ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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不死鳥の騎士団
1.襲いかかるダドリー


 

 

 ハリーはだらけていた。

 夏休みが始まって二週間が経っている。いたってハリーは健康的かつ不健康な夏休みを謳歌していた。朝起きてジョギングをして体力を養い、ダーズリー家含む全員分の朝食を作る。午前中の涼しいうちに机に向かって宿題を片付け、ときおりヘドウィグと戯れて遊ぶ。ペチュニアの作ったお昼ご飯を食べ終えると、暑い日差しを避けて屋内で過ごす。バーノンの目が気になってだらしない真似ができない場合は、木陰などで時間を潰すのだ。そしてつけっぱなしのテレビから流れてくるニュースを聞き、目当ての情報がなければ大人しく家に戻って寝るまで適当に過ごす。それがこの夏休みにおける彼女の一日である。

 ニュースばかりを聴いている目的は、無論のことヴォルデモートに関するニュースが流れてこないかを確かめているのだ。シリウスがアズカバンから脱走しただけで、マグルに情報を開示したのだ。ヴォルデモートが復活した以上、殺人が日常的に起こる可能性があることくらい魔法界の人間ならば子供でもわかる。ゆえに、今回もまた情報開示による報道があるだろうと考えていたのだ。

 しかし収穫は、ものの見事にゼロである。

 

『ごらんください! セキセイインコのバンジーくんが、この度水上スキーを覚えました! 夏の涼しさを克服するために編み出した高みへ至るための技術! これぞ黄金の精神……ってあれ、これ前にも放送しませんでした? あれ? セキセイインコって水の上を歩く生き物だっけ? アレ? なんだこれ?』

 

 どうでもいいニュースしか流れてこない。なんだその阿呆丸出しのニュースは。もっと重要なことがあるだろう……、鳥畜生の避暑なんぞ知ったところで一ポンドの足しにもならない。

 そんなことを知りたいわけではないのに。自分の寿命について、ヴォルデモートの動向について、知るべきことは山のようにあるというのに、こんなプリベット通りなんかにいたところで有益な情報を得られるとは微塵も思えない。

 ひとつ溜め息を漏らして、ハリーは立ち上がる。やることもなく、庭に寝そべっていたのだ。さてどうするべきか、とハリーはポケットに捻じ込んでいた手紙を開く。

 

【――親愛なるハリエット

 君の命について、調べるだけ調べてみた。申し訳ないが、前例はないようで詳しいことは分からなかった。だがこれだけは言える。いまは落ちついて、大人しくしているべきときだ。ただ、あと数日もしないうちに君にいいことが起きると予言しよう。それが何かは、その時まで内緒だ。楽しみにしているといい。 君のための騎士、スナッフル】

 

 随分と気障ったらしい文句で締めくくられた手紙だ。

 偽名を使ってはいるものの、これは愛しのシリウスからの手紙である。あまり長い手紙ではないが、ハリーはこれを何度も読み返していた。内容もないに等しいが、この手紙が言いたいことは恐らく「詳しいことは書けない」であろう。シリウスからだけではない、ハーマイオニーやロンからも似たような内容の手紙が来ている。ダンブルドアか、そのあたりが口止めしてる情報があるのかもしれない。ヴォルデモートが復活した以上、もはやフクロウ便とて安全な連絡ツールとは言えないのだ。

 個人的にはもうちょっとハッキリした内容の手紙が欲しかったが、もしそれが闇の勢力にでも奪われたりすれば致命的だ。ゆえにきちんとした手紙が来ないというのは理解できるのだが……、それでも魔法界から切り離されたかのような寂寥感は拭えない。胸の奥がじくじくと締め付けられるような感覚を覚えてしまう。

 寂しげな気持ちを押さえつけるように家へ入ろうとした、そのとき。

 バシッ、という鞭を打ちつけるような大きな音が響いた。

 それは本来そこにあるはずのないものが、空気を押し出して急速に現出するときに鳴る独特な音。すなわち物理法則にしたがったままでは有り得ない音。

 『姿現わし』の魔法だ。

 

「……ッ!」

 

 腰のベルトに差していた杖を抜き放ち、バーノン邸の壁を背にして周囲へ向ける。

 油断なく四方八方へ目を向け、魔法使いの存在を捜し回る。感覚を最大限まで鋭くして、ワインレッドの瞳をぎらぎらと輝かせる。

 この太陽も登りきった昼日中、襲撃をかけてくるとは考えにくい。しかし死喰い人がマグルなんかに配慮するだろうか。そう考えれば、目撃者はすべて消しにかかってくると考えた方が自然だ。

 ふとハリーは、自分の直ぐ真後ろから太い腕が伸ばされて自分の後頭部を鷲掴みにしたことを自覚し、心臓が縮みあがった。全く気付くことができなかった! 魔力の反応が一切ないというのに、壁から手が伸びて来たのだ。これではいくら感覚を鋭敏にしたところで、感知することなどできようはずもない。

 

「ハリーィ! その妙ちきりんなモノを仕舞えッ! 仕舞えったら仕舞えぇ!」

 

 それもそのはず、魔力を使用することのできないマグルたるバーノンの仕業なのだからむべなるかな、ハリーに気付けるはずもなかった。

 というかアンタは何を自分の家の壁をブチ抜いてまで魔法行使を阻止しているのか。『まともじゃない』ことを毛嫌いしている癖に、とんだクレイジー野郎だ。

 プリベット通りのご近所さんたちもまた驚いた顔をして此方を見ている。その視線を感じたのか、壁の向こうからバーノンが絶叫した。

 

「お気になさらずぅ! いましがたわたくしめの車がバックファイアをやらかしまして! 妻も私も姪っ子もびっくり仰天で! おぉーうオッドロキー! ははは! はは! は!」

 

 恐らくバーノンは、壁の向こうでニンマリと気が変になったかのような笑顔を浮かべていることだろう。どうかしている。そしてそんな言い訳で納得して去ってゆくプリベット通りの住人たちもどうかしている。ハリーとしては魔法界の連中と似たり寄ったりで、彼らも『まともじゃない』と思うのだ。

 すっかり周囲を警戒するなどという雰囲気ではなくなってしまったハリーは、それでも一応ぐるりと視線を一周させてから杖をベルトに仕舞う。

 ぎゃーぎゃーと騒いでハリーに文句を言うバーノンを無視してハリーは考える。

 今の音を聞き間違えるはずもない。

 突如出現した物体が元々そこにあった空気を押し出すという、自然には発生しえないはずの音。気配も、魔力の残滓もない。だがあの音は間違いなく『姿現わし』で発生する独特な音だった。

 魔力が空気に触れると魔力反応を起こして発光し、その名の通り魔力反応光となって魔法族の目に映る。それと同じく『姿現わし』をした際には必ず鳴る音が、先ほどの異音だ。何もないところに新たな物体をいきなりねじ込むのだから、物理的な反応があったところで不思議ではない、というのがマクゴナガル先生の談である。

 バーノンによって家の中へ引きずり込まれたハリーは、どうしたものかと思案する。

 ヴォルデモートが復活した以上は新しいニュースが、と思ったもののそれもない。いまのハリーには魔法界の情報が全く入ってこない状況なのだ。日刊預言者新聞でも取っておけばよかったかなと思うも、昨年の惨状を思い出して考えを改める。あの新聞は偏向報道も甚だしいため、情報源としては適切ではない。

 

「まいったな」

 

 感想としては、この一言に尽きる。

 いまハリーには何もできることがない。何もしていないのが耐えられなかったのと少しでも魔法界との繋がりを感じていたかったことが理由で、宿題は全て終えてしまっている。

 本も手持ちのものは読みつくしている。成長するにつれてハリーへちょっかいをかけなくなってきたダドリーが貸してくれたビデオテープを観るしかないくらいには暇だった。布教のつもりなのだろう、彼の思惑にハマっている気がしないでもない。

 

「頭部を破壊されたら負けかぁ。魔法に応用しようにも、人間だって頭壊しゃ死ぬわな」

 

 ジャパニーズアニメーションを観ていても、どうしても魔法のことが頭をよぎる。

 たかだか一ヶ月弱ほど魔法界から隔絶されているくらいで、ここまで弱気になってしまうものだろうか。ビデオの中のロボットが敵をブッ飛ばしたのを最後に、テレビの電源を落とす。

 ハリーは思っていたより自分が精神的に参っていることに気付き、嘆息するのだった。

 

 

 メッシーマーズ自然公園にて、ハリーはブランコを楽しんでいた。

 遠目に眺めてくる幼い少年少女の眼が不審者を見るそれであることについては、気付かないふりをした。夏休みとはいえ真昼間から公園で一人ブランコを一心不乱に漕ぐ、もうすぐ十五歳になるイイ歳した女。完全にアブナイ人である。

 彼女は静かに思う。ひょっとしたらこれは神様かダンブルドアサマがくれた、休息時間ではないかと。魔法とは完全に離れて、心穏やかに休めておきなさいということなのではないだろうか。

 そう考えついたハリーは、無理やり自分の心を落ち着かせるためにちょっと遠い場所にある公園へと足を運んだのだ。夢中になって子供のころの遊びを行ってブランコをこぐ気分は、悪いものではない。恥ずかしい女であることに目を瞑れば。

 ハリーが砂場に作り上げた砂製ホグワーツ城でお人形遊びをする子供たちを眺めながら、こういう夏休みも悪いものではないかもしれないなと自己暗示をかけて無理矢理ほっこりする。

 子供たちの微笑ましさに、ハリーも思わず頬が緩む。

 

「ふふ、世界が美しいなぁ」

「あのおねえちゃん何言ってんだろ。バカなのかな」

「放っておいたほうがいいわ、きっと失恋したのよ」

 

 クソガキどもの生意気さに、ハリーも思わず殺気立つ。

 蜘蛛の子を散らすように逃げ出した子供たちを追いかけるかどうか本気で悩み始めたハリーの頭に、急に影が差した。別に雲が日光を遮ったとは思えない。何かと思って見上げてみれば、そこには愛しのデカい豚がいた。

 ダドリー・ダーズリー。若干十五歳にてボクシング全英チャンピオンの座を守り続けている傑物である。本当にどうしてこうなったのか。そしてその周りには三人の取り巻き少年たち。兼、彼の恋人たち。……本当にどうしてこうなってしまったのか。

 

「どうしたポッター。ひとり寂しくブランコなんか漕いじゃって、お友達いないのか?」

 

 本当にどうしてこうなったのか。

 以前まではこうやってハリーに絡んでくるのはダドリーの役目であったはずなのに、今では彼の取り巻きの方がハリーへちょっかいをかけるようになっていた。

 ダドリーはというと、その様子を眺めているだけだ。何がしたいんだアイツは。

 

「ハリー・ボッチーと孤独な石ーっ。一人は寂しいポッティーちゅわぁん」

「ハリー・ボッチーと内緒の秘め事ーっ。右手が恋人かいポッターちゃん」

 

 子供のような煽りを言われたところで、特に気にもならない。

 彼らの言葉を聞き流しながらも、しかしこのままここにいては本物の子供たちの邪魔になるだろうと思い、ハリーはブランコから降りて取り巻きたちを無視して歩き出した。

 そんな態度を気に入るはずもなく、取り巻きたちがいきり立ってハリーの前に躍り出る。

 どれもこれもダドリーのいるボクシングジムの後輩たち、または彼の同級生だ。ピアーズ・ポルキスといったかつてハリーとクラスメイトだった男の子もいるが、ファイティングポーズも様になっていない。ボクシングの素人であるハリーにさえ経験不足や練習をサボった不真面目さが窺える。

 そもそも十五歳の少女を相手に、ボクサー未満のチンピラたちが構えるというのもおかしな話だ。つい彼らを鼻で笑うと、案の定ブチキレさせてしまった。

 ひょっとしなくても自分はかなり好戦的なのかもしれない。

 ロンとハーマイオニーが聞いたら呆れそうなことを思いながら、ハリーは殴りかかってきたポルキス少年に足をかけて転ばせる。肉体的にはただの少女に過ぎないハリーは殴られれば頬骨の骨折もあり得るが、彼らの動きは数々の魔法使いたちに比べればあまりに遅く、目で見て回避余裕なのだ。わざわざ当たってやる義理もない。

 無様に転がった彼の首めがけて踵を振り下ろし、彼の意識を綺麗に刈り取った。

 

「え、えげつねえ……」

「やりやがったな、女ごときが!」

 

 非力なはずの少女に仲間がやられたことで、残りの取り巻きが一斉にハリーへ飛び掛かる。

 死喰い人たちよりも遥かに鈍重なその動きを見て、ハリーは内心で舌打ちをする。これでは格闘の練習にもなりはしない。

 男の象徴たる魔法の杖へ靴底を叩き込むことで瞬く間に二人を沈めたハリーを、眺めていたダドリーは鷹揚に拍手をする。

 

「やるじゃん、ハリー」

「うるさいよ」

 

 ぎろりと赤い目を向けてくる従妹に、それでもダドリーはせせら笑う。

 彼の取り巻き程度は物の数ではなかったが、それでも彼女の動きは英国チャンプからしたら拙いものだろう。魔法もなにも使っていない今のハリーは、戦闘経験が豊富な年相応の少女でしかない。

 英国一というしがらみがダドリーをハリー狩りに走らせていないだけ、といっても過言ではないのだ。そうでなければ取り巻きに任せず彼自身が殴りかかってもおかしくはない。

 もっとも、それはハリーが魔女でなければの話だ。

 

「俺の可愛い舎弟たちなんだから、その辺にしておいてやれ」

「恋人たちの間違いじゃないのか」

「うん。まあ、間違っちゃいないね」

「……ペチュニアおばさんには同情するよ」

 

 争いごとの直後で気が立っているハリーに刺々しい返事をされるものの、それでもダドリーは怒るどころか眉を顰めすらしなかった。

 まるで大人のような余裕の姿を見たハリーは、自分の短気さを鏡で見せられているような気がして少しだけ恥ずかしくなる。英国一という称号を得てからの彼はさらに傲慢にもなって態度がデカくなったが、なんだか人間的にもデカくなった気がする。最強であるという余裕と驕り、そして責任感が彼を変えたのだろう。

 いいことのはずなのに、なんだか惜しい気がしてきた。どうもキャラが違う。

 

「そうだ、ハリー。セドリックとやらがお前のボーイフレンドかは知らないけど、夜は声を潜めなきゃ聞かれるぞ。俺の部屋は隣なんだからさ」

 

 手を出さない代わりに口を出してきた。

 その言葉に、ハリーは一瞬だけ動きを止める。にやにやと笑うダドリーが何を言ったか、一瞬だけ理解できなかった。

 

「……、……なんだって?」

「ん、違うのか? 夜な夜なセドリック、セドリックって呼んでるじゃないか。お若いねえ、ひとり寂しくシてたんじゃないのか?」

 

 ヒュパッ、と風を切ってハリーは杖を向けた。

 赤い瞳を爛々とぎらつかせて、ダドリーの眉間に杖先を突きつける。魔法の恐ろしさは彼も知っている。一瞬で余裕の態度が崩れ、その額に脂汗を流し始めた。ハリーにとってダドリーという少年はある種のトラウマであるが、しかしダドリーにとってもハリーという少女はトラウマなのだ。主に魔法の杖という存在が、彼女をそうさせている。

 

「悪かった、俺が悪かったよ。確かにそういう声を聞かれるのはいやだよな、うん」

「……そんなのシたことない。たぶん寝言だ、忘れろ」

「わ、わかった。忘れる。ピアーズたちにも言っておく」

 

 なぜピアーズたちも知っているのか。そういえばまともに聞いていなかったが、うっすらと先ほどの煽りでもそのようなことを言っていた気がする。

 彼らは夜にベッドで一体何を……と、そこまで想像してハリーは思考を打ち切った。自ら気持ち悪くなるようなことを想像する必要はないだろう。若干手遅れだったが、もう深くは考えまい。

 しかし自分はうなされていたのか、とハリーは内心でセドリックへ思いを馳せる。

 自分に好意を寄せてくれていた青年。自分に、忘れられない記憶を刻んだ青年。

 もし彼が生きていて、もし彼と付き合っていたら、きっとダドリーが言っていたような切ない思いもしたことだろう。だがそれは叶わない。未来永劫、ありえない。

 ハリーはその赤い瞳を閉じて、眉をしかめた。

 冷めていく心を自覚していると、ふと物理的に寒くなっていることに気がつく。

 いまは七月の半ば、夏真っ盛りだ。ハリーもノースリーブシャツに短パンという格好で、ダドリーに至ってはたくましい腕をさらすタンクトップである。寒くなることなど、ましてや今ハリーが見ている前でブランコの鎖が凍りついていくなど有り得るはずがない。

 

「ハッ、ハリーぃ! 悪かったよ、俺が……僕が悪かった。謝るから、それをやめてくれ! さ、寒いよ! まるで冬みたいに寒い……ッ」

「ち、違う。ぼくじゃない。ぼくは魔法なんて使ってないぞ……!?」

 

 急激に冷え込んだ周囲の状況は、まさに異常である。

 周囲に倒れて身悶えていた取り巻きたちも、恐怖に怯えて身を寄せ合い蹲っている。

 こんな現象は通常ではありえない。明らかに魔的な干渉が行われているに違いない。

 急激に霜が降りたり、寒くなったり……そして、この気分。もう二度と幸せにはなれないんじゃないかと思ってしまうような、この最低な気分。

 まさか、と思うもそれ以外に考えられない。

 ハリーは杖を振るって絶叫した。

 

「ダドリーッ、伏せろォーッ!」

 

 彼女の言うことに従ったダドリーが伏せたその瞬間、その頭上を黒いローブで全身をすっぽり隠した魔法生物が通り過ぎて行くのをハリーは目撃した。

 吸魂鬼(ディメンター)

 アズカバンにしかいないはずの闇の生物が、いまこのプリベット通りに存在している。

 由々しき事態に、ハリーは一瞬で全身の魔力を練り上げて魔法式を構築する。一瞬だけ未成年の魔法秘匿に関する法律が頭をよぎるものの、しかしその法律には身の危険がある場合には魔法を使用してよいとの一文があったことを思い出す。身の危険、それはまさに今のような状況だ。

 杖先から純白の光を溢れ出させ、ハリーは生き延びたセドリックと笑いあう光景を想像しながら叫んだ。

 

「『エクスペクト・パトローナム』ッ! 守護霊よ来たれ!」

 

 杖先から白い濁流が放たれ、ダドリーへ掴み掛ろうとしていた二匹のうち片方の吸魂鬼をバラバラにして吹き飛ばす。仲間を消し飛ばされて怒ったのか、標的をハリーへと変更したもう一体がこちらへ滑るようにして飛んでくる。

 それに対してハリーは慌てず、身を低くしてかさぶただらけの腕から逃れる。思い通りにいかなかった吸魂鬼が悔恨の呻き声を上げるも、それは間もなくして悲鳴へと変わった。蛇の尾を持つ雌雄同体の大鹿へと姿を変えた守護霊が、その立派な角を以ってして吸魂鬼を刺し貫いたからだ。

 奇声と共に霧散して消滅してゆく吸魂鬼を前に、ハリーは肩で息をしていた。

 あまりにも唐突すぎた。

 プリベット通りに吸魂鬼などと、悪い冗談にもほどがある。

 幸いにしてダドリーもあまり吸魂鬼のダメージを受けなかったようで、怯えているためかその丸太のような足を小鹿のようにぷるぷるさせながら立ち上がった。

 

「は、ハリー……いまのは? なにか、な、なにかいたのか?」

「……吸魂鬼っていう化け物がいた。今日の事は忘れた方が幸せだ」

 

 ダドリーの股座がぐっしょりと濡れていることに気付くも、そこは優しさで黙っておく。自分も同じ立場ならば、人のことを言えなかったからだ。

 努めて無視して、ハリーはポケットから出したカエルチョコを箱から出してひとかじりする。食べかけではあるが、残りはダドリーの口に押し込んだ。吸魂鬼から受けた急性幸福欠乏症の応急処置である。

 

「だいじょうぶか、ダドリー。今まで考えてたことは忘れるんだ、どうせひどい記憶だろう」

「おまえの生着替えを見てしまった悍ましい思い出なんて、二度と思い出したくないね……」

「今ここで全ての記憶を失うまで呪ってやろうか? あ?」

 

 軽口を叩けるならもう大丈夫だろう。

 腕を取って支えると、相当な体重がこちらに押し寄せてくる。胸やら腰やらがだいぶ彼に接触しているものの、まったく反応されていない。ダーズリー家最大の修羅場を見る日も近いかもしれない。遺伝子が残せないのは不毛だと思うが、本人が幸せならそれでいいのだろう。甥っ子や姪っ子の顔は見られないのかなあ、しょうがないにゃあ、とハリーは現実逃避した。

 ふとハリーは、ダドリーだけを連れて取り巻きたちを放置することに疑問を感じた。このまま彼らを残して、吸魂鬼に遭遇したら取り返しのつかないことになるだろう。おこぼれを狙って三匹目、四匹目がふらっとやってこないとも限らない。

 

「あー。きみ、子供たちから襲われてるって通報を受けたんだけど」

 

 そうしてまごついていると、いつの間に近寄ってきたのか警察官に声を掛けられた。

 いつの間にかいなくなっていた子供たちが、ハリエットお姉さんを心配して通報してくれたのだろう。有り難い話だが、いまは余計なことでしかなかった。

 別に悪いことをしているわけではないが、これはまずいかもしれないとハリーは考える。吸魂鬼によって幸福感を吸い取られたんです、なんてどこの世界の警官が信じるのだろう。

 従兄が急に倒れてしまいましてと説明しようと口を開いたハリーは、ぞくりとうなじのあたりに悪寒を感じた。直感に従ってダドリーを蹴り飛ばし、その反動でその場から大きく飛び退く。

 

「にぎゃっ!?」

「ッ、……!」

 

 ハリーは地面に転がりながらも、警察官の胸に魔力反応光が直撃した瞬間を見た。

 自分が避けたことで警官が犠牲になったことに罪悪感を感じないでもないが、それはあとにしよう。起き上がると同時、杖先を反応源へと向ける。ハリーたちを攻撃した魔法使いがいるはずだからだ。

 

「『ステューピファイ』ッ!」

「ッ、『プロテゴ』ォ!」

 

 赤い魔力反応光が空中を疾駆して、ハリーの出現させた盾に阻まれる。

 防御に成功した直後、全力でその場を飛びのくと一瞬前までいた場所に二筋の魔力反応光が突き刺さった。色はシアンとグリーン。前者は視たのが一瞬だったため何の魔法か解析までには至らなかったものの、後者は分かりやすい。『死の呪文』だ。

 杖を持っていない左手を地について、残る右手を振って『身体強化呪文』を発動する。瞬間、地を蹴って死の呪文が放たれた方向へと駆け出す。

 

「チィ!」

 

 ハリーの進行方向から舌打ちと共に再び死の呪文が放たれた。

 姿が見えない以上なんらかの手段を用いて透明化しているらしいが、魔法発動の瞬間を見せたり声を出したりと、あまり隠れる気はないらしい。決して軌道が一直線にならないよう不規則に駆けながら、ハリーは標的の元まで距離を詰める。

 動揺と焦燥が伝わってくるも、容赦をすればやられるのはこちらだ。

 

「『ラミナマグヌス』、大刀よ」

 

 尊敬するライバル、ソウジロー・フジワラ。

 剣の達人である彼の動きを真似、ハリーは風すら断ち切る刀と化した杖を振るう。ひと振りに二度の剣戟が閃く。その剣閃は死喰い人の右足と、彼の持つ杖を右手ごとスライスした。

 

「ぎゃ、あ――」

「まだこれだけか」

 

 いまのは本来ならばあともう一回斬ることができた技だ。

 しかも本来は身体強化魔法など必要としないものである。己の未熟さに舌打ちして、ハリーは片足片手を失ってバランスを崩した死喰い人を蹴り飛ばして遠くへ追いやる。

 その反動を利用してもう片方の死喰い人へと詰め寄れば、彼は慌ててズボンのポケットから杖を取り出しながら、何かを口走った。呪文ではないし、英語でも日本語でもない。ハリーは詳しくないが、おそらくイタリア語あたりだろう。

 様子を見るに、彼はおそらく最初の一人でハリーがやられると思っていたに違いない。だから杖も出さず、あれだけ泡を食っているのだ。どうにも不注意な男である。

 しかしこちらには関係ないので、彼を袈裟にバッサリ斬り捨てた。

 

「アァァアアアイッ!? マンナァーッジャァア! アイッ、アィウート!」

「何言ってるんだかわからないな」

 

 返す刀でトドメを刺す。

 殺してはいないが、両手首から先を断ち切ったので魔法使いとしてはもう再起不能だろう。

 二人目を処理し終えた直後。視界の隅で魔力反応光が閃いたのを視認し、ハリーは咄嗟に地に落ちた自分の両手に向けてなにやら叫んでいる二人目の影に隠れると、イタリア男の胴体に緑色の閃光が直撃した。

 ごとりと顔面からアスファルトに崩れ落ちた男は、どうやら死んでしまったらしい。

 かわいそうに、と見向きもせずハリーはその男の影から飛び出し、身体強化の魔力配分を重点的に脚へと流し込む。一瞬前よりも格段に素早くなったハリーは、移動先を予想して放たれた死の魔力反応光を置き去りにして術者へと詰め寄る。

 どうやら女性らしい眼前の死喰い人からすると、いきなりハリーが目の前にワープしてきたように見えたことだろう。驚きの声をあげた彼女の顎に、靴底をプレゼントした。

 白い歯と鼻血が飛び散り、彼女の舌らしきものが宙を舞う。身をひねって回し蹴りを彼女の脇腹へ叩き込めば、面白いように吹き飛んで電柱へとその身を叩き付けた。ずるりとゴミのように地面へ落ちた彼女からは、もう意識が消えていることは間違いない。

 

「……さすがに、帝王の作った人形なだけはある」

 

 バリトンボイスで落ち着いた褒め言葉が聞こえたので、ハリーはそれに言葉を返す代わりに武装解除の呪文を飛ばした。その反応光を避けるためにバリトン男はその場から素早く飛びのく。

 強化された足を酷使して彼が着地するであろう地点へ先回りし、彼の腹に向けて靴底を放つ。しかしそれは彼の展開した盾の呪文によって妨害されたので、魔力盾を足場代わりにして今度はハリーが飛びのく番だった。

 

「……」

「やれやれ、とんだお転婆姫だ。落ち着いて話もできやしない」

 

 改めて見てみれば、黒いローブに同色のフードを目深にかぶった男が、バリトンの彼を含めて二人いる。

 バリトン男はブロンドを短く刈り込んだ、軍人のようながっしりした体格の男性。もう一人はかなりの細身で、背の高いひょろっとした男。こちらはフードを目深にかぶっているため、顔はよくわからない。しかしフードから除く割れた顎を見る限り、こちらは若い男性のようだった。

 わざわざプリベット通りまでやってきて、ハリーを殺しに訪れた死喰い人は合計五人。仲間を三人倒されてなお隠れている理由はないだろうから、ハワードのような狙撃魔法の使い手(スナイパー)はいないだろう。だが警戒するに越したことはない。

 ハリーは十分に気を配りながら、バリトン男へと声をかけた。

 

「死喰い人がマグルの街に何の用だ? ゲームソフトでも買いに来たか」

「低俗なマグル用品など買うわけがなかろう。だが、貴女を殺すためでもない。我々はただ会いに来たのだ、ハリエット・ポッター」

 

 名を呼ぶときにわずかな嘲りの色が見えたのは、ハリーが人形であることを知っているからだろう。見ず知らずの人間にバカにされたところで悔しくもなんともない。

 ハリーは無反応を貫くことで、彼へ話の続きを促した。

 

「……ふん、まあいい。要件としては単純なものだ、繰り返すが我々は君を殺しに来たわけではない」

「それはそれは」

 

 死の呪文を撃つような奴を連れてきておいて、いけしゃあしゃあと。

 しかし相手が話し始めたのはこちらにとっても都合がいい。プリベット通りに死喰い人が出没するなど、恐ろしいことだ。あってはならないことが、起きている。

 だが、どうやって? ダンブルドアから聞いた話では、血縁の家に住まわせることで死喰い人たちからは手を出せないような守りの呪文がハリーにかけられているとのことだった。

 それがダーズリー家の中だけなのか、それともマグル界という広い範囲での話なのか……。そこまではわからないが、ハリーが夏休み中などダーズリー家で寝泊まりしている以上は手出しできないはずだった。

 彼らはそれを破ってここにいる。その意味をよく考えなければならない。

 

「貴女は人形だ。闇の帝王に作られた肉人形に過ぎない」

「うん、それで?」

「しかし考えようによっては、貴女は帝王の娘であるともいえるのだ」

「そうかい、『ステューピファイ』」

「つまり我々は――って、かなりのお転婆ですな!」

 

 話の途中でハリーは杖を振るい、四人目の眉間へ魔力反応光を射出する。

 バリトンボイスの死喰い人が驚異的な反射神経でそれを避けたことに、ハリーは舌打ちした。わざわざ戦闘中に話を持ち掛けてきたというのに要件をズバッと言わないので、このまま話を続けさせるのは不利益であると判断したのだ。

 すでに何らかの手段で仲間を呼び寄せていて、その時間稼ぎとも限らない。

 それに聞きたいことは何も彼が喋ってくれるのを待たなくてもよい。

 ウィンバリーあたりに連絡を取って、体に聞いてもらえばいいのだ。

 どちらにしろ死喰い人の死体も出来上がっている以上、闇祓いたちへ連絡を取らねばなるまい。さらにハリーは未成年でありながら魔法を使っている以上、魔法省がそのことに気づかないなど有り得ない。

 

「無駄だ、その女に人の道理は通じない」

 

 もう一人の若い死喰い人が、落ち着いた声でバリトンの死喰い人へ声をかける。

 まるでハリーのことをよく知っているかのような物言いに、彼女は眉をひそめた。

 

「そいつは戦いに快楽を見出しているタイプだ。力によって叩き潰してからでないと、話を聞くはずもない狂人だよ」

「闇の帝王なんて名乗ってる子供みたいな犯罪者に狂ってる人たちが、よくもまぁそんな風に言えるもんだね」

 

 カチンときたハリーが言い返すと、若い死喰い人はそれを鼻で笑った。

 忠実な死喰い人ならば激怒する文言であるそれはしかし、彼らの感情を揺らすには至らなかった。ヴォルデモートも随分と人望がないものだと呆れるが、どうやら彼らの事情は違うらしい。

 

「僕は彼の力を目当てに死喰い人になったんだ。目的を果たすためには、どうあれ力が必要だからね」

「そのために金魚の糞か。ご苦労なことだね」

 

 今度は挑発の意味ではなく、思ったことが口に出た。

 バリトンボイスの方はイラッときたようだが、若い方はどこ吹く風である。

 彼の感情から唯一察することができるのは、終始ハリーの事を嘲っていることだけだ。

 

「そうさ。僕は君のために力を必要とし、そして得た」

 

 そう言うと、彼は懐から一本の杖を取り出した。

 三〇センチ近い長さで、随分と太い杖だ。ハリーはその杖をどこかで見た気がしたが、杖を取り出されたことで身構える方が優先であった。拳銃と同じでほとんどの場合は杖先を向けなければ魔力反応光を射出できないが、ハリーは知らないが例外となる魔法もあるかもしれない。殺し合いの最中なのだ、警戒するに越したことはない。

 

「おまえと会うこの時を、どれほど待ち望んだことか」

 

 彼はそう呟くと、禍々しい魔法式を織り込んだ魔力を一瞬で練り上げた。

 予想に反して彼はその杖を優雅に、しかし複雑怪奇に振るうと、そこから漆黒の闇が溢れ出した。闇は徐々に白銀の輝きを織り交ぜ、彼が掲げた左手に集まって形を成す。

 そこに織り成されたのは、髑髏であった。

 死喰い人たち共通の仮面である髑髏ではない、何かの動物を模った仮面だ。ハリーは動物に詳しくないため何の動物かまではわからないが、イヌ科の何かに見える。

 

「この仮面は死の形だ。仮面とは元来、動物を模った顔を被ることでその力を得ようとした古代マグルが生み出した文化らしいな。それと同じこと」

 

 つまり、力を得たい対象を模した仮面を被れば、その力を得ることが出来る。

 口を動かしながら、若い死喰い人はもう一度杖を振るうと自分の着込んでいた漆黒のローブを闇へと霧散させた。全身のあちこちにポケットのついた、まるでマグルの軍人のような服装をしている。編み上げブーツで足回りを自由にし、走りやすくしていることからハリーと同じく前衛型の魔法使いと見た方がいい。

 仮面を顔の前に構えて隠しているので、フードが消え去った今も彼の顔を覗き見ることはできない。しかしその癖の強い黒髪を、ハリーは間違いなく見たことがあった。

 

「僕は復讐のために舞い戻った。ハリー・ポッター、僕の名を刻んで、そして死ね」

 

 彼が頭を上げてその顔を街灯の下に照らしたとき、ハリーは思わず杖を取り落しそうになった。

 好き勝手にあちこち飛び跳ねた黒い癖毛、彫りの深い顔立ち。すっと通った鼻は彫刻を思わせる綺麗さだった。目の色は美しいエメラルドグリーンだが、それは泥のように濁っている。

 見覚えのある顔だった。忘れるはずもない。

 あの目は、毎日鏡で見ていた目だった。忘れられるはずがない。

 忘れてはいけない。

 彼をああいう人間にしたのは、このハリエットだからだ。

 

「僕の名前はハロルド・ブレオ。兄バルドヴィーノの仇としてお前を殺す」

 

 因果が、追いついてきた。

 巡り巡ってハリーのもとへとやってきた、殺意の連鎖。

 かつてハリーが生き残るために殺した男の呼び声が、いままさに聞いているかのように蘇った。彼は「ハリー」と呼んだ。ハロルド。その愛称はハル、またはハリー。彼は死に際に、遺して逝く弟の名前を囁いたのだ。

 瞬間、ハリーの頭に上った血が全て引いていった。

 

「復讐だ。正当なる復讐だ。家族を奪った女へ、家族を奪われた僕が復讐する。同じことをしてやりたいけど、お前には兄や家族どころか血族なんて存在しない。だからってお前の友達を殺すのは正当じゃあない。フェアじゃない。だから僕は、お前を殺す。女として、人としてお前を殺すには、どうしたらいいか。ずっと考えていたんだ。指の骨を一本一本へし折って、手足を焼き潰して、犯して、髪の毛を全部抜いて目と鼻と耳と舌を潰してからもう一度犯して、はらわたを引きずり出して殺してから死体をオークに犯させて、ぐちゃぐちゃの肉塊をホグワーツ城のど真ん中に投げ捨ててやる」

 

 憎悪と狂気。愛する兄を失った青年が紡ぐ言葉のすべてに殺意が籠っていた。

 ブレオを殺したのはハリエットだ。ハロルドをあんな鬼へ変えたのもハリエットだ。

 

「僕はお前を殺す権利がある。殺す、殺してやるぞポッター」

 

 仲間の死喰い人が慌てて止めようとするのも振り切って、ハロルドはハリーへと歩を進める。

 その昏く濁った瞳を隠すように仮面をつける。そこでようやく分かった。

 あの仮面は狼だ。人狼を模った仮面なのだ。

 

「『モース・ウォラトゥス』、死の飛翔」

 

 ハロルドが呪文を呟くと、彼から感じられる魔力の質がガラッと変質する。

 まるで安らぎの揺りかごのような、それでいて凍りつくような悪意の闇と同じものに。この魔力には覚えがある。あの日、あの時の、ヴォルデモートの魔力だ。

 

「『アバダマヌグス』、死の剣」

 

 ハロルドが呟くと同時、彼の杖からは緑色の閃光が伸びて一メートルほどで収束した。

 まるでSF映画に出てくるビームソードのようなそれは、おそらく本当にそれと同じものなのだろう。死の呪文を使い、その魔力反応光を手元で留め、棒状に収束させた魔法。

 剣と同じように振るうために編み出された、近接魔法戦闘における最強呪文。

 掠っただけで死を意味する死の呪文を、目の前で振り回すのだ。

 それはまさしく死の権化である。

 

「死ね、ポッターァ!」

 

 おそらくあれがハリーの想像通り収束した魔力反応光であるならば、実体剣で防ぐのは厳しいだろう。あの光剣は例えるならばホースから噴き出た水だ。水を切ったところで二つに断てるわけがないように、あれも同様の感覚で防御は不可能であると考えられる。

 眼前まで迫ったそれを上体を逸らすことで躱し、ハリーはカウンターで武装解除呪文を叩き込む。しかしハロルドも漲る殺意を以ってしてその魔力反応光を躱し切る。ぎらついた瞳はハリーへの憎しみを雄弁に物語っていた。

 

「確かに、君にはぼくを殺す権利がある」

 

 そうつぶやきながら、ハリーは武装解除を放つ。

 光剣でそれを切り払いながら、ハロルドは激高して叫んだ。

 

「なら死ね! ここで死ね! 僕に殺されろ!」

「断る」

 

 冷たく言い放ったハリーの言葉に、彼は獣のような咆哮を上げる。

 ブレオを殺したことを、ハリーは今でも思い出す。彼が今わの際に囁いた言葉は、愛する弟の名前。バルドヴィーノ・ブレオがなぜ死喰い人になったのかを、ハリーは知らされていない。きっと知ることで不都合があると判断されたのだろう。

 そう、例えば弟を人質にしてハリーを殺すよう命じられていたとか。

 もしそうだったならば、ハリーの心は罪悪感で押しつぶされるだろう。いまもその可能性を想像するだけで胸糞悪くなってくる。悪ではない人間を殺してしまったのだ。そして家族を殺された憎悪をはらんで、次は弟が殺しにやってくる。

 当たらずといえども遠からずといったところだろう、ヴォルデモートの考えそうなことだ。

 

「君はぼくを殺す権利がある。君のお兄さんを殺したのはぼくだ、なら君には敵討ちという大義名分がある」

「ならば死ね! 疾く疾く死にさらせ! なぜ断る!?」

「だって死にたくないからさ!」

 

 大真面目な顔でそう答えるハリーに、ハロルドは光剣を振り回して飛び掛かる。

 その動きは怒りのあまり直線的で、身体強化によって動体視力までもが強化されているハリーにとってその回避は容易である。すり抜けるように一撃を避けたハリーは、逆手に持った杖を遠心力を利用してハロルドの脇腹に突き刺す。

 苦痛の叫びを漏らすハロルドに構わず、ハリーはそのまま無言呪文で『武装解除』を放った。体内にぶち込まれた魔力反応光は彼の身体を大きく吹き飛ばし、電柱を一本なぎ倒して芝生の上を転がった。

 深いわだちを作り出した向こうで、盛り上がった土を枕に倒れ伏すハロルドへハリーはなおも杖を向ける。

 

「『ステューピファイ』ッ!」

「チッ。『プロテゴ』、防げ」

 

 トドメを刺そうとしたハリーに向かって、横合いから失神呪文が放たれた。

 直前でそれに気付いた彼女は盾の呪文を行使して、深紅の魔力反応光を防ぎ切る。

 敵対する意思がないなどと話しかけてきた死喰い人からの魔法だ。

 

「ここは退くぞ、ハロルド」

「ふざけるなよジョン! 僕はあの女を――」

 

 ジョンと呼ばれたバリトンボイスの死喰い人は、左手でハロルドを制する。

 静かな動作であるそれはしかし、相応の威圧感を伴っていた。そこにきてハリーは、目の前の男の実力を測り違えていたことに気づく。ジョンはハロルド以上の力を有しているのだろう。

 相も変わらず余裕を見せつけるような動作で、ハリーに向き直る。

 

「若輩が失礼を致した。彼と貴女は因縁深き相手のご様子だが、我々は今回本当に会いに来ただけなのだよ」

「それを信じろと?」

「貴女がいま生きていられる時点で、真実であると判断していただきたい」

 

 ずいぶんむっとする物言いである。

 傲慢であると評されても仕方あるまいが、ハリーは己をある程度の力を有する女だと自覚している。それは眼前の死喰い人ふたりを相手にしてなおかつ勝利を疑わないほどには、パワーと魔力を蓄えてきたつもりだ。

 しかし彼の実力を先ほどまではまったく見抜けなかった。

 生かしておく必要はなく、むしろこの場で帰す方が危険だろう。

 

「『エクスペリ――」

「やれやれ、やはりお転婆姫のようだ」

 

 ハリーが杖を振り上げ、西部劇の早撃ちのような体制で呪文を叫ぼうとしたその瞬間。ジョンの手のひらへ、光を反射する黒い何かが飛んでゆくのが視界に入った。

 テレキネシスのように手の平へ収まったそれは、拳銃である。思えばそれが飛んできた方向は、最初に気絶させられた警察官の倒れている方角だ。

 まさかここにきて拳銃とは! 盾の呪文でなんの神秘も孕んでいない弾丸など容易に防げることは百も承知だろうに、しかしジョンはその拳銃を発砲した。

 倒れ伏すダドリーへ向かって。

 

「――ッ! 『プロテゴ』ォ!」

 

 慌てて盾の呪文を張り巡らせて、三発の銃弾を空中で制止させる。

 防げたのはまったくもって幸運である。身体強化の魔法によって動体視力や杖を振る速度が大幅に強化されていたことと、すでに盾の呪文を使うために魔力を練り終えていたこと。

 このどちらかでも欠けていればダドリーの姿は、見るも無残な今後二度とミートパイを食べられないであろう姿になっていたに違いない。いくら身体強化の魔法で反応速度が上がっているとはいえ、銃弾の速度は脅威であることに違いはないのだ。

 追撃を恐れて二人組へ杖を向ければ、すでに半分消えかかっていた。人体が物理法則を無視して消え去ったため、空いた空間へ空気が吸い込まれる独特な音。『姿くらまし』をする二人組の姿は、瞬きするよりも早く消え去ってしまったのだった。

 

「……さて、どうしようか。これ」

 

 倒れ伏したダドリーと、その恋人……もとい取り巻きたち。

 取り巻きは放置でいいだろう。問題はダドリーだ。このまま彼を放っておいたら、バカ親……、もとい馬鹿な親……失敬、親馬鹿であるダーズリー夫妻の怒りが目に見えている。

 たとえどのような言い訳をしたところで聞く耳持つまい。

 なんというか、もうこれ帰りたくない。

 

 

 バーノン・ダーズリーは激怒した。

 必ず、かの邪知暴虐の魔のつくアレを操る姪っ子を除かねばならぬと決意した。

 バーノンには魔法はわからぬ。バーノンは、穴あけドリル製造会社の社長である。ハンバーガーをおやつと称して食べ無能な部下を叱り飛ばして暮らしてきた。

 

「だっ、だっ、だっ、だっ、だっ、だっ、ダッダーぁぁぁあああああ!? 何があった!? 英国チャンプたるおまえにいったいぬぁぁぁぬぃぐぁあっとぅぁぁあああああああああ!?」

「お、おじさん。早く彼に、甘いものを……チョコをあげて。治療薬になる」

「チョコレート欠乏症で全身がズタボロになるかァ!? そんなチョコバナナ! いやちがった、そんな馬鹿な! ばぬぁーぬぁぁぁ!?」

 

 けれども魔のつくアレに関しては、人一倍敏感であった。きょう未明、子を愛する親馬鹿の気持ちを以ってダドリーを迎えるためバケツサイズのヴァニラ・アイスクリームを抱えて玄関を開けたところ、息も絶え絶えの息子と姪が立っていたのだ。

 二人とも疲労困憊しており、どちらがどちらを支えているのかもわからなかったが、少なくともひ弱で脆弱で異常で華奢で非力な姪っ子が、我が息子の屈強な肉体を支えきれるとは思えない。

 迷わず姪っ子を突き飛ばして、廊下を転がって行った彼女を努めて無視して愛息子をリビングへと誘導する。穏やかな心を持ちながら脂肪を蓄えた企業戦士たるバーノンとて、息子の巨体を支える腕力はないのだ。

 ペチュニアが金切声をあげて、ダドリーへ突進して抱きしめる。バーノンはその衝撃で弾き飛ばされ、廊下を転がって行った。

 

「やぁおじさん」

「うるさい」

 

 玄関ドアの下で団子になっていた姪っ子と仲良く並んだ大黒柱を放置して、ペチュニアはダドリー坊やの検分を始めた。特に欠けたりパーになったりはしていない。多少目がイッちゃってる気もするが、凛々しいお顔もいつも通りだ。

 よって原因は何かと『まともじゃない』ことが起きればそこにいる、この少女に違いない。バーノンは勢いよく起き上がると、いまだに転がったままのハリーの首根っこを掴んで持ち上げる。片手で十分なほど軽いが、しかし思っていたより重みがある。彼女も成長しているということだろうか、育てる側としてはちょっとだけ感慨深いものである。

 おっと、情に流されるところであった。バーノンは気を引き締めて凛々しい顔をさらに大真面目にしかめ(ハリーが噴き出した)、彼女のタンクトップが伸びきるのも構わずに猫のようにリビングへと持って行った。

 

「やめっ、こら! おじさん、下着見えちゃうって! セクハラだよこれ!」

「うるさい! おまえなんぞのブラジャー見たところで屁でもないわ!」

「バーノン、年頃の女の子ですよ。もっと紳士的に」

「……面白いやつだ。掴むのは髪の毛にしてやる」

「バーノンッ!」

「……あれは嘘だ」

 

 のわぁぁと短い悲鳴を上げてリビングの床に放り出されたハリーは、すっかり伸びきってしまった自分の服を見てため息をつく。

 なぜ、こんなことになってしまったのか。

 死喰い人が強襲してくる可能性があったとはいえ、このプリベット通りには近寄れないはずなのだ。死喰い人の身に着けている《闇の印》とはそういうものだ。ハリーの身体に刻まれている愛情の魔法は、あれを否定して拒絶する。

 では闇の印を刻んでいなかったのだろうか。ハリーはそう考えるも、その可能性を即座に否定する。それはないだろう。ヴォルデモートへの忠誠の証であるアレを、彼自身が刻ませないというのは考えられない。

 それにあの男が、印を身に着けることを拒否する者を配下に選ぶはずがないのだ。双子の片割れのように彼の気持ちが理解できるハリーゆえの考えである。

 さらに言えば、吸魂鬼(ディメンター)が襲ってきたのは完全に予想外だった。あれは闇の生物とはいえ、魔法省の管理下に置かれている子飼いのペットのはずである。だというのに、マグル世界にまで飛翔してきて待ち焦がれた恋人へするようなキスをハリーへ贈ろうとしてきた。

 魔法省よりもヴォルデモート側についたと見るべきなのか? しかし一人では判断する材料がなさすぎる。あんなモノがヴォルデモートの手に渡れば、由々しき事態という言葉すら生ぬるい。

 唯一の対抗策である『守護霊呪文』は、恐ろしく難易度の高い呪文だ。

 これは何としても、ダンブルドアへの報告が必要だ。ハリーひとりでは、ダーズリー家の面々を護り切ることなど不可能である。

 

(……あ? ……、え? あれ?)

 

 そこまで考えて、ハリーはふと己の思考に疑問を持つ。

 いまぼくは、なんと考えたのだろう。自然とダーズリー家を護ると考えなかったか。

 あんな仕打ちを受けてきたというのに、護るだと? なにをばかなことを。それを、あんなにも自然に護るなどと……、どうかしている。『まともじゃない』。

 自身の考えに囚われ、ぐるぐると巡らせていたハリーは目の前に来ていたものに気付かなかった。なにか生暖かいものを顔にばさりと吹っかけられたことで短い悲鳴をあげるほどに驚き、慌てて杖へ手を伸ばしながら前を見てみれば、そこには一羽のふくろうが飛んでいた。

 きっちり手入れのされた羽根を自慢げに広げるモリフクロウは、その足に括り付けている手紙をハリーに取ってほしくて仕方がないようだった。恐る恐るそれを手に取ったハリーは、それが手紙であることをようやく理解した。

 

『あー、あー、おほん。ハリエット・リリー・ポッターさま宛てですわ』

 

 手紙がペーパークラフトのように変形すると、口紅を引いた女性の顔のような形状に変化して喋りはじめる。それにびっくり仰天したのはバーノンだ。ぷぎーと悲鳴を上げて、愛息子を隠そうと四苦八苦し始めた。

 ペチュニアもとうに夫の巨体に隠れており、ぽかんと口を開けて見守っているのはダドリーとハリーだけだ。そんな一家の大慌ても意に介さず、手紙は自身に書かれた内容を読み上げ続ける。中年女性であろう落ち着いた声だ。

 

『このたび魔法省が観測したところによりますと、貴女は本日午後六時二十三分、貴女様はマグルの面前で守護霊呪文を行使したことが把握されております。これは未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令の重大な違反であり、そしてこれは以前の国際魔法戦士連盟機密保持砲の第十三条を違反しているため、二度目の警告でございますわ。よって、あなたをホグワーツから退校処分とさせていただきます。詳細は追って連絡を。ご健勝をお祈りいたしますわ。魔法省、魔法不適正使用取締局、局次長マファルダ・ホップカーク』

 

 一通り読み上げると、手紙は自らを引き裂いて紙屑へと化した。

 ご丁寧にもリビング中に響き渡らせてくれたので、バーノンの引きつった顔がにやにやとしたいやらしい笑みに変化しているのがよくわかる。「自業自得だ」と彼は得意げになって言い放つ。

 ホグワーツを退学だって? 冗談じゃない。あそこはぼくの家だ。

 ハリーはパニックになりそうな頭を、無理やり冷やす。よく考えろハリー。

 言い方は悪くなるが、ホグワーツがハリー・ポッターを退学にしたらいったいどういうことになるのか。実際にはただの肉人形だったが、世間体としては生き残った男の子なのだ(いまだにハリーと初めて顔を合わせる者は、少女であることに驚く。ダンブルドアの情報操作は完璧だったようだ)。それを退学にするなど、各方面から色々と手紙が飛んでくるだろう。

 

「だいたいなんだってダドリーがこんなことに!?」

「吸魂鬼に襲われたんだ。奴らはマグル……つまり魔法使いじゃない人には視えないけれど、その幸福感を吸い取る怪物だ」

「無理だ、信じられん。そんな『まともじゃない』モノが存在するなど、有り得ん」

 

 バーノンの言うことにも応えてやらねばなるまいと思い、ハリーは分からないだろうと考えながらも彼の問いに答えた。

 案の定、吸魂鬼の存在すら信じなかったが、それはそれで構わない。息子がなにかに襲われて憔悴しているというのならば、父親の彼が心配して当然なのだ。

 

「ぼくだって遭遇するまでは信じられなかった。でも、奴らは実在する。ぼくにはダドリーの心を当てることができるよ、幸福欠乏症のせいで『この先二度と幸せにはなれない』と思っているだろうね」

 

 ハリーの言葉に、バーノンが息子の顔を見る。

 弱弱しく頷いた彼の顔を見て、その赤ら顔が青く染まる。

 彼を守るために魔法を使用したが、そこまで言う必要はないだろう。未成年魔法保護法の違反ではあるが、そこに関してハリーはあまり心配していなかった。

 

「決めたぞ。出て行ってもらう」

 

 今回の魔法使用は、ダドリーというマグルの目の前とはいえ彼を護るため、そして自身の命を危険から救うため行使したに過ぎない。未成年魔法保護法には、未成年魔法使いに対する妥当な制限に関する一八七五年法などがある。これの七条には、生命を脅かされる場合といった例外的な状況に限って、魔法の使用が容認されていることも明記されている。

 つまり今回のハリーの状況は、この七条が適用されるはずなのだ。よって、この退学通知は取り消されるに違いない。というか取り消してくれないと困――、

 思考が一旦停止する。バーノンが言った言葉を理解するのに、時間がかかった。

 

「……なんだって?」

「聞いてなかったのか? 出て行ってもらうと言ったんだ」

 

 勝ち誇ったバーノンの声を右から左へすり抜けさせていたところ、聞き逃せない内容であったことにハリーは驚く。口髭を引っ張りながら、バーノンは言った。

 

「ダドリーはパーになってしまう。ふくろうは飛んでくる。我が家の休日はめちゃくちゃになる! おまけにお前が、魔ほ……名前を言ってはいけない魔のつくあのアレで、ダドリーをパーにしたことは、今目の前で頭のおかしいコンコンチキ魔なんとか省の手紙が言っていたじゃないか。つまりわしらにとって、お前を家に置くことは害悪でしかないということだ」

「ぼくはダドリーを救ったんだけど」

「だまらっしゃい! 見ろ、パーになっているじゃないか! 我が家の可愛いダッダーが、パーだぞ!? 英国ボクシング界にとってもパー! 大きな損失パー!」

「そりゃそんな巨体なら、巨大な損失だろうさ」

 

 実の息子に向かってパーパー騒ぐのもどうかと思うが、今はそれを置いておいてもいい。

 ダーズリー家にいられないのは困る。愛の魔法はハリーが家だと思うところにいる限り有効だとされているのだ。つまり、ハリーはなんだかんだ言ってダーズリー家を帰るべき場所だと思っている。そうである以上は、この家にいなくては魔法の恩恵を受けることができないのだ。

 いまは、出ていくべきではない。

 

「でも、悪いけれど。出ていくのは無理かな。もう少しいさせて」

「ならん! 出ていけ! 出ていけ! 退学になった以上は穀潰しだ! そんな怠け者をうちにはいさせられない! 出ていけ! 出ていけ! 出てい、ふくろうだ!?」

 

 いつの間にやら家へ侵入していたのか、バーノンの頭にとまったモリフクロウは左足を差し出してぜいぜいと息を吐き出している。

 どうやら先ほどのモリフクロウとは別のフクロウのようだが、ずいぶん急がされたようだ。バーノンの頭を止まり木扱いして、存分に休んでいる。それを追い払おうと躍起になるバーノンなぞどこ吹く風といった様子で、ハリーは少しすっとした。

 

『さっきの退学処分は取り消し。今度裁判します。……アー、日付やら何やらは詳細は追って連絡。魔法省、魔法事故隠蔽部掌返し課課長、ポー・スミシー』

 

 どうやら声を直接吹き込んだようで、背後のがやがやした声の混じった白紙の手紙が再生される。言うだけ言った手紙はまたもや自ら引き裂かれ、ダーズリー家の床の上にごみを増やしていった。

 これを聞いてハリーとバーノンの反応は全くの別物だった。ハリーは自分の予想が正しかったことに少しどや顔を決めて、バーノンは追放の大義名分を半分失って怒りに震えている。しかし今回ばかりは彼の激怒も根深いようで、頭の上からフクロウが飛び立った瞬間にまた叫びだす。

 

「もうたくさんだ! 出ていけ小娘! 出ていけ! 出て、またふくろうだ!?」

 

 バーノンの怒鳴り声を中断したのは、窓をかち割って飛び込んできたフクロウだった。

 よぼよぼの老フクロウ、ウィーズリー家の過労死担当エロールである。その肢に括り付けられている手紙もまた、羊皮紙を千切って作ったかのハリーのような粗雑なものであり、喋る際に色々と足りないのか舌足らずな声になってしまっている。

 フクロウからしてやはりではあるが、これはウィーズリーおじさんの声だ。

 

『いいね、ハリー。いまは動くんじゃない。待っていてくれ』

 

 名前も言わないほどの慌てようと見える。

 言われずとも動く気はない。明らかに何かハリーの知らないところで、厄介なことが起きているに違いないからだ。こういう時は、まず何よりも情報を得るに限る。襲われている時は別だが。

 手紙の内容を聞き取ったバーノンが、怒りのあまり口髭を引き抜きながら噴火した。

 

「ハリーぃ! 力尽くで叩きだしてや、むぁーたふくろうだあ! もうやだあ!」

 

 残る窓をわざわざ叩き割って入ってきた次なるフクロウは、顔面をフライパンで叩き潰したかのような実に巨大なカラフトフクロウであった。

 ハリーが両手を広げた姿と同じくらいかもしれない。そのデカフクロウはハリーの近くにあるソファーへ爪痕を残しながらとまると、そのくちばしに加えていた手紙をぺっと吐き出す。

 この気障ったらしい文字はとても見覚えがある。

 

『ダーズリーの連中に何かされたら言いたまえ、私が連中を醜いゲテモノへ変えてやるから。何に変えるかはお好みにより要相談。君の騎士より愛情を込めて』

 

 優しくも低い声が、ハリーの耳をくすぐる。次に愛おしいおじさんに逢えたら、彼に熱烈なキスをしようと決めた。こんな非常事態だというのにこういったジョークを飛ばす余裕があるあたりは、さすが初代悪戯仕掛人である。震え上がるダーズリー一家を見ながら、ハリーはバーノンの目に情けないながらも光が宿っていることに気付く。

 どうやらペチュニアへ助けを求めるようだ。マジか。ハリーは我が伯父に呆れながらも、しかしそれが効果的な手段であることを知っていた。何が原因かは知らないが、ペチュニアはある日を境にある程度ハリーへの態度を軟化させている。彼女の言葉なら、ハリーは割と素直に言うことを聞くことをバーノンも理解しているのだ。

 しかし起死回生のそれは遮られた。

 しゅーっと低空飛行してきた巨大すぎるシマフクロウが、一通の手紙をリビングに落としていったからだ。それを見て、ハリーは目を見開く。

 

「もーうたくさんだ! ふくろう、ふくろう、ふくろう! 我が家でふくろうなんて見たくなーいっ! おまえなんか、こうしてやる! ざまあみろ、ハッハー!」

 

 癇癪を起こしたバーノンが、手紙を拾い上げてシュレッダーへと突っ込む。

 がりがりと音を立てながら細断されていくも、ハリーはあの手紙がその程度で大人しくなるとは全く思っていない。あの赤い手紙は、『吼えメール』だ。

 直後、シュレッダーが爆発してしまったためブヒィと悲鳴を上げたバーノンが仰け反って尻餅をつく。飛び散ったプラスチックの破片や紙屑が一瞬で集まると形をなし、一つの人面を作り出した。それはどことなく、ハリーの知っている狡猾でお茶目な老人の顔に似ているではないか。

 

『私の最後のアレを思い出せ、ペチュニア』

 

 そう囁いて、プラスチック片はただのゴミに戻り床の上へ散乱する。

 あの日とはなんなのか。やはりペチュニアは、ダンブルドアと関わりがあったのか。

 激しく疑問に思い、ハリーは叔母へと目を向ける。しかし彼女は蒼白だった顔を土気色に変え、バーノンに向かって厳しく言葉を放っていた。

 

「バーノン……。この子は、この家に置いておかなくてはなりません」

 

 その言葉を聞いて驚いたのはバーノンだ。

 ハリーも少なからず驚いてはいたが、しかし彼は妻が自分の敵に回るとは夢にも思っていなかったらしい。

 

「し、しかしペチュニアや……」

「第一、いなくなった理由をご近所にどう説明するおつもりです。それに女の子を一人放り出して、もしもなにかあってごらんなさい。まわりからなんて言われるか……」

「ペチュニアぁん」

 

 情けない声を出して、バーノンが項垂れる。どうやら諦めたらしい。

 話は終わったとみたハリーがペチュニアへ詰め寄ろうとしたものの、彼女から鋭い視線を向けられた。質問は許さない、という意味だろう。バーノンへの口添えをしてもらった手前、それに逆らうことはできない。

 ハリーは心の中にもやもやを残しながらも、二階にある自分の部屋へと戻ってゆく。

 届いた手紙のうち、ウィーズリーおじさんとシリウスおじさんの手紙には自壊魔法がかけられていなかったため、今も手元にある。もう喋らないもののそれらを読み返して、ハリーは気持ちを静めることにした。

 

「……まいったなぁ」

 

 死喰い人ハロルド・ブレオの存在。魔法省からの退学処分、そして慌ただしい親しい人たち。

 魔法界の情報が今日にいたるまでまったく来なかったというのもまた、精神的なダメージを加速させている。このままでは心労がマッハで禿げてしまう。ウィーズリーおじさんには申し訳ないが、乙女として禿げるのはNGだ。いくらなんでもそれだけはあかん。

 思い悩むこと数時間、夕方を過ぎてすっかり夜になってしまった。晩ごはんも食べ忘れてしまい、仕方なくハリーは服を脱いでパジャマに着替え、シャワーは明日でいいやとそのままベッドへもぐりこんだ。

 夢にはハロルドの憎しみに染まった顔が出てきたものの、翌朝にはよく覚えていなかった。一晩眠ればだいぶすっきりする。髪の毛が多少脂っぽく、ぼさぼさにはねているのを姿見で眺めたハリーは、昨年出会った父のジェームズそっくりだと思い少しうれしくなってしまう。

 ハロルドとかいうわけのわからん復讐鬼の事も忘れ、ハリーはある程度手櫛で髪の毛を整えたあとにリビングへ降りた。この時間なら、ペチュニアが朝食を作っている頃である。昨晩のこともあるため、手伝った方がよかろう。

 

「おはようございます、ペチュニアおばさん」

「おはよう。起きるのが遅いわ」

 

 スクランブルエッグを作ろうか、と聞こうとした瞬間、ペチュニアはハリーの手を引っ張ってリビングへと連れて行った。どうも怯えているような気がするが、いったい何があったのだろう。ダドリーが痩せたかな。

 我ながら面白い冗談だと考えながら、ハリーはペチュニアに連れられてリビングへと来てしまう。ソファではバーノンがなにやら牛乳のような顔色で客人に応対していたのが見えた。ぱりっとしたスーツ姿の黒人男性が対面のソファに座って、流暢なクイーンイングリッシュで談笑している。

 黒人男性の後頭部までしか見えないものの、身元のしっかりしてそうな紳士のようだ。

 見た目からして『まともじゃない』人間ではないのに、あの反応は随分と変だ。別にバーノンおじさんは人種差別主義者ではなかったはずだ。色々と『まともじゃない』人ではあるが、仮にも大企業の頭を張るだけあってそういったところでは公平なはず。部下の人種貴賤問わず公平に怒鳴り散らす男である。

 不思議に思っていると、バーノンがハリーへ縋り付くような視線を向ける。それに気づいたのか、黒人男性がこちらへ振り返って微笑んできた。彼の顔を見てハリーは、ようやく合点がいった。

 

「やあハリー。会うのは久しいね」

「……びっくりした。久しぶりだねキングズリー」

 

 キングズリー・シャックルボルト。

 魔法省の闇払い局でグリフィン隊の隊長を務める男であり、生粋の魔法使いだ。

 魔法族の人たちはマグルの服装文化を愉快に大いに誤解している者が大多数ではあるが、彼はその例外に位置する人間だったようだ。パリッと糊の効いたスーツはおそらくイタリア製の高価なもので、怯えながらもペチュニアが感心しているのが見て取れる。詳しくはないものの、革靴もまた高そうな感じがする。あれもブランドものだろう。

 ここまでやられては、彼はどこに出しても恥ずかしくないマグルの格好である。いつものバイオレット色のローブなど着て来ようはずもない。しかしあれらはどうやって手に入れたのだろう。魔法界において共通通貨として使用されているガリオン金貨やシックル銀貨は、ポンドやドルに換えてしまうと大分少なくなってしまう。貨幣価値に疑問を覚えるが、しかしハリーは専門家ではないので口は出せない。出るのは不満だけである。恐ろしいことにガリオン金貨は純金製と純銀製ではあるものの、それをそのまま売ることは当然ながら法で禁じられている。魔法界の貨幣はすべてゴブリンやドワーフ達といった錬金に優れた種族が魔法で造っているからだ。

 要するにバーノンは困っているのだ。魔のつくアレを使う『まともじゃない』同類が家にやってきたかと思えば、その人物は実に清々しくまともなのだ。そりゃバーノンもバグる。

 何をしに来たかはわからないが、昨晩のふくろう便爆撃は無関係ではあるまい。

 

「それでキングズリー。要件は昨日の?」

「そうだ、ハリー。君をご招待するための取り付けをね。保護者に通さないとまずいだろう」

 

 どうやらダーズリー家の面々を説得するために来たらしい。ウィーズリー家の『隠れ穴』へ行くのだろうか。以前のように拉致同然に連れ出すよりは、真正面から許可を取りに来た方がいいと判断したらしい。果たしてそれは正解だ。バーノンはまともな人物には内面でどう思おうが、表面上はまともに応対する。そしてキングズリーが『まともじゃない』ことを言っていない以上、受け入れる他ないのだ。

 口いっぱいに苦虫のフルコースをぶち込まれたかのような顔をしたバーノンは、渋々ながら首を縦に振った。外泊許可をもらえたらしい。今すぐ出ていけといわんばかりの顔をしたバーノンの意志をいじめるかのように、出発は夕方にするとのこと。おそらく何らかの魔法的手段を用いての移動になるのだろうが、そんなことは一切言わなかった。まるでフライトチケットがその時間しか取れなかったのだとでも言うような論調に、バーノンも何も突っ込めなかった。

 ここまで来ると、いっそ清々しい可愛そうさである。

 

 バーノンは意地でもキングズリーを昼食に誘わないであろうと予想したため、ハリーは彼を連れてリトルウィンジングを抜けて隣のウェイヴァリーへと足を運んだ。サリー州のディストリクトであるため面白い飲食店が多く、年頃の少女であるハリーとしては一度行ってみたかったのだ。

 夏休み中であるため遊びに来た少年少女でごった返している中、キングズリーは興味深そうにまわりを眺めていた。ゲームセンターなどは基本的に電化製品が珍しい魔法界ではなかなか見られないものであるため、二人してやってみることにした。

 一流の闇祓いとUFOキャッチャーで競い合い、若さを武器に勝利して小さなふくろうのぬいぐるみを手に入れたハリーは、昼食をキングズリーに御馳走になった。久しぶりに食べるストロベリーパフェはとてもおいしかったが、キングズリーが魔法も使わず造られたガラスの精巧さに目を見張って興味深そうに唸っていたのが印象的だった。

 二人はそろそろ日も暮れかけたころになって、プリベット通りへ戻る。その際に「トンクスやハワードには内緒にしてくれ」と頼まれたので、ハリーは快く承諾した。時間が空いたからそれを潰していただけであり、別にこの黒人のおっさんは遊ぶためにやってきたわけではないのだ。それでも年若い女性闇祓いの二人は羨ましがるだろう。割とめちゃくちゃなビジネス感覚を持つ魔法使いの警察のような存在である闇祓いは、無駄に多忙なのだ。

 任務にかこつけて年頃の少女と遊びに出かけたという不名誉な評価を与えない為にも、ハリーは彼の提案を受け入れるしかないのである。

 

「問題だよなァ、これ。年の差いくらよ? 片やオッサン、片やグラマー体型になりつつあるくせ未だにチビっちぇガキときたもんだ。おまえこれ許されねえぞ。あ? コラ?」

「ずるいですよぅ、キングズリー。わたしも遊びたかったですよぅ。わたし達はファッジの無茶に応えてて大変だったんですけどぉ? なのに何ですかそれぇ? あ? コラ?」

 

 任務にかこつけて年頃の少女と遊びに出かけたという不名誉な評価を与えられて廊下の隅で落ち込んでいるキングズリーの背中に、ハワードとウィンバリーが罵詈雑言を浴びせている。

 ダーズリー家に戻ってきたハリーが見たのは、闇祓いたちの姿だった。バーノンは土気色を通り越してマーブル模様の顔色をしている。穏やかな心を持ち激しい怒りによって目覚めそうな彼を、同じく口元を引きつらせたペチュニアがブランデーを駆使してなだめている。

 そういえばダドリーはどうしたんだろうと思って廊下に出たその瞬間に、愛しの従兄がハリーの胸に飛び込んできた。身長と体重差から耐え切れず、押し倒されてしまう。すわセクハラかと思ったが彼の頭の中にハリーのような生き物はいない。そもそも、ここまで怯えていてはそんなこともできまい。

 

「どうした、ダドリー坊や。落ち着け」

「はッ、はッ、ハリーぃ……」

 

 ぐじゅぐじゅに泣き腫らすダドリーの姿をバーノンやペチュニアに見られるのはまずいと思い、赤子をあやすように抱き寄せて背中をさすってやる。これがロンとかセドリックだったならだいぶ恥ずかしい恰好だったろうが、豚を相手に人間様が恥ずかしがるのも如何なものかという問題である。

 ダドリーのやってきた方向を見れば、なるほど納得した。杖を突く義足の男がそこにいる。

 

「直接会うのは初めてだなポッター。え?」

「アー……はじめまして、ムーディ先生」

「先生とはいっても、わし自身はお前に教えちゃおらんがな。まったく、あの忌々しい小僧め」

 

 アラスター・ムーディ。またの名をマッド‐アイ・ムーディ。

 右目にはめ込まれた魔法の義眼は、対となる生の瞳とは色も大きさも違う青い瞳がぎょろぎょろとあらぬ方向を好き勝手に動き回るものだ。透視や遠視も可能なこれは、当然自分の頭すら透過して視ることも可能である。視神経のついていない完全な独立器官であるゆえ、自由自在に動くのだ。魔法族から見ても不気味極まりないのに、魔法に対してトラウマを刻まれているダドリーからすれば半狂乱モノであろう。

 さすがにかわいそうな従兄を無碍にするのもアレなので、しばらくあやしてやるとぐずりながらも自分の部屋へ戻って行った。何度だって言わせてもらうがあれがチャンプで本当に大丈夫なのか、英国ボクシング界。

 

「それでは、我々が責任を持ってハリーを預からせていただきます」

「いいからさっさと出て行ってくれ……」

 

 バーノンが応対しているのはトンクスだ。

 キングズリー、ハワード、ウィンバリー、ムーディ、トンクス。闇祓いグリフィン隊のメンバーがほとんどそろっているではないか。おそらく残りの二人、ボーンズ兄弟は連れてこない方がいいと判断したのだろう。どこか愛嬌のあるハグリッドにすら恐怖して散弾銃をぶっ放す連中である。鬼もかくやという顔をしたボーンズ兄弟なんて見たら、ショック死しかねない。

 けんもほろろに突き放すような愛情の感じられない物言いに、トンクスはだいぶお冠のようであった。ダーズリーたちの目の前で髪の毛が赤く染まり、顔も文字通り赤く染まるとさらに怯えられてしまったようだ。確かに目の前で年若い美女が比喩ではなく赤く変色すれば恐怖もするだろう。

 ダーズリー一家からすれば忌々しい魔のつくアレを自在に操る人間が六人も家の中にいるのだ。ハリー一人だけでも手に負えないのに、勘弁してほしい気持ちでいっぱいなのは察するに余りある。

 

「それじゃハリー、行こうか」

「あっ、話は終わってないですよぅキングズリーっ」

 

 そそくさとハリーの手を引いて歩くキングズリーにまとわりつくようにハワードとウィンバリーがついてゆく。荷造りは午前中のうちに終わらせているため、トランク一つ持てば十分だ。下着を含む服やら学用品に趣味の本など、だいぶ物が増えはしたが基本的にハリーの持ち物は今も昔も少ないのだ。これとニンバス二〇〇〇の入った競技用箒ケースを持てば、準備完了である。

 ムーディと顔を合わせたくないためか、ハリーを厄介払いできたパーティの準備でもするのか、恐怖で漏らしたのか、いかなる理由にせよ彼らは誰一人見送りには来なかった。それもまたトンクスは気に入らなかったようだ。ハリーのトランクを魔法で亜空間に仕舞い込みながらも、ぷりぷりと怒っていた。

 自分の為に怒ってくれるのは嬉しいが、彼女の笑顔は魅力的だ。ハリーがなだめていると、ムーディがよく通る声で叫ぶ。

 

「隠密任務だッ! 静かに行動せいよ!」

「アラスター。君の声が一番大きい」

「誰かが殺されようとも隊列を乱すな! いいな! 油断大敵ッ!」

「だから声が大きい」

 

 先ほどと違って冷静なキングズリーが、全員に一枚のカードを手渡している。

 ハリーには手渡されなかったが、ハワードに手渡されたものを見せてもらうとどう見ても日本語の書かれた和紙、つまりお札だった。それをラミネート加工して丈夫にしているらしい。なんというか、ひどく不格好でシュールな代物だ。

 いまだに羊皮紙が流通している英国魔法界において、ラミネート加工などできるわけがない。明らかにマグルの技術を使っているのに、お札というオカルト溢れる魔法界の物品。

 安心と信頼の奇抜な日本魔法界製に違いない。

 

「おいでコメット二六〇」

「オークシャフト七九」

 

 闇祓いたちそれぞれが名前を呼びながらカードを軽く前方へ投げると、それは魔力反応光とともに箒へと姿を変えた。いや、今の魔法式は召喚術式だ。つまりカードに封じ込めた箒を召喚したにすぎない。

 基本的に魔法で開く亜空間へ入れられるのは、手で持てるサイズのものだけだ。少なくともハリーが開けられる限界はその程度であり、入る物品もベッドの上に乗る量くらいの感覚である。しかしあの召喚札なら、どれほど大きなものであっても携帯して持ち運ぶことが出来るだろう。

 便利なものだと思いながら、しかしハリーは目を丸くしていた。

 まさか、箒で飛んでいくつもりか?

 

「どうしたポッター、ヒッポグリフが失神術喰らったような顔をして」

「いや、ちょっと待ってよ。箒で行くの? というか、どこに?」

 

 いくら日が暮れて空も濃い藍色になってきたとはいえ、エジソンの発明によって睡眠を削り始めたマグルによって、夜という時間は基本的に活動時間にあてている生き物だ。

 人っ子一人いないわけでもあるまい。リトルウィンジングは閑静な住宅街ではあるが、それでもド田舎というほどではない。ウェイヴァリーほどではないにしろ、夜でも起きている人は大勢いるのだ。というか、今はまだ夕食時だ。寝ている人の方が少ない。

 

「敵の追撃を避けるためだ。本来なら昨日の夜のうちに行きたかったが、ダンブルドアが許してくれんでな。さぁ行くぞ! 行先は秘密だ! おまえが本物のポッターでなかった場合、情報が漏れるからな!」

「ねぇムーディ。そのハリーが偽者だったら、連れて行く意味がないとおもいますよぅ」

 

 昨年出会ったのは偽物だったが、バーティ・ジュニアはとことん本人の再現にこだわっていたらしい。相変わらずの油断大敵論を語るムーディはハリーの知る彼そのものだった。

 ハワードから頭のてっぺんに杖先を置かれると、生暖かい液体が頭頂部からつま先にかけてをどろりと流れ落ちるような感覚を覚える。見れば、自分の体が透明になっていた。

 便利なものである。闇払いたちは各々自分にも同様の魔法をかけており、これを使ってマグルの目から隠れるつもりのようだ。

 

「さて、出発するぞ。行先は決まってるが、念のためにフェイクを混ぜた飛行をする」

「また死喰い人が襲って来ないとも限らないもんね」

 

 ハリーがさらりと言うと、全員にぎょっとされた。

 いったい何事かと思って驚くも、強い力で両肩をがっしりと掴まれてそれ以上に驚かされる。

 ウィンバリーがあわててハリーに掴み掛ってきたのだ。

 

「ちょっと待て! またァ? またってなんだ!? もう襲撃されたってェのか!」

「え? あ、うん。え、あれ、言ってなかったっけ? てっきり知ってるものかと」

「言ってねェよクソボケ! いったいどこの馬鹿野郎だ!」

 

 ただでさえ悪人面だというのに、怒りに叫ぶウィンバリーは鬼のような顔をしていた。

 ただちに杖を取り出し、ハリーの記憶を読み取ろうとした。手っ取り早く『開心術』で情報を得るつもりなのだろう。男性に記憶を読まれるなどごめんなのでハリーは抵抗したものの、それもむなしく防壁を突き破られた。

 

「ハリエット、なにか体に異常はねェか? いやいい、脳に直接聞く」

「ないって。さすがにあれば気付くし、みんなに言ってる」

 

 小娘の心理防壁など紙のように引き裂けるなど、さすがは闇祓い随一の実力を持つ者である。だが後で覚えていろ、絶対に報復してやる。乙女の秘密は金より重いのだ。

 などという考えは、続く冷たい声によって氷漬けにされてしまった。

 

「ハリー? 今の今まで襲われたことを忘れてたような子が言えるこっちゃないよね?」

「うっ」

「ちょーっと危機感が足りねぇんじゃねーですかねぇ。どのクチが偉そうにナマ言ってんですかねぇ。殺されてたかもしれねぇんだぞオイ! ぁあ!?」

「うう……」

 

 トンクスとハワードの厳しい声で、ハリーはようやく自分が怒られていることに気付いた。

 同性で更に年も近いということもあって、二人は友人のようなものだ。ハワードに至っては同じ十代であるため、もっと近しい関係であると思ったがこの怒り様はたぶん、いや間違いなく心配してくれてのことである。

 激怒して言葉遣いまで変わっているハワードに怯えながら、淡々と小さな子供をあやすように言い聞かせるトンクスに恐怖しながら、ハリーは涙目でお説教を聞いていた。

 

「ふざけてんじゃねぇですよ。ハリー、わたしたち本当に怒ってますからねぇ」

「はひ」

「シリウスやモリーからも言ってもらうからね。その方が君には効くでしょ?」

「ぅぁう」

 

 確かに、命のやり取りをしたというのに軽く考えすぎである。

 唐突に出会ったばかりだというのならまだしも、ハリーは今日一日をキングズリーと過ごしている。相談する暇ならいくらでもあったはずだ。

 女性陣が烈火のごとき怒りを見せていたため、叱り飛ばそうと考えていたムーディがどこか同情的な目をしていた。もう十分である。ムーディまで叱ったら、申し訳なさのあまり声をあげて泣くだろう。

 戦闘力があろうとまだまだ子供だなと思いながら、ムーディはハリーの黒髪に手を置く。「油断大敵だと言っておったろうが」と、なるべく優しく声をかけておくのも忘れない。弟子二人から甘やかすなという鋭い視線が飛んできたものの、あれ以上はやりすぎだ。

 いまのハリーの精神状態では、ほぼ間違いなく飛行に支障が出ることは間違いない。よってムーディは声もなく泣き腫らすハリーに付き添って飛ぶことにした。キングズリーは予定ルートの変更と警戒度を上げるためにイラついており、ウィンバリーはハリーから抽出した記憶から死喰い人の特定に忙しい。

 軽率というか、無防備すぎた。戦い殺し合うことを軽視しすぎているなど、お怒りのお説教は、キングズリーが時間がないからあとにしろと言うまで十分ほど続いて中断された。中断である。目的地に着いた後はまた怒られるのだろうが、決してうっとうしいなどとは思ってはならない。自分の為を思って言ってくれているのだから、ハリーには聞く義務があるのだ。

 ハリーにはあれだけ恋しかったシリウスやモリーと会うのが、なんだか怖くなってしまったのだった。

 




【変更点】
・ダドリーが若干大人に。
・死喰い人増量キャンペーン。
・ハリー増長キャンペーンへし折り。

【オリジナルキャラ】
『ハロルド・ブレオ』
本物語オリジナル。バルドヴィーノ・ブレオの異母弟。
イタリア系イギリス人。黒髪青目の長身痩躯。精密な魔法操作を得意とする。


大変遅くなりまして申し訳ありません。が、ようやく始まりました。
ここから終わりに向かって転がり落ちていくようになります。
どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。

そして私たちの愛する故アラン・リックマンに尊敬と追悼を。
彼の演じる素晴らしいセブルスを私は忘れません。

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