やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第33話 予告

「調子に乗るなよ小僧ッ! 決闘(デュエル)だ!! 私と決闘(デュエル)で勝負しろ!!」

 

 多くのプレイヤーたちが行きかう転移門広場に、そんな声が響き渡った。

 こんな街中でいきなり決闘(デュエル)吹っ掛けるとか、いったいどこのデュエリストだよ……。などと思いながらも、まあ俺には関係のないことである。露天商で買い物をしていた俺、比企谷八幡は店主からホットドックを受け取ってそれに齧り付きながら歩き出した。

 

 第69層主街区、ガラス工芸の街《フラノリア》

 謳い文句通り、ガラスの工芸品に彩られた華やかな街である。街路には石畳の代わりに七色のガラスがグラデーションを作るように敷き詰められ、街全体を彩っている。街の中で最も目につくのは中央に立つ教会にはめ込まれた薔薇を模した巨大なステンドグラスだが、それ以外にも街中のそこかしこに素人目には価値がよくわからないガラスの工芸品が飾られていた。

 意識高い系の人間が好きそうな街だ。かく言う俺も自意識高い系の人間であるが、その方向性は斜め下だとよく評されるほどなので、この街はちょっと肌に合わない。

 

 では何故そんな俺がこの街に来ているかというと、今アインクラッドの攻略の最前線がこのフロアだからだった。時刻は現在午前10時前。今日はこれからこのフロアの迷宮区へとレベリングに行く予定だった。

 いつもは基本的にキリトとコンビ狩りに勤しんでいる俺だが、今日は血盟騎士団の活動がオフということでアスナも参加予定である。この転移門広場で待ち合わせの約束だったのだが、少し早く着いてしまった俺は一旦キリトと別れ、アスナが来るまで適当に時間を潰していたのだった。

 

 そろそろアスナも来る頃だろう。そう思いながら人混みを縫うようにして歩き、キリトが待つ転移門の前まで戻る。しかしその途中で、道を行くプレイヤーたちから妙な会話が聞こえてきた。

 

「おい、風林火山のキリトと血盟騎士団のメンバーが決闘(デュエル)だってよ!」

「え? キリトってあのユニークスキル持ちの奴だろ? 勝負になるのか?」

「わかんねぇけど、こりゃ見なきゃ損だろ!」

 

 囃し立てるようにして、プレイヤーたちが走ってゆく。「何やってんだあいつ……」と小さく独り言ちながら、俺も騒動の中心へと向かって歩いて行った。

 

「おい。どうなってるんだこれ?」

「あ、ハチ君」

 

 転移門の前に1人立っていたアスナへと声を掛けた。キリトは少し離れた位置で血盟騎士団のメンバーと思われる男と向かい合いながら何やらやり取りをしており、その雰囲気は穏やかな物とは言い難い。さらにはそれを見物するように周囲に人垣が出来ていた。

 隣に立つアスナはばつが悪そうな顔をしながら、ここまでの経緯を説明してくれる。

 

「えっと……あのプレイヤー、クラディールは私の護衛なんだけど……。前にも話したことあったじゃない? ちょっと最近過干渉というか、護衛が行き過ぎて困ってたの。今日もオフなのに私のこと付けて来てたみたいで……。それでキリト君と言い争いになって、こうなっちゃったというか」

「は? あのおっさん、休みにまでお前をストーキングしてたってことか?」

「まあ、うん。そういうこと」

「……最近の血盟騎士団、何かおかしくないか? メンバーはちゃんと選んだ方がいいぞ」

「私もそう思うけど、ギルドの方針で一気に人が増えたから……」

 

 俺たちがそんなやり取りをしている間にも、事態は進んで行く。キリトも相手に挑まれた決闘(デュエル)を承諾したようで、2人の間に60秒のカウントダウンを告げるシステムメッセージが浮かび上がった。

 

「安心しろ。二刀流は使わないでおいてやるよ」

「小僧ッ……! 崇高なる血盟騎士団を侮ったこと、すぐに後悔させてくれる!!」

 

 黒の片手剣を右手にぶら下げたキリトと、紅白の騎士服に両手剣を携えた男が言葉を交わす。キリトの二刀流を使わないという判断は相手を侮っているわけではなく、安全のためだろう。初撃決着モードだったとしても、二刀流の火力では下手をすると相手のHPを全損させる恐れがある。

 

「アスナ様! 私以外に貴方の護衛は務まらぬということを、今ここで証明して見せましょう!」

 

 システムメッセージによるカウントダウンが行われる中、血走った眼でアスナに視線をやった男が叫ぶ。職務に忠実なのは結構だが、さすがにここまで行くとただの病気だ。隣に立つアスナも苦い表情を浮かべていた。

 

「……ちなみに、あのクラなんとかさんってレベルいくつなんだ?」

「クラディールね。79よ」

「79って……勝負にならねぇじゃねえか。え、もしかして剣術の達人だったりすんの?」

「ううん。多分技術も並くらい」

 

 ……これは本格的に勝負にならなさそうだな。あのクラディールというプレイヤーはボス攻略では見たことがなかったので、恐らく本気になったキリトの実力を知らないのだろう。

 ちなみに現在キリトのレベルは92である。文字通りクラディールとはレベルが違う。この差をひっくり返すには相当な技量が必要とされるが、相手にはそれもないという話である。そんなことを考えながら顔を上げると、残りカウントは10秒を切っていた。キリトとクラディールがゆっくりと構えを取る。

 

 遠巻きに見守る野次馬プレイヤーたちにも緊張が走る。それが最高潮に達した瞬間、カウントが0となり決闘(デュエル)開始を告げるブザーが響き渡った。

 途端、色ガラスの床を蹴ってクラディールが距離を詰める。同時にソードスキルを発動して、キリトへと斬りかかった。――対人慣れしていないプレイヤーによくある悪手である。

 相手のソードスキルの発動を見て取った瞬間、キリトもそれに対抗するソードスキルを放った。レベル差に加えて武器の違いもあるので剣速は段違いだ。後の先を取ったキリトの剣が、一瞬早く相手に届く。

 キリトの剣が捉えたのはクラディール本人ではなく、その手に持つ両手剣だ。その横っ腹目がけて一閃が振るわれる。瞬間、甲高い剣戟の音が広場に響いた。

 勢いそのままに2人の位置が入れ替って静止する。それと同時に、場には水を打ったような静寂が降りた。やがてそれを破ったのは、クラディールの情けない声だった。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 視線の先に映るのは、その中ほどからぽっきりと折れてしまった自分の両手剣。しばらく信じられないように見つめていると、やがて剣はガラス片となって砕け散って行ったのだった。

 

「す、すげー……武器破壊だ」

「え? あれって狙ってやったのかよ……?」

 

 そんな観衆の声が耳に入る。武器破壊はかなり難易度の高い技だが、まあキリトさんならお手の物だ。なんの駆け引きもなくいきなりソードスキルを使ってくるような相手など、あいつにとってはいい鴨だろう。

 しかし決闘(デュエル)で武器破壊とか、かなりエグイことするなあいつ……。もしかして結構怒っているんだろうか。そう思ってキリトに目をやると、ため息を吐いて背中の鞘に剣を納めていた。

 

「武器を変えて仕切り直すっていうなら付き合うけど……。もういいだろ?」

「お、おのれ……!」

 

 キリトの言葉で額に青筋を立てたクラディールが、ストレージを漁って武器を取り出す。両手剣の予備はなかったのか、その手に構えたのは短剣だった。不意を打つように、武器を構えてさえいないキリトへと向かってその短剣を突き出す。

 瞬間、俺の横を風が駆け抜けていった。同時にクラディールの短剣は弾き飛ばされ、ガラスの床に転がり落ちる。

 

「そこまでよ、クラディール」

「ア、アスナ様……」

 

 キリトとクラディールの間に割って入ったのはアスナだった。その乱入によって行われていた決闘(デュエル)は中断され、2人の間に《No contest》と表示が浮かぶ。しかし決闘(デュエル)を見ていた観衆には誰が勝者か一目瞭然だった。

 アスナは短剣を弾き飛ばしたレイピアを、そのままクラディールへと突きつける。それを見つめ、クラディールは大きく顔を歪めた。

 

「い、今のは違う! そいつが何か卑怯なことをしたんです!! そうでなければ私がそんな小僧に――」

「クラディール」

 

 アスナの言葉には有無を言わせぬ響きがあった。血盟騎士団副団長としての威厳を見せつけるように続けて言い放つ。

 

「現時刻を以って、貴方の護衛役の任を解きます。別命があるまではギルドホームで待機。これは血盟騎士団副団長としての命令よ」

「な……!?」

 

 クラディールは驚愕によって唇をわななかせる。しかししばらくすると事態を飲み込めて来たのだろう。両の拳を強く握りしめながら、その屈辱と恥辱に顔を歪ませる。

 

「こんな……こんなことがッ……!!」

「2度は言わせないで。行きなさい」

 

 構えていたレイピアを鞘へと納めながら、アスナは再び冷たく言い放つ。それでもしばらくキリトとアスナを睨み付けていたクラディールだったが、やがて意気消沈したように脱力すると転移門へと向かって歩き出した。

 「あ、短剣忘れてますよ」などと口に出来る雰囲気でもなく、俺はクラディールが転移門から消えてゆくのをそのまま見送ったのだった。

 騒動が終わったことを悟った野次馬連中も、若干興奮気味だったもののしばらくすると何処かへと散っていった。そして不意に大きく息を吐いたアスナが、緊張の糸が切れたように項垂れる。

 

「……ごめんね。面倒なことに巻き込んで」

「俺は別に構わないけど……大丈夫なのか、あれ」

「うちのギルドの問題だからね。何とかするわ」

 

 キリトの言葉に力なく笑みを浮かべたアスナがそう答えた。2人へと歩み寄りながら、俺もため息を吐いて頭を掻く。

 

「……ま、何かあったら言えよ。キリトがなんとかするからな」

「ふふっ。うん。ありがと」

「なんでハチはそこで素直に俺に頼れよって言えないかなぁ……いてっ!」

 

 余計なことを口走るキリトの横っ腹を小突いて、俺は1人先にフィールドへと向かって歩き出した。ぶーぶー文句を垂れるキリトと、クスクスと笑い声を上げるアスナがその後に続く。そうして俺たちはようやく当初予定していたレベリングへと向かったのだった。

 

 最近の血盟騎士団は、以前のものとは何かが決定的に変わってしまったように感じる。迷宮区へと向かって歩きながら、俺は1人そんなことを考えた。

 以前はメンバーは少数ながらも1人ひとりの実力が高く、もっと一体感があったものだ。しかし少し前にギルドの方針が変わり大幅にメンバーを増やしたようで、それからギルドとしての影響力は増したものの、全体を掌握出来ているとは言い難い状況だった。あのクラディールもその時期に大量加入したプレイヤーの1人だろう。

 今後上手く扱うことが出来れば攻略組の大幅な戦力アップに繋がるのは間違いないのだが……クラディールの様子を見る限り、ちょっと厳しそうである。

 まあ現時点では俺に出来ることもないので、そこはヒースクリフとアスナの今後の手腕に期待するとしよう。そう思い、俺は気持ちを切り替えたのだった。

 

 出鼻こそ挫かれたものの、その後の狩りでは何の問題も起こらなかった。既に探索済みのエリアを回って堅実にレベリングだけを行ったので、このメンバーなら特に危険があるはずもない。ハプニングと言えば、アスナが用意してくれた昼食の《照り焼きチキンのマヨソースサンド》が美味すぎてキリトとおかわりの争奪戦を繰り広げた程度だ。結局それも「喧嘩するなら没収します!」というアスナの胃袋の中に納まってしまったのだった。

 

 既にこのフロアのボス部屋は発見されている。明日、血盟騎士団による偵察戦が行われた後に攻略会議を挟み、その翌日にボス攻略が予定されていた。

 故に今日は無理はせず、午後にアスナのレベルが1つ上がるのを待って本日のレベリングは終了となった。その後は日が落ちるまでキリトと共にアスナの買い物や装備のメンテナンスなどに付き合い、晩飯は第62層のアスナのプレイヤーハウスで手料理をご馳走になるというリア充っぽいイベントを消化してから彼女と別れたのだった。

 

 少し前まではキリトやアスナとこういった時間を過ごす度に、俺は現実世界とのギャップに悩まされていた。だが、今はもうそんな不安はない。もはや何の憂いもなく、俺はゲーム攻略に臨むことが出来ていた。

 こいつらのお蔭だな……と若干こそばゆい気持ちになりながら、隣を歩くキリトの横顔を盗み見る。絶対口には出さないが、まあ心の中では素直に感謝していた。

 俺のそんな思いなどどこ吹く風で、キリトは能天気にアインクラッドのフロアの隙間から見える星空を見上げていた。そうして和やかな雰囲気のままに、俺とキリトも風林火山のギルドホームへと帰宅したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2024年9月10日。

 第69層。迷宮区最奥。むき出しの土壁がドーム状になった大部屋。

 そこで俺たち攻略組のフルレイドと相対していたのは、黒い毛並みを持つ巨大なモグラだった。

 

 《ケイヴ・ザ・ジュエルイーター》

 

 全長10メートルほどの巨体、そしてその巨体にさえも不釣り合いに思えるほど発達した前足とかぎ爪は、正面から受けてしまえば攻略組屈指の超重量タンク部隊でも軽々と吹き飛ばすほどの威力を持っていた。

 普通にやり合ってもかなり厄介な相手である。そんな相手がボス部屋中に掘られた穴を通って縦横無尽に駆け回り、背後から奇襲を仕掛けてくる。そして万が一穴に引きずり込まれてしまえばひとたまりもない。ここまでの戦いで既に2名のプレイヤーが犠牲になっていた。

 だが攻略組もただやられていたばかりではいない。穴へと煙玉を投げ込み、煙を嫌って出てきたボスを叩く。そんな戦いの繰り返しで、初め4本あったボスのHPバーはもう残り1本を切っていた。

 

「キリト君、そろそろ良いわよ!」

「了解ッ!!」

 

 前衛でボスとやり合っていたアスナが、後ろで待機していたキリトへと指示を飛ばす。待ってましたと言わんばかりにキリトが駆け出し、下がるアスナとすれ違いに一気にボスへと肉薄した。一応、俺もその後ろへと続く。

 ヒースクリフの率いるタンク部隊が、地上に出てきたボスを引きつけていた。こちらから見えるボスの後ろ姿は隙だらけだ。走りながら白と黒の二刀を構えたキリトが、その背中にソードスキルを放った。

 目にも留まらぬ2つの剣閃がボスを斬り刻む。高いステータスに加えてキリト自身がブーストを掛けたソードスキルだ。その攻撃は1本残ったボスのHPバーを見る見る削っていった。

 その剣速に「いよいよ人外じみて来たなこいつ」という身も蓋もない感想を抱きながら、俺も横からオマケ程度の攻撃を放つ。それにどれだけの意味があったのかは分からないが、キリトの16連撃のソードスキル《スターバースト・ストリーム》、その最後の一撃が振るわれた時には綺麗にボスのHPを削り切っていた。

 ボスは金切り声のような悲鳴を上げて硬直した後、そのままガラス片となって四散した。一瞬の沈黙の後、四方で焚かれていた青白い松明の炎が徐々に赤い色味を帯びていき、ボス部屋を一層明るく照らしてゆく。部屋の中央には、大きく【Congratulations!!】とシステムメッセージが表示されていた。

 少し遅れてプレイヤーたちから怒涛のような勝鬨が上がる。最期こそ呆気ないものだったが、そこに至るまでかなり際どい戦いだった。フロアボス戦で犠牲者が出るのは久しぶりのことだった。

 

 張り詰めていた空気が、一気に弛緩する。犠牲となったプレイヤーのために顔を歪める者も何名かいたが、多くはボス攻略成功の熱気に浮かされていた。薄情だとは思わない。戦いの最中、仲間の死に動揺してしまえば部隊はそこから崩れてしまうからだ。ボスを倒したとは言え、圏内へと帰るまではまだ危険も多い。そこまで気を緩めることは出来なかった。

 

 幸い、というのも不謹慎だが、今回犠牲となったプレイヤーたちはあまり俺とは関わりのない人間だった。柄ではないので周りのプレイヤーのように雄叫びを上げるようなことはしないが、場の空気に浮かされて少し高揚しながら、俺も剣を納めたキリトと無言でハイタッチを交わす。

 この戦いで最も戦功を上げたのはキリトに間違いなかったが、しかし何故かその表情は浮かない様子だった。理由は大体見当がついている。軽く声を掛けてやろうと俺は口を開こうとしたが、その前に1人のプレイヤーが割って入ったのだった。

 

「よくやってくれた、キリト君」

「いや……」

「君はベストを尽くした。顔を上げたまえ」

 

 そう口にするのは、血盟騎士団の団長を務めるヒースクリフである。この男もキリトの苦悩を見抜いたのだろう。周囲のプレイヤーが勝利に浮かれる中、それに気付いて声を掛けてくれたようだった。

 

 フロアボスのHPバーをほとんど一本一気に削り切れるキリトの火力は異常だった。レベルや素のステータスはあまりキリトと変わらない俺だが、《両手槍》カテゴリの中で最も威力の高いソードスキルをフルヒットさせても精々ボスのHPバーを10分の1削ることが出来ればいい方である。

 二刀流とはそれだけ強力なスキルだった。だが、それ故にレイド戦では扱いが難しい。

 あまりキリトにばかり突出したDPSを稼がれると、ヘイト管理が出来なくなるのだ。二刀流は攻撃面においては異常な火力を発揮するが、防御性能はそれなりである。大きなダメージを与えてヘイトを稼いでしまい、ボスのターゲットが集中し続ければやがてキリトから崩れてしまうことになるのだ。

 だから最後のトドメ以外、キリトにはDPSを抑えて戦って貰っているのだった。それは戦術であり手抜きとは違うのだが、キリト自身は全力で戦っていない自分に負い目を感じている様子だった。

 

 キリトの肩をヒースクリフが励ますように軽く叩く。その後ヒースクリフは俺にも軽く労いの言葉を掛け、再びプレイヤーの間を縫うようにして歩きだしたのだった。

 

「皆、よくやってくれた!」

 

 ボス部屋の中心に立ったヒースクリフが、注目を集めるように声を張り上げる。そうして静かになったプレイヤー1人ひとりの顔を確認するように目線を走らせながら、大仰な口調で語り始める。

 

「犠牲は大きかったが、これで我々はまた一歩ゲームクリアへと近づくことが出来た。とうとうこのアインクラッドも第70層だ。ここまで諸君と共に到達出来たことを誇りに思う」

 

 その言葉に、プレイヤーたちから再び歓声が上がった。それが軽く収まるのを待ってから、さらに言葉を続ける。

 

「今日は体を休め、英気を養ってくれたまえ。ただ3日後には《13日の金曜日》も控えている。第70層の攻略進度については各々の判断に任せるが、情報収集だけは怠らないでほしい」

 

 周囲のプレイヤーたちが頷くのを確認し、ヒースクリフが満足げに頷き返す。

 

「では15分の休憩を挟んだ後、血盟騎士団は第70層のアクティベートに向かう。共に来るものは声を掛けてくれ。私からは以上だ」

 

 言って踵を返し、ヒースクリフは血盟騎士団の集団の中へと戻って行く。静まり返っていたプレイヤーたちも慌ただしく動き出し、それぞれボス戦の事後処理へと移っていった。

 こうして俺たちは第69層のフロアボスを倒し、第70層の扉へとその手を伸ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《13日の金曜日》

 英語圏の多くなどで迷信として不吉とされている日である。その起源はキリストが磔にされた日だとか、不吉な数である13と不吉な曜日である金曜が合体して特に不吉な日とされただとか諸説あるらしいが、はっきりとしたことは分かっていないそうだ。

 まあそんなうんちくはどうでもいい。問題はこのアインクラッドにおいても13日の金曜日は特別な意味を持つということだ。

 このSAOの正式サービスが始まってから既に2度ほど13日の金曜日が訪れているが、そのどちらにおいても特別なイベントクエスト《不吉な日》が用意されていた。アインクラッド中を巻き込んだ大規模な討伐イベントで、その報酬もかなりおいしいものだったのだ。

 

 そんなイベントが開催されることになればプレイヤー同士の競争になるのが常なのだが、《不吉な日》クエストは普通のものとは毛色が違う。ギルドの垣根も越えて他プレイヤーと協力しなければクリアできないような難易度に設定されているのだ。去年の10月13日の金曜日にはいくつかのフロアにボスモンスターが現れ、それを複数同時進行で倒していかなければイベントが進まないというクエストだった。

 

 そういった経緯があり、今では《不吉な日》クエストについては多くのプレイヤーが一丸となって攻略に当たるというのが暗黙の了解となっている。過去2回の《不吉な日》クエストでは数日前から様々な場所で情報を集めることが出来たので、今回も何処かにクエストの兆候があるはずだと多くのプレイヤーたちは躍起になってアインクラッド中のNPCに聞き込みを行っているはずだった。

 その例に漏れず、俺とキリトも第69層のフロアボス攻略を終えてからの2日間、上層のフロアを点々としながら情報収集に当たっていた。もう明日には《不吉な日》クエストが迫っている。調査を始めた当初はすぐに何かしらの情報が掴めるだろうと思っていたのだが――

 

 

「目ぼしい情報全然ねえな……」

 

 俺のそんなぼやきは、うだるような暑さの中に溶けていった。

 第65層の西に位置する圏外村。その一角、露地にせり出した飲食店の一席である。一応頭上には幌のようなものが張られて日陰を作っていたが、それでも暑いものは暑い。もう9月も中旬に差し掛かるというのに、どうしてこんなに暑いのか。テーブルに置かれたキンキンに冷えたジュースのコップも大量に汗をかいていた。意外とこういうディティールに凝ってるよなこのゲーム。

 しかし俺の向かいの席でゴクゴクと炭酸飲料を飲んでいるキリトは何故か涼しい顔である。こいつ暑いのとか寒いのに強いんだよな……。本人曰く、鍛え方が違うらしい。

 だがそんなキリトも全くイベントの情報が手に入っていない現状にはうんざりしているようで、持っていた炭酸飲料を一気に飲み干すとため息を吐いて俺の言葉に頷いた。

 

「これだけ探しても見つからないってことは、今回はゲリライベントなのかもな……。まあとりあえず、トウジに頼まれたガイドブックの情報収集だけでも済ませちゃおうぜ」

「だな。最悪俺らが収穫ゼロでも、ジェイソンイベの情報は他の奴らが手に入れてくれてるかもしれないし」

 

 ジェイソンイベとは《不吉な日》のイベントクエストの俗称だ。もちろん由来は某有名スプラッター映画からである。

 そうしてキリトと頷き合い、気分を切り替える。俺はストレージからいくつかの資料を取り出し、それをテーブルへと広げてみせた。

 

「今回はクエストの攻略情報いくつか拾って来いって話だったか? えっと……《彷徨いし魂と導なき墓標》クエと《魔障の狂気は永劫を輪廻す》クエか……。なんかこの辺のクエストのネーミングセンスすげえな」

「ああ。カッコいいよな」

「え? あ、おう。そうだな」

 

 ……そう言えばキリトさん年齢的にはまだ中学卒業したばかりだったな。うん。恥ずかしくないぞ。誰でも一度は通る道だからな。

 そんな生暖かい視線を向ける俺のことなど露知らず、キリトはトウジから貰った資料を手に取って立ち上がる。

 

「さて、そろそろ休憩も終わりにしようぜ。墓標の方はすぐそこのNPCからクエスト受けられるみたいだし、さっさと済ませちゃおう」

「ああ」

 

 一刻も早く仕事を終えて涼しいエリアへと引きこもりたい。そう思いながら俺も席を立ち、会計を済ませてからその場を後にした。

 古代オリエントのような風景の村である。黄褐色の日干し煉瓦の住居が、強い日差しに照らされて目に痛い。時刻はもうすぐ13時。本格的に暑くなる時間帯だった。顔に当たる日差しを手で遮りながら、俺は先行するキリトの背中を追った。

 

 幸いここはそれほど大きな村ではない。ほどなくして俺たちは金色の【!】マークを頭上に表示するNPCの老人を見つけた。クエストの開始点の印である。

 コミュ力は割と高いくせに何故かよく人見知りをするというよくわからないパーソナリティを持ったキリトだが、NPC相手には特に緊張することもないらしい。慣れた様子ですぐにNPCの老人に声を掛けようとし――その瞬間、けたたましいアラート音と共に目の前に現れたシステムメッセージによってそれは阻止された。

 

「うおっ!?」

「な、なんだッ!?」

 

 泡を食った俺たちは2人揃って情けない声を上げ、身を固くする。システムメッセージはキリトだけでなく俺の目の前にも表示されていた。

 いったい何が――そう思いながら俺は表示されたメッセージに目を走らせる。

 やがてアラート音が収まり、先ほどのやかましさが嘘のような静寂が周囲を支配した。それを破るように、俺たちは声を震わせながら口を開く。

 

「おいキリト、これ……!」

「ああ……さすがにこれは予想外だったな」

 

 突如俺たちの前に現れたシステムウインドウ。おそらくアインクラッド中の全プレイヤーに向けて通知されているのだろう。そこに書かれたメッセージを理解した瞬間、俺たちの間に戦慄が走ったのだった。

 

 『緊急クエスト発生!

 《始まりの街に襲来する軍勢を撃退せよ》

      【不吉な日・侵攻イベント】』


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