やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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間話 残された者たち

 何事にもやる気を出さない高二病の兄が、妙に熱っぽく語っていたのを覚えている。

 なんでも中二さんに半ば強引に誘われて一緒に応募した、あるネットゲームのテストプレイヤーに当選したらしい。

 

「これが思ってたより凄くってな。仮想現実の中で戦うゲームなんだが、ソードスキルって奴が――」

 

「いや、ゲームの話とかされても小町わかんないし。女の子にそんな話するの、ポイント低いよお兄ちゃん」

 

 私がそう言って話を遮ると、兄は言葉に詰まって悲しげな顔をした。そのままだと流石に可哀想だったので、一応話を広げてあげる。小町優しい。

 

「それで中二さんと一緒にそのゲームやってるの?」

 

「いや、材木座はテスターに落選したんだよ。ざまぁ」

 

「中二さんに何か恨みでもあるのお兄ちゃん……」

 

 そんなやり取りをしたのが確か4ヶ月ほど前。

 その後、ゲームの正式サービスをあと2ヶ月に控えた段階でβテストとやらは終わってしまったそうだけど、それからも兄は「早く始まらないかなー」としきりに話していた。どうにも最近は結衣さんや雪乃さんと上手くいっていないようで、それから逃避するように以前よりも輪をかけてそわそわとゲームのサービスが始まるのを待っているように見える。私はお兄ちゃんがゲームおたくになったらやだなぁ、何て思いつつ日々を過ごし――そして、その悪夢のような日はやってきた。

 

 その日は朝から色んなテレビ番組でそのゲームの話を特集していた。兄が話していた『ソードアート・オンライン』とかいう奴だ。そう言えばお兄ちゃんが今日から正式サービスが始まるとか何とか言ってたなーと思いつつも、小町的には全く興味がなかったのでテレビを消していつものように居間で受験勉強をしていた。

 それは確か午後の3時くらいだっただろうか。私は小腹が空いてきたのでおやつでも食べて少し休憩しようかなと思い、何気なくまたテレビを点けた。いつもなら旅番組やバラエティ番組の再放送をやっているそのチャンネルは、今日は異様な空気で女性キャスターが慌ただしく臨時ニュースを読みあげていた。

 ソードアート・オンライン。茅場晶彦。テロ。ナーヴギア。死亡者。混乱する頭に、そんな言葉が断片的に飛び込んでくる。

 その内容を理解した私は、底無しの穴に落ちていくような恐怖に駆られた。

 

 ――嘘。そんなはずない。

 

 否定する気持ちとは裏腹に、私は慌ただしく居間を飛び出して階段を駆け上がり、一直線に兄の部屋へと向かっていた。部屋の前に立った私は、ノックもせずにドアを開け放つ。

 そこで私が見たのは――灰色のヘッドギアを被り、ベッドに横たわる兄だった。

 

 そしてさらにその日のうちに、雪乃さんも同じゲームへと囚われてしまったことを、私は知ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千葉県某所に居を構える国立病院。その一室。少し広めの病室に、6つのベッドが2列に並んで置いてある。

 ここに入院しているのは、皆SAO事件の被害者たちだ。6人の患者がヘッドギアを付けて静かにベッドに横たわるその光景は当初異様に見えたものだったけれど、事件から半年以上も経った今ではもうすっかり見慣れてしまった。

 

 私は今、いつものように兄のお見舞いに来ていた。病院は家から自転車で行ける距離にあるので、用事のない日は学校帰りにここへ来るのが日課になっている。

 ベッドの間に仕切りのカーテンなどはなく、病室に入るとすぐに左奥のベッドに眠る兄の姿を確認出来た。聞いた話では防犯上の理由から、こうして視界を確保して監視カメラを設置しているらしい。以前SAO事件によって昏睡する女性に不埒な行為を働こうとした輩がいたらしく、それ以降厳重な警備が取られるようになったそうだ。女性のSAO事件の被害者が入院する部屋には、さらに常時監視員が2人以上付いているらしい。

 人との関わりを極端に嫌う兄はプライベートの守られないこの病室に文句を言いそうな気もするが、うちには兄を個室に移動させられるほどの経済的余裕がないので我慢して貰うしかない。SAO事件の被害者の入院費は全額免除されているが、必要以上の待遇を受けるためにはそれなりのお金が必要になるのだ。

 

 私はベッド横の椅子に腰掛け、静かに眠る兄の顔を見つめた。随分と痩せたように見える。

 

「ゲームのやり過ぎで留年なんて、ポイント低いよお兄ちゃん……早く帰って来ないと、来年には同級生になっちゃうんだからね」

 

 決して答えてはくれない兄に対し、私はそうやって口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火曜日と木曜日の週に2回、ヒッキーとゆきのんが入院する病院にお見舞いに行くのがあたしの習慣になっていた。2人の入院する病院は学校前の停留所からバスに乗って20分程度の距離なので、基本的に授業終わりでそのまま訪れている。

 今でも放課後は優美子や姫菜と居ることが多かったけど、2人ともあたしが決まった曜日にお見舞いに行くことは知っていたので、その日も帰りのホームルームが終わった後は軽く話をしただけですぐに2人と別れてバスに乗り込んだ。

 

 バスに揺られること20分弱。目的の停留所でバスを降りると、すぐ目の前に大きな病院が建っているのが見えた。この病院にはSAO事件の被害者が多く入院しているそうで、ヒッキーとゆきのんが居るのもこの病院だ。

 そこであたしは一旦踵を返し、近くのお花屋さんに立ち寄ってから病院に向かった。

 

 病院に到着したあたしはまず入ってすぐの受付へと向かい、学生証を提示して2人のお見舞いに来たことを告げた。防犯上の関係でSAO事件被害者のお見舞いは患者の家族か、その家族に許可を受けてリストに登録された人にしか許されていないらしい。あたしは小町ちゃんと陽乃さんにお願いして2人のお見舞いが出来るように登録してもらっていたので、問題なく受付を済ませて病室に入るためのカードキーを受け取った。

 

 その後あたしはエントランス奥のエレベーターに乗って、5階のボタンを押した。ヒッキーの病室は5階に、ゆきのんの病室は12階にあるので、あたしはいつも近い方のヒッキーの病室からお見舞いに行くことにしていた。

 

 階数を示すモニターの数字が徐々に増えてゆき、《5》の表示になって止まる。そこでエレベーターを降りたあたしは真っ直ぐにヒッキーの居る病室へと向かった。エレベーターから出て、突き当りを右に曲がったところから3つ目の病室だ。ドアの横に取り付けられた端末に受付で貰ったカードを翳すと、ロックが解除されてドアが独りでに開く。

 

 ドアが完全に開くのを待ってあたしが病室に入ると、先にお見舞いに来ていた小町ちゃんと目が合った。あたしは軽く手を振りながら、ヒッキーの眠るベッドの横まで歩いてゆく。

 

「やっはろー、小町ちゃん」

 

「あ、結衣さん。やっはろーです」

 

 病室ということでいつもより声を落としつつも、なるべく明るく挨拶を交わすあたしたち。小町ちゃんは椅子から立ち上がって体をこっちに向けると、あたしの左手に目を落とした。

 

「あ、お花持って来てくれたんですね。ありがとうございます。今花瓶の水替えてくるんで、ここで待っててくださいー」

 

「あ、ううん。自分でやるよ」

 

「いえいえ、遠慮しないでください。これも後輩である小町の務めなので」

 

 そう答えると、小町ちゃんは少し重そうな花瓶を両手に持ちながらそそくさと病室を出て行ってしまった。

 

 小町ちゃんが言った「後輩」というのは文字通りの意味だ。この春に総武高校に入学して、小町ちゃんはあたしの2つ下の後輩になっていた。こんなことになってしまって一時期は受験勉強なんて全く手に付かない状態だったけど、何とか立ち直って受験を乗り切ったみたいだ。

 いや、本当は立ち直れてなんかいないのかもしれない。ただ、そういう風に振る舞っているだけで。

 たぶん、あたしも同じだ。いつの間にかヒッキーやゆきのんの前でこうして明るく振る舞えるようになっていたけど、それはきっと本物じゃない。

 

 今でも不安に思うことはある。でも、最初に感じていた気が狂ってしまいそうなほどの恐怖は、時間が経つにつれて擦り切れてよくわからなくなってしまっていた。気持ちの整理はつかないままだったけど、優美子や姫菜の支えもあり、なんとかあたしも普通の日常生活を送れるようになった。

 

 2人がこんなことになってしまっているのに、あたしだけ変わらず日常を過ごしていていいのかな、という思いもある。でも、それ以外の選択肢なんてなかったのだ。今のあたしに出来るのは、2人を信じて待つことだけだった。

 

「ヒッキーとゆきのんなら、大丈夫だよね……いつか、一緒に帰って来てくれるよね」

 

 目を覚まさないヒッキーの横で、もう何度目になるかわからないほど口にしたその言葉を、あたしはまた呟いた。


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