理想郷さまともマルチ投稿しております。
テンカワ・ユリカは死んだ。
火星の後継者によって、演算ユニットに組み込まれた彼女。
ナデシコCによって助け出された艦長は、そのまま入院し。
後遺症を残しつつ、一度は小康状態と思われたがある時急激に悪化し、そのまま逝った。
奇しくもテンカワ・アキトが統合軍に追い詰められて。
ランダムジャンプによって消滅を確認されたその瞬間に続くように。
彼女は昏睡状態に陥って、そして二度と目覚めることはなかった。
2回目の葬式は恙無く行われ、そうしてまたミスマル提督は一人になった。
大切な人をまた喪って、ホシノ・ルリはまた心を閉ざしかけている。
今度こそ、もうどうしようもない場所に彼らが行ったのを、みんなが知っていた。
テンカワ・ユリカが死んでから、一週間が経った。
火星の後継者事件も、そしてテンカワ夫妻の葬式も終わった。
あいも変わらず続いていく日常は、残酷なようで優しいのかもしれない。
次々と押し寄せてくる仕事には、何の変化も起こらなかった。
僕、アカツキ・ナガレには、ネルガル会長としての仕事がある。
火星の後継者と繋がっていたクリムゾンを追い落とし、トップに返り咲くこと。
その為には幾らでもやることはあるし、時間は幾らでも足りなかった。
ああ、しかし。
親友と一方的に考えていた青年を喪ったのだから、少しぐらい。
今日一日ぐらいは、早く帰って落ち込んでもいいんじゃないかと思えた。
エリナ君も、僕と同じように憔悴した姿を隠しきれていない。
今日はここまでにしておこう。普段なら不機嫌になる彼女も、今日は頷いた。
最後の片付けをするために、僕に紅茶を入れてから彼女は部屋を出て行った。
「――よろしくて?」
そんな時だ。
会長室に、小さなノックと共にドクター・フレサンジュの声がした。
珍しい、そう思いながら、僕はそれにどうぞと応えた。
白衣を着た彼女は、いつもと変わらない様子に見えた。
元より、女性とは例え顔色が悪くても隠す手段を幾らでも持っている。
ドクターもそうであるのだろう、いつもよりも微かにメイクが濃く見えた。
「どうしたんだい、ドクター。
君がここに来るなんて、滅多にないのに」
「ちょっとね。
直接君に伝えたいことがあったから」
そう言って、彼女は小さく皮肉気に笑みを浮かべた。
いや、笑みなんていいものじゃない。ただ、口元を歪ませただけだ。
これを笑みと表現するほど、僕は女性に対して嫌味な人間じゃない。
「……今日でないと駄目かい?
僕は、今日は仕事納めの気分なんだ」
「明日でもいいけど、後悔するわよ。
人生で最悪クラスのお知らせだから」
なんの冗談だ。そう思った僕は彼女の表情を見て、嘘じゃないと判った。
あいも変わらず、メイクに隠されたその肌は白く青ざめている。
カチコチに固まった表情筋を無理に歪ませたその表情は、余りにも冷たかった。
正直、聞きたくはない。今日ぐらいは、少しはマシな気分で帰りたい。
だけど、冗談でなく、ドクターが後悔すると告げたのだ。
僕は彼女を信頼している。人格的にも能力的にも、彼女は最高の科学者の一人だ。
「――判った、どんな話だい」
「賢明ね。
誰も幸せになれないお話よ」
意を決し続きを促した僕に、ドクター・フレサンジュは美しく笑った。
もしもこの世に女神がいるのならば、こんな見た目なのだろう。
恐らくはこれほどに美しく、そして壮絶な表情をしているのだと思った。
「――ミスマル・ユリカが死んでから。
演算ユニットが反応を示していたのは報告してたわね」
「ああ、聞いていた。
未だに何らかの繋がりがある、と予測してたね」
僕の回答に満足いったらしく、ドクターは小さく頷いた。
火星の後継者事件の後、演算ユニットは連合軍の管理するものとなった。
その研究は、色々あった挙句、ネルガルがその多くを占めた。
ネルガルとクリムゾンの代理戦争は、僕たちの勝利で終りを告げたのだ。
そして、ネルガルの筆頭研究者といえば、彼女ドクター・フレサンジュ。
科学者としての実力は言うまでもなく、彼女自身もA級ジャンパー。
残り少なくなったその資質の持ち主として、誰も文句を付けられない。
その立場を活かし、彼女は大切な人達の人生を狂わせたそれを研究している。
彼女のそのチームから、先週からずっと報告されていたのがそれだ。
艦長の死に、演算ユニットが何らかの反応を示している、いうことだった。
「それについて、続報よ。
更に判ったことが、幾つかあるわ」
「……覚悟は出来てる。
続けてくれるかい」
僕の言葉に、ドクター・フレサンジュは、今度は笑った。
ただ、そこにあったのは幸せな感情なんかではなく、悪意だと思った。
例えば、どうしようもない事件の共犯者にするような、そんな。
「――接続部品が沈黙したわ。
ミスマル・ユリカと、ユニットを繋いでいた」
「……それが、最悪クラスのお知らせかい?」
僕は、少しだけ呆気に取られた。
勿論それだけな訳はないと、頭の中では分かっていたけれど。
警戒を解くことはなく、僕はそれだけじゃないだろうと続きを促した。
「――いいえ。
そのことを切欠に、幾つか判ったことがある」
「どれぐらい、嫌な事実だい?」
「びっくりするほど、胸糞悪くなることよ」
静かに。
静かに僕たちは、どこまでも沈んでいくような感覚に襲われた。
お互いの微笑みが、ただ寒々と空気を凍らせていくのを、身体で感じた。
「まず、最初に。
一連の反応を示してたのは、接続部品だと判明したわ」
「……接続部品が反応を?」
ええ、とドクターは小さく頷いた。
接続部品と聞いてコネクタ的な何かだと思っていた僕は、少し違和感を覚えた。
僕が知るそれは、あくまで間に入るもの。自分から何かをするものじゃない。
僕の想像が違ったのか、それとも遺跡の特異性か。とにかく続きを待つことにした。
「死亡時に、突然大きな反応を起こしてから。
そしてゆっくりと落ち着いて、完全に沈黙したのが昨日の夜」
「……ふぅん?」
「どの部分が反応をしているのか、判別できたのも同じくらいね。
それから、ずっとそのパーツの精密検査をしていたわ」
ただ只管と、淡々と経緯を説明する彼女は、いつもより早口だった。
だからか、いつもの彼女の“説明”とは大分趣が違っていた。
自分が知る知識を誰にでも判るように伝えることを楽しむ姿勢が、見えない。
「調査によって、それが接続部品であることが判明。
ミスマル・ユリカと演算ユニットを接続し、データのやり取りをする回線だと」
「……で?」
「人間と機械をつなぐパーツとして採用されたもの。
それは生体とナノマシンを元にした、生体製の擬似神経だったわ」
言いたくないことを、早口でいう感覚。
勢いで、ただ吐き出していく感覚。彼女の口調は段々と勢いを増す。
それと同時に、ついていくのが必死なのに増していく嫌な予感。
「生体製であることが判って。
以前から続けてきた、火星の後継者の研究解析と照会出来るようになった」
「……」
「その生体パーツの原料。
それを生産するためのプラント。
火星の後継者のデータ研究と、私たちの精密検査を照らし合わせた結果――」
「それがテンカワ・アキトとミスマル・ユリカの子供である、と判明」
「――――――――――――――――は?」
「――いやいや。
テンカワ君と、艦長に子どもなんて」
「いたのよ、残念なことにね。
丁度妊娠してたみたいよ、捕まったその時」
…………言葉に、ならない。
頭の理解が、追いつかない。
あの時、シャトルの事故の時に、彼女のお腹の中には――?
「ミスマル・ユリカが素材として、最上位だったのが幸いね。
相手が同じA級ジャンパーだったのもあって、粗末にされなかった」
「――」
「寧ろ、扱いとしては最上クラスね。
どんな研究に使おうか、中々結論が出なかったみたい」
理解が追いつかない僕を尻目に、ドクターは話を進めていく。
その声は、非常に冷静な声だと思えた。少なくとも今の僕よりはずっと。
或いは冷徹に科学者視点で見ることで、感情を抑えているのかもしれない。
「それがミスマル・ユリカをユニットに接続する段階にいたり。
二つを接続するパーツの素材として、選択されたの」
「……素材って」
「貴重なミスマル・ユリカ自体に手をつけるわけにはいかない。
ならば、彼女に近い遺伝子を持ったパーツを培養すれば?」
そう言ってから、彼女はくるりと回って僕に背中を見せた。
長い金の糸が翻り、それはそれは鮮やかに光を反射する。
かっかっと小さな足音を立てて数歩前に進み、そうして彼女は続けた。
「摘出したそれを培養、ナノマシンと融合させて生体の回線として調整。
丁度いいわよね、遺伝子が近いんだから免疫反応も起きにくいもの」
科学者として考えられる、最適解である、と。
明るい声でそう言い放った彼女の肩は、小さく震えているように見えた。
「――その子は?」
「プラントは、とあるコロニーにあったみたいね。
黒い王子様が壊してしまったけれど」
「…………なんて、ことだ」
手遅れ、だ。
何もかも。
過ぎてしまったことを後悔する僕に、ドクターは哂った。
「どちらにせよ、プラントが残ってても意味がないわ。
培養するのに適した形に作り直してただろうし」
「……と、いうと」
「人の形なんかしてないわよ。
助けることなんて、最初っから無理だったのね」
最悪だ。これ以上胸糞が悪い話なんて、僕は知らない。
最初っから無理だったことなんて、なんの救いにもならない。
……そうだ。この事実を、僕は今初めて知ったわけだけど、彼らは?
「テンカワ君は――艦長は、それを?」
「知らなかったと思うわ、テンカワ君は間違いなく。
お兄ちゃんは、私たちと同じだけしか知らなかったはず」
「じゃあ、艦長は?」
「……知らなかった、と信じたいわ」
珍しく。ドクター・フレサンジュにしては、本当に珍しく。
少しだけ逡巡したドクターは、弱々しい声で、彼女の希望を告げた。
それに違和感を覚えた僕は、思わずオウム返しに聞き返した。
「――信じたい?」
「だって。
……だって、そうじゃなきゃ悲しすぎるでしょ」
「――ああ、そう、だね」
「続けるわ。
接続部品が反応した理由は、勿論母体の死亡によるものね」
「……ああ、うん」
「実は同様の反応を示したことが、もう一回だけあったの。
――――お兄ちゃんの、ランダムジャンプの直後」
ランダムジャンプ、というと。
……テンカワ君とユーチャリスが消滅を確認された、その瞬間。
その直後に起こったことと言えば、僕には一つしか思い浮かばない。
「……艦長の、昏睡?」
「ええ、その時点でも演算ユニットは起動していたの。
まるで、ジャンプするような反応を見せて」
――――その言葉に、一瞬だけの頭は止まった。
今日だけで、何度も止まり続けるこのポンコツに喝を入れながら。
僕は決して悪くないつもりでいる頭を、出来る限り回転させる。
「……ちょっと待ってくれ。
ジャンプの反応を見せた直後に、艦長は意識を失ったのかい?」
「その通りよ。演算結果も、大体だけど解析できてるわ。
入力者は生体パーツ、対象は艦長。入力された転送先は――――OTIKA」
僕は、思わず天を仰ごうとして、そして白い天井を仰ぐことになった。
「――どこに行ったのかな」
「さあ。
でもきっと今度こそ幸せになれる場所よ」
「そう、かな」
「そうよ。
だって、彼がパパとママの為に願った事なんだから」
聞き逃せない言葉を、きっちりと僕は聞き逃さなかった。
「“彼”?
……男の子だったのかい?」
「判んないわよ。
ただ、便宜上の問題ね」
そう言って、ドクター・フレサンジュは力なく笑った。
彼女がそう言うからには、本当に判らないのだろう。
ただ、なんとなく気持ちは判る。あの二人なら、男の子だった気がする。
彼女に釣られて、僕も笑った。
ドクターの言った通り、誰も幸せにならない話だ。いや、ならなかった、か。
喪ったものが多すぎて、何を悲しがればいいのかすら判らない。
「――どうしようか、このことは」
問いかける声にも、力は入らない。
誰かに伝えるべきだろうか、それとも、隠し続けるべきだろうか。
知らない方が、きっと幸せなこともあるし、これは間違いなくその類だった。
優しい瞳をしたドクターは、何かに想いを馳せながらそれに応えてくれた。
「公表すべきことではない、とは思うわ。
伝えるにしても最小限にするべきね」
「だろうね」
「……それでも。
それでも、少なくともミスマル提督には伝えるべきだと思うわ」
それは、当然のようでいて、余りにも残酷な言葉だと僕は思った。
一人娘を二度もなくし、彼女の身体には孫がいて。
――その孫は、馬鹿な大人によって生まれる前におもちゃにされたのだ。
知る権利は、勿論あるだろうけれど、それを知りたいと思うのか。
知っている人間の傲慢かもしれないけれど、絶望を味わうことはないんじゃないか。
そう思って、僕はドクターに弱く抗議の視線を向けて、聞いた。
「追撃しろ、と?」
「そんなこと言ってないわ。けど」
「――けど?」
「愛どころか、命すら与えられなかった子に。
最後に一つぐらい、お祖父ちゃんからプレゼントをあげなきゃ」
ある晴れた日、山に囲まれた静かな墓地。
そこで、小さな小さな葬式が行われた。
喪主は一人、参列者はたったの4人。
その場には遺骨も、そして形見の品も何一つして無く……。
ただ僅かな存在のかけらが、空に還っていく姿を見送った。
零す涙など、疾うに尽き果てていた。今流れているのは、魂だ。
これ以上流してしまってはいけないと、彼らは判っていた。
だけど、止められない。止められそうになかった。
せめて次にいる場所は、親子3人で幸せになれますように、と。
そう願い続けることしか出来ない。ただ、願うことしか。
二人分のはずなのに、たった一つの名前しか刻めないその墓石と。
その直ぐ隣に、何も入れられずにただ願いだけ込められた小さな墓標。
その小さな墓標に刻まれた名前は――――。
関連作、日陰者たちの戦いもよろしくお願いします。