ハリー・ポッター -Harry Must Die- 作:リョース
ハリーは呆然としていた。
ただちに行動を起こさなくてはならないことは分かっていたが、それでもあまりにもショックが大きかったため、キングズ・クロス駅構内のベンチに腰掛けて呆けていた。
いったい、自分の何がいけなかったのだろうか。
ダンブルドアに殴りかかったことで不興を買ったか?
それとも交通事故の影響で、魔力生成に不具合が?
冷静な状態であればまだしも、混乱しきった今のハリーでは正常な判断が出来なかった。
「ぼくが通れなかっただけなのか? それとも、あの壁自体が機能不全を起こした? そうするとウィーズリーさんたちを始め、家族の人々は向こうでどうしているんだろう? こっち側に戻れるのか?」
考えれば考えるほど、不安になる。
ふと顔をあげれば、アーサー・ウィーズリーの持ち物である空飛ぶ車が見えた。
そこで考え付く。
あれに乗って空を飛んでいけば、ホグワーツまで行けるのでは?
そう考えたハリーの行動は早かった。
カートの荷物をフォード・アングリアのトランクに詰め込んで、運転席に乗り込む。
そこで気付くが、鍵は何故か開いていた。まぁかけ忘れたのだろう。
「これで、これで大丈夫だ」
大丈夫じゃなかった。
どうやってエンジンをかけるのか分からなかった上に、運転席にチビな女の子が座っているのを見つけた警察のおじさんにこっぴどく叱られてしまった。
親を待つのなら、後部座席に座りなさい! 好奇心から死んでしまっては、両親に申し訳ないと思わないのか! とのことだ。
その両親がいないハリーには思うところもあったが、ここで何かを言っても無駄に対立を生むだけだ。人はこうして嘘をつくことを覚えるのだな、などと適当なことを考えながら、ハリーはフォード・アングリアから外に出る。
そしてまたベンチの上だ。
時刻は午後三時。ホグワーツ特急はそろそろ自然たっぷりな風景を終えて、岩山地帯を進んでいる頃だろう。
いっそここで待っていれば、ウィーズリー夫妻が車まで来た時に分かるだろう。
そう思ってハリーは、手持ちのトランクからホグワーツの歴史という本を取りだした。
ホグワーツ特急が用いられるようになったのは、当時の魔法大臣オッタリン・ギャンボルによってマグルの技術である汽車を使うことを提案したのが始まりだそうだ。
それまでホグワーツの生徒たちは、各々でホグワーツへ向かって新学期を迎えていたそうだが、三分の一は辿りつけないなどという冗談のような本当の事態に陥っていたことがその発想が出る原因だそうだ。
では当時の生徒たちはどうやってホグワーツへ向かっていたのか。
一六九二年に国際機密保持法が制定される前は、色々な手段が用いられていたそうだ。
テレポートのような魔法的移動手段である『姿現し』ができる親や兄姉を持つ生徒は、彼らに『付き添い姿現し』をしてもらって連れて行ってもらったそうだ。これも数年に幾度か、この危険極まりない魔法を使うための厳しい試験がなかったため、未熟な術師に頼った生徒がばらばらになってホグワーツに現れるというショッキングな事件もあったようだ。
または、先程ハリーが行おうとしたように空を飛んで向かう者。
ハリーも得意な箒を用いての飛行や、魔法生物に乗っての飛行、国際条約で禁じられる前は空飛ぶ絨毯で向かう者も少なくなかったそうだ。
一番確実だった方法は、貴族など身分の高い生徒が用いた手法だ。フクロウ便を飛ばしてホグワーツ教師に来てもらい、そこで『付き添い姿現し』。ホグワーツの教師が使う術ともなれば、安心だろう。
そこまで読んで、ハリーはあっと声をあげる。
ばっと隣を見てみれば、籠の中で不満そうなヘドウィグが。
「そうか、そうだよ。普通に考えりゃ分かることじゃないか」
ハリーは急いで羊皮紙の切れ端にホグワーツ特急に乗れなかった旨を書き込み、申し訳ないが誰か迎えに来てくれると嬉しい。としたためた。
動物虐待だの野生に逃がすななどと文句を言われないために建物の陰に隠れて、手紙を持たせたヘドウィグを飛ばす。彼女に向かわせた先は、当然ホグワーツだ。
一仕事終えたハリーは、安心してベンチに腰掛ける。
気が抜けたせいか、急激に眠気に襲われてしまう。魔法界ではないが、それでも外で荷物を持ったまま眠るなどというのはあまりにも無防備で危険だ。
だというのに、ハリーは睡魔に逆らえず、ベンチにその矮躯を横たえた。
どれほど眠っていたのだろうか。
空がオレンジ色に染まり、カラスがロンドンの空を飛んでいる。
慌てて起きあがれば、何者かがハリーの荷物に手をかけているところだった。
少女が起きあがった事に気づいた男は、騒がれる前に黙らせようと思ったのかもしれない。その大きな手でハリーの口を塞いできた。鼻まで塞いだら死ぬだろうが!
この野郎、と杖を抜き放って吹き飛ばしてやろうとしたところで、男が宙に浮いた。
「な、なんだ!?」
驚いた。ハリーはまだ何もしていない。
大慌ての男は空中で両手足をばたばたと忙しなく動かすが、勢いよく壁にぶつかって気を失ってしまう。あれはどこぞ骨でも折れてしまったのではないだろうか。
いったい誰がこの魔法を、と思って振り返れば、そこには杖を構えたまま怒りの形相で肩を震えさせているスネイプが立っていた。
「ス、スネイプせんせ――」
「この大馬鹿者が! どれほど無防備なのだ愚か者!」
ぶつぶつと文句を言いながら、ハリーのもとへつかつかと歩み寄ってくる。
周りのマグル達が何事かと振り向いて野次馬根性を出してくるが、スネイプが杖を振るたびに不思議と興味をなくしてどこかへと行ってしまう。
怒っている。
見るからに激怒している。
「だいたい乗り遅れるとは前代未聞の大間抜けであるからしてポッター貴様の愚鈍さはまさに親譲りのメガネ野郎のだらしなくて面倒くさがりで人任せで傲慢で卑しくてついでにいやらしくて時間にルーズすぎる奴の特徴をしっかりと受け継いでいるようだな!」
「スネイプせ――」
「何故にこの我輩がポッターめを迎えに行かねばならないのか確かに他より適任であるとは言えしかしてあの老獪なるボケ老人の思惑に乗るのは癪であっても矢張り正しいことも多く従うべきとは分かっているが、やはり腹立たしい! ええい、ポッター! 何故遅刻などした!」
「……うう、」
「えっ?」
予想外の声に驚いて、ようやくハリーの顔を見たスネイプは更に驚いた。
ハリーが、ぼろぼろと涙をこぼしていたのだ。
後に聞けばあまりに心細い中、ようやく知り合いが来てくれて安心してしまったとのこと。
ハリー自身は涙腺が弱くなりすぎたことに多少自己嫌悪しているようだが、スネイプからしてみればとんでもないことだった。往来で、三〇代の男性が、十代前半の女の子を泣かしている。と、見えなくもない。
駆け寄ってきたマグルの警察官や通行人たちの記憶を杖で何とかしてから、スネイプはハリーの首根っこを引っ掴んで即座に『姿くらまし』した。
ホグズミード駅のはずれ、ホグワーツ特急の到着を待つハグリッドの前に、二人は現れた。
この数分でげっそりやつれたスネイプと、彼のローブを摘んでしくしくと泣くハリー。
ハグリッドまでもがあわや勘違いをするところだったが、これ以上の面倒はごめんだとばかりにスネイプは手で制する。ハリーのぐしゃぐしゃになった顔を魔法で綺麗にしてから、ローブを翻して城の方へと黒い魔法使いは消えていった。
「なあ、ハリー。大丈夫か? え?」
「うん。だいじょうぶ。スネイプ先生に、助けて、もらったから」
「おう、おう。心細かったろうなあ、もう大丈夫だぞ。ヘドウィグの手紙もちゃーんと届いとる。俺が世話しちょるからな、安心せい」
ホグワーツ特急から降りてきたハーマイオニーやロンには大いに心配され、城に行ったときにマクゴナガルからは何故遅れたのかの説明を求められた。ハリーが待っていたあの数時間、確かに九と四分の三番線へ通じるゲートが封鎖されているとの記録が残っていたそうだ。やはり危惧した通り、ウィーズリー夫妻含め見送りに来た人々は戻れなかったようだ。
この尋問によって新学期の組み分けを見逃したものの、ダンブルドアが学期最初のお話をする前に席に着くことができた。この新学期パーティのご馳走を食べそびれるのは、あまりにも大きな損だ。
「諸君。また一年がやってくる。夏休みの間に去年学んだことなどすっかりとろけてしまったじゃろうが、それを思い出す前にいくつか話しておくべきことがある」
ダンブルドアの言い回しはやはり変だ。
気持ちはわからないでもないが、教師のする物言いではない気がする。
「昨年度からいる生徒向けのお知らせじゃ。四階の廊下は立ち入りが許可された。ただし、鍵のかかった部屋に入ってはならんことは同じじゃ。闇祓いの試験会場じゃからして、痛い目に逢うだけじゃ」
ここでダンブルドアと目が合った。
なるほど。賢者の石を巡ったあの場所の事か。
学校の中にあんなとんでもない施設を作ったのはなぜかと思ったが、闇祓いの人たち用の施設だったのか。試験会場ということは、毎年採用する際にはこの学校でテストを行っているのだろうか。
ハリーのそんな考えをよそに、話は続けられてゆく。
「森へは、相変わらず生徒の立ち入りを禁ずる。そして今年は《暴れ柳》がひどい風邪をひいてしまったようでの、移されぬよう生徒諸君は体調管理にしっかり気を付けることじゃ」
暴れ柳とは、数十年前ホグワーツに植えられた木であり、魔法界でもぶっとんだ代物である。
近づく者をその枝で殴り飛ばす。それだけの木だ。
いったい何がしたいのかさっぱりわからない。
生物とは総じて、動物であれ植物であれ何らかの目的や生存競争を勝ち抜くための工夫をして進化してきたはずであり、それは魔法界の動植物も人工生物でない限り変わらないはずだ。
だというのに、なんだそれは。
対象を殴るだけだなんて、本当に何がしたいのかわからない魔法植物だ。
「今年度も、廊下での魔法使用を控えてほしいと管理人のミスター・フィルチからの涙ながらの通達じゃ。さて、それでは諸君らにとってどうでもいいお話は終わりとしよう。それ、宴じゃ!」
ぱん、とダンブルドアが手を打ち鳴らすと大広間のテーブルに、料理たちが湧いて出た。
相変わらず茶色い料理ばかりで食べきれないが、それでもハリーにとっては貴重な栄養源だ。
取り皿にフライドチキンやマッシュポテト、レタスとトマトのサラダにかぼちゃジュースといったおいしそうなものを放り込んでゆく。
隣のロンが声をかけてきた。
「ありー、もっひょうももぐもぐもぐ」
「汚い! ちゃんと飲み込んでからにしろよロン」
「ごくん。ごめんよ。ハリー、九と四分の三番線のゲートが通れなかった理由って聞かされたかい?」
「いや。いま調べてるんだってさ」
嘘ではない。
何故かハリーと目を合わせようとしないスネイプや、呆れ顔のマクゴナガルによれば、何者かが細工した可能性が高いとのことで魔法法執行部隊とともに調査をしているとのことだ。
それを聞いてハリーは、忘れがちだが自分が結構な人物であることを思い出す。
要するに、闇の帝王を打倒した唯一の人間であるハリー・ポッターを狙った死喰い人残党の仕業ではないか。という見解だったようだ。
学校内の人間にはクィレルが窃盗未遂犯であることは知れ渡っているものの、彼が死喰い人であったことまでは伏せられている。それもそうだ、ヴォルデモートくんが一年間みんなと一緒に特等席でお勉強してました、などという説明ではパニックになってしまう。
ロンも不思議そうな顔をしながら、ローストビーフにかじりついていた。
「でもハリー、あなた今から疲れていたらあとが大変よ」
「なんで?」
「忘れたの? 来週には今学期初のクィディッチの試合があるじゃないの。伝統の初戦対戦カード、グリフィンドールとスリザリンの!」
――忘れてました。
夏休み中に勉強していたとはいえ、やはり他の生徒と変わらず多少の知識が脳みそからすっ飛んでいたハリーは、一週間必死に勉強して遅れを取り戻した。
そして臨むスリザリン戦。
目の前には箒に乗ったドラコ・マルフォイが嬉しそうに、かつ怒りに燃えた目でハリーを睨みつけている。口元が笑っていながら目は吊り上っている不思議な表情だ。
「ポッター。去年はよくも」
「えっ、ちょっと待って、ぼく何かした?」
下でフーチ先生が正々堂々とお願いしますと叫んでいる中、ドラコが恨みがましい声をかけてきた。
何かしただろうか? とロンに対してはいっぱいあるものの彼に対しては思い当たる節がないハリーが頭をひねっているところに、噛みついてきた。
「何もしていないのが問題なんだ! よくも逃げたな、臆病者!」
ここにきてようやく、ああ、と合点がいった。
賢者の石を追ったあの事件。最後に試練に挑んだ次の週に試合があったのだ。
つまりクィレル戦で大怪我を負ったハリーが意識不明で、欠場した試合。
今回の試合前にもクィディッチ魔人のウッドに激励なのか脅迫なのかわからない叱咤を受けたが、たぶんそのときの激情も混じったものだったのだろう。
しかし逃げただの、臆病だの、ちょっとばかり心外だ。
「去年のことは悪かったと思うよ。だから今ここで君を叩きのめしてやろう」
「……やってみせろ、ポッター」
ホイッスル。
二人は試合開始と共に、シーカーであるはずが全力でコートを疾駆し始めた。
一瞬他の選手が驚いて動きを止めるものの、試合は問題なく開始される。
紅いクアッフルがパスされて飛び、黒いブラッジャーが選手を狙う。スリザリンのマーカス・フリントがその剛腕でクアッフルを投げつけるも、箒を巧みに操った宙返りで勢いをつけた踵落としで、ゴールにはならなかった。
魔法がかかっているため水中のようにゆっくり落ちるクアッフルをかすめ取ったのは、グリフィンドールのチェイサー、ケイティ・ベル。
螺旋を描いて奪われ難い飛行を見せつけるも、スリザリンビーターのデリックがヘッドショットを決める。ケイティがティンダーブラストから滑り落ちてピッチに叩きつけられた。
危険なプレイだが、ルール上はなんら問題ない。獅子寮応援席の怒号と蛇寮応援席の歓声を浴びながら、エイドリアン・ピュシーがクアッフルを捕りこの間隙を突いてゴールを決める。
「ちっ、危険なことをする!」
「でもそれがクィディッチだ!」
選手たちの合間を縫って、フィールドを縦横無尽に飛び回るハリーとドラコはその高速飛行の中でスニッチを探していた。上空で目を皿のようにするよりも、高速環境下での細く尖った集中力で見出した方がよい。二人は同時にそう結論付け、相手に先を越されないためのレースを開始したのだ。
観客席すれすれにドラコが突っ込み、ハリーがそれを追えばフェイントを仕掛けられていたことに気づいてすれすれで停止し、観客に悲鳴を上げさせる。
そのまま方向転換してゴルフボールが飛ぶような軌跡を描き、ピッチ上空を横断した。
「ドラコは、奴はどこへ行った!」
見失ったかと思い、フィールドの遥か上空へ飛んでピッチを見下ろす。
――居た! だが、ドラコはスニッチを追っているわけではないようだ。
ただハリーを振り払ったいまのうちにスニッチを探そうとしているらしく、ピッチの周りを円状にぐるぐる回っていた。まずい、あれではいずれ見つけてしまう。
「すぐに行かなくっちゃ――ッ、うわ!?」
ハリーがクリーンスイープの頭を地面に向けたその時、横合いからブラッジャーが殴りかかってきた。慌ててそれを回避し、体勢を立て直しながら急降下する。
スニッチを、金の影を探して目を皿のようにしていたのが幸いか。
はっと気がつけば、高速で降下するハリーと並走するものがあった。
何者かと思えば、先ほどのブラッジャーではないか。
上空にいたからハリーが一番近いのはわかるが、随分としつこい奴だ。
「フレッド! もしくはジョージ!」
「残念! 僕はフレッジョさ!」
ピッチの中央あたりですれ違ったウィーズリーズに一声かけると、それだけで意味を察したようだ。ハリーを追いかけるブラッジャーを、フレッドは大きく振りかぶったクラブで打ち抜いた。
くぐもった悲鳴を上げながら飛ばされたブラッジャーは蛇寮のモンタギューを箒から吹き飛ばした。
蛇寮応援席から悲鳴が上がるも、ハリーはそれを気にする余裕がない。
「――居た」
今し方吹き飛ばされたモンタギューの巨体が予想外の進行妨害になったのか、不自然な空気の流れで金色の気配が直角に曲がっていった。
あれだ。あれがスニッチだ。
ピッチへ落ち行くモンタギューを飛び越えるように突き進んだハリーは、その緑の瞳で間違いのない金色の輝きを捉えた。恐ろしい形相のドラコが、反対側からこちらへ突っ込んでくる。
まるでチキンレースのように正面衝突しそうになるが、二人はスピードを緩めない。
互いのハートを試す命知らずの勝負。
その軍配は、
「うおおおお――ッ」
「く、お、お……ッ」
ハリーにあがった。
度胸勝負は、ハリーの勝ちだった。
ヴォルデモートと真正面から対峙した女が、今さら怪我の一つは恐れやしない。
一瞬だけ怯えを見せたドラコを嘲笑うかのように、ハリーは伸ばした右手にスニッチを握りしめた。悔しさに顔を歪めたドラコをすり抜けて、スニッチを捉えた腕を高々と突き上げる。
紅い応援席から、歓声が爆発した。リー・ジョーダンのマイクを通して興奮した声が掻き消されるような大声の中で、ハリーは笑顔で応える。
己を責めるような顔をしているドラコが、フンと対戦相手を湛えたのか悔しがっているのかわからない反応で鼻を鳴らしたのを見てハリーは苦々しく笑う。それを見たドラコが勝者は勝ち誇るべきだ、と言いだしたのでハリーが反論しようとしたとき、二人は同時にその場から飛び退いた。
まるでスニッチを狙い撃つように、ブラッジャーが突っ込んできたからだ。
魔法式で動いているにしては、動きがあまりにも悪辣すぎる。
「ブラッジャー!? 試合は終わったのに、なんで!」
思わず手放してしまったせいで、スニッチが逃げてしまった。
試合は終わったので逃げてしまっても大丈夫なのだが、思わず周囲を見回して探してしまう。するとドラコがくぐもった声を漏らしたので、そちらへ意識を向ける。
そこには、側頭部にブラッジャーを食らった彼の姿があった。
信じられない、という顔をしたドラコは、そのままコメット二六〇から滑り落ちる。
上空五〇メートル近くある上空からの自由落下は、流石に看過できない。
いくら柔らかい芝生が敷き詰められているといっても、叩きつけられたら肉塊と化すだろう。
「――ッ、だめ!」
クリーンスイープ七号の柄をみしりと握り締め、ハリーは急降下した。
ブラッジャーがドラコのコメット二六〇を粉々に喰らい尽くしたのち、まっすぐにハリーを狙って飛来してくる。間違いない、あれには誰かが手を加えている。悪意のある誰かが。
本来はチェイサーがビーターからの攻撃を躱すために行う動き、《イナヅマロール》を用いて不規則にジグザグ走行しながら、ブラッジャーの猛攻を避け続ける。
地面に向けて落下するドラコへ手を伸ばすも、ブラッジャーが真横から突進してきて手を引っ込めた。あの勢いと硬度では、まず間違いなくハリーの細腕は砕かれるだろう。
「くそっ! くそっ! 間に合えェェェえええええ!」
観客席からは歓声が消え、悲鳴がとどろく。
風を切る音がびゅうびゅうと耳を叩く。
気が付いたのか、ドラコがうっすらとまぶたを開けた。
大分出血しているようで、身体を動かせるようには見えない。
だが、届かない。
あとほんの数十センチが遠い。
だが、逆を言えばたったの数十センチだ。
無茶をすれば、何とかなる。
「……っぐ! ああっ、あ……!」
身に余る結果を勝ち取るには、相応の、或いはそれ以上の対価を支払わなければならない。
そこでハリーはあえて、自らと並走しようとするブラッジャーの射線上へと躍り出た。
同じ方向へ飛んでいるために多少は威力が弱まるものの、それでも強烈な一撃である事に変わりはない。背骨が軋む音と口の端から暖かい液体が漏れる感覚を覚えながら、ハリーは自身の身体がクリーンスイープの限界速度を超えて加速するのを感じながら、ドラコの身体を抱きしめた。
力の抜けた人体がこれほど重いとは知らなかった。細腕に全力で力を籠め、最近は腕立て伏せとかもしておいてよかったと場違いな考えを浮かべながら急ブレーキをかけないよう気を付けて、ハリーは緩やかに弧を描いて勢いを逃がしながら芝生のピッチに転がった。
歓声を無視して、ハリーは必死でドラコに呼びかけた。
「おい、おいドラコ! しっかりしろ!」
「う……さ、ぃぞ、……ッター……」
「意識を失うなよ、頼むから!」
軽口をたたく余裕があるなら、まだ大丈夫だ。
慌てて着地地点に待機していたらしいマダム・フーチにドラコを預けると、ハリーは大きくため息を吐く。試合が終わったのにブラッジャーが選手を襲うことなんて、本当にあるのか。いや、目の前で見たのだ。有り得ないとは思うが、かけられている魔法が経年劣化で緩くなっていたのだろうか。
ハリーが原因について考えているとき、妙な風切り音を耳にする。
なんだろうと思うのと、嫌な予感が胸を貫いたのは、ほぼ同時だった。
「くっ!?」
ズドン! と大砲のような音を立てて着弾したのは、やはりブラッジャーだ。
ハリーが飛び退いた、一瞬前まで彼女の頭があった位置に大きくめり込んでいる。
これには思わず嫌な汗をかいた。
「おいおい、ウソだろ! うわったッ!?」
転がって跳ねて、脚を開いて仰け反って。
試合で極限まで体力を削られたハリーは、その場から走って逃げることができない。
いや、そもそもこのブラッジャーはそんな隙を与えてくれるだろうか。
ズドンズドンと絶え間なく上下に黒光りするその球体を動かして、忙しなくハリーを狙うブラッジャーには明らかに何者かの意思を感じる。
「ハリー!」
「はッ、ハーマイオニー!」
勝利したのだ、応援席からハリーを抱きしめるためにやってきたのだろうハーマイオニーの声が聞こえる。杖を抜いて魔力を練っているあたり、彼女がなんとかしてくれるだろう。
というかハリーには杖を抜く余裕も、集中して魔力を練る余裕もない。
早急な対処を、と心の中で悲鳴を上げたハリーは、さらに悲鳴を上げることになる。
ハーマイオニーを押しのけて、新任の教師が現れたからだ。
「危ないですよ、お嬢さん! ハンサム……じゃなかった、私に任せなさい!」
「ロックハート先生!」
ギルデロイ・ロックハートだ。
闇の魔術に対する防衛術の新任教師として赴任してきた、稀代の小説家。
自伝のような本を読む限りは、様々な魔法生物の問題を解決を導いてきた戦士でもある。
実際の授業を受けたレイブンクローのパドマ・パチルに様子を聞いたところ、「実際に受けてみればわかるわ。素敵よ!」とのことだった。だがハッフルパフのアーニー・マクミランが言うには「頭がおかしい」とのことだ。
それがどういう意味だったかは、今この場で知ることになる。
「そう! これは明らかに闇の魔術の仕業! ハンサムな私の出番ですね! ウフフ! さぁロックハートちゃんったら大活躍しちゃうぞ!」
「いや早くしてくんない!?」
「おおっとそうでした! いま助けますよハリー!」
ロンの悲痛な突っ込みに我に返ったロックハートが、懐から杖を抜き放つ。
彼も貴賓席から全力で走ってきたため、その動作ひとつで汗が舞った。
きらきらと輝いてスタイリッシュに杖を構えるその姿は、本人が整った顔とイカした髪型をしているだけにそれだけで芸術品のようだったが、今そんなこたぁどうでもいいのだ早くしろ。
「『マキシマム・ドー・ラムカン』!」
ロックハートの杖から飛び出した、レインボーな魔力反応光が見事ブラッジャーに着弾。
無駄に螺旋を描いてカッコいい反応光だったが、そのおかげで射出型の割には範囲が広かったのが小さな的に命中できた所以だろう。そういうやり方もあるのか、とハリーは感心した。
だが感心もそこまでだ。
空中で制止したブラッジャーが、ぶるり、と不自然に大きく震える。
そして、ぼばふんと爆発した。
「は?」
ハリーがマヌケな声を出した。
それはそうだ。ブラッジャーを爆破したのだ。
とはいっても威力は低く、暴れ球が少し砕ける程度のもの。
だがそれが一番まずい。
かつて古代のクィディッチでは、ブラッジャーは石で出来ていた。
それはあまりにも脆く、魔法で強化されたクラブでたたけば容易に砕け散ることになる。
そうなれば、ブラッジャーにかけられた魔法である《プレイヤーを追いかけて叩きのめす》という性質がその破片ひとつひとつに適用され、当時のクィディッチ選手は試合中は飛礫と砂利に追いかけられる羽目になったという。
それがどんな悲惨なものだったかは、今のハリーを見ればわかるだろう。
「うわああ!? 痛い! 痛っ!? ひぎゃあ!」
この場に居るマグル出身の者、またはマグル学を修めている者は一様に同じ感想を持っただろう。
これ散弾銃だ、と。
「いだだだだだ!? ちょ、やだぁ!?」
「ちょッ、ちょ、ハリー!?」
「いやー、ハハハ。まさかこんなことになるなんて、参りましたね! ウン! でもこれで、もうブラッジャーには襲われていないでしょう?」
快活に笑うロックハートを押しのけたロンがやってきて、ハリーを助け出そうと飛び出した。
特に魔法も使っていないため彼も散弾ブラッジャーの餌食になるが、それでもハリーには有り難かった。なにせ、肉の壁になってくれたのだから。
彼のおかげで魔力を練る余裕のできたハリーは懐から杖を抜いて、ロンとタイミングを合わせてブラッジャー郡に呪文を放った。
「『イモビラス』!」
杖先から飛び出した魔力反応光が、スプレーのように拡散して破片どもを呑みこむ。
するとまるで粘ついた空気に捕まったように、ブラッジャーたちの動きが恐ろしく緩やかになった。
こうなってしまえば、もはや脅威ではない。
ロンに礼を言って立ち上がると、ハリーは自分の体を見下ろした。
試合用の紅いローブがところどころボロボロになってしまっている。
篭手を外して腕を見てみれば、白い肌に痛々しい痣がいくつかできているようだ。
同情してくるロンを押しのけて、ロックハートが輝く白い歯を見せて微笑みかけてきた。
「やあハリー、大丈夫だったかね! 乙女の敵は、私の敵も当然ですからねっ!」
「おかげさまで」
「それはよかった! 私も微力ながらッ! キミを、助・け・た、甲斐がありますよ!」
「それはどうも」
「あなたの肌に傷がついていてはいけませんね! 私が診てさしあげましょうか!」
「やめてくれよ」
ロンに背負ってもらって医務室へ急ぐ間もそうだったが、医務室へハリーを運んでからも、ロックハートは「この私が診察するからにはもう大丈夫」だの「レディの扱いがなっていないですねぇフハハン」だのと非常にうるさかったので、マダム・ポンフリーが大激怒して追い出してしまった。
向かいのベッドでは頭に包帯を巻いたドラコが、スリザリンの友人たちに心配されていたがそれらもマダムが追い出してしまう。悲観したスコーピウスが泣きじゃくっていたが、それすら無視である。彼女にとって、患者の前で騒ぐ者は等しく敵なのだ。
それを察知してか、グリフィンドールの面々はまるでお通夜のように静かだった。
やめてくれ縁起でもない。ハリーはそう思うが面倒くさいので言わなかった。
「あのブラッジャー、やっぱり魔法がかかっていたと思うわ。ロックハート先生の魔法を受けても動いていたんだもの」
「……ハーマイオニー、君ひょっとして」
「なによ」
「な、何でもない」
ロンの言葉に、只事ではない視線を向けるハーマイオニー。
彼女は案外ミーハーであり、ロックハートの小説にハマって以降は彼にお熱なのだ。
溜め息をついたハリーだったが、マダム・ポンフリーにぐいと出しだされた飲み薬を前に嫌そうな顔をする。ドドメ色に濁ったそれは、見るからに酷い味なのがわかる。
覚悟して飲んだところ、夏場放置した生ごみのような臭いとねっとりした舌触りに思わずえずく。
マダム曰くこれを飲みさえすればもう退院してよろしいとのことなので、ハリーは我慢してすべて飲み干した。チームの面々から歓声があがる。
袖から見える白い肌から痣が煙を上げて消え去っていくのを見たマダムは、ハリーを触診するため皆に退室を命じた。特に男連中などもってのほかだ。
マダムの適切な処置によって跡形もなく綺麗になったハリーは、制服を着て医務室を出た。
最後にドラコの様子を見たが、今は薬で眠っていて話せる状態ではない。
怪我の程度も頭蓋骨骨折と酷いものだったが、マダムの手にかかれば今晩にでも退院できるだろう。安心したハリーは、ドラコのベッドの横にあった羊皮紙の切れ端に「早く治せ」と一言だけ残して医務室を後にした。
「なんかお腹空いた」
「あんな目に逢っておいて、元気な子だな」
「やあ、セドリック!」
医務室を出て会ったのは、ハッフルパフの上級生だった。
セドリック・ディゴリーと言い、昨年度からハッフルパフのシーカーになった男だ。
その長身と恵まれた体格はハリーと対極と言ってもよく、ドラコを含めてシーカー争いをしたならばこの三人は意地でも一番を譲らないだろう。よきライバルというやつだ。
そんな彼がなぜここにいるのかというと、二人が心配だったからだそうだ。
「相変わらずかっこいい人だね、君は」
「やめてくれハリー。こんな形でライバルが減るのは不本意ってだけだよ」
「それをかっこいいと言うんだよ。あと、今は行ってもマダム・ポンフリーに追い出されるだけだと思うよ。ドラコはぐっすり寝てるみたいだし」
「そうなのかい? じゃあ、後にしておこうかな」
やめる、と言わないあたりがまた律儀だ。
せっかくなので夕食をとるため大広間まで一緒に歩く。
途中でロンとハーマイオニーに出会い、四人で談笑しながら夕食へと思いを馳せた。
クィディッチ選手二人とロンの贔屓のプロチームの話にハーマイオニーが呆れたり、女性二人と上級生の勉強の話にロンが嫌そうな顔をしたり。
実に平和な時間を過ごすことができた四人は、はたと足を止めたハリーを振り返った。
「どうしたハリー」
「大広間はそっちじゃないぞ」
「待って。ちょっと静かにして」
ハリーが手で制すと、三人はすぐに黙った。
訝しげな顔で耳に手を当てているハリーは、何かの音を聞き取ろうとしているようだ。
実際それはその通りで、ハリーは一種だけ聞こえた何かをもう一度聞こうと努力している。
聞き流すには、あまりにも不穏すぎる言葉だった。
『……、……。……』
「……何だ? 何を言っている……?」
『……す、殺してやる……殺す……殺す……』
「――ッ!?」
背後だ!
この声は、背後から聞こえる!
『――殺してやるッッ!』
その前にぼくがおまえを殺してやる、と意気込んで魔力を練り上げる。
懐から杖を抜き放って振り返るも、そこにあるのはただの壁だった。白塗りの、ただの壁。
そんなバカな、と呟いたハリーに、今度は三人が訝しげな顔をする。客観的に見てみれば、談笑していた女が急に魔力を練って杖を抜いて壁に向けているのだ。馬鹿じゃなかろうか。
確かに声は聞こえたはずだ、と三人にハリーが問いかけると、そんな声は聞いていないと言われてしまった。まさか。幻聴だろうか? いや、そこまで疲れているつもりはない。
では、いまのは……?
「ハリー、きっと気のせいだわ。どこかのゴーストが会話してたんじゃないかしら?」
「いや、それにしては随分と物騒なことを……」
「僕もうお腹すいたよハリー。早く行こうよ」
「あ、ああ……」
ハーマイオニーとロンの言葉に、多少納得できないながらもハリーはその場を立ち去る。
明日は一番にロックハートの授業が、次にスネイプの授業がある。
セドリック曰くかなり疲れるだろうから今日は早めに寝るべきだそうだ。
ひとまずは夕食を食べ、お腹いっぱいにしてお風呂に入ることが先決。
四人はそう決めて、大広間へと立ち去った。
不穏な空気を残したまま。
【変更点】
・マクゴナガル先生と同じ結論に辿り着いたのは彼女の教育の賜物。
・役得スニベリー。よかったネ。
・今年度は色々と狂ってるヤツが多いックハート。
・ドラコが被害に。一体誰の仕業なんだ……。
・セドリック登場。原作より親しいです。
【オリジナルスペル】
「マキシマム・ドー・ラムカン」(初出・17話)
・物体を支配下におく呪文、のつもりだった。ドラム缶と新車は爆発するもの。
ロックハートの創作呪文。魔法式すら組まれていないため、失敗して当然。
ちょっと駆け足気味ですが、そのぶん2巻は追加要素が多いのでご勘弁を。
一人で他人の車を運転するなんてことはなかったんや! そこまで冒険家ではない。
狂ったハンs…教師に狂ったブラッジャー。何だか今年度は心に拷問を受けている気分。
今年度は何がハリーに襲いかかるのか。いったい何ックハートなんだ……。