※2014年9月14日 加筆修正しました。
プロローグ、あるいは修行パートへの導入
「……」
深い、深い森の奥。原生林のような曲がりくねった木々の隙間から漏れる光は、湖の水を輝かせていた。ファンタジー小説の挿絵や絵画じみた、幻想的な光景。写真や絵としてなら、見る人の関心を買うに違いない。だが、俺はこの光景を似ても感慨に浸ることはなかった。
湖を覗き込み、俺はため息をつく。そこに映っていたのは当然、生まれてきて以来ずっと付き合ってきた俺の顔であるはずだ。だが、湖に映り俺を見返していたのは、中性的な、見慣れない美顔だった。
今度は手や足を確認する。細めだが、鉄よりも遥かに硬い感触。柔らかく、しなやかに動く関節。俺の思い通りに動いてくれるのは結構だが、どう考えても俺の手足ではない。
わけが分からない。漫画を読みながら寝落ちしたところまでは覚えている。そのままいつも通りに起きたら、すでにこの理解不能な状況に陥っていた。。自分の体がまるまる別人に変わり、更にどことも知れない密林の中に放り出されているのだ。例え仙人の如く心頭滅却した人でも、俺と同じ体験をすればパニックに陥るだろう。事実、先ほどまで俺はあまりのことに思考を止めていた。誰とも知れないこの体が、思い通りに動くという事実。いや、薄々気がついてはいるのだ、この顔の持ち主については。何せ、昨日の夜遅くまで読みふけっていた漫画に、この容姿とそっくりなキャラクターが載っていたのだから。
「はぁ……」
何度と知れないため息に、今度は声を乗せてみる。その声すらも変わっていて、俺を更に落ち込ませた。だが、最も俺を気落ちさせているものは、俺の後ろにある。
ゆっくりと後ろを振り向く。見えた先に、背の高い木の根元で寝そべっている熊っぽい何かがいた。童話や絵本ならのほほんとした、現実なら恐怖以外何者でもない描写ではあるが、しかし俺は焦ることはなかった。
何故なら、その熊っぽい何かは、頭に赤い花を咲かせて絶命していたからだ。
目が覚め、パニックになっていた俺を襲った偽熊。咄嗟に放った回し蹴りが異常な速度で偽熊の頭部にヒット。対して効かないだろうと予測したその攻撃は、偽熊の頭部が爆発したという結果に終わった。
その後近くにあった泉で自分の体を確認して、気が狂いそうになりながらもなんとか落ち着こうと努力した。しかし何度と確認しようと体が元に戻るということもなく。
理解することを諦めて、今に至る。
そして、この容姿について、だが。見慣れないとは評したが、漫画の中では幾度となく見た顔だった。耳は普通の人間と変わらず、尻尾すらついていない。だが、顔はどうみてもハンターハンターのネフェルピトーそっくりだ。
そして、先程から意のままに操れる、体から出ているオーラっぽいなにか。その量は莫大で、濃い密度でもって俺を包み込んでいる。
……どうやら俺は、ハンターハンターの世界で、ピトーっぽい何かになってしまったらしい。
1
ぱちぱちと鳴る焚き火をぼんやりと見つめ、俺は座り込んでいた。
あれからなんとか自分の容姿を許容した後、俺はまず服を脱いだ。いやらしい意味などなく、この体がどうなっているか知りたかったからだ。
結果、人間の体そのものだということが分かった。原作ネフェルピトーは関節部が人形じみていたが、この体はそんなこともない。単なるそっくりさんかとも思ったが、それにしては顔は似過ぎているし、何より偽熊を蹴り殺した身体能力の説明がつかない。ぐるぐる考えてみたが、結局何も分からなかったので、この体については保留にしておくことにした。あまり深く考え始めると、本当に気が狂いかねない。
次に考えたことは、これからどうするかだ。正直今の俺は浮浪者と何ら変わりない。本当の意味で何も分からない分、浮浪者よりもたちが悪い。このまま街に出向いても乞食扱いされるか、最悪街にすら入れないかも知れない。そもそもここがどこかすら分かっていないのだ。右左も分からない状況で移動するのは危険極まりない。略奪などもってのほか。
ならば、どうするか。
「……引きこもるか」
呟いてみると、存外悪い考えではないような気がしてきた。何もわからないままに人間社会に出ようものなら、あっという間に淘汰されてもおかしくない。そんな厳しい社会に出るよりは、この森で暮らす方が気が楽なのではなかろうか。
そういうわけで、街に行くことなく、この森で生活することに決めた。いつかは街にいってみたいが、それは今でなくてもいい。食べるために生き物を狩ることに抵抗はあるが、それも慣れてくるはず。森の中でも十分に過ごせるはずだ。
考えに一段落つくと、腹が切ない感じで鳴った。そういえば起きてから何も食っていない。何かないかと辺りを見回し、目に飛び込んできたのは蹴り殺した偽熊の死体。
早速焚き火を起こし、熊の両手をもぎ取り、皮を剥ぎ、丸焼けにしている最中である。いや、偽熊から手をもぎ取ったり皮をはいだりするのは中々グロテスクではあったのだが、いかんせん身近で頭が爆発するというショッキングな映像を見てしまい感覚がマヒしたのか、気分が悪くなることもなかった。むしろ火に焼けて油で光る偽熊の手は非常にうまそうであり。
余談だが、樹の枝を折ってマッチ感覚でこすって火がつくのはどうなんだろう。幾ら何でも力が有り余りすぎだ。街に出るには力の制御ができてから出ないと、普通に生活するだけで事故を起こしかねない。
つらつらと考えていると、香ばしい匂いが漂ってきた。焚き火で体育座りってキャンプファイアーっぽいなどと考えながら、焦げ目がついたところで火からあげる。期待しつつ一口かじる。
「……おお」
珍味とでもいえばいいのだろうか、普段あまり口にしないような味と食感だ。筋が多くやや食べにくいが、噛むたびに肉の味が染み出てくる。油が乗り過ぎて胸焼けしそうなのが惜しいところ。言葉にする間も惜しく、夢中で肉をほおばる。そうして骨までガリガリかじり、2本目を食べようとした。
「……クゥ〜ン」
後方から弱々しい鳴き声が聞こえてきた。振り返ると木々の間からこちらを見ているモノと目があった。
「……犬?」
思わず声が出た。白と灰が混じった毛に、少し細長い顔。犬というよりは狼に近いようで、しかし体長は1mもないような、そんな獣がこちらをみていたのだ。その獣は俺と目が合うと、のそのそと近寄り、ゴロンと仰向けに寝転がった。どういうつもりかと思い獣を見ると、獣はこんがり焼けた熊の手を見てよだれを垂らしている。
腹が減っているようだった。というか肋骨が皮の上から透けて見えるほど痩せている。
群れからはぐれてしまったのか、追い出されたか。どちらにしろ食料にありつけていないらしい。
「……」
仕方なしに骨つき肉を放ってやると、獣は飛びつき、いそいそと肉を食い始める。呼吸を忘れて肉を頬張る様は、見ていて非常に愛らしい。背中の毛を撫でてやると、一瞬ピクリとしたものの、そのままなされるがままになっている。
「……」
撫でながら、再び思考する。森の中でどう過ごすか。最初は狩りのやり方を覚えて、飢えないようにすることが先決。飯が食えれば、とりあえず最低限は生きていける。そして、この世界で過ごして行くに当たり重要な技能である念の修行をする。基礎さえできれば、街に出た時に職に困ることはない、と思いたい。ましてやより良い職に着くには念は必須なはずだ。修行方法については漫画を読んで全て覚えているので、これもなんとかなるだろう。
「キュッキュッ」
いつの間にか肉を食べ終えていた獣が甘えるように身を寄せて来る。頭を撫でつつ、俺はこの世界での生活に期待と不安を膨らませるのだった。
それにしてもこの獣、体躯と鳴き声がミスマッチである。
プロローグなのであっさりしてます。