「ちょっと! ここどこなのよ!」
「あ?」
目を回して墜落した神奈子を回収した俺は、予定通り昼食にうどんを作ると紅花を呼んだ。紅花には神奈子の介抱を任せたが、特に問題はないようなのでうどんを食べ終わるまで放置することにしよう。と、考えていたのだが、茶の間の卓袱台で紅花とうどんをすすっていると、どたどたと慌しい足音を響かせ神奈子がやって来た。
「起きたか。やっぱり、外傷はなかったみたいだな。さすが俺」
弾幕、と一口に言っても俺が使うそれはいくつかの役割で分けられている。破壊特化だとか衝撃特化だとか、そうして分けていないとどうにも危険なのだ。破壊特化にすると、森が崩壊するわ山が抉れるわ肉片が飛び散るわ、碌なことにはならない。神奈子を落としたものも弾幕に近いものであるため、破壊特性は最小にとどめてあった。
「お! お前!」
「『お前』じゃない、ウカノだ。もう教えたんだからちゃんと呼べ。あぁ、今から神奈子の分も入れるから、そこに座っててくれ」
俺は神奈子のうどんを入れるために立ち上がった。食べるかどうかは知らんが、まぁ食べなかったら俺がいただこう。神奈子がうどんを知っているかどうか思案しつつ、俺は台所に入って行った。
「ちょ、ちょっと…」
「ここ! 座るの!」
「あ、はい」
「本当にご馳走になるとは思わなかったわ…。それで、何なのこれ」
「うどんだ。若布に油揚げに青葱に蒲鉾に鰹だし。これだけ揃えるのは、なかなか厄介だったが」
「七味かけると、美味しいの。辛いの、好きなの」
「そ、そう」
赤く染まっているうどんに、小さな容器からばさばさとなおも赤い七味唐辛子を振り掛ける紅花に、神奈子が少し引いていた。赤いうどんがさらに紅に染まってゆく。紅花は昔から唐辛子だとか山葵だとかそういうものが好きだったが、あれではうどんの味がしないだろうに。
このうどん、もちろんお手製の手打ちうどんである。小麦は見つけてあったので、小麦粉(中力粉)にする過程が面倒だったぐらいで、それほど苦労はしていない。蒲鉾は結構大変だったけど。
この時代に小麦を使った麺類はないようで、それでもわりと神奈子には好評だった。
「思ったより大人しいな、神奈子」
「ん? どうして?」
「俺に落とされたろう。起きたら暴れだすんじゃないかと思ったんだがな」
「構わず私にうどん出しといて何言ってるの…。私が負けたんだから、いちいち文句を言うわけがないわ。にしても、納得いかないわね。こんな小さな土地の、動物神程度がどうしてあんなに強いわけ?」
素直にうどんをすすりながら、しかし胡乱げな視線を俺に向ける神奈子。俺としては信仰の大小で力を決定付けられることが心外だ。そもそも、今ぐらいの信仰による神力では、あろうが無かろうがそれほどの差はない。
「言わなかったか? 俺は確かに今は土地神をやってはいるが、元々は別の物だった。それに、俺が狐であることは間違いないが、この時代の狐とはまるで別物だぞ。まぁ狐に対して仲間意識が無いわけじゃないがな」
この時代の狐を見ていると、昔の自分の兄弟を思い出す。結局別れてから会うこともなかったが、今頃は別の動物か、あるいは人にでも転生していることだろう。あの頃は魂を識別することが出来なかったので、今更捜してみることも出来ない。捜してどうする、というわけでもないしな。
「それよ、それ。お前、あぁ、ウカノだっけ、『禍物』って言ったじゃない。あれって何なのよ、結局」
「2~3億年ぐらいにもっとも栄えていた種族、化け物かねぇ…? 外見としては、今生きているあらゆる動物を怪物化した感じだ。3mのムカデとか、四枚羽根の蝙蝠とかな」
「2、3億って…旧神話の時代じゃない。イザナギ様やイザナミ様の国産みの時代。その時から生きてたって…さすがにそれは嘘だわ。ウカノも旧神の一人ってことになるじゃない」
旧神話ね。後々からすれば今も神話時代になるわけだから、妥当だろうか。まさか恐竜の時代を挟んでいるとは、夢にも思わなかったが。人類に空白期があって、それでも一応情報が伝わってるってことは、昔の話は天界あたりから伝わったのかな?
「信じる信じないは神奈子次第だがな。気になるんなら、アマテラスあたりに聞いてみたらどうだ? あいつのことだ、たまに地上に降りてきてるんじゃないか?」
太陽信仰はかなり昔からあったはず。地獄にも降りてきていたアマテラスが、太陽神として地上に来ていても不思議ではない。それにアマテラスは土着神ではないので、大和の神とか言っていた神奈子が知っている確率も高い。あれ、神話じゃアマテラスが神奈子達を追い出しことになってたっけ。しかし神奈子の話を聞く限りでは、そういう事実はないようだ。
「アマテラス様…? 確かに時折天上から降りてきているけど。もしかしてアマテラス様と知りあい…ぶっ」
と、突然神奈子が噴きだした。幸い口にうどんを入れていなかったので、屈辱的なことにはならなかったが、身体が揺れた拍子に器から汁がこぼれてしまっていた。
「あーあー…何やってるんだ神奈子。漏らしていいのは隠し事だけだぞ」
「ちょ、え、えぇ?」
神奈子は自分が汁をこぼしたことにも気づかないようで、俺の後ろを見ながら愕然としている。しかし今俺の後ろには俺しかいない。いったい神奈子が何を見て驚いているのかは分からない。
「あ、お母さん達帰って来たの。おかえりなの」
『ただいま、紅花』
夢中でうどんを食べていた紅花も、顔を上げて俺の後ろを見た。そして紅花に返事をしたのは俺の後ろで、ずらりと立っている六人の俺である。全員が顔を無表情に固め、それぞれ尻尾は一本だけだが間違いなく俺自身だ。
半透明の霊体になって屋敷の壁をぞろぞろと抜けてきた分霊達だが、我が家では日常茶飯のこと。六人とも今回の用事を終えたので、ここに戻ってきたのだ。
全員がぽわぽわと尻尾に戻ってゆく。ただ、この瞬間はどうにも慣れない。六人の記憶や経験が全て俺に入ってくるためだ。というより、混ざっていくような感覚か。全員が等しく俺自身なせいで起こる現象なのだが、まぁ仮に失敗しても自己を消失するなんて事はない。
…全員がばらばらの場所に行っていたので、テケの転生体を見つけたのは一人。どうやら山中でキノコを食べて死に掛けていたらしい。何やってるんだか。ただ、順調に霊力が増えていた。この調子で増えれば、すごいことになること請け合いだ。
他の五人は、新しい作物を見つけただとか、餓死しかけだった人間の突然変異を拾っただとか、そこらへんの木っ端妖怪に喧嘩売られただとか、人間の妖怪退治に大海を教えたとか、そんなところか。
頭の整理が終わらせて息をつき、俺はまたうどんに手を伸ばした。
「ちょ、何なの今のは! それに力が増してるじゃない、どういうこと!?」
しかし、その前に神奈子が卓袱台に手をつき身を乗り出した。その拍子に各々の器も揺れるが、紅花も俺も倒れる前に器を右手で持ち上げていた。神奈子のは知らない。とりあえず倒れるのは免れたようだが。とりあえず、俺は卓袱台がひっくり返る前に左手で卓袱台を押さえつけてから神奈子の質問に答えた。
「何って、分霊だろう? 分霊って神の特技の一つじゃなかったっけ」
「分霊ぃ? あれが? 分霊っていうのは、分社を作ってそこに神の力の中継点である御神体を据えることよ。あくまで神は一人だけ、身体が増えたりするわけじゃないわ。だから基本的にそれぞれの分社に伝わる神の力は均等だし、神霊が分割されるわけじゃないから、力が小さくなることもないわ。…あなたの場合文字通り分けてるわね。理解できないわ」
「ふーん。これが分霊ってわけじゃなかったのか。…まぁ定義が違うだけで、こっちも文字通り分霊だからいいじゃないか」
「良くないわよ…。なんでそれだけ弱体化してて、私に勝てるのよ。まさかさっき言ってたことは本当だっていうの…?」
脱力したように、神奈子はすとんと自分の座っていた場所に腰を戻す。俺もそれに合わせて左手を卓袱台からどけた。そして、計らずも神奈子と同じタイミングでうどんに手を伸ばす。
…しばし、うどんをすする音だけが茶の間に響いた。
「それで、神奈子はこれからどうするんだ? 予定通り本命とやらのほうに行くのか? えーと、土着神の……ミシャグジ様とか言ったっけ。そういや、それらしきのを『俺』が見つけてたな」
うどんの器を下げながら、俺は神奈子に聞いた。自分でうどんを出しといてなんだが、のんびりしていていいのだろうか。
ミシャグジ様とは簡単に言えば祟り神だ。それこそ、恐怖で人間を支配しているタイプの神の代名詞でもある。それでもその恩恵も大きい。奉られている地ではそれぞれ強力な守り神となり、人間を守っている。正直俺の朱色でも手出しはできそうになかった。
ミシャグジ様の信仰が厚いのも、これらの強力な飴とムチからだろう。
ミシャグジ様を束ねているやつは諏訪地方の辺りにいるんだったか。俺のところからわりと近いな。
「一度出雲の方に戻るわ…。ウカノのお陰で、調子が駄々下がりなのよ。肩ならしに来ただけだったのに、とんだ爆弾だったわよ」
神奈子も含めて、大和の神々はそれぞれ各地の主要な土地神や土着神に喧嘩を売っている真っ最中らしい。言うなれば、神話の戦国時代だろうか。ただ神々も自由思考のものが多く、どうやら信仰を奪った後のことについては決まっていないとか。とりあえず獲った土地でがんばろー、みたいなノリらしい。適当だな。大和の神々、いいのかそれで。
で、その中でも有望な神奈子さんは、強力な土着神ミシャグジ様の相手になったと。意気揚々と向かい、その前に景気づけにそこらの土地神をひっかけてみれば、自分より強かったなどとは予想もつかないだろう。俺は神奈子の運の悪さに合掌した。俺としては久々に思いっきり動けたので、運が良かったが。
「まだ宣戦布告してなくて良かったわ…。そこらの土地神に負けたので一度帰りますなんて、恥ずかしすぎる…」
「いつぐらいになるんだ? 諏訪地方の方に行くのは」
「多分…二ヵ月後ぐらいね。それほど長くはかからないわ」
「じゃ、俺が宣戦布告に行こう。使者的な感じで」
「はぁ?」
俺の提案に、神奈子は疑問とともに眉をしかめる。が、俺の中では諏訪の方に行くことは決定事項だ。テケの転生体は捜し終ったので、しばらく暇なのだ。どうせなら何かしていたい。
「あ、『止めろ』って言っても行くからな。あそこは気になってたんだ、丁度いい。ミシャグジ様の束ね役とやらの顔を拝んでくるさ」
「…分かったわよ、頼むわ。私が途中まで来て、途中で帰っていったなんてことは言わないように」
渋々といった風に、神奈子は溜息をつく。いつかと同じように、それに連動するように大きな注連縄が揺れた。
ちなみに神奈子が背中に背負っている注連縄は外していなかったりする。介抱していた時もだ。ささやかな嫌がらせに、うつ伏せに寝かせていたりしていたのだが、神奈子はそれには気づいていないようだった。
どうせなら外して隠してみてもよかったかな。