やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第25話 燻ぶる悪意

 その日、アインクラッド中がその話題で持ちきりだった。

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)討伐戦――攻略組6名、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)32名の死亡者を出した過去最大のプレイヤー同士の戦闘。その噂は、討伐戦が行われた数時間後には多くのプレイヤーたちの間に広まっていた。

 ここまで早く討伐戦についての正確な情報が流布したのは、攻略組が自らそれを開示したからだった。後の攻略組に対する批判を恐れたのだ。

 いくら相手が殺人(レッド)ギルドのプレイヤーであろうと、それを殺すことは決して褒められたことではない。場合によってはそのなじりを受けることもあるだろう。

 いっそ隠蔽してしまうことが出来れば良いのだが、人の口に戸は立てられず、いずれこの事件は多くのプレイヤーたちの知ることとなる。ならば先んじて正確な情報を公開し、大義はこちらにあるということを印象付けた方が得策だという判断だった。

 その甲斐もあってか、この笑う棺桶(ラフィン・コフィン)討伐戦は多くのプレイヤーに好意的に受け入れられていた。笑う棺桶(ラフィン・コフィン)が壊滅し、アインクラッドの治安も良くなるだろうと皆安堵したのだ。

 しかし、同時に多くの者たちは気付いていた。

 殺人(レッド)ギルド笑う棺桶(ラフィン・コフィン)。その狂気と恐怖の象徴であるプレイヤーは、未だ捕まっていないということに。

 

 

 

 

 

 第1層。始まりの街、黒鉄宮。

 捕えた笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーたちをそこで《軍》へと引き渡した俺たちは、その後ハフナーの簡単な挨拶を聞き、1度解散した。

 当然祝勝会を開くような雰囲気では無く、皆同様に疲れた表情を浮かべ、それぞれのホームに帰って行ったのだった。黒鉄宮で顔を合わせた雪ノ下も、珍しくこちらを気遣うような様子だった。いつもの5割り増しで目が腐っている自信があったのだが、さすがにこの状況で俺を罵ることが出来るほど無神経な奴ではない。不器用な表情で「お疲れ様」とだけ声を掛けられた。

 今はキリトと2人、風林火山のギルドホームへと向かって歩いている途中である。まだ日の出前で、プレイヤーはおろかNPCの姿さえほとんどなかった。いまだ眠りから覚めて居ない街の中を、とぼとぼと2人で歩く。

 討伐戦を終えても、俺が思っていたよりキリトの精神状態は安定しているように思えた。アスナも同様である。少なくとも俺よりはまともな倫理観を持っているだろう2人のことは心配していたのだが、今すぐに心を病んだりだとかそう言ったことはなさそうだった。顔色は優れないが、話しかければいつもと同じような反応が返ってくる。

 だがそれでも、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)討伐戦がキリトやアスナの、いや、攻略組全員の心に大きな傷を負わせたことは間違いないなかった。これから多くの人間が、自分が手にかけた相手のことを思い出し、眠れない夜を過ごすのだろう。仕方のないことだったと理屈ではわかっていても、湧いてくる感情は別だ。

 こればかりは最終的に自分で乗り越えるしかない。他人に出来ることは精々気休めを口にすることくらいだ。まあそれも本人からすれば十分ありがたいのだろうが、正直俺が気の利いた慰めを口に出来るとも思えなかった。

 一応攻略組の精神面での健康状態を気遣って、ゲーム攻略はしばらく休止することがハフナーとヒースクリフの口から告げられている。現状を鑑みれば妥当な判断だろう。

 

「なあ、ハチ」

「ん?」

 

 黒鉄宮を出てから5分ほど。ここまで黙々と歩いていたキリトだったが、不意に俯いたまま俺の名を呼んだ。思考に耽っていた意識を現実に引き戻して俺が返事をすると、白い息をゆっくりと吐き出しながらキリトがこちらへと視線を向ける。

 

「俺に、何か隠してるだろ」

 

 キリトは半ば確信を持ったように、俺に問う。心当たりが多すぎて、逆に何と答えたらいいのかわからなかった。

 先週勝手に食べてしまったキリトの分のプリンのことか。それともこの前たまたま手に入ったラグーラビットの肉を1人で食べてしまったことか。いやそれとも――

 そんなふざけた思考が少しだけ頭を過るが、このタイミングで聞いてくると言うことはおそらく別件だろう。とぼけようかとも思ったが、それよりも先にキリトが再び口を開く。

 

「ハチがジョニーブラックと何か話してたのを見たんだ。PoHのこと、何か聞いたんじゃないのか?」

「……」

 

 キリトの真っ直ぐな瞳がこちらに向けられていた。それに耐えきれなくなって視線を逸らし、俺はしばらく無言で歩く。

 討伐戦の最中の、ジョニーブラックとの会話。剣戟と雄叫びが入り混じる乱戦の中で他人の会話を気にする余裕のある者など居ないと思っていたが、誤算だったようだ。ここまで確信をもって聞いてくるということは、断片的に内容も聞かれていたのかもしれない。

 さてどうしたものか。誤魔化すのは多分無理だが、正直に話して付いて来られても困る。それにこれ以上こいつに負担を掛けるのは……。そう考えたところで、その俺の思考を読んだようにキリトがまた口を開いた。

 

「ハチ、俺のことなら心配いらないぞ」

 

 その歳に不相応なほどの真剣な眼差しが、俺を射抜く。すぐに目線は伏せられたが、それでもその瞳に宿った光に陰りは見えなかった。

 

「場に流されて剣を取っていたら、いつか今日のことを後悔したかもしれない……。でも、そうじゃない。俺は俺の意志で剣を取ったんだ。だから、大丈夫だ」

 

 キリトのその言葉に圧倒され、俺は言葉に詰まった。再び訪れる沈黙。たっぷりと数秒の間キリトと見つめ合った後、俺は目を瞑って大きくため息を吐いた。

 

「はあ……。お前、ホントに中学生かよ……達観し過ぎだろ」

「まあ、そろそろ中学も卒業だからな」

「嘘つけ。留年だろお前は」

「うっ……。でも、ハチも人のこと言えないだろ」

「俺は良いんだよ。義務教育じゃないし」

 

 その場の空気が軽くなり、そんな軽口の応酬をする。それが一旦落ち着いたところで、俺は真面目な表情を作り直した。

 もはやぼっちは名乗れないな。そんなことを考えながら、キリトへと視線を送った。

 

「……いくつか、お前に頼みたいことがある」

「頼みたいこと?」

「ああ」

 

 勝っても負けても、おそらく次がPoHとの最後の戦いになる。何故かはわからないが、あいつは俺に固執していた。俺と一対一での本気の殺し合いを望んでいるのだ。だからこそ第2層の森や第19層の十字の丘で俺を見逃したのだろう。

 だが、俺は奴のその良くわからないこだわりに付き合ってやる気はなかった。俺は俺のやり方で決着をつけるつもりだ。

 

「……何でもかんでも自分の思い通りにはならないって、あの野郎に思い知らせてやる」

 

 ホームへの道を歩きながら、俺は強くそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハチッ! おめえ帰ってきてたんならそう言えよ!!」

 

 未だ寝ぼける俺の視界にいきなり飛び込んできたのは、顎に無精ひげを生やした赤髪の男だった。戦闘着ではなく、ラフなトレーナーとスラックスを履いている。それがクラインだと認識するのに数秒かかった。

 うるさく構ってくるクラインを無視し、首を巡らせる。簡素な作りの1人部屋。ここはギルドホームの自室だった。鍵は掛けていたはずなのだが、クラインはギルドマスターの権限を行使して無理やり入ってきたようだ。

 ベッドから体を起こし、システムウインドウを呼び出して時刻を確認する。午後3時を少しまわったくらいの時間だった。数時間は眠ることが出来たようだ。

 

「今朝早かったから、ちょっと昼寝してたんだよ……。それで、何か用か?」

「何か用、ってお前なぁ……」

 

 そう言って脱力するクライン。そう言えば討伐戦から帰って来てからはまだ会ってなかったな。今朝の奇襲については直接教えていたわけではないがクラインなりに何か悟っていただろうし、もしかしたら心配してくれたのかもしれない。

 

「はあ……。まあ、お前らが無事ならそれでいいよもう……。それで、キリトはどこだ? 一緒じゃないのか?」

「あー、昼前くらいまでは一緒だったんだけどな。ちょっと用事があるらしくて別れた。そろそろ帰って来るんじゃないか?」

「あいつも疲れてんだろうに、まだ何かやってんのかよ……。まあ、わかった。……っと、そうだ。お前に客が来てんだよ」

「俺に?」

「ああ」

 

 どうやらクラインはそれで俺を呼びに来たらしい。来客に言われるまで、俺がギルドホームに帰って来ていることには気付かなかったようだ。システムウィンドウのフレンド欄を見れば一発でわかるのだが、そこまで頭が回らなかったらしい。

 

「ユキノさんとサチがさっき来てな。今はエントランスで待って貰ってるぞ。ユキノさんは軍の仕事っぽかったけど、サチはこれ見て心配してきてくれたみたいだな」

 

 そう言ってクラインはポケットに入っていたらしいくしゃくしゃになった1枚の紙を取り出した。『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)壊滅』という大きな見出しが目に入る。アルゴが出している新聞《Weekly Argo》の号外のようだ。

 相変わらず仕事が早いな。あいつも昨日からほとんど寝ていないはずなんだが……。

 そう思いながらベッドから立ち上がり、クラインの手からそれを受け取る。その号外には討伐戦における死亡者や捕縛者の名簿などが詳細に載っていた。

 

「……大変な戦いだったみてぇだな」

「まあ、な……」

 

 号外に目を通す俺に、クラインが声を掛ける。一瞬沈黙が部屋を支配したが、すぐに雰囲気を変えるようにクラインが俺の背中を大きく叩いた。

 

「ま、何はともあれ、お疲れ様だ! ほれ、さっさと美少女2人に癒されて来い!」

「……サチはともかく、ユキノは会っても胃が痛くなるだけだろ」

「バッカお前、そこがまたいいんだろ?」

「いや、クライン、お前それレベル高すぎるから……」

 

 クラインの発言に若干引きつつ、俺はため息を吐いた。

 こいつと一緒に居ると疲れる。だが同時に、ブルーな気分に浸っていられるような余裕もなくなっていた。これはこれで人徳なのかもしれない。少なくとも今の俺にとって、クラインの態度はありがたかった。

 そんなことを思いながら、俺はクラインと共に部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 ギルドホームのエントランスへと俺が足を運ぶと、すぐに来客用のソファで向かい合って談笑する雪ノ下とサチの姿が目に入った。攻撃的な雪ノ下にしては珍しく、2人の間には友好的な雰囲気が漂っている。

 知り合いだったのだろうか? そんな疑問を感じて俺が突っ立っていると、こちらに振り返ったサチと視線が合う。

 

「あ、ハチ」

「あー……。悪い、待たせたか?」

「いえ、私もサチさんもついさっき来たばかりよ」

「そうか」

 

 気をとり直して2人とそんなやり取りを交わしながら、俺もソファへと腰掛ける。幸いエントランス内には2人掛けのソファが2つに、1人掛けのソファが1つ配置されていた。女子と同じソファに肩を並べて座るのは未だぼっち気質の俺には難易度が高いので、当然空いていた1人掛けのソファに着席する。

 ちなみに先ほどまで一緒にいたクラインは、廊下でトウジに捕まって連行されて行った。どうやら仕事を放り出して来ていたようだ。クラインを見つけた時のトウジの笑顔が怖かった。御愁傷様。その後はトウジから討伐戦について労いを受け、軽く挨拶を済ませてから1人でこちらへと向かったのだった。

 ソファへと深く腰掛け、俺は一息つく。

 サチに、雪ノ下に、俺の3人。改めて見ると妙な組み合わせだな。そう思いながら、俺は先ほどから思っていたことを尋ねる。

 

「ところで、お前らって知り合いなのか?」

「うん。ユキノはうちのお店のお得意さんでね。いつもオーダーメイドで猫とかパンダのパンさんのぬいぐる――」

「サチさんのお店をたまに利用させて貰っているだけよ。プレイヤーの男女比率の問題なんでしょうけど女性向けの衣類というのはこの世界ではあまり扱われていないから。ねえ、サチさん?」

「え、う、うん……」

 

 サチの話を遮って口早に捲したてる雪ノ下。

 うん。お前らの関係性だいたいわかったわ。ていうか今さら隠してもお前の猫好きとパンさん好きはバレてるぞ雪ノ下。まあ面倒なことになりそうだから突っ込まないが……。

 ちなみにぬいぐるみ類は裁縫スキルが600以上で作れるようになると以前サチから聞いた。その出来はシステム的な熟練度よりもプレイヤー自身の技術に大きく左右されるようだが、雪ノ下が贔屓にしているということはサチは腕が良いのだろう。雪ノ下の、特にパンさんに掛けるこだわりは異常だからな。

 どうでも良いけど、パンさんのぬいぐるみの販売は版権的に大丈夫なんだろうか。ディスティニーは版権に煩いことで有名だ。まあさすがにSAOの中でまで問題になることはないだろうが……。

 

「まあ私たちの話はいいわ。それよりもキリト君は一緒じゃないのかしら?」

「ん、ああ。あいつは野暮用で今ちょっと出てる。早けりゃそろそろ帰ってくると思うけどな」

 

 話を変える雪ノ下の問いに、俺は適度に答える。野暮用というか俺に頼まれたお使いなのだが、詳しく話すとややこしくなるためにぼかしておいた。

 

「そう。凄いバイタリティね。まだ日も跨いでいないのに」

 

 雪ノ下がそう呟く。「日も跨いでいない」とは「笑う棺桶(ラフィン・コフィン)討伐戦から」という意味だろう。サチもすぐにそれを理解したようで、何となく場の空気が重くなる。しかしそれを嫌ったのだろう、すぐに努めて明るくサチが口を開いた。

 

「2人とも無事で、ホントに良かったよ……。新聞を見た時は、心臓が止まるかと思ったもん」

「ええ。私も朝5時にそこの男からメッセージを受け取った時は、少し怖気が走ったわ」

「おい。お前のそれはただの悪口だからな」

 

 しばらくご無沙汰だった気がする雪ノ下の毒舌に、俺は突っ込みをいれる。ちなみに俺が送ったメッセージというのは、捕らえた笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーの引き渡しについてのものだ。朝5時という非常識な時間になってしまったが、幸い雪ノ下が起きていてくれたので助かった。

 一瞬の間の後、目が合った雪ノ下がふと優しい笑みを浮かべた。その意図がわからず俺は怪訝な表情になってしまったが、そんなことは意に介さず雪ノ下は再び口を開く。

 

「……安心したわ。いつものハチ君みたいね。今朝より顔色もよさそうだし」

「え、お、おう」

 

 そんな雪ノ下の不意打ちに、俺はドギマギして口ごもる。え、何? こいつこんなにツンデレだったっけ? 俺のこと好きなの?

 重苦しい空気は消え去ったが、今度は逆に微妙な雰囲気が漂い始める。雪ノ下自身には実際のところ特に他意はなさそうで澄ました表情で目を伏せていたが、サチは何か勘ぐるように俺たちの顔を交互に見つめると、やがて意を決したように口を開いた。

 

「あ、あの……。2人はリアルで知り合いだったって聞いたんだけど、その……つ、付き合ってたりとか――」

「断じてあり得ないわ。サチさん、私だって怒ることくらいあるのよ?」

「え? ご、ごめんなさい……?」

 

 言葉通りに身体中に怒気を滲ませ、サチに笑顔を向ける雪ノ下。その笑顔に圧倒されて、何故かサチが謝っていた。

 うん。知ってた。こいつと俺がそんな甘い関係になることなどありえないのだ。いや、別に負け惜しみじゃないし……。

 雪ノ下がおもむろにもう一度大きなため息をつく。それで怒りも収まったようで、次いで真剣な顔で話を切り出した。

 

「それではそろそろこちらの用件を済ませてしまいたいのだけど、いいかしら?」

「あ、うん。私はハチとキリトの顔を見に来ただけだから……。大事な話なら、外した方がいいかな?」

「いいえ、気にしなくても大丈夫よ。誰かに聞かれて困る話でもないわ」

「キリトが帰ってくるまで待たなくてもいいのか?」

「こちらも色々と立て込んでいるから、あまりのんびりもしていられないのよ。必要ならあなたから伝えておいて頂戴」

 

 討伐戦での捕縛者の処遇や残党の捜索などはほとんど軍に丸投げしてあった。その対応に追われているのだろう。ここに訪れたのもおそらくは事後処理の一環だ。

 雪ノ下の言葉に頷き、話を促す。すると雪ノ下は幾つかの書類とアイテムをストレージから取り出しながら早速本題に入った。

 

「あなたたちが捕まえた笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のメンバーに尋問を行っていたのだけど、いくつかわかったことがあるわ。まず、攻略組の奇襲が前もって気付かれていた件ね」

 

 討伐戦での奇襲の失敗。結果的に攻略組が勝利することが出来たが、だからと言って無視していい問題ではない。

 あれだけ警戒していたのに、こちらの行動がバレていたのだ。裏切り者の可能性を考え、軍にはどうして奇襲が悟られたのか調べるようにお願いしていたのだった。

 俺は十中八九攻略組の中に裏切り者の存在があると思っていた。だが、雪ノ下から告げられたのは意外な内容だった。

 

「攻略組の中に裏切者が居た可能性は低いと思うわ。単に相手の斥候が優秀だったようね。これを見て」

 

 言いながら雪ノ下は先ほどストレージから取り出していたミラージュスフィアをテーブルに置く。それを起動させると、大空洞の詳細なマップデータが表示された。先日キリトが持っていたものよりもかなり詳しいところまで調べられているようだ。俺は少し驚きながらそれをまじまじと眺める。

 

「これ、どうしたんだ?」

「アルゴさんにお願いしたのよ。マップデータだけならすぐ集められると言ってくれたから」

「マジか……。すげえなあいつ……」

 

 おそらくはモブとの戦闘を全て避けてダンジョン内を走り回ったのだろうが、熟練度が最大になった隠蔽(ハイディング)を駆使しても俺にはそんな短時間でこれだけのマッピングが出来る気がしない。隠し部屋や隠し通路の発見も簡単なことではないのだ。最前線からは少し離れた第49層のダンジョンだとは言え、人間業ではなかった。

 ていうかこれ討伐戦の後に作ったんだよな。笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中がいる間はさすがにダンジョン内を探索することは出来なかったはずだし……。

 昨日の朝から考えて、ロザリアの尾行、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のアジトの監視、《Weekly Argo》の発行、大空洞のマッピング。あいつ、本当に一睡もしてないんじゃないか? 今回の件で1番の功労者はアルゴのような気がしてきた。……まあほとんどの仕事は有償なんだが。

 

「それで、この道なのだけれど――ちょっと。ちゃんと聞いているのかしら?」

「え、あ、ああ。悪い、続けてくれ」

 

 他のところに飛んでいた意識を、慌てて引き戻す。雪ノ下は少し呆れたようにため息を吐いたが、すぐにまたミラージュスフィアを使っての説明を始めた。

 話をまとめると、単純な仕掛けだった。

 雪ノ下が指し示したのは、幾つかの隠し通路。それは攻略組が通ったルートと、笑う棺桶のアジトがある《忘れられた庵》を繋いでいた。

 つまり、この隠し通路を使って見張りを立てていたということだ。雪ノ下によれば捕縛者の証言とマップデータによってほとんど裏は取れているらしい。

 下手をしたらロザリアを追ってキリトたちが大空洞を訪れた時から既にばれていたのかもしれない。

 

「普通に気付かれてたってことか……。逃げられなくて助かったな」

「どうやらPoHが自分で迎撃の指示を出したそうよ。当の本人は途中で逃げてしまったみたいだけど」

 

 何故全員で逃げることを選ばなかったのか。勝てると踏んだわけではないだろう。戦力差は明らかだったのだ。

 

「捕縛したプレイヤーのフレンド欄を遡ってみたけど、PoHの名前は見つけられなかったわ。追跡を警戒して登録を切ったみたいね。それでも4名ほどの残党は捕まえることが出来たわ。捕縛者の名簿に目を通すかしら?」

「いや、いい。どうせ見たって誰かわかんないし」

「そう」

 

 そこまでで用件は済んだようで、雪ノ下はテーブルの上に出していたアイテムをストレージに仕舞い始めた。今まで黙りこんで話を聞いていたサチが、それを見ながら大きく息をつく。

 

「本当に大変な戦いだったんだね……」

「まあな。でも、もう終わった」

 

 まだ、終わりではない。心の中ではそう思っていたが、この場を収めるために俺は嘘をついた。しかしその言葉が何か引っかかったのが、片づけをしていた雪ノ下が手を止めてこちらに視線を送る。

 

「……何だよ?」

「……いえ、何でもないわ」

 

 歯切れの悪い言葉を呟き、雪ノ下は再び手を動かし始める。何故か、その場にはまた微妙な空気が流れていた。俺の言動に何か気付くものがあったのかもしれない。しかし、あえて追及するつもりはないようだった。

 その後はギルドの仕事があるという雪ノ下を見送り、サチと共にキリトの帰りを待つことになった。フレンド欄の位置情報を見ると丁度始まりの街に転移してきたところだったので、もうすぐギルドホームに着くだろう。

 時刻は午後4時前。約束の時間は、刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜も深まり、街灯が爛々と光る始まりの街の中を1人歩く。通りに面した店ではまだプレイヤーたちが騒いでいたが、すれ違う人通りはあまり多くなかった。

 現在の時刻は午後11時半。これから転移門を通り、奴の指定した場所へと向かう。日付が変わる前には着けるだろう。

 

『俺を殺したいなら、1人で来い。ショーはミッドナイトに』

 

 ジョニーブラックが口にした、PoHからの伝言を反芻する。

 ミッドナイトとは、つまり真夜中。深夜12時に俺を待つということだろう。

 場所の見当もついている。ジョニーブラックが持っていた赤い花には見覚えがあった。ほとんどのプレイヤーはその存在すら知らないだろうが、あれは《ヘリカルレッド》と呼ばれる少量のHP回復効果を持つ花だ。一時期はかなりお世話になったからよく覚えている。そしてそれの自生している場所は俺の知る限り1つしかなかった。

 そんなことを考えていると、すぐに転移門広場へと行き当った。アインクラッドでは交通の要だが、この時間ではあまり人も多くない。だから、転移門の側に1人ぽつんと立っているそのプレイヤーがすぐに目に入った。相手もすぐにこちらの存在に気付き、険しい目つきでこちらに歩いてくる。

 

「本当に1人で行くつもりなのね」

 

 綺麗な栗色の髪を耳に掛けながら、アスナが口を開く。普段通りの紅白の軽鎧。それが何故か、いつもより儚げに見えた。

 

「キリトに話は聞いたんだろ?」

「……うん。だから、止めないわ。ちょっと顔を見に来ただけ。私は私に出来ることをするつもりよ」

 

 そう言ったアスナの瞳は伏せられていたが、言葉には力が込められていた。俺はそれに半ば呆れるようにため息をつく。

 

「……強いな、お前もキリトも。無駄に心配してた俺が馬鹿みたいだ」

「そう見えるなら、それはきっとハチ君のお蔭よ」

 

 何と返すべきか分からず、俺は一瞬言葉に詰まった。そんな俺に気を遣ったのか、アスナがすぐにまた口を開く。

 

「あまり引き止めてもいられないわよね……。行ってらっしゃい。絶対に、帰って来てね」

「……おう。じゃ、行ってくる」

 

 目は合わせずに、すれ違う。この場がそれほど重い雰囲気にならなかったのは、俺への信頼があるから……だと思いたい。まあわざわざ見送りに来てくれると言うことは、さすがに俺のことなどどうでもいいと思っているわけではないだろう。

 そうして俺はアスナと別れ、転移門へと進んだのだった。


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