ヤマダ・ジロウの葬式は、ナデシコの艦内で行われた。
民間といえど戦艦で、それも既に戦地へと向かう身。
長期航海の慣例として、この時代では決しておかしなことじゃない。
本人や遺族の希望で、地球まで連れて行くこともあるけれど。
今回それはなかったらしいし、別にその理由には興味も湧かない。
ただ、どちらにせよヤマダ・ジロウが地球に帰ることはなかった。
業務維持に必要なもの以外が参列した、その葬列。
僅かなもの以外は特に感情を表に出さず、しめやかに進んだ。
静かに渦巻くのは一体どんな思いなのか、俺には判らなかった。
その中で、ほぼ唯一。
テンカワさんだけが、その感情を大きく露わにしていた。
なんでだよ、と叫ぶ彼を見て、俺は何度も唇を噛み締めた。
素直に叫べれば、泣ければ。
だけど、俺の中にはそれ程強い感情はなく、波もなかった。
テンカワさんの嘆く姿が、哀れで見ていられなかった。
他の人がどんな風に感じているのか。
何も感じてないわけではないだろうけど、推測も出来ない。
噛み締めて、飲み込んで、それが大人らしい振る舞いなのだろう。
大人になりきれず、子どもになりきれず。
そんな俺は、一体どんな風に振る舞えばよかったのだろうか。
みっともない姿だけは見せたくなくて、姿勢だけは正した。
葬儀といえど、ナデシコ内部には火葬場なんてない。
ゴミの処理場も、人の遺体を骨だけ残すなんて真似は難しい。
勿論、出来る出来ない以前に、感覚的にもどうよって話で。
そも、艦内で火葬にする理由なんて殆どない。
別に埋葬するわけでもないから、腐敗なんて問題にならない。
地球に連れて帰るなら、それこそ冷凍保存すればいい。
だから、他の宇宙戦艦と同様に。
棺に詰め込んでそのまま宇宙に放流する、所謂、宇宙葬。
何時か何かに衝突するまで、彼の抜殻は虚空の旅を続けるのだ。
ナデシコの制服を着せられた彼の顔色は、決して悪くなかった。
死化粧か、それとも保存状態が良好だったからか、どちらでもいい。
せめて最後の瞬間も、苦しまずに逝けていたらいいなと思った。
彼の身体が旅に出たとき、俺はポケットの中の手を握り締めた。
それは、悔しくてではない。勿論その感情も否定しないけど。
握り締めたのは感情ではなく別のもの。小さな、データチップ。
本当は、一緒に持って行ってもらおうと思った。
彼の為に作ったものだから、彼の夢の欠片だったのだから、と。
それでも、棺を閉めるその瞬間まで迷い続けて出来なかった。
――――ゲキガンガーの、機体データ。
シミュレータにぶち込めば、そのまま起動できるレベルのもの。
彼の夢だ。俺が頼まれていた、彼の夢に形を与えたもの。
頼まれたときから、断った時から、作り続けていた。
“何時か”が何時になるかなんて判らなかったけど、それでも。
彼が真剣に夢に向かうなら、俺も真剣に応えようと思っていたから。
彼の為に作ったものだから、彼とともに逝かせたかった。
だけど、これはまだ未完成のものだったから。
急いで形を作りあげたけれど、まだまだ満足の出来のものじゃない。
棺の中の彼の姿は、まるで彫刻みたいに時間が止まっていた。
そんな彼が最後の旅に出るのに、未完成なものをあげたくなかった。
だから、最後の時まで、俺はこれを渡してあげられなかった。
何時かは、遊ばせてあげたかったと素直に思う。
プロジェクトが終わった時でも、パイロットを辞めた時にでも。
もう俺が渡してもいいと思えた時には、いつでも直ぐに。
だけど、その願いは叶わなかった。叶えそこねた。
叶えそこねた願いは、一体どこに消えていくのだろうか。
灰になることもなくただ、虚空を彷徨い続けるのだろうか。
だとしたら、彼は永遠になったのかもしれない。
ヤマダさんの人生の大部分を占めたのは、その願いだったから。
それなら、やっぱりこのパッチデータをあげなくてよかった。
こんな未完成なもので、彼の夢を完結させたくなんてなかった。
彼の夢は、叶わなかったから、美しい理想のまま永遠になればいい。
捨てそびれた――贈りそびれた夢を、俺は小さく握り締めた。
人一人が死んで世界が変わる程、この世界は単純に出来てない。
変わったとしても個人単位の世界観であり、それすら微妙だった。
俺の世界は何も変わらず、ただ静かに続いていくだけだ。
きっと、俺自身が死んだとしても、俺の世界は変わらない。
ただ俺という観測個体が死ぬだけで、俺の想像する世界が続く。
俺が認識する世界とはそういうもので、ある意味でセカイ系だった。
連合軍が逃亡するその最中に撃ち殺されたヤマダ・ジロウ。
その死を、どう受け止めたかはやっぱり個人単位の話。
そして、その熱量の差は、如何ともしがたい程の差があった。
強い感情を覚えた人もいれば、静かに事実として受け止めた人。
それを表に吐き出す人もいれば、心の中で消化した人もいる。
どちらが正しいとかそういう話ではなく、ただ心の整理の違いだ。
歳を経れば、当然経験を積んで感情を制御出来るようになる。
磨耗した、だとか。情動を失っただとか、嫌な表現もあるけど。
羨ましいだとは思わないが、決して悪いことではないと思う。
吐き出すだけじゃなくて、飲み干すことが出来るのならば。
どちらか片方の方法しか出来ないことよりもずっといい。
選択肢は、逃げ場は多ければ多いほど、心の平静が保てる。
どちらにせよ俺たちは、仕事から逃げることなんて出来ない。
戦場に向かうのだ、感情から目を背けてでも現実を見なければ。
吐き出していたのでは、仕事にならない。それは明白だった。
俺の仕事場であるブリッジなんて、それの代表だろう。
ただでさえ人員が少なくされているのだから、休めるわけもない。
仕事から逃げ出して次に行く場所は、きっとヤマダさんと同じだ。
やらなきゃいけないことがあるってのは、一つの救いだ。
幾ら、職場がギスギスとした雰囲気で会話がなくても。
仕事さえしていれば、その分の時間は流れてくれるのだから。
ブリッジも、最初の頃は会話があった。
俺も、あんまり暗く振舞うのは好きじゃないから、いつも通り。
それなりに話を振ったり、それなりに返したりしていた。
ミナトさんも、多分同じ。気を使った明るさがあった。
積極的にいつもよりも明るく振舞っているのは、見て分かる。
その行動は間違いなく、他の二人を気遣った行動であった。
ホシノさんはいつもと変わらず。
元より少ない口数も、表に出てこない感情も、同じまま。
ただ、思うことがないというのが違うというのだけは判った。
生まれが生まれ、育ちが育ち、年齢が年齢だ。
人の死なんて、普通に生活していても身近にあるものじゃない。
なればこそ、彼女を見てあげられる人は、多分必要だった。
その誰かに、ミナトさんは誰にも言われずに立候補した。
いつもよりハッキリとしたメイクは青白い肌を隠すためだろう。
震える唇を隠して、それでも“大人”であろうとしていた。
――俺は、俺は。正直、良く判らなかった。
明確にショックではあって、その割に冷静なままでもある。
子どもでもあり大人でもあり、要は居場所を見失っていたり。
伸ばした背筋を緩めるタイミングも見逃し。
他の人に、自分から手を差し伸べるほどの余裕もなく。
なんというか、マイペースに自分を見失っている俺である。
……というわけで。
積極的に何かをするわけでもなく、本当にいつも通り。
話しかけて、反応が悪けりゃ無理に話を続けようともしない。
そんな俺では扱いきれないのがメグミさんだ。
ナデシコの中でも、上から二番目に判りやすく落ち込んでいる。
落ち込み凹み、ショックを受けたのを一切隠そうとしていない。
ホシノさんとは対照的に、人が死んだことに極端に反応。
話を振っても一言二言、そうでなければほぼ完全に沈黙している。
仕事にも集中しきれずに、それを逃げ場にも出来ていない様子。
時々、俺とミナトさんを見る視線がある。
“いつも通り”振舞っているのが、好ましくないのだろう。
口に出して言わないけれど、それぐらいは大体判る。
落ち込め、とか、悲しめ、とは欠片も思ってないだろう。
ただ何の感傷もなさそうに振る舞うのが、受入れられないのだ。
なんとなく、俺も気持ちだけなら判らんでもない。
ただ、俺たちだってわざと明るく振舞っているわけで。
その意図を口にしてしまっては、より空気を悪くするだけで。
自分で気付いて欲しいけど、今の彼女では出来ないことも判る。
そんな感じで、不機嫌オーラを放出し続けるメグミさん。
あまりつついて、爆発させてしまうのも、望む所ではない。
気が紛れればと振る話のネタも、やがては尽きていった。
「――時間なので、失礼します」
「お疲れ様です」
「お疲れ様ぁ、メグミちゃん」
チラリとこちらに一礼だけして、メグミさんは席を離れる。
長時間、会話がなかったせいで声のテンションを上げきれない。
優しい声を出そうとして、今一気持ち悪い声になった。
唇を笑みの形で閉じたまま、ブリッジを出るのを見送り。
ぱしん、とドアが閉まってから鼻から空気が漏れ。
そして小さなため息が、俺とミナトさんの二人分重なった。
「……いやぁ、困っちゃいますね」
「どうしましょうねぇ」
コンソールでちゃんとメグミさんが離れてくのを確認。
通信回線も、どこにも繋がってないことを確かめてから。
視線も向けずに言った言葉に、即座に反応が帰ってくる。
おおよそ4時間ぶりぐらいの、ちゃんと反応がある会話。
なんとなく、今自分が生きてるのが夢じゃないと安心できる。
いや、別に夢じゃないのは当然判ってた事なんだけど。
同じ環境にいたミナトさんも、流石に少し疲れたらしい。
その表情に力はなく、代わりに心配そうな色が浮かんでいる。
独り言か、区別できない音量でミナトさんは小さく呟いた。
「会話、出来なかったわねぇ」
「なんかもう、嫌われちゃってますね。
空気読めって思われてますよこれ」
「思い詰めないといいんだけど……」
そうして、しっとりと瞳を伏せるミナトさん。
俺から見ると、そうしているミナトさんも結構なんだが。
気を配りすぎて、この人もまた自滅しそうな感じである。
ホシノさんに気を使って、メグミさんに話を振って。
今回はホシノさんがいなかったけれど、それでも大変だ。
ツン、と会話を断る態度を続けられれば、傷つきもする。
そりゃさ、気持ちは判らんでもないんだけどね。
表面だけ見れば、くだらない世間話を掛けてくるわけで。
空気読んでよと言いたくなる気持ちは、仕方ないかもしれない。
俺からすると、どっちが!って感じなんだけどね。
ああ、うん。俺はただのクズですので。
口に出して言わないだけ分別があることを評価して欲しい。
だって、じゃあ沈痛な面持ちで黙ってれば気が済むのかって。
今の彼女みたいに、仕事に集中しきれずにいればいいのか。
気持ちが判るから怒らんけど、それはそれでダメだと思う。
心配は勿論しているが、なんとも、ね。
人に心配かけておいて知らん顔なのは、俺は好きじゃない。
ミナトさんにまで、悪影響を与えてどうするってさ。
せめて、悲しむだけが道でないことに気付いて欲しいけどね。
それさえ判れば、本人が楽になるだろうに。
後ろでプシュと空気音が聞こえたのを無視して、俺は口を開いた。
「こんなタイミングで、二人いるから。
励ませるんじゃないかと思ったんですけどねー」
「そうよねぇこんなタイミングで。
まるで誰かが計ったような感じだものねぇ」
普段、日中とは言えど、この3人で当番にはならない。
日中なら大抵、艦長か副長かのどちらかと運航班から2人だ。
なくはないけれど、あくまで割とレアなメンツである。
6人の内、現状普段通りに仕事が出来るのは4人。
艦長は、良くも悪くも完璧にいつも通りだし、副長も同じ。
俺とミナトさんは、何だかんだで年上のプライドもある。
それに比べると、やっぱりホシノさんは多少動揺しているし。
メグミさんなんて論外……とは言わないけれど、戦闘は厳しい。
夜番も考えたら、俺を取っといて艦長を入れたいところである。
「なんか、さもメグミさんも励ませ?みたいな?
そういう誰かの都合を感じるっていうか?」
「本当にどちらさまかの都合を感じるわよねぇ。
私たちだって余裕ないんだから自分で励ませっての」
愚痴をいう積もりはないですけれど。
ただ、色々と不平感は溜まりに溜まってもいるわけで。
物音なんて聞こえないほどに、声が大きくなっていく。
そもそも、メンバーの精神面を俺たちが面倒見るとかね。
本来上司的な、上役的な立場にいる人がやるものじゃないかな。
こんな20代前半の若造がやるものでは絶対ないし。
「もっとしっかりして欲しいですよねー」
「人任せも程々にして欲しいものよねぇ」
「――いや、もうなんか本当ごめんなさい」
と、ここで。
先ほどから近づいてきた足音は、今回の当番を組んだ人。
僕らのなよなよして頼りにならない副長閣下であった!