実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー 作:向日 葵
四月二〇日。
猪狩vs神高の試合。
この日は葉波はベンチスタートだった。
対するキャットハンズのスターティングメンバーには、春涼太の名が刻まれている。
『打ったー! 近平の打球がショートへー! しかし……ああーっと春、これをグローブで弾いてしまったー! ボールは転々と転がり抜けていくー! その間にセカンドランナーが生還ー!』
――しかし、その動きは冴えない。
ベンチから見つめるパワプロでもはっきりと解る。春の動きは――高校時代から何一つ変わっていない。
高校レベルと比べればプロは未知の領域だ。投手も凄ければ野手も凄い。特に驚くのは、打球の質の違いだろう。
フライ、ライナーはぐんと伸び、ゴロも速い。高校時代のような対応をしていては、そのスピードに対応できないのだ。
そして、春はそれに失敗している。
四年立っても成長の後が見えず、打撃も代打専門――一軍に出ている分他の選手よりは恵まれているのかもしれないが、それでもこの成績では生き残るのは厳しいだろう。
(春……)
敵ながら、見知った顔なだけあって、葉波は心配してしまう。
結局、この点が決定打となってカイザースは二連勝を収めた。
本拠地での二連勝。これでカイザースは波に乗れるはずだ。
喜ばしい一方で、やはり気になるのは春だ。昨日も一ノ瀬のボールに全く対応出来ず、今日は守備でもミスを犯していた。
(そんなんじゃ、プロじゃ生き残れねぇぞ……?)
思いながら、葉波はダグアウトを後にする。
結局、この試合は葉波に出番はなかった。
試合後、キャットハンズのロッカールームにはコーチの怒号が響く。
「バカヤロー!! なんであんなイージーゴロをミスするんだ! 練習が足りねぇんじゃねぇのか!!」
「っ、すみませんっ……」
「謝る暇があるんならノックでも受けてろ下手糞! もうお前は使わん!!」
バァンッ!! と扉が乱暴に閉められた。
怒って出ていったコーチが閉めた扉を見つめながら、春ははぁ、とため息を吐いた。
春は一人ロッカールームに残され、叱られていたのだ。
練習はしている。最近は試合後三時間程練習してオーバーワークなんじゃないかとトレーナーに言われた程だ。
それでも、守備は一向に上達する気配がない。
(パワプロくんは……上手くなってたな)
パワプロだけじゃない。友沢も、あおいも、みずきも、矢部も、そして、聖も。
プロ入りした同期の面子は皆書く球団の主力として躍動し始めている。
それに比べて、自分はどうしてもカラを破れない。
練習しても練習しても、どうしても守備範囲は広がらず、そのせいか打球に追いつけずに弾いてしまう。
打撃にしてもそうだ。チャンスだとあんなに振りきれるのに、チャンスじゃない状態だとどうしても迷いが生まれ、狙い球を絞りきれない。
(……プロで生きていく、俺には無理なのかな)
四年だ。
その時間は短いようで長い。四年間一個も成長出来てないのだとしたら、自分はプロでやれるだけの力を持っていなかったのではないだろうか。
ぎゅ、と拳を握りしめて天井を見上げる。
迷いは深まるばかりだ。解決の糸口すら、見えない。
(……聖ちゃん、みずきちゃん……俺、どうすればいい……?)
☆
「では、本当にいいのですか? 世渡監督。あれほど惚れ込んでドラフトの時にプッシュしていたのに」
「仕方ない。出したくはないけどね、……だが、このままでは彼は潰れてしまう」
「分かりました。……カイザースにはオファーを出しました。ウチとしては、丁度良く捕手の控えが欲しかったですからね。葉波選手が出てきたお陰で捕手が二軍に落ちましたから、大谷くんを獲得したい所です」
プロとは無情だ。
例外もいるが、ほとんどが約二〇年で選手生命を終えてしまう。
その短い期間の中で、いかに結果を残し一つしかないレギュラーポジションを奪って、そこを長い間守ることができるか――それがプロで生きていく為に必要な事だ。
中には控えとして生き残る選手も居るだろう。だが、それだけでは生き残れない。
どんな選手でもしっかりと定位置を掴み、存在感を見せなければならない。それが出来ない選手は総じて消えていくのだ。
しかし、特定の守備位置を守れるのは一人だけ、という訳ではない。
「うん、向こうもショートの友沢くんの控えが欲しいだろうから受けてくれるだろう。春と谷村くんのトレードを、ね」
――プロ野球には幾つもの球団がある。
仮に一つの球団の中でレギュラーポジションを得ることができなくても、他球団に行けばポジションを掴むことが出来るかもしれない。
自分の居場所を見つけることが出来るかもしれない。
その可能性を、優勝を目指しながら模索する。それが球団のフロントという立場なのだ。
「これが転機になってくれればいいね。……出来ればウチとの戦い以外で、さ」
世渡監督は深くため息を吐いて窓の外に目をやる。
願わくば、自分の手で開花させてやりたかった。
だが、どんな選手にでも育成の相性というのがある。
春涼太という選手は世渡の手腕やキャットハンズの環境では育てる事は出来なかった。
でも、もしかしたら神下監督なら――カイザースならその芽が出るかもしれない。
「でも、出来ればカイザースには断ってほしいな」
「はは、不思議なことをおっしゃる。でも気持ちはわかりますよ。……どんな選手でも、戦力外通告、FA宣言、トレード……総じて、選手が球団を去っていくのは寂しい事です」
二人は苦笑しあいながら明日に想いを馳せる。
明日はカイザース戦の三戦目、先発予想はカイザースは山口、キャットハンズは小沢という左の中堅選手だ。
五月一日
月が変わった。
朝早くに目が覚めた俺は、一人閑散としたリラックスルームのソファに腰掛ける。
キャットハンズを本拠地に迎えた三連戦を三タテで波に乗るかと思われたカイザースだが、相変わらず調子の波が激しく、あれから三カードを消費したがまだチームは四位だ。
特に顕著なのがチャンスに後一本出ないという状況だ。蛇島と友沢が何とかチャンスを作っても、ドリトンと飯原さん、近平さんが上手くランナーを返せず無得点というパターンが多いし、監督も頭が痛いだろう。
「明日も俺は控えかなぁ」
ゆたかを勝たせたリードを評価されてゆたかの専属捕手みたいな形で起用すると明言され、実際そういう風に使ってもらっている訳だが、やっぱりそれじゃ物足りない。
毎日試合で出して貰いたいのに起用されるチャンスが少ないからなぁ。フラストレーションが溜まるぜ。先発投手ってどうやってそういう気持ち消化してんのかな。
ちなみにゆたかと俺のバッテリーで組んだ二試合目はやんきーズで、ゆたかは七回二失点で再び勝ち投手になりこれで二連勝。防御率も四点台に落ち着いてきてゆたかのご機嫌はマックスだ。
どれくらい良いかというと、朝食堂で会うと「せんぱーい♪」とご機嫌で俺の腰に抱きつき(その時に胸がちょっと当たって嬉しい)、猫みたく甘えるくらいである。
……まあ、嬉しいならいいんだけどさ。流石に最近チームメイトからの冷たい視線も慣れてきたし。
なんてどうでもいいことを考えながら、リラックスルームにあるテレビで常に流されているカイザースチャンネル(猪狩カイザースファン御用達の専門チャンネル、猪狩カイザースの試合を一四四試合生中継という他球団ファンにも嬉しい衛生チャンネル)を眺めていると、
ぴろりん、ぴろりん、と間の抜けた音と共に上にテロップが流れた。
「……ん……? …………キャットハンズ春涼太内野手とカイザース大谷新太捕手のトレードが合意……大谷さん、キャットハンズに行くのか。……ってっ!! 春!?」
春涼太ってあの春涼太だよな!?
そう想った瞬間、俺のケータイがチャララーチャーラーラーチャーラー! と鳴り響く。
あおいからだ。
「もしもし?」
『あ、パワプロくん、おはよ! あの、ニュース見た? 春くんの』
「ああ、おはよ。今テロップで流れたよ。トレードだって」
『う、うん、今今、こっちでも発表されて、みずきが呆然としてるんだ』
「あー……」
なんか簡単に想像出来るな。橘が呆然としてんの、確か春と橘って付き合ってるって話だし。
ふーむ、それにしても春がカイザースか、伊藤さんが居るからだろうけどこっちにも友沢が居るからポジションもろかぶりだな。
『……やっぱり難しいかな?』
「さぁてな、頑張り次第じゃねぇかな? それに、こっちにとっては嬉しいさ。春はチャンスに強いからな」
『そっか……ちなみにパワプロくんはトレードされる予定はないのかな? かな?」
「流石に一年目でトレードされたら凹むわ!」
『あはは、そだよね。じゃあ、ボク今から調整だから、切るね?』
「ああ、俺も練習いかねーと、またな」
ピッ、と軽薄な音を立ててケータイの通話が切れる。
……にしても、春がトレードでカイザースに来るのか。プロに入ってまた戦うと想ってたけど――これはこれで面白いかもしれないな。
「やべ、顔見知りがトレードされるって色んな意味で刺激になるよな」
しかも自球団に来るとなったらワクワクするぜ。
春とは一緒にやってみたいと想ってたしな。
チームに実際合流するのは明日か。
今日は休養日。んで明日から対戦するチームはバルカンズ。
つまり、矢部くんと六道、あかつき大付属の八嶋と新垣が居るチームだ。
「……くぅ……明日出てぇなっ!」
矢部くんと戦う、そう考えただけで武者震いが起こる。あの足と実際に面と向かって戦うのは初めてだし。
あー、速く明日になんねぇかな。でも明日の先発は猪狩だ。先発マスクは近平さんが濃厚か。
「……あー、速くレギュラーになりてぇな」
ぼす、とソファに横になり、天井を見上げる。
……結局、俺は今まで一球も試合で猪狩のボールを受けたことがない。
猪狩も待ちくたびれたらしくゆたかと組む俺を女好きだの変態だのジゴロだのタラシだのなんだの好き勝手言いやがるけど、仕方ないじゃん。まだマスク被ったの二回だぜ。そう簡単にレギュラー捕手の座は奪えないし。
なんだかんだいって近平さんは今年もまだ打率三割をキープしてる。対して俺はまだ八打席だけしか立っておらずヒットは二本。打率、250で打点が二だ。
得点圏打率は一応一〇割だけど、一打席だけだしアピールポイントにはならない。これで八の八とかだったら話は別だろうけど、そんなんは土台無理だしな。
ぼーっと天井を見ていると、その視界を遮るように一本のアホ毛がソファの影から顔を出した。
ゆたかだ。
「せーんぱい。おはようございます!」
「おはよ、ゆたか」
「どうしたんですか?」
「や、速く目がさめたんでここでテレビ見てた」
「そうなんですか?」
「ああ、お前も速いな?」
「此処で先輩が起きてくるのを待とうと想ったんですよ。先輩が起きてきたら朝ご飯を誘おうと想ってたんですけど、先輩の声が聞こえたので何してるのなって」
「ん、そだな。もうちょい経ったら朝飯行くか」
「はい! そういえば大谷さんがトレードされるんですよね。今さっき荷物を慌ててまとめてました」
「そっか、向こうも速く合流して欲しいだろうしな。同じチームから選手が出るって結構寂しいな」
「そうですね……オレも最初に話しかけてくれた先輩がオレがケガしてリハビリしてる間に戦力外通告されたのを見て軽くトラウマになりました。速く治さなきゃクビにされるかもって」
「まあ一年目からケガするとそういうプレッシャーはあるよな。頑張ったな、よく復活したと想うぜ」
ぽんぽん、とゆたかの頭を軽く撫でると、ゆたかはふにゃっと頬を綻ばせて撫でるのを受け入れてくれた。
なんか猫っぽくて可愛いな。妹がいる奴はこんな感じなんだろうか。
「先輩のお陰です! ありがとうございます、先輩。本当に……オレ、どうやってお礼すればいいかまだ考えてますから!」
「はは、どういたしまして。お礼はいいよ、お前が勝ってくれりゃさ」
「先輩……、……そ、そういえば先輩、トレードで来る春って人、先輩の同級生ですよね。お知り合いですか?」
「ああ、同じ地区で競ったライバルだったな」
「先輩の地区は凄い人が多いですからね……でも、その中で甲子園優勝した先輩はやっぱり凄いです!」
「ま、ほとんどチームメイトのお陰もあるけどな? 友沢に、パワフルズの四番の東條に、あおいに新垣に矢部くん、明石もか。プロ入りした奴が俺含めて九人居た訳だからな、そりゃ優勝するって」
「でもそのチームの主将は先輩でしたよね?」
「あー、まあ、な」
「プロ入りする面子ばっかりのチームをまとめてたんですから、やっぱり凄いです」
キラキラキラー! と尊敬の眼差しで俺を見つめるゆたか。
まぁ褒められると悪い気はしないな。うん。実際大変だったし。
あれ、そういえばゆたかの高校時代はどうだったんだろ。確かかしまし大付属高校のエースだったってのは知ってるけど。
「ゆたか、お前の高校時代はどうだったんだ? 俺その時アメリカに居たから、俺が卒業してからその三年以内の日本球界事情全く分かんねーから教えて欲しいんだけどさ」
「お、オレですか? オレは一応、三年の時に、甲子園初出場した時のエースでしたけど……」
「おっ、流石だな。カイザースのドラ一だから凄い事やったんだとは想ってたけど初出場に導いたエースか。あのストレートとスライダー投げれるんだもんな、そりゃ当然か。凄いじゃねーか」
「ほ、褒めすぎですよ……」
カァァ、とゆたかが顔を真っ赤にして俯く。
最近気づいた事だが、ゆたかは結構恥ずかしがり屋だ。ちょっと自分がほめられたりすると顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
でも何故か俺の反応を見たいらしく、チラチラと上目遣いでこちらの様子を伺ってくるのがまた可愛いんだよな。
ホントいい後輩を持ったもんだ。
「同級生はプロ入りしなかったのか?」
「あ、はい、同じ高校からは一人も……オレだけでした。プロ入りしたのは」
「そっか。寂しいだろ?」
「最初と、特にケガした後は……でも、今は全然です。先輩が居ますから」
にこ、と照れながらもゆたかは笑う。
此処まで頼られてるのか。……俺はバカだ。さっさとレギュラーを取りたいなんて考えなくていいんだ。
今俺が出来る事を最大限にやる。それがレギュラーへと続く道だし、チームやゆたかにだって、それが一番良い影響を与えるってことなんだから。
「俺も、ゆたかが居るから頑張れるよ」
「はうっ!」
ゆたかが息をつまらせて変な声を出した。
……うん、そうだな、後輩に頼られるってのはやっぱり励みになる。俺が頑張ってこいつを引っ張ってやらねーと。
「女を口説いている暇があったら練習でもしたらどうだパワプロ?」
「猪狩。……何ジト目で見てんだよ」
「いや、僕はお前が刺されて死ぬことを期待している面子の一人だからな」
「何の話だよ……」
「本気で気づいていないのか。なんというか、彩乃さんも苦労しているだろうな」
「彩乃? なんで彩乃の話が出てくるんだ?」
「いや、いい。それより朝食にしないか」
「そうすっか。行こうぜゆたか」
「は、はい……」
顔を赤らめたまま、ゆたかはコクコクコク、と何度も首を縦に振るう。
? よくわからないけど体調不良とかじゃなさそうだし、まあ良いか。
三人で食堂に入る。
カイザースの宿舎の食事は朝からバイキング式だ。自分で考えてメニューを組まなきゃいけないのがシビアだけど、逆に言えば好きに食事のメニューを取れるから自己コントロールをしやすいということにもなる。
体力が足りなさそうだったら炭水化物多めにしたり、身体をしっかり作りたいならタンパク質メニュー中心、みたいな感じのメニューが取れるからな。
食堂を見回すと、友沢が久遠と一緒に食事をとっていた。
どうやら春のニュースには全く動じて居ないみたいだな。そりゃ、あんだけの成績残しててクリーンアップだしショートの座は安泰だろうけど。
「パワプロ」
「はよっす、友沢。春が来るってな」
「ああ、いい補強だと想うが」
「そうだな。でもポジションはショートだろ」
「さて、監督がどう考えているだろうな」
何か意味深な言葉を発して友沢は味噌汁をすする。あ、俺もそれにしよっと。
と思ったらゆたかが甲斐甲斐しく俺の料理を運んできてくれた。メニューのバランスも良し。流石怪我中自己管理を徹底した投手だぜ。
「ありがとなゆたか」
「はい!」
「……パワプロ、お前は何か。貴族か」
「ちげぇよっ。ゆたかが気を利かせてくれただけだっつーの。んで、監督がどう考えているってどういうことだ?」
「ああ、サードの岡村が不調だろう?」
「岡村さんなー、たしかに最近あんま打ってないな」
わかめの味噌汁を啜る。赤味噌で出汁がしっかり効いてて美味いな。
生卵を割り、醤油を少量入れてかき混ぜ、ご飯に掛けて頬張る。
やっぱ卵掛けご飯は最高だなー。
「だからだ。春は俺の代わりという訳じゃないだろう。俺の代わりのショートなら谷村が居るだろうからな」
「んむ、んぐんぐ、そうですよね。谷村さん二軍で好調ですから一軍で起用されるようになってきましたし」
「そうだな。外野も守れるから重宝されているのはお前もわかっているだろう?」
「ああ、確かに最近はライトで谷村さんは良く起用されてるな」
複数ポジションを守れる強みってやつだな。
谷村さんは元々ショートやれるくらい地肩は強いし足も速い。よってライトとして起用されることも多い訳だ。
一番センターが不動の相川さんは盤石としても、レフトの三谷さん、ライトの飯原さんを含めカイザースは外野が豊富な方じゃない。そこに入り込む感じで谷村さんが台頭した。
特に飯原さんはクリーンアップを打つほどの打棒はあるんだけど守備が結構まずい。よって、最近は三谷さんがレフトから外れ、レフトに飯原さん、ライトに谷村さんが起用される機会が増えてきたわけだ。
「あれ? んじゃ谷村さん外野計算じゃねぇの? だから春取ったってことに思えるんだけど」
「いや、谷村は外野でも使えショートでも使えるスーパーサブ扱いだ。じゃなければ三谷はとっくに二軍落ちしているはずだからな」
「どーでもいいけどお前先輩に敬語使わないのね」
「チームメイトだからな」
キッパリと言い切りながら友沢はサラダを口に運ぶ。
うーむむ、なんという男。こういう強心臓があるから結果を残せてんのかな。……俺も呼び捨てにするか? いやいや、投手相手に嫌われたら元も子もないしなぁ。
「あー、んじゃ話を戻す。谷村さんがスーパーサブ扱いだろ。岡村さんが不調だろ。……つーことは何か? 春はサードで起用される、ってか?」
「そうだ」
「コンバートってんな簡単なもんじゃなくね?」
「恋恋時代ショートから外野にコンバートさせた奴が一体を何をいっているやら」
「あれは高校だからだろ。プロなんてほぼ毎日試合じゃねーか、練習する時間も限られてるだろ」
「確かにそうだが……パワプロ、正直に言え。春がショートとして大成すると想うのか?」
「……それは……」
確かに、プロレベルのショートとしてレギュラーをとれるかといったら、答えはノーだろう。
チャンスに強いから印象に残るが故に一軍には在中出来て、偶にスタメンで使ってもらえるような選手だろうが、そこからレギュラーになるには印象だけじゃダメだ。結果を残さないといけない。
「キャットハンズではサードにも出来ない。サードには不動の四番のジョージが居るからな。だからこそのトレードなんじゃないか?」
「……そうだな」
確かにサードの岡村さんが不調で、環境を変えるという意味でもこのトレードは春にとっては有りなのかもしれない。
肉を口に運びながら考える。
このトレードで一番驚いてるのは他でもない春だろう。
ショートのレギュラーを捕れずに居た所に、更に壁が厚い友沢が居るカイザースにトレードされる――ただのトレードの弾として扱われてると想うかもしれない。
サードへのコンバート。そんなことは多分、これっぽっちも頭に無いだろうな。友沢から指摘されるまで俺も気づかなかったし。
……これからチームメイトになるんだ。多少の助言はしてもいいよな?
「……やれやれ、おせっかい焼きが」
「何も言ってねぇだろ」
「ふん、何年の付き合いだと思っている」
「たった三年じゃねぇかっ」
「それでもお前の事はわかるさ。サードのコンバートを春に提案するつもりだろう?」
「むぐ……まあ、そうだけど、さ」
「それならば辞めておけ」
「へ?」
友沢がピシャリと言って皿をまとめ始める。食べ終わったらしい。
助言をやめとけってなんで?
不思議そうな顔をしていたで有ろう俺を見て、友沢はふぅ、と息を吐く。
なんだよ、これだから恵まれた奴はみたいな顔しやがって。
「監督から野手への転向を勧められた時、俺はどこか仕方ないと納得した。だが心の底で“俺は投手としても終わってない”とも自分に言い聞かせていた」
「……まあ、そうですよね、そう簡単に今までやってたポジションを諦めろって言われてもあきらめられないでしょうし」
「そういうことだ。それをチームメイト、それも同級生から言われたら、どう想うと思う?」
「それは……確かに、お前のショートはダメだって言われてるようで良い想いはしないよな」
「そういうことだ。逆にそのポジションでやることに意固地になってしまうかもしれない。だから辞めておけ」
ずっと捕手しかして来なかったお前には分からない気持ちだろうからな――と付け加えて、友沢は歩いていった。
確かに俺はずっと捕手だった。小学校の頃から中学校、高校、アメリカにわたってからプロに入るまで、捕手以外のポジションにはついたことがないくらいだ。
「……コンバートって難しいんだな。恋恋高校の時、矢部くんや友沢とか、他のやつにもコンバートしてもらってたけど、本当は嫌だったかもしれないのか」
それを皆聞き入れてくれていた。
今になって恋恋高校の面子がどれだけいい奴らだったかが解る。……俺は恵まれてたんだな。
きっと今だって恵まれてる。いい同級生、先輩、後輩、全員が全員、一緒に勝つと心地良いと思える仲間達がいるんだから。
春にもそう想って欲しい。いや、想ってくれないと困るんだ。
「……先輩、いうつもりですね?」
「そんなに俺分かりやすいか?」
「いえ……でも、なんとなく分かります。オレにしてくれたように、春さんを助けてあげてください。お節介かもしれませんけど、先輩がしっかりと伝えたら、きっと春さんにも伝わるはずです」
「ゆたかを助けたつもりなんて無いけど……分かった、やれるだけやってみるよ」
「はいっ」
納豆をかき混ぜながらゆたかがにっこりと笑う。
……そうだ、俺は俺らしく春に接しよう。たとえそれがお節介だとしても、あいつの為になるんなら何でもやってやりたい。
それが俺の、チームメイトとしての付き合い方だ。
ゆたかの言葉を信じよう。
とりあえずまずやることは一つ。
「……俺も納豆食べよう」
「あ、やっぱり美味しそうですよね、これ」
「刻みネギと卵を入れて醤油を入れるのがオレ流だ!」
「しらすも美味しいんですよ? 梅干しも!」
ワイワイとゆたかと納豆のカスタマイズについて盛り上がる。
初対面の時は敵愾心丸出しで俺と接していたゆたかと、こんなくだらない話で盛り上がれる。
それなら高校時代から顔見知りの春ともこういうチームメイトになれる筈だから。
☆
『春、大丈夫なのか?』
「あはは、うん、大丈夫。もうカイザースの宿舎に付いたよ」
『そうか。……嬉しそう、ではなく、声が疲れているが……』
「そうかな? 楽しみで眠れなかったから……」
『……そうか、どちらにしろ今度も敵なのだな……』
「うん、今度はみずきちゃんとも敵だ。……頑張るよ」
『う、うむ。それではな』
通話を切り、カイザースの宿舎を見上げる。
五月二日。カイザースのチームに合流することになった。
いきなりの一軍登録。準備期間すら与えられないまま。俺は再び一軍選手として此処に居る。
「よう、春。待ってたぜ」
「……パワプロくん」
「ああ、お前に言いたいことがあってな。その前に……ようこそカイザースへ」
「うん。よろしくね、パワプロくん」
パワプロくんが柔和な笑みのまま俺と握手をする。
パワプロくんは頷いて俺に微笑んだ。
「……どうしたの? パワプロくん。わざわざ玄関先にまで来て」
「あー、お前に話があってな。荷物置いて挨拶済ませたらちょっと出てくれないか? ……やりたいことがあるんだ」
「うん、分かった。待っていてくれる?」
「ああ、待ってるよ」
俺に話ってなんだろう。とりあえず荷物をおいてこないと。
宿舎に入り、用意された部屋に荷物を置き、カイザースのユニフォームに着替える。
そこから食堂に行って監督、コーチ、チームメイトに挨拶をした。
友沢くんや猪狩くん……凄いメンバーだ。キャットハンズのほうが順位的には上なのに、こちらのほうが豪華メンバーと感じるのは何故だろう。
「春、お前には期待しているぞ」
ぽん、と監督に肩を叩かれる。
友沢くんのバックアップとして、だろう。
俺はレギュラーを期待されるほどの実力者じゃない。神下監督もそれを分かっていて俺を獲得したはず――。
そんな考えがよぎって俺は首を振る。落ち着け。そんな風に誰も思っていない。純粋に、若手として期待されてるんだ。
いけない。トレードからちょっと弱気になってる。頑張らないと。
パワプロくんに呼ばれていたんだ。外に出よう。
さっきまでは呼ばれたことが不思議だったのに、今はなんだかそれがありがたい。……もしかして、こうなることを読んでいてくれたのかな。
「お、来たか。んじゃ、室内練習場に行こう」
「……練習場?」
「ああ、そうだ」
ガチャ、とボールが大量に入った籠を持ってパワプロくんが練習場に向かう。
案内ついでに練習でもさせてくれるのかな? ……パワプロくんの意図がどういうことなのか分からないけれど、きっと俺の為に何かしてくれようとしてるんだろう。それは解る。
「ん、ユニも着てるし丁度良かったよ。……春、ペッパーやらねぇか?」
「ペッパー、って……」
「打撃練習メニューのアレだよ。トスバッティング」
コン、とノックバットを持ってパワプロくんがボールを軽く真上に打ち上げる。
ペッパー練習、所謂トスバッティング。俺もやったことがある打撃練習だ。投げられたボールをワンバウンドで軽く打ち返し捕球出来る真正面に打ち返す練習法。
でも、なんでいきなり……?
「分かった。でも俺バット今持ってきてないよ?」
「いや、春、お前は投げる側だ」
「……え? パワプロくんいきなり俺の練習に付き合え宣言……!?」
「違うっての。今回は守備ペッパー、つまり春の練習だよ」
「守備、ペッパー」
「普段のペッパーより離れた所に立ってくれ。お前から投げられたボールを俺は左右に打つ。真正面に返すっつーのを左右に揺さぶる訳だ。」
「う、うん」
「お前はそれを繰り返す。……二〇回で良い。簡単だろ。二〇回なら」
「……出来る、とは思うけど……」
「……それが出来なかったら、春、お前にはショートは無理だ」
――パワプロくんが、冷たく俺に言い放つ。
その言葉を理解するのに、俺は数秒掛かった。
「……ぱ、パワプロくん?」
「友沢はこのペッパー、二〇〇回は軽くこなす。ショートに大事なのは左右上下への動きの速さとスタートの速さと肩の強さ。春の肩の強さはショートで通用するレベルだ。でも、一歩目が高校レベルでの名手ゆえにプロの打球のスピードにはついてこれてない。上下左右の動きがショートとしては致命的な遅さだし、一歩目もプロのショートストップとしては遅いんだ」
「……っ」
自覚はある。
打球が速いと感じるのは四年前も今年も一緒の事だ。
だから回りこもうとしても回り込めない。回り込めないから逆シングルになって捕球がままならないし送球もズレる。
「真正面のボールは取れてるよな。それは見てて分かる。必死に努力して捕球技術を磨いたのも分かるさ。……でもな、春。それだけじゃダメなんだ。――ショートはセンスが最も要求されるポジション。身体能力の強さも、ボールへの嗅覚もずば抜けてなきゃショートのレギュラーってのは捕れないんだ。特にライバルが天才な上に努力を重ねてる奴なら、なおさらに」
「……ッ、じゃあ、俺、は、どうすれば、どうすればいいんだ……! このままプロで首になるのを待てっていうのかい……!? そんなのは嫌だよ……! 努力すれば何とかなるって、そう想って頑張ってきたんだ! それなのに、才能には勝てないって、そんなの……っ」
「――春、野球で大事なのはショートだけじゃないだろ」
「っ、それは……」
「単刀直入にいうぞ。このペッパーを二〇回熟せるんだったら上達する可能性もあるが、これをできないんだったらショートは無理だ。だから、サードにコンバートしてくれ」
「サード……?」
「ああ、ホットコーナーだ」
「なんでサードなの?」
「サードならば要求されるのはほとんど横の動きだけだ。守備範囲も限られているから打球が飛んでくる方向のアタリをつけやすい。春の守備範囲はショートだから狭い、という話であって、サードならば十分すぎる程だし、真正面のゴロはしっかりさばけるんだから、真正面にゴロが飛んでくることが多いサードが春には向いていると想う」
「…………」
パワプロくんは、俺へ道を示そうとしてくれている。
それは分かる。
わかるけれど、心の何処かで納得することの出来ないものがあるんだ。
リトル時代からずっとショートをやっていた。
名手って言われて、みずきちゃんと聖ちゃん達と甲子園まで行ったんだ。
この守備位置にこだわりたい。
俺が野球をしている間ずっと守ったこのポジションを、この先も。
そこまで考えてやっと分かった。
――だから、パワプロくんがこのペッパーをやろうって言ったのか。
俺に現実を教える為に……いや、そんな上から目線とかじゃない。
パワプロくんは必死に俺を納得させて気持ちよくサードで守れるようにしてくれてるんだ。
抗いたい気持ちを出してもいい。
それをぶつけても良い。
ただ、それじゃあ俺が抗うだけで終わってしまう。
だから、勝ち負けの形にした。はっきりと結果を出して俺が納得出来るように。
逆を言えばこのペッパー二〇回っていうのは、プロのショートの最低限の守備のレベルがあれば出来るってこと。
それができないなら、プロのショート失格なんだ。
四年も練習して最低限レベルになれないなら止めた方が良い。そう結果として見せる為に、パワプロくんはこういう方法を取った。
「……うん、分かった。やるよ」
「そうか、悪いな春」
「ううん、俺も薄々、気がついていたんだ」
グローブをつけて、後ろに下がる。
パワプロくんがノックバットを抱えてボールを持った。
「行くぞ!」
「来い!」
カァンッ!! とパワプロくんが打球を放つ。
――そう、薄々気がついていた。
パンッ! とボールを捕球してパワプロくんのノックバットめがけて投げ返す。
カキンッ、とそれを逆側にパワプロくんは打ち返した。
凄いバットコントロール。捕れるか捕れないかギリギリだ。
――俺には、プロで生きていくなんて無理なんじゃないかって思っていた。
それを転がるようにして捕球し、再び投げ返す。
パワプロくんから僅かに逸れたボールをパワプロくんは見逃して、手にしていた新しいボールを俺が居る反対側に打った。
――でも、違うんだ。無理なのはプロで生きていくことじゃない。
手を伸ばす。
懸命に、届くように、必死に。
――無理なのは、ショートに拘り続ける事、だったんだ。
グローブの先をボールが抜けていく。
ズザザ、と俺はその場で倒れこんだ。
一歩目が遅いっていうのは此処まで差を生む事なんだ。
練習の揺さぶりでこうなら、実践の打球の速さに追いつく事すら一杯一杯だったのが当たり前のように思えてくる。
……練習しても、俺にはショートは無理なんだ。
「……っ」
「……春。その……」
「……っはぁ、ねぇ、パワプロくん。……今からノックやってくれないかな。サードの練習、したいんだ」
「! ……ああ、幾らでも付き合うぜ」
「うん、それと、ありがとう」
「ああ、ごめんな春、こんな風に無理やり納得させるようなことしちまって」
「良いんだ」
俺は首を振ってパワプロくんに笑いかける。
プロ入りしたなら、自分のこだわりなんていう小さいものに囚われてたらいけないんだ。
生き残るためには何でもやる――そういう風に思って頑張れる人がこの世界で生き残れるんだ。
中にはこだわった事で大成する人もいるだろう。でも、俺にはそんなセンスも、技術も無い。
だったら何でもやろう。泥を被ってでも良い。ボロボロでも構わない。
ただ前に進む。
それが出来る人が――あの輝かしいフィールドで躍動することが許されるんだから。
「よし! じゃあまずノック一〇〇〇本からね、パワプロくん」
「俺今日試合! スタメンマスクじゃないけど!」
「なら俺もスタメンサード!」
「んな無茶言うなよ!?」
「あはは、一緒にがんばろう!」
「……ったく、ああ、これから頼むぜ春!」
「うん、一緒に優勝しよう、パワプロくん。――いや、パワプロ!」
俺のためを想って色々やってくれるチームメイトの為にも、そして俺に魅力を感じてトレード獲得してくれたチームのためにも。
上手くなりたい。戦力になりたい。微力でもいい。少しでも、少しだけでも良い。
この力をこのチームの為に使えたら、チームメイト達の為に使えたら。
「行くぞ!」
「うん!」
カァンッ! と室内練習場にノックバットの音がこだまする。
それを心地よく思いながら、俺はサードからファーストに立てられたネットに向けて送球をした。
☆
「……葉波が上手くやってくれていた」
「そうですか……やはり同級生同士通じるものがあったんでしょうね?」
「ああ、だが、葉波がやってきてから大分チームの雰囲気も良くなったな」
「ええ、本当に……存在感がある上、猪狩からも一目置かれていますからね。選手達としても刺激があるでしょう。特に近平はライバルですからね」
「うむ。選手同士が助け合い、切磋琢磨し合う……今のところ、葉波はその循環を作ってくれているからな」
「はい、これで春のコンバートによって岡村にも刺激があるでしょうし、春自身、これで何かを掴んでくれれば嬉しいですね。彼の勝負強さには惹かれますし」
「うむ……」
「……? 監督、どうしたのですか?」
「……いや、何でもない。早急すぎると想っただけだ」
神下監督はさらさら、と本日のスターティングメンバーを用紙に記入する。
コーチは失礼します、と言いながらそれを確認した。
一番、相川 センター。
二番、蛇島 セカンド。
三番、友沢 ショート。
四番、ドリトン ファースト。
五番、飯原 レフト。
六番 近平 キャッチャー。
七番、谷村 ライト。
八番、岡村 サード。
九番、猪狩 ピッチャー。
最近はこのオーダーで固定している。
だが、正直言って勝率は良くはない。特にこれから先乗っていくためには、二勝一敗のペースが必要なのにそれすら危うい状態だ。
「監督……」
「わかっている。だが早急な判断は禁物だ。次も結果を出したら考える」
神下監督はコーチの言葉に頷いて監督室を後にする。
レギュラーを変える、というのは相当に判断力が必要とされることだ。
それがチームの扇の要であるのなら、尚更に――。