IFSによる補助電脳へのハッキングは、近年では余り例がない。
ナノマシンにまで母数を増やしたとしても、割合の変動は小さい。
その理由は技術的な難易度と罰則の強さが要因になるだろう。
技術的に考えるのであれば、まず相手が繋がっている必要がある。
IFSであるなら起動、ナノマシンなら何らかの形での接続。
その最低限の条件を満たし、待ち構えているのは強固な防壁だ。
人体に直接繋げ、精神にも繋がってくるものが柔いはずがない。
個人が持てる防壁としては、別格クラスで強いものと言える。
防衛機制を含めたら、馬鹿馬鹿しい程に複雑なプログラムなのだ。
その中に入っているのは、思考の欠片や記憶の断片。
当然個々人の独立した処理であるため、統一性があるわけもない。
下手をしなくても独自言語の可能性だってあり得るわけである。
そこまでやって手に入るのは、ただの個人情報だ。
確かに金融情報やその他色々な情報を手に入れることは出来るが。
補助電脳にクラックする技術があるならもっと簡単に手に入る。
そして罰則の強さにも繋がってくるが、認識障害も引き起こせる。
今回の事例の様に、見えないものを見せるぐらいなら出来るのだ。
思考にも手を出せるので、洗脳すらも技術的に不可能ではない。
勿論、不可能ではないというだけなのではあるが。
補助電脳開発の極めて初期の頃に、テロでやらかされていたらしく。
現在では、どう足掻いても割の合わないクラック対象なのである。
まあそれでも、馬鹿と賢い馬鹿はいつだっているもので。
定期的にやらかしては即バレして、ガッツリ痛い目を見ている。
記憶や思考に手を加えられたら、大抵すぐ気付くものなのだ。
つまるところ、実際に起こった被害よりもずっと。
世間様は大きく反応するジャンルのもので、今回も例外でない。
該当者は全員、メディカルチェックを受けることになったのである。
世間に公表する程、大きい話にするかは別のようであるけれど。
それぞれでウィルスとトロイと基礎ソフトと登録情報のチェック。
加えて問診を行って、異常検査を行うというわけである。
パイロット組、そして俺とホシノさんと艦長の計9人。
イネスさんは検査をするために、自分だけ先に終わらせたそうだ。
みんなが順番に、流れ作業のように検査をピピピと受けていく。
こう、なんというか。工場の出荷検品作業を彷彿とさせる。
こういう風にエラーチェックとか、IFSによる洗脳とかがあるから。
非人間的とか言われるが、ともかく無事に検査は問題なく終了。
「それとあなたはナノマシン検査ね。
なんで2年間も放置してんのよ」
「は、8ヶ月は俺のせいじゃないですし」
……こうして、呼び止められた俺以外のみんなについては。
言われてみると、そっちの方に影響が出てないとも限らないので。
調べなさいと言われたら、従う理由しかなかったりもするのだが。
呼び止められて検査器具をペタペタと身体に貼られることより。
平然とした顔で勝手に医務室の中に入ってきて、俺の検査を見る。
エリナさんのお姿が、俺は気になって仕方がないんですけど。
「あのー」
「なにかしら」
「なんでエリナさんもですか?」
「興味があるみたいよ」
興味。俺の身体に、という浅めのボケは取り敢えず脳内に留め。
一応上半身は脱いでいることとか、微妙に気になったりはするが。
検査台に寝転がったまま、顔だけ向けてエリナさんを見てみる。
静かに椅子に座り、真っ直ぐではないが俺の方を見ていて。
……心当たりというと、やっぱりボソンジャンプ関係かなと思う。
この組合せで他の回答は思い浮かばないし、俺も変なのは判ってる。
「……ボソンジャンプ、ですよねぇ」
「ご名答、流石に判るわね。
何か知っていることはあるかしら?」
「ないですよー。
理由が判ってたら説明してます」
仮に理由がわかっていたら、隠している理由なんて現状ないし。
……言ったら人体解剖が有りうるものだとかなら、隠すかも。
いやでも、それが元の安全交渉ぐらいならエリナさんは乗るだろう。
もしも公表することで、犯罪が連発するようなものであるなら。
んーその場合も、犯罪をするのはネルガルではなさそうだし。
技術の管理ってことで、イネスさんに相談してもおかしくはない。
「基本、隠し事はいつかバレますし。
俺が知っている情報の中には一切ありません」
「そう……なんで、事前予測が出来るかも?」
「頭の中にですねぇ、浮かぶんですよ。
なんかこう……来る!みたいな感じで?」
来る、みたいな感じでねぇとエリナさんは今一納得いかなそう。
とは言っても、俺自身に本当にそれ以上の情報はないんだけども。
なぜか予測出来て、なぜかそれが現状100%で当たってるだけで。
うん、考えると半端なくおかしいね俺。奇妙なものである。
ここまで来ると職人の勘とか、そういうのとは違うのは判るけど。
俺自身の、特徴と言える程の特徴なんてIFSとナノマシンぐらいだ。
……まあだからこそ、両方共調べられるここにいるんだろうけど。
イネスさんも、研究者だからそりゃ乗るよね。俺も拒否はしないし。
言われる言葉の予想が大体付きつつ、それが形にされるのを待った。
「――私たちは、あなたに期待してる。
あなたのナノマシンが要因ではないか、と」
「協力して、ですね。
いいですよ、俺の身の安全は絶対ですけど」
悩む理由はない、が。ここで流されるのだけはよろしくない。
ここで適当に対応して、相手側に条件を決められるのは避けなきゃ。
出来る限り、解釈の余地がない状況にしとかないとまずい。
何が不味いかっていうと、この交渉相手がエリナさんってこと。
この人、基本的に交渉が上手くない癖に押し切ろうとするからね。
俺の反応に、少し息を飲んでる内にこっちから掛からなくては。
「こっちは今回の検査データを提供します。
そちらは解析して、その結果を提供してください」
「ええ」
「俺に対する隠蔽はなし、個人情報漏洩なし。
解析後の利用と、追加の検査は要相談でどうです?」
「……いいでしょう、それで飲むわ」
基本は、相手を出し抜かなくても協力できると認識させること。
出し抜いた場合のリスクより、協力による安定が上と思わせること。
裏切るよりも、交渉が低リスクなら誰だってそうするわけである。
包括契約ではなくて、余り判ってない状況なので契約も小刻み。
ああ、これだと検査データの解析以外の利用の禁止が入ってないか。
それも追加で口に出しながら、お金の話を手を振って拒否した。
「お金はお給料貰ってるんでいいです。
ただ、違約はしないでいただけますよね?」
「ええ。
その時は交渉に乗ってもらえるんでしょう?」
ほら、こういう人である。きっちりしてればきっちりなのだ。
テンカワさんみたいにやると、この人も意固地になってしまう。
どっちかと言わずとも、提督とかそっちの方の人よりであるのだ。
なんで俺も、こういう会話がこなせるようになったのかねと。
多少自嘲しながら、イネスさんが器具を外していくのに任せる。
手渡されたTシャツに袖を通して、起き上がって振り返る。
「どうでしたー?イネスさん。
異常とかってありましたかー?」
「あるわよ。
やっぱりヒットみたいね、あなた」
そう言って、イネスさんは俺とエリナさんにウィンドウを投げた。
並べられたのは、なんかのリスト。ファイルの更新日の一覧表かな。
上から目を通していくと、結構その数自体は30と多くはない。
一番初めのが20年前ぐらいで、次が去年の冬ぐらいのもの。
そのあと20個ぐらいがクリスマスで、続く3個がちょっと前。
んで、最後の10個弱……8個が、つい昨日のものであるようだ。
「これって」
「全部、あなたがボソンジャンプを見た日よ」
――あ、そうか。一番初めのは判らないけど、それ以外なら。
火星から地球へ、八ヶ月の時間ごと飛んだのが二番目の更新日で。
次がクリスマスの横須賀への襲撃。続いてがボソン砲と昨日である。
んーでも、ナデシコの関わったボソンジャンプってこれだけか?
有人誘導ミサイルの時とか、月面の襲撃時もそうじゃないのかなぁ。
……だから、見た、といったのか。俺が見ることが必須なのかな。
「……俺が見たもの、だけですか」
「それか空間を認識してたもの、かしら。
実行時、或いは出現時を認識したものだけね」
「どういう内容の更新ですか?」
こうして並べられている中に、一番目のがあるということは。
多分、同一系統のものであるということだとは思うんだけれども。
謎な言語で綴られた、恐らく何かへの入力データと推測される。
事前予測の度に、そういうものがあったと思うと微妙だけど。
何かの入力データらしきものという回答が来る、と予想しながら。
問いかけた質問に、イネスさんは瞳をギラギラさせて笑った。
「――分析データかしら。
一番最初のファイルと類似しているわ」
「分析データ、ですか」
「早速、ネルガルの解析班に回すわ。
…………期待をしていて頂戴」
分析データか。俺はあれを入力データの複製だと思ったのだが。
微妙に釈然としない気持ちを不思議に思いながら俺は頷いた。
……これからのことを考えるにしても、解析結果待ちだしね。
俺たち、というか。俺がナノマシン検査を受けている間。
ナデシコはエステで、漂流中の敵小型シャトルを回収したらしい。
中には10代前半の女の子が一人、気絶していたそうである。
イネスさんによると、どうやらボソンジャンプの出現時に。
ちょっとエラーがあった様子で、その衝撃で揺れたとのことだが。
なんとそのショックで、記憶喪失になってしまったらしいのだ。
とはいえ個人証明物は普通に持っており、お名前は白鳥ユキナ。
……どう考えてもあれですよね。白鳥九十九さんの関係者だろう。
しかし、当の本人が記憶喪失と言ってるんだからと思った矢先。
やらかしました、この子。大浴場に侵入して、のぼせたそうだ。
のぼせただけならどうでもいいが、目的はミナトさんの暗殺。
爆弾を持ち込んでいたらしく、それで自爆覚悟であったようだが。
まあのぼせた挙句、暗殺対象に介抱されてほだされてちゃねぇ。
その際に、全然記憶も失っていなくて、白鳥さんの妹と判明。
……流石ミナトさんっていうか。結構お互いに気にいったらしい。
彼女自体は、和平交渉の使者として選ばれて此方に来たらしい。
使者とは言うが、彼女にその交渉の権限そのものは与えられずに。
交渉用のリアルタイム通信機を持たせられ、飛んできたそうだ。
そのリアルタイム通信機。どう見ても敵無人兵器なんだけど。
そいつを用いて、まずは白鳥さんとミナトさんに会話して欲しい。
白鳥ユキナさんは、艦長にそう申し出て直ぐに認められた。
通信機を付けるとすぐ白鳥さんが出て、ユキナさんを心配する。
そのユキナさんは「特別だからね」と一言言って、ミナトさんに。
通信を始めたミナトさんと白鳥さんは、何とも言えない空気で。
これを100%の精度で表現できるほど、俺には語彙がなく。
無理矢理例えたなら、若い人に任されちゃったお見合いだろうか。
なんとも甘酢っぱい空気の中で、白鳥さんはこう切り出した。
「――ミナトさん、もしも和平が決まったら。
和平が決まったら、是非私と――――!」
「白鳥さん、その言葉は。
直接出会ったときに聞かせて、ね?」
白鳥さんの言葉に、ミナトさんは穏やかに微笑んでそう返し。
周りがふわぁっとした空気に包まれる中で、俺は混乱していた。
……イヤイヤ、なんか色々展開が早くないんですか、と。
だって白鳥さんとミナトさん、まだ出会ってそう経ってない。
拉致された時も、時間としてはそんなに長くはなかったはずだ。
それがなんで。こんなレベルで話が進んでしまっているのか。
ミナトさんは凄い頭のいい人で、雰囲気だけには乗らない。
けれど、こうしてその返事をしたってことはOKってことだろう。
癖は確かに強いがあれだけ頭のいい人が、本気なのだろうか。
しかし、そうやって戸惑う俺とは対照的に。
ブリッジの雰囲気は、そういった明るく穏やかなままである。
そんな中で、艦長はナデシコの方針について、宣言をした。
――――皆さん。艦長としての私の結論を発表します。
私はネルガルと軍を説得し和平交渉を実現させたいと思います。
このまま戦争を続けるより二人に幸せになって貰いたいから。
その艦長の発言は、どうやら無言の中で肯定された様だった。
提督もエリナさんも口出しをしない。それが多分答えなのである。
白鳥さんもそれに小さく頷き、そして静寂の中で言葉を発した。
「ご決断、感謝致します。
それではもう一つ、和平会談に向けてですが」
「はい、なんでしょう」
「和平会談を開くに当たり。
木星連合の上層部が一つの条件を出しました」
ここに至って口を挟むことなどこの場にいる誰も出来やしない。
ただ、どのような条件が挙げられるかそれだけをみんなが待って。
こほん、と小さく咳払いした白鳥さんは厳粛な声で述べ上げた。
「――木星連合は地球連合と会談を希望しています。
機動戦艦ナデシコを、その大使として送っていただきたい」
その言葉の意図を、誰が一番早く正確に理解したのだろうか。
色々と汲み取れるその文脈は決して単純なものではなくて。
事態は、思っていたよりももう少し面倒臭くなりそうな予感がした。