やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

37 / 62
第36話 探り合い

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちによる襲撃という波乱の事態が発生した《不吉な日》圏内侵攻イベント。東門の防衛戦でも別件でひと騒動あったらしく、最終的に防衛部隊における死者は49名にも上った。

 その詳細はアスナが率いていた部隊からクラディールなどの内通者も含めて41名と、東門に配属されていた《軍》のプレイヤー8名である。《軍》のプレイヤーたちは独断で敵の軍勢に無謀な突撃を敢行し、結果返り討ちにされた挙句散々に追い散らされて壊滅したという話だった。

 

 イベントはクリアされたもののそうして防衛部隊はかなりの痛手を負うことになり、その事後処理も煩雑を極めた。まずは襲撃事件についての詳細を防衛部隊の首脳陣だけで把握し、逃走した笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちへの対処を話し合った。その後、黒鉄宮に残されたプレイヤーたちの遺品の帰属についてや、クエスト報酬の配分について、被害の大きかった部隊についてその責任の追及など、議題は多岐に渡った。

 当然俺の持つ《無限槍》スキルについても言及されたが、やましいことは何もないので正直に全てを話すことに決めていた。ゲーム内でユニークと見られるスキルもこれで4つ目だ。それほど大きな騒ぎとなることもなく、《無限槍》の存在はプレイヤーたちに受け入れられたのだった。

 

 《軍》や《血盟騎士団》の中に裏切者が潜んでいた件についてはプレイヤー全体の士気に関わることなので緘口令(かんこうれい)が敷かれることとなり、表向きは『防衛部隊の一部が笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちと交戦、多くの犠牲者を出しつつも何とか敵を撃退した』ということになっている。まだ他に内通者が居ないとも限らないので、水面下ではその調査も行われることになった。

 《軍》のプレイヤーが大量に死亡したことについて怒り狂ったキバオウが会議に乱入するという事件も起こったが、《軍》の戦闘部隊に笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちが大量に潜んでいた件について逆にキバオウが責任を追及されることとなり、キバオウがしどろもどろになっていたのを覚えている。しかし結局これについては表立って処罰することも出来ないので、中途半端な形で手打ちとなった。

 

 波乱続きとなった今回のイベント。その後の会議も深夜にまで及んだが、そうして《不吉な日》はひとまずの終息を迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第55層《グランザム》

 その一角に悠然とそびえ立つギルド《血盟騎士団》の拠点。

 小さな城砦とも言うべき外観となっている彼らの居城の中は現在、静謐な空気で満たされていた。時折、窓際に止まった小鳥のさえずりが遠く響く。

 

 時刻は午前11時。俺、比企谷八幡はキリトと共に、所用でヒースクリフの下を訪ねていた。

 小さな応接室へと案内された俺は黒く艶を放つレザーのソファに腰かけ、給仕に差し出されたお茶を啜る。隣に座るキリトはそれには手を付けず、真剣な表情で対座のヒースクリフを見つめていた。ヒースクリフはいつもの悠然とした表情を崩さず、その心の内を読み取ることは出来ない。

 

 おい、なんだよこの緊張感。やっぱ来なきゃよかったわ……。

 そう悔やんでも、もはや後の祭りである。ならばなるべく早く用件を済ませて帰るのがベストだろうとは思うものの、この空気の中で自分から口を開くのはハードルが高いのでとりあえず再度お茶を啜って気を紛らわした。気まずい時って無駄に飲み物に口を付けたりするよな。

 

 テーブルの上に軽いお茶請けまで用意してくれた給仕の女性が一礼して部屋を後にする。その姿が見えなくなるのを待ってからヒースクリフが口を開いた。

 

「君たちの方からこちらを訪ねてくれるとはね。歓迎する……と言いたいところだが、生憎とそんな空気でもなさそうだ」

「ああ。別に遊びに来たわけじゃないからな」

 

 キリトの言葉には若干険が混じっていたが、ヒースクリフはそれを意に介した様子もなく頷く。

 わざわざアポイントを取ってまで俺たちが今日ここへと訪れたのには当然理由があった。メッセージで済ませることも出来たのだが、顔を出すのが筋だろうと言う意外なところで律儀なキリトの言葉によって訪問が決まったのである。

 

「では早速用件を聞こうか。と言っても、おおよそ見当は付いているが」

「なら話が早い」

 

 キリトが言って、少し言葉を区切る。無言で視線を交わす2人の間には、まるで立合いでも始まるのかという空気が漂っていた。

 

「しばらくの間、アスナを風林火山で預かりたい」

 

 キリトの言葉には、有無を言わせぬ響きがあった。ヒースクリフは眉1つ動かさずにキリトを見つめている。

 

「《不吉な日》の一件でアスナがかなり精神的に参ってるのは知ってるだろう。しばらくゲーム攻略から離れて休ませてやりたいんだ。うちには歳の近い女の子もいるし、ここよりは療養に向いてると思う。それに――」

 

 言いながら、キリトの顔が一層険しくなった。その責を問うように、ヒースクリフに鋭い視線を向ける。

 

「正直、今の血盟騎士団の在り方に俺は疑問を持ってる。クラディールの裏切りは、あんたの監督責任でもあるんだ。そのことを言いふらすつもりはないが、もう一度ギルドの在りようを見直してほしい」

「……あ、ちなみにこの話はアスナももう同意済みだ。あいつもここに来ようとしたんだけどな、まだ本調子じゃなかったから置いてきた」

 

 そうして俺からも少し話を補足する。既に昨晩からアスナは風林火山のギルドホームに宿泊しており、今も滞在中のはずだ。気丈に振る舞ってはいるが、憔悴しているのは誰の目にも明らかだった。

 副団長という立場上、クラディールの裏切りについてはアスナにもその責任があるのだろうが、今の彼女にそれを問うのは酷だろう。そもそも彼女の役割は攻略やレベリングでの戦闘指揮の部分が大きく、ギルドの方針などに関われることは少なかったはずだ。謹慎中のクラディールを防衛部隊に組み込むことを決めたのも、ギルドマスターであるヒースクリフの判断だと聞いている。

 ヒースクリフ自身もアスナに責任を負わせるつもりはないようで、しばしの沈黙の後、かすかに自嘲するような笑みを浮かべて大きく頷いた。

 

「返す言葉もないな。了解した。アスナ君のことは君たちに任せるとしよう」

 

 あまりにあっさりとし過ぎたその返事に俺は肩透かしを食らった気分になり、キリトと顔を見合わせる。

 

「彼女と最も近しい君たちがそう判断したのなら、それがベストなのだろう。私には彼女の心のケアをすることは難しいからね。話はそれだけかね?」

「ああ、いや……それともう1つ」

 

 キリトがそう言って俺の顔を見る。頷いて、俺は話を引き継いだ。

 

「あの一件で結構な数の団員を失った上に、アスナまで居なくなったんじゃギルドとしてかなり痛手だろ? 俺たちだってこれで血盟騎士団の力が弱くなって、攻略が遅くなるようなことは望んじゃいない。だからこれは提案なんだけど……一時的に、俺かキリトのどっちかが血盟騎士団に出張してもいいと思ってる」

「ほう」

 

 珍しくヒースクリフが驚いたような表情を浮かべた。それもそうだろう。自分から言っておいてなんだが、相当意外な提案をしているという自覚はある。

 隊を率いる指揮能力は俺もキリトもアスナには劣るだろうが、個人的な戦闘力で言えば十分代わりは務まるはずだ。俺たちが所持するユニークスキルも考慮に入れれば、この提案は血盟騎士団にとって決して悪くない話のはずだった。

 ちなみに俺の《無限槍》スキルも既にアルゴの新聞を通じてアインクラッド中に知れ渡っている。放っておくと噂に尾ひれがついて広まってしまいそうだったので、俺の方からアルゴに頼んで正確な情報を流布してもらったのだ。

 

 しかしヒースクリフは俺たちの提案にすぐには答えなかった。こちらを見つめるその表情は、俺たちの意図がどこにあるのかを探っているかのように見える。ややあって、ヒースクリフは瞑目して首を横に振った。

 

「せっかくの申し出だが、遠慮させてもらうとしよう。ユニークスキルを持つものが動くとなれば、無用に他のギルドを刺激しそうだ」

「……そうか」

 

 食いつかなかった――その口惜しさをヒースクリフに悟られないように、俺は頷いて返す。

 

 用件は済んだので、その後は話もそこそこに俺たちは間もなくその場を辞去した。門の外まで案内してくれた侍女風のプレイヤーに礼を言って、俺とキリトの2人は転移門へと向かって歩き始める。今日はこのまま一旦ギルドホームに帰る予定だ。

 俺は周囲に他のプレイヤーが居ないことを確認しながら、一息ついた。次いで隣のキリトへと声を潜めて話しかける。

 

「……警戒されてる、のか?」

「どうだろうな。言い分はもっともだったし。まあ、どっちにしろそうそう尻尾を掴ませるような相手じゃないはずだ。また次の手を考えよう」

 

 お互いに険しい顔を浮かべて頷き合う。

 俺たちの今日の訪問には、アスナの件以外にもある目的があった。しかし結論から言えばそれは完全な空振りに終わり、結局何の手がかりも掴めずこうして今帰宅の途についている。

 前途は多難だ。だが、俺たちの持つ違和感はもはや放置することは出来ないほど大きくなっていた。

 

 ――ヒースクリフを信用するな。

 

 暗がりの中、そう言った男の顔を思い浮かべる。一番信用できない奴が何を言ってるんだとも思うが、その言葉には無視できないほどの重みがあった。

 《不吉な日》イベント終了後、黒鉄宮監獄エリア。その最奥に収監された刺青の男。

 グランザムの街の中を歩きながら、俺はその時のやり取りを思い出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ……。珍しい顔が居るじゃねえか」

 

 黒鉄宮監獄エリア。無機質な鉄と石で構築されたそのエリアの最奥に男は捕らえられていた。

 四畳半程度の広さの、薄暗く湿った牢獄。簡易なベッドの他には何も置かれておらず、数日でもこんな場所に閉じ込められたら常人は気が狂ってしまいそうだ。しかしその男――PoHは半年以上もこの牢獄に監禁されているにも関わらず、俺の顔を見るなり自然な笑みを浮かべたのだった。

 

「おいおい、無視かよ。悲しいねぇ」

 

 黙りこくる俺の顔を見ながら、PoHが茶化すように口を開く。それには取り合わず、俺は小さく息を吐いた。

 《不吉な日》イベント終了後、俺はすぐに始まりの街へと戻ってきたプレイヤーたちにアスナを任せ、ここにPoHの様子を確認しに来ていたのだった。

 襲来した笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちが狙っていたのはPoHの脱獄である。そのほとんどは俺が殲滅したが、別動隊がPoHと接触した可能性も否定しきれなかった。しかしどうやらそれは俺の杞憂だったようだ。

 PoHは久しぶりに話し相手が現れたことが嬉しかったのか随分と機嫌が良い様子だったが、生憎と俺はこんなところで無駄話に付き合うつもりはない。用も済んだので早々にこの場を立ち去ろうとしたのだが、その前にPoHの口からついて出た台詞に俺は足を止める。

 

「お前がここに来たってことは、あいつらは失敗したみたいだな」

「……知ってたのか?」

 

 意味深な発言をしたPoHに対し、俺は堪えきれずに問い返していた。ようやく反応が返ってきたことにPoHは軽く笑みを浮かべる。

 

「まだいくらか外にうちのメンバーが残ってるのは分かってたからな。始まりの街のアンチクリミナルコードが解除されるなら、動くだろうと思っただけだ。その反応からするにアタリだったみたいだな」

 

 どうやら《不吉な日》の告知はPoHにも届いていたらしい。そして自分の脱獄のチャンスが潰されたことまでも理解しているようだったが、特に気落ちした様子はなかった。むしろ楽しそうに目を細め、その頬に刻まれた刺青を歪ませる。

 

「お前、血の匂いがするぜ。随分と楽しんだみたいだな」

 

 掛けられた言葉に内心で舌打ちをして、俺は今度こそこの場を去ろうと踵を返した。しかし再びPoHに後ろから呼び止められる。

 

「おっと、ちょっと待てよ。お前に1つだけいいこと教えておいてやる」

 

 何と言われようと、もうこのまま去るつもりだった。奴と話していても俺の気が滅入るだけだ。しかし次いで発せられた言葉を俺は無視することが出来なかった。

 

「ヒースクリフを信用するな」

 

 その一言に、頭の中に様々な思考が過る。それを悟られぬように、俺は振り返らないまま言葉を返した。

 

「どういう意味だ?」

「言わなくても、お前も本当は分かってるんじゃねぇのか? 今まで、あいつに何の違和感も感じなかったか?」

 

 質問には答えず、PoHは問い返す。まるで俺が答えを知っているのを確信しているかのような口ぶりだ。そして非常に癪なことだが、それは間違っていなかった。

 

 いつからだろう。ヒースクリフの立ち振る舞いに、どこか胡散臭さを感じるようになったのは。

 ヒースクリフという男は、おおよそこのSAOという世界において必要とされる能力を全て持ち合わせていた。何事にも動じない精神性と思慮深さ。そしてその戦闘力は言わずもがな、ゲーム内における知識量もかなりのものだ。

 この世界において、奴という存在は完璧だった。ともすれば不自然なほどに完璧過ぎるのである。

 しかしそれだけならまだ才能や努力と言う言葉で片付けることも出来た。血盟騎士団の団長という立場上、完璧を演じなくてはならないという重責もあるだろう。

 

 俺が初めて明確な違和感を持ったのは、第50層のフロアボス戦の後だ。2度目のクォーターポイントのボスということで苦戦は必至だと思われたが、実際にはヒースクリフの活躍によって犠牲者を1人も出すことなく突破してしまった。しかもヒースクリフにおいては始終HPには余裕があるほどだった。

 そして、その時俺はふと気付いたのだ。ヒースクリフの頭上に浮かぶ、そのHPバー。今までの長いゲーム攻略の過程を全て通しても、それが半分を割ったところを1度も見たことがないということに。

 

 挙げていけばきりがないが、それ以来俺の中にはそんな小さな違和感が積もっていった。1つ1つは些細なことである。今までの俺はそれをただの考え過ぎだと、自分の思考に蓋をしていた。

 しかし今日、さらに妙なことが起こった。《不吉な日》イベントの防衛線でのこと、ヒースクリフは乱戦の中で笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党に背後から襲われたという話だったが、傷付けた相手にほぼ確定で麻痺の状態異常を付与するナイフによって攻撃を受けたにも関わらず、彼は運よく麻痺を回避し、大事には至らなかったという。

 《不吉な日》イベントの事前情報では、敵に麻痺を使うようなモブは存在しなかった。何か特別に麻痺対策をしていたということはないはずだ。つまりは大した対策もせずに、ほぼ確定と言われる麻痺を回避したということである。これをただの幸運で片付けていいのか。

 

「誰にも見せたことのなかった俺の《暗黒剣》を、あいつは初見で完璧に捌きやがった。強いとか弱いとか言う問題じゃねぇ。あれは確実にこっちの手札を知ってる奴の動きだった」

 

 俺の思考を後押しするように、PoHが口にする。半年前、迷いの森でPoHが捕縛された時のことだろう。その一件の直後俺は気を失うように眠ってしまったので半ば記憶から消えかかっていたが、思い返せば確かに妙である。

 

「……どうして俺にそんな話を?」

「俺も一生こんなところで暮らすのは御免だってことだ。期待してるのさ、お前に」

 

 牢獄の中、PoHが肩を竦める。それを一瞥し、俺は今度こそその場を後にした。

 

 ――ヒースクリフを信用するな。

 

 監獄エリアを出た後も、しばらくその言葉が耳について離れなかった。

 俺の頭の中を支配するのは、恐ろしい想像だった。多くのプレイヤーを率いてゲーム攻略に邁進するかの英雄が、実は全プレイヤー共通の敵――ゲーム運営側の人間であるという可能性。

 しかしその仮定がもし当たっていたとして、俺に何が出来るというのか。ヒースクリフを殺す? 確信もないのに? その後のことも予想が付かないし、そもそも不意を打ったとしても俺ではヒースクリフを倒すことは難しい。

 

 答えの出ない問題に直面し、俺はかぶりを振って大きくため息を吐いた。なんだか最近ため息が増えた気がする。

 ひとまずキリトにでも相談してみるか――そう考えたところで、ひとり自嘲する。あれだけ孤独を愛していたはずなのに、今や自然と誰かを頼れてしまうことが少しおかしかった。だが、悪い気分ではない。

 

 その日のうちにキリトには話を打ち明けた。どうやらヒースクリフについてはキリト自身も薄々違和感を覚えていたようで、話の最中は取り乱すこともなく黙って頷いていた。

 頭の切れる奴である。俺が気付く程度のことには既に辿り着いていたらしい。しかしそんなキリトも現状を打開するような妙案は持っておらず、今後から少しずつヒースクリフに探りを入れて行こうという結論に至った。

 俺たちの見解では、ヒースクリフが運営側の人間だとするならそれは茅場晶彦本人である可能性が高い。SAOにプレイヤーたちを閉じ込めデスゲームを演じさせるという行為は、何の生産性もない愉快犯のようなものだ。そうそう茅場晶彦と同じ思想を持った協力者が居るとは思えなかった。

 故に、ヒースクリフに張り付いていればログアウトする現場を押さえられるかもしれない。協力者がいないとすれば自分自身で現実世界の身体を管理しているはずなのだ。まあ相手も警戒しているだろうからそこを発見できるかというと望み薄ではあるのだが。

 

 しかしこれは何処まで行っても仮説の域を出ない話だった。その上、アスナにとっては自分の上司が敵かもしれないという情報である。仮に彼女にこれを伝えるとしても様子を見てからにしようと取り決め、しばらくこの件は俺たちの間だけで胸に秘めておくことになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスナを風林火山で預かることが決まってから、数日が経った。

 責任感の強い彼女は当初血盟騎士団を離れることに後ろめたさを感じていたようだが、その辺りはキリトや風林火山の女子ーズが上手くフォローを入れてくれている。適度にうちのギルドの仕事を手伝って貰ったりと、アスナがこの状況を気負いすぎないようにクラインたちも気を遣っているようだった。

 その甲斐あってか、アスナも少しずつ元気を取り戻し始めている。本当の意味で彼女が立ち直るのにはまだまだ時間が掛かるだろうが、キリトたちが居ればきっと大丈夫だろう。

 ちなみにその間、俺はトウジによって馬車馬のように働かされていた。うん。まあ、適材適所だ。俺は傷心の女子を慰めるような技能は持ち合わせていないし、特別アスナと接触を図るようなことはしなかった。精々夕食の席で軽い雑談をする程度だ。ゲーム攻略も一時的にストップすることが決まっていたので、俺は数人の風林火山の面子と一緒にガイドブックに載せる情報を求めてアインクラッド中を駆け回っていたのだった。

 キリトとアルゴが夕食の席で妙な話を持ち掛けたのは、そんな折だった。

 

 

「――温泉ッ!?」

 

 そう声を揃えて気色ばんだのは、アスナ、フィリア、シリカの3人である。シリカの頭の上で寛いでいたピナも、つられて何事かと鳴き声を上げる。

 風林火山のギルドホーム。その1階に設けられた広いダイニングルームでのことだった。料理担当のギルドメンバーが給食を提供してくれる時間にはある程度決まりがあるので、自然と夕食などは大勢で揃って取ることになる。

 今も30人程度のプレイヤーたちが席に着いており、どうやら今日1日キリトと一緒に活動していたらしいアルゴもちゃっかりと同伴していた。俺の隣でロールキャベツをもぐもぐと咀嚼していたアルゴが、ゆっくりとそれを飲み込んでから口を開く。

 

「第65層の西側、山岳エリアになってるトコロの中心に温泉街があるみたいなんだヨ」

「65層っていうと確か雪原フロアだったよね。けど西側ってほとんど侵入禁止エリアじゃなかったっけ?」

「手前の圏外村で受領できるクエストをクリアすると抜け道を教えてくれるんダ」

 

 食い気味に質問するフィリアに対し、アルゴの態度は淡々としたものだ。話の途中で夕食のロールキャベツを食べ終えたアルゴは、厨房に向かって大きな声でお代わりを頼む。

 ちっこい割に良く食うなこいつ。その栄養はどこに行ってるんですかねぇ……。と、俺は黙々と食事を食べ進めながら、アルゴの胸元をちらりと盗み見る。いや、この世界で栄養補給も何もないんだけど。

 

「今日、俺とアルゴでそのクエストをクリアしてきたんだよ。抜け道はインスタンスマップだけど俺らとパーティ組めば行けるはずだし、せっかくだからみんなで行こうぜ」

「ま、みんなって言ってもオイラとキー坊も入れて定員は12人だけどナ」

 

 キリトの台詞にアルゴがそう付け加える。SAOのシステムでは1つのパーティにつきリーダーを含めて定員は6人までなので、キリトとアルゴでそれぞれ別のパーティを作ったとして最大12人ということだろう。

 しかし、アルゴが金も貰わずにこういった情報をペラペラと喋るのは珍しい。もしかしたらアスナを元気付けようとアルゴなりに気を遣ってるのかもしれない。いや、既にキリトから金を貰っている可能性もあるか。

 そんな邪推に頭を働かせる俺の正面、食事の途中で箸を置いたフィリアが真っ直ぐに手を上げる。

 

「はい! じゃあ女子3人とも参加希望でお願いします! ……ってことでいいよね、2人とも?」

「は、はい。出来れば行きたいです」

「えっと、私は……」

 

 躊躇いがちに頷いたシリカに対し、アスナは言葉を濁した。あのお風呂大好きなアスナのことである。彼女が温泉に行きたくないはずがなく、今の自分の立場やら何やらを考えて遠慮しているのは明らかだった。どんなに隠しても、その顔には「温泉行きたい!」と書いてある。近くの席で話を聞いていたクラインもそれに気付いたらしく、すかさず口を挟んだ。

 

「アスナ、変な気ィ遣うなよ。休める時にしっかり休んどくのも大事なことだぜ」

「そ、そうかな。……うん、そうね。ありがとう」

 

 アスナは少し悩む素振りを見せ、ややあって頷いた。

 現在アスナを風林火山で預かっているのは主に休養を取らせるためだ。温泉でのんびりと過ごせるならその目的にもかなうだろう。そもそもキリトたちがこの話を持ち掛けたのもアスナのためだろうし、定員12名と言いつつアスナの参加は決定したようなものだった。

 1人黙々と食事を進めていた俺は、最後に残っていたロールキャベツを白いご飯とともに頬張る。モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ、独りで静かで豊かで……と、かの井之頭さんも言っていた。つまりこの場では1人静かに箸を取る俺こそがジャスティス。決して会話に混ざれなかったわけじゃない。

 最期の一口をそうしてゆっくりと味わって飲み込み、一息つく。次いで俺は食器を持って席を立った。

 

「……ごっそさん。まあ、楽しんで来いよ」

 

 オーケー俺、超クール。この何気ない一言で「別に誘われなくても俺全然気にしてないし」アピールが出来たはずだ。後はこの場を去って自室で1人枕を濡らせば問題ない。いや、別に全然行きたいとか思ってねえし。

 比企谷八幡はクールに去るぜ……。そうして歩き出した俺を、しかし口を開いたキリトが呼び止める。

 

「何部外者面してるんだ。ハチは強制参加だぞ」

「え」

 

 その場で固まる俺を無視し、キリトはさらに話を続ける。

 

「65層の敵はそんなに強いってわけじゃないけど、それでもそこそこ上層だしな。ある程度の戦力は確保しときたい。だからアスナの参加も決定として、女子が少ないと心細いだろうしフィリアとシリカの2人も決定かな。あとの枠は7人だけど――」

「はい、はーいッ! オレも参加したい!!」

「あっ、ズリィぞギルマス!」

 

 残りの枠を巡って、風林火山のメンバーたちがやいのやいのと一斉に声を上げだした。大人げなく大声を上げて参加を希望するクラインに対し、アルゴは食事の手を止めて白い目を向ける。

 

「言っておくケド温泉はちゃんと男女別になってるヨ? システム的に覗きも出来ないハズだし」

「わ、分かってるっつーの! オレはただ純粋に温泉に浸かって日々の疲れを癒したいだけで……」

「どうだかナー」

 

 アルゴの台詞に目を泳がせるクライン。そんな2人を横目に、ややあって我に返った俺は隣に座っていたトウジへと声を掛けた。

 

「……つーか、そもそもそんなに人が抜けてギルドの仕事の方は大丈夫なのかよ」

「みんなのお蔭で最近はかなり余裕があるので問題ないですよ。むしろ温泉のリポートも兼ねて何日かゆっくりしてきてください」

 

 実質的に風林火山での仕事を取りまとめているトウジからは笑顔でゴーサインを返され、その場からは小さく歓声が上がった。

 

「よし、トウジの許可が下りた! あとは誰が行くかだな!」

「希望者も多いしジャンケンで決めたらどうですか? あ、ちなみに僕も参加希望です」

 

 それって結局トウジが温泉行きたかっただけじゃねえのか……。

 心の中で突っ込む俺のことなどおかまいなしに、ダイニングでは大ジャンケン大会が始まろうとしていた。もはや口を挟める雰囲気ではなくなってしまったので、俺はとりあえず手に持ったままだった食器を厨房へと運ぶことにする。背後からは男たちの仁義なきジャンケンバトルの熱気が押し寄せて来た。

 まあ仮想世界のこととは言え、美少女たちと行く温泉巡りの旅だ。娯楽に飢えたSAOのプレイヤーたちにとっては垂涎ものの旅行プランだろう。俺だって本当のところは行きたくないと言えば嘘になる。ただ積極的に話に参加するアクティブさは持ち合わせていないので、とりあえずはことの成り行きを見守ることに決めた。

 食器を片付けた俺がダイニングへと戻ると、目に入ったのは熾烈なジャンケンバトルを勝ち抜いたのであろうクラインが雄叫びを上げて(グー)を力強く突き上げる姿だった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。