜ、それ『エクスタス』じゃねえか。完全な戦闘用帝具使いかよ」
「……コイツを知ってんのかよ」
万物を切り裂くその帝具には、いかなる防御も意味を為さない。対処法は回避しかないが、効率的なフォームを身につけたタツミの斬撃は疾風のごときである。連日の危険種との戦いで、最速最短での動き方を理解したのだ。だからこそ、フードの男が回避できたのは間一髪であった。
「足じゃなく胴体を狙われてたらヤバかった……。だが、初撃を外した以上、テメエはもう終わりだよ」
フードの男から発せられる雰囲気が変わる。極限まで集中を研ぎ澄ます。先ほどまでのどこか余裕ぶった様子は霧消していた。再びタツミが全速力で襲い掛かる。
「うおおおおっ!」
鋏の刃を開き、一息で距離を詰めるタツミ。相手の体勢が整わないうちに攻め込む。この数日間で身につけた、最速最短での一撃。だがそれは――
「甘えよ」
――あっさりとフードの男に避けられた。
鋏が閉じる瞬間、後方に跳んで殺傷範囲から逃れたのだ。
「なっ……!?」
「そんなひとつ覚えが……」
鋏を閉じている間、タツミに攻撃手段はない。即座にフードの男は懐へと潜り込んでくる。両手が塞がり、武器を閉じている今、それに対処することができないのだ。
「何度も通じる訳ないだろぉが!」
全力の右ストレートが顔面に突き刺さった。タツミの頭部が跳ね飛ばされる。重く、芯に響く一撃。確かな技量を一瞬にしてタツミは感じ取った。しかし、そんなことを考えている余裕はない。続いて左の拳が迫る。
「ぐっ……コイツを弾いて距離を取らないと」
巨大鋏を盾として身体の前に掲げるタツミ。防御に使えば、地上で最も高硬度の盾となる。だが、伸ばされた左腕はエクスタスの柄を握り、そこを支点として右から回り込むような蹴りを炸裂させた。
「ごほっ……!」
強烈な衝撃を脇腹に受け、タツミが反対側に弾き飛ばされる。地面を転がされ、すぐさま立ち上がる。幸いエクスタスを手放すことはなかったが、一連の攻防でタツミは自身の弱点を痛感させられた。
「おらっ!まだ終わってないぜ!」
迫り来る男の姿を確認して、タツミは両手で鋏を開く。真っ直ぐ駆け寄ってくるところを両断せんと、鋏を閉じるが――
「また避けられ……」
空中に跳躍することで回避される。空を切る刃。無防備なタツミの脳天に、宙で回転しての踵落としが打ち込まれる。重力と遠心力の乗った一撃に、一瞬だけ意識が遠のいた。
それを必死で繋ぎ止め、反撃に出る。鋏を開き、相手に向けて最速で閉じる。だが、繰り返すように刃は空を切った。タツミの視界から男の姿が消え、直後、下方から突き上げるような蹴りがあごを直撃。脳を揺らされたタツミは意志とは無関係に膝から崩れ落ちた。
「ハッ、所詮ハサミはハサミ。武具じゃなくて文房具だったな」
両手を左右に大きく広げ、愉しげに笑う。タツミはそれを見上げるしかない。
「構造上の欠陥だなぁ!何せハサミを閉じるだけだけだ。攻撃の軌道は丸見えで、刃を開いて閉じるなんて、動作のロスまである。鈍重なデカブツ相手ならまだしも、このレベルの高速戦闘でそりゃあ致命的だろ」
ゆっくりと、タツミを見下ろしながら一歩ずつ近寄っていく。フードの隙間から覗く口元には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
「さあて、こっからは俺の得意な殴り殺しだ」
両の拳を打ち合わせ、歩きながら宣言する。歯を食いしばるタツミだが、いまだダメージで足がぴくりとも動かない。的確な打撃による脳震盪だった。
絶望的な内心で敗北を認める。避けられぬ死が迫ってくる。だが、それはもちろん彼女がいなければの話――
「そこまでだ」
――フードの男の両膝が、氷の槍で貫かれた。
「なっ……ぐぅぅっ!?てめえ、エスデス!」
続いて高速で飛来する氷刃。ナイフよりも鋭い刃が左右の足の甲を地面に縫い付ける。激痛に呻くフードの男。両脚を完全に破壊され、その場に崩れ落ちる。
「どうだ?自分に足りないところを実感しただろう」
激痛に大量の脂汗を流す男を無視して、エスデスはタツミに声をかける。
「次のステップとして、今度は帝具を使った戦闘法を確立する必要がある」
「……エスデスさん」
「幸い、練習台も手に入ったことだしな。帝具を持ったお前よりもワンランク上の戦闘者。何よりも、殺しても構わないというのが良い」
そう言って、フードの男の顔面を蹴り上げる。鼻の潰れる鈍い音と共に、頭が跳ね飛んだ。
「とりあえず拷問室に連れて行くか。情報を吐かせた後、死ぬまでタツミの対戦相手になってもらおう」
「てめえ……エスデス。俺を誰だと思ってやがる」
フードが外れ、褐色の素顔が露になった。端正な顔立ちだったのだろうが、エスデスの蹴りで鼻骨が折れ曲がり、大量の血で顔中が染まっている。しかし、その状況でも男はエスデスを睨みつける。いまだ戦意を保っている様子に、彼女は愉しげに口元を歪めた。ひざまずく男の髪を掴み、顔を上に向かせる。何かしらの切り札でもあるのか、死に怯えるでもなく、煮え滾る殺意を放っていた。
「痛めつけがいがありそうだ。私が手ずから拷問を行ってやろう」
「教えてやるよ。この俺が誰なのかをよ」
「ほぅ、言ってみるといい」
フードの男は余裕気に高笑いをする。
「俺は大臣の息子のシュラだぜ。親父を敵に回したくなけりゃ、さっさと治療しろよ」
現在の帝都における事実上の最高権力者。オネストの息子であると、この国の全てを敵に回すことになると、宣言した。
「ふむ……名前を聞いたことがあるな」
「マ、マズイですよ。エスデスさん、大臣って……」
タツミが不安げに彼女の手を引いた。
「まあ、適当に拷問して真偽でも確かめるか。どちらにせよ新型危険種の情報を吐かせるつもりだったしな」
こともなげにつぶやくエスデスに、余裕を見せていた表情が固まった。
「ああ、安心していいぞ。本当に大臣の息子だったら、タツミの練習台になるのは免除してやるからな」
大臣のオネストによって命を奪われた者は、少なく見積もっても数百から数千名にのぼる。皇帝を擁する彼の機嫌を損ねれば、一族郎党が皆殺し。そんなことは日常茶飯事である。そんな大臣の息子を、彼女はとりあえずで拷問するという。
――敵対するならば大臣が相手だろうと、一国が相手だろうと殲滅する
その圧倒的な自我こそが、エスデスを帝国最強足らしめる一因である。
本気で何とも思っていないことを、シュラは感じ取り戦慄する。冷酷にして無慈悲な眼差し。ここに来て彼は、ようやく自身の生について危機感を覚える。強張った顔面を引き攣らせ、背中から大量の冷や汗が噴き出る。迷うことなく所有する帝具を解禁した。
――帝具『シャンバラ』
右腕を懐に入れ、掌大の物体を取り出す。これこそが大臣より授かった、現存する帝具の中でも五指に入るほどの一品。その効果は絶大である。もちろん、発動すればの話だが。
帝具を持った右腕が、肘の辺りから切断された。
「見逃すとでも思ったか?」
「があっ……!?」
エスデスの剣による神速の一撃。帝具を握った右腕ごと、ドサリと地面に落ちた。
斬られるまで反応できないほどに、速く鋭い剣閃だった。驚愕に目を見開くシュラ。しかし、残念ながら一足早く帝具が発動してしまっていた。地面に落ちた帝具が発光し、周囲一帯に円形の光の陣が描かれる。
「おっと、しまった。タツミ、下がるぞ」
タツミの身体を抱え、瞬時に十メートル後方へと跳び退いた。帝具の能力発動の前兆。それとほぼ同時に、強烈な発光と共にシュラの姿が掻き消える。大量の血溜まりだけが残された。
「アイツ、どこに消えたんだ……?」
「動くなよ、タツミ」
彼の肩を掴んで抱き寄せると同時に、空中に無数の氷の刃を現出させる。そのまま、四方八方に雨あられのごとく発射。氷の弾幕が隙間なく周囲を破壊し尽くした。
「どうやら透明化や幻惑などの視覚干渉ではなさそうだな。タツミの感触や冷気も現実と変わらない。そうなると、おそらく――」
あごに手を当てて思案するエスデス。当然、奇襲を受けることを想定して、周囲の警戒も怠ってはいない。
「――空間転移系の帝具か」
相手の所有する帝具のおおよその性能を把握する。すでにこの場から離脱しただろうということも。
エスデスは帝都への帰還を決意する。事情を知っていそうな人間を逃がしたのは痛いが、あれほどの性能の帝具である。本人の言葉通り大臣の息子の可能性は高い。大臣の方から話を聞いておこうと考えたのだ。
この日を境に、新型危険種の新たな発生の情報はなくなった。イェーガーズはついに、対ナイトレイドに本腰を入れることとなる。