通信士メグミ・レイナードは、元声優である。
その中心となる業務は、艦の内外の情報管制と通信業務。
それと、ブリッジ担当員に共通する緊急時の対応だ。
数多に存在するセンサーを制御し運航に必要なデータを観測。
艦が行う全ての通信を管理運営し、肉声による情報伝達を担当。
必要な時には、防衛行動までならその職権の範囲で行える。
勿論、普通の戦艦であるなら、個人で担当する範囲ではない。
もっと多くの人数で、それぞれが一つの部所として行う業務である。
省力化が進んでいるとは言え、人一人には限界があるからだ。
しかし、これを特別でないと感じるのはここがナデシコだから。
オモイカネとIFSにより単独制御を成しえるホシノ・ルリ。
超高速化した思考を持って、艦の全てを制御できる彼女がいる。
センサーも通信も、本来であればホシノ・ルリ単独で行える。
それに比べてしまえば、メグミさんの仕事なんて数える程だ。
センサー類も、メグミさんではあくまで観測までしか出来ない。
運航用のデータに落とし込むのは、最後はオモイカネである。
理屈だけでものを言うなら、彼女もホシノさんの予備だ。
ナデシコの設計理念は、より少ない伝達経路を必要としている。
――しかし、実際の最大効率ではメグミさんが不可欠になる。
メグミ・レイナードは声優であると同時に看護士である。
医療の発達により平均寿命が延び、長くなったモラトリアム。
その流れとは別に、脳波出入力により加速したギフテッド教育。
未来を選び取るまでの時間が、極端に二分化されたこの時代。
メグミさんは、最短ルートの中でもほぼ最短の道を通っている。
彼女は僅か17才にして、正規の教育を受けた正看護士だ。
とはいえ、正看護士であることが彼女を通信士にしたのではない。
メグミ・レイナードが一流の人材として扱われる理由は2つ。
彼女のもつギフテッドとしての能力と、声優の技術だった。
幼い頃より優秀と見做された少女には、一つの才能があった。
目で見たもの、耳で聞いたもの、情報の“意味”を理解する能力。
単純にいえばそれは、理解力と称されるものにほかならない。
他の、記憶力や処理能力も十分に並を越えるだけの力があり。
彼女は手に入れた情報を、自分の頭で統合処理し、理解できた。
人としての範疇で、彼女もまた十分に天才と言われる存在だった。
オモイカネに依らず、人力で最速の読み取りを行える人材。
そして、彼女の才能はそれだけでは終わらない。
彼女の本当の価値は、ホシノ・ルリと組ませてこそ見られるもの。
ホシノ・ルリはナデシコを単独で動かせるが、そうしない。
それは、彼女単独で出来るのは“動かす”ことだけだからだ。
動かすことは出来ても、継続して“運用”は出来ない。
運用するには、整備班がいる。その為には生活班も必要。
ナデシコとセット運用されるエステバリスにもパイロットがいる。
そして、彼らとの情報の共有が、絶対に必要になってくる。
なるほど、確かにホシノ・ルリはナデシコを単独で動かせる。
しかし、そこからが繋がらない。彼女で情報は止まってしまう。
ホシノさんが持っている情報も、伝わらなければ意味がない。
メグミ・レイナードはその情報の淀みを清流に変える化け物だ。
データに過ぎない情報を読み取り、人の言葉に訳す“翻訳機”。
そしてそれを過不足なく、正確に、最適なタイミングで伝え続ける。
統合されたデータから、通信の内容とタイミングを想定し。
必要とされる場所に、緊急度に合わせた声量と声色で通信する。
息をつく暇も考える暇もなく、彼女は全てをつなぎ合わせる。
ホシノ・ルリが電子の海を生きる、人型端末とするならば。
メグミ・レイナードは電子と現実を繋ぐ、人型翻訳機。
ナデシコの制御はこの二人によって、理論値を現実に近づけている。
……IFSオペレーターの高度処理を前提とした戦艦であっても。
結局は、完全な人力を頼らなければならない皮肉なお話。
人間と同様に、機械にも限界という虚しい現実があるのだった。
「――敵機動兵器の攻撃を確認。
フィールド出力安定、迎撃の必要ありません」
「ん、了解。
データ取りまとめは俺が」
「私がやりますから大丈夫です」
機動戦艦ナデシコ、ブリッジ、オペレーター席。
ポップアップする敵戦力データと、交戦必要なしの承認欄。
ざっと見るだけ見て、それを離れた所に座る副長に投げつける。
その副長も、大まかに確認するだけで承認を押して終了。
定期的、散発的な攻撃であるならば、態々応戦する必要もない。
ディストーションフィールドはそれだけ強固なものではある。
……というか、機動兵器一体に応戦するのは微妙に難しい。
ナデシコは基本主砲とミサイルだけなので、ムダが多いのだ。
態々エステバリスを出動させるわけにも行かないし、なんとも。
そんな訳で、群れからはぐれたバッタさんならスルー推奨。
安全面からも費用面からも問題ない、というのは事実なわけで。
むしろそれよりも脅威なのは、この場の雰囲気である。
『おいちょっとメグミさん怖いんだけど』
『知らないよ!
大概こういうのって君のせいじゃないの?』
そんな心辺りはなくもないような気がしなくもないが。
とにかく、微妙にビビっている俺と副長の草食獣コンビである。
怯えている対象は、今日のブリッジ担当者、通信士メグミさんだ。
こう俺たちがビクビクするのは、不機嫌そうだからではない。
以前の様に苛立った様子なら、触れなければ話はすむが今は違う。
現状のメグミさんは、“とっても真面目に”お仕事中であるのだ。
バンバン仕事片付けるし、俺がやることまで先回りするし。
いつもだったら雑誌片手に、ちょろちょろやってる仕事も全力。
なんというか、遊びがないと言うべきだろうか、そんな感覚だ。
不機嫌なオーラは放出していないが、仕事に没頭している。
その雰囲気は、以前よりもよっぽど空間制圧力が高く、厄介だ。
俺たち二人には、筆談(画面上)で会話するしか逃げ場所がない。
『そういう風に俺に押し付けるのよくない』
『君が慰めにいってからこうなんだよ?
何か言ったとしか思えないじゃないか』
『要約すると……真面目に仕事しろやって』
『疑う余地なく君のせいだよそれ!』
副長閣下はそう言うけれど、さて真相は一体どうだろう。
俺の言葉だけで、それだけ影響を与えたとも考えにくいし。
ここまで態度変えてくる程、大したこと言った記憶は俺にない。
そうなると、テンカワさんと何かまたあった、とか。
それとも自分の中で考えた結果、そうすることに決めた、とか。
俺は切っ掛けにはなれど、大きな影響を与えてない、はず。
なんだろうなぁ、よくわからんなぁ。
何が判らんってあの話で、こうも極端に変わる理由が判らん。
前よりは悪い方向ではないのは確かだから、まあいいけどさ。
そんなこんなで、サツキミドリ2号までの道のりを消化中。
ヤマダさんに変わる、追加パイロットも3名いるとのことで。
俺としても色々思うところは、なくもない程度にはあるのだが。
人に相談できる程、まとまった内容でもないし。
かと言って愚痴として口に出すのは、趣味にあわないし。
副長はともかく、別に俺はこの沈黙がそこまで嫌ではなかった。
――ま、それでもやっぱり副長は今一みたいなもんで。
一々、どうにかしろと視線でも画面でも訴えかけてくるからさ。
ふとした折に、俺もまたちょっと話しかけてみようかと思った。
「――敵機動兵器、今度は3体。
こちらに接近する様子はありません、交戦必要なし」
「了解、データは」
「できてます、承認だけお願いします」
わーお、超優秀。下手すると俺並に処理早いんじゃないか。
なんというか、俺今日襲撃データの処理をしてないんだけど。
今日に限って微妙に件数が多いことも含めて、急に早くなってきた。
慣れれば、大したことのない作業ではあるんだけどさぁ。
どちらかと言わずとも俺の仕事というかさぁ。
やってくれてもいいんだけど、任せっきりなのはなぁ、と。
「あー、あのさ。
……もうちょい、こっちに仕事振っていいよ?」
「いえ、大丈夫です」
「いやいや。
いつもみたいに、雑誌とか読む余裕無いでしょ?」
「……今は、そんな気分じゃありませんから」
――取り付く島がない。そっかぁと俺も、仕方なく引き下がる。
機嫌が悪いわけではないし、俺に対する当たりも決して悪くない。
どちらかというと、自分の殻の中に閉じこもろうとしてる感じ、か。
でもその割にはちゃんと仕事も出来てるし、意思疎通に問題はない。
こちらを見たのは雑誌に関して話を振った時だけではあるけれど。
その時も何か考えてそうではあったが、案外普通の顔つきだった。
一度はこちらを向いた顔も、既に画面へと向き直している。
――悪い状況ではない、と思うんだけどなぁ。
そんな感じで、さっきから俺を見てる副長との筆談画面に書き足す。
『副長に伝えておきたいことがある』
『何』
『女の子には触れちゃいけない時が3つある。
不機嫌な時と妙に機嫌がいい時と料理中と電車内だ』
『ああうん4つだね、で?』
『……ごめんなさい』
俺では無理でした、ということで。お手上げ侍である。
迷惑かける方向じゃないし、その内落ち着くかなーなんて。
なんか、いいバランスを見つけるまでじゃないかなぁと思ったり。
あ、ちなみに、不機嫌な時は八つ当たりされるから危なくて。
機嫌がいい時も、大抵禄でもないことに巻き込まれるから危ない。
後二つは火や刃物で危ないのと、社会的に危ないものである。
『まあ、副長なら※でセーフかもしれないけどね』
『いやいやいやいや普通にアウトだからね?!』
「――筆談中に申し訳ないですけど。
お二人ともちょっとこれ見てもらえます?」
「……えぇと、何?」
「何か変なものでも見つかったのかい?」
そんな会話に、肉声で割り込んできたのは当然メグミさんだ。
ま、流石に定期的にウィンドウ触ってれば筆談にも気付くよね。
声に出して話すのを避けていただけなので、素直に返事をする。
すると、メグミさんは幾つかのウィンドウを俺たちに投げる。
ピコピコピコ、と青い画面に幾つかの点が浮かぶのは。
……さっきからの襲撃状況の、地図と敵機数の纏めかな、これ。
「襲撃のデータ、だよね」
「やっぱり、段々と遭遇回数増えてるね」
よく見なくても、ナデシコの通ってきたラインを中心に。
ポツポツと幾つかの光点が並んでいる。単純な接敵地点図だ。
地球を離れてから、接敵の頻度が上がっているのが判る。
しかし、それも別におかしいことだとは俺は思わない。
地球から火星に向かうほどに、木星トカゲの制圧圏なのだ。
割合として増えることに関しては、まあ当然ではないだろうか。
チラリと見た副長も、それに恐らく同意しているようだ。
特に違和感というのは感じない。けれど、何かあったのだろう。
メグミさんは、視線と声を若干俯いたままに話を再開した。
「……さっきから少し気になって。
群れの観測地と、接敵地点での敵行動を調べてたんです」
「なんか、繋がったのかい?」
多分、ですけど。そう言ったメグミさんはコンソールを弄った。
見ていたウィンドウに、機動兵器の群体が観測されている場所と。
それと、遭遇した敵がどの様に行動していたかが追加される。
先に気付けるのは、遭遇した敵が近づくまでに向かっていた方向。
ナデシコに向かってくるまでは、秩序だって一方向を目指している。
近づいてこなかったものに関しても、同じ方角を向いていた。
そしてもう一つ。これは直接画面では出てないけれども。
仮に、接敵したものが、群体から離れたものだとした時に。
そいつらはかなりの広範囲で、たった一つの目標を目指していた。
「……目標は、サツキミドリ?」
「アオイ副長もそう思われますか」
画面から判断する限りは、バッタはサツキミドリにイナゴっている。
普通に、予想される規模を考えたらかなりの大襲撃になる。
これ、サツキミドリ2号を落とすだけなら余裕だと思えるくらいに。
気づけば、副長は画面ではなく俺の顔をじっと見ていた。
意見を求めてきているのだと直ぐに判って、俺は大きく頷いた。
少なくとも、俺に襲撃を否定する材料は持ち合わせはない。
「――判った、メグミさん第一種警戒態勢に移行。
サツキミドリ2号に最大船速で向かってください」
「艦長に確認は?」
「後からでいいよ。
ユリカならこの予測みれば判ってくれるから」
ま、そりゃそうか。俺はコンソールに手を置いてIFSを機動する。
航行制御システムを呼び出して、最速ルートで数字の再入力。
通信席に座るメグミさんのアナウンスが全艦に響いてから、実行した。
――――着実に集まっていくブリッジメンバー。
物々しい雰囲気は、ただ戦いに赴くからというだけではなく。
俺は、その何処かに命を失うことへの恐れがあるように感じた。
今までとは規模の違う戦い。俺の背中にも変な汗が流れた。