やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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 原作『心の温度』の舞台となる雪山は本来第55層という設定ですが、この話では第58層に改変しています。原作内でも「第55層はフロア全体が氷雪地帯」という設定と「第55層のグランザムには血盟騎士団のギルドホームが存在し、その周囲には荒野フィールドが広がっている」という矛盾した設定が存在しているようなので、適当にずらしました。
 あと今回ゲーム内にお酒が出てくるのですが、それについても設定ちょっと変えてます。原作では「どれだけ飲んでも全く酔うことはない」という話ですが、「実際お酒の味と香りがする飲み物を飲んだら人によっては思い込みで酔うのではないか?」という雑な考察により改変しています。ご了承ください。


第32話 酔いと本音

「リズたちが帰ってきてない?」

「うん……。まだ圏外に居るみたいで……」

 

 リンダースに居を構える店舗の中。その奥、作業場となっている一室へと再び俺たちを迎え入れたサチは、素材収集の礼を丁寧に述べた後、不安げな表情を浮かべて話を切り出したのだった。

 昼過ぎに出かけて行ったキリトたちが、まだ帰って来ていないらしい。時刻は既に19時過ぎだ。順調に目的を済ませたのならば、もうとっくに帰って来ていていい時間だった。

 

「58層の西の山に行くって言ってたけど……。今の位置は《雪山地下坑道・白竜の巣》ってところになってて、しばらくそこから動いていないみたいなの。メッセージ送っても反応がないし……」

「雪山地下坑道か……。知らないダンジョンだな。それに58層のドラゴンとは戦った覚えがあるけど、白竜の巣なんて場所あったか?」

「私も聞いたことない」

 

 そう言ってアスナと顔を見合わせる。サチの話では、位置情報を見る限りキリトたちは既に1時間以上は同じ場所に留まっているようだった。ちなみにフレンドシステムによるマップ追跡は対象プレイヤーがダンジョン内などにいる場合には機能せず、現在地の階層と大まかな地名までしかわからない。

 

「けど、確かあそこのドラゴンって夜行性だったわよね。その湧きを待ってるって可能性は?」

「夜行性って言っても午後3時くらいには動き出してるはずだぞ。それはない」

「そっか……」

 

 そうして言葉を交えながら、状況を確認する。

 とりあえずフレンド欄で生存は確認出来るので、キリトも例の鍛冶屋もまだ生きている。何らかの理由で足止めを食らっているということだろう。二刀流というユニークスキルを持ち、攻略組でもトップクラスの実力を誇るキリトが第58層程度の敵に苦戦するとも思えないので、おそらくモンスター以外の要因だと考えられた。

 

「キリト君が一緒にいるなら大丈夫だとは思うけど……。もしかしたら厄介なトラップに掛かって帰って来れないのかも」

「まあ可能性としてはその辺だろうな。キリト1人ならまず大丈夫だとしても、パーティメンバーを庇って、みたいなパターンはありそうだ」

 

 アスナと俺はそうして同じ結論に至り、頷き合う。

 

「とりあえず、58層に行ってみましょう」

「さすがにほっとくわけにもいかないしな……」

 

 個人的にはあまり心配していないが、万が一ということもある。何もせずに最悪の事態に至ることだけは避けたかった。

 第58層はフロア全体が極寒の雪原地帯となっている。サチが店の在庫から特製の防寒具を持ってきてくれたので、これはありがたく受け取っておいた。対策を怠ると凍傷などの状態異常にかかることもあるのだ。ギルドホームには防寒具一式が揃っているが、今はそれを取りに行く時間も惜しかった。防寒具の代金については払おうとする俺と固辞するサチの間に押し問答があったのだが、時間もないのでひとまず後日相談ということに落ち着いた。

 一応トウジとクラインに帰宅が遅くなる旨をメッセージで伝えておく。そうして手早く準備を整え、俺とアスナは再びサチの店を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 第58層、西の山。

 夜の帳が落ちた雪山の裾野を、星明りを頼りに駆け抜ける。周辺には俺たちが雪を踏む音だけが響いていた。俺とアスナ、2人だけの強行軍である。

 一面、白の世界だった。視界は悪くない。雪が降っていないのは幸いだったなと思いながらも、気を抜かずに山道を登る。

 目線の先、白く染まる山道にはぼんやりと光る足跡が点々と続いている。追跡スキルによって可視化したキリトの足跡だ。ランダムに行き先が決定される転移系トラップに掛かったのでもなければ、これを追って行けばキリトの居る場所へとたどり着けるはずである。

 

 後方にはピッタリとアスナが付いてきていた。敏捷性はアスナの方が高いはずなので、俺がどれだけ急いでも振り切ってしまうということはない。追跡スキルの他に索敵スキルを使用して周囲を警戒しながらも、俺はかなりの速さで走り続けた。

 モブとのエンカウントはなるべく避け、それでも避けられないものはアスナと2人で素早く処理する。それを繰り返しながら、2、30分ほどで山頂までたどり着いた。

 

 目の前に広がるのは、水晶の草原とも言うべきものだった。四方を氷壁に囲まれた広大な空間。山肌に積もった雪を突き破るように水晶の柱が突き出しており、それが一面を埋め尽くしている。この水晶群は一応破壊可能オブジェクトに分類されているので、道を塞ぐ邪魔なものは破壊しながら進んでゆくことが出来る。

 

 その神秘的な空間の中央。貪るようにして水晶へと頭を突っ込んでいる白い巨体の存在が目に入る。そいつは接近する俺たちの存在に気付いたようで、長い首をもたげてこちらに鋭い視線を向けた。

 

《ホワイトドラゴン》

 

 名前の通り、氷のように白い鱗を持つドラゴンである。そいつは背中の翼を大きくはためかせてその場から飛び立つと、上空でホバリングしながらこちらを伺うように見下ろした。俺はそんな白竜を見上げながら、内心首を傾げる。

 本来は第58層の北の村で受注できる《白竜討伐クエスト》でフラグを立てたプレイヤーだけが出会うことのできるフィールドボスである。そして当然だが今回俺たちはそのクエストを受注しているような余裕はなかった。

 

「ここに白竜がいるってことは……キリトたちが湧かせたけど、倒さずに途中で戦線離脱したってことか?」

「考えるのは後にしましょう。来るわよ」

 

 隣からアスナがレイピアを抜き放つ澄んだ音が響く。俺も頭を切り替えて、背中の槍を手に取って構えた。ひとまず白竜を倒さなければ、周囲の探索も出来ない。

 

 咆哮を轟かせながら、白竜が滑空する。真っ直ぐにこちらに向かってくる巨体を正面から見据えながら、俺たちはそれを迎え撃った。

 白竜の狙いは俺のようだ。隣のアスナには目もくれず、大口を開けてこちらに迫る。迫力だけは大したものだが、既に何度も同タイプのモブと戦ったことのある俺たちにとってはただの大振りな攻撃でしかない。俺は冷静に白竜の鼻先を石突でいなし、そのまま身を捻って跳躍しながらソードスキルを構える。

 狙うは左翼。その太い骨格の中心に、光を宿した槍を突き立てる。ほぼ同時、示し合わせたようにアスナも左翼へとソードスキルを叩き込んだ。その攻撃によって大きくバランスを崩した白竜が、錐揉みしながら落下する。

 

 《クロススタブ》と呼ばれる連携技だ。交差するようにソードスキルの入射角を合わせて同時に攻撃することにより、通常よりも大きく敵をノックバックさせることが出来る。判定が中々シビアな上に成功させてもダメージ量自体は変わらないのであまり使用されない技だが、白竜のような大型モブを相手取る際には割と役に立つ。それでも普通こんな打ち合わせもなしにいきなり発動させられるような技ではないのだが、そこは偏に卓越したアスナの剣捌きのお蔭である。

 

 群生する水晶の柱へと頭から突っ込んだ白竜は轟音と共に水晶の破片をまき散らしながら転がり、しばらく行ったところで静止した。舞い上がった粉雪が治まると、大きくダメージを負った白竜が視界に映る。

 ソードスキルよりも落下のダメージが大きそうだな、などと思いながらアスナと共にすかさず追撃を掛ける。左翼が大きく損傷しており、もはや飛ぶことは出来ない様子だった。

 ドラゴン系モブの最も厄介なところはその飛翔能力にある。地に落としてさえしまえば後は大味な攻撃ばかりなので、冷静に対処すれば苦戦することはない。その後10分ほどアスナと共にチクチクと攻撃し、俺たちは難なく白竜を撃破したのだった。

 

 青白いガラス片が舞い散る中、アスナと顔を見合わせながら一息つく。一応増援を警戒しつつ軽く周囲を見回したが、特に危険はなさそうだった。だが同じように辺りに視線をやっていたアスナが何かを見つけたようで、声を上げる。

 

「ねえハチ君、あれ……」

「ん?」

 

 アスナの示す先、そこにあったのは直径10メートルほどもある巨大な縦穴だった。水晶の草原のど真ん中に開いたその大穴は切り立った崖のようになっていて、縁に立っても底は見えないほどの深さがある。

 水晶の柱に囲まれるようにして存在するその大穴だが、よく見るとその一部がなぎ倒されるようにして道が出来ていた。俺たちの戦闘跡ではないはずである。

 まさか、という考えが頭を過り、俺は再び追跡スキルを発動してそこを調べる。すると大穴へと伸びるようにして出来た道に点々と光が灯り、そしてそれは崖の縁で途切れていた。その光景に俺は頭を抱えてため息をつく。

 

「なあ、アスナ。お前ロープか何か持ってるか?」

「……あるにはあるけど、さすがにあの穴の下まで届くような奴は持ってないわよ」

 

 俺の言動から事情を察したのだろう。言葉を返すアスナの顔は苦虫を噛み潰したようだった。しかし気を取り直すように1つため息を吐くと、真面目な表情を作ってこちらに向ける。

 

「キリト君とリズはこの下に居るってことでいいのよね?」

「ああ、ここから落ちたのはまず間違いない。そう言えばこの穴、白竜の巣って設定だったはずだ。フレンド欄の位置情報とも一致する」

 

 状況証拠だけだが、俺はそう判断した。水晶がなぎ倒されるようにして出来た道。大穴の縁で途切れた足跡。今キリトたちがいるエリアの名称。さすがにこれだけの情報が揃っていれば他に考えられない。

 

「足跡見る限りキリトは自分から突っ込んだっぽいな。鍛冶屋が白竜の攻撃で吹き飛ばされて、キリトはそれを助けようとした……ってところか」

「……2人ともちゃんと生きてるのよね?」

 

 俺の話を聞いていて不安になってきたのだろう。アスナがフレンド欄で再び2人の安否確認をしていた。確かにこの大穴に落ちて生きているなんてちょっと信じられない。おそらく何らかの方法で上手く落下の衝撃を和らげたのだろうが、やってみろと言われても俺は絶対に遠慮したい。

 隣で安否確認を終えたらしいアスナが一息ついた。そのフレンド欄の情報を横目に見ながら、俺は思考を垂れ流すように口を開く。

 

「《雪山地下坑道・白竜の巣》か……。多分この穴の下、ダンジョンの一部なんだ。けどここから落ちるのは明らかに正規ルートじゃない。その辺りが理由で帰って来れないんじゃないか?」

「なるほどね。ってことは私たちが正規ルートでダンジョンを降りて行ったら、2人を迎えに行ける?」

「多分な」

「ならダンジョンの入り口を探さないとね……。あ、けどその前に2人に私たちが助けに来たってこと、ここから伝えられないかしら」

 

 言いながら大穴の縁に立ったアスナが崖下を見下ろす。恐る恐る俺もその隣に立って下に目線をやったが、夜と言うこともあり奥は闇に覆われて何も見えなかった。一応アスナが大声で2人の名前を呼んでみたが、その声は暗闇の中に虚しく響くだけだった。

 

「まあここから大声出しても届かねぇよな……。紙とペンでもあれば何か書いて下に落とせるけど」

「そういうものは持ってないわね。何か私たちだってわかるものを適当に投げてみる?」

「下手な物投げてキリトたちにぶち当たったらオレンジカーソルにならねぇかそれ……。この高さからだと多分ダメージも馬鹿にならないぞ」

「それもそうね……」

 

 その後もあれこれと話し合ってみたが、妙案が浮かぶことはなかった。このままここで思い悩んでいても時間の無駄なので、俺たちは頭を切り替えて次の行動に移る。

 

「今は2人を迎えに行くことを優先するしかないか……。手分けしてダンジョンの入り口を探しましょう。とりあえずこの水晶のエリア一帯ね。私はこっちから見ていくから」

「ああ。わかった」

 

 言うが早いか、俺たちは分かれて周辺を探索し始めるのだった。

 正直この辺りに俺たちの探すダンジョンの入り口があるかどうかは微妙なところだったが、他に当てもない。雪山地下坑道という名称とあの大きな縦穴と繋がっているという点からこの山の何処かにダンジョンの入口があるだろうことは確定しているが、それでもこの山でプレイヤーの立ち入れるエリアはかなり広かった。最悪の場合、広大なエリアを虱潰しに駆け回って探索しなければならないだろう。

 まさか休日の夜にこんな時間外勤務をこなさなければならないとは……。キリトに会ったら絶対に文句を言ってやろうと決意しつつ、俺は周囲の探索を続けた。

 

 5分ほど経った頃だろうか。俺が水晶の柱を足場にしながら駆けまわっていると、後ろから声が上がった。振り返って見ると遠くでこちらに手を振るアスナの姿が目に入る。駆け足でそちらに向かうと、アスナの指し示す先、一際巨大な水晶の裏には地下に通じる階段があったのだった。

 

「前に来た時はなかった気がするな。どっかでフラグ立ったか?」

「そうね。とりあえず行ってみましょう」

 

 短くやり取りをして頷き合う。道幅は3メートルほどと槍を振り回すには若干不安な広さだったので、ひとまずアスナを前衛にして中へと入って行くことになった。

 石の階段は100メートルほど続いていた。周囲は崩落が起こらないように木の枠組みで補強されているものの、ほとんど土壁がむき出しの状態だ。等間隔でランタンが設置されていたので、視界はむしろ外よりも良いくらいだった。

 武器を構えて警戒して歩を進めていったが、モブが現れる気配はない。階段を下り終えて平坦になった道をしばらく進むと、大きく開けた空間に行き当ったのだった。

 

「これは……圏外村?」

「みたいだな」

 

 辺りを見渡しながらアスナと呟き合う。

 ドーム状の大きな空間に、煉瓦と粘土で固められた家々が並んでいる。こんな辺鄙な場所にある割りには、それなりの規模の村のように思えた。時間帯のせいかあまり数は多くないが、通りにもNPCの姿がちらほら伺える。間違いなく圏外村である。

 圏外村とは、その名の通りアンチクリミナルコード有効圏外に存在するNPCの集落のことだ。NPCの商店や宿が利用できる点は普通の村や街と同じだが、プレイヤー同士の攻撃が通る点、オレンジカーソルのプレイヤーやモブが侵入できる点などが異なる。まあ基本的にモブは故意に引き込みでもしない限り村には近づかないのでそれなりに安全ではある。NPCが自分たちで自警団のようなものを作っている村もあった。

 そこで俺たちは武器を納めて警戒を解いた。そしてこれからどうするか考えようとしたところで、後方から野太い声が上がる。振り返って視線をやると、そこに立っていたのはずんぐりむっくりとした体形のおっさんだった。

 

「こりゃ珍しいな。おめえら人間か?」

「え、あ、ひゃい」

「ここはティントの村だ。オラたちドワーフしか住んでねえが、まあゆっくりしてってくれや。村長は奥のデカい家にいるから、ちゃんと挨拶しとけよ」

「はあ……」

 

 全力でテンパる俺の様子は完全に不審者だっただろうが、NPCの小さなおっさんは気にすることなく頷くと、すぐに村の中へと歩いて行った。そのやり取りを横で見ていたアスナが、小さく笑い声を上げる。 

 

「ハチ君、すっごい挙動不審」

「……うっせ。急に話しかけてくるのが悪いんだよ」

「ごめんごめん、拗ねないでよ」

 

 最近それなりにコミュ力は上がったものの、未だに不意打ちには弱い。俺は気恥ずかしさを誤魔化すようにアスナから顔を背けてため息をつき、話題を変える。

 

「それにしてもドワーフの村か。確かにファンタジー系のゲームじゃ地下とか洞窟に住んでるのが鉄板だよな」

「そういうものなの?」

 

 リアルでは普段ゲームなどしてこなかったらしいアスナが首を傾げた。まあ俺もしばらくはスマホゲームばかりで言うほどコアゲーマーという訳ではないので、にわかゲーム知識で適当に説明してやる。

 

「鍛冶とかが得意な種族って設定だからな。だから鉱物とか石炭とかが採れるところの近くに住んでるんじゃねーの?」

「なるほど。じゃあ雪山地下坑道ってダンジョンもここから行ける可能性が高いわね」

「だな。とりあえずさっき聞いた村長の家とやらに情報収集に行くか」

 

 アスナから特に異議も上がらなかったので、そうして俺たちは先ほどのNPCが教えてくれた一際大きな家に向かって歩き出したのだった。

 先ほど見回した時は気付かなかったが、本当にこの村には人間が居ないようだ。すれ違うNPCは老若男女問わずに子供のような小さな身長で、しかしそれに見合わない肥大した筋肉を備えている。よくあるファンタジーのドワーフ像そのものだ。

 周囲を観察しながら村の中を進んで行く。NPCの種族が違う以外は特に普通の村と変わったところは見つからなかった。やがて目的の大きな家へと到着し、ノックもせずに俺たちはその扉を開いて中に入る。

 完全に不法侵入だが、このアインクラッドではこれが平常運転だ。プレイヤーのプライベートエリアでもない限りはノックをして伺いを立てるようなことはしない。最初こそその行為に何となく居心地の悪さを感じたものだが、最近ではもう慣れきってしまったのだった。

 

 村長の家は大きいとは行っても屋敷というほどではなく、中は部屋がいくつかあるだけで普通の作りになっていた。リビングルームらしき場所では白い顎髭を生やしたドワーフの老人が椅子に腰かけ、暖炉の前で寛いでいる。

 

「暖炉……こんな地下で酸欠にならないのかしら」

「……まあ、細けぇこたぁいいんだよ」

 

 そうしてさらに歩を進め、おそらく村長だと思われるドワーフの老人の前に立つ。すると老人の頭上に金色の【!】マークがポップした。クエスト開始点である証だ。

 とりあえず情報収集が目的だった俺たちは、そこで一度動きを止める。村長のように重要なポストに居るNPCは簡単なやり取りが可能なことが多いのでそれを当てにして来たのだが、クエスト開始点となると話は別だ。こちらから話しかければ、絶対にクエストについての会話になってしまうはずだ。

 

「クエスト……。討伐系ね。あ、ここ! 場所が雪山地下坑道ってなってる!」

 

 当てが外れたかと思いつつその場で表示されたクエストの詳細ログを眺めていたところ、不意にアスナがそう声を上げた。

 

「とりあえずこれ受領すれば場所はわかるっぽいな」

「だね。推奨レベルも62だし……あれ、そういえばハチ君って今レベルいくつ?」

「85だな。キリトと一緒だ」

「むっ、また離されてる……」

 

 確かアスナのレベルは82だったはずだ。それでも攻略組の平均レベルよりは高いはずだが、俺とキリトにまた差を付けられたのが気に食わないらしく顔をむくれさせている。いや、うちにはレベリング大好きな廃ゲーマーキリトさんがいるんでね……。

 

「まあレベリングは少人数の方が効率いいからな。また今度キリトがレベリング付き合ってやるから機嫌直せよ」

「そこは他力本願なのね……。というかハチ君も付き合ってよ」

「ああ、まあ、うん。気が向いたらな」

 

 そんなやり取りをしてから、俺たちは村長に話しかけてクエストを受領する。詳しい内容は後でクエストログを確認するとして、村長の話は適当に聞き流した。その後はすぐに村長の家を後にしたのだった。

 

 クエストの内容を簡単に説明すると、坑道内に住み着いた巨大な蟹のモンスターを討伐して欲しいというものだった。恐らくエリアボスクラスのモンスター討伐クエストだろう。まあ俺たちのレベルなら問題ないだろうということで、村長の家を出た後、早速クエストの詳細に記された場所へと向かった。

 予想通り、ダンジョンの入り口は村の内部にあった。どうやら坑道内に現れたというモンスターのせいで入口は閉鎖されていたらしく、一度門番らしきドワーフたちに呼び止められることになった。俺たちは既に村長の許可を貰っていたので一言二言交わしてから難なく通して貰えたのだが、恐らくクエストを受領してフラグを立てていなければ通せんぼを食らっていたのだろう。二度手間にならなくてよかった。そう思いながら、俺たちは《雪山地下坑道》のダンジョンへと入って行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン内の構造は割と単純なもので、細い通路をしばらく行くとモブとエンカウントすることもなくすぐにボス部屋らしき場所へとたどり着いた。

 そこで俺たちを待っていたのは鋼の甲羅を持つ巨大な蟹のモブ《フルメタルハガー》

 横幅15メートル以上もある鈍色の巨体は中々の迫力だった。唯一の弱点部位である瞳以外は攻撃してもほとんどダメージが通らないという敵で、狙えるポイントがかなり限られているために大人数のパーティで挑む場合にはかなり厄介な相手だ。

 まあ大人数のパーティが強みにならない代わりに、少人数のパーティであることが弱みになることもない相手である。その点では2人パーティの俺たちとは相性が良いと言ってもよかったかもしれない。

 

 ここまで大型の蟹のモブは初見だったため最初こそ慎重に見に回ったが、攻撃パターン自体は分かりやすい敵だったのですぐに攻勢に移り、特に苦戦することもなく撃破できたのだった。

 そこで「やっぱり副団長様は強いな」などと今さらながらに感心しつつ、さて改めてキリトたちを探すためにダンジョン攻略と行くかと意気込んだところである。野太い歓声とともに、何故かNPCのドワーフ数名がボス部屋へとやって来たのだった。

 

 

 

「どうしてこうなった……」

 

 ティントの村。その片隅にある会館。恐らくは宴会用に作られたのだろうホールの真ん中で座布団の上に胡坐をかきながら、俺はそう呟いた。

 目の前で行われているのは、ドワーフたちによる飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだ。坑道に住み着いた蟹のせいで鉱石が採取できずに最近は商売あがったりだったらしく、それを討伐してくれた俺たちに礼をしたい、という名目の宴らしい。酒の他にも、豪華な料理が足の短い長テーブルの上に並べられていた。

 蟹を倒した後、ボス部屋へと現れたドワーフたちにあれよあれよという間にここまで連れて来られ、気が付いたら宴がセッティングされていたのだ。俺とアスナを確保したあの筋力と敏捷性があれば絶対あの蟹自力で倒せただろお前ら。

 ちなみにこの宴は強制イベントらしく、既に何度か抜け出そうと試みたがドワーフたちに阻まれて失敗に終わっている。仕方なく隣の席に座っていた村長に話を聞いてみると、しばらく坑道の奥まで手を入れることが出来なかったので、今ドワーフの若い衆に安全確認をさせているらしい。1、2時間ほどでそれが終了するので待っていて欲しいとのことだった。

 

 早くキリトたちを迎えに行かなければと思いつつも、強制イベントとあっては抜け出すことも叶わない。仕方なく俺とアスナはこの飲み会へと参加することを決め、その席へと着いたのだった。

 「キリト君たちも今すぐ危険があるってわけじゃなさそうだし、ここは諦めて参加しましょう。どうせなら楽しまないと損だし」とはアスナの談である。前向きで結構だが、俺自身はこういった所謂「打ち上げ」の雰囲気は肌に合わない。リア充ってことあるごとに適当な名目で打ち上げをやるよな。あいつら何をそんなに打ち上げてるの? 弾切れにならないの?

 

 目の前のドワーフたちは本当にNPCかと疑いたくなるほど、美味そうに酒を呷っている。まあドワーフの酒好きはファンタジーではよくある設定だ。それについては別にいい。どうぞ勝手に飲んでくれと思うのだが、問題は俺とアスナの前に置かれたこの盃だ。

 恩人のためにとっておきの酒を用意したから、存分に飲んでくれと瓶ごと置いて行きやがったのだ。しかも「酒が無くなるまで宴は終わらんぞ!」的なことを言い残していった。

 「もしかしてこれ飲まないとイベント終わらないんじゃない……?」というアスナの呟きは恐らく間違っていない。なんて面倒なイベントなのか。というか飲酒を強要するとかこのご時世パワハラで訴えられるぞ。ましてやこっちは未成年である。

 と、文句を言ったところで問題は解決しない。仕方なく目の前に置かれた瓶を飲み干すという結論に至ったのだった。まあ現実世界の肉体に悪影響があるわけではないので、そこまで構える必要もないはずだ。

 この世界の酒は、少し特殊である。プログラム的には人間を酔わせる要素は含まれていないらしいのだが、プラシーボ効果と言っていいのかノーシーボ効果と言っていいのか「酒を飲んだ」という思い込みによって酔うのである。まあビールだと言って泡立ち麦茶を出したら人は酔うという実験を耳にしたこともあるので、仮想世界で味も匂いも完全に酒の飲み物を飲んだ時に酔うということも驚くようなことではない。一応仮想世界での酔い方には個人差があるようで、実際に酒を飲んで酔ったことのない人間は酔い辛いと聞いたことがある。

 ちなみに最初は瓶から酒を捨ててしまおうかとも思ったのだが、隣に座る村長に恐ろしい形相で睨まれて断念した。下手をしたら戦闘イベントになりそうな勢いだった。

 

「ほら、やっぱりこういうのって男の子の方が得意じゃない? 私お酒なんて飲んだことないし……」

「俺だってないっつーの。せめて半分ずつにしてくれ。そうすりゃ大した量じゃないだろ?」

「ちょっと、女の子酔わせてどうするつもりよ」

「安心しろ。お前が酔っても絶対何もしない自信がある」

「なんかそれはそれで納得いかない」

 

 というやり取りがあり、結局半分ずつに分けることになったのだった。

 そうしてアスナと形ばかりの乾杯をして、その酒に口を付けた。ドワーフの持ってきた酒と言うことで警戒していたが、口当たりは優しく何か果実の甘い味がする飲みやすい酒だった。ただ鼻から抜ける酒精の香りはそれなりに度数が高い酒を想起させた。

 ちゃっちゃと飲んでイベントをこなしてしまおう。大した量ではないし、ここをすぐに終わらせればキリトたちを迎えに行ってそうそう遅くならずに帰れるはずだ。

 そう思っていたのだ。さっきまで。

 

「どうしてこうなった……」

「なによー。はちくんきいてるー?」

 

 再び頭を抱えるように呟いた俺の隣、そこには顔を真っ赤にして若干呂律の回らなくなった口調で絡んでくるアスナの姿があった。

 まさかこいつがこんなに酒に弱く、しかも悪酔いする性質だったとは……。「あ、これ意外とおいしい」などと言って1、2杯を一気に呷っていたのが良くなかったのだろう。既に酒は取り上げたが、しばらくはこの調子かも知れない。

 

「だいたいねー、ズルいのよー。はちくんときりとくんばっかりいつも一緒でさー……。そうやっていつもわたしのこと仲間はずれにしてー」

「ああ、うん。そうだな」

「別に血盟騎士団に不満があるわけじゃないのよ? みんないい人ばっかりだし……あ、けどゴドフリーはちょっとデリカシーが足りないかなって思う時があるけど」

「うんうん。そうだな」

 

 適当に頷きながら、アスナの話を聞き流す。こいつも色々溜まっているものがあるんだろうなとは思うが、絡み酒は勘弁して欲しい。そんな酒乱キャラは某アラサー女教師だけで十分だ。いや、平塚先生の酒乱キャラは単なる俺のイメージなのだが。

 

「ちょっと、さっきからちゃんと聞いてる? んくっ、んくっ……」

「おい、お前その酒どこから出した!? もうそれ以上飲むなって!」

「あ、勝手に取らないでよー!」

 

 宴会場の何処からか調達したらしい酒を呷るアスナを止め、それを奪い取る。しばらく酒を求めて暴れていたが、やがて大人しくなるとボソリと呟いた。

 

「はちくんもさー、最近何か冷たいわよねー。元気もないしー」

 

 じっとりとした目線を俺に向けるアスナ。そしてしなだれかかるようにしてこちらに身を寄せ、耳元で口を開く。

 

「何か悩んでるんでしょ? 話しなさいよほらほら」

「いやマジ勘弁してください。いやホント自分お金持ってないんで」

 

 適当なことを言いながら俺はアスナと距離を取る。その対応が不服だったのか、アスナはむくれっつらになってこちらを睨み付けた。

 

「ハチ君のそういうところ、私よくないと思うの。もっと私たちを頼ってくれてもいいんじゃない? 仲間でしょ?」

「……仲間、ね」

 

 アスナの言葉に、俺は少し冷めた気分になって呟く。その呟きに何か不穏なものを感じ取ったのか、アスナは焦ったように口を開いた。

 

「な、何よ。違うっていうの……?」

「い、いや、俺もそう思ってるけど……言わせんな恥ずかしい」

 

 捨てられた子犬のような表情を浮かべるアスナにそう返す。命を預けられるほど信頼している相手を仲間と呼ばずして何と呼ぶのか。そうは思うが、こうして口に出すのはやはり気恥ずかしかった。

 だが――と、纏まらない頭で考える。俺も少し酔っているのかもしれない。普段ならば口にしなかっただろう不安の欠片を、ぼそりと呟いてしまったのだった。

 

「けど俺たちって、現実(リアル)じゃ会ったこともないんだよな……」

「……ふぅん。ねえ」

 

 何かを察したような表情を浮かべたアスナが、居住まいを正すようにして俺の正面に座り直す。フローリングの床に置かれた紅い座布団に綺麗に正座した姿は気品があり、どことなくアスナの育ちの良さが窺えるようだった。

 

「私、本名は結城明日奈っていうの。16歳。世田谷在住。小中学校は女子校で――」

「お、おい。どうしたんだよ急に」

「いいじゃない。聞いてよ」

 

 急に妙なことを口走り始めたアスナを俺は止めようとしたが、彼女はそれに構わず話を続ける。

 

「お母さんが厳しくてね。中学校もそれなりに良い女子校に通ってたの。テストの成績が全て、みたいな学校。ずっとそんなところにいたからさ、私にとっても成績が全てで、それ以外は無価値だった。だから成績の悪い、努力しない人たちを陰で見下してた。友達も全然いなかったし、今思えばホントに嫌な子だったと思う」

 

 流暢に話すアスナからは先ほどまでの酔いの雰囲気は感じられず、真面目な表情で話していた。伏せた視線は何処か遠くを見つめているようで、過去の自分に思いを馳せているのだろうことが窺えた。

 どうしてそんな話を俺に、という疑問はひとまず胸の奥に押し込んだ。アスナがこれほど真剣に話を切り出したのだから、きっと何か意味があるのだろう。

 

「このSAOに閉じ込められた時、絶望したわ。私がここで無為に時間を消費してる間に、同世代の子たちはどんどん成績を伸ばしてって、私は置いて行かれちゃうんだって。自分の価値が無くなっちゃうって、そう思ったわ。だから最初は、早くゲームを終わらせなくちゃって必死だったの。少しでも早く後れを取り戻すために、私の価値を取り戻すために……」

 

 俺はSAOが始まったばかりの頃のアスナの姿を思い出していた。張り詰めた雰囲気で身を切るように攻略に邁進する彼女の姿に、鬼気迫るものを感じていたのを覚えている。あれは1つの正しい人の姿だったのだろうが、いずれ訪れる破綻は目に見えていた。だからこそ俺も慣れない忠告を繰り返した。

 そこで視線を上げ、アスナが柔らかい表情を浮かべる。そうして自嘲するように言葉を続けた。

 

「まあ、誰かさんたちのお蔭で今じゃもう色々馬鹿らしくなっちゃったんだけどね。私が今まで無価値だって切り捨てて来たものも、本当はすごく大切なものなのかもって気付いちゃったから」

 

 それは1つの挫折とも言うべきものだったのかもしれない。最後までそうして駆け抜けることが出来たのなら、それに越したことはなかったのかもしれない。だが、後悔はないとでも言うように顔を上げたアスナの表情は随分と晴れやかなものだった。

 

「自分の視野の狭さに気付いて色んなことに目を向けるようになってからは、すごく気が楽になったわ。友達も増えて、毎日がすごく楽しくなったの」

 

 言って、アスナは一息つく。少し声を落としながら、彼女は再び少し視線を伏せた。

 

「このゲームで手に入れたものは、私にとってすごく特別で大切なもの。だからアインクラッドの攻略が後半に差し掛かって、少しだけゲームクリアが見えて来た時怖くなったわ。ゲームが終わったら、私たちの関係ってどうなっちゃうのかなーって……。良い成績を取ること以外何もなかった私に戻っちゃうのかなって……」

 

 アスナの瞳が、俺を見つめる。怯えと、少しの期待を内に孕んだ瞳だった。

 

「ハチ君はさ、現実世界の私の話を聞いて、失望した? もう一緒に居たくないって、そう思った?」

「……んなわけねぇだろ」

「よかった……。じゃあ――現実世界に帰っても、一緒にいてくれる?」

 

 宴の喧騒の中、アスナのその声だけが凛と響いたような気がした。陰りのない大きな瞳。俺はやがてその視線に耐えられなくなり、逃げるように目を伏せた。

 

 こいつは、きっと気付いたのだ。俺の抱える心の澱、その正体に。

 だからそれと近しい不安を抱える自分の心情を吐露してみせたのだ。嘘ではない。だが、その根底にあるのはきっと俺に対する気遣いだ。

 なんと利発で情の深い女の子なのだろう――そして、だからこそ俺は感じてしまう。

 そんな人物の隣に立っている、自分という存在の不自然さを。

 

「違うんだよ……。前提から間違ってるんだ……」

 

 気づくと、唸るように言葉を発していた。

 

「俺は……本当の俺は、お前らが思うような奴じゃない」

 

 隣のアスナが、首を傾げる。俺はそれに構わず吐き捨てるように言葉を投げかけた。

 

「お前やキリトみたいに、誰からも愛されるような資質を持った人間じゃない。むしろ正反対、現実世界じゃスクールカーストの最底辺だ。俺は本当は、居ても居なくてもいいような奴なんだ。本来お前らみたいな奴と一緒にいるような人間じゃないんだよ」

 

 溢れ出した言葉はもう止まらなかった。ため込んでいた不安、苛立ち、自己嫌悪、ぐちゃぐちゃになったよくわからない感情が、頭の中でグルグルと回っている。

 

「この世界の俺は、偽物だ……。《風林火山のハチ》なんて嘘っぱちだ。高いレベルとステータスを笠に着て、大物ぶってるだけの痛い奴なんだ。リアルの俺に期待なんかするな。お前は何もわかってない。本当の俺は――」

「本当のハチ君って、なによ」

 

 感情を吐き出すように声を荒げる俺を、アスナの一言が制止した。呟くような一言が、しかし有無を言わせぬ響きがあった。

 再びアスナと視線が交差する。俺を見つめるアスナの表情には何故か怒りが滲み、詰め寄るようにして言葉を発した。

 

「今まで私と一緒に戦ってくれたハチ君は、偽物だったの? 命懸けの戦いが、嘘っぱち? かけてくれた言葉も? 辛かった時のことも? 私たちと過ごした時間が、全部偽物?」

 

 白い細腕が、乱暴に俺の胸倉を掴んだ。同時に色素の薄い大きな瞳がこちらを睨み付ける。

 

「――馬鹿にしないで」

 

 そのアスナの声は、震えていた。怒りなのか、悲しみなのか、潤んだ瞳は叱りつけるように俺だけを映していた。

 

「私はそんな薄っぺらい偽物に騙されるほど馬鹿じゃないわ。あなたのレベルが高いから、あなたが強いから、あなたに助けられたから、そんな理由で私はあなたを信頼したわけじゃない。私は私の目で見てあなたを信じたの。私が信じたハチ君は、絶対に偽物なんかじゃない! 私を……私たちの関係を、馬鹿にしないで!」

 

 捲し立てるように言い切ったアスナが、少し距離を取る。その言葉に打ちのめされた俺は、何も言い返すことが出来なかった。やがて語気を和らげたアスナが再び口を開く。

 

「確かにこの世界と現実世界は色んなことが違うわ。帰れば私たちの関係も違ったものになるかも知れない。でもだからって、ここであったことが全部嘘になる訳じゃない。それに、変わらないものもあるわ」

 

 震える声で、しかし揺るぎない意志を感じさせるように、アスナは言葉を続ける。

 

「現実世界のハチ君がどんなに頼りなくて情けなくても、私はあなたを信じてる。仲間を信じ続けられる自信がある」

 

 そう言い切ったアスナから、俺はもう目を逸らすことが出来なくなってしまった。そのまましばらく無言のままアスナと見つめ合う。

 やがて我に返ったように動き出したのはアスナだった。潤んだ瞳を隠すように目を擦り、俺の席の前に置いてあった盃をひったくるようにして奪い取る。俺が声を上げる間もなくそれを一気に呷ると、大きく息をつくのだった。

 

「だいたいねー、今さらなのよ。ハチ君が全然友達の居ないジメジメ陰湿な根暗なオタクだなんてみんな知ってるんだから」

「いや、俺もそこまでは言ってないんだけど……」

 

 ヤケ酒を煽って愚痴るアスナが、うなだれたままこちらを睨み付けた。そして俺の制止も聞かずに手酌で再び杯を煽る。気付くと、渡された酒は全てなくなっていた。

 フラフラとしながらアスナが目の前に置かれたテーブルに突っ伏す。眠そうに眼をしばたかせながら、ボソボソと言葉を呟いた。

 

「みんな知ってるのよ……。みんな知ってて、それでも……そんな、ハチ君のこと……が……」

 

 一拍おいて、アスナは健やかな吐息を立て始めた。これだけ酔っていれば無理もない。俺は脱力して、アスナのだらしのない寝顔を見つめた。

 宴の喧騒の中、しかしどこか静かな時間が俺たちの間を過ぎて行く。ドワーフの村長が宴の終了を宣言するまで、俺はアスナの寝顔をただただ眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 酔いつぶれたアスナを近くの宿屋のベッドへと運んだ俺は、大きく息を吐いた。明かりを消した個室の窓からは外灯の光が差し込み、健やかな吐息を立てて眠るアスナの顔を優しく照らしていた。

 アスナは戦闘用の装備のまま寝入ってしまったので若干寝苦しそうだったが、さすがに俺が着替えさせるのは障りがある。我慢してこのまま寝て貰おうと思いながら、その寝顔を眺めた。

 白い肌に、上気した頬。さらりとした栗毛が目元にかかり、小さく影を落としていた。

 

「――ありがとな」

 

 ベッドに腰かけ、眠るアスナの前髪を梳かすように頭を撫でる。くすぐったそうにして身じろぎするアスナを眺めながら、俺はしばらくの間そうしていた。起きている時にはこんなこと絶対に出来ないが、今だけはと酔いを言い訳にして衝動に身を任せた。

 これだけ心穏やかにいられるのは、いつ以来だろう。

 不安が全てなくなったわけではない。完全に納得したわけでもない。酒の席での戯言といってしまえばそれまでだ。

 だが、俺は浅ましくもこの少女の言葉に希望を見出してしまった。頭ではなくもっと心の深いところで、彼女の気持ちを痛いほど感じ入ってしまった。俺のために怒ってくれたアスナの言葉は、俺の中にあった心の澱を確かに掬い上げてくれた。

 仲間の言葉1つで救われてしまうなんて案外俺も単純だよなと自嘲気味に考えながら、小さくため息を吐いた。

 

「よしっ、行くか」

 

 立ち上がり、気持ちを切り替えるように頬を叩いた。アスナは寝入ってしまったが、まだキリトたちを迎えに行くという仕事が残っている。俺1人でも行くしかないだろう。まあ正直今は1人で頭を冷やしたい気分だったので丁度よかった。というか今アスナが目を覚ましでもしたら気恥ずかしさで死ねる。

 俺は最後にもう一度だけベッドの上のアスナを見やり、部屋を後にする。圏外村でも宿の中は鍵をかけておけるので安全である。戦闘の準備も万全だったので、俺はすぐに雪山地下坑道のダンジョンへと向かった。

 

 キリトにもいずれ、全て話そう。抱えていた不安。苛立ち。その心の澱を全て。

 きっと最初からそうするべきだったのだ。望む答えが得られるとは限らないが、きっと今より前に進むことは出来るだろう。随分遠回りをした気がするが、あの少女のお蔭でやっと正解にたどり着けた気がする。

 

 ダンジョンを進む足取りは軽かった。そして通路は狭いが、道行きは明るい。NPCに聞いた話では白竜の巣までそれほど長い道のりではないようなので、あまり時間を掛けることなくキリトたちを迎えに行けるだろう。

 今日の時間外勤務について、キリトには文句を言ってやるつもりだった。だがまあ、今回だけは勘弁してやるか。

 軽くなった心で、俺はそんなことを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――後日。

 

「あー、わかるわかる。ネトゲ友達とオフ会で初めて会うのってハードル高いよな。まあ、俺たちはただのネトゲ友達ってわけでもないし別に問題な――ん? どうした、ハチ?」

「……いや、なんかお前の話聞いてたら悩んでたのがスゲー馬鹿らしく思えてきた。とりあえず一発殴らせてくれ」

「なんでッ!?」

 

 俺が長い間抱えていた不安は、最終的にキリトとのそんなやり取りでおおよそ払拭されてしまったのだった。


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