やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第40話 始まりの街の異変

 始まりの街。転移門広場。

 白い石畳が敷かれた広場の中央には巨大な時計塔がそびえ、その下部には転移ゲートが青く揺らめいていた。中心のそれを囲むように幾重にも細長い花壇や白いベンチが設置されており、暑さもだいぶ和らいできた今日び、ここを憩いの場として利用するプレイヤーたちの姿があってもよさそうなものだが、意外なことにそんな人影は欠片もない。

 それもむべなるかな。この場所にはデスゲームの開始地点というあまり良くない思い出が詰まっているために休憩スポットとしては人気がないのだ。パラパラと行き交うプレイヤーたちも、そそくさと何かに追われるようにして転移門に出入りするだけである。

 

 転移結晶を使用してその場に降り立った俺は、首を巡らせてそんな光景に目をやり、息を吐く。一時期はこの街に風林火山のギルドホームが存在したためにここも良く利用したものだが、最近はめっきり来ることも少なくなった。まあ、ついこの間のイベントクエストでここに来ているので、それほど久しぶりと言うわけでもないのだが。

 

「ここに来るのも《不吉な日》以来ね……」

 

 隣に立つアスナがぼそりと呟く。自責、悲哀、憤り、決意――ちらりと覗いた彼女の横顔には、そんな形容しがたい感情がごちゃ混ぜになって滲んでいる気がした。

 やはり多少立ち直ったとは言ってもまだ連れてくるべきではなかったのでは、と考えてしまうが、しかしここに来たのは他ならぬ彼女自身の意志である。

 

「ママ、かなしいのいっぱい? げんきだして?」

「……うん。大丈夫よ。ありがとうユイちゃん」

 

 そんな心の揺らぎを間近で感じ取ったのか、傍らに立つユイがアスナの手を取る。少し驚いた表情から一転、優しい微笑みを浮かべるアスナを見て、俺も小さくほっと息を吐いた。

 しかしあれだな、ユイとの触れ合いはアニマルセラピー的な効果がありそう。癒し効果のある超音波か何かを体から発しているに違いない。

 

「それで、どうですかユイちゃん。この辺りの景色に見覚えは?」

 

 若干失礼なことを考えていた俺の隣で、トウジがユイに声を掛けた。ユイは軽く辺りを見渡し、うー、と唸りながら難しい顔を浮かべる。

 

「わかんない……」

「そうですか……。まあ、始まりの街も広いですからね。歩いているうちに何か思い出すかもしれません」

 

 子供相手にも敬語で接するトウジさんマジ紳士だな、などと取り留めのないことを考えながら俺はそのやり取りを見つめていた。ただ最近のネット界隈で紳士と言うと大抵は変態のことを指すので誉め言葉かどうかは微妙なところである。

 

 第65層の宿屋で話し合った後にもユイに負担を掛けない範囲で色々と聞いてみたが、やはり記憶のほとんどは失われたままだった。少なくとも高レベルプレイヤーには見えないので始まりの街など物価の安い低層で暮らしていたのではないかと予想はつくが、やはり本人に思い出して貰わないことには問題は解決しない。いずれは攻略に戻らなければならない俺やアスナがどこまで付き合えるかは分からないが、地道にやっていくしかなさそうだ。

 

「じゃあ、まずは予定通りサーシャさんのところに行きましょうか」

「えっと、東七区の川べりにある教会だって言ってたっけ?」

「はい。僕は何度か行ったことがあるので案内しますよ。こっちです」

 

 言って、トウジがゆっくりと歩き出す。その先導に従って俺はその場を後にしようとしたが、不意にユイに裾を引かれて足を止めた。

 

「ハーちゃん、だっこ」

 

 無邪気な笑顔でこちらを見上げながら、そう言って大きく両手を広げるユイ。え、なに、この可愛い生き物。

 ……いや、しかしここで甘やかすのは教育上良くないかもしれない。だからここは厳しく「はぁーやれやれ今回だけだぜ」的な雰囲気を出しながら頷くことにしよう。結局甘やかしてんじゃねぇか。

 ちなみに俺の呼び方についてはなんやかんやあってハーちゃんに落ち着いた。最初は上手く言えずにあーちゃんと呼んでいたが、次第に意識がはっきりとして滑舌も良くなってきている。

 

「ハチ君って娘が出来たら絶対親バカになるわよね。あ、もう既に兄バカなんだっけ?」

「うっせえほっとけ。ていうかお前こそ親バカだろ」

「そうだけど、悪い?」

 

 俺はユイを片手で抱き上げながら、アスナとそんな会話を交わす。アスナの顔には全く悪びれる様子はない。こいつ、完全に開き直ってやがる。

 

「ママ、おやばかってなに?」

「私もハーちゃんもユイちゃんのことがだーい好きってことよ」

「ユイもっ。ユイもママとハーちゃんのこと、すきっ」

 

 満面の笑みを浮かべるユイ。やばい。本当に俺も新しい扉を開いて紳士になってしまいそうだ。しかし数秒の葛藤の末、俺はなんとか小町一筋の信念を貫ききることに成功する。結局どっちに転んでも世間的には紳士扱いされてしまいそうだがそんなことは気にしない。

 

 アスナとユイのそんな微笑ましいやり取りの後、ようやく俺たちも移動を始める。しかし先を歩いていたトウジはこちらを振り返り、何故か妙に居心地の悪い顔をしていた。

 

「なんだか僕、凄い異物感があるんですけど……もう帰っていいですかね」

「いや、馬鹿なこと言ってないでさっさと歩けよ」

「ハチさん最近僕の扱い酷くないですか……?」

 

 トウジはいっそう苦い表情を濃くしてため息を吐いたが、それ以上は口答えすることもなく黙って歩き始めた。その寂し気な背中に、腕の中のユイがそっと手を伸ばす。

 

「ユイ、トージのこともすきだよ?」

「ユ、ユイちゃん……!」

 

 泣きそうな顔で破顔するトウジの頭を、ユイの小さな手がよしよしと撫でる。いやこの子、この歳でバブみ高すぎでしょ。いつも風林火山の仕事に忙殺されてるトウジさんがそろそろオギャり始めそうなんで止めてあげてください。

 

 

 

 転移門広場での馬鹿なやり取りを終えた俺たちは、その後すぐに目的地に向かって街の中を歩き始めた。

 先ほどの話にも出たが、向かう先は始まりの街、東七区の川べりの教会である。そこではサーシャという女プレイヤーがまだ幼いプレイヤーたちを集め、保護しているという話だった。

 元々はSAO開始直後、このデスゲームに囚われた幼い子供たちのことを憂いた彼女が1人で始めた活動だったそうだが、やはり1人で大勢の子供たちを養っていくのは中々難しいものがあった。そこでたまたま彼女の活動を知った風林火山が支援を申し出て、今では主に資金面で彼女の活動に協力しているのだった。

 そんな経緯で一応サーシャさん自身も風林火山のギルドメンバーとして登録されているのだが、俺自身との関わりは全くないと言っていい。彼女の活動に関わっているのは風林火山の中でも一部のメンバーだけだ。トウジは風林火山における活動すべてを取りまとめている存在なので、当然その一部に含まれている。

 そんなトウジに案内されて今俺たちがサーシャさんの活動する教会へと向かっているのは、言わずもがな、ユイのことについて話を聞くためである。

 

 既にトウジがメッセージでサーシャさんには確認を取っており、ユイが彼女の保護下からはぐれたわけではないということは分かっている。だがそれでも今までこのアインクラッドで子供の保護に全力を尽くしてきた彼女の話は何かの手掛かりになるかもしれない。事情があって直接保護は出来ないまでも、ゲーム内で活動している幼いプレイヤーたちの多くは彼女と何らかの関わりを持っているという話だった。

 

 そんなわけで俺、アスナ、トウジの3人は、第65層の宿屋でユイの体調を見つつもう一泊した翌日、彼女を連れてこの始まりの街を訪れる運びとなったのだった。他のメンバーはユイが倒れていた付近で直接その知り合いを探したり、その他様々な伝手を使ってユイの情報を集めようとしているところである。

 

 宿屋での一件から、ユイについて追加で判明したことがいくつかある。まずは彼女の身を取り巻くシステムのバグがかなり深刻だということ。

 何とか彼女のシステムウインドウを開くことには成功し、俺たちでその画面を確認することは出来たのだが――他人のシステムウインドウを勝手に見るのは重大なマナー違反だが、場合が場合ということでやむを得ず敢行した――そこには一般的なプレイヤーのメニュー表示は存在せず、ステータスも何もかも確認できないという状態だった。これはシステム的に自分を強化していかなければならないこのゲームにおいて、致命的なバグである。

 

 加えて、システム内においてユイはプレイヤーと認識されていないらしく、俺たちからの取引申請やパーティ申請は一切受け付けることが出来なかった。幸いだったのは転移結晶などのアイテム類は問題なく使えたことだろう。そうでなければ転移門がなく、周囲にはインスタンスマップの通路しかないあの温泉街から彼女を連れだすことも出来なかったはずだ。

 

 これは余談だが、始まりの街へと出かけるにあたり、ユイもいつまでも白のワンピース1枚だけの姿では色々と問題があるだろうということで、上着や靴なども新しいものを着用している。しかし装備品の即時着脱はメニューウィンドウを弄らなければ出来ないので『装備をオブジェクト化して実際に着こんでおくと時間の経過によってやがて所持者の情報が書き換えられ、さらに着用しているプレイヤーの装備品として認識されるようになる』という仕様を利用して着替えさせたのだった。

 

「……妙、ですね」

 

 しばらく無言で歩いていたトウジが、ぼそりと呟いた。

 大通りから幾分離れた路地でのことである。そろそろ目的の教会に着くはずだが、まだそれらしき建物は目に入らない。

 トウジは先ほどから街の様子に何か不審な物を感じていたようだった。しかし、俺にはその違和感の正体が何なのか皆目見当もつかず、問い返す。

 

「何がだ?」

「プレイヤーが全然見当たりません。普段はもっと多いはずなんですけど」

「《不吉な日》のイベントの影響じゃないのか。戦えない奴らは全員他の層に避難させたんだろ?」

「イベント後、アンチクリミナルコードが復活してからすぐにほとんどのプレイヤーは帰って来ているはずです。なのでこんなに閑散としているはずはないんですけど……」

 

 トウジにそう言われてしまえば、俺には曖昧に頷き返すことしか出来ない。

 転移門広場からここまで既に10分ほど歩いているが、確かに全くと言っていいほど他のプレイヤーとすれ違わなかった。今思えば、ゲーム内での交通の要である転移門広場でさえも人通りがまばらだったような気がする。

 俺たちの知らないところで、この街に何かが起こっているのだろうか。そんな懸念が頭を過ったが、腕の中で首を傾げるユイと目が合い、我に返った。

 

「ま、それについては後でいいだろ。今はこいつのことだ」

「そうですね。すみません、余計なこと言って」

「いや、別に……ん?」

 

 ふと、遠くから男たちの怒声のようなものが響いた。内容までは聞き取れないが、誰かを脅かすように怒鳴り散らすその気配は間違いなくプレイヤーのものだ。突然のことに、俺たちは目を見合わせる。

 

「何だ? 喧嘩か?」

「……この声、教会のある方から聞こえますね」

「何かトラブルがあったのかも。行ってみましょう」

 

 言うが早いか、アスナが駆け足で声のする方へと向かって行った。やや遅れて、俺とトウジもその背中を追う。

 なんか前にもこんなことあったような気がするな……。のんきにそんなことを考えながら走っていると、今度は前方から先ほどとは違う、女性のものらしき声がはっきりと届いた。

 

「子供たちを返してください!!」

 

 途端、隣を走っていたトウジが苦い表情を浮かべる。走る速度を上げながら「多分、サーシャさんの声です」と俺に向かって小さく呟いた。

 2つ目の角を曲がって細い路地に入るとすぐに大勢のプレイヤーたちの姿が目に入り、足を止めた。青ざめた表情で佇む黒縁メガネの女性と、それを通せんぼするかのように道を塞ぐ十数名の男たち。

 あの女性が噂のサーシャさんだろうかと思ってトウジへと視線を向けると、彼は肯定するように頷いた。男たちの方は鼠色の重装備という特徴的な姿から《軍》のプレイヤーであるということはすぐにわかった。

 

「人聞きの悪いこと言うなって。すぐに返してやるよ。ちょっと社会常識ってもんを教えてやったらな」

「そうそう。市民には納税の義務があるからな」

 

 ニヤニヤとした表情で語る《軍》のプレイヤーたち。『納税』などというSAOの中では聞き慣れないワードに困惑しながら、俺はひとまず状況を把握するためにそのやり取りに耳を傾ける。

 《軍》の連中は突然現れた俺たちに一瞬ちらりと目をやったが、とりあえずこちらに絡んでくるつもりはないようで、すぐにサーシャさんへと視線を戻した。サーシャさんの方は後ろに立つ俺たちの存在にはまだ気付いておらず、《軍》のプレイヤーたちを忌々し気に睨み付けると次いで彼らの向こう側に向かって大声で呼びかける。

 

「ギン! ケイン! ミナ! そこにいるの!?」

「先生……先生、助けて!」

「お金なんていいから、全部渡してしまいなさい!」

 

 サーシャさんの声に反応して、怯えたように助けを求める子供の声が上がった。そのやり取りを聞いて、俺は何となく状況を理解する。

 男たちは人数にものを言わせて通路を塞ぎ――《ブロック》と呼ばれる手法。圏内ではプレイヤー同士攻撃も出来なければ相手を移動させたりすることも出来ないので、集団で通路を埋め尽くせば他のプレイヤーの通行を妨害することが出来る――隔離した子供たちを脅して金銭を巻き上げようとしているのだろう。

 ならば金を渡してしまえばいいのかと思えば、ことはそう単純ではないらしい。

 

「先生……それだけじゃ駄目なんだ……」

「あんたら、俺たちの再三の催促もシカトしてくれたからな。今さら金だけじゃあ足りないんだよ」

「ああ、こりゃあ装備品も置いて行ってもらわないとなぁ。防具も全部……何から何までな」

「デュフフ、コポォ」

 

 そう言って下卑た笑みを浮かべる男たち。あろうことかこいつらは年端も行かぬ少年少女たちに着衣までも解除しろと迫っているようだ。

 しかし始まりの街に住む子供たちの装備など、売っても二束三文にしかならないのは分かり切っている。故にこれは単なる嫌がらせか、男たちの特殊な性癖による行動だろう。というか1人だけ2ちゃんのコピペのような笑い方をしていた奴が混じっていたので、恐らく後者だ。

 これが現実世界ならリアルにお巡りさんこいつですといきたいところなのだが、生憎とゲーム内にお巡りさんはいない。というか暫定的にその役割を担っていたはずの《軍》のプレイヤーたちがこの始末だ。だが、幸いここにはお巡りさんよりも恐ろしい……いや、頼りになるプレイヤーが存在した。

 

 俺とトウジのやや前方、今までのやり取りを黙って見つめていたアスナの様子を恐る恐る伺う。ここからでは表情を確認することは出来ないが、俺は静かに佇む彼女のその背中から殺意にも似た怒気が発せられているのを感じていた。あ、これ、やばいやつだ。

 潔癖症のアスナのことである。あんなゲスい奴らと対面したらどうなるか、結果は火を見るよりも明らかだった。

 そうして戦慄する俺をよそに、アスナは静かにストレージから愛剣を取り出す。うん。明らかに()る気スイッチ入ってる。

 

「ハチ君、ユイちゃんのことよろしくね」

「あ、ああ。えっと、アスナ……」

「1人で大丈夫よ」

「あ、はい」

 

 いや、お前のことは微塵も心配してない。むしろ「ほどほどにしといてやれよ」と言いたかったのだが、俺は言葉を飲み込んだ。ガチ切れモードのアスナさんに口を出すなんて俺には不可能である。

 圏内における戦闘ではダメージは発生しないために命の危険こそないが、高レベルプレイヤーの攻撃ともなってくるとかなりの衝撃やノックバックが発生するようになる。これは誤って殺してしまうということがない分、急所を思い切り狙って攻撃出来るので、下手をすれば圏外での戦闘より恐い。「圏内戦闘は恐怖を刻み込む」などと言うプレイヤーもいるくらいだ。

 

 俺の知る限り、今の《軍》にはアスナに対抗できるプレイヤーなど存在しない。始まりの街でくだを巻いている目の前の十数名の男たちなど、全員同時に相手どっても余裕だろう。

 俺は男たちの未来を想像して少し気の毒になってきたが、まあ自業自得だ。骨は拾ってやらないけど強く生きてくれ。

 

「……ユイ。ハーちゃんと一緒に少し向こうに行ってようか」

「ママは?」

「ママはあそこの人たちとちょっとお話があるんだ。邪魔にならないようにしないとな」

「……うん」

 

 あまり教育にいいものでもないし、ここはユイと一緒に避難しておこう。多分アスナも大の男たちをいたぶる自分の姿など、ユイには見られたくないはずだ。

 トウジにも一言断ってから、俺はユイを片手に抱いたまま足早にその場を後にした。遠くから男たちの悲痛な叫びが聞こえてきたのは、それから間もなくのことだった。


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