やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第23話 決戦前夜

「これほど急な招集を掛けたからには、余程重要な用件なのだろうな?」

 

 苛立ちを孕んだ声が、部屋に響いた。

 第53層。風の街ルーラン。その一角に建てられた公会堂の一室だ。外壁と同様、内壁まで全てが白い石材で作られている。

 俺たちのいるこの部屋はメインホールの横に位置する控室にあたるのだが、それでも20人ほど収容出来る広さがあった。しかし今は、俺を含めても6人のプレイヤーしか居ない。

 大きめの長テーブルの短辺に位置する、所謂お誕生日席に俺とキリトが並び、向かって右には血盟騎士団の団長であるヒースクリフと副団長であるアスナが。向かって左には聖竜連合の長であるハフナーとその側近のシヴァタが席に着いている。

 先ほど苛立った声を上げたのは、ハフナーだ。まあ、無理もない。用件も何も伝えずに急にこちらが呼び出したのだ。文句を言いつつも来てくれただけで御の字だろう。

 ハフナーの言葉に合わせて、こちらに視線が集まった。この会合は、俺とキリトが主催したものである。事前の打ち合わせ――という名のジャンケン――でキリトが司会進行を務めることになっていたので、俺は丸投げするように隣に視線を送った。目が合ったキリトが渋々頷き、口を開く。

 

「先に言っておく。これからの話は他言無用でお願いしたい。出来るなら、それぞれのギルドメンバーにも直前までは話さないでほしい」

 

 その前置きに集まったメンバーは訝し気な表情を浮かべたが、口を挟むことはなかった。とりあえず話を聞いてみようという様子だ。

 キリトはそこで全員の顔を見回し、一呼吸の間を置いてから本題を切り出した。

 

笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のアジトを突き止めた」

 

 その発言に、にわかに部屋が色めき立つ。

 

「本当か!?」

「ああ。今は情報屋のアルゴが張り込んでくれてる」

「……確かな情報かね? しかし、一体どうやって?」

 

 前のめりになって声を荒げるハフナー。対してヒースクリフは一瞬目を見開いたものの、冷静な様子で訪ねてきた。キリトはそれに頷いて答え、次いで詳しい説明を始めたのだった。

 

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)と繋がりを持つであろう巨人の手(タイタンズハンド)という犯罪者(オレンジ)ギルドに当りをつけ、先日からその動向を探っていたこと。

 そのギルドを壊滅させ、ギルドリーダーであるロザリアが笑う棺桶(ラフィン・コフィン)に助けを求めるように仕向けてそれを尾行し、アジトを突き止めたこと。

 

 後半は、つい数時間前の出来事だ。笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中にこちらの動きに気付かれて、逃げられてしまっては今までの苦労が水の泡になる。見張りをしているアルゴの負担も相当なものだし、なるべく早く次の一手を打てるように、俺たちはその日のうちにこの会合を開いたのだ。

 

 集まった4人は、黙ってキリトの話を聞いていた。……アスナだけは何か言いたそうな表情でこちらを睨んでいたが。また除け者にされたことが気に入らないのだろうか。いや、でもお前違うギルドだし、仕方なくね……?

 

「――それでそのロザリアって女プレイヤーは、アジトの目星がついた時点で捕まえた。今は黒鉄宮の監獄エリアだ。戻って余計なことを話されると、勘付かれるかもしれないからな」

 

 俺が必死にアスナから目を逸らしつつ脳内で言い訳を繰り広げていると、キリトはそこまで説明して言葉を切った。

 ちなみに監獄エリアはかなり特殊な仕様になっていて、メニューウィンドウを操作することができない上に、全てのアイテムは使用不可となっている。だからロザリアにメッセージ機能によって笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中と連絡を取られる心配もない。思い出の丘で逃がしてしまった他の巨人の手(タイタンズハンド)のメンバーだけが気がかりだったが、先ほどALFと風林火山の手によって全員捕縛出来たと雪ノ下から連絡があった。

 

 さて、ここまでで大方のことは説明を終えたはずだが、1つだけ言っておかなければならないことが残っている。気は進まないが、敵の戦力にも関係する情報だ。俺はキリトの話に次いで口を開いた。

 

「……それと、1つ補足だ。巨人の手(タイタンズハンド)とのやり取りの途中に、辻風のジョーが出張って来た。俺たちの作戦が全部ばれていた訳じゃないみたいだが……そのまま戦闘になって――俺が、殺した」

 

 その言葉に、場が凍り付く。一瞬の沈黙の後、口を開いたのはハフナーだ。眉根を寄せ、抗議するような視線をこちらに向けていた。

 

「辻風のジョー……笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の幹部か。しかし、殺す必要があったのか? 私たち攻略組の力なら、殺さずに無力化することも――」

「俺には、殺す以外の選択肢は取れなかった。それだけだ」

「ふん。疑わしいな。大体、お前ら……特に、お前の行動はいつも目に余る。今回の独断専行もそうだ。お前のその驕りが、殺すという結果に繋がったのではないのか? 犯罪者だからと言って、殺していいわけでは――」

 

 ダンッ、という大きな音が部屋に響く。横を見ると、強く握り締められたキリトの拳が木製のテーブルに打ち付けられていた。

 

「……ジョーとの戦いで、ハチは右足が切断されるほどの深手を負っていたそうだ。そんな相手に、手加減をして、殺さずに無力化しろっていうのか? あんたにはそれが出来るのか?」

 

 表情こそ普段通りであったが、キリトのその言葉には有無を言わさぬ怒気が込められていた。それにたじろぐハフナーからすぐに視線を離し、全員を見回しながら言葉を続ける。

 

「俺も一度だけ奴らと対峙したことがある。一筋縄でいく連中じゃない」

 

 それきり、部屋には微妙な空気が流れる。しかしすぐに雰囲気を変えるように、ヒースクリフが口を開いた。

 

「話を戻そう。それで君たちは、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の捕縛――もしくは討伐戦を行うために、私たちに招集を掛けたと言う認識でいいのかね?」

「ああ。ここに、奴らのアジト付近につながる回廊結晶がある」

 

 言いながら、キリトは懐から四角い青のクリスタルを取り出しテーブルに置く。転移結晶よりも一回り大きいこれは、回廊結晶と呼ばれるものだ。任意に地点登録した場所へと繋がるワープゲートを設置できるアイテムであり、中々市場に出回らない高級アイテムである。キリトの取り出した回廊結晶は中に赤い光が宿っているが、あれは既に地点登録を済ませた証だ。キリトの話では、奴らのアジトからほど近い場所と繋がっているらしい。

 これがあれば一気に笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のアジトへと大人数で移動することが出来る。お膳立ては十分ということだ。

 ちなみに俺とキリトではアジトを発見した後のことまでは頭が回っていなかったのだが、そこはアルゴの入れ知恵である。アジトの目星がついた時点でアルゴは懐から回廊結晶を取り出し、位置登録を済ませると「値段は相場の3倍でいいヨ」と言いながらそれをキリトに手渡したそうだ。さすがアルゴ汚い。

 

「俺たちは、攻略組で奴らのアジトに奇襲を仕掛けるべきだと思う。奴らは危険だ。野放しには出来ない。例え、もし殺すことになったとしても……奴らは止めなくちゃいけない」

 

 年齢に似合わない大人びた表情で、キリトはそう告げる。そして反応を促すように4人へと視線をやると、まずヒースクリフが大きく頷いた。

 

「私も、同意見だ。ゲーム攻略のためにも、後顧の憂いは絶つ必要がある」

 

 その言葉に続いて、アスナも頷く。先ほどのキリトとのやり取りからばつが悪そうな表情を浮かべていたが、ややあって聖竜連合の2名も同意するようにそれに頷いた。それを確認したキリトは、1つ息をつく。

 

「それじゃあ詳しい話を始めよう。まず奴らのアジトは49層の――」

 

 話しながらキリトはアイテムストレージからミラージュスフィア――ホログラムを使った立体的な地図のようなもの――を取り出す。そして笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のアジトに奇襲を掛けるための、具体的な作戦を立てていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 まだ時刻は午後8時を回ったばかりだ。だが、疲れていた俺は既に床に就いていた。

 第1層のギルドホーム。俺に与えられた小さな個室である。攻略中はあまりこちらに帰ってくることもないので私物はほとんど置いていない。部屋にはベッドとテーブルと椅子、そして端っこに申し訳程度の観葉植物が飾られているだけだ。

 いつもならここに帰って来た時にはクラインや他のギルドメンバーにうざいほど絡まれるのだが、今日は色々とあった俺に気を遣ったのかそれほどでもなかった。腫れ物に触るように……というほどではないが、何となく雰囲気が違う。まあ、正直ありがたい。今日は他人と話したい気分ではなかったし……あれ? それっていつものことじゃね?

 

 自分でも意外なことに、気持ちは随分と落ち着いていた。緊張感も、罪悪感も存在しない。

 俺って案外メンタル強かったんだなーなどと思いながら、天井を眺めていた。そして、今日の出来事を1つ1つ思い返す。

 

 思い出の丘攻略。巨人の手(タイタンズハンド)とのやり取り。ジョーとの戦い。作戦会議。

 そして、明日には笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のアジト奇襲作戦が控えている。

 

 作戦会議では、明日の夜明け前に奇襲を掛けることが決まっていた。ヒースクリフによればその時間帯が奇襲の定石らしい。少しでも早い決行がいいとは思いつつも、今すぐに、という訳にもいかない。多少の準備や休息は必要なため、特に揉めることなくそう決まったのだった。ジョーの死に気付いた時に笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中がどんな行動を取るかは気がかりだったが……まあ、考えても仕方のないことに気を揉んでも疲れるだけだろう。

 ちなみにクラインなどの他の風林火山のメンバーには奇襲作戦について話していない。また後になって文句を言われそうだが、これには色々と事情がある。

 以前のジョーのように攻略組内部に笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の息の掛かった者が居ないとは言い切れないために、攻略組でもごく一部の人間にしか話を通していないのだ。今日集まったメンバーの他には、エギルにしか声は掛けていない。ギルドメンバーにも直前までは具体的な話はしないようにハフナーやヒースクリフにはこちらから頼んでおいたので、その手前こちらだけ情報を漏らすわけにもいかないのだ。

 まあ、それでも多分クラインたちは何となく気付いているだろう。俺たちが笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のアジトを突き止めたことは、昼の一件でなし崩し的に知られているのだ。だが、あえて聞いてくるようなことはしない。トウジは言わずもがなだが、クラインもあれでいて中々気が遣える奴だった。

 

 明日、俺はきっとまた人を殺すことになるだろう。ジョーのように。

 だが、やはり罪悪感は湧いてこなかった。それどころか、何の感慨もない。こんなものかと思っただけだ。

 

 ただ、あの表情――ジョーが死に際に見せたあの顔だけが、頭から離れなかった。

 

「――あの、ハチさん……。今、少しいいですか?」

 

 あてどもない思考に耽っていた俺を、そんな呼び声が現実に引き戻す。ドアの向こう、シリカの声だ。

 彼女がここにいるのは、うちのギルドに加入したからだ。詳しい経緯は不明だが、どうやらクラインから勧誘したらしい。将来性を買った、などと言っていたが……あのクラインのことだ。能力的な話だけではないだろう。あのエロガッパめ……。

 ちなみに昼間の一件以来、シリカとはまだあまり話をしていない。軽く今までの礼を言われたくらいだ。

 そのため、会うのは少し気まずいのだが……居留守をするのも、どうにもばつが悪い。ほとほと俺は年下に甘いなと思いながら、適当に返事をして彼女を迎えるべくドアに手を掛けた。

 甘い石鹸の香りが、ふんわりと漂う。シャワーでも浴びて来たのだろうか、髪を下ろしたシリカが少し頬を上気させてそこに立っていた。

 

「あ、あの、遅くにすみません」

「いや、別にいいけど……」

 

 恐縮した様子のシリカに、俺はそう返す。どうせ寝付けなかったところだ。

 しかし、何の用だろうか――と考えながらシリカを眺めていた俺は、何となく違和感を覚えた。タイトなTシャツに、ホットパンツ……最近の子供は露出が高いな。小町がこんな格好をしていたら、俺はすれ違う全ての男たちの目を潰さなきゃならん……。って、そうじゃなくて。

 

「お前、あのちびドラゴンはまだ復活させてないのか?」

 

 妙なところに飛んでいた思考を引き戻し、そう問いかける。

 そう、シリカの周りにはまだあのちびドラゴン――確かピナとか言う名前の――が居なかったのだ。プネウマの花は無事手に入れたはずだし、既に復活させたものだとばかり思っていた。

 

「はい。ハチさんと一緒に手に入れたプネウマの花ですから、最後も一緒が良いなって……」

「そうか……。まあ、入れよ」

 

 律儀な奴だな……。そう思いながら、立ち話もなんなのでシリカを部屋の中へと招く。緊張した様子で小さく「お邪魔します」という彼女の言葉を背に、俺は部屋の奥へと歩いて行った。

 

「じゃあ早速復活させてやれよ。そこのテーブル使っていいから」

「あ、はい」

 

 部屋奥にある椅子に腰かけながら、そう言ってシリカにも席を勧める。テーブルを挟んで対面に座った彼女は、次いでメニューウィンドウを開いてストレージを漁り始めた。

 まずシリカは白い羽――《ピナの心》を取り出し、丁寧な動作でそれをテーブルの上に置く。そして再びストレージを操作すると、今度は百合のような白い花――《プネウマの花》を手の中に出現させた。それを大事そうに両手の指先でつまみ、確認するようにこちらへと目をやる。なるべく安心させるように俺がそれに頷くと彼女も頷き返し、テーブルに置かれたピナの心へと再び視線を落とした。

 手に持ったプネウマの花を、少し傾ける。するとその花弁から一粒の雫が滴り落ち、ピナの心に当たって弾けた。一瞬の静寂の後、ピナの心が青白い光を放ち始める。そして目が眩むような光を一瞬放った後、現れたのは――。

 

「ピナッ!!」

 

 光が収まりきる前に、シリカが飛びつく。目を潤めながらしきりに「ごめんね」と呟いていた。

 シリカの手の中に収まっているのは、水色の羽毛を持った小型の翼竜だ。

 ……いや、小型と言っても近くで見ると意外とでかい。感動の再開に水を差すようで悪いが、俺は若干ビビっていた。犬とか猫なら大丈夫だが、鳥類(?)はあまり馴染みがないのだ。

 俺に紹介しようとシリカが抱いたままピナの顔をこちらに向けるが……だ、大丈夫? 噛みついたりしない?

 俺が恐る恐る手を出すと「きゅーきゅー」言いながら、指先を舐めた。おお……。うちのカマクラより愛嬌があるな……。

 若干慣れてきた俺は、シリカの手から離れたピナとしばらくじゃれ合う。竜というイメージで想像していたよりも、手触りは柔らかい。こいつの羽毛で布団作ったら最高じゃね? とか考えていたら噛みつかれそうになった。心を読まれたのだろうか……。

 

「ハチさん。ピナを助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

 1人ピナと戯れていると、シリカは改めてそう口にして深々と頭を下げた。こう真っ直ぐに礼を言われると、どうにも居心地が悪い。俺はテーブルの上に腰を下ろしていたピナを抱き上げ、シリカの頭の上にポンと乗せた。

 

「いや、まあ今回のことはお互い助かったからな。むしろ、色々巻き込んですまなかった」

 

 そう言って、顔を上げたシリカから目を逸らす。今回は彼女自身も危ない目にあったし、子供の教育上よくないような修羅場も見せてしまった。

 微妙な沈黙が、部屋に降りる。それを破ったのは、先ほどよりもより一層真剣な表情になったシリカの言葉だった。

 

「……あの後何があったのか、私にはわかりません。でも、今私とピナがここに居るのはハチさんのお蔭なんです。だから――そんなに悲しい顔、しないでください……」

 

 その台詞に俺は虚をつかれ、言葉に詰まった。

 俺は、そんな顔をしているのだろうか。こんな少女に心配されるほど。

 

「思い出の丘から帰ってきてから、ハチさん少し変です。目も、いつもより酷くなってるし……」

 

 ……ん? 何気に今酷いこと言われなかったか? そんな思考が一瞬過ったが、シリカの瞳に大粒の涙が溜まっているのを見て取り、俺は再び言葉を失う。

 

「ハチさんは、私やピナのために……皆のために戦ってくれたんですっ……。何も悪くないっ……誰にも、悪いなんて言わせませんっ……! だから……!」

 

 とうとう堪えきれなくなったのか、シリカはボロボロと涙を流しながら言葉を続ける。最後まで言い切ることは出来なかったが、その意図は十分俺へと伝わっていた。

 シリカの頭に乗っていたピナが、徐に翼をはためかせる。そしてふわりとその小さな体を浮かせると次いで俺の頭の上へと着地し、嗚咽を漏らす主人ではなく何故か俺の方を心配するようにこちらを覗き込んだ。

 

「あー……まさかこんなちびドラゴンにまで心配されるなんてな……」

 

 自重するようにそう漏らし、ため息をつく。

 何のことはない。ただ、自分を騙していただけだったのだ。何でもないと、言い聞かせていただけだったのだ。死にゆくジョーのあの顔を、忘れることが出来ない。それが何よりの証拠だった。

 だが、後悔はなかった。後悔が出来るのは、他に選ぶ道がある奴だけだ。何度あの戦いをやり直すことが出来たしても、きっと俺の槍は奴を貫くだろう。それに――。

 考えながら、シリカの頭に右手を置く。くしゃくしゃと、感謝を伝えるようにそれを撫でながら、俺は口を開いた。

 

「俺は、大丈夫だ。……ありがとうな」

 

 自分の行動の責任を、誰かに押し付けるような真似はしない。誰かのための行動はいつかそれを後悔した時、誰かのせいになるだろう。だから俺は誰かのために戦うことはしない。全ては自分のためだ。今日の戦いも――そう、思っていた。

 だがそんな考えとは裏腹に、俺はシリカの言葉に救われていた。最初の気持ちを思い出してしまった。なんと浅ましいのだろう。

 

 だが、それでも今だけは――俺にも誰かを守ることが出来たのだと、そう思いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もうこんな時間か。そろそろ部屋に帰った方が良いぞ」

「あ、はい」

 

 泣きじゃくるシリカをあやすこと十数分。ようやく落ち着きを取り戻した彼女に、俺はそう促した。

 まだ時計は午後9時前を指しているが、明日は午前3時にはここを発つことになるし俺も少し休んでおきたい。認めるのは癪だがシリカのお蔭で気持ちも多少楽になった。少しくらいは眠れるだろう。

 別れの挨拶代りに、シリカの頭の上に乗ったピナの体を撫で繰り回す。「ピィ」と気持ちよさそうに鳴き声を上げて目を細めていた。愛い奴だ。

 

「じゃあ、またな」

「はい。……あ、あの、泣き出したりして、すみませんでした……。それじゃあおやすみなさい」

 

 若干鼻声で、シリカがそう口にする。SAOの中では、こう言った声や表情も割と忠実に表現されるのだ。ちなみに目元も赤く泣き腫らしている。目薬のアイテムを使えば一瞬で直るらしいが……まあ手持ちにはないし、時間経過でも勝手に直るはずだ。そこまで気を遣う必要もないだろう。

 部屋に帰るシリカを一応出口まで見送ろうと、その後ろに俺も立つ。そしてシリカがドアを開けると――意外な人物が、そこに立っていた。

 白いワンピースを着た、右頬の泣き黒子が印象的な少女――サチだ。丁度ノックをしようとしていたところだったのだろう。右手を上げた奇妙な体勢で固まっていた。

 サチは俺と目が合った後、視線を落とし、俺の前に立つシリカへと顔を向けた。黙って、その顔を見つめること数秒。消え入るような声で、呟いた。

 

「女の子……こんな時間に? しかも子供……ふ、不潔っ!!」

「お、おい待て……。違うぞ」

 

 青みがかったショートカットの髪を振り乱し、サチは俺から逃げるように後ずさる。ゴミを見るような目線をこちらに向けていた。

 確かに、客観的に見れば中々危険な状況かもしれない。夜更け――と言うにはまだ早いが、それでもこんな時間に幼気な少女を自室に連れ込んでいたのだ。しかも、その少女は目を赤く腫らしている。

 慎重に言葉を選ばなくては、社会的に死ぬことになるかもしれない……。そんな静かな戦慄を覚えながら、俺は口を開いた。

 

「いや、サチ、これはな――」

「あれ? サチじゃない。どうしたのこんな時間……に……」

 

 悪いこととは、重なるものである。俺は今それを身をもって感じていた。

 新たに現れたその人物は、先ほどのサチと同じように俺とシリカを交互に見て、固まった。いやサチもそうだけど、どうしてお前がこんな時間にうちにいるんだよ……。

 

「あっ。アスナッ、ハチが部屋に女の子……しかも子供を連れ込んでて……!!」

「いや、違う。違うから。――おいそこ、通報しようとすんな」

 

 唐突に現れたアスナは、サチの言葉を聞いて「軍に……ユキノさんに連絡しなくちゃ……!」などと呟いてメッセージウィンドウを弄り始める。いや、それはマジで洒落にならないから勘弁してくれ……。

 

 

 

 

 

 

 

「……うん。私はハチのこと信じてたよ」

「そうよね。ハチ君にそんな甲斐性ないものね」

 

 ところ変わってギルドホーム、ダイニング。

 先ほどまではかなり混沌とした状況になっていたが、元々が誤解だったために、詳しいことを説明したら2人はなんとか納得してくれた。いっそ清々しいまでの手のひら返しである。そしてアスナには何やら失礼なことを言われているような気もするが、まあそれは置いておこう。

 ちなみにシリカはアスナたちと軽く自己紹介を済ませた後、子供はもう寝る時間ということで部屋に帰しておいた。あいつも今日は色々とあって疲れていたのだろう。若干名残惜しそうではあったが、促すとすんなり部屋へと帰って行った。

 

「……で、お前らはなんでいんの?」

「ご、ごめんなさい。特に用事はないんだけど、ハチが帰ってきてるって聞いたから……」

「あー、いや、別に責めてる訳じゃないから……」

 

 俺の問いかけに、サチは怯むような表情でそう答えた。こちらが悪いわけじゃないはずだが、そんな顔をされると申し訳なくなる。咄嗟に俺がフォローを入れていると、次いでサチの隣に座るアスナが口を開いた。

 

「私も用事というか……53層で会った時、何となくハチ君の様子がおかしかったから顔を見に来たのよ。いつも以上に目が死んでたし……でも、今はなんだか平気そうね」

「……まあな」

 

 若干罵倒が混じったが、つまりは俺のことを心配してくれていたらしい。自分も明日は笑う棺桶(ラフィン・コフィン)との戦いが控えているというのに出来た奴だ。

 しかし俺からすれば、むしろ心配なのはアスナの方だった。攻略組の中でも、キリトとアスナは圧倒的に若い。幼いと言い換えてもいいだろう。それでもその圧倒的なセンスでゲーム攻略を牽引してきた彼らだが、人との争いはモンスターを倒すのとはわけが違う。

 まだ精神的に未成熟な彼らが、それに耐えられるのか。本音を言えば、明日の戦いには参加して欲しくなかった。それについてはキリトには直接言ってみたが、当然の如く断られてしまった。

 まあキリトの方はまだいい。明日も基本的に俺と一緒に戦うことになるはずだ。いつでもフォローに回ることは出来る。だが、アスナとは状況によっては別行動だ。血盟騎士団の連中を信用していないわけではないが、やはり気がかりだった。

 

「なあアスナ。やっぱりお前、明日は――」

「行くわよ。絶対に」

 

 会話の途中、とりあえず言うだけ言ってみようと口を開いたのだが、言い切る前に遮られてしまった。アスナは鋭い目つきで、こちらを見つめている。

 

「私も、覚悟は出来てるから」

 

 何の、とは聞くまでもないだろう。

 俺はため息をついて、頭を振った。まあ、最初からそう言うだろうことは何となく分かっていた。頑固なアスナのことだ。こうなっては梃子でも動かない。

 曖昧な言葉のやり取りに疑問を持ったのだろう。その場にいたサチが首を傾げていた。恐る恐ると言った様子で口を挟む。

 

「明日、何かあるの?」

「……ちょっと大がかりな作戦があるのよ。ごめんねサチ、あまり詳しくは言えないの」

「そう……。ごめんね、力になれなくて……」

「ううん。助かってるわ、すごく」

 

 失敗した。サチの居るこの場で、明日の話題を出すのは不用意だった。俺は少し後悔しながら、2人のやり取りを聞いていた。しかしそれをフォローするように、アスナが少しおどけた声で口を開く。

 

「それにハチ君なんてサチの作った装備が無かったら、今まで10回は死んでるわよ? 無茶な戦い方ばっかりするんだから……」

「ええっ!?」

「いや、さすがにそれは盛り過ぎだろ……多分」

 

 アスナの話に顔を青くするサチ。一応突っ込みを入れておいたが、完全に否定は出来なかった。

 

「……誰か1人だけの戦いじゃないのよ。いろんな人の想いを受けて、戦ってるんだから」

 

 真剣な表情になって、アスナが呟く。その瞳は俺に向けられていた。

 戦果も責任も、共に分け合える仲間がいる。アスナは今日、そんなことを俺に伝えに来てくれたのかもしれない。うぬぼれかもしれないが、俺はそんなことを思ってしまった。

 いつもの俺ならば、鼻で笑ってしまうような仲良し理論だ。しかし、アスナの言葉だからだろう。すんなりとそれを受け入れることが出来た。

 

「だから、負けるわけにはいかないわ」

 

 続くアスナの言葉に、小さく頷く。柄にもなく、体には静かな闘志が満ちていた。

 

 決戦前夜。こうして俺たちの夜は更けていった。


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