ハンター世界での生活   作:トンテキーフ

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出会ってしまった

「……ねぇ、フェル」

「……」

 俺の初試合が終わってから5か月ほどたったある日の、まだ日も見えない早朝。今ではレアの訓練場と化した俺の部屋。その中央で、全身に分厚い重りをつけたレアは両手を放り出して突っ伏していた。全身から噴き出した汗が、床に水たまりを作っている。

 息も絶え絶えな様子で、レアが聞いてくる。

 

「何、でっ私は、練をしながら、腕立て500回なんてしているの」

「……もちろん、鍛えるためだろ」

 

 なぜも何もない。念を教えると言った時、一緒に体も鍛えると約束したのを忘れたのだろうか。

 オーラはガソリンのようなもの。質のいいガソリンがあれば車は速く長く走ってくれる。だが肝心の車がおんぼろだと、走ることすらできないのだ。オーラだけを鍛えて、体を鍛えない理由はない。

 

「ええ、確かに、鍛えてるわね、これ。筋トレは体を鍛える効率的な方法だし、練は念の基礎の基礎だものね。でもね……」

 

 そこで言葉を切り、レアは大きく息を吸い込んだ。

 

「何も同時にすることないだろうがぁー!!」

 

 そして発せられる怒声。怒りのあまり口調が乱れている。

 

「そもそもこの重りは何!?これのせいで満足に体も動かないし、練のせいでガンガンスタミナ減ってくし!わけがわからないわよっ!」

 

 レアは半泣きになっている。ため息をついて、彼女に告げる。

 

「それだけ叫べるなら十分元気だ。腕立てプラス100回」

「どちくしょー!!」

 

 不幸を嘆くレアの魂の叫びが、俺の部屋に木霊した。

 

 

「というか、今日のフェルおかしいわよ?いつもならちゃんとしたメニューをやらせてくれるのに」

 

 一通り朝の訓練を終え、クールダウンしたところでレアは少し睨んできた。確かに、いつもはちゃんと筋力と念の訓練は別々に行っている。

 俺は頬をポリポリと書き、レアに謝った。

 

「ごめん、ごめん。ちょっと上の空になってた」

「うわの空で無茶をさせられる、こっちの身にもなってみなさいよ……」

「だからごめんって」

 

 そこまで言って、レアはふぅ、とため息をついた。

 

「まぁ、フェルがとぼけてるのは今に始まったことじゃないか」

「……ひどいな、それ」

 

 苦笑すると、レアはさっきまでとは一転して、まじめな表情になった。

 

「何か心配事でもあるの?聞くだけなら聞いてあげるわよ」

「心配事というか、何というか……」

 

 軽く唸り、ポツリと呟く。

 

「なんか、肌がピリピリするというか……」

「なにそれ?」

 

 呆れたようにレアが言う。だが、それ以外に表現しようがない。

 肌の表面を弱い電流が常に流れているような、脳が伸縮しているような。一番近い感覚は、緊張と高揚か。ポチと対峙していた時の感覚に良く似ている。

 

「虫の知らせか何かか……?」

「ハイハイ。多分緊張でもしているんでしょう。なにせ今日はあの試合があるんだから」

 

 呟く俺をスルーして、レアはチケットをひらひらと揺らした。一見ただのチケットに見えるが、その実ネットオークションで60万ジェニーで競り落とした貴重なものだ。

 

 試合は、239階の、フロアマスターの防衛戦だ。

 

 

 

「フロアマスターの試合でも、普通はこんなに高くないんだけどね」

 

 買ってきたブドウのジュースを飲みながら、レアは言う。

 

「今回は天空闘技場で一番人気のフロアマスターの試合だから、こんなに高くなったみたい。噂だと、生まれてから一度も負けたことがないとか。ホントかしら」

 

 そこまで言って、レアは俺を半眼で睨んできた。

 

「そわそわするのは分かるけど、もう少し落ち着きなさいよ。子供じゃないんだからさ」

「ピリピリする……」

「まだ言ってるの?」

 

 レアに呆れたように言われたが、観客席についてから、むしろちりつく感覚は強くなっている。これから、何かが起きる。誰かが来る。来てしまう。そんな予感までしてきた。

 緊張、高揚。緊張、高揚……。感覚の連鎖。その流れが最高潮に達した時、アナウンスが流れた。

 

『お待たせしました、皆様!いよいよ本日のメインイベント!フロアマスターの防衛戦でェ~す!!』

 

 一際大きくなる、歓声。

 

『まずは挑戦者、アイナル選手の入場だぁー!』

 

 一人の選手がリングに上がった。アナウンサーが彼の経歴や戦歴を流暢に紹介する。その一切を無視して、彼の姿を注視する。……違う、彼じゃない。

 

『対するはァ~、常勝不敗、40年の生きる伝説!不屈の男、フーガだ~!!』

 

 そうして、リングに上がってきたもう一人の男を見た、瞬間。

 

 全身の毛が逆立った。

 

 現れたのは黒の道着を着た、筋骨隆々の男。短く髪を切りそろえ、不機嫌そうな表情だ。

 

 その、戦うためだけに鍛え抜かれた肉体。泉のように溢れいで、純粋なオーラ。足遣い、目、雰囲気。表情に至るまでの全てが男を雄弁に語っている。

 彼が圧倒的な強者である、と。

 

 ごくりとつばを飲み込む。あるいはポチにすら匹敵する存在感に、目を離せなくなる。自分の心臓の音が耳から離れない。

 俺の動揺をよそに、試合は始まった。蹴り、突き、手刀。アイナルは次々に攻撃を繰り出すが、どこか精彩を欠いている。アイナルも、フーガの雰囲気に呑まれてしまっているようだ。その攻撃を、フーガは紙一重でかわしていく。

 明らかに手加減している。だが、フーガの表情は険しく。まるで何かを見極めるかのように、アイナルを睨んでいる。十数分にも及ぶ攻防。ふ、と。フーガは表情を緩ませた。何かを諦めたような、あるいは何かに失望したかのような表情フーガの動きが明らかに遅くなる。フーガの表情には気づかずに、チャンスとばかりにアイナルが大ぶりの突きを放った、一瞬。

 フーガの足がぶれる。数瞬、響き渡る轟音。アイナルの体が宙高く舞っていく。そのまま、今度はアイナルと天井が接触した鈍い音が響いた。

 どさりと落ちるアイナル。フーガはもはや自分の対戦者には興味がないようで、目を閉じ腕を組んでいる。ダウンしたアイナルが起き上がってくることはなく。

 審判がフーガの勝利宣言を出すが、フーガはむっつりと黙ったままだ。代わりに、観客の声が爆ぜた。アナウンサーすら、呂律が回らなくなっている。

 だが、やかましいほどの歓声も、興奮して噛みまくりのアナウンサーの声も、何も気にならなかった。

 緊張と高揚は徐々に引いて行った。代わりに現れた感情は、歓喜。

 学ぶ対象として、だけではない。真剣に戦うだけでもない。本気で戦える相手が今、目の前にいるのだ。

 

「……ェル、フェル!!オーラしまいなさい!」

 

 レアに肩をたたかれようやく俺はフーガから目を離した。どうも無意識に全開の纏をしてしまったらしい。周囲の人々が怯えた顔で俺を見ている。精孔を9割閉じ、一度頭を下げて再びフーガに目を向ける。

 目が、あった。閉じていた目を開け、フーガは俺を見ていた。しばらく睨み合いのように、俺たちは互いを見つめていた。

 唐突に、フーガは笑う。ニヤリという擬音すら生ぬるいほど、どう猛に、挑発的に。

 

『かかってこい』

 

 聞いたことのないフーガの声が、聞こえた気がした。自然と、俺の表情も緩んでいくのを感じた。

 

「ちょっとフェル、一体どうしちゃったのよ!!」

 

 慌てるレアに、俺は震えそうになる声を抑え、ゆっくりと告げた。

 

「ごめん、レア。修行、一か月くらい遅れるかもしれない」

「はい!?」

「俺はレアを見てあげられないけど、纏と練だけはちゃんとやっておいてね」

「いや、どういうことよっ!お、おかしいでしょフェルっ!ちゃんと説明しなさい!」

 

 俺は去っていくフーガの背中を見ながら、、言った。

 

「……ちょっとフーガ(あの男)を倒してくる」

 

 拳を痛いほど握り、その場を後にする。レアが後ろで何事か叫んでいたが、気にするだけの余裕が、今の俺にはなかった。


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