実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第三一話 "七月四週" vsあかつき大付属高校  猪狩守と、葉波風路

 甲子園大会予選、決勝戦。

 

 一年前の夏の甲子園大会もこのカードだった。

 あかつき大付属高校と恋恋高校の、一つしかない甲子園大会の椅子を巡る試合。

 でも、もう甲子園なんてどうでもいいんだ。

 俺にとって大事なのはたった一つ。

 ――最高のライバルと高校生活最後の戦いに勝つ。

 手がふるえる。

 試合前のミーティングで恒例の相手投手や打線のポイントチェック中にもその震えは止まらなかった。

 武者震いって奴か。はたまた猪狩が怖いのか。自分にももう分からない。

 猪狩のこの大会の成績はここまで無失点。完封勝利が当然のような快刀乱麻のピッチングを披露している。

 そんな猪狩の成績の中でもしっかりと目を引く成績がある。

 それは奪三振数。

 イニング数を二〇個以上超える信じられない数値だ。

 その数字を叩き出すのは猪狩の会得した新球種、フォークだろう。

 落ちが遅い上に鋭く変化する天下一品のフォーク。特に左投手のフォークは高校生では珍しい上に、猪狩のそれはプロでも通用するとまで言われる切れ味を誇る。

 それを、攻略しなきゃいけない。

 一年前の夏よりも遥かにグレードアップした猪狩守というこの投手を、打ち崩さなきゃならない。

 でも、成長したのは相手だけじゃない。こっちだって厳しい練習を乗り越えてきたんだ。――絶対に、勝つ。

 球審が俺達をホームベースに呼ぶ。

 整列だ。

 一列に並び、正面に立つ男を見据える。

 整いながらもクールな顔立ちをしているくせに、その瞳の中には闘志を燃え上がらせて、猪狩は俺をはっきりと見つめている。

 

「お願いします!」

「「「「「「お願いします!!」」」」」」

 

 帽子を外しお辞儀をする。

 猪狩と視線を交わらせた後、俺達は視線を外し互いのベンチに戻る。

 言葉は要らない。ただ俺達のプレイをすればいい。

 それだけで、良い。

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

『さあ、始まります。この地区の夏の甲子園大会予選、決勝です。広いマグマドームに高校野球としては異例の観客動員数を記録したお客さんたちが詰めかけています! その数実に四万五千人! この世代を代表する投手と打者との対決を見るために、高校野球ファンのみならず全国の野球ファンが集っています! さあ、いよいよその火蓋が切って落とされます!』

 

 詰めかけた観客たちはザワつきながらその試合の開始を待っている。

 その中には見慣れたスカウトが居た。

 この試合で、猪狩守かパワプロ、東條、友沢の高校野球が終わる。

 それをどこか残念に思いながら、彼はグラウンドに散っていく選手達を慈愛の目で見つめた。

 

『さあ、スターティングメンバーを発表しましょう! 先攻のあかつき大付属高校!

 一番センター八嶋! 俊足巧打。身体能力だけなら恋恋高校の矢部選手を凌駕する快速選手です!

 二番ショート六本木! センスある選手ということはみなさん知っているでしょう! 今日も彼のプレイが楽しみです!

 三番レフト七井! プロ野球のスカウトの中でも、打撃だけなら今年ナンバーワンは彼だと称える声がつきません! 今日も豪打を魅せつけるか!

 四番ファースト三本松! 七井を三番に押しやる豪打のバッター! あかつき大付属の四番は今日も快音を轟かせるのか!

 五番サード五十嵐! 打撃に粗さはありますがパワーは四番の三本松以上! 恐怖の五番は今日も健在か!

 六番キャッチャー二宮! 世代ナンバーワン投手猪狩守の女房は打撃でもインサイドワークでもチームを引っ張ります!

 七番ピッチャー猪狩守! 彼に説明は必要無いでしょう! プロも垂涎の高校野球史上ナンバーワンと呼び声高い最強左腕です!

 八番ライト九十九! ファイブツールプレイヤーとは彼のこと! 下位打線とはいえ他校ではクリーンナップを張れる実力者がこの打順にいます!

 九番セカンド四条! ポジショニング、打球反応、どれをとっても天下一品! 九番ですが打撃も油断は出来ません!

 以上があかつき大付属高校のスターティングメンバーです!

 どんな打順、どんな状況からでも得点を奪える打撃力と鉄壁の守備力、そしてこの世代の名を冠する男、猪狩守を擁するあかつき大付属!

 続きまして後攻の恋恋後攻のスターティングメンバーを紹介しましょう!

 一番ショート矢部! 走守はプロ即戦力レベルと評される好選手は、今日も恋恋高校のリードオフマンとしてチャンスを切り開いてくれるでしょう!

 二番セカンド新垣! 女性選手ですが侮ることなかれ! バント成功率ほぼ一〇割の繋ぎのバッターは矢部選手と共にチャンスを作れるか!

 三番キャッチャー葉波! チームの柱であり、チームを指揮する監督でもあります! ライバル、猪狩守との対決は恐らく野球ファンが今か今かと待っているでしょう! 

 四番ライト友沢! 世代ナンバーワン野手と評価が尽きない男は今日も四番に座ります! 猪狩守を打ち崩せるか! 楽しみです!

 五番サード東條! 七井選手に負けない程の飛距離を誇る孤高のバットマン! 今日も鋭い眼光でボールを捉えることが出来るか! 

 六番センター猪狩進! 猪狩守選手の弟でもあります! 走攻守揃ったファイブツールプレイヤーとして、チームを支える好選手です!

 七番ファースト北前! 一年生選手がレギュラーとしてここに登場! 猪狩守を捉えて先輩の援護をしたいところです!

 八番レフト明石! チームを影から支える隠れた好選手です!

 九番ピッチャー早川! 女性選手ながら恋恋高校のエースピッチャーとして決勝戦までチームを導いて来ました。今日勝って二度目の甲子園の土を踏めるでしょうか!

 さあ、先発の早川選手がマウンドに向かいます! いよいよプレイボールです!』

 

 試合が始まる。。

 数時間後につく決着の末に、甲子園の地に立つのは、果たして。

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 あおいがマウンドに立つ。

 一番バッターは八嶋。目を通したデータによれば走塁技術に磨きをかけて矢部くんに負けないレベルにまで盗塁技術を鍛えたみたいだな。出塁は許すわけにはいかないぞ。

 幸い力は無い。転がすのを中心としたレベルスイングのフォームだから高めのストレートで勝負する。

 

『さあ、八嶋に対しての第一球!』

 

 あおいがボールを投げた。

 カァンッ! とその球を八嶋が初球から振ってきた。

 ボールは真後ろに飛び、ネットへと当たる。

 タイミングは有ってたけどコースは絞りきれてなかったみたいだな。バットがボールの下を通ってる。あおいの球も来てるし八嶋には徹底して高めを攻めるぞ。

 二球目をあおいが投じる。僅かに高めに外れたボール球を八嶋が振りに来て、打ち上げた。

 マスクを取って空を見上げる。

 ふわり、と力の無いボールが落下してきたのをしっかりとミットでキャッチした。

 

「よし! ナイスボールあおい!」

「ん!」

『打ち上げた打球はキャッチャーファウルフライ! 高めのボール球をふらされました八嶋!』

 

 今のボールに手を出すってことはあおいの状態は最高に良いってことだ。ボールを返し、俺は再びキャッチャーズサークルに座り込む。

 前の試合、速い内に交代させたからな。それが良い調整登板みたいになってこの調子につながってるのかも知れないな。

 

『バッター二番、六本木』

 

 六本木が打席に立つ。

 線が細い印象のあった六本木だが、この一年間で相当鍛えたのかがっしりとしてきてる。

 八嶋を打ちとったからって気を緩めてらんねぇ。ここで六本木を塁に出せば次は七井。七井に長打を打たれれば八嶋にヒット打たれたのと変わらねぇ。絶対に抑える。

 八嶋と違って六本木は高めも苦にしないバッターだ。天才と呼ばれてるだけのことはあって、巧打者にありがちなインコースを捌けない、みたいな顕著な弱点は見受けられない。

 インコースを流し打つ技術も持っているし、こいつが二番に居るってのは対戦相手に相当なプレッシャーを与えてきただろう。

 そんな六本木も弱点が無いわけじゃない。インコースにストライクゾーンからボールになるように食い込むようなボールには反応が他のコースに比べて数段劣ってる。……それを狙って投げれる投手は高校レベルじゃ片手の指で数えれるくらいしかいねぇだろうけどな。

 でもって、俺達のエースはそのうちの一人だ。頼むぜあおい。

 

(決め球はインコースへの緩いシンカー。頼むぜ)

 

 初球はアウトローへのストレート。追い込まれるまでは難しいコースには手は出して来ないだろう。

 パシンッ! とボールを捕球する。

 

「ストラーイク!」

 

 1-0。次はインコース、当たりそうなところギリギリへのストレート。

 ズパンッ!! とデッドボールギリギリのところにあおいが投げ込んでくれる。投球はもちろんボールで1-1。

 だがこれで目付けはできた。次はインコースへの緩いシンカーだ。

 インコースの一番厳しいところへ投げさせた後、インコースの甘いところに緩いボールがくれば変化球でも手を出してくるぞ。一番厳しいところを直前に見てるから、ストライクゾーンから食い込んでくるようなボールでも相当甘い球に見えるだろうしな。

 シンカーが投じられる。

 六本木がバットを振りに来た。

 六本木の手元でドロン、とゆるくボールが変化する。

 

「うっ!」

「はい! ファースト!」

 

 六本木が思わず声を上げてゴロを転がした。

 打球はセカンドゴロ。新垣がしっかりとそれを捕球して、ファーストに送球した。

 

「アウト!」

「ナイスセカンド! ナイスピッチ! いいぞ!」

「まっかせなさい! ナイスピッチよあおい! じゃんじゃん打たせなさい!」

「うん!」

 

 よし! データを上手く使って抑えれてる! 良い感じだ!

 あおいの調子も絶好調、ボールのキレもコントロールも最高だぜ。……今のボールは空振りしてくれるはずだったんだけどな。

 

『一、二番をあっという間に打ちとってツーアウト! しかしここからあかつき大付属はクリーンアップ、バッターは三番、七井!』

 

 ワァアッ! とひときわ大きな歓声が上がる。観客は良く打つ打者を知ってるな。

 七井の弱点は選球眼の悪さだ。ただしバットに当たれば打球の速さは凄まじい。天性のリストと飛ばす感覚ってのを持ってる打者だ。

 だが、バットに当たっても打者の正面ならアウトだし、フェアグラウンドの外に飛べばそれはただのファール。七井を打ち取る方法はファールを打たすこと。そうして追い込んでから決め球で空振りを取る。

 初球はインハイの顔付近に投げさせる。ブラッシュボールでも使わなきゃこの打者は打ち取れない。

 あおいが投じたボールが顔付近に来て、しかし七井は瞬き一つせずそれを見送った。

 ……普通は多少なりともリアクションを取るもんなんだが、それが無い。なんつー貫禄だ。まさに打つと言わんばかりの仕草じゃねぇか。

 それでもこれでストレートの速さは刻み込まれただろう。

 次はゆるいカーブをインサイドに投げさせる。ストレートの後の緩い球だ。振れ過ぎてファールになるぞ。

 ビッ、とあおいが頷いてボールを放る。

 

 待ってましたとばかりにそれを迎え撃つ七井のバットが火を吹いた。

 

 ガッカァアアンッ!! と音を轟かせて、目にも止まらぬスピードでボールがファールグラウンドのフェンスに直撃する。

 あまりの打球の威力に金網が震える音がこっちにまで聞こえてきたぞ。……なんてスイングスピードだよ。フルスイングしたのに蹌踉めく事が全くない鍛えあげられた体幹も、七井が実質あかつき大付属ナンバーワンバッターというのを証明してるみたいだ。

 だが、これでストライクカウントをひとつ取ったのと同じ扱いになる。カウントは1-1。フルカウントにしても問題ない。カウントをフルに使って打ちとるぞ!

 三球目、外角低めへのマリンボール。

 七井はそれを空振った。よし!

 これで追い込んだ。2-1になれば攻め方は大きく広がる。ここは……内角低めへのストレートだ。ワンバウンドするほど低く投げてくれ。

 球持ちの良いあおいなら内角へ投じても厳しいところならそうそうフェンスオーバーはない。

 あおいが頷き、腕をしならせボールを投げ込む。

 ドッ! とワンバウンドするボールをしっかり捕球する。さすがにこのバウンドボールは振ってこないか。

 2-2……それなら外角低めのギリギリにズバッと決めてやれ。

 要求はストレート。

 投げられたボールに七井はバットを出さない。

 スパンッ! と寸分も動かす事なく、ミットにボールが収まった。

 

「ストライクバッターアウト!! チェンジ!」

『決まった! 見逃し三振! 最後は外角低め。そこに決められてはどうしようもないというギリギリのところー!!」

「っよし!!」

 

 あおいがガッツポーズを作り、ベンチへと走る。

 完璧だぜ。第一打席で相手も固かったとは言えあっという間の三者凡退だ。文句のつけようがない。

 けど、油断は出来ない。七井のあの当たりは予想通りに打たせたボールだとはいえ、あまりにも痛烈だった。……甘く入れば持って行かれる。しっかり攻めないとな。

 ベンチに戻り、防具を外す。

 守備は終わった、次は攻撃だ。しっかり攻めるぞ。

 猪狩がマウンドに立つ。

 投球練習を見つめながらバットを振り、タイミングをあわせる。

 ――そして、猪狩が投球練習を終えた。

 

『バッター一番、矢部』

「矢部くん」

「分かってるでやんす。……追い込まれる前に打たないと、あのフォークは当たらんでやんすからね」

 

 矢部くんがバッターボックスに立った。

 猪狩は涼しい顔で二宮からのサインを受け取り、コクン、と頷く。

 ワインドアップモーションから、腕をふるう。

 その瞬間。

 

 ――ズドンッ!!

 

 球場が静まり返った。

 猪狩の遥か後方、バックスクリーンにその球速が表示される。

 一五〇キロ。

 弾丸のように鋭い回転の直球がミットを抉った。

 矢部くんが驚きで動けない。球審もあまりの速度に声が出ないのか、一瞬遅れてストライク、と声を出すのがやっとだった。

 

『な、なんなんだー今のボールはッ!! 高校生の球ではありません! まるでプロが見せるような、そんな豪速球だ!』

「う、ぐ、こ、これはっ……!」

「痛っ……ナイスボールだ! 守!」

「ああ」

 

 素知らぬ顔で猪狩が二宮からボールを受け取る。

 ハッと気づいた観客たちがざわざわと騒ぎ始めるが、そんなことに気を裂かず、猪狩はマウンドの砂を足で整え、再び二宮からのサインを受け取った。

 思わず二宮が顔をしかめてしまうほどの球威のボール。

 矢部くんに対する二投目も再びストレート。

 今度は高めへ。当てれるものなら当ててみろと言わんばかりの豪速球を猪狩は投げる。

 ッバァンッ!! と炸裂音を立てるミット。矢部くんもなんとか前に飛ばそうとバットを振ったが当たらない。

 ダメだ。振り遅れてる。三回り目ならともかく、初見じゃこのストレートは当てれない。

 そしてカウントは2-0。追い込まれた。

 そうと来れば、次のボールは――

 

 ヒュッ! と矢部くんの手前でボールが落ちる。

 

 ――フォークしかない。

 

『空振り三振! 地面を抉るような凄まじい落ちのフォーク! これは当てれません! ワンナウトでバッター二番の新垣となります!』

『バッター二番、新垣』

 

 新垣が打席に立つが、新垣の力じゃ恐らく当たってもボールはまともに飛ばないだろう。

 ゴオッ! とボールが唸りを上げてミットに突き刺さる。

 ネクストバッターズサークルから見ててもわかる程のノビに新垣は掠る事もできなかった。

 

『空振り三振!! ツーアウト! ここまで投げた六球の内、五球がストレート! そしてそのすべてが一四八キロを超えているという恐ろしい程の球威に手も足も出ません!!』

「っ、ごめん……」

「まだ一巡目だ。まだまだ勝負はこれからだぜ」

 

 新垣と入れ違いに打席に向かう。

 ……一年前、俺は猪狩のボールを打った。

 だから今度も打てる。絶対に、打てる。

 

『バッター三番、葉波!』

 

 ッワァアアアアッ!! とそのうぐいす嬢のコールと同時にマグマドーム内の熱気が一気に上昇する。

 皆待っててくれたんだな。俺と猪狩の勝負を。

 なら、情けない姿は見せてられない。打ってみせる!

 

『さあツーアウトランナーなしとは言え、ここでバッターは猪狩守最大のライバル、葉波風路! 会場のボルテージもヒートアップしています!』

 

 猪狩がポンポン、とロージンバックを手の上で跳ねさせ、ばふ、とマウンドに落とす。

 そして帽子の鍔を親指と人差指で掴み、腕を高々と上げてミットに入っているボールに手を戻した。

 ふぅ、と一息吐き、二宮のサインに頷いて、猪狩が腕を上げ――振るった。

 その瞬間、

 

 キュッ……ン、と。

 

 レーザー光線を思わせる、残像を残すような、糸をひくような――綺麗な線が見えるほどのストレートが。

 俺の前を横切っていった。

 後方でパァンッ! という音がする。

 球速表示は、一五四キロ。

 紛う事無く、猪狩の今までのマックススピードだ。

 

「トーライクッ!!」

『す、ストライク! 球速表示は一五四キロ! 自己最速を、ライバルの前で叩き出したー!!』

 

 っ……、このボールを、俺は打てるか?

 手が出なかった。初球から甘いボールを叩こうと思っていたのに、それが一瞬で頭から飛んでしまうほどの――打者すら吸い込んでしまいそうな、圧倒的なストレート。

 二宮がボールを猪狩に返し、猪狩は深々と息を吐いて、再び投球モーションに入る。

 次は絶対に振る。――一度ホームランを打ったんだ。打てるだろ、俺!

 レーザービームのようなストレートが猪狩から放たれる。

 コースは高め。振り切れ!!

 ッキィンッ!! とバットが音を立てる。

 飛んだボールは一塁線の右に切れて行く。

 

「ファール!」

『当てた! 当てました! 球速表示は一五三キロ! その豪速球を二球目で当てました!』

 

 ファールになったが、当たった。

 やっぱり当たらないって事はないんだ。どんなボールだって振れば当たる。

 どんなボールだって、当たるんだ。

 ぐっ、と猪狩が三球目を投じるべくワインドアップモーションに入る。

 三球目、

 猪狩が投じたボールは、

 ストレートだった。

 ストレートのはずだった。

 それが、

 ――浮き上がる。

 

「な――っ!!?」

 

 手元であおいのストレートのように浮かび上がる直球。

 ボールは俺のバットの上を通過して、二宮のミットに突き刺さった。

 

『か、空振り三振……! 球速は一四七キロ! 球速自体は二球目より遅いですが、この球の方がスピードを感じるキレが有ったでしょうか。葉波空振り三振でスリーアウトチェンジ! この回を三者連続三球三振で打ちとりました猪狩守!』

 

 今のボールは、ただのストレートじゃない。

 猪狩の今までのストレートに比べて軌道が違いすぎる。……いや、それ以前に、猪狩はオーバースローだ。

 そのオーバースローのボールが浮きあがるなんてこと、ありえるのか?

 

「……ライジングショットだ」

「……え?」

 

 猪狩の声ではっと我に帰る。

 しまった、スリーアウトだから早くベンチに帰らねぇといけないのに、思わず呆然としちまった。

 

「――今の球は僕の新しい決め球、ライジングショットだ。一打席目に見せたのはサービスだよ。パワプロ」

「ライジング、ショット?」

「そうだ。その名の通り“上昇する投球”。……原理は簡単だ。ストレートの回転軸の傾きを小さく。回転数を多くするように投げているんだ」

「回転軸の傾きを小さくと、回転数を大きく?」

「そうだ。通常、ストレートの回転数は平均で三五回程だが、プロでも火の玉ストレートが有名なとある選手のストレートは四五回転もしているそうだ。更には回転軸の傾きが少なければ少ないほど、回転をすればするほど揚力が強く働くため、ボールが落ちにくくなるのだ。それによって、通常のストレートよりも“落ちにくい”ボールになる。……僕の場合、軸の傾きは三度、回転数は四七ってところらしいぞ?」

「っ、お前は、それを意識して、普通のストレートとライジングショットを投げ分けてるのか」

「ああ、パワプロ、お前に勝つために」

「ふたりとも、早く次の回の準備をしなさい。私語はいい加減にしないと注意せざるを得ないよ」

「っ、すみません、すぐに戻ります」

「はい、すみません」

 

 審判に注意され、ベンチに急ぐ。

 その際、猪狩はふっと笑みを浮かべた。

 ――新球種と、その正体まで、はっきり宣言していった。

 それだけ自信があるんだ。

 原理を知ろうが、正体を知ろうが、どんなボールか理解されようが。

 “それだけじゃ打てない”。それを確信しているからこそ、猪狩ははっきりと俺に名前と原理を教えていったんだ。

 あいつの中の感覚的な問題だから、どういう風に投げてるのかはわからない。アイツのことだから細胞を伸縮させてーとか意味不明な事いってるんだろうけど、その結果投げれた球があれなら、あながち嘘じゃないのかもな。

 二回表は四番の三本松からだ。

 三本松は七井と違い、外のボールの選球眼は良い。そのかわり柔らかさが無い分、内と外の揺さぶりが効くハズだ。

 内角の厳しいストレートを見せる。

 ビシッ! と決まったボールを三本松は見逃した。

 

「ストラーイク!」

 

 よし、際どいところがストライクになった。これはでかいぞ。

 あのコースがストライク判定されたらあのコースは振るしか無いからな。外とのコンビネーションが使いやすくなるぜ。

 次も内、但しストレート以外だ。三本松のスイングは振りまけない強さがあるからな。続けて持って行かれた、なんてなったら目も当てられない。

 ……相手はあの、猪狩守なんだ。先制点は絶対にやれないからな。

 インコースへカーブを投じさせる。

 そのボールをすくい上げるように三本松が打ち上げた。

 サードの東條がそのボールをファールグラウンドでキャッチする。

 

「ナイスボール!」

 

 よし、この調子で後続も打ちとるぞ。

 五十嵐はカーブを打たせてファーストゴロ。

 二宮をアウトローへのストレートで見逃し三振に打ち取り、二回をあっという間に終える。

 あおいの調子はいい、良すぎるくらいだ。このあかつき大付属の強力打線を手玉に取っているし、俺のリードにも一〇〇パーセントの精度で応えてくれてる。

 だが。

 そのあおいの頑張りや俺のリードすらもかすませる程の猪狩のボールは、俺達を沈黙させるには十分すぎるほどの球威を誇っていた。

 バンッ!! と二宮のミットが吹っ飛ぶのではないかと想うほどのストレートに友沢は空振る。

 あのタイミング合わせの天才がついていくのでいっぱいいっぱいだ。

 ストレート二球で友沢を追い込んだ猪狩は、最後の直球――

 手元でボールはライズする。

 ドンッ! と轟音を奏ででミットにボールが刺さる。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 友沢が、ストレートだけで三球三振した。

 続くバッターは東條。

 その東條もストレートだけでねじ伏せられる。決め球はいずれもライジングショットだ。

 打順は六番、進。

 弟に対しても猪狩は投球を変えない。ストレートだけを使い、あっという間に三振に打ち取る。

 

「これはマズイでやんす、ね」

「パワプロ。この投球は作戦を建てないと打てない……」

「……分かってる。……でも」

「……建てようがない。これほどの直球。それもリードも上から見下ろすようなストレートの嵐だが、出すと火がつく矢部相手にはきちんとフォークを使い三振をとっている」

「あおい、頼む」

「うん、大丈夫! パワプロくんと力を合わせればどんな打者にだって打たれないから!」

『さあ、三回の表が始まります! バッターは七番投手猪狩守! 打者としても評価が高い猪狩。ここでランナーとして出たい所!』

 

 あおいはにこっと笑って三回表のマウンドへと走っていく。

 バッターは猪狩。

 初球はストレート。内角低めのボールを猪狩は見逃した。

 

「ストライク!」

 

 猪狩はボールをしっかりと見極める。

 一年前はホームラン打たれたが、もう打たれねぇぞ。

 カーブをインコースに落とし、追い込んで2-0。

 最後はインハイのストレートで見逃し三振に打ち取る。

 

『見逃し三振! 完璧なコントロールー! 甘くなれば一発を打たれてもおかしくないインコースを執拗にせめてバットを出させません!』

 

 猪狩が打席を外し、戻っていく。

 ――俺を一瞬だけ見て。

 ……負けられねぇ。絶対に。

 八番の九十九はセカンドゴロ。九番の四条をサードゴロに仕留め、あおいはふぅっと大きく息を吐き出した。

 重圧が有るはずなのにそれをものともしてない。さすがだけどその疲労は凄まじい物が有るはずだ。

 なんとか球数を削っていきたいけど、この打線相手に短調なリードなんてすれば持って行かれる。

 一ノ瀬も居るんだ。ここはじっくり腰を据えて丁寧に、だな。

 三回裏。

 北前からの打順だが、猪狩はここもストレートとライジングショットだけで終わらせる。

 北前、明石、あおい。

 この三人にバットを振ることすらさせない圧巻の投球で、三回を終わらせた。

 

『さあ三回まで終わって両者なんと無安打無四球のパーフェクト! 行き詰まる投手戦はそのまま四回の表のあかつき大付属高校の攻撃へ! 打順は一番に戻ります!』

『バッター一番、八嶋』

 

 八嶋は静かにバットを構える。

 一打席目、八嶋はフライを上げた。"フライを上げる打者になら"あおいの持ち味が生きるはずだからな。高めと低めのコンビネーションで勝負するぞ。

 インローの後のアウトハイを打たせ、矢部くんがフライをキャッチする。

 これでワンアウト。だが問題はここからだ。

 あおいの投球フォームはアンダースロー。基本的にアンダースローピッチャーの投球は打たせて取り、ゴロを打たすピッチングになる。

 だが、あおいのそれは違う。極限までリリースの球持ちを良くし、キレがあって伸びる球筋のボールを投げるあおいはフライを打たすピッチャーになるはずだ。

 それが変化球であっても、あおいの場合読みと外れたボールの場合はキレがある分、空振る事が多いはず。

 それをこいつは一打席目、ゴロにした。

 ということは相当あおいの球筋を予想してきてるってこと。

 八嶋の打撃は基本フリースタイル。自分の好きに打って出塁するって感じだが、この六本木は違う。

 状況に応じ、相手と自分との実力差を鑑みて今取るべき最適の行動を行う――打撃力なら九番の四条の方が上なのにこの六本木が二番を浮動のものとしているのはそういう理由なんだ。

 その打者があおいのコントロールを知った上で一打席目に弱点を突かれた、それを踏まえた上でどういう対応をしてくるか。

 ……ダメだ。何も思いつかねぇ。愚直に弱点を突くしかない。次が七井なんだ。どうしても六本木は抑えたい。

 けど、さすがに決め球に使うのはマズイ。そこを使って追い込んで、二球目に決め球がそこに来るという意識を植えさせる投球をしつつ追い込んで、反応いかんによっては三球目にボール球を使って、って感じでいこう。

 インサイドに構える。

 要求するボールはシンカー。

 あおいが振りかぶり、ボールを投じる。

 

「来たっ!」

 

 投じた瞬間、六本木がそう言ったのが聞こえ、

 ザッ、と六本木がスタンスを大きく開いた。

 

「何っ……!?」

 

 ッカァンッ!! とバットが火を噴く。

 東條がジャンプするが届かない。サードの頭を超えた打球はラインの内側で一度バウンドした後、ラインの外側へと痛烈な回転で逃げていく。

 ――完全に狙い打たれた。

 俺の思惑を完全に理解した上で、そのボールを待っているという匂いを消し。

 苦手なインコースをわざと開く事でグリップの位置を身体側近くに移し、強引に真芯で捉えれるようにしたんだ。

 意図的にフォームを崩してヒットを打つ。それが出来る打者はプロを入れて何人居るだろう?

 明石がボールを矢部くんに返す。

 ズザッ! と滑り込んだ六本木が二塁で止まり、ふぅっと深く息を吐いた。

 俺はバシ、と自分の頬を叩く。

 相手はあのあかつき大付属の、史上最強メンバーと言われる奴ら。

 そいつらを相手に弱点だからだとかそんな甘い考えで通用するわけがない。

 レギュラー全員がプロ入りしてもおかしくないレベルだ。そう思え。

 その上で相手のデータを利用し、同時にデータに惑わされないようにしないといけない。

 俺とあおいなら、それが出来るはずだ。

 

『バッター三番――七井アレフト』

 

 そして迎えるは最高の打者。七井アレフト。

 敬遠か、勝負か。

 立ち上がったまま俺がじっとあおいを見つめると、あおいはコクン、と頷いて、ぐるぐると腕を回した。

 ……あおいは強くなった。

 だったら、俺も強くなろう。

 

 少しでも長く一緒に野球が出来るように。

 少しでも長くこのチームで戦えるように。

 少しでも長く笑い合えるように。

 

 ボールをあおいに返し、座って構える。

 

「さあ打たせてこい!」

「バッチコイでやんすー!」

「バッチコイ!」

「絶対に取ります! センターに打たせてください!」

 

 要求する球はマリンボール。

 低めへと沈む変化球をゴロに打たせてとろう。あおいの打ち取るスタイルなんて関係無い。アウトを取る。

 あおいが腕を振るう。自身最高の決め球を。

 鋭いスピンのボールはインハイへ向かって伸びる。

 それを受け取ろうと俺はミットを伸ばして、

 

 次の瞬間、ドガンッ!! と、

 

 バックスクリーンに突き刺さった打球が、

 そのまま静かに座席に落ち、コーン……と静かに跳ねた。

 

『あ……』

 

 絶句、失望、歓喜。

 様々な感情を込めた沈黙が球場を支配する。

 

『は、入った……入ってしまったー!! 七井アレフトバット一閃ツーランホームラーン!!』

 

 打たれた。

 堰を切ったように歓声が響き渡る。

 その歓声を一心に浴びて七井はホームベースを踏んだ。

 マリンボールが、打たれた。

 

「……そんな……」

 

 あおいが呆然と打球が飛んだ方向を見つめて呟く。

 初めてマリンボールが打たれた。

 衝撃的すぎて現実感がないほどの出来事が起こった証拠を刻む二点のバックスクリーンを見つめながら、俺達恋恋高校の面々は呆然と立ち尽くす。

 決して投球は甘くなかった。

 低めに鋭く堕ちるマリンボール。

 七井はそれをバットを目一杯長く持ち、軸回転で弾き返した。

 結果的に言えば敬遠が正解だったのかも知れない。

 ――逃げたくなかった、それ以上に逃げる必要が無いと感じていた。

 "マリンボールは打たれない"。

 "選球眼は悪くないから、低めにマリンボールを投げさせれば"。

 数十秒前の自分をひっぱたいてやりたい。なんでもっと、慎重に考えなかったんだ。

 

「まだだ!!」

 

 声を張り上げる。

 後悔しても過去には戻れない。

 喚いても嘆いても、無いものは無い。

 

 ならせめて、前へ。

 

 打てないと誰が決めた。あおいが二点取られたなら俺達が三点取ればいいんだ。

 

「まだ終わってねぇ! まだ攻撃は六回ある! 集中しよう!」

「うん! ごめん! 打たれた! 次は抑えるから!」

「ああっ!」

「……ふ、二度同じ打者に打たれるバッテリーではないしな」

「分かってるでやんすよー!」

 

 まだ、声は出る。

 終わったなんて思わない。俺達はまだ、戦える!

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 良いチームを作ったな、と倉橋理事長は思った。

 テレビの前で手のひらに浮いた汗をおしぼりで拭きながら、倉橋理事長は再びテレビに目をやる。

 甲子園に行くという約束は果たされ、宣伝効果も十分だった。

 一年の男子生徒の数は劇的に増え、恐らく来年も増え続けるだろう。それで、倉橋理事長が野球部に注目する必要は無くなったはずなのに、まだこうして彼は野球部の一挙手一投足に目をやってしまっている。

 野球の事なんかわからなかった。今も曖昧だ。

 それなのに、何故だろう。――どうして、彼らの戦いを見ているとこんなに胸が熱くなるのだろう?

 ――泥だらけになっても必死に起き上がり、

 ――素人目に見ても敵わない相手を目の前にして、

 それでも全員が全員、まだあきらめない。

 一度日本一になったからだとかそういうチャチなプライドで動いてるんじゃなく、全員が全員そう思っている。

 だからこうして絶望的な二点差がついても、テレビで見ていられるのだ。

 孫娘がテレビに写った。いつの間にか応援団グッズを身に纏い、外の熱気で真っ赤になった顔を冷やすことも忘れて声を上げている。

 

「……倉橋さん」

「おっと、すみませんな影山さん。ハハハ、年甲斐もなく、熱くなれるものを見つけてしまいましてな。いや、細かいルールはまだわからないんですが、それでも熱くなるのですよ。……彼らを見ているとね」

「いえ、わかります。だからこそ私達は足を棒にして選手たちを見つめていられるのですよ。……そんな熱くしてくれる選手の代表格が……このように私達スカウトの調査書の記入をせず、断りを入れてくるのが信じられません。思わず、試合よりこちらを優先してしまったほどに、ね」

 

 影山スカウトはゆっくりと書類を机に出す。

 それはプロ野球の球団にドラフト指名される際に必須の、調査書というものだ。

 まだ速い時期だが、それでもプロの球団はすでに動いている。

 どこよりも強く誠意を見せる為、我先にと調査書を配るのだ。

 影山の居るキャットハンズもその例に漏れず、猪狩守、アンドロメダ高等学校の神高、友沢、そしてパワプロにも配布した。

 ――だが、そのうちパワプロだけが、その日の内に理事長を通じて連絡をしてきた。

 調査書には、書けないと。

 

「お願いします! 倉橋理事長! どうして……どうして彼はプロに行かないんですか!? これほどまでに人を熱く出来る! これほどまでに人を魅せつける! そんな選手が、何故っ!」

「……数年前まで、加藤、という保険医が監督として居たのをご存知ですかな?」

「え、ええ。それはもちろん。ですが、彼女が何故ここで……?」

「彼女はアンドロメダに赴任しましてな……そこで武井田監督、という方に出会いましてな。……その方からどうやら葉波くんのことがアメリカに伝わったらしく。……来たのですよ」

「ま、まさか、メジャーからの誘いが……!?」

「ははは、いや、そこまで凄いものではありませんよ。メジャーリーガー……神童選手ですよ」

「――っ!」

 

 そう、それは数年前の事。

 カイザースで類を見ないほどの活躍を果たした神童という選手が居た。

 彼はメジャリーグに移籍し、メジャーでも完全試合を達成するなど大活躍を今現在もしている。

 ――そして、一部のスカウトにオフレコとして入ってきた一つの情報がある。

 即ち、

 メジャーリーグの圧倒的実力を肌で感じた神童選手は、日本の野球こそがナンバーワンとするため、野球選手養成の為の、野球選手のためだけの街や野球アカデミーをつくろうとしている、という。

 

「まさか」

「そうです。神童さんが葉波くんを誘い、それを葉波くんは了承した。即ちプロ野球選手育成の為の学校――野球アカデミーの将来的な設置、彼は神童さんが主導するそのプロジェクトの第一号に」

「っ、ぁ、そんな、そんな事が……!」

「ふふ、驚きましたか? 私も驚愕しましたよ。途方もない計画……サイエンスファンタジーのようなありえなさ。それでも神童くんと葉波くんは目を輝かせていました。思わず頷いて出資を約束してしまいましてね。……ああ、これはオフレコでお願いしますよ。影山さんだから教えたのですから」

 

 突拍子も無いことだが、全くありえない話ではない。実際日本プロ野球のレベルはメジャーリーグに近づいていると言われている。

 でも、それは投手だけの話だ。野手はメジャーリーガーの身体能力に負けて、殆どが成功したとは言いがたい結果に終わっているのだ。

 特に捕手は挑戦者数が元から片手の指で数えられる程度しかいない。……それが、パワプロのような捕手のスター選手の卵が出てきた。それならば神童から声がかかるのはある意味、必然といえるのかもしれない。

 

「ああ、そうそう」

 

 倉橋理事長は驚愕して声が出ない影山スカウトへ、いたずらっぽく笑いかけ、

 

「いずれ出来る街の名前は『パワフルタウン』……パワプロくんの葉波と英語のパワフルをかけているらしいですよ?」

 

 とんでもないことを言った。

 ――彼の熱は、

 野球を超えて、街すら作るという。

 そのとんでもない話に景山は苦笑するしか無かった。

 

 

 

 

                              ☆

 

 

 

『七回表が終了しました! しかし、しかし! 依然重いこの二点!! 猪狩守はなんとここまで三振一七個! 完全試合中です!』

 

 必死に食い下がる。

 ピンチはあの七井の被弾以来作らせて居ない。

 ――だが、それ以上に打てない。

 ライジングショットだけじゃなくフォークスライダーカーブを織り交ぜる猪狩の変幻自在の投球に、俺達は手も足も出ない。

 

「ストライクバッターアウト」

「ぐぬぬ……でやんす」

 

 矢部くんが唸りながら戻ってくる。

 新垣も当たらない。一五四キロのストレートを振らされる。

 

『バッター三番、葉波』

 

 第三打席目。

 ――絶対に出る。

 勝つためには流れが必要だ。幾ら猪狩とはいえ、ツーアウトからと言えどもランナーが出れば乱れるハズ。

 フォアボールでもエラーでもいい。とにかく塁に出る!

 猪狩が足を上げる。

 グオンッ! とダイナミックなフォームから投げ込まれる一五二キロのストレートを、俺は懸命に振るう。

 チッ! とチップ音を響かせてボールがバックネットに突き刺さる。

 

「ファール!」

 

 よし、当たった。ストレートはこの要領で振れば当たる。

 これでもまだボールの下だった。つーことはライジングショットは目算でこれよりボール上二つ分を振れば当たりはするはずだ。

 二球目は外、球種はカーブ。

 出かかるバットを必死に止めてボールを見送る。

 

「ボール!」

 

 よし……変化球はスライダー以外なら見れる。フォークは振りに出てたら当たらねぇけど、チップでもいいって気持ちなら当てれるハズだ。

 インコースは追い込まれるまでは捨てる。どうせチップしに行っても下手にフライになったりするだろうからな。

 三球目――インコースへのストレート。

 直前に思ったことが功を奏したのかバットが止まり、

 

「ボールツー!」

 

 これで1-2! バッティングカウント!

 

『初めてボール先行になります猪狩。やはりライバルには緊張するのでしょうか』  

 

 ストレートカーブストレートと来た。そろそろストレートで来るだろうが――問題はライジングショットか否かということ。

 ぐっと猪狩が腕を引く。

 ライジングショットに狙いをあわせて振れっ。

 弾丸のように放たれたボールは俺の手前でライズする。

 予想通り――!

 ググ! とライズするボールにバットが当たらない。

 ズパンッ!! と二宮がボールを捕球した。

 

「トラックツー!」

 

 っ、予想通りだったのに当たらねぇのかよ! なんて伸び……!

 これに当てる為にはもうちょっと高めを振らねぇと。……でも無理やり高めを振りに行っても他の球種ならかすりもしない。狙うにはリスクが高すぎる。

 くそっ……どうすりゃいい。どうすればライジングショットを攻略出来るんだ……!?

 ただでさえ打ちにくいのに真上にライズするなんて……。

 ……ライズする。

 そういや、前まで投げてたあおいの"第三の球種"もコース指定があるにしろライズするボールだったっけ。

 じゃあ今まで戦った相手はどうやって第三の球種をどうやって打ってたんだ?

 そういや、一番最初。

 高木幸子の時、バックネットだったけど真後ろに突き刺さる強烈なファールになってた。

 あれをファールにできたのはソフト部でライズボールに慣れているからだと思っていたけど――本当にそうなのか?

 俺はあの時思ったはずだ。"野球のボールは小さいから浮き上がる打球の捉えづらさはソフトボールの比じゃない"と。

 それを結果はファールだったとは言え、痛烈な当たりだった。捉えづらい球を慣れているからといって二球目で捉えきれるか。ボールの大きさが違えば浮力も違う。浮き上がり方にも違いがあるはずなのに。

 

 これだ。

 

 この認識に何か攻略の取っ掛かりがあるんだ。

 思い出せ。あの場面を。

 高木幸子が何を想ってあの打席に入っていたのか、どうやってあのボールを痛烈なファールにしたのか、思い出せ。

 高木幸子はソフト部の四番。

 高木幸子はあおいと同級生で一緒に野球をやっていて。

 女性ゆえにチームから敬遠され野球をやめた。

 それでソフト部のキャプテンになった。

 ソフトボールはボールが大きい分、球場も小さいから野球で培った打撃が十二分に発揮されてエースになって……。

 球場が小さい。

 じゃあ球場が広かったらどうする?

 球場が広くてホームランは打てない。それでも生き残ろうとするなら、どういう打撃をする?

 あの場面。ヒットが出れば勝ちという場面で大ぶりなんかしない。実際高木幸子も、あの場面は流し打ちしてた。

 

(――そう、か)

 

 ああ、そうか。

 そうだったんだ。

 こんな、簡単な事だったんだ。

 俺はゆらりとバットを構える。

 フォームは変えない。このままでいい。

 猪狩が足を上げ、ボールを投じた。

 浮き上がるボール(ライジングショット)を打つ方法。

 それは、打撃の基本中の基本。

 ボールを上から叩き、

 タイミングを合わせセンター返しをイメージして、

 ただひたすらシャープにバットを振りぬくっ!!

 

 カァンッ!! と快音が響いて、ボールがファーストの頭を超えていく。

 

 俺はそのままファーストベースで立ち止まって、ガッツポーズを作った。

 歓声が、響く。

 

『う、打ったー! 猪狩守のホップするような豪速球を華麗に流し打ちー! 初めてのヒットはやっぱりこの人、葉波風路ー!!』

「やった!!」

「凄いでやんす! でもどうやって……!?」

「次の回の終わりに聞くしか無いわ。……友沢……っ」

 

 新垣が祈るように友沢を見つめるのがファーストベースからも見える。

 だが、その願いも虚しく友沢は空振り三振に倒れ、これで七回裏が終了。残す所も後二回。後二回で、猪狩から二点を取る。

 至難の業だが、無理じゃない。攻略の糸口は見えた。

 

「パワプロくん! どうやって打ったでやんすか!」

「さっさと教えなさいよ!」

「俺からも頼む。今今投げられたばかりだが当たらない」

「……出し惜しみしている場合じゃないぞ」

「わあってるよ。必要なのは意識だ」

「意識?」

「ああ、ボールの上を叩くのと、流し打つイメージ」

「……それで当たるでやんすか?」

「ああ、ボールの上を叩こうとすると自然とバットは高めから出る。ライズしてくる軌道にばっちりかち合うだろ。猪狩のボールのエグいところはこっから更に伸びてくるから、当たらないってことだが……それはセンター返しで対応した」

「センター返し?」

「ああ、ひたすらタイミングをあわせて振る。伸びてくる分流し打ちになっちまったが、これなら自分の打撃を崩す事なくいい形で、なおかつライジングショットに対応出来るようにバットが触れるだろ」

「なるほど……」

「確かに、それしかないかも……」

「ああ、さあ、さっさと守備を終わらせて攻略するぞ!」

「……ん、八回、行ってもいいの?」

「ああ、あおい。頼む。……行こう」

「……うんっ」

 

 あおいが頷く。

 八回の表。

 七井アレフトが打席に立つ。

 さっきツーランを打たれたが、今度はもう打たせねぇ。絶対に。

 インローに構える。

 もう意思疎通は必要ない。あおいは静かに頷いてボールを投げた。

 バットを一閃する七井。

 だが、バットには当たらない。当てさせない。

 空振ったバットがビュンッ! と恐ろしい音を立てた。

 大丈夫だ。

 アウトローへの逃げるボールを投げさせる。それも迎え撃つように振るうが当たらない。

 追い込んだ。

 ――遊び球は要らない。

 逃げるかよ。絶対に勝つ!

 インハイに腰を上げ、俺が構えるとあおいはこくん、と頷いた。

 そうして投げられた投球は、

 俺とあおいの始まりを告げた、あのボール。

 "第三の球種"と全く同じコースの、インハイのストレート。

 それを七井は打ち上げる。

 力のないピッチャーフライ。

 それをあおいはしっかりと両手でキャッチした。

 七井を三球で抑えた。

 その事実に驚いたのは何よりもあかつき大付属のベンチだったろう。

 続く三本松、五十嵐もフライアウトに打ち取り、八回の表が終了する。

 八回の裏、東條からの打順。

 東條は俺の言った通りの打撃をする。

 ――が、猪狩はそれを察知してか、ライジングショットを投げず、スライダーとストレートのコンビネーションに切り替える。

 

「ぐっ!」

 

 そして――追い込んでからのフォーク。

 東條は空振り三振に打ち取られ、スタンドのボルテージが上がる。

 続く進もストレートで。

 北前もピッチャーフライに打ち取られた。

 八回が終わる。

 残す攻撃は後一回。

 一回の攻撃で、猪狩から二点を取らないと行けない。

 ……二宮から続くあかつき大付属の攻撃。点は取らせないぞ。

 

「あおい、一ノ瀬とスイッチだ」

「うん、頼むよ一ノ瀬くん」

「ああ。……パワプロ、勝とう」

「もちろんだ」

 

 軽く一ノ瀬とミットをあわせ、分かれる。

 投球練習を終えると同時に二宮が打席に入った。

 

「僕はパワプロくんともっと野球をする。だから――君たちには打たせない!!」

 

 スパァンッ! と気合の乗ったストレートがミットを打つ。

 打たせない。その気迫が感じられるような直球だ。

 二球目のスライダーで追い込み、三球目のスクリューで打ち取る。

 ワンアウト。

 バッターボックスに立つのは猪狩守。

 目の前で猪狩の投球を魅せつけられた一ノ瀬は色々溜まっていたんだろう。

 それを爆発させるように腕をふるう。

 ――猪狩にすらかすらせない圧倒的な投球を見せて、一ノ瀬は猪狩を三振に打ちとった。

 九十九も低めのストレートで見逃し三振。

 九回の表が終わる。

 そして九回の裏。ここで二点取らなきゃ俺達の負けだ。

 

『……さあ、いよいよ。この戦いも最後が近づいて参りました。二点差を追いついて延長戦に持ち込むか、三点を取って一気にサヨナラに持ち込まなければ恋恋高校は負けてしまいます! 九回裏、マウンドに立つのはもちろんこの人、猪狩守!』

『バッター八番、明石』

「明石。気負うなよ」

「うん」

 

 明石が打席に立つ。

 問題は初球だ。

 猪狩が投じた初球は――ライジングショット。

 それを明石はしっかりと流し打つ。

 

「ファール!」

『伸びるボールをファールにしました明石! ついていけています!』

 

 よし、タイミングばっちり。少し球威に押されたけど圧倒されるってことはなくなってる!

 これならもしかしたら。

 ――そんな希望を打ち砕くかのように、猪狩はスライダーを外角低めギリギリに決め、

 止めとばかりにフォークを振らせた。

 

「う、くっ!」

「スイング! バッターアウト!!」

『空振りさんしーん! 追い込んでからの一四三キロのフォークー! あたりませーん!』

 

 ちくしょう、ライジングショットだけでも厄介だっつーのにあのフォーク……! 上下に揺さぶられちゃ手も足も出ない!

 後アウト二つ。バッターは一ノ瀬。

 

「一ノ瀬。頼む」

「ああ、……打ってくるよ」

 

 微笑み、一ノ瀬は打席に立った。

 空を裂くストレート。怯まずに一ノ瀬はそれを迎え打つように振る。

 

「ストライク!」

 

 だが、当たらない。流石に初見じゃ当てられないか。

 二球目はスライダー、一ノ瀬が必死でついていこうとバットを振るって。

 コンッ、と軽い音が響く。

 ショートが慌てて後ろに下がり、その後ろにぽてん、とボールが落ちた。

 

「よっしゃぁ!!」

『ヒットー!! ポテンヒットながらランナーが出塁ー! そして打順は一番に帰ります!』

『バッター一番、矢部』

「矢部くん!」

「任せろでやんす! 絶対に出るでやんすよ!」

 

 矢部くんがバッターボックスに立つ。

 矢部くんはどうしても打って欲しい時、何時も打ってくれた。

 きっと、今度も。

 初球、猪狩が投じたスライダーを矢部くんはしっかりと振るう。

 キィンッ! と乾いた音を立てて、ボールが一、二塁の間を抜けていった。

 

『ヒットヒットヒットー!! 恋恋繋ぐー! 矢部見事な引張でチャンスを広げます! ワンアウト一、二塁でバッターは二番新垣ー!』

 

 ……はは、やっぱりすげぇわ、矢部くん。

 新垣が打席に向かう。

 深く息を吐いて、新垣はしっかりとバットを構えた。

 新垣の一挙手一投足を俺はネクストから見守る。

 サインは必要ない。新垣は自分の役割をしっかりと理解して行動するだけだ。

 猪狩の初球は恐らくライジングショット。

 新垣のバントを全力で封殺しにくるはずだ。

 じりり、と内野陣が前へと歩みをすすめる。

 猪狩がボールを投じると同時に内野陣がバントシフトの為に一斉に動き出す。サードとファーストは前へ、セカンドとショートはそれぞれ開いたベースカバーへ。

 その間を抜けるためのコースは一つ。

 

 上空へ。

 

 新垣はライジングショットを叩きつける。

 ゴキンッ! と鈍い音を立ててボールはワンバウンドし、高々と浮かんだ。

 バントではバットを振ってはいけないと言われているのに、そのタブーを破ってまでも新垣は一ノ瀬達を進塁させてくれたのだ。

 猪狩がボールを取り、ファーストへ投げる。

 

「アウトー!!」

『送りバント成功ー!! ツーアウト二、三塁! 一打同点のチャンスで――バッターは!』

『バッター三番、葉波風路!!』

 

 ドワアアアアアアアアアア!! と観客が揺れる。

 ほんと、神様ってやつはどうしてこうもこういうお膳立てが好きなんだろうな。

 ルパン三世のテーマが流れだし、皆が俺を鼓舞するように大声で応援歌を歌ってくれる。

 ――死力を尽くし。

 ――全力をぶつけ合い。

 そして今、俺達はこの場面でお互いの命運を決そうとしている。

 延長戦になれば流れの勝る俺達が勝つだろう。

 

 だから、打つ。

 ここで打たなきゃ。

 ここで俺が打たなきゃ――誰が打つ!

 

 猪狩がボールを投げる。

 豪速球。

 それを迎え撃つ。

 ビュンッ!! とボールを空振った。

 

『ストライク!!』

『フルスイングー! そのスイングに歓声が起こります!』

 

 1-0か。初球を捉えたかったんだけど。

 続いて二球目、投じられたボールはスライダー。

 それを追いかけて、ファールにする。

 

「ファール!」

『ファール! これで2-0、追い込みました!! 後一球ー!!』

「あと一球! あと一球!」

 

 後一球じゃ終わらせねぇ。

 ――今まで続いてきたんだ。

 あの日、握手を交わして道を違った、あの時から。

 

「ボール!!」

『低めの際どいストレート、見極めました! これで2-1!」

 

 今までずっとずっと。

 猪狩を追い、猪狩に追われ、抜いて抜かれて。

 

「ボールツー!!」

『今度は伸びる方のストレート! 高めに外れたボールを見極めます!』

 

 必死にバットを振って追いつこうと頑張って頑張って。

 そしてやっとたどり着いたこの舞台を。

 あと一球で終わらせてたまるか――!!

 キュンッ、と投じられた一四九キロのライジングショットを、捉える。

 

『う、打った―!!!』

 

 かぁん!! と音を立ててボールが飛んで行く。

 

 ぐんぐんボールは伸びていく。

 会心の当たりだ。

 技術とか、打つ方法とかは頭に無く、ただひたすらに、終わらせたくない一心でバットを一閃した。

 完璧に捉えた――自分でもそう想う。

 捉えられた打球は、そのままレフトのポールへ向かい飛んでいき――

 

 

 

 

 

 僅かに、左に切れた。

 

 

 

 

 

「ファール!!」

『お、惜しいー!! あわやサヨナラ三ランかという当たりは惜しくもファールー!」

 

 そのボールを見やって、猪狩は笑う。バカにした笑みとかじゃなくて、ただ純粋に、俺を、俺達を称えるような明るさと、野球の楽しさを噛み締めるような、そんな笑顔で。

 ああ、猪狩。

 お前が笑う気持ち、俺も分かるよ。

 だって俺はお前と戦えて、お前と一緒に野球ができて――最高に楽しかった、から。

 

 

 バットが空を切る。

 

 

 最後の球はストレート、一五四キロ。

 あかつき大付属のベンチから選手たちが飛び出し、マウンドの猪狩へと走っていく。

 俺はその様子から目を外して、晴天を見上げた。

 ――この瞬間、俺達恋恋高校の夏は、終わったんだ。

 

「ゲーム! あかつき大付属高校!」

 

 あっという間に整列して、審判が終わりを告げる。

 誰一人として俺達は泣かない。

 終わった実感が無いんだ。そりゃ泣こうにも、泣けない。

 そんな様子を知ってか知らずか、猪狩が少し声をかけようか迷ったように一呼吸おいた後、話しかけてくる。

 ほんと、こいつがそんな風に遠慮するのは珍しい。

 

「……パワプロ」

「ん……負けたぜ。猪狩。やっぱ猪狩世代だな」

「……楽しかった」

「ああ、俺も」

「僕達は甲子園で優勝する。……そして、証明しよう。お前たちがこの夏のナンバーツーだったと。……お前が、お前こそが……僕のライバルに最も相応しい男だと」

「――ああ、絶対だぜ」

 

 猪狩とハイタッチを交わし、俺は後ろを振り向く。

 スタンドには彩乃や七瀬を始め、俺達をずっと応援してきてくれた人たちが居る。

 その人達に向かって俺は頭を下げた。

 ――すみません。もっと頑張りを見せれなくて。

 そんな言葉を飲み込んで、俺は頭を下げ続ける。

 ふと気配を感じて横を見ると。

 友沢が、

 東條が、

 新垣が、

 矢部くんが、

 進が、

 一ノ瀬が、

 北前が、

 石嶺が、

 三輪が、

 赤坂が、

 明石が、

 森山が、

 そしてあおいが、

 俺の隣に並んで、全員で頭を下げてくれていた。

 ……そんなことが無性にうれしくて、

 この仲間たちともっと戦えなかったのが残念で、

 負けたのが悔しくて、

 涙が溢れた。

 

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

 夜。

 打ち上げパーティと称して、俺達は部室に戻った。

 部室の中にジュースやらお菓子やらを持ち込んでのどんちゃん騒ぎ。一番最初の恋恋高校の三年生の引退だから豪華にやろうと言い出した一年生達の気遣いがなんだかくすぐったい。

 六時から始めた打ち上げももう三時間。全員さすがの体力で騒ぎ疲れること無くまだまだはしゃぎまわっている。

 そこをするりと抜けだして、俺はグラウンドのマウンドの上に立った。

 暗い空に浮かぶ星の煌きを見つめながら、静かに俺は息を吐き出した。

 

「パワプロくん、一人でここに出るなんて水くさいでやんすよ」

「そうだ。三年の付き合いだろう」

「そうだよ、ボクなんかバッテリーとしても私生活のパートナーでもあるんだよ?」

「一人で楽しそうなことしてないで私も混ぜなさいよ。……チームメートでしょ」

「……お前が誘ってくれなければ、俺はこんなに満ち足りた気分には慣れなかった。礼をいおう、ありがとう。パワプロ」

「野球部バカツートップの俺もほうって置くなよ」

「そうだぞー。俺達が最初のチームメートだろ―」

「そうだよ、僕達が居なかったら野球部できてなかったんだぞ?」

「そうだそうだー」

「……ああ、そうだったな。……ありがとう。お前らのおかげで最高に楽しかった」

 

 水くさいな、と全員が微笑で迎えてくれる。

 それが、最高に心地いい。

 

「……なぁ、お前ら卒業したらどーするんだ?」

「ふふふ、パワプロくん、いい質問でやんすね。オイラ、プロ志望届出すでやんすよ」

「私も、矢部と二人で話し合ってお互いに決めた。……わ、私なんかはかかるかわかんないけど……」

「無論、俺もプロ志望届を出す」

「……当然だな」

「ボクもだよ!」

「そっか、やっぱ皆行くんだな?」

「俺も出すぞー」

「明石もか。かかるといいな?」

「俺は体育の教師目指すぜ」

「バカなのに!?」

「バカっていうな! バカって! オメーもだろうが!」

「僕は実家を継ぐぞ。石嶺本屋だ」

「俺は大学進学してミゾットスポーツに入りたいな」

「三輪の夢は壮大だな」

 

 全員が全員、未来への道を走っていく。

 このチームで野球をやるのはもうおしまいだ。

 ……それでもきっと、この高校生活のことは、忘れない、忘れられない最高の思い出だ。

 

「パワプロくんは?」

「……え?」

「パワプロくんは、どうするの? もちろん一緒にプロ野球だよね」

 

 あおいが屈託の無い笑顔で、そう話しかけてきた。

 信じているんだ。俺が同じ道を歩むと。

 ずっとずっと一緒に、仮に違う球団になったとしても、歩む道は同じだと。

 でも、

 

「いや、俺はプロ野球には行かない。アメリカに行く」

「――え?」

 

 それは違うと、言わなきゃ行けない。

 

「な、なんでやんす、って?」

「……本当なのか?」

「ああ、皆が、特にあおいが動揺するかもって思って言わなかったけど。実はとある人に誘われてて――」

「嘘だっ!!」

 

 ――そんな俺の言葉を、あおいは大きな声で遮った。

 

「そんなの嘘だ! だって、だって……! あ、アメリカだなんて……ずっと一緒だって、そう思って……っ!」

「あおい、俺は……」

「やだ……! そんなのやだよ! 聞いてないよ……! ボク、ボクは、パワプロくんが一緒じゃなきゃ……」

「あおいっ!」

「っ!」

 

 俺の言葉を聞かず、あおいは後ろを向いて闇の中に走っていく。

 ……っくそ、もっとクッションを挟んで言うべきだったか。

 

「……あの反応は、仕方ないでやんすね」

「明日落ち着いてから話したほうがいいわよ?」

「お前らは結構冷静だな?」

「そうでやんすねぇ。オイラ、親友でやんすから。……パワプロくんがどの道を選んでもオイラたちの縁は続いてるでやんす。どうせいつか一緒にプレイすることになるでやんすよ。敵か味方かは分からないでやんすが……」

「そういうことだな」

「……早川はお前に支えてもらっていたし、お前の恋人だ。俺達とは感覚が違うからな」

「そう、だな」

 

 恋人がアメリカに行く――その相談をされていなかったあおいは、傷ついたんだろう。

 それでも言うわけには行かなかった。それで乱されて野球のプレイに支障が出たら、何よりも傷つくのはあおいだから。

 

「……参ったな」

 

 七井相手のリードよりも悩む懸案が増えちまったぜ。

 ……でも、伝えなきゃいけない。

 俺のためにも、そして何より、プロ野球を背負っていく新人になるであろうあおいの為にも、絶対に。

 

「いってくるわ」

「ちょ、一日おいてからって!」

「無理! 俺の性格的に!」

「あ! こら!」

「無駄でやんすよ、新垣、こう決めたらこう、パワプロくんはそういう奴でやんすから」

 

 矢部くんの褒め言葉かどうか分らない言葉を背に受けながら、俺はあおいを追って走りだす。

 あおいの姿はすぐに見つかった。

 俺が素振りに使ってた河原に、膝を抱えて座ってる。

 

「……悪かったな、いってやれなくて」

「……ぐす……」

「けどな、あー……言い訳になるからいいや。ごめん」

「どう、して……どうして、プロ野球じゃ、ダメ、なの……? どうして……」

「――猪狩は、すげぇよな」

「……う、い、今その話と猪狩くんは……!」

「友沢も、東條も、矢部くんも、あおいも、久遠も、山口も、皆すげぇ。……でも、俺はどうなんだろうな、って思ってさ」

 

 石を拾い、ピッ、と投げる。

 パシャシャ、と二回水面を跳ねた石はそのまま川の流れに呑まれた。

 

「あおいとかに聞いても凄いって答えるかもしれないけど、俺は自分は全然だと想う。……そんな時にさ、誘われちまったんだ。魅力的な懸案に。最初は耳を疑ったぜ? ……けど、それに途方もなく惹かれちまった」

 

 泣きじゃくりながら俺の言葉を懸命に聞いてくれるあおいが愛しくて、頭を撫でる。

 

「加藤先生が言ったアンドロメダ学園高校の監督の武井田って人がさ、神童選手とコネクション持ってて、神童さんとあってさ。話聞いて……やりたいと思っちまったんだよ」

「う、ぅぅ……」

「ごめんな」

「わか、ってるよ、わかってるよぉ……! だって、パワプロくんは、そういう、人だもん、そういうところが大好きなんだもん!! でも、辛いよ……寂しいよう……!」

「……ごめん」

 

 必死に謝りながら、俺はあおいをぎゅっと抱きしめる。

 俺の胸の中であおいはぐしゅぐしゅ涙を流し続けた。

 

「でもな、あおい、これでお別れじゃない。繋がってる」

「ぇ……?」

「俺もあおいも野球をやり続ければ、ずっとつながってるんだ」

 

 あおいの涙を指で拭い、上を向かせた。

 涙をこぼす大きな瞳。潤んだ目に俺が映ってるのを確認しつつ、俺はあおいの唇に自分のそれを重ねた。

 

「……は、ぅ」

「だから、先にプロ野球で待っててくれ。もっといい選手になってから、必ずプロ野球に戻るから」

「……ほん、と?」

「ああ、ホントだ。大好きだからな、俺はあおいのことが。……だから……別れよう」

 

 こつん、と瞳をぶつけて、俺はあおいに告げる。

 あおいは、その言葉を噛み締めるように聞いた後、静かに目を閉じて、

 

「うん、分かった。……待ってるから。約束破らないでね」

 

 頷いて、くれた。

 

「ありがとう」

「……ほんとだよ。バカ。大嫌い……」

 

 言いながら、あおいは俺の身体に腕を回してくる。

 それからしばらくの間、あおいは俺から離れてくれなかった。

 トレーニングの合間も、可能な限り、俺のそばに。

 

 

 猪狩世代最後の甲子園大会は、四神黄龍高校対あかつき大付属の決勝戦の末、あかつき大付属が3-0で勝利を収めた。

 ちなみに、俺達以外の試合ではあかつき大付属はすべて三点差以上の点差で勝利していて、二点差以内に抑えたのは俺達、恋恋高校だけだった。

 

 

 そして、数カ月後。あおいたちのドラフトの前に俺はアメリカに旅立った。

 そこで俺はいろんな目に会うのだが、それはまた別のお話。

 

 この後語られることは、俺の居ない所で行われた後日談。

 あおいからの手紙で知ったことだ――。


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