東方空狐道   作:くろたま

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心の痛みとは他をおもうが故である

 

 

結界に紅花を置いて食べ物を探しに出た俺は、しかし十分も経たないうちに探索をやめ、結界のあった場所へと全力で引き返していた。

この時の俺は近年稀に見る焦りようだったろう。植物だろうが岩だろうがお構いなしに吹き飛ばし、元の場所へととにかく走る。望外予想外の出来事と結界の中にいたはずの紅花の安否にかきたてられ、他を気にしている余裕など無かった。

 

つい先ほどのこと、あの場所に何万年も張っていた結界が破壊されたのだ。幾度となく改良し、張りなおしていたため綻びなどは決してない。しかし、仮に恐竜が大挙をなして体当たりしても破壊されないような結界は、『内側から』呆気なく破壊されてしまった。

 

実を言えば、あの結界は外側からの力に対してはそれこそ物理的にも馬鹿げた防御力を誇るが、しかし内側はそうではない。元々あの結界は外側からの干渉を遮断するために張ったためのもので、決して内側にいるものを捕らえるための結界ではないのだ。いや、今の紅花程度の力では破壊出来ないほどの代物ではある。だが仮に、俺の式神が八体ほどで攻撃すれば破壊出来るのではないだろうか。

 

そうだ。俺の結界を破壊したのは十体の俺の式神だった。

 

「やっぱり…! 全部なくなってる!」

 

結界のあったはずの場所は、地面がえぐれ術式の残滓も分からないほど惨憺たる光景となっている。紅花も俺の式神もどこにもいなくなっていた。そして、置いたままにしてしまっていた式紙や式玉も無くなってしまっている。

 

俺はその場を中心にして、感覚を外側全方位に向けて限界まで広げた。瞬間、頭に入る情報量も莫大なものとなる。それら全てを取捨選択し、紅花と式神の反応に意識を集中した。

 

本来なら俺の式神は常に俺とパスでつながっている。それは俺が式神を維持するためであり、そして万が一の時のための安全装置でもある。どれだけ離れていようと、精度は落ちるものの、俺の能力の特性上俺には式神に対しある種の絶対権があった。たとえ他人が俺の式神を操っていたとしても、有事の際には俺がコントロールを奪えるようになっているのだ。

 

しかし、今回俺の結界を内側から破壊した式神達は完全に俺の手から離れてしまっていた。紅花の世話を任せていたはずの式神からも、その反応は無い。そのコントロールどころか、もしものためのパスですらだ。こうなってしまっては、一度近くまで接近し直接能力で奪い返さなければならない。

 

俺の感覚に引っかかったのは、この場から高速で離れてゆく十体の式神、そしてそのうちの一体を追いかける紅花だった。おかしなことに、十体の式神はそれぞれ別々の方向に動いており、まるで整合性が取れない。

 

「まさか、暴走しているのか?」

 

もともと俺が式神を作った時から、億が一にでも何らかの形で暴走をしてしまう可能性は考慮していたため、パスをつないでいたのだ。しかし、そのもしものためのパスも今は途切れてしまっている。このパスは何者かが術で奪えるようなちゃちなものではない。先も述べたように、俺には式神に対し能力による不条理な絶対権がある。もしもパスに干渉できる者がいるとすれば、それは俺と同様、同系統の不条理な能力を有している者に他ならない。

 

「くそ! 完全に俺のミスだ…!」

 

そして、式神は基本的に受動的にしか動かない。暴走する時にしたって、誰かが一度発動させなければ暴走などするはずがない。

結界の中にいたのは、俺の式神と紅花のみ。この式神も何者かに操作を奪われた事を考えると、やれる者は一人しかいない。

 

俺の誤算は二つ。一つは、結界を外側からの侵入がほぼ不可能だと推測していことから、内側を考慮せず絶対のものと過信してしまったこと。もう一つは術式をまだろくに扱えないと思っていた紅花のそばに、式神の核たる式紙や式玉を放置してしまったこと。

 

紅花は、俺の情報をいくらかコピーした一個の存在なのだ。俺の能力もいくらか引き継いでいたとしても、不思議ではない。今式神が暴走させてしまったのも、この能力をうまく使えていないせいだろう。

 

紅花が式神を追いかけていると思われるのは、おそらく俺に叱られると思ったためだろうか。だが、今回の原因は俺の不注意だ。

 

「怪我などしてくれるなよ! 紅花!」

 

式神を三体作り、散らばる式神のうち九体を追わせ、俺は紅花のいる方向へと全速力で飛んだ。行かせた式神には、どうにもならない時は式神を破壊するようにと指令を与えてある。

 

暴走している以上、いつかは式神止まる。紅花からのコントロールも外れているはずなので、器を維持する事が出来なくなるはずだ。しかし、それでも放置することは出来なかった。今回のことは俺が原因ではあるが、少なくとも紅花も関わっている。仮に取り逃がした式神が他に大きな影響を与えても、俺は紅花を責める気は微塵も無いが、紅花が自分自身を責めてしまうかも知れない。それを、俺はどうしても避けたかった。

 

その上、さらに悪いことに今回暴走している式神のうち数体には厄介な機能がついていた。

俺の式神には大まかに分けて二種類がある。半自律式神と、憑依式神である。本来はどちらかでしかないのだが、しかしその数体には試作として両方の機能を付与していたのだ。

 

憑依式神とは、ある種の拡張ソフトである。既存の存在と契約を結び、それに憑けることでパスをつなぐ。そして憑かれたものは、憑依式神によって本来の自身の能力が拡張される。簡単に言えば、より優秀に強力になるというところだろうか。

 

恐竜に試した時は、相手に契約を結ぶほどの知能が無かったために俺からの強制契約となってしまったが、得られた結果は大きかった。知能もいくらか上がったのか、俺に対して従順になり、そして他のどの恐竜よりも強くなっていた。…結局その時はその契約はすぐに破棄したのだが。どうせ、強制的に結んでしまったものなのだ。相手の意思など関係なく。

 

さて、本来であれば俺が契約をしなければならず、憑依式神が能動的に何かに憑依するなどはありえないのだが、今度の、いわば半自律憑依式神は違う。確証はないが、おそらくあれらは自身を仮主として対象に憑依する事が可能だ。その上暴走してしまっているために、もしも大型恐竜に強制憑依でもしてしまえば、被害は甚大なものとなるだろう。そして、今の紅花では式神憑依した恐竜には勝てない可能性が高い。実のところ、今回の半自律憑依式神とは式玉の式神達だ。式紙による憑依式神とはそれこそわけが違う。

 

しかし、とにかく俺が近くまで行ければ暴走していようが憑依していようが、強制的に止めることが出来る。俺が行くまで紅花が無事でいる事を願いながら、俺は飛ぶ速度をさらに速めた。

 

 

 

 

紅花は焦る鼓動を気にもせず地上を疾走していた。目の先にいるのは自分と八割九分同じ姿をした、白い髪の少女である。紅花はその白い少女を追いかけていた。

 

結界にいた紅花が願ったのは、結界が無くなることだった。何かの理屈が、根拠があったわけではなく、紅花は自然に式神に手を伸ばし、ひたすらにそれを願った。

 

そしてその願いはすぐに叶う。式神達の暴走という形で。

 

紅花はまだ術式を自身で組み立てることは出来ない。式紙を介せばその式紙にある術を使えるかも知れないが、しかし式神はそれとはわけが違う。それでも紅花が式神に干渉することが出来たのは、紅花の持つ能力に理由があった。

 

『式神を操る程度の能力』。

 

ウカノの持つ『式を司る程度の能力』と比べると、まるで汎用性に欠ける、むしろウカノの能力を劣化コピーさせたような代物かもしれないが、こと『式神』という分野においてはウカノに近い絶対権を持っていた。

 

だが、紅花が望んだのは漠然とした結果であり、明確なコントロールは最初から取らなかった。そして紅花は能力の使い方も、そもそも能力を持っていることすら知らなかった。それゆえ、顕現していた式神も、式紙や式玉状態だった式神も、ウカノや紅花の操作から外れ、結果的に暴走したのだ。これは、紅花も、増してや式神達が意図したものでもない。本来ならば、誰からの命令も受けていない式神の機能は停止するはずなのだ。

 

今回の起動が無意識の紅花の能力が原因だったために、中途半端な命令を受けた式神達は誰からの操作もないままに暴走してしまった。ある意味、紅花の能力は優秀だったとも言える。不完全な形で発動し、式神を『操る』ことは一瞬しか出来なかったわけだが。

 

暴走を始めた式神達に対し、紅花は何も出来なかった。

スペックならば紅花の方が確実に上なのだが、しかし機能性という面では、経験の足りない紅花ではただただ機械的な式神達には劣る。その上、一度に十体の暴走となると紅花には止められるはずもない。結果的に式神達は結界を滅茶苦茶に破壊すると、方々へと凄まじいスピードで勝手に走り去ってしまった。

 

紅花は呆然としていたが、すぐに我に返り式神のうち一体の後を追いかけた。ウカノの結界を破壊し、そしてウカノの式神達を理由は分からないがあちこちに散らしてしまった。なので『おかーさんに叱られる。おかーさんがワタシを嫌いになっちゃう』、そう思ったのだ。もともと外に出る、という言いつけを破るようなことをしようとしていた紅花だが、これらのことはそのこと以上にまずいことだと、紅花は気づいていた。しかし紅花は何をすればいいか分からず、とにかく式神を追いかけることにしたのだ。

 

「まって、あ、もと・もどって…」

 

前を走る式神に必死に呼びかけるが、式神は無言のまま走り続け紅花に答える気配は全くない。紅花には、その後ろ姿がウカノの、母親のものと重なってしまった。だから、紅花は必死に追いかけた。ここで白い式神を見失えば、ウカノにも置いていかれるような気がしていたのだ。

 

「まっ・て…おいて、いか、ないで」

 

紅花は懸命に手を伸ばした。ウカノに生み出され、生まれてからウカノしか頼る相手のいない紅花にとっては、ウカノは自身の全てと言えよう。だからこそ、置いていかれることなど、それは紅花にとって死に等しいことだった。

 

「えぅ!?」

 

急に、前を疾駆していた無表情の少女が紅花の方を振り向いた。しかしそれは止まるためではなく、紅花にとっては最悪の展開だった。少女は、強く地を叩く音とともに紅花の方へと高速で方向転換したのだ。紅花はそれにすぐ反応できるはずもなく、迫る少女に対し何の防御も出来なかった。

 

物言わぬ少女の言葉は、紅花と同じ大きさのはずの小さな拳だった。しかし、見た目はただ脆そうなそれは、岩のような硬さを伴い凄まじいスピードで紅花の腹につき込まれる。スピードに乗っていたはずの紅花の身体は、その逆方向へと簡単に飛ばされた。

 

「ぁっ、ぎゅっ」

 

地に勢いよく倒れた紅花の口から、うめき声が漏れる。肺から一気に空気が押し出され、咽たのだ。

 

「い、たい…いたい・よぅ…」

 

お腹がちりちりと熱さを帯びてゆき、そして身体の中までずきずきと痛んでいく。痛みというものを初めて知った紅花は、感覚を支配してゆくそれに、ただお腹を押さえることしか出来ない。その視界も、何かをこみ上げるとともに涙で歪んでいった。

 

「$\ШБ?&$#」

 

「ひっ! おかー・さん…おかーさん!」

 

ざしっと、何かが地を踏む音ともに、そんなわけの分からない、言葉なのか音なのかも分からないものが聞こえ、紅花は身を竦ませた。恐怖が全身を支配し、そこから動くこともままならない。紅花にできたのは必死に母親を呼ぶことだった。

 

「…?」

 

目を閉じ震えていた紅花は、何も起きないことに首をかしげた。

と、それからいくばくもしないうちに、地面が微かに揺れる。だんだんとその揺れは大きくなってゆき、ついに『ずしん』という音が紅花の間近で聞こえた。その音は、間違いなく何かとても重いものが紅花の近くにやってきた事を示している。

紅花はびくっと身体を震わせ、恐る恐る顔を上げた。

 

「………■■■」

 

「――――――!!???」

 

顔を上げた紅花の目の前にいたのは、紅花の数倍の巨躯を持つ巨大な生物だった。全身を重厚な皮膚が覆い、凶悪な外見の二本の足が地を踏みしめている。四肢には鋭い爪があり、突き出した顔には割けた口が、何本もの牙があった。そして、冷たく縦に割れた瞳がじっと紅花を見つめている。

 

それは、式神に憑依された恐竜だった。

 

 

今の式神には明確な思考は存在しない。

ただただ、『結界を破壊する』という命令、いや存在意義に動かされていた。

紅花を攻撃したのは、自身を追う者を邪魔をする者と判断したためだ。近くを通った恐竜に憑依したのも、排除に最も確実な方法を選んだだけだった。

 

片や無感情で自動的で機械的。片や苦痛と恐怖と絶望。

 

半自律式神と、完全自律式神である紅花には、それほどの隔たりがあった。

 

 

「――■■■■■!!!」

 

「ぁああああああああああぁぁああぁぁぁぁぁああああああああぁあああああぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁあっ!!?」

 

恐竜は一声吠えるとがばっと口を大きく開き、目にも止まらぬ速さで紅花へと迫った。牙の一本一本が唾液でてらてらと光り、口の端からびちびちと唾液が飛び散る。一瞬の光景だったが、それらが紅花にははっきりと見えていた。それと同時に紅花の身体が完全に硬直する。先の恐怖など比べ物にならない脅威が、殺意じみたものを撒き散らし迫り来ているのだ。

 

その瞬間、紅花の見る世界がとてもゆっくりとしたものに変わる。

この時の紅花の頭にあったのは、未知()への恐怖と、ウカノの言いつけを破ってしまった後悔だった。

 

そして

 

 

 

「うちの娘に何しとんじゃこらあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

 

 

 

轟と、その全てが鈍速の世界において、巨大な瓢箪が紅花の頭を食いちぎろうとした恐竜の巨躯を凄まじい勢いで薙ぎ払った。

恐竜の姿は紅花の視界から掻き消え、余波が周囲の木々をざわざわと鳴らす。紅花は目まぐるしく変化していった光景に対応できず、ぱくぱくと口を開閉させた。

 

 

 

 

「紅花っ」

 

俺は空っぽの表情で膝をついている紅花に走りよった。紅花も俺に気づいたのかよろよろと立ち上がり俺の方へと歩いてくる。紅花の腹部の様子がおかしい。やけに体温が上昇している。それはつまり紅花が何らかの怪我を負ったということだろう。

間に合わなかった、そんな言葉が、俺の頭の中でめぐる。確かに、紅花は死んではいない。だが、身体にも精神にも傷を負わせて間に合った等と言えるか? いいや、言えるはずがない。

俺の不注意で、紅花に傷をつけてしまった。正直、悔やんでも悔やみきれない。

 

と、紅花は俺の手前で立ち止まると、俺から顔をそらすように少しだけ顔を俯かせた。その口は小さく動いている気が、俺にはした。

紅花にさらに近づくと、俺の耳に小さな声が聞こえた。

 

「……ご・めん、なさい。ごめん、なさい、ごめんなさい」

 

次の瞬間には、俺は紅花の小さな身体を抱き締めていた。

 

「ごめん。ごめんな、紅花。俺が、悪かったんだ」

 

ふるふると震える身体を、ぎゅぅっと抱える。溢れだしそうな紅花の心を安心させるように、包むように。

徐々に紅花の謝る声は小さくなってゆき、代わりに喉の奥から漏れだす嗚咽が大きくなっていく。紅花もぎゅっと俺の身体をつかんだ。

 

「う゛ぅーーーーーーーーぅぁあああああああああああああああああああん!!!」

 

「大丈夫だから、もう大丈夫だからな」

 

とうとう大きな声で泣き出した紅花を、俺はただただ申しわけなくて、ただただ愛おしくて、抱きしめ続けた。少しほつれてしまった髪を撫で付けるように撫でる。俺の服は紅花の涙でどんどん濡れていったが、少しも気にはならなかった。いや、むしろそれほど泣いている紅花のことが気になっていた。

少しでも早く、また紅花が笑えるように、また紅花の笑顔が見られるように、俺は少しだけ俺よりも低い小さな赤い頭を撫で続けていた。

 

 


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