気分が乗ったのでもう一話。
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この森での生活も、早くも3日が経とうとしていた。特に問題があるわけでもなく、俺はここでの生活に慣れてきたように思う。前と比べて非常に不便だが、それも工夫次第だ。風呂は代わりに湖で水浴びすれば済むし、夜は焚き火で明かりを保つ。焚き火が切れたらとっとと寝る。テレビやゲーム、本すらないのだから徹夜する意味がない。その代わり、日中は念の修行に励んでいる。若干手探り感が否めないが、それでも漫画は偉大な情報媒体。修行方法が分かっているので、コツを掴むのは割と楽だ。今では纏、絶、練を初歩ながらもできるようになっていた。
その後は軽く体を動かす。なるべく早くこの体に慣れなければならない。ポチ相手の手加減を覚えなくてはならないし、念の修行にも影響しそうだからだ。
ちなみに、ポチというのは初日になついてきた狼っぽい獣のことである。あれ以来俺の後をついて回るようになり、修行の時ですら忠犬よろしくおすわりしてこちらを見つめている。俺のことを親代わりにでもしているのか、俺を見つめる目は尊敬に溢れている、気がする。こちらとしても懐かれて嬉しくないはずがなく、一緒に遊んだり、芸を仕込んだり、飯(熊肉)を食ったりしている。
ともあれ、およそ順風満帆と言っていい生活だが、一つ問題が出てきた。それは元の世界の日本ではさしたことでなく、しかしこの環境に放り込まれて自覚したこと。すなわち、
「肉、飽きてきたよポチ」
「くぅ?」
疲れたように言うと、ポチは不思議そうに声を上げた。つまりはそういうことだ。幾ら絶品の熊肉でも、同じものを食い続けていれば必ず飽きが来る。ポチは相変わらず嬉しそうに肉を頬張っているが、人間(だと思いたい)である俺にとってこれは厳しい問題だ。好物が嫌いな食べ物に変わる前に、なんとかしないといけない。それに最近熊の死体から嫌な匂いが上がってきたし。
そんなわけで早速狩りに行きたいところなのだが、またもや問題が発生した。発生した、というよりはようやく気付いただけなのだが。
この三日間、偽熊とポチ以外の動物を見かけないのだ。
気付いた当初、この森では生物がほとんど絶滅したか、来るべき冬期に備え皆移動でもしたのかと想像した。しかし、それにしては森からは何かしらの気配を感じるし、遠くの方では鳴き声も聞こえる。だが姿は全く見えない。なぜだろうとしばらく考え、ようやく原因に思い至る。
俺が原因だった。動物たちは俺の放つオーラや傍の熊の死骸に怯え、近づいてこないようだった。それなら絶でオーラを断てばいいのだが、今の俺の絶では全ての精孔を閉じることが出来ない。そのため気配を絶って狩りに出るのは難しい。
次案として果物などの木の実を考えたが、どの樹も実を生らしていなかったため、諦めざるを得なかった。
「……魚を獲るか」
「アゥッ!」
結局魚を獲ることにした。ほとんど選択肢はなかったが。そうと決まれば早速実行、長めの樹の枝を折って竿、ポチから抜け落ちた毛を結って糸、石の下の土を掘り返して出てきたミミズを餌にして、さて針はどうしよう。悩んで悩んで、自分の噛んだ爪を使うことにした。そのままでは強度が不安なので、オーラで補強すればいいやと思い実行する。しかしそれだと魚に気付かれるため、オーラにも絶を施してみた。これなら釣れるだろうと思い、満足してその日は寝てしまった。
……後で気付いたのだが、これ周と隠の組み合わせを実行していたようだ。基礎より先に応用技やってどうする自分。
4日目、早速釣りをしてみたのだが、予想外に大漁に魚を釣ることができた。人の手の入っていない湖であるためか、入れ食い状態だった。オーラの偽装もいらなかったかも知れない、というぐらいの大漁。釣れるたびにポチと小躍りして喜び合う。夕方までペースが乱れることもなく、暗くなって焚き火をする頃には魚達の小山が出来ていた。
早速焼き魚にしてポチと一緒にせぇので齧る。待ち望んだ肉以外の食べ物。それを口に入れた、瞬間。
頭に火花が散った。気付いた時には魚は消えていた。あれ?と首を傾げもう一匹焼いて一口。瞬間、魚は消える。
おかしいなと思いつつ、三匹目を焼く。今度は慎重に、ゆっくりと魚の腹を噛み。
……その瞬間は、筆舌に尽くし難かった。隣でポチが心配するようにほおを舐めてくるが、口の中が天国である現状、そんなことを気にする余裕はなかった。
魚のアッサリとした白身。淡白ともいうべきその味は、熊肉の油に慣れた俺の舌に染み渡る。その弾むような食感は震える舌を蹂躙し尽くす。喉越しすら快感で、頭の奥が痺れてくる。
知らず、涙が溢れてきた。うま過ぎてわけが分からない。なんだこれ。
……その日の夜は延々と、嗚咽と鳴き声が響いていた。
その日以降ほぼ毎日魚を食べていたのだが、全く飽きがこない。魚こそが俺の主食だと言わんばかりに食いまくる。ただ、ポチは三日で魚に飽きたらしく、自分で獲ったイノシシっぽいやつを食べていた。いやお前、狩りできるならしろよと思ったが、そうしたら魚のうまさに気づけなかったかも知れないと思えば、むしろポチに感謝したいくらいだ。釣り糸も提供してもらっているし。
さて、食事事情が改善したところで、以前にも増して修行に身が入ってきた。うまい飯は元気の源だ。それに、念の操作が上手くなるたび、できることが増えて行くたびに自信がついてくる。自信がつけば心に余裕がでて、更に改善すべきことが見えてくる。いいことずくめだ。魚万歳。
そんな生活を送っていた、ある日のこと。何時ものように修行しようと自然体になると、普段大人しいポチが普段より必死な感じで鳴き出した。すわ何事かとそちらを向くと、緩やかなオーラを纏ったポチの姿が。おまけにめちゃくちゃ嬉しそうに尻尾を振っている。
……念って、そんな簡単に習得出来たっけ?
固まったままポチをみていると、褒めてもらえないと業を煮やしたポチが絶や練を見せてくれました。しかも今の俺とほぼ同じ練度です。
……どうやらうちのポチは天才だったみたいです。
複雑な気持ちになりながらも、ポチが念を覚えたのは嬉しいことに変わりない。
ひとしきり褒めまくり、その日からは一緒に念の修行をすることになった。
ライバルがいるって素晴らしい。心の底からそう思う。
なんの話かと聞かれれば、ポチのことである。端から見ていて明らかな速度で成長していくポチだが、凝で観察していくと自分では気づけなかったオーラ操作の妙に気づかされるのだ。どうやらポチの方も俺から念操作の取っ掛かりを覚えているらしく、お互いがお互いに影響し合い、加速度的に上手くなっていく。今までの修行は何だったんだと言わんばかりに。成長速度が半端ないことに。
だが、ある意味納得はしている。俺とポチには師匠がいない。誰からも教えられることなく、独学で修行しなければならないのだ。例え漫画の知識があったって、必要なことが完璧には分からない。生身の、経験を積んだ達人の言葉が、今の俺たちには足りなかった。
だが、俺にはポチ、ポチには俺がいる。お互い足りないところがあれど、相手を観察することで足りないところを補っていく。ライバルがいるからこそ、俺たちは成長できる。
更に、修行内容が増えた。ポチと組手をするようになったのだ。
身体のスペックが違いすぎるので、オーラはほとんど纏わないが、ポチは戦闘の才があるのか、拳と前脚、蹴りと牙を打ち合うたびに堅と硬がせんれんされていく。流石に流は戸惑っていたが、ポチの才能には脱帽せざるを得ない。
ライバルの存在、そして強くなっていく自分に喜びを覚えながら、俺たちは今日も修行を続けるのだった。
……そういえば、念に関して何か忘れているような。