やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第30話 心の澱

「やっぱり先越されてたかー……。途中結構トラップで時間食ったのがまずかったなぁ」

「別に競争してたわけじゃないでしょ。目的のインゴットも見つかったみたいだし、よかったじゃない」

「まあそうだけどさー」

 

 不貞腐れた表情でそう口にするキリトを、呆れ顔のアスナが宥める。先ほどエリアボスと対峙した大部屋の端に腰を下ろし、俺たちはお互いの状況報告をしていたのだった。キリトは拳銃を使うスケルトンのエリアボスに興味津々で、実際に戦ってみたかったようだ。筋金入りのゲーマーだな。

 エリアボスは俺とフィリアが討伐したが、キリトたちも俺たちとは別ルートで色々と収穫はあったらしい。結果的にほとんど別行動になってしまったので分配の話は改めてすることになったが、それはとりあえず街に戻ってからと言う話になった。

 

「じゃああらかた目的も達成したし、もう撤収ってことでいいか?」

「ああ。今日はマジで疲れたから、さっさと帰りたい」

「ハチはいつも同じこと言ってるけどな」

「いや、今日はマジでヤバイんだって。どのくらいヤバイかっていうと、マジヤバイ」

「ごめん。全然伝わらないんだけど」

 

 キリトとそんな馬鹿なやり取りをしながらも、ゆっくりとその場から立ち上がる。ちなみに狩りから帰る時は基本的に徒歩だ。転移結晶はそれなりに高価なので、緊急時以外はあまり使うことはない。そう考えるとチンピラたちに3つ渡してしまったのは中々の痛手なのだが、まあ人の命には代えられない。

 若干フラフラとしながら立ち上がった俺を、フィリアが気を遣って支えてくれる。それに少しドギマギしつつも、大丈夫だと断りを入れようとしたところで、訝し気なアスナの視線がこちらに突き刺さった。

 

「……ねえ。ちょっと2人、なんか距離が近くない?」

「あ、いや……ハチ、さっきのバトルで本当に疲れてるみたいだったから、ちょっと肩を貸してるだけで……」

「そう。なら、わた……キリト君に変わってもらった方がいいんじゃない? フィリアも疲れてるでしょ?」

「え、あ、うん」

「まあ俺も構わないけど、そうするとこの先のモブはどうする――って、噂をすればだな」

 

 キリトがそう言って視線を向けた先には、カタカタと骨を鳴らしながらこちらへと歩いてくるスケルトンクルーの姿があった。まだかなり距離はあるが、俺たちを狙っているのは明らかだ。

 4人で、顔を見合わせる。正直なところ未だにかなり体がしんどいので戦いたくはない。そんな俺の意志が通じたのか、アスナは大きく息を吐くと腰に差したレイピアを鞘から抜き放った。

 

「……この状況だと、私とキリト君で戦うのがベストよね。ごめんねフィリア、やっぱりハチ君のことお願い出来る?」

「う、うん。任せて」

 

 頷くフィリアを認めると、アスナはキリトと声を掛け合ってスケルトンクルーへと向かって行った。そして数十メートル行ったところで剣を交え始める。あの2人なら5分も掛からずに敵を倒すことが出来るだろう。

 俺を支えるフィリアの横顔を、ちらりと盗み見る。凛とした目鼻立ちに、少し朱の差した頬が妙に艶めかしい。しかしそんな色ボケした思考を振り払い、俺は意を決して口を開いた。

 

「あー……フィリア、ありがとうな」

「いいよいいよ、全然このくらい」

「いや、今のことだけじゃなくて。ボス戦の時のこととか……いや、それだけでもないんだけど……まあ今回のこと、色々助かった」

 

 先ほどはキリトとアスナの登場によって遮られてしまったが、ようやくそう口にすることが出来た。

 今回のダンジョン攻略、本当にフィリアの存在に助けられたと思う。あれだけ清々しい気分でエリアボス戦を制することが出来たのも、彼女のお蔭だと思っている。

 しかし本人にとってはそんな俺の言葉が意外だったのか、フィリアは焦ったような表情を浮かべていた。

 

「ちょっ、止めてよ、急に改まって……。ていうか私の方が色々助けられたし……」

「いやまあ、俺はレベル的に出来ることだけやってた感じだし。お前はエリアボスの相手とか、かなり無茶してくれただろ」

「……アレを『出来ること』って割り切れちゃうハチもかなり凄いと思うけど」

 

 呆れたように、フィリアが呟いた。まあこれはレベル帯が違うと理解しづらい感覚なので、無理にわかって貰おうとは思わない。そうして俺が曖昧な表情で返すと、次いでフィリアが再び口を開いた。

 

「まあ私の方もちょっとハイになって柄じゃないことしちゃっただけというか……。あの場のノリというか……。だからホントに気にしないで」

 

 そう言って、フィリアは苦笑を浮かべる。素直に礼を受け取ることが余程居心地が悪いのか、一拍置いてからさらにまくし立てるように言葉を続けた。

 

「何て言うかさ、一種のロールプレイって言うのかな。仲間のために命張るなんてカッコいいこと、現実世界の私じゃ出来ないけど、SAOのフィリアになら出来る、みたいな?」

 

 少し茶化したようにそう口にした彼女は、やがて心なしか遠い目をして軽く息をついた。そんなはずはないのに、何故かその瞳は俺を見透かすようにこちらを覗いている気がして、俺は息を詰まらせる。

 

「現実世界の何も出来ない私じゃない。ここでなら、SAOのフィリアになれるの。……って、ごめん! 何言ってんだろ私――」

 

 そう言って笑うフィリアは、気恥ずかしさを誤魔化すように更に話を続ける。しかし、その声は最早俺の耳には入っていなかった。

 

 『現実世界の何も出来ない私』

 

 その言葉が、耳の奥でゆっくりと木霊する。やがてそれは、俺の心の奥深く、澱のように沈み込んでいたものを浮かび上がらせた。

 

「あれ? ハチ、どうかした?」

 

 黙り込む俺の様子を妙だと思ったのか、いつの間にかフィリアが気遣わし気にこちらを覗き込んでいた。我に返った俺はかぶりを振り、なるべく不自然にならないように口を開く。

 

「……いや、お前が言ってること、よくわかると思ってな」

「え、それって――」

「おーい。終わったぞー」

 

 フィリアの言葉を遮って、キリトの声が大部屋に響く。見ると、戦闘を終えて剣を収めた2人がこちらに向かって軽く手を振っていた。

 

「……行こう」

「あ、うん」

 

 言って、フィリアの肩を借りながら歩き出す。

 その後俺の体力が戻るまでにはしばらくの時間を要し、結局戦闘に参加することは出来なかったが、モブはキリトとアスナによって迅速に処理されていった。トラップの類も一度来た道を戻るだけなので特に脅威になることはない。それなりに時間は掛かったが、問題なくダンジョンの出口へと辿り着くことが出来たのだった。

 こうして長かったダンジョン攻略はようやく終わりを告げ、俺たちは潮騒洞窟を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ、フィリアちゃんは無所属なのか。ならうちのギルドなんかどうだ? ハチたちとパーティ組んでたってことは結構レベルも高いんだろ?」

「えっと、私は……」

「クライン、フィリアが困ってるだろ。そもそも今日は飯だけって話で連れて来たんだから、そういう話はなしだ」

「わりぃわりぃ。ま、気が向いたら仮入だけでもいいから声かけてくれよ」

 

 風林火山のギルドホーム。そのダイニングで食事の席に着きながら、クライン、フィリア、キリトの3人はそんなやり取りを交わす。フィリアは少しだけ気まずそうに苦笑いを浮かべていたが、キリトからの牽制が入ったおかげか、その後は始終穏やかな雰囲気で食事を勧めていた。

 ダイニングには他に俺を含めた風林火山のメンバーが数名と、アスナが食卓を囲むようにして席に着いている。時刻はまだ6時前だったが、少し早い夕飯ということでここで食事を取っていた。

 

 潮騒洞窟から無事帰還し、既に3時間程が経っていた。

 サチと共同で武具店を経営しているという女鍛冶師に依頼し、既に武器の生成も済ませてある。その結果、現状アインクラッドにはこれ以上の槍はないだろうと断言できるほどのステータスの武器が完成した。槍の性能が高すぎて要求筋力値がギリギリでヒヤっとしたほどだ。

 その後はフィリアも含めて打ち上げがてらみんなで飯でも、という話になった。最初は俺とキリトが第一層で良く行くレストランにでも行こうと思っていたのだが、そこでたまたま通りかかったクラインに捕まって「飯? そんならうちのギルドで食ってけよ! うちの給食担当の飯は美味いぜ?」という誘いがかかり、何故か風林火山のギルドホームで夕食を食べることになったのだった。

 まあ、確かにうちのギルドの給食担当の料理は美味い。料理スキルのレベルが高いので、下手な店で食べるよりも味は確かだ。だが、さすがに知らないギルドのホームで飯を食うのには抵抗があるのではないかとフィリアに気を遣って俺は断る流れを作ろうとしたのだが、意外とフィリアがうちのギルドに興味があったようで、そのままトントンとここまで至ってしまったのだった。

 

「まーたハチはそんな無茶やらかしやがったのか……。フィリアちゃんも大変だったろ?」

「あ、いえ。私も好きで付き合ってたので」

 

 今日のダンジョン攻略について詳しい話を聞いていたクラインが、呆れたように呟く。「無茶」とは、潮騒洞窟最深部でのエリアボス戦の話だろう。キリトやアスナも同意するように頷いていたが、話を振られたフィリアは食事の手を止めて、俺を庇うようにそう口にした。

 

「つーか今回のことは不可抗力だからな。あの状況で全員生き残るにはあれが一番よかったんだよ」

「全員って、噂のチンピラたちも入れてってことか? 大量のモブ引っ張ってきたのもそいつらなんだろ? 自業自得なんだからそんな奴らほっとけばいいんだよ」

 

 いつも割と無茶をしている自覚は少しあるが、今回のことに限って言えばそれなりにベストを尽くしたつもりだった俺はそう抗議したが、クラインはバッサリと俺の言葉を切り捨てた。冷たいようだが、クラインの言うことは正論だ。俺もそれ以上言葉を継ぐことは出来なかった。

 

「まずは自分の命を第一に考えろ。ハチが死んじまったら、オレは泣くぞ?」

「大の大人が情けないこと言うなよ……」

 

 キメ顔でそんな情けないセリフを口にするクラインに、俺はそう言ってため息を吐いた。俺の身を案じてくれていることについては嬉しいが、それを悟られるのも何だかこそばゆい。ゆえに俺は憎まれ口をたたくように言葉を続けた。

 

「まあ、今回のことは勝算があったからやっただけだ。知らない奴のために命懸けたりなんかしねえよ」

「だといいんだけどなぁ……」

 

 遠い目をしてそう呟くクライン。そこまで黙って話を聞いていたキリトとアスナの2人だったが、やがてそれを宥めるように口を開いた。

 

「まあ、結果良ければ全てよしだろ。いつもは俺も付いてるしな。今日は色々とイレギュラーが重なっちゃったけど」

「そうね。私たちがもっと早く合流出来てれば、もう少し余裕もあっただろうけど……。フィリアが一緒にいてくれてよかったわ」

 

 そこで話が一段落付く。

 全員、食事をあらかた食べ終えたようで、各々のんびりと食後の珈琲などを楽しんでいた。俺もアイテムストレージからMAXコーヒーもどきを取り出し、それをマグカップに注いでチビチビと口にする。隣のフィリアが少し羨ましそうな顔をしていたので、昼食の時と同様一本おすそ分けしておいた。アスナもそれが気になったようで、せがまれてコップに少し注いで分けてやったが、それに口を付けるや否や顔を歪めて「甘ッ!?」と叫んでいた。お気に召さなかったらしい。

 

「何よこの砂糖の塊……珈琲に対する冒涜よ……」

「そ、そこまで言うか。まあ、俺もあんまり好きじゃないけど」

 

 アスナの呟きに、キリトが苦笑いを浮かべる。風林火山の面々は試作の段階で既に何度も試飲しているので、MAXコーヒーもどきの味は大体知っていた。

 そんな一幕を経てそろそろこの場もお開きかなと俺が考えたところに、クラインが思い出したように話を切り出す。

 

「で、新しく作った槍っての見せてくれよ! 相当強いんだろ?」

「今ところ間違いなくゲーム内トップの性能でしょうね。作った本人、リズも驚いてたくらいだもの」

 

 クラインとアスナの言葉に、俺に視線が集まる。特に断る理由もなかったので、俺はストレージを漁ってすぐに件の槍を取り出した。クラインがテーブルの食器を脇に避け、スペースを作る。この場全員の注目が集まる中、俺はそれをテーブルの中心に置いたのだった。

 

《フェイクネスピアス》

 

 穂から石突に至るまで、澄んだ青の色彩を発する槍だった。華美な装飾こそされていないが、シンプルな中に妙な気品の漂う一品である。

 

「おおっ、やっぱこれくらいのレアリティになるとかっけぇな……! って、重ッ!?」

 

 恐る恐るという様子で槍に手を伸ばしたクラインが、そう口にする。俺でさえ要求筋力値がギリギリの槍だ。クラインでは持つだけでも一苦労だろう。クラインはゆっくりと槍をテーブルへと戻し、大きく息を吐いていた。それを見ていたキリトも、少し興奮したように小さく唸り声を上げる。

 

「まだ+4なのにこのステだろ? いいなぁ、俺もどこかでインゴット手に入れて作って貰いたいなぁ」

「キリト君は50層のLAボーナスがあるでしょ? あれも相当強かったわよね?」

「いや、あれ装備するにはまだ筋力値が足りないんだよ。最近は筋力値極振りにしてるんだけど、それでもあと3レべルくらいは上げないと……」

「ならレベリング頑張らないとね。あ、それなら明日、何処かレベリングに行かない? ねえ、ハチ君も」

「え? お、おう」

 

 ぼやくキリトを宥めていたアスナが、急にこちらに話を振る。あまり話を聞いていなかったので、俺は適当に頷いておいた。それに対しアスナは少し訝し気な表情を浮かべていたが、そんな俺に助け舟を出すように、エントランスからこちらを呼び掛ける声が響いたのだった。

 声の主は割と古くから居るギルドメンバーの男だ。エントランスへと続くドアから顔を覗かせ、俺と目が合うとそこで手招きをしながら口を開いた。

 

「ハチにお客さんだってよ。男の3人組で、今日潮騒洞窟ってダンジョンでお世話になったとか何とか」

 

 その言葉に、団らんとしていたダイニングの雰囲気が変わる。心当たりは1つしかなかった。隣に座っていたフィリアが、俺の服の裾を掴みながら不安気な表情を浮かべる。

 

「……ハチ」

「……ああ。1人で良い。圏内だし、滅多なことはないだろ」

 

 そう言って、俺は席を立った。念のためテーブルの上に置いてあった槍を手に取り、いつでも構えられるように背中へと納める。クラインやキリトなどは何か言いたげな顔をしていたが、声を掛けられる前に俺はさっさとエントランスへと向かった。

 正直居留守を使っても良かったのだが、こういうのはしっかりとケリを付けておいた方が後々楽だということもある。放置しておいてギルドに迷惑を掛けるのも避けたかった。

 そんなことを考えながら、そこそこの広さになっているエントランスを横切って玄関の前に立つ。特に警戒する必要もないだろうと、俺は押戸となっている扉に手を掛けてすぐにそれを開いた。

 日も落ちて人通りが少なくなった始まりの街。玄関の先、石畳の通りに立っていたのは、やはり今日潮騒洞窟で出会ったチンピラたちだ。俺が転移結晶を渡した3人で、あとの2人は目に入る範囲には居ないようだった。

 さすがにいきなり襲い掛かって来るような様子はない。俺はうんざりする気持ちを抑え込みながら、口を開いた。

 

「やっぱお前らか……。何かよ――」

「すみませんっしたッ!!!」

「……は?」

 

 俺の言葉を遮って、3人が揃って頭を下げた。その光景に呆気に取られている俺を余所に、チンピラの1人が話を始める。

 

「風林火山のハチさんッスよね? 昼俺たちと潮騒洞窟で会った」

「え、お、おう」

「自分、ウォルラスっていいます。こいつはフリー。こいつはゲフャッハーっていいます」

 

 そう言ってそれぞれ頭を下げる。……いや、最後の奴の名前、何て発音したの?

 

「潮騒洞窟でのこと、本当にすみませんでした。色々、目ぇ覚めたッス。俺ら、ハチさんたちにあんだけ迷惑なことしたのに、あの土壇場で貴重な転移結晶まで貰って助けて貰って……」

「自分らが、どんだけ思い上がってたのか、思い知らされたッス……。自分で自分が情けなくて……」

「俺らで話し合って、ここに来たッス。せめてけじめだけはつけとこうって」

 

 チンピラたちは神妙な顔でそう捲し立てるが、イマイチ話の内容が頭に入ってこない。っていうかなんか頭の悪い運動部みたいな話し方だな。そもそも俺こいつらに名前教えてないんだけど、わざわざ調べて来たのか?

 

「転移結晶は、すぐには無理だけど、いつか返します! ホントすみませんっした!!」

 

 俺が余計なことに頭を働かせていると、先頭に立ったチンピラがそう締めくくり、再び頭を下げる。それを見て、さすがに俺も状況が飲み込めてきた。

 言葉通りに受け取るならば、こいつらは俺に謝罪をしに来たのだろう。潮騒洞窟での出来事を考えればあまり信用したくもないのだが……しかし、考えてみればフィリアにしつこく絡んでいたのはここには居ない2人だったような気もする。それに俺とフィリアを嵌めようとしたのは、確かこいつらのリーダーだという話だったはずだ。

 人間とは流されやすい生き物だ。その場の空気を読み、同調し、雰囲気に流される。そしてその雰囲気を作るのは、群のリーダーであることが大半である。そいつが黒と言えば黒になり、白と言えば白になる。これは一種の洗脳だ。高校時代の葉山のグループなんかはいい例だろう。あいつらはそこまで極端ではなかったかもしれないが。

 しかしそんな関係が、今回こいつらはリーダーに見捨てられたことで崩壊した。そして自分たちで考え、ここに謝罪に来たのだとしたら、こいつらは案外――

 

「案外、悪い奴らじゃなかったのかしら」

「……フィリア」

 

 気付くと、後ろには少し意外そうな表情を浮かべたフィリアが立っていた。1人で良いとは断ったが、どうやら気になって付いてきていたようだ。さらにその後ろで玄関から覗くようにしてキリトやアスナが顔を出していたが、何となく状況を把握したのか、安心したような顔をして再びホームの中へと戻っていく。

 まあ、これ以上トラブルにはならないようでよかった。そう思い、俺は適当に返事をしてこの場は手打ちにしようと思ったのだが、俺に先んじてフィリアが口を開く。

 

「まあ、でもホントに反省してよね。ハチだったからよかったけど、普通あんな大量のモンスター相手にしたら死んじゃうわよ」

「え? あの後、転移結晶使って帰ったんじゃ……」

「ハチは自分の持ってた転移結晶全部あなたたちにあげちゃったからね。あの後ほとんどハチ1人で倒してなんとかなったけど」

 

 その言葉に、チンピラたちはぽかんと口を開けて呆然としていた。いや、攻略組ならあれくらい出来る奴は割といるから――と俺が口にする前に、チンピラの1人がポツリと呟く。

 

「……兄貴」

「は?」

「兄貴と呼ばせてくれ! その心意気に惚れた!!」

 

 恐らく俺よりも年上だろうチンピラたちが口々にそんな馬鹿なことを言い出し、暑苦しくこちらに迫ってくる。チンピラたちが俺に向けているのは、間違いなく羨望の眼差しだった。

 

 ――やめろ。

 

 むさくるしい男たちに熱っぽく迫られて喜ぶ趣味はない。だがそれ以上に、男たちのそんな態度は俺の心をかき乱した。

 一体、誰を見ているんだ、こいつらは。

 

「リーダーとはもう縁を切ったんだ! 雑用でも何でもいい! 俺をあんたのギルドで使ってくれ! 俺は、あんたみたいな奴の下で働きたい!」

「俺もだ! 俺たちに恩返しをさせてくれ!」

「お、俺も――」

「やめろッ!」

 

 知らず、大声で叫んでいた。チンピラたちはそれに気圧されたのか、その場に水を打ったような静寂が降りる。

 

「ハ、ハチ……?」

 

 怯えたようなフィリアの声で、我に返った。しかし俺は彼女に顔を向けることは出来ず、目を伏せたまま再び口を開く。

 

「……俺は、お前たちが思うような奴じゃない」

 

 ポツリと、呟くようにそう溢した。その声がチンピラたちに届いたかどうかは分からない。

 

「……うちのギルドに入りたいってんなら、ギルマスに話は通しておいてやる。後は好きにしろ」

 

 そこまで言って、俺は踵を返した。こちらを気遣うフィリアの視線を振り切り、玄関へと手を掛ける。ホームの中に戻ると、エントランスにはキリト、アスナと一緒にクラインも待機していた。それを認め、俺は手短に用件を伝える。

 

「何か、うちのギルドに入りたいらしい。多分悪い奴らじゃないから、話だけでも聞いてやってくれ」

「おう! ……って、ん? 何でそんな話になってんだ?」

「さあな、本人たちに聞いてくれ。……悪いけど、俺疲れたから部屋戻るわ」

「え、お、おう」

 

 少し戸惑うクラインを置いて、俺はすぐにエントランスを後にする。階段を上って3階。突き当りの角部屋。自室として割り振られたそこに、俺は逃げ込むようにして入り込んだ。

 ドアを背にしてもたれかかり、大きく息を吐く。そこで背中の槍の存在を思い出し、それを手に取ってぼんやりと眺めた。

 

 現実世界の何も出来ない私――。

 ダンジョンの中で聞いたフィリアの台詞が、リフレインする。チンピラたちの羨望の目、そしてキリト、アスナ、クラインたちの顔が頭に過っては消えていく。

 そうして不安とともに心の奥底に沈めていた澱が、ゆっくりと顔を覗かせた。

 

 別に、今さらになって気付いたわけじゃない。その葛藤はずっと俺の中にあったのだ。ただ、ずっと考えないようにしていただけだ。

 この仮想世界と、現実世界の間に確かに存在するギャップ。その意味を。

 

 《風林火山のハチ》それが今の俺の肩書きだ。最前線で活躍出来るだけの実力を持ち、知名度は高く、ギルドメンバーからの信頼も厚い。そんな今の状況に自惚れがないと言えば嘘になるだろう。だが、同時に思うのだ。こんなものは本物ではないと。

 現実世界の俺は、もっと卑屈で、怠惰で、どうしようもない奴だったはずだ。スクールカーストの最底辺。いつも教室の隅で1人蹲り、居ても居なくても変わらないような人間。俺はそんな自分も嫌いではなかったが、きっと周囲はそうではない。

 肩書きや権力というものは、人の気質を変化させる。気弱ないじめられっ子が圧倒的な力を手に入れた時、果たして気弱なままいられるだろうか。自分を虐げてきた者たちに復讐を果たし、やがては増長してゆくのではないか。

 俺がやっているのは、きっとそれと同じことだ。

 SAO内でのレベルやステータス。現実世界では虚構でしかありえないそんなものが《風林火山のハチ(今の俺)》を支えている。力があるから、危険に身を晒せる。敵を打倒し、誰かを守ることが出来る。

 しかし、だからこそ考えてしまう。それは、俺が本来持っていた気質なのだろうか。アスナやキリトが信頼を寄せる《ハチ》とは、本当に俺なのだろうか。そしていつかこの先SAOをクリアして現実世界へと戻り、その仮初の力を失った時、俺たちの関係は――。

 

 そこで、俺は思考を振り払った。この考えは危険だ。

 どんな結果を生むとしても、俺のやることは変わらない。帰らなければいけない理由があるのだ。ゲームをクリアする。その意志に迷いなどあってはならない。

 もう一度、大きく息を吐いた。そうして浮かび上がった不安に蓋をし、再び心の奥底へと沈め込む。気分は最悪だったが、何度も俺は大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 

 やがてもたれかかっていた背を伸ばし、2つの足で真っ直ぐに立つ。戦う意思を固めるように右手に持っていた槍を握りしめ、その青く澄んだ切っ先を見つめた。

 虚偽を穿つ者(フェイクネスピアス)か。なんて皮肉な名前なんだろう。そう、思った。


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